ページビューの合計

2021年12月20日月曜日

ダイアモンドの高騰⁉

 ダイアモンドの高騰は皆さんもお聞き及びかと思いますが、それは偏に品物不足です。大手のオークション会社であるサザビーズやクリスティーズに関しても例外ではありません。

 ファンシーカラーの特殊なものに関しては確かにニュースにもなり、落札価格にも驚きは隠せません。しかし、白物の大粒ダイアモンドに関しては圧倒的に品不足で前回のサザビーズに関しては一粒の10ctsのサイズは出ておりません。当方も先日サザビーズ出品予定のものがその前に一般の方に決まってしまうという状況でした。

 背景にあるものはコロナ禍でのロックダウンによる供給不足の影響もありますが、圧倒的に市場での需要に対しての供給不足でしょう。さらに言えば現状での金融の不安定さからの安定資産としてのダイアモンドへの信用による需要でしょう。

 国内においても安定資産としての購入要望は大きいのですがいかんせんものがありません。当社においても5カラット、10カラットとここ数カ月連続での販売となっており、供給に不安感が出てきていることも事実です。

 海外においても同じ状況であり、ここ数カ月での大粒の平均値上がりは数年ぶりの事と記憶しています。15,6年前だと思いますが同じような状況で10カラットのD,IFが異常な値上がりがありました、現状では価格も安定をし、その頃より戻ってはいますが、それはD,IFという特殊な品質のものに起きる現象です。

 他のコマーシャルなところに関しては極端な値上がりはありませんでしたが、現状はやはりそのころに比べると価格は安定して上昇をしておりました。

 しかし、現在ほどの価格上昇率に関しては久しぶりといってよいでしょう。これは経験則ですがこの状況はしばらく続くと考えています。それは当時より全体的に需要が多いという事と金融ブームによるものが多いからです。

 国内の状況を見ても現代アートや高額腕時計という将来的に不安定な高額品が全国の百貨店で堅調に販売がされています。勿論現状の金融バブルが大きな要因ですが資産としての目論見が相当影響をしているという事です。それならその最先頭にいるダイアモンドとなるのですが、残念ながらダイアモンドは資産家の数ほどの量はありませんからそれほどの注目は浴びてはいないというところでしょう。

 更に言えば手放す時のインフラが整備されていないという認識があるのでしょう。これらは時間とともに解決するでしょう。海外ではすでに始まっているのですから・・・。

 更に海外をはじめ目先の利く方たちは間違いなくダイアモンドに走っているような気がします。

 

2021年11月18日木曜日

ボジョレー・ヌーボー⁉

 本日は11月の第3木曜日という事でボジョレー・ヌーボーの解禁日です。

 私自身ワインエキスパートの資格を取ってからは数年経ちますが、きっかけは脳トレとボジョレー・ヌーボーの誕生と私の年齢が一緒という事があります。

 バブルの頃はボジョレーの解禁日というと通関する成田空港まで多くの人々が押し寄せて、開栓しバカ騒ぎをしていたことを覚えています。そのころの印象はあきれて物が言えないとさえ思っていたのですが、今になってみると経済を動かし、社会が活性化していたなとさえ感じます。

 ある意味ボジョレー・ヌーボーは日本の活性の象徴みたいな存在でこのイベントが盛り上がっているとそこに活力を感じます。

 今でも一部の人々が成田空港で開栓のイベントをやっているようですが、その人々は今でいう勝ち組。つまり、格差社会の上の段にいる人々です。

 当店のお客様でもバブルの当時を彷彿させるような人々もいます。それこそブランド品のボディコンで、お食事前に予約をしていたジュエリーを受け取りに来られるような方々もいます。彼女たちを見ていると平成、令和と続く環境経済の不況が嘘のようにも見えます。

 この30年の間、約3年間の民主党政権を除けば、ほぼ自民党政権で日本は運用をされ、そのうちの半分を安倍政権が担当してきましたが、この30年間の経済の落ち込みと所得の減少という事を考えると自民党や安倍晋三を評価するものが何かあるのだろうかとさえ感じます。

 ワインも熟成するほど良いのではなく収穫年や醸造方法などの運もだいぶ作用することは間違いがないと考えます。決して有名ワイナリーだから旨い訳でもなく、歴史があるから旨い訳でもありません。

 ボジョレーに関してはその年の新酒ですから当年の出来を知り、その年の生末を図る上では重要なわけです。今年も選挙もあり、この年に選ばれた国会議員たちはどのようになっていくのだろうかと案じます。できうればこの議員たちが国を活性化することを望みます。

 



2021年11月12日金曜日

ダイアモンドゲームの終焉⁉

 近代ダイアモンドビジネスが生まれて150年程が経とうとしています。デ・ビアス設立をしたセシル・ローズを近代ダイモンドビジネスの祖とし、デ・ビアス社の倒産があり、イスラエルでのダイアモンドファイナンス事変がありとこの間には様々なダイモンドビジネスの変化がありました。

 一番の変化は1980年代の旧ソ連の台頭でしょう。その後ソ連は崩壊し、ロシア連邦が誕生し、ロシアの半官半民であるダイアモンド鉱山会社”アルロサ”という巨大採掘業者が存在を大きくします。

 更にはリオ・ティントをはじめ大規模ダイアモンド採掘業者が現れ現代のマーケットは作られていますが、根本は倒産したデ・ビアス社を再建し、ある意味ゲームともいえる近代ダイアモンドビジネスを作り上げたアーネスト・オッペンハイマーの土台が今でも変わりなく機能をしているという事です。

 しかし、このゲームは極めて脆弱な土台であり、ルールが単純なだけにいわゆるポーカーフェイスをどこまで貫き通すかという事が重要になってきます。

 あくまでも人間の本能や欲望を前提として組み立てていますが、本来それらには細かいルールは存在しません。つまり、欲望には規則もロジックも存在しません。

 しかし、ダイアモンドビジネスというゲームにはあまりにも細かいルールやロジックを持ち込み過ぎたとも言えます。それも根拠に乏しいものなので時代時代により、扱う人間の都合に合わせて変化をさせてきました。その典型が4Cを中心としたグレーディングシステムというものでしょう。

 それはグレーディングシステムに合わせたロジックを無理にダイアモンドに合わせている為に、矛盾が蔓延をしているにも拘らず運用をされている事です。

 例を挙げるとファンシーカラーですがわずか5,6段階の色に仕訳され、それはグレーダーたちの主観でしかありません。つまり、自然界の中の色を僅か数種類の色分けで一部の人間の主観で決め、価値を示すというある意味暴挙でもあるわけです。

 ゲームとして成り立つには共通のルールがあってのことですが、過去のルールは大きさと美しさという単純な概念だけでしたが、現在はダイアモンドのビジネスそのものより、その付帯ビジネスの存在が大きくなっています。その中の一定ではないルールで運用をされており、それがダイアモンドビジネスを危うくさせているのです。

 鑑定業務であったり、オークションなどの過度なスタイルが本来のゲームを難しくしており、更には危うくしているような気がします。

 ダイアモンドビジネスというゲームは本来もっと単純なもので駆け引きと頭を使う事により勝者となるチェスや将棋の様なものだったのです。

 碁盤の目の数を変えたり、マスの形を変え、一部の人間の都合に合わせていては本来の価値というものを偏重させてしまう事になりかねないと思う昨今です。

2021年10月29日金曜日

ダイアモンドの値動き⁉

 コロナ禍という事もあり、話題も少なくブログをアップする割合も減ってきましたが、最近オークション結果やその出品内容を見ていると大粒の割合が減ってきたように見えます。

 勿論、私自身の肌感でもあるのですがファンシーカラーへの傾倒が投資家たちに見えることもあり、大粒ダイアモンドの率が減っているような気がするのです。

 ただそれだけではなく、何時の時代もそうですがダイモンド業界がい大いにキャンペーンを張り販売したものが数年後に大量に売りに出されるという事が多くあります。

 現在、顕著なのがクッションカットです。一時にはプリンセスカットが大いに売り出されていた時代があったのですがその時代も終わり、歩留まりもよく単価が高くなるクッションカットが流行るというより大いに研磨がされ、日本ではあまり人気が出なかったもののクッションカットが大いに吐き出されたことがここ十数年の間にありました。

 現在のオークション(御徒町の”市”ではありません)を見ているとそのころの爪痕の結果なのかクッションカットが多く見られます。また、逆にハートシェイプやマーキースなどの原石自体が特殊なものはやはり少なくこの辺の今後の値動きが気になるところです。

 全体的に言えることはこの頃のコロナ禍という事もあり、大手オークション会社のサザビーズやクリスティーズにおいてもネットでの落札が多くなってきているという事もあり、動きも大きくなったりもしています。その結果、当初コロナが始まった頃は大に出品も多く、落札も華やかだったのですが、鳴りも潜まり、出品数も減るだけではなく静観をしているような様子が伺われます。

