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2015年1月31日土曜日

ダイヤモンドの買取⁉

 最近、特にダイヤモンド買取のチラシが多くい入ってきています。地域性もあるかもしれませんが、多くの地方で耳にします。

 一巡をして、ダイヤモンドや地金の買取は一服している感もありますが、今数年間買取ダイヤモンドや流通在庫のダイヤモンドが多く輸出がされてきました。その結果、国内の流通在庫が少なくなってきたこともあるのでしょう。

 買取のチラシに関しては特に高く買取をしますというグレードディングレポートの付いたものですが、聞くところによるといざその場になると鑑定書が古いとか、この鑑定機関だとあまり高く買えないとかなどの理由がついて結局あまり高い値を付けてはくれていないようです。

 しかし、全体的に在庫が少なくなっている現在、販売をする小売店さんなども決まり文句の様に、品物が少なく、値が上がっていますというトークを多く使用しているようです。

 昨日、ご来店を頂いたお客様も他店でそのような話をされたという事でどうなんでしょうという事でした。実際には米ドルでではありますが、昨年一年で0.5ctサイズがー3%、1ctサイズでー7%、
3ctsサイズでー4%、5ctsサイズで-3%とそれぞれ値を下げております。勿論すべての平均であり、為替計算はされておりません。

 しかし、品物が足りないことや価格が上がっている事は事実としても、実際には為替の分で10%
、上がったかもしれませんが、米ドルでの値下がりを計算するとそれほどの値上がりではありません。品物が少なくなったのも確かですが海外での絶対量が減ったというよりも国内の業者の力がなくなって商品量が少ないと考えた方が良いでしょう。

 勿論、私としても値が上がってくれて方が都合が良いのですが、何時も述べるように今は市場原理の働いた値決まりが主体です。シンジケートが価格コントロールをしていた時代と違うのは平均して価格が動く訳ではなく、石目や品質やメイクにより、価格が動く範囲が違うという事です。

 実際に昨年一年は品質の良いほど値下がりが大きく、大粒ほど値下がりが少なくなっています。
また、ファンシーシェイプなどはラウンドに比べローカラーのところはハイカラーほどの値差はありません。つまり需要によって価格が動いているのです。

 1985年からの30年を見ても0.5ctサイズは98%の値上がり、1ctサイズは144%、3ctsは310%、5ctsは398%のそれぞれの値上がりを記録しています。長い目で見れば値上がりはしているのです。

 しかしながら、この一年や昨今の事情はちょっと違うので、買取屋さんはとにかくダイヤモンドを買い取りたくてしょうがないのですが、価格通りに買い取ってくれるところはやはりまだまだ目がありませんから難しそうです。

 ただし、ダイヤモンドが還流を始めるきっかけとしては良いことだと思いますが、あとは疑念を持たれないように買い取ることが肝要ですね。

2015年1月30日金曜日

冷蔵庫⁉

 今から50年ほど前の話だったと記憶していますが、米国のとある家電メーカーのセールスマンがアラスカで冷蔵庫を大量に販売しているということを聞いて驚いたことがあります。まだ子供であった私にはアラスカというところはエスキモーがいて寒いところという印象を持っていたからです。

 冷蔵庫はイコール気温の高いところで、食物が腐らないように冷やしておく物、それが冷蔵庫という概念を持っていたからです。しかし、実際には日本語の冷蔵庫という文字から勝手にそう思っていたのかもしれません。

 しかし、冷蔵庫は実際には一定の温度に保つための物であって、凍らせるためのものではない訳です。故に、アラスカでは食物を凍らせないために、冷蔵庫を使うわけです。当時。その話を聞いて成る程と思ったことがあり、この話は現在でも引き合いに出すほど、私自身の発想を変えた話でした。

 何の引き合いかというとセミナーなどを販売員さんに行う時、何故に消費者はダイヤモンドを求めるのだろうという事です。つまり、消費者の購入動機はそれぞれによって違うかもしれません。有名な話ですが『なぜ、青竿竹屋さんはなくならないのか?』という投げかけです。

 一本の棒の使い道は人によって違うかもしれませんが、そこには間違いなくニーズがある訳です。勿論、竿竹屋さんはそれを知っています。決して選択物干しに使っているとは思っていません。そうでなければ前近代的な仕事は当に廃業をしているでしょう。

