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2016年10月13日木曜日

価値観⁉

 時々お金を使うときに考えることがあるのですが、使う金額ではなくものによって『高いなぁ』と思ったり『これくらいはするだろうなぁ』と思ったりするわけです。

 それは単なるものの問題だけではなくその時間だったり環境だったりもします。つまり、のどが渇いてしかたなければ普段100円で買っていたりする水のボトルが130円だったりしても買うし、その施設以外で買って持ち込みもできなければそこで買うわけです。

 人は自分にとって今必需品であったり価値を感じればいくら高くてもというのは大げさかもしれませんが購入の決定をするわけです。もし、灼熱の太陽の砂漠で喉が渇ききっていたならば1万円を出しても100円のドリンクを買うことを考えるわけです。

 逆に言えばお金をいくら持っていてもそこに水がなければお金は何の意味もなさないわけです。

 なぜこんなことを書くかというと実質的環境がそこになくとも頭の中にそのような状況が出来れば人は物を買うわけです。そしてこの状況はダイヤモンドのようなものにこそ当てはまるのではないかと考えるからです。(これはあくまでも業界側からの目線ですが)

 もしユーザーにしっかりした価値観を持ってもらい、そのうえで喉の乾いた状況を作り出し、そして所有欲を持ってもらう啓蒙をしっかり行い、金額ではなく所有をしたいという願望を持ってもらうということです。過去にはそのような現象があったと記憶しています。

 また、お金があっても砂漠で水がなければ何の役にも立たないという状況にしてもある一定の大きさのダイヤモンドに関してはお金持ちよりダイヤモンドのほうが少ないわけですからすでにその状況はできているわけです。もしピンクのダイヤモンドの10カラット以上のものをほしいと思っても簡単に買えるわけではありません。持っている誰かが手放さなければなりません。

 同じ額面のお金であっても時と場所と物によって高いと考えたり、高いとも何とも考えなかったりするわけです。

 総括的には宝石というものは安売りをすればするほどその価値はなくなり最後は安売りが何の意味も持たなくなるのです。つまり、ただで水を飲めるところでいくらお水を安く売っても誰も買わないわけです。価値を感じなくなれば人は物にお金を出さなくなるのです。

 過去は宝石は高いものという先入観があったので一部の安売りが結果を出したのですが、業界側後ドンドン自分の事だけを考え安売りをしすぎたためにその価値を失ったわけです。

 もう一度宝石の本来の価値を創出する努力をしなければいけないのでしょう。

 まずかったレストランからの帰りがけにそんなことを考えながら歩いていました。
http://diamond-exchange.jp

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