 その背景には絶対的な数量が少ない商品であるというだけではなく早々に手放しては意味のないものであるわけですから回転自体が収まってきたともいえるでしょう。安全資産でもあるダイアモンドはギャンブル性も乏しく、長年の所有が絶対的条件となります。その結果の売買の低迷という事もあるのでしょう。

 日本の人々には馴染みのない資産であっても海外の多くの人々にとっては重要な資産としての使い勝手がありますので現在の様な金融の荒れているときには株や証券に目を奪われながらもギャンブル性の低いダイアモンドを手堅く所有しておこうという意識があるのです。

 結論を言いますと、来年の桜の花が咲く頃には大粒ダイアモンドの値上がりのニュースが華やかになってくるのだろうと考えています。

2021年9月24日金曜日

ラボグロン・ダイアモンドの問題点⁉

 人造ダイアモンドの問題に関しては今までも書いてきましたが、GIAやHRD等においてもやはり問題が発覚をしました。

 ダイアモンドグレードのレポートは鑑定機関によっても違いはありますが有効期限を区切っているのが一般的です。そのため一定期間を過ぎたものは再度のグレーディングを促しています。

 今回GIA,HRDともにその再グレーディングの際に天然と偽ったものが持ち込まれたものです。本来の天然のものに近い人造ダイアモンドをリカットし当該のダイアモンドのカットに近づけたものです。

 本来のグレーディングされた大粒ダイアモンドにはガードル部分にレポートナンバーが刻印をされていますが持ち込まれた人造ダイアモンドにはやはりそのレポートナンバーが刻まれていました。

 しかし、当該のダイアモンドに関してはタイプ1aであったという事もあり、発見をされたという事ですが、持ち込み者がCVD及びHPHTに関してはタイプⅡであることを知らなかったというお粗末なものです。

 勿論ほかの検証も行いますので成長線の違いや分光の違いもありますので看破することは問題ないと思いますが、多くのラボグロンダイアモンド販売業者が『プロであっても天然と見分けがつかない』といった謳い文句を使う事によりこのような問題を誘発していることを考えると今後消費者市場においても問題が起こる可能性は過去の歴史を見ても間違いがないでしょう。

今一度ラボグロンの取扱業者はダイアモンドを理解し、その販売方法を見直す必要があるという事を認識したもらいたいものです。


2021年9月14日火曜日

SDG'sに物申す⁉

 久しぶりの更新ですが最近ものすごく気になっていることがあります。それは世界中なのでしょうが『SDG’s』の大合唱です。

 最近『ラボグロンダイアモンド』が話題になっていますが、銀座では松屋百貨店を4店舗が開店しています。しかし、多くの販売店が注意喚起が必要な売り方をしていることが気になり,何店舗かには注意喚起を行いました。

 それは『サスティナブル』や『コンフリクト』を振りかざし、いかにも天然ダイモンドのネガティブキャンペーンの様な様相を呈しているからです。この販売方法は明らかな問題です。サスティナブルに関して言えば人類は何らかの自然の恵みにより進化し現在に至っています。

 自然破壊を否定するのであればコンクリートや石油の様な自然由来の建材や材料に関与しないことです。最も自然破壊ともいえるコンクリートジャングルにいながら天然ダイアモンドは自然破壊につながるといったお題目は当てはまらないことを意識しなければならないでしょう。

 勿論『コンフリクト・ダイアモンド』に関して言えば日本国内に国連のキンバリープロセスが存在する以上日本に入ってくることはありません。

 さてその元となっているであろう『SGD's』ですが、メディアも大きく取り上げており、ファッション業界などもいかにも率先をして取り組んでいるような姿勢を見せてはいますが果たしてどうでしょう。

 前述もしましたが人類は何らかの自然由来の恩恵を受けて進化し、人類の進化のために自然由来の材料が存在をするという事を忘れてはいけません。つまり大なり、小なり自然を破壊する事は必要な事なわけです。

 ただそれをどれだけ大事に使うかという事が必要なことであり、再生をいかにして行うのかという事ではありません。つまり、自然再生の木材や海生物は別にして使い過ぎない事、つまり、過度の消費を行わないという事が大事なことであり、山々をガンガン破壊してビルを建てたり、自然界に存在をしない原子燃料などを量産すること自体が問題なのです。

 さらに言えば毎年季節ごとのファッションを提案するアパレル業界そのものがあえて言うなら問題であり、流行を作り出さなければ新たな材料を必要とすることはないのです。極論を言えばアパレル業界こそが自然破壊の先頭にいるのです。

 食料品の廃棄問題や農産物の過剰生産なども問題になっていますが、少し足りない、我慢をする、物を大事に長く使用するという事が重要であり、再生することが必要であっても、その前にすることがあるだろうというのが私の見解なのです。

 勿論現代において無駄が経済を動かしていることも事実です。それ故に無駄の先端を行っているような人々が『SDG's』を口にすることに違和感を感じるわけです。

 前述のラボグロンダイアモンドにしても『天然ダイアモンド』が決して過ぎたる自然破壊をしているわけではないという事を認識してほしいのです。むしろ足りないから価値があるのであり、その価値があるからラボグロンの存在にも意味があるのでしょう。

 それともう一点は天然のものと見分けがつかないといった文言が目立ちますが、これは大いに問題です。必ず表記には一定の機関においては看破することが容易であり、ラボグロン本体のガードル部分にはラボグロンであることの表記がしてあるという事を明記する必要があるのです。

 何故なら過去に百貨店等おいてたくさんの問題が起きているからです、それは天然と見分けがつかないという事を前提にキュービックジルコニア等を使用し、多くの詐欺事件や天然との入れ替え事件が大きな波紋を起こし、そのたびに宝飾業界に疑問の目が向けられたという事があります。

 それ故に事実ではありますが真実を扱う人間がもっと知り、勉強をする必要があるのだと感じているのです。

2021年8月23日月曜日

ダイアモンドと個人資産の実情⁉

 日本で個人資産が1900兆円超えとなって日本はすごい資産家が多いと驚きの声もありますが本当にそうでしょうか?

 実際の経済はコロナ禍という事もありますが、それ以上に日本経済の仕組みの根底がねじ曲がっているような気がします。つまり、証券市場や投資市場に関しては数字上は経済が堅調であることを示していますが、その指標の測り方が少し違うのではないかという疑問です。

 つまり、資産を持っている人の大多くが現金を持っていないという事です。現状の証券、債券市場というものは以前と違いひも付き、期限付きといった汎用性に劣るというか自由に動かすことのできない投資資産といったものが多く、デイトレーダーの様な多くの資産を持たなくモニターの前に座りギャンブル的に投資を行っている人は別にして本来の資産家といわれる方の多くは投資信託であったりファンドに資産を任せていますから多くの現金は持っていないという事です。

現金は経済の血液ともいわれていますから現金の回らない経済はあり得ません。現状の経済は多くの資産を持たない一般の庶民だけで回されていますから実体経済やデフレ脱却にはあまり多くの役には立たないというとになります。これがアベノミクスの後遺症であり、竹中なにがしの経済理論の過ちなわけです。

 ダイアモンドの資産性に関しては以前から述べているように、アナログ資産ですから実体経済を破壊するような規模にはなりません。ある意味最も健康な資産ともいえる訳です。後は運用方法や実体販売の見直しでもあると思っています。有限である資産はその価値を有し、デジタル資産に関しては無限なわけですから、本来何処から本来の資産性があるのかというとリーマンショックの時に例があるように実体はありません。

 つまり現在の投資市場というのはその市場を運用する側だけがその恩恵を受ける仕組みですから新資本主義市場の危うい部分だけが隠され一部の人の利益となり膨らんでいくのです。それは一代で膨大な資産家が多く生まれてきている現状が示しています。現金が市場に流れない経済に成長はありません。ゆがんだ経済市場がまだまだ続くのでしょうか?