 物販というものは必ずしも販売側の思惑だけで物が売れている訳でもなく、製造者が思った様な意図で販売者が売るとも限りません。しかし、そこには必ず消費者の需要があって物販というものは成り立っています。

 それではどれくらいの販売員さんが消費者がなぜダイヤモンドやジュエリーを求めるのかを知っているのだろうか?以前にも書きましたが私が米国の宝石店に在籍をして、そこを退職する時にオーナーのフレッドに
『もし、日本で宝飾店をやる時が来たら、お客様と同等かそれ以上のお金かパーソナリティーを持ちなさい。』
と言われたことを思い出します。

 つまり、お客様の気持ちにならなければ宝飾品は売れないという事を示唆してくれた話なのですが、因みに、セミナーでは多くの販売員さんが『綺麗だから』とか『憧れだから』とか中には『見栄を張りたいから』といった意見まで飛び出しました。勿論どれも不正解ではありません。

 しかし、宝石の場合は決して単純ではないと思っています。用途は違っていても実用的に使う事が出来る実用品ではありませんし、持っていて何かの効用がある訳ではありません。ただ、逆に考えるとそのすべてを持っているような気もします。経済的実用性だったり、精神的な効用もあるのかもしれません。

 どちらにしても、消費者がニーズを感じてくれなければ購入することはありません。もし、なければそれを創り出していかなければなりません。その為には何故消費者はダイヤモンドを買うのか?

 以前であれば婚約をするのならダイヤモンドは必須であるという啓蒙がされており、買えなければ結婚をするだけのレベルではないとも言われ、若い男性は結婚を考える頃にはダイヤモンドを必須アイテムと考え、購入をしていたのです。

 しかし、現在はその尊いハードルが低くなり、安易に結婚を考える輩が多くなってきたような気がします。若い男性の試金石としてあっての良い事だとは思っています。

 話しはずれましたが、消費者とは言っていますが、ダイヤモンドは消費をするものではないのですが消費者は何故ダイヤモンドを買うのか?

 ダイヤモンドを買う時の購入者はどのような状況であれ、お金持ちです。故にお金持ちの気持ちにならなければ、購入動機は解りません。また、購入動機をおこさせる機会を創り出さなければ売れなくなっていく訳です。

 宝飾品の販売員さんは何故人々が宝飾品を求めるのかを知っているのでしょうか?自分がそうならなければ解りませんよね・・・・。

こちらからも
http://ameblo.jp/diamonrow/

2015年1月29日木曜日

ダイヤモンドより…。⁉

 現在、イスラム国の人質になっているジャーナリストの後藤健二さんについては、いろいろな意見があるとは思います。人によっては自分の責任という人もいるでしょうし、なぜにと疑問を抱く人もいるでしょう。私もその中の一人であることは否めません。

 あえて、このようなことは書くことは本意ではありませんが、彼の著書の中に『ダイヤモンドより平和がほしい』というタイトルのものがあったので少し気にもなったので書きます。

 彼は戦場ジャーナリストというより、その陰にある戦争と、大人の犠牲になっている子供たちをフォーカスして彼なりの見識を述べているのです。つまり、彼の活動からイスラム国が彼を人質にする正義はどこにもないように感じます。

 なぜなら、方法論は別にしてもイスラム国を名乗る宗教家なる人間たちが説いている『アッラー』という唯一神も子供たちへの愛を前提としているのであり、『アッラー』とはアラビア語で神のことを指し、ユダヤ教徒の『ヤハウェ』という神、キリスト教徒の『ゴッド』はすべて同じ神を指しており、どの宗教の中でも神は愛を説いております。

 その子供たちの平和と幸福を願い行動をしていた後藤氏を人質にして、仮に殺害をするとしたら一分の正義も彼らの中にはありません。日本の政府も正面から総理大臣である安倍さんがこの部分を彼らにメッセージとして送るべきではないでしょうか。駆け引きはすでに彼らの理屈を飲むことになります。

 たまたま目にした彼の著書である『ダイヤモンドより平和がほしい』というタイトルではありますが、シェラレオーネにおける子供や弱者の扱いは戦争の残虐さや虚しさを物語っています。私もあえてこの件に関しては避けてきた部分もありますが、ダイヤモンドが悪いのではありません。

