近代ダイアモンドビジネスが生まれて150年程が経とうとしています。デ・ビアス設立をしたセシル・ローズを近代ダイモンドビジネスの祖とし、デ・ビアス社の倒産があり、イスラエルでのダイアモンドファイナンス事変がありとこの間には様々なダイモンドビジネスの変化がありました。
一番の変化は1980年代の旧ソ連の台頭でしょう。その後ソ連は崩壊し、ロシア連邦が誕生し、ロシアの半官半民であるダイアモンド鉱山会社”アルロサ”という巨大採掘業者が存在を大きくします。
更にはリオ・ティントをはじめ大規模ダイアモンド採掘業者が現れ現代のマーケットは作られていますが、根本は倒産したデ・ビアス社を再建し、ある意味ゲームともいえる近代ダイアモンドビジネスを作り上げたアーネスト・オッペンハイマーの土台が今でも変わりなく機能をしているという事です。
しかし、このゲームは極めて脆弱な土台であり、ルールが単純なだけにいわゆるポーカーフェイスをどこまで貫き通すかという事が重要になってきます。
あくまでも人間の本能や欲望を前提として組み立てていますが、本来それらには細かいルールは存在しません。つまり、欲望には規則もロジックも存在しません。
しかし、ダイアモンドビジネスというゲームにはあまりにも細かいルールやロジックを持ち込み過ぎたとも言えます。それも根拠に乏しいものなので時代時代により、扱う人間の都合に合わせて変化をさせてきました。その典型が4Cを中心としたグレーディングシステムというものでしょう。
それはグレーディングシステムに合わせたロジックを無理にダイアモンドに合わせている為に、矛盾が蔓延をしているにも拘らず運用をされている事です。
例を挙げるとファンシーカラーですがわずか5,6段階の色に仕訳され、それはグレーダーたちの主観でしかありません。つまり、自然界の中の色を僅か数種類の色分けで一部の人間の主観で決め、価値を示すというある意味暴挙でもあるわけです。
ゲームとして成り立つには共通のルールがあってのことですが、過去のルールは大きさと美しさという単純な概念だけでしたが、現在はダイアモンドのビジネスそのものより、その付帯ビジネスの存在が大きくなっています。その中の一定ではないルールで運用をされており、それがダイアモンドビジネスを危うくさせているのです。
鑑定業務であったり、オークションなどの過度なスタイルが本来のゲームを難しくしており、更には危うくしているような気がします。
ダイアモンドビジネスというゲームは本来もっと単純なもので駆け引きと頭を使う事により勝者となるチェスや将棋の様なものだったのです。
碁盤の目の数を変えたり、マスの形を変え、一部の人間の都合に合わせていては本来の価値というものを偏重させてしまう事になりかねないと思う昨今です。
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