 

2021年8月18日水曜日

一年と半年⁉

 ブログを更新するのは一か月ぶりとなりました。海外のサマー・バケーションと日本の夏休み更には『TOKYO2020』とビジネスに触れる機会も少なく大した話題もなく過ごしていました。

 ダイアモンドビジネスに関して言えば大粒石の値上がりが約半年ぶり位で海外相場を押し上げていますが、これは去年からのダイアモンドブームに加え、やはりロックダウンの影響でもあり供給側の手薄感とでも言いましょうか、新たな原石の研磨が間に合わないという要因もあるのでしょう。

 ただし、国内に関して言えば市場が低迷し、迫力がないのは事実です。新資本主義的な金融の狂乱は相変わらず続いてはいますが、そこにも変化が表れ始めて現物を探る動きが出てきたことは事実です。やはり、大粒ダイアモンドの動きは目立ち、さらに言えば過去の販売方法というより金融がらみにした販売方法が功を奏しているようです。

 しかし、この新型コロナの日本政府のだらしなさ振りは益々国内マーケットの低迷は続かることになるのでしょう。

 前安倍政権から始まったコロナ対策は一年半ほど前の中国での流行を知りながら中国からの渡航制限を掛けず、いきなりの全国学級閉鎖という根拠のない自己満足的政策を行ったと思ったら自宅で悠々紅茶を飲みながらペットを可愛がる動画を流したと思ったら、いきなりのアベノマスク。

 何の根拠もなく思い付きで政策を行ったと思ったら『緊急事態宣言』、これはある程度効果を上げてきたと思ったら『GoToキャンペーン』なるものを行い、国民が心配する中で人流が感染に関わるエビデンスはないとか子供の言い訳かと思うようなことを自民党の老害が発っした。

 しかし、今度はいきなり人流抑制が大事だと誰もがわかっていることを振りかざし、『GoTo Eat』を煽っつたかと思ったら今度は飲食店いじめ、生かしたいのか殺したいのかはっきりしろと言いたいような状況を一年半も繰り返していたら市場も疲弊をしてくることは誰にでもわかります。

 しかし、そんな政府を選んでいる心広く将来を考えない人々が多くいることも事実です。まさに言葉を選ばずに言えば国賊であり、非国民でもあります。

 この一年半の思いを綴ってみたら言葉が荒くなってしまいました。これに懲りずこれからも読んでくださいね。

2021年7月15日木曜日

資産の偏り⁉

 現在の投資熱は歴史上類を見ないといってもよい状況です。勿論株式に始まり、国債、暗号通貨や、さらにはこれに付随するデリバティブなどウォールストリートの常識というか理屈が世界を席巻しています。

 それにはデジタル、ITなどの発展進化などが大きく貢献をしていることは間違いがありません。しかし、1929年に起きた世界大恐慌総株暴落現象の数年前と酷似していると考えるのは私だけでしょうか?

 現在、多くの資産家が生まれ話題になっていることは周知の事実ですが、多くの場合一代であり、十数年、もっと言えば数年で築き上げた資産ともいえ、過去の歴史では例がないのではないでしょうか。ただ単に著名な資産家だけではなく多くの富裕層がこぞって資産の形成にやっきになっている現象が見られます。

 最近特に感じることですが5億前後の資産をお持ちの方のお金の使い方ですが、100万前後のお金は自由になるがそれ以上は難しい。さらに言えば20憶30億円の資産をお持ちの方は1000円前後のお金は自由になるがそれ以上となると難しいという現象です。

 仕事柄それなりに資産家の方たちとお付き合いがある中での感想ですが、資産の多くは証券や条件付き投資要件つまり満期等の期限付き」資産をお持ちの方が多く、資産は多いのだが使えるお金は少ないという事です。

 つまり、数字上は株価や資産の数字は大きくなってきているのですが、実際の経済を動かすべき現金はあまり市場には回ってはいないという事です。多くの実体経済において経済を回しているのは資産を持たない人々であり、特に日本においてはデフレが続く要因が満載なわけです。

 しかし、ここで懸念をしなければならないことは、基本的にはモノが動かなければ経済は回らないわけです。多くの投資家が企業に投資をしてもその企業のモノが動かなければ株価が落ちていくことは必至なわけで、そこで投資家たちがその企業から資本を引きあげることにより株式市場は悪化をしてくるという事になります。

 ものが動かず、価格も上がらない現状で株価だけが高値でいること自体がデリバティブなどのウォールストリートの常識の中で創られたまやかしなのだろうと感じています。それが前述の世界大恐慌の前触れ的な感じを抱かせるのでしょう。

 勿論現在は当時とは全く違う環境下にあります。しかし、経済をアウトルックしたときに基本的な理屈で考えるとやはり疑問を持たざるを得ないという事です。

2021年7月9日金曜日

主語と述語⁉ダイアモンドは?

 AI化が声を大にして言われる現在ですが、このまま何処まで行くんだろうかと考えることがあります。

 何故ならAIが知識や計算、探し物を解決してくれるなら小学校も中学校もいらないという事になります。つまり、基礎学習的なことはいらないという事になりますので、現在の受験勉強をはじめ塾生活は何の意味もなさない時代がやがて来るのだろうと考えます。

 IQを求めるよりEQを求める時代がそこまでやってきていると考えると現在の考え方はやはり何かおかしいと考えざるを得ません。

 アナログとデジタル化は主語と述語の様なもので述語は時代や環境によりどんどん変わっていきますが主語は変わりません。つまり、現代でもそうですがデジタルは常に進歩とともに使い捨てされ新しいものへと変換され、アナログは何百年、何千年と残されていきます。そして、その中での進化が行われていきます。

 現代はデジタル化が新しようなニュアンスが広がっていますがそれは常に滅びていくことを示しています。

 以前にも書いたことがありますが『神』も『AI』も人間の存在なくして意味を成すものではありません。そして、双方ともに時代によって在り方が変わっていくのではないでしょうか?

 ダイアモンドというものはアナログの典型という事も言えるもので実際に多くの人々が目に見える実用性はありません。(もちろん一部の光学の世界では実用性はありますが)

 むしろ、時代とともに変化さえ微々たるものです。そして常に変わらぬ権威や誇り、地位や証の象徴としてのみ存在をしています。その上でダイアモンドというものは今後も主語としてアナログの象徴として残っていくものだろうと考えられます。何故なら人間の欲望の上に成り立っているわけで、それはアナログという主語は常に欲望の上に成り立っているようなものだからです。

 人間社会というものは欲望というものが原動力となり成立をしている社会であり、その社会の存在がAIの意味を作り出しているのだろうと考えます。



2021年6月28日月曜日

ダイアモンドの還流⁉

 ダイアモンドというものは数限りある資源である反面、還流をするという意味では半無限ともいえるものでもあるし、供給に対して需要が少なければ希少性が高いとも言えないものです。

 しかし、多くの場合ダイアモンドは一時的な環境やサイズによっては希少性があり、更には価値もあるといえます。つまり、小さなサイズで経済状況が良くなければ供給の方が需要に対して過剰になる部分も出てきます。ダイアモンドは一括りにできるものではないという事です。

 ただ、大きなサイズに関しては常に供給に対して需要の方が勝っているわけで、それがダイアモンドの価値ともいえるでしょう。勿論前提として人間に欲望があるという事を含んでという事になりますが・・・。

 人間の寿命に対してダイアモンドの寿命は永遠という事になるわけですから、ダイアモンドは常に『還流』を前提としている訳です。しかし、ダイアモンドに対して人間は近視眼的に見ることが多いので、歴史的に見ても『還流』をしているものなのですがビジネスとしてそこに目を向けないことが多々あります。

 一部のオークションなどは特殊なものに関しての還流の一助にはなっていますが、多くのダイアモンドビジネスが一過性のものになっています。

 つまり、一部の小さなものを除いては『還流』を前提としなければビジネスとして成り立ってはいかないという事になります。元々大企業であったり世界的規模のビジネスにはなりにくい業種ですから限りあるダイアモンドという実態の本質にあったビジネスモデルを構築する必要があり、今後はその軸を中心にダイアモンドビジネスが進むのです。

 私どものそれらの事を念頭に今後のビジネスを組み立てていくことになるです。

2021年6月7日月曜日

アナログなダイアモンド⁉

 デジタルという言葉が一番多く出てきたのは1980年代ではなかったかと記憶をしていますが、記憶では1960年代のパタパタ時計が皆が目にした最初ではないでしょうか。

 私自身、父親が時計店を商っていましたので子供のころ面白がってみていました。それは時間が進むにつれて数字の書かれたパネルの様なものが次々とそれこそパタパタと音を立てるように変わっていったのです。

 それが今では液晶画面へと変わり、現代の近未来的な象徴へと変わっていきました。現代は勿論それは目で見るものだけではなく情報の管理であったり、伝達等々あらゆる部分にデジタルが採用されています。

 アナログデーターというものは劣化しやすく、デジタルデーターは劣化しないといわれていますがデジタルデーターというものはアナログデータに比べてコストが掛かることも指摘をされています。つまり、アナログデーターは過去の歴史をひも解く要因になってきたように一定の環境下にあればコストというものはそれほどかかりませんが、デジタルデーターというものは破損やハッキング等の被害を防ぐためにバックアップをはじめブロックチェーンに至るまでその先にどれくらいのコストを見なければならないか想像もつきません。

 現代の金融はフィンテックのようにデジタルデーターの管理と運用を第三者が前提にNFT(ノン・ふファンジブル・トークン)をはじめあらゆる新規投資というよりギャンブル的なものが生まれています。

 しかし、それはリスクを誰も保証の出来ないものへとなっていき、其れを駆使できるものだけが富を保有しうる世界になっていくのではないかと懸念をしています。勿論、ブロックチェーンをはじめあらゆるセキュリティーがなされていますが、前提としてデジタルは常に進化をしますが、常に新しいものに取って代わられるという運命にあります。

 その点アナログ資産は一定の条件の管理のもとに外部からの被害を未然に防ぐことは容易です。特にダイアモンドのように分散が可能で秘匿することも難しくはありません。数十年後か数百年後かはわかりませんが、結果的にはダイアモンドの保有が安全資産として見直されることが出てくるような気もします。

2021年6月3日木曜日

ダイアモンドの手応え⁉

 先日、某百貨店の依頼で当社の10ctsのラウンドブリリアント、マーキース、オーバル、ハートシェイプそしてプリンセスカットと5種類の形のダイアモンドを並べていましたが、それをご覧になっていたお客様が『この中で一番品質が落ちるのはどれですか?』という質問に唖然とする私でした。

 本来であれば『一番品質が良いのはどれですか?』

という質問であればなんとく納得がいくのですが・・。

 私はお客様に『どれもほぼ同じような内容ですが何か気にかかる点でもありますか?』

と尋ねるとお客様は『どれも輝いていますが、一つだけほかのものと比べて輝きというのですか?