 シェラネオーネに関しては反政府軍が管理下に置いているダイヤモンド鉱山のある地区から多くのダイヤモンドが持ち出され、それが反政府軍の資金源なっており、その入手された銃により年間何万人という子供たちが殺され、またその子供たちが戦闘員にされ、忠誠の証として両親を銃殺させるといった酷いものです。

 こんな残虐なことがこの十数年に行われ、それはまだ継続中であることに注目をする日本人は少ないのです。そんなところに注目をした後藤氏という人に感銘を受けたのです。私自身隣国のコンゴとの国境にある難民キャンプの存在を知り、ダイヤモンドを扱う者としてコンゴ共和国の日本大使館に出向き宝飾展示会の売り上げの一部を寄付をする相談をしたことがあります。

 しかし、残念ながら大使自身がそのキャンプまでその寄付を届ける自信がないといわれ、本国の役人を信用してはいけないとも言われ、方法論を何度か話し合った結果、私自身が直接現地を訪れ、直接届けるしかないということになったのですが、当時は渡航が許されておらず、また、入国するにしても何の保証もできないと大使に言われ、断念をしたことがあります。

 その後、コンフリクトダイヤモンドとして世間に知られるようになり、国連によるキンバリープロセスという条例ができ、紛争地区からのダイヤモンドはキンバリープロセスに加盟をするあらゆる国は輸入をしないというもので日本ももちろん加盟をしています。

 しかし、ダイヤモンドに名前は書いてはいません。ハリウッド映画である『ブラッド・ダイヤモンド』(レオナルド・ディカプリオ主演)で描かれているように陰で暗躍をする国は必ずあります。あえては言いませんが、今アジアで一番勢いのある国であったり、ヨーロッパの一番右にある国などはダイヤモンドと武器のバーターを表面上ではなく行われていたことはディーラーをやっていた者であれば承知をしていることです。

 残念ながらダイヤモンドが国際通貨であるということの証明でもあり、ダイヤモンドの確かな価値を表している面でもあります。しかし、ダイヤモンドが悪の象徴のように言われるとこは残念です。本来であれば人間の幸福のために存在をするものであることは間違いがありません。

 人質事件という残念なことがきっかけでダイヤモンドのことを話すことになったのは本意ではありませんが、もし何かのきっかけに彼の著書を読むことがあったならば、ダイヤモンド原因ではないことを理解してもらいたいと思います。

 さらに、早く後藤氏が無事に解放され、日本の家族のもとへ帰ることを望みます。彼はどのように結果になっても責任は自分にありますとコメントを残していました。責任を取るところはまずはご自分の子供たちであってほしいとも思います。

 

2015年1月28日水曜日

ダイヤモンド概論⁉

 ダイヤモンドの難しいところは簡単に見えるところではないだろうか?

 先日、お客様に4ダイヤモンドのそもそも論についての話をしていた時に感じたとのですが、元々は単なる鉱物であり、石油や石炭といったものと何ら変わらないのですが、それが人間により如何に使われるかという事により、その価値は生まれてくるわけです。

 つまり、人間の進化なのか、資源が使用できることにより人間が進歩をしたのかは別にして、人間にとって何らかの利用価値があって、その存在は意味を成します。しかし、単純に言えば地球上の鉱物という単純な分け方が出来るものです。

 多くの鉱物資源は、何に役に立つという事は一般人にもよくわかっており共通の価値があります。しかし、金やダイヤモンドは何の価値があるのでしょうか?

 確かに金に関しては通信機器等に使われたりしている事は一部の人間は知っているでしょうが、ダイヤモンドに関しては光学機器に使用されているとはいえ、あまり一般的ではなりません。

 ダイヤモンドに関して言えば宝飾品の材料であり、グレードという評価基準で現わされる解りやすい物に見えるのですが、実際にはグレードというものは販売員にとっての自転車に乗れない人の補助輪みたいなものですから消費者には実際わかりにくいものです。

