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2016年10月13日木曜日

ダイヤモンドと感情⁉

 一昨日、接客中にお店の前を若い女性が行ったり来たりしている姿が目に入っておりました。
突然ドアを開け店内にはいって来ると
『すみません。ダイヤモンドについて伺いたいことがあるんですけど。』
スタッフが対応をしている会話が耳に入ってきました。

 接客中のお客様が帰られたのでお話を伺ってみると
『ダイヤモンドが好きで、色々なお店を回ったんですけどグレードの話ばかりで、私が聞きたいこととはちょっと違うんです。私も明確には説明できないんですけど…。』
と困惑顔をしながら私の顔を覗き込んでおりました。

 端的に言うと綺麗だな、好きだなこのダイヤモンドと思う気持ちは何が要因なのだろうということを知ったうえで購入をしたいということです。つまり綺麗だな欲しいという気持ちだけで高額なものを購入することに少し不安があるということで、どこへ行ってもそれはグレードによっても違うということの説明をうけるのですが、それとちょっと違うということでした。

 私が
『それは賢明な疑問ですね。なぜならグレードというものはここ40年くらいでもてはやされてきたものですがダイヤモンド数百年前から人々を魅了しています。』

 一通りの説明を聞くと納得がいったようで店頭にあるダイヤモンドをまじまじと眺め、
『もう少し見ることができますか?』
時間がないということで後日のお約束をして再度ご来店ということでお帰りになりました。

 ダイヤモンドでよく言われることは、ダイヤモンドを眺めていると何も考えないでいられるという言葉です。つまりダイヤモンドをまじまじと見ているとそこに気持ちが支配され、無意識になれるということです。

 感情というものはいつも周りの環境を支配しようとするために起こす自身の現象ですが、例えば幼子が大人の支配しようと感情をむき出しにし駄々をこねます。また、怒りをもって回りとコントロールしようとする行為もまさに感情です。

 ある意味感情というものは自分以外のに気持ちを伝えようとするときに言葉が見つからずに表す精神状態です。先ほどのダイヤモンドを見ているときは何も頭に浮かばないという表現はもちろんダイヤモンドは感情を持ち合わせていませんが、ダイヤモンドが発する光や現象がまさに見ている人の感情を左右しているといってよいでしょう。

 ダイヤモンドを美しいと感じるのは感性ですからそれを論理的に説明をしようとするグレードというんのには若干の無理があります。感性に価格を付けることをは難しいので結果その中の小さな理屈としてグレードによる説明が必要になるのです。

 グレードというものはある意味販売側の知識を補うもので、勿論それで説明できるものではありません。絵画でいうと号いくらという表現がありますが、作家によって得意な大きさは違うわけで感性や才能をサイズで価格表現することには無理があると思うのですが、他の国では例のない販売方法を日本では行っています。

 いずれにしてもダイヤモンドの魅力というものは第一次的に人々の感情を引き出すところにあることは間違いがないでしょう。
http://diamond-exchange.jp
http://ameblo.jp/diamonrow
 

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