少し違うように見えます』

 お客様が指さしたのはマーキース・カットのものでした。

『おっしゃる通りです。マーキースに関しては確かに4Cグレードにおいては他のものと変わりませんが、我々は(ライフ)といっていますが照りは少し他のものと比べると劣ります。』

 原石において価格が決まるわけですが、結果的にグレードが付くことによりその価格に多少の上下が出てきます。しかしその原石の時点ではいわゆるライフというものも価格の決定を左右する部分もあり価格にと以外も出てくるわけです。

 実際には10ctsアップのマーキースというものは希少な為に所有をしているわけですが、発生率から言えば自身の経験からすると20ctsのラウンドに匹敵をすると思っています。何故なら大粒のマーキース用の長めの原石はなかなか存在しないからです。

 しかし、比べるものがあると素人であるお客様の目を誤魔化すことが出来ず、見事に感じるものであることを改めて痛感しました。以前から4Cのグレードだけではダイアモンドの良し悪しや価格を論じることは出来ないといっていたのですが、このようなお客様が現れることにより4Cのグレード表示だけで説明を終わらせることなく、ちゃんとダイアモンドの説明をすることの大事さを改めて思い、その手ごたえを改めて感じ時でした。

2021年5月28日金曜日

合成ダイアモンドの幻想⁉

 現在『ラボ・グロン ダイアモンド』という表記のもと様々なところで合成ダイアモンドが販売をされていますが、ほとんどの場合『天然はサスティナブルではない』とか『紛争ダイアモンドではないラボ・グロンダイアモンドを使おう』というようなうたい文句で販売が行われています。

 まず最初に注意喚起をするのであれば世界的に『ラボ・グロン』という表現は認めておらず、CIBJYOをはじめ世界ダイアモンド産業等国際ダイアモンドビジネス団体においてはsynthetic、laboratory-grown,もしくはlaboratory-created等の接頭語をダイアモンドに関することを課しています。

 また、日本においてもJJA(日本ジュエリー協会)、AGL(宝石鑑別協議会)は合成ダイアモンドとの表記を統一しており『ラボ・グロン ダイアモンド』という表記は必ずしも誤解を招くとして勧めてはいません。

 さらに天然ダイアモンドはサスティナブルではないという謳い文句にしても実質的にダイアモンド鉱山の地球環境の破壊という言葉を他の開発と比べてみると建築材の採掘から比べると数万分の一というレベルだし、多くの場合その後埋められることも多く、その表現は決して正しくはないし、それを言うならファッション業界に対してなら理解ができます。

 もっと言うなら『コンフリクト・ダイアモンド』つまり、全ての天然ダイアモンドは紛争ダイアモンドがごとく表現しての合成ダイアモンドの販売戦略ですが、その生産国を見る必要があります。多くの紛争ダイアモンドに関わっている中国・ロシア等は合成ダイアモンドの主要生産国でもあるわけです。その辺の事情もよく理解をして合成ダイアモンドを扱う事を願うわけです。そして、米国ではDカラーIF相当の1ctサイズのものが800ドルで販売をされていることも消費者には伝えるべきでしょう。



2021年5月19日水曜日

資産運用としてのダイアモンド⁉

 資産運用の基本は長期、積み立て、分散となるわけですが、昨今の資産運用を見ていると資産運用とは名ばかりでギャンブルのようにも見えます。

 落ち着いて考えてほしいことは過去の資産家というのは時間をかけ、多くの人を巻き込み、自分の資産を増やしていきました。それは仕事を発生させ、企業を興し、納税し、そして社会を形成した事の見返りとして資産家となっていった

 しかし、昨今の資産家はハイリスク、ハイリターンの投資を好み、更にはそのリスクヘッジとしてファンドへの資産運用依頼というというある意味社会活動とは別の錬金術というものに興味を持っています。

 ファンドは投資家の資金を集め、その知識を利用し、実体経済とは結び付くことの困難なマネーゲーム現象を起こし、記憶に新しいところでは『リーマン・ショック』の様な事象を起こしてしまいました。

 その中身は更に巧みにはなったとはいえ、その内容において大差はありません。もっと言うなら今の一時的ともいえるブームに乗り遅れるなとばかり、似非投資家が群がり、更なる資金の集中という事になっています。

 現状のウォール・ストリートの理屈がいつまで続くのかわかりませんが、アベノミクスの失敗のように現状でトリクルダウンという、資産家が潤えば庶民も潤うという現象は起きようがありません。投資家はお金を増やすべく更なるデリバティブとしてヴァーチャルな投資先を考えるので実体経済に結び付く投資にはあまり興味がなく短期で結果の出るハイリスク、ハイリターンの物への集中をします。

 冒頭に書いた資産運用の、長期、積み立て、分散といった基本にはあまり興味がないようにも見えます。著名投資家である、ウォーレン・バフェット氏や故武田和平氏の基本は長期で投資先企業を見極まるという手法で多くの資産を築きました。結果的にはその間にも多くの就労を生み社会や民衆も潤う事となりました。

 しかし、現状の金融の世界では一部の関わった人のみの資産が膨大に膨らむという現象しか起きません。つまり、社会に還元をするようにはなっていないのです。さらに言えば多くの個人投資家はその資産運用の犠牲となり、失うものを大としているのです。

 資産用ダイアモンドというものは長期で保持するという事は当然ですが、資産の分散という優位性もあり、更にはその特殊な市場性という事もあり、価値への積み立てが他者により行われるという資産の運用という意味では原点でもあるわけです。もっと言えば特殊性を持った動産ともいえるのです。

 ただし、絶対的数量がありませんので一部の方のための資産運用でしかないことを付け加えておきます。


2021年5月17日月曜日

デジタル省と資産⁉

 先日デジタル省の創設が正式に決まりました。

 これで大きく変わることはないという考えもありますが、実際には個人番号と銀行口座の紐付や資産の国家管理という事も含めて大きな問題でもあります。

 現在国税局では個人のデーターはKSK(国税総合管理)システムというものでチェックをしているといわれています。つまりタンス預金などもこのデーターからはじき出されたものです。

 100兆円を超えたタンス預金が何故にその詳細が国税のデーターに上がってくるかというとこれらをKSKシステムにより解析をし、現状をはじき出すためです。

 今回のデジタル省の創設により個人番号とこれらのデーターがリンクされるという事ですのでそれぞれの資産の管理においては懸念の材料があるわけです。

 つまり、今度のコロナ禍の政府の力なり、行政の不備、さらに言えば発展途上国並みの政治家の能力の低さを国民は痛感させられたわけです。

 そのような国家の中での個人資産の管理はの危うさは計り知れません。何故なら最近米国のパイプラインを止め、身代金を要求してきたロシア系ハッカー集団の『ダーク・サイド』の問題をはじめ中国や北朝鮮のハッカー集団の存在はすでに周知のするところです。

 しかし、残念ながら日本の政治力や行政力は極めて低い状況にあります。とてもではありませんがそれらのハッカー集団の立ち向かうレベルではありません。そんなところに個人資産をはじめ多くの情報を紐づけすることは考えただけでも恐ろしいものです。

 今後個人の資産をどのように管理をし、手元に確実に残すのかという事を考えると一つの事実が浮かんできます。銀行口座を含めデジタルで管理するものは多くの危うさが残っていますが、現物を手元で管理をするという事はさらに重要になってきます。それは国家の管理の手元にあるとはいえ、不動産や地金で持つという事になります。これは第三者により移動をすることはできません。

 しかし、その頂点に立っているのは何といってもダイアモンドでしょう。勿論一定の条件の元という事になりますが・・。

 人様に管理をされ、さらに言えばその管理の危うさという事を考えると自己防衛しかないのです。世界中で大粒ダイアモンドの需要が増えています。しかし、残念ながら資産家の数ほどのダイアモンドは存在をしないという特殊な市場です。いち早くそこに目を付けた人々だけの特権とも言えます。