 多くの鉱物が利用価値とは別に投資や金融の経済を動かす材料と化しているようにダイヤモンドも例外ではない要素を持っている事は毎度述べています。

 原油価格や金先物等々の金融商品は本来の役割と違った方向で世界の経済の主役になっています。そして、ダイヤモンドにおいてもその傾向が出てきている現在では、一般的なグレードは相変わらず販売員の補助輪ですが、特殊なグレード、例えばDカラーIFといったグレーダーの指向性の入る可能性が少ない物に関しては金融商品としての側面を持つわけです。

 また、特に大粒に関しては特に10ctsアップについていえば、つまり、重さという誰かの指向が入らないもの関して言えばこれからは特に金融商品としての面が多く出てくるのでしょう。それゆえに、4Cだけではないダイヤモンドを考えると難しい商品となるのでしょうし、さらに言えばそれを購入する人々のセグメントも必要になる時代に入ったのだと感じる訳です。

2015年1月27日火曜日

ムード(空気感)⁉

 月に一回から二回のペースでシネマに足を運ぶことが生活の一部になっているのですが、一番の楽しみはポップコーンと発泡性ソフトドリンクです。そして、自然にそうしているのですが、時々、何故、ポップコーンとドリンクはこんなに高いのかなぁ・・と思いつつも、シネマの中のあの甘~い香りと雰囲気でついつい買ってしまいます。プチ贅沢でもあります。

 私の中では映画を見る事はポップコーンと一体化しており、マストアイテムとなっています。中にはわざわざ高い飲み物を飲むことはないという合理派もいるでしょうが、多くの消費をする人々はムード派なのではと思っています。

 社会状況が悪ければ物を買う気持ちが落ち、状況が良くなるような気がすれば多少高くても購買に走ります。真に『景気』そのものです。経済というものは生き物だという言葉はよく聞きますが、本当にそれを構成する人々の気持ちというものが大きく作用しています。

 多くの人々が、たまには贅沢をしなければという気持ちのなるだけで、経済は動き出します。そこまで大きな話ではなくても身近のビジネスで考えても、ムード造りは重要で雰囲気があるかないかでその気持ちは決まります。

 知り合いでイタリアワインを輸入している人間がいます。彼曰く
『ワインというものは、一般的には運送途中で劣化をします。私のところはそのリスクを避けるためのシステムを採用しているので、他さんより同じ銘柄が高くなります。』

 彼のところでは都内の一流イタリアンレストランのみに販売を行っていて、一流イタリア人シェフは本場の味と変わることを望まないので、彼のところのワインを高いという事は解っていても取り扱っているそうです。一般的にも市販のワインの2.5倍~3倍がレストランのワイン価格の設定になっていますが、場所代だから雰囲気だからと納得をするのが一般的です。

 勿論、彼の納入しているレストランは一般よりさらに高額ですが、一流シェフが選んだ味、香りは顧客を十分に唸らせるだけの料理と雰囲気を持っているのです。

 『おいしい食事とワインがおいしいから惜しくないよ。』と多くの消費者は考えます。しかし、中には『わざわざ、安く飲めるワインを高い値段を出して、飲みに行く人間の気持ちはわからないね。』という人もいます。

 しかし、多くの消費は特に付加価値商品はムード(空気感)で行われることが多いのも事実です。我々の仕事もそうですが、お客様は必ずしも誠意をもって一生懸命やってくれるから買うという人はあまりいません。それプラス高級品を扱っているムードを持っているかどうかが重要です。

 お祭り騒ぎのような展示会では高額品が出る確率は低くなります。むしろ高級感のある、会場づくりや、ジュエリーを身に付けるべき雰囲気造りが高額品の購買率を上げます。

 以前にも書きましたが、私が米国滞在中にビバリーヒルズの一流宝石店の社長に
『宝石店のビジネスを考えるのなら、お客様と同じかそれ以上のお金を持つかパーソナリティーを磨きなさい。』と言われたことを思い出します。

 この人から買いたい、この人の真似をしてみたいと思わせる事とそのムードを持つことが大事であるという事で、本当にそうであるかどうかは別にしてそのような空気感を出すことが必要だと考えます。自分が買えない物を人に販売するのですから購入する人が買って良かったと思うようなムードを作り上げていくことは重要なのでしょう。

 レストランのワインはなぜ高くても売れるのか?
シネマのポップコーンとドリンクは何故高くても売れるのか?

