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2021年7月9日金曜日

主語と述語⁉ダイアモンドは?

 AI化が声を大にして言われる現在ですが、このまま何処まで行くんだろうかと考えることがあります。

 何故ならAIが知識や計算、探し物を解決してくれるなら小学校も中学校もいらないという事になります。つまり、基礎学習的なことはいらないという事になりますので、現在の受験勉強をはじめ塾生活は何の意味もなさない時代がやがて来るのだろうと考えます。

 IQを求めるよりEQを求める時代がそこまでやってきていると考えると現在の考え方はやはり何かおかしいと考えざるを得ません。

 アナログとデジタル化は主語と述語の様なもので述語は時代や環境によりどんどん変わっていきますが主語は変わりません。つまり、現代でもそうですがデジタルは常に進歩とともに使い捨てされ新しいものへと変換され、アナログは何百年、何千年と残されていきます。そして、その中での進化が行われていきます。

 現代はデジタル化が新しようなニュアンスが広がっていますがそれは常に滅びていくことを示しています。

 以前にも書いたことがありますが『神』も『AI』も人間の存在なくして意味を成すものではありません。そして、双方ともに時代によって在り方が変わっていくのではないでしょうか?

 ダイアモンドというものはアナログの典型という事も言えるもので実際に多くの人々が目に見える実用性はありません。(もちろん一部の光学の世界では実用性はありますが)

 むしろ、時代とともに変化さえ微々たるものです。そして常に変わらぬ権威や誇り、地位や証の象徴としてのみ存在をしています。その上でダイアモンドというものは今後も主語としてアナログの象徴として残っていくものだろうと考えられます。何故なら人間の欲望の上に成り立っているわけで、それはアナログという主語は常に欲望の上に成り立っているようなものだからです。

 人間社会というものは欲望というものが原動力となり成立をしている社会であり、その社会の存在がAIの意味を作り出しているのだろうと考えます。



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