遅きにあらずと思い、感じたままに綴りたいのですが、フランスのテロをきっかけにフランス国内での『テロに負けない!!』、『表現の自由を守れ!!』といった意味で大規模なテロも行われているが、ここで疑問があります。
『テロには屈しない!!』ということは勿論賛成ですが、表現の自由というところにいささかの疑問を持つわけです。つまり表現の自由といえばなんでも許されるのかということでいえば、風刺というものは表現する上で自己責任も発生する自由だと感じるわけです。
つまり、相手に逃げ場のない風刺や冗談はすでに風刺や冗談の域を超えているということです。フランスの新聞社においておきた事件は決して許されるものではありませんが、ある意味での責任を取らされたということになるのかもしれません。
勿論、それぞれの尺度でその加減は違うわけですが、例で言えば禿げている人がそれに対してコンプレックスを持ち、かつらを使用し隠していたとします。それをジョークのつもりで指摘したとします。云われたほうが傷つき自殺をしたとしたら弱い被害者が悪いのか、加害者が悪いのか?
もし、被害者が悪いとなったらそれは強者側の理屈であり、倫理的にも間違いであるわけです。なぜなら法律の基本は弱者を守ることを前提とした基準になっているからです。勿論法律も人が作ったものですから、それを悪用する人もいるので完全とはいえません。しかし、基本は弱者が守られ、強者が責任を取ることが基本となるわけです。
要するに、相手に逃げ場があり、自分が責任を取れる範囲が風刺やジョークの範囲であり、表現の自由の範囲であると思うのです。表現が何でも許されるのであれば、人を殴り、それは表現の自由ですということになれば極端な話が、戦争であれ自分の主張として許されることになります。ただし強者の理屈としてです。
『ペンは剣よりも強し』という言葉がありますが、それは弱者の武器であることが前提ですが、現代ではペンが何よりの武器になっていることを忘れてはいけません。つまり、ペンを持つ側が強者であるので弱者に対する配慮が必要であると考えるわけです。
宝飾業において販売側は実は強者です。宝石や宝飾のジャンルは多くの消費者は理解しがたい職業で、よく耳にする言葉が『よく解らないから、プロにお任せをする』という内容です。つまり、弱者なわけです。それゆえに販売をする側は言葉の選び方や自身が理解をしていない言葉を表現することに責任を感じなければなりません。
天然ということ以外は殆どの場合、人が創り上げた世界であり、何を言ってもウソでも本当でもない部分がある業界です。それゆえに、理にかなった言葉を選ばなければなりません。聞きかじった言葉を使う場合にはその旨も伝えなければなりませんし、経験をしたことであっても絶対という言葉が使えない職業であることを身に付けなければなりません。
『必ず値上がりをします。』といった言葉を使う販売員がいますが、その言葉に責任を持てるはずもないのですが、消費者はプロの言葉として捉えます。それゆえに後にトラブルを起こすか、著しく信用の出来ない業界と思われることが多いのです。
ダイヤモンドに関しては実績やロジックの比較的はっきりしており、データーも残っているケースが多いのですが、それに関しても絶対ではありませんから実績やデーターを詳細に説明をし、あくまでも消費者が決め、責任を取るものです。鑑定機関ですらグレーディング結果に何らかの責任は負わないということを頭において、責任ある表現をするよう心がけたいものです。
そのような事を言っていたら仕事にならないという人もいますが、それは単なる怠けで、仕事ではないのです。それこそ勉強をし、身の丈にあった仕事をするか、プロのレベルになる努力するかを選択するべきなのです。
『テロには屈しない!!』ということは勿論賛成ですが、表現の自由というところにいささかの疑問を持つわけです。つまり表現の自由といえばなんでも許されるのかということでいえば、風刺というものは表現する上で自己責任も発生する自由だと感じるわけです。
つまり、相手に逃げ場のない風刺や冗談はすでに風刺や冗談の域を超えているということです。フランスの新聞社においておきた事件は決して許されるものではありませんが、ある意味での責任を取らされたということになるのかもしれません。
勿論、それぞれの尺度でその加減は違うわけですが、例で言えば禿げている人がそれに対してコンプレックスを持ち、かつらを使用し隠していたとします。それをジョークのつもりで指摘したとします。云われたほうが傷つき自殺をしたとしたら弱い被害者が悪いのか、加害者が悪いのか?
もし、被害者が悪いとなったらそれは強者側の理屈であり、倫理的にも間違いであるわけです。なぜなら法律の基本は弱者を守ることを前提とした基準になっているからです。勿論法律も人が作ったものですから、それを悪用する人もいるので完全とはいえません。しかし、基本は弱者が守られ、強者が責任を取ることが基本となるわけです。
要するに、相手に逃げ場があり、自分が責任を取れる範囲が風刺やジョークの範囲であり、表現の自由の範囲であると思うのです。表現が何でも許されるのであれば、人を殴り、それは表現の自由ですということになれば極端な話が、戦争であれ自分の主張として許されることになります。ただし強者の理屈としてです。
『ペンは剣よりも強し』という言葉がありますが、それは弱者の武器であることが前提ですが、現代ではペンが何よりの武器になっていることを忘れてはいけません。つまり、ペンを持つ側が強者であるので弱者に対する配慮が必要であると考えるわけです。
宝飾業において販売側は実は強者です。宝石や宝飾のジャンルは多くの消費者は理解しがたい職業で、よく耳にする言葉が『よく解らないから、プロにお任せをする』という内容です。つまり、弱者なわけです。それゆえに販売をする側は言葉の選び方や自身が理解をしていない言葉を表現することに責任を感じなければなりません。
天然ということ以外は殆どの場合、人が創り上げた世界であり、何を言ってもウソでも本当でもない部分がある業界です。それゆえに、理にかなった言葉を選ばなければなりません。聞きかじった言葉を使う場合にはその旨も伝えなければなりませんし、経験をしたことであっても絶対という言葉が使えない職業であることを身に付けなければなりません。
『必ず値上がりをします。』といった言葉を使う販売員がいますが、その言葉に責任を持てるはずもないのですが、消費者はプロの言葉として捉えます。それゆえに後にトラブルを起こすか、著しく信用の出来ない業界と思われることが多いのです。
ダイヤモンドに関しては実績やロジックの比較的はっきりしており、データーも残っているケースが多いのですが、それに関しても絶対ではありませんから実績やデーターを詳細に説明をし、あくまでも消費者が決め、責任を取るものです。鑑定機関ですらグレーディング結果に何らかの責任は負わないということを頭において、責任ある表現をするよう心がけたいものです。
そのような事を言っていたら仕事にならないという人もいますが、それは単なる怠けで、仕事ではないのです。それこそ勉強をし、身の丈にあった仕事をするか、プロのレベルになる努力するかを選択するべきなのです。
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