 欧米では当たり前の資産管理方法が、もっと日本でも多くの人の目に触れることが将来の資産管理を安全なものとすると考えています。


2021年5月5日水曜日

何故ダイアモンド⁉



 今から45年ほど前に私はグランド・キャニオンの淵に立っていました。

 米国に渡って間もない頃、当時ルームシェアをしていた同居人が週末面白いところに行ってみないかと誘ってきました。

 金曜日の夕方になると『さあ、準備をして出発しよう』となり、スーパーマーケットにより飲み物を軽食を買い一路東を向かいました。事ルート66を通りドライブをすること11時間まだ薄暗い林間をぬけ、少し広めに駐車場に止まり、夜明けを待つことにしました。

 しばらくをすると日が昇り周りが白々としてくるころ樹木の間から見える向こう側に広々として空間があり、樹木を抜けそちらの方に歩いてみると目の前に広がる空間は想像を絶するものでした。

 そこには広大な渓谷が広がり、上りくる太陽と下がりゆく月を同時に見る事が可能であり、昼夜の交代が間に合わないほど壮大なパノラマが広がっていたのです。

 人間は自分が経験したものの中でしか物の判断をできないと感じたものでした。

 そこには北海道育ちの私でさえ目にしたことのないような絶景が広がっていました。真の底から感動をしたことを覚えています。

 私自身わび、さび、情緒というものに疎いと感じていますので心の底から感動をすることはあまりありません。特に人造物に対してはヨーロッパの大聖堂であれお城さえ感動をしたことはありません。

 やはり、自然の創る美というものに勝るものはないと感じているのです。自然は当たり前に見ていることでさえ論理的に考えると想像を絶する事象を目の前に見せてくれます。

 私自身が『ダイアモンドはなぜ好きですか?』と問われると『自然が作り出した答えの出ない美しさを手に平の上で感じさせてくれる唯一のものだから』と答えることがあります。

私にとってのダイアモンドはグランドキャニオンと同等のものともいえるのかなと感じています。


2021年4月29日木曜日

時代が変わるとき⁉

 最近のお話だけではないのですが引き合いがあり、お取引先にお送りしても結果的に『お客様が来なかったのですみません』という理由で商品が返却をされることが多くなてきました。

 何故にこのようなが起きるかというと結論から言うと『客なり』の接客をしているという事になります。勿論、急病なり急用なりという事もあるでしょう。しかし、このような例がこれほど多いという事はやはりお客様と話を詰める前に商品手配をして客待ちをしていようという事なのでしょう。

 現状の宝飾業界においては多くの場合大粒や特殊な宝石に関してはそれほど国内在庫が有りませんから業者間で品物を回す事となります。さらに言えばその送料も保険料を含めると馬鹿になりません。それ故に安易な引き合いは迷惑でしかありません。

 ただ現状の末端を考えるとほとんどの場合販売員に経験や知識が乏しく、仮にお客様が来店をしたとしても決めきるだけの度量に関しては難しく、実際には展示会等でも卸屋さん販売員が決めることが多く祭事以外においても卸屋がダイレクトで消費者に接して決める場合も多くなっています。

 以上のことを考えると流通のシステム自体を変えざるを得ないと感じるのです。何故なら希少石に関しては圧倒的にお客様より商品の方が足りないわけですから、お客様に商品の都合に合わせてもらわなければなりません。それは以前の宝石業界では当たり前のことでしたが、ここ数十年の間に状況も変わり宝飾品もかなりアクセサリー化し販売形態も変わってきたのでやむを得ないのかもしれません。

 現状においてはこの時代の変化を見直し、本来の宝飾品の販売方法に立ち帰らなければならないのでしょう。過去にも色々と時代の変化によるこの業界の変貌を見てきましたが、今ほど変わらなければならないと感じることはありません。

 宝飾品は何時の時代にも顧客より少ない状況にあります、それ故に販売員の顧客へのアプローチが変わらない限り、市場の復活はあり得ません。『何時でも何処でも誰でも手に入る宝飾品』は既に宝飾品としての価値を失っています。

 時代の変わり目であることには変わりありませんが、どう変わるかというと宝飾品に関してはITなどが絡む要所は極めて少なく販売員なり、販社なりの原点回避が何よりも効果的なのだと考えています。

2021年4月23日金曜日

ダイアモンドのマーケット!?

 ここで触れるダイアモンドとは資産としてのダイアモンドですが、多くの人が描く『ダイアモンドの世界』はゴウジャスで自分たちには縁のない世界という事でしょう。

 しかし、実際のダイアモンドのマーケットというのは1億円をアヴェレージにしたダイアモンドがどれ位世界のマーケットで動いているかというと500PCS前後です。つまり、全てを同時にビジネスを行ったとしても500億円ほどのマーケットでしかないのです。

 勿論ダイアモンド全体を指せば輸出価格ベースで毎年2兆前後の取引がありますが1億円を平均として資産用となると極めて少ないわけです。

 ところがこのマーケットというのは長い間世界的オークションハウスか特殊なダイアモンドディーラーのマーケットで動いてきたわけです。しかし残念ながら日本では不動産神話が根強かったためにあまり広がってはこないというか存在さえ知られることがなく日本でも一部の人の世界でしかなかったわけです。

 私自身その業務に長年携わりましたがやはり多くのl場合一部の資産家の間だけの世界でした。しかし、現在のフィンテックによるデジタル資産やその管理においてはあまりにもリスクが高く危うさがあります。

 一方、アナログ視差の典型でもあるダイアモンドは多くの場合その管理を管理、監視当局がコントロールするにはあまりにも小さすぎた為に多くの国の税務管理当局は未だに玉虫色の管理をしています。例えば公に有名人の3000万円の婚約指輪の話題が出ても課税をすることができません。

 本来厳密にいえば贈与税のかかる高額物品贈与の案件においては状況々々でそれぞれの管轄所において判断をされることになっていますが実際には課税をされた話は聞いたことがありません。

 つまり、世界的にも小さなマーケットであるダイアモンドのマーケットのおいてはまだまだ流用性の高いマーケットであるという事です。

 これらのことをどう判断をし、運用するかは今後のマーケットの重要なカギとなることになるでしょう。

2021年4月7日水曜日

ダイアモンドの常識⁉

 ダイアモンドは有史以来、象徴を伴った資産として人類の周りに存在していました。しかし、人類の社会習慣や環境に変化により本来の価値というものが翻弄もされてきました。

 近代においては日本の4Cグレードの誤解と偏向によりダイアモンドの本来の価値を損なってき他とも言えます。それはダイアモンドという一つの言葉がすべて同じものという誤解から生まれたものでしょう。

 私自身が今から45年前ほどに渡米をしたころは米国の宝石店で1カラット以下のダイアモンドにグレードを使用しているところは殆どありませんでした。それはジュエリーの材料として使用するか婚約指輪に使用するかという事でダイアモンドそのものに価値を覆いかぶせることはなかったでしょう。

 つまり、0.25カラット以下をメレーという位置づけの時にそこにグレードを付けるという事はあまりにも異常なことだったからです。メレーとは一般人がよく口にする『くずダイア』という位置づけの物を表す言葉と同意語だからです。勿論『くずダイア』という言葉を甘んじて受けようとは思いませんが・・・。

 当時日本では収入の問題もあり0.1カラット前後のものからグレードをブランドダイアモンドはつけていました。それは当時の『給料3か月分』といても多くの若者は20~30万円のが予算でしたから0,2カラットが20万円、0,3カラットが30万円というものであってもその価値を示そうとグレードを使用していたのです。その結果小さなサイズのものまで大粒のダイアモンドと同じような価値があるように勘違いをされたのでしょう。

 勿論それらの価値もそれなりではありますが、本来の価値は冒頭に書いたように象徴と資産としての価値がメインです。しかし、長い間婚約指輪と同じような販売のされ方をしてきたので、べらぼうな価格が設定をされ、そこからの値引き販売というものはダイアモンドの本来の価値と価格を危ういもんだという印象を消費者に持たせてしまったのです。

 小粒のダイアモンドには宝石の絶対条件となる希少性というものが一見欠けています。それは供給量が時として需要を超えてしまう事があるからです。本来の宝石としてのダイアモンドは決して供給が需要を超えることはない希少性というものが伴っています。それゆえに金融資産としての側面があるわけです。

 そしてそれは免許のいらない金融商品を扱うという特殊な状況を現状を生んでいるという事ですが、それは日本の話であって決してダイアモンドの常識ではないのです。世界では金融資産としての循環やその環境が整っています。日本においても早くその環境が整うことが常識の中でのダイアモンドが存在をすることになるのでしょう。



2021年3月29日月曜日

ダイアモンドと戦争と災害⁉

 ダイアモンドと戦争というのは以前から言われていることで敵国からの侵略に機動力のある動産としてのダイアモンドは海外ではあまりにも常識化していますが、日本では島国という事もあり戦争とダイアモンドが関わったという例は第二次世界停戦下の接収ダイアモンドであろうと思われます。

 155万個、160カラットを超えるダイアモンドが政府によって接収をされたという歴史が日本にもあります。これは『ダイアモンドを前線へ』というスローガンの元、国によってダイアモンドをかき集められたという事ですがやがて戦争も終わりその本意というものはいまだに公表はされていません。

