今、イスラム国と名乗る盗賊団に捕まっている日本人の人質二人のうち、どうやら一人は殺されたようだという内容が漏れ伝わってきています。ここでヨルダンという国がクローズアップされていますが、私は15,6年ほど前にこの国と日本という国の親密具合を肌で感じたことがあります。
ヨルダンに接している国、イスラエルに出張中にイスラエル全国でゼネストが行われていたことがあります。私はどうしても帰国をしなければいけなかったこともあり、急きょタクシードライバー数人に話を持ち掛けヨルダン国境まで運んでくれないかという話を持ち掛けました。
しかし、その日は金曜日で夕方からシャバット(安息日)が始まるという事で、すでにお昼を過ぎていたために、帰りはシャバットに間に合いそうもないという事でほとんどのドライバーに断られました。そんな中事情を説明すると
『戻れるかどうかぎりぎりだけど、いざとなったらヨルダン国境方面に親戚がいるからそちらに行くよ』
と言って、了解をしてくれたドライバーがおりました。
それから車をとばしてもらって3時半過ぎにヨルダン国境にたどり着くと国境の検問所があり、いろいろ調べられて、パスポートコントロールへ行ってビザを取るように言われました。通過をするだけのつもりだけでいたので、まずいなと思いながらパスポートコントロールへ行きました。
びっくりしたのはコントロールのフロントに行くと食事のメニューが如く、色々な国の国旗が書いてあり、ヨルダン価でそれそれに金額が入れてあったのです。そして、パスポートを提示すると単純にビザのスタンプを押されました。ヨルダン貨幣を持ち合わせがなかったので、その旨を伝えると
『日本人はタダだよ。』
と伝えられました。
ヨルダンは日本からの支援と日本企業が多く参入をしており、日本のおかげで国がなり立っているかもしれないと、係員が笑いながら説明をしてくれました。確かに表に出ると日本企業の看板ばかりで下手をすると日本より多いのではと思うほどでした。
隣の国には何十回も来ておりましたが、遠い国と思っていたヨルダンがとても近く感じ、日本とこんなに親密なんだと感じたものです。その後、暗闇の中をアンマン市内に入り、空港までの便が見つからず、近くにいたヨルダン航空の乗務員をつかまえ、乗務員用のバスで空港に向かいました。
時間は既に深夜でしたが、決して身の危険を感じる状況にはありませんでしたので、空港につくと今話題のシリヤのダマスカスに向かい、その後、オランダを経て日本に戻ったことを思い出します。
ヨルダンに接している国、イスラエルに出張中にイスラエル全国でゼネストが行われていたことがあります。私はどうしても帰国をしなければいけなかったこともあり、急きょタクシードライバー数人に話を持ち掛けヨルダン国境まで運んでくれないかという話を持ち掛けました。
しかし、その日は金曜日で夕方からシャバット(安息日)が始まるという事で、すでにお昼を過ぎていたために、帰りはシャバットに間に合いそうもないという事でほとんどのドライバーに断られました。そんな中事情を説明すると
『戻れるかどうかぎりぎりだけど、いざとなったらヨルダン国境方面に親戚がいるからそちらに行くよ』
と言って、了解をしてくれたドライバーがおりました。
それから車をとばしてもらって3時半過ぎにヨルダン国境にたどり着くと国境の検問所があり、いろいろ調べられて、パスポートコントロールへ行ってビザを取るように言われました。通過をするだけのつもりだけでいたので、まずいなと思いながらパスポートコントロールへ行きました。
びっくりしたのはコントロールのフロントに行くと食事のメニューが如く、色々な国の国旗が書いてあり、ヨルダン価でそれそれに金額が入れてあったのです。そして、パスポートを提示すると単純にビザのスタンプを押されました。ヨルダン貨幣を持ち合わせがなかったので、その旨を伝えると
『日本人はタダだよ。』
と伝えられました。
ヨルダンは日本からの支援と日本企業が多く参入をしており、日本のおかげで国がなり立っているかもしれないと、係員が笑いながら説明をしてくれました。確かに表に出ると日本企業の看板ばかりで下手をすると日本より多いのではと思うほどでした。
隣の国には何十回も来ておりましたが、遠い国と思っていたヨルダンがとても近く感じ、日本とこんなに親密なんだと感じたものです。その後、暗闇の中をアンマン市内に入り、空港までの便が見つからず、近くにいたヨルダン航空の乗務員をつかまえ、乗務員用のバスで空港に向かいました。
時間は既に深夜でしたが、決して身の危険を感じる状況にはありませんでしたので、空港につくと今話題のシリヤのダマスカスに向かい、その後、オランダを経て日本に戻ったことを思い出します。
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