 雰囲気は勿論ですが納得ではなくて、欲求を呼び起こしているのです。多くの消費者は納得することは無論ですが、お金を使いたいのです。無意識ですが、使う喜びを感じたいのです。

 単なる等価交換ではないことを販売側は理解することが重要です。

2015年1月26日月曜日

ヨルダン⁉

 今、イスラム国と名乗る盗賊団に捕まっている日本人の人質二人のうち、どうやら一人は殺されたようだという内容が漏れ伝わってきています。ここでヨルダンという国がクローズアップされていますが、私は15,6年ほど前にこの国と日本という国の親密具合を肌で感じたことがあります。

 ヨルダンに接している国、イスラエルに出張中にイスラエル全国でゼネストが行われていたことがあります。私はどうしても帰国をしなければいけなかったこともあり、急きょタクシードライバー数人に話を持ち掛けヨルダン国境まで運んでくれないかという話を持ち掛けました。

 しかし、その日は金曜日で夕方からシャバット(安息日)が始まるという事で、すでにお昼を過ぎていたために、帰りはシャバットに間に合いそうもないという事でほとんどのドライバーに断られました。そんな中事情を説明すると
『戻れるかどうかぎりぎりだけど、いざとなったらヨルダン国境方面に親戚がいるからそちらに行くよ』
と言って、了解をしてくれたドライバーがおりました。

 それから車をとばしてもらって3時半過ぎにヨルダン国境にたどり着くと国境の検問所があり、いろいろ調べられて、パスポートコントロールへ行ってビザを取るように言われました。通過をするだけのつもりだけでいたので、まずいなと思いながらパスポートコントロールへ行きました。

 びっくりしたのはコントロールのフロントに行くと食事のメニューが如く、色々な国の国旗が書いてあり、ヨルダン価でそれそれに金額が入れてあったのです。そして、パスポートを提示すると単純にビザのスタンプを押されました。ヨルダン貨幣を持ち合わせがなかったので、その旨を伝えると
『日本人はタダだよ。』
と伝えられました。

 ヨルダンは日本からの支援と日本企業が多く参入をしており、日本のおかげで国がなり立っているかもしれないと、係員が笑いながら説明をしてくれました。確かに表に出ると日本企業の看板ばかりで下手をすると日本より多いのではと思うほどでした。

 隣の国には何十回も来ておりましたが、遠い国と思っていたヨルダンがとても近く感じ、日本とこんなに親密なんだと感じたものです。その後、暗闇の中をアンマン市内に入り、空港までの便が見つからず、近くにいたヨルダン航空の乗務員をつかまえ、乗務員用のバスで空港に向かいました。

 時間は既に深夜でしたが、決して身の危険を感じる状況にはありませんでしたので、空港につくと今話題のシリヤのダマスカスに向かい、その後、オランダを経て日本に戻ったことを思い出します。

2015年1月24日土曜日

イスラム国とダイヤモンド⁉

 海外の事であった、イスラム国が日本人の人質が捉われたことによって必ずしも遠い国の話ではなくなった感があります。私自身は『中東(アラブ)の春』が2010年から2013年にかけて騒ぎが大きくなってきたころから注視をしておりました。
 

 なぜなら、ダイヤモンドの価格、特に大粒やファンシーカラーの値動きに関してちょっと異常なものを感じていたからです。多くの人が中国の景気が作用をしていたように考えていましたし、私自身も全く頭になかったわけではありませんでした。

 しかし、以前にも書きましたが、中東が不安定になり王侯貴族や支配者層の地位が怪しくなってきたのもこの頃です。多くの中東の国では民主化を叫ぶ声が大きくなってきて、首長一族や富裕層は海外に資産を運び出す、必要性が今ほど高まっている事はないと考えます。

 以前にも書きましたが、ドバイを中心とした富裕層のファンドグループが大粒ダイヤモンドやファンシカラーダイヤモンドを買い集めている事はオークション等を見てもわかります。決して共産党が頭にいる中国の富裕層が買い集めるようなところではありません。

 今後も石油の価格は下がることも考えられるでしょうが、すぐには産油国だけではなく日本のような輸入国の投資をした資本の思惑や短視眼的な政治家の都合もあり、簡単には石油の時代は終わらないでしょう。しかし、産油国の連中にしてみれば、やがての枯渇と革命による海外亡命が頭の中にはあるでしょうから、資産を持ち出すための手段は頭から離れないでしょう。