 昭和41年には大蔵省より放出がされ、一部の業者がとてつもなくその恩恵を受けたという事実だけが私の記憶にとどまっているところであります。探ればダイアモンドを基に資金の調達を考えたとも言えますが表向きは武器の製造過程の研磨剤という事になっていました。

 現実にはダイアモンドが戦争に関わった我が国でのまれな歴史です。勿論資金の調達のためであることは明白です。

 一方では海外諸国では当たり前の事柄で私自身も米国にいた4数年ほど前に出会ったベトナムからの難民の人々がダイアモンドを懐に海を渡ってきて、それを資金に米国で事業を始めたという現実を周りで見ることにより資産としてのダイアモンドを意識するようになったのです。

 実際には戦争でなくても災害大国の日本ですからその重要さは私自身が見直さなければところです。東日本大震災の際においても多くの買取業者が現地に赴き、貴金属やダイアモンドの換金のお手伝いをしたという事です。中には不埒な業者も多くいたのですがダイアモンドが換金をされたという事実は事実としてあったのです。

 今後日本はかなりの高い確率で地震が来ることを予測されています。私自身あまり真剣にはとらえていなかったのですが週末にそのメカニズムを知る機会があり、:この確率はかなり高いという事を理解しました。それは交通事故に合う確率は十数パーセントであり、火災にあう確率が1パーセントあまりにであることに対してこの30年以内に地震に合う確率が50パーセントを超えているという現実を日本は抱えているという事です。

 その際に持ち運びの出来る資産を頭に置かないことかなりのリスクとも言えます。現金や証券更に期えば電子マネー等もインフラが壊滅をした状況では何の役にも立ちません。元といえばそこに食べるための略奪や事件が起きる可能性もあります。

 今の日本の現状を考えると換金に関してはかなりのレベルで環境が整ってきています。携帯性を持った資産としてもっと真剣に考えてはどうでしょうか?

 勿論災害時だけを考えているわけではなく投資としても大きな候補であることは過去の歴史と世界の常識が証明をしています。

 デジタル化だけではなく時代は変わるべきですが、アナログの強さを無視することはできない現実もあるという事です。


2021年3月25日木曜日

資産としてのダイアモンドセミナー⁉

一昨日神戸においてダイアモンセミナーのために出向いてきました。4回に分けてという強硬スケジュールでしたが、年齢のせいもあるのか認めたくはありませんが、多少の疲労感は残りました。

 内容においてはダイアモンドにおいては工業用、宝飾用、資産用と大きく分けて3種類ありますが今回は資産としてのダイアモンドの内容でした。

 どこまでご理解をされたのかはわかりませんが趣旨としてはダイアモンドが資産であるという事を認識していただくことが大きな課題でした。

 勿論、ダイアモンドが市中で換金をされたり持ち運びに便利なものという認識はありますが、イコールそれを資産という認識となかなか結び付かないというのが実情でした。

 動産・不動産のメリット・デメリットから入り、ダイアモンドが動産としてのとトップリーダーであることを含め今後のアナログ資産としての優位性な含めてのお話です。

 内容的には歴史上の資産としての運用例や戦争、災害下において動産としての利便性がいかに発揮をされたかという内容と資産としての運用に向くダイアモンドとしてはどのようなものがあるかというようなものです。

 また、絶対量が少ないものなので売り手の方が強い立場にいるという事が常日頃販売に携わっている方には中々ピンと来ないような様子も見られましたが、ある意味手に入れることによりある種の利潤が手に入るものであることを説明することがわかりやすいのかなという事もあり、例をあげての説明などをさせていただきました。

今後の運用なども含めてのお話をさせていただいたのですが現在に至るまではクローズドマーケットに近いものであったり、特殊なマーケットであったことも考えるとソフトランディングを行いながらのスタートが良いのだろうとも感じた次第です。

 とにかく扱う方が社会や経済に足してそれなりの興味を持っている方でなければ難しいものでもありますので課題山積を実感したセミナーでもありましたが、ご理解を頂いた人の中には早速のご質問も終了後にあり、意味のある一日でもあったとある種の充実感も感じながら帰郷をしました。

 

2021年3月20日土曜日

ダイアモンドに関わること⁉

 コロナの方も依然として行き先見えずで右往左往しようもない日々を過ごすことになっていますが、ビジネスはビジネスとしてやっていかなければなりません。

 来週も関西においてダイアモンドのセミナーを行うために日帰りで出張をしてきますが、担当の方から準備の打ち合わせのご連絡頂き、その内容が準備をする機材の話だったのですが、多くの方がすでタブレットをお持ちという事でデーターを先に送ってもらえないかという事でした。

 時代は変わるものですがセミナーのやり方としては果たして良いものかどうかを首をかしげてしまうのもジェネレーションギャップというものでしょうか。

 当方とすると顔を見ながら話ができないので伝わっているのかどうかがわからないので内容が一辺倒になるのではないかと心配なわけです。

 内容的にはダイアモンドそのものというより資産としてのダイアモンドの話になりますので金融の話も含めてご理解の度合いを感じながら話をしたいのですが難儀です。

 最近は自分自身でダイアモンドに関して感じることなんですが、ダイアモンドそのものにも勿論興味がありますが、ダイアモンドビジネスに関わるプロとして知識を持っていた、ダイアモンドに関わる時代的背景や経済や金融との関わり合いに興味があるのだなととつくづく感じています。

 仕事自体はそこそこに行いたいのですが刻一刻と移り変わるダイアモンドの事情に関しては、それに関わることが苦痛ではないなと感じています。

 ダイアモンドとは工業用、宝飾用、資産用とカテゴリーがありますが、私自身が資産用に携わってきたこともありますが、最近は資産用としてのお話が多く、フィンテックをはじめ投資の資料の希望が多くなってきました。

 ダイアモンドを単純に愛でる時代から過去の資産としてのダイアモンドとの関りを未来へ繋ぐことの楽しみを感じている今日この頃です。



2021年3月4日木曜日

今後の金価格⁉

 金の価格が去年の8月をピークに下がり続けています。勿論、数年前より高価という事もあり街中では金の高騰という名目のもとに地金製品の販売が行われています。

 しかし、一連のこの金価格に対して過去にはなかった現象が起きています。

 そもそも金とは何ぞやという事から考えなければなりませんが、古くより通貨の材料としてという事もあり、長く金本位制というものが続き、金を財産という視点で見てきました。さらに言えば金製品をはじめ携帯電話や半導体にも金が使われてきたという事もあり資産という名目が成り立っていましたがITの進化により事情が少し変わってきたのです。

 実質の金の実用性という事でいえば宝飾品などの限られた物にしか使用がされず、多くの場合は資産の保全という名目で保有されることが多く、大概の人の認識もそのようなものだと思います。

 現実には現代の富裕層にとっては資産としての保有要素としては使い勝手の良いものではないのです。株やその他の投資の確定利益の行き先として考えられていた金の代わり、仮想通貨等の一時的に利益の行き場所として利便性の高いものが他に多く出てきたのです。

 現実に金の価格の下落とともにBit Coin等の暗号通貨の価格が上昇を続けてきました。つまりディスプレーの前で瞬時に利益を動かせる利便性の高い投資対象を考えると金の順列は少し後退をしたといってよいです。

 他のプラチナやパラジュウムなどは水素燃料の電池の媒体などの実用性が備わっており、それ故に実用性を鑑みた価格に推移をすることは十分に考えられます。しかし、それ以上の過去の様な価格になることはないと考えるのが自然だと思います。

 総じて今後は金の価格というものには注視をする必要があり、現状でも高い率を誇っている金は徐々に下落傾向になるのは必然といってもよいのです。勿論熟年層を中心にした金の信者は多くいますのでその傾向にもよると思いますが、時間の問題といってもよいのです。

 


2021年3月1日月曜日

資産としてのダイアモンド⁉

 昨今の株高は決してバブルとは言えないのは実体経済が伴っていないからですが、今後株高が進むなり高値を維持するかというと答えはイエスです。

 先週は債権の長期金利に動きがあり、いったん株の下落がありましたが実質的には実体経済が伴っていないことを考えると金融緩和が維持されることが考えられるです。

 つまり、株高の要因には皮肉なことに実体経済の不調があるといってもよいのでしょう。本来であれば経済指標となるはずの株式市場は実体はカジノ化しているといってもよいのです。それも極めて胴元に有利な状況でです。(ここでいう胴元とは富裕層を指します。)

 このような状況は町中にも起きていて昔から不景気な時のギャンブルといわれ、不況時にはパチンコ業界が活況を呈してきたものです。しかし、これは健康的なこととは言えません。昔からギャンブラーは社会に貢献することはないのです。

 それでは健全な投資とはどのようなものかというと、長期な視線と安全な振り分け、そして地道な積み立てという事です。これは著名な世界の投資家のウォーレン・バフェット氏や日本の武田和平さんが実践してきたことでもあります。そのほかに対象銘柄の将来性という基本に立っています。

