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2015年1月20日火曜日

取引き⁉

 商売、仕事、労働、取引などと色々な形態があるビジネスですが、原形は全てが物々交換であることは間違いがありません。つまり、、貨幣なるものは補助的にあるものですが、最近では補助的なものが主なるビジネスの役割を担っています。

 単純にいうと漁師と農民の間で魚と野菜が物々交換で行われる中で、片方が時化であったり、凶作である時に交換する物の代替品として現れたのが貨幣です。その後に大漁になったり、豊作になった時、また、片方が不振になった時の貨幣でその足りない部分を貨幣で補い、其々がその貨幣を保証するという事です。

 保証の信用がなくなるとその価値は安くなり、信用を増すとその価値が高くなるわけです。それは現在の為替相場を見ればよくわかります、信用のある国の貨幣は強く、信用のない国の貨幣は弱い訳です。

 基本に戻れば、相手の足りない物を提供することで貨幣が手に入り、その貨幣で自分の足りない物を手に入れるという事ですから、相手が黙っていても足りない物を提供すればお金になり、相手がいらない物を提供しようとしてもお金は手に入りません。

 それでは現在の日本の様に物があふれているところでは、何を提供してもお金にはなりにくいというのが現状です。つまり、物以上の付加価値がなければお金にはなりにくいのです。必需品であっても同じようなものが存在すれば安くしなければお金にはなりません。その次の段階では安くても物が良くなければ同じようにお金にはなりません。しかし、お金にするために必要以上の競争が起きる事により破たんも起きます。

 つまり、現在の日本では必需品であれ、嗜好品であれ付加価値のない物はお金にはなりません。それは本来の取引の形が崩れてしまったために、現在の形になっています。

 お金のための取引が横行してくると物がないがしろになってきます。しかし、どう見ても現状はその金融第一主義の限界が見えているように見えます。基本戻れば物を安くするより付加価値を高める方が取引の基本に戻る訳です。

 宝飾品は本来必需品ではなく、付加価値の典型のようなものですから、その付加価値を損なう売り方は結果を難しくしています。付加価値性の高い物という前提があるので値引も効いていたのですが、現在のように値引きが多くなると、付加価値を既に減じておりますから、値引きが何の役にも立ちません。

 ただ、疑心暗鬼の消費者に安く買わないと損だと思わせていたので、消費者からの値引き交渉が入る訳で、それは販売者の信用の裏返しだという事を忘れてはいけません。

 取引の基本である価値とお金を交換するという意識をもう少し考えても良いかもしれません。消費者が求めている価値は、実用性であるとともに、奉仕の様にサービスであり、時間であり、空間であり、誇りであり、物以外のなんらかの価値を求めてお金を払っているのが最近では顕著に身に沁みます。

 信用がなければ価値が安くなり、信用があれば高く物が売れるのは為替という取引が証明しています。安く売らなければいけないという事は信用をされていないと一緒です。
 

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