 私は長く資産としてのダイアモンドを提唱してきました。勿論一定の条件下の物をという事ですがそれは宝石としての五条件を備えているという事です。

 ダイアモンドというものは前述の投資の条件をほとんど満たしているといってもよいでしょう。換金性は当然ですが、その換金率という事になると長期の目線で見なければなりません。さらに言えば動産という事もあり分散資産としての有利性を持ち、更には価格の上昇より少なくとも自らの積み立てに頼らずとも一定の割合での値上がりがあります。小規模の法人が持つ資産としてはもってこいと言ってもよいでしょう。

 経済状況によってはその値上がり率は短期間になることもあり得ます。さらに言えば法人であれば資産としての計上をするわけですから財務の中での取り扱いとしては非常に利便性の高いものともいえる訳です。

 ただし、マーケットが他の市場に比べると非常に小さいためにその投資を望んでもそのものに出会うにはそれなりのリサーチをしなければなりません。前述の著名投資家のウォーレン・バフェット氏が実は宝石店のオーナーであることはあまり知られていませんが、彼のお店は大粒のダイアモンドを販売することでも米国の富裕層の間では有名な話です。

 ある種の利益の確定要素としてのダイアモンドは安定資産としての価値があるのです。

2021年2月26日金曜日

ジェンダーフリー⁉

 森善五輪委員会会長の蔑視発言を皮切そこいら中で『ジェンダー・フリー』を目にしたり耳にしたりする機会が多くなった様な気がします。

 そもそも単純性別だけであれば『SEX』となるのですが、『GENDER』となるとどのように解釈をすればよいのだろうかと考え、結果的にあらゆることを前提に男女というのはあるよという考え方のはずです。

 その男女の対応差を埋めていこうという考え方が『ジェンダー・フリー』という事なわけですが、男女の区別とその特性を無視するような考え方は基本的に存在をしてはいけないのだろうと考えます。

 つまり、それぞれに地域性や生活環境においての男女の区別というものは当然あってしかるべきであってその処遇において差があってはならないという事だと思います。

 そんな中で米国の環境というのは歴史上も男女の区別のはっきりしている国で、『レディース&ジェントルマン』というあまりにもはっきりと男女を区別している国はありません。

 男女の区別と差別を勘違いしている論争が日本には存在しているような気がします。さらに言えば世界から非難をされているという日本の男女差別問題をメディアが取り上げているようですが、果たして本当にそうだろうかと考えます。

 日本の多くの女性は本当に外に出て働き、場合によっては政治の世界へ出ていきたいと考えるのだろうか?勿論そういう人もいるでしょうし、そのチャンスを奪い取ってはいけないと思います。

 ただ日本の様な農耕民族は古くから男女の働く分野をそれぞれに向くように合理的に分けており『おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯へ』という風にそれぞれの特性に合った役割を担ってきました。それを果たして差別であると考えるべきだろうか?

 ただ、その処遇に差があってはならないとは思います。しかし、同じようなことをさせるべきだとか、すべきであるという考え方は明らに違っていると思いませんか?

 世界へ回って感じることは多くの世界中の男性が『日本女性』のきめ細かさや優しさを褒めたたえてくれます。それは古来からある日本の環境や生活習慣で培われたものに他ならないのでしょう。

 つまり、世界中での統計としての女性の政界への進出率や社会への進出率などをすべての国に当てはめることではないし、余計お世話なのだろうと考えます。

 皆が勘違いをしてはならないのは差別と区別の違いや、世界の基準に合わせることでもなく、その違いの評価に差があってはならないという事です。つまり、男性でも女性に向いている仕事が得意な人もいればその逆もあるでしょう。そこに差別や偏見があってはならないという事です。

 多くのメディアがそこを勘違いしているのではないかと思われるような報道が昨今目につきます。





2021年2月23日火曜日

宝飾品に起きている事⁉

 株高が続き、高額品が売れている現代において一般ジュエリーだけが取り残されている現状があります。

 しかし、あの1929年の世界恐慌の時でさえ宝石店の倒産はあまり報告をされていません。つまり、経済恐慌の時でさえ富裕層は富裕層なわけでそれを顧客にしている宝石店は多くの影響を受けていなかったといわれています。更には宝飾業というものは扱っているものが高額な割には経費や流動的なコストが掛かりませんのでその辺の事情もあるでしょう。

 宝石、宝飾、装飾品とあったときに現代多くの宝飾業を自認する人たちは宝飾品と、装飾品の間に位置するような商品を扱っていますので対象が一般庶民という事になります。

 更には展示会等の流動経費や多店舗展開などの固定経費を必要とする形態をとっていますので現状のマーケットではひとたまりもありません。

 つまり、宝石業の基本は場所、人、経費を掛けずに宝石の在庫に資金を掛けることを王道としています。それは歴史上からも証明がされているわけです。

 現代の資産家たちは多くの人を巻き込みながら資産を増やした人々はではなくデジタル化した世界で個の力で資産を増やした人が多く一般の庶民に恩恵があるような形では資産を貯めてはいません。

 過去の資産家たちは多くの人の力により資産を増やし、それに携わった人々にもその恩恵は当然のように渡り、社会が潤い、社会が回りました。しかし、現代は限られた人々に資産が集中をしますので宝石業とすれば最も都合の良い社会になったといえますが、現代の催事を中心とした運営がされている業界は弱り切ったところに留めを刺されたような状況になっているわけです。

2021年2月9日火曜日

ロビンフッドの時代⁉

 年初来米国での株価の中で話題になっているのがロビンフッドという個人投資家向けのアプリですが、これは現代を象徴するようなアプリでこのアプリの名前の由来も中世のイングランドの義賊の話で権力者より金品を奪いそれを大衆に分け与えるという物語です。

 新資本主義といわれる現代において一部の肥大化する富裕層の投資マネーを大衆に取り戻そうとの個人投資家にSNSで呼びかけ、今回はゲームストップ社の株を買いまくりヘッジファンドに打撃を与えようという試みです。その裏には肥大化するヘッジファンドのいわゆる『空売り』があるわけです。

 ご存じに方も多いかもしれませんが信用度の高い投資家には証券会社より信用取引というのがありますが、それは信用で株を一定の期間借り入れることができるというものです。

 ヘッジファンドはこの制度を利用してターゲットとなる会社の株を借り、売りまくります。そうすれば当然株価は下がります。しかし、ファンドはすでに売りまくり下がった株を証券会社に戻します。つまり、100円の価値のあった一株を下がった株価80円で買い戻し、その株を証券会社に戻します。そうするとすでに一度一株100円で売った代金が手元にありますから20円の利益が手元に残るわけです。

 ロビンフッダー達はそうはさせじと彼らが売ろうとしている株を皆で買いまくります。そうすると株価は下がらずにむしろ上がります。ストップ高のない米国市場では天井知らずに上がり始めると今度はヘッジファンドの株は上がり始め、証券会社に株を戻すときには逆に損をすることとなります。

 個人投資家たちは自分たちが損をするかもしれない状況で果敢に攻め先月の大騒ぎになったわけです。

一部の富裕層のお金を運用を仕組みを利用して昔でいう『仕手戦』を繰り広げられることは一部の富裕層への優待であり、ウォールストリートの理屈です。しかし、現代社会はこの仕組みにより貧富の差が広がっているわけです。

 ロビン・フッドはダイアモンドビジネスの中にもいます。

2021年1月29日金曜日

ロックダウン⁉

 長い海外経験から日本と海外の習慣からくる判断や結果の違いを見てきましたが、グローバル化というものを考えたときに 世界が必ずしも統一基準で考えることではなく違った習慣、環境をお互いが理解をし、尊重をすることだと考えています。

 いつもはダイアモンドを通して世界の考え方を書き記すことが多いのですが、今回は新型コロナ化という事もあり、それぞれの感染予防対処の違いというものはかなり違うものだと考えています。

 それが前述した習慣、環境の違いという事ですが、『ロック・ダウン』の提唱に対して他国でやったが効果はなかったじゃないかという反対意見も多く聞かれますが、これは少し違うのかなと考えています。

 それは海外の多くは土足文化であり、日本とは基本的に入浴習慣も違うという事です。つまり、コロナ菌は路上にも沢山存在をしているという事です。室内に持ち帰り家の中で床にばらまき更にはそのままソファーに座ったり、足をベットの上に投げ出したりしているわけで、更には日本人ほどの入浴習慣がないのそれがどこまでも感染拡大につながるという事が考えられるわけです。

 日本においても若者が路上で飲食をしたり、コンビニの店頭でベタ座りをしたり腰かけていいるのを多く目にします。彼らは同じように家でもそのままソファーや床に座ったりするわけです。余りメディアでも注目をしておりませんが、海外の海外政策がイコール日本がそれを真似る必要はないと思っています。

 日本の感染数が現状で収まっているのはその辺の日本の習慣からくるものだと思っています。感染対策の不備は世界基準でいえば第49位という事ですが私自身は『ロック・ダウン』を2週間行えば相当数の感染者を減らす事が出来ると持っています。

 今のままでいったら日本からの渡航がどこの国からも認められず経済がますます弱体化をするでしょう。政府が経済も回すと言っていますが、経済の一番のブレーキは政府の政策であることを早く気付くべきでしょう。

 以前から言っていますがウイルスとの共生なんてあり得ないのです。一定数の感染者数へ減らすことが唯一の経済対策であり、ウイルスとの戦いの唯一の勝利は動かない事と閉籠ることなのです。


2021年1月26日火曜日

今後のダイアモンドの役割⁉

  世界がコロナ禍に話題が集中している間にも金融業界の変化はコロナ後の社会構造の変動を生み出すべく胎動が止まることはありません。

 コロナ後に起こる一番の問題点は『実力主義と公平性』の明確な乖離であり、その矛盾が世界という社会を翻弄するでしょう。

 超低金利による金融緩和政策は世界の潮流でもありますがお金の、これはお金の行き場所を投資市場へと誘い過去にない膨張現象を生んでいます。このことは富裕層への更なる資産膨張を生み格差の開きを更に多くしていることは周知の事実です。

 この間にも多くの財政がコロナ対策へと投入されています。さてそのコロナ後に何が起きるのだろうかと考えること恐ろしくもあり、興味でもあります。

 つまり増税であり、富裕層からの資産剥がしが始まるのか、更なる格差を開く増税が始まるのか何れにしても多くの国の政府はコロナ対策に投入をした財政を立て直さなければなりません。そこには『公平』という名の更なる格差を助長する事となる政策をとらなければならなくなるでしょう。

 つまり、税金は公平に国民に掛けられるが収益は実力主義という事であり、富裕層は大きな税金を回避する方法に関しても手段を持っているという事です。

 おそらくはそれと同時に金利の上昇を迎える事となり株式市場からの資金の流出は火を見るより明白な事です。

 それでは富裕層にとってのその防衛策とは何だろうかと考えると膨らんでいる際の資産の分割であり品難場所です。今後宝飾業界は販売をする方法、場所、次期、理由を変化させざるを得ません。

 つまり、今後は前述の内容をふまえ膨らんだ株式市場の受け口としてダイアモンドは大きな役割を宝飾品としてだけではなく担っていることを前提に考えていかなければなりません。

 装飾品の延長線上に宝石、宝飾品はあると考えている業者は退場を余儀なくされることは必至なのでしょう。またコロナ禍やコロナ後に必要とされる立場でもなくなるわけです。

 いずれにしてもコロナ後の社会は変わります。それに対応ができるかどうかが今後の試金石となるでしょう。

2021年1月14日木曜日

厳しい宝飾業界⁉

 国内のコロナ禍はますます広がる状況にありますが、これは単なる宝飾業界への追い打ちというレベルではないと考えています。

 国内のコロナ対策は政府の対処療法という場当たり的な政策の弊害もあり更なる広がりを続ける状況にあります。コロナを自然災害というものに当てはめれば当然場当たり的な政策では対処ができるはずがありません。歴史に学ばなければならないのです。

 宝飾業界自体のこの政策の犠牲になるものでもありますが、それ以上に考えなければいけないのは 自然災害と同じように歴史に学ばなければなりません。

 コロナに100年前のスペイン風邪があったように宝飾業界も同じような歴史を繰り返しています。

 宝飾業界の歴史は長いのですが近代を見てもビクトリア時代に始まった庶民のジュエリーブームがあり、それ以降にスペイン風邪が流行り、その後バブルを迎え、世界恐慌へと進みジュエリー暗黒の時代を迎えデ・ビアスのダイアモンド・プロモーションが始まる1950年代までの30年間はジュエリーの不毛時代を迎えたのです。

 しかし、世界恐慌の時代でも宝石店がつぶれた話はあまりありませんでした。それは当時の宝石店は富裕層のみを相手にしていたからと言っても良いでしょう。富裕層は何時の時代でも変わらないのです。

 宝石、宝飾品、装飾品とカテゴリーで分けたときにここでいう不毛の対象となったのは宝飾品と装飾品の間のアイテムと言って良いでしょう。

 日本は高度成長からバブルとその後の時代はファッションジュエリーの時代でした。いわゆる宝飾品と装飾品の間に時代が続いたのです。しかし、ここ十数年はこの時代の終わり告げる兆候は間違いなくあったのです。

 そして、このコロナをきっかけに多くのそれらのアイテムを取り扱っていた業者が退場を余儀なくされるです。そして、100年前ほどをなぞるような時代が続く事となるのでしょう。最近のファッションのチープ化も手伝って今後10~30年はとても難しい時代を迎える覚悟しなければならないのです。

 ヒントとしては現在の金融バブルと富裕層がカギになるのでしょう。

2021年1月5日火曜日

ダイアモンドの新年⁉(2)

  前回には法人の資産としてのダイアモンドの購入という事を書きましたが、現在中堅のオーナー企業の多くが現代アートを会社の資産として購入するケースが多いという事に触れました。現代アートに興味があるのか、はたまた投資としての興味なのかというと両方を兼ね備えた上での自らへのご褒美兼ある意味見栄というものもあるように感じます。

 その事が悪いという事ではなく、それらの物も含めダイアモンド、宝石などもその類なわけです。しかし、ダイアモンド等に関してはそれらの対象にはなっていなかったというのは前回も書きましたが販売側の姿勢という事になるのでしょう。

 前回書いた2千万から3千万円のところというのはカラーでいえばKLM以上でSIクラス以上という事になりますさらに言えばハイカラー・ハイクラリティーは除くという事になります。

 これらの条件で10cts以上でラウンドという事になると世界のマーケットにおいて100ピースは流通在庫としてはないでしょう。つまり、この辺のところはハイクラス程高価ではなく更に言えば宝石としての美観は十分に保っている所という事です。つまり、日本において20ピースほどでも購入されると価格自体が上昇をするという事になります。

 何故にハイクラスではないのかというとハイクラスは価格の上下が激しく、実質的原石価格との価格差乖離があり過ぎます。しかし、コマーシャルクラスであれば元々のプレミア価値がそれほどありませんから価格の上下動が少ないわけです。更には購入するにあたって手ごろであるという事になります。

 これらのところをどのような資産運用をするかという事は多分購入をされる方の方が詳しいと思います。

 このような事が実質的に始まることは正に『ダイアモンドの新年』と言えるのではないかと考えます。

2021年1月4日月曜日

ダイアモンドの新年⁉(1)

 明けましておめでとうございます。

 という言葉がふさわしくないような雰囲気でもある新年のはじまりです。勿論前を向いて進むしか人類にはできないわけです。

 タイトルに『ダイアモンドの新年』という言葉を使いま したが、本来であれば元々のダイアモンドの歴史をひも解くという意味ですが、我が日本においては新年と言って良いのだろうと感じた昨年でした。

 新年から意味不明なことを言っていますが、実は昨年末からいくつかの問い合わせが来ています。それはダイアモンドを資産として法人が持てるかどうかという事です。

 実は昨年は絵画関係が百貨店などでは著しい売り上げを上げています。その顧客の多くは40代50代の若き経営者たちです。特に現代アートで今流行りのバンクシー等などが売れているわけです。

 この多くが会社の資産としての購入という名目が付いています。現代アートの過去の歴史を見れば価値としての価格というより流行りの価格といった様相が濃いものなのですが資産という形で法人として購入をする場合が多いと聞いています。

 結論から言うと勿論ダイアモンドを法人の資産として持つ事が出来ます。しかし過去の例を見ると販売する側がその認識を持った販売方法をとっては来なかったのでその認識がないだけなのです。

 もっと言うと販売側がそれだけの知識無くして販売をしてきたわけです。つまり、以前はちゃんとした資産として販売をしてきたという事実もありますが、近年の日本においての販売方法はそれらの知識を持った販売員もいなかったという事にもなります。

 装飾品、宝飾品、宝石といった分類があやふやになり、装飾品を如何にも宝飾品として扱ったり、付加価値を持たない宝飾品を宝石の類の様な販売方法をとったり、宝石に準ずる程度の物を宝石として販売をしたりときたない言葉でいえば『味噌もくそも一緒』といった状況でした。

 本来であれば後にオークションにかかる程度の付加価値の付いた物を宝飾品、そして資産として将来的に値上がりも期待の出来る物を宝石として扱ってきたはずなのですがそれは今や衰退し、結局は今の想像の出来た状況になってしまったのです。

 しかし、顧客の方からのお声掛けが『資産としてのダイアモンド』ということになると話は逆流ではありますが、良い方向に向くという事になります。それが私の言う『ダイアモンドの新年』という事になります。

 つまり、資産という条件を考え提供をするという事を考えると、販売形態や市場手数料というものを考えなければいけません。現代アートの平均価格が2千万円から3千万円という事を考えるとダイアモンドでいえば10ctsのコマーシャルクオリティーという事になります。

(2)へ続く