 勿論ダイヤモンドはその役割を果たすには十分なファンデーションを持っています。現在世界中で起きているイスラム過激派の行動は決して宗教活動ではないと考えています。多くの争いは経済的理由から宗教を理由に活動を行っています。それはユダヤ教徒であれ、キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ同じことが言えます。過去には歴史があります。

 勿論一般的な信徒はそのような過激なこと考えもしませんし、穏やかな日々を送りたいと考え信じているのだと思います。どの宗教だって自分の都合のために人を殺めろという宗教はありません。ほとんどがその時に暴力という権力を持った人間の都合により争いは起きています。

 よく評論家が宗教問題は根深い問題で、我々日本人が安易に理解はできないというようなことを言っていますが、私自身の中東へ何度も足を運んだ経験からすると、そんな難しい事ではないと考えます。

 ゆえに簡単には収まりそうにない、状況がまだまだ続くでしょうから、大粒や、ファンシーカラーのダイヤモンドの価格変動は上昇方向にまだまだ続くような気がします。人間の欲がある限り、破滅をしない限りは人間の愚かは続きそしてその中で経済活動は続いていくのだと考えます。

 

2015年1月23日金曜日

国際宝飾展⁉

 毎年、日本の国際宝飾展を皮切りに、世界中の宝飾展が開催されています。この後のヴィチェンツア、ミュンヘン、香港と大きな宝飾展が続いていきますが、他の宝飾展と日本の宝飾展の違いは日本にはほとんど一流どころが出ていないという事でしょう。

 バブルの頃は世界ブランドをはじめ多くの一流企業が参加をしていましたが、現在ではギフトショーや、バーゲン場と大差のない出展者も多くみられます。勿論これは出展者のせいではなく明らかに主催者責任だろうと思います。

 多くの国際宝飾展は宝飾業の発展のためという事も前提にありますが、日本の場合は主催者の為にやっつけ仕事をしているような気がします。一番いい例が芸能人に贈呈をするジュエリーのためのベストドレッサー賞とかいう類のものです。年代別にあげたり、十代のタレントにあげたりと、何のために進呈しているのかわかりません。
 

 セクハラまがいの年代別なんというのは他の国だったら即訴訟物でしょう。ましてや十代のタレントにという事になると何をかやいわんやという事です。ジュエリーが十代をターゲットにしているなんて事をしているとは聞いたことがありません。

 私自身は以前はあまり興味もなかったので、他の国際宝飾展は行ったとしても日本のものには行くことはありませんでしたが、数年前に講演を頼まれたことを機会に訪れるようになりましたが、以前から主催者にはもっと将来の日本の宝飾業界のためにデザイナーや職人、工房の発掘になる様な夢のあるコンテストやイベントを打つべきではないだろうかと提案をしてきましたが残念ながら未だに実現はしておりません。
 

 もう少し、国内や海外にくすぶっているデザイナーやマイナーな工房に明かりが当たるようになれば、皆が刺激を受けより良いジュエリーが開発をされるのではないかと考えています。数年前の講演のタイトルは『今後の日本業界について』という事で、内容は日本の技術を生かし、外需に目を向けていく時期が来たという事をお話しさせて頂きました。

 今や正にその時だと考えますが、残念ながらそのような工房もデザイナーも職人も育ってはいません。残念なことです。注目を集めるだけのイベントは意味もないし、何の役にも立っていないし、以前受賞をした知り合いの芸能人も決して喜んではいませんでした。

 ジュエリーのベストドレッサーショーという事でもう少し、内容のあるものを期待していたようですが残念と言っておりました。提出する業者にとっても大したメリットがあるようには思えなくて、主催をしているところの社長や組合関係の役員が唯一女性芸能人に近づけるという事で喜んでいるようにしか見えません。今後は誰のために、何のために主催をするのかをもっと考えてほしいと老婆心ながら思うわけです。

2015年1月22日木曜日

ダイヤモンド市場⁉

 2014年はダイヤモンドの原石の値が上がったにも拘らず、研磨石市場では価格がもろい傾向が現れていましたが、結果的に見ると市場原理による価格決定が成熟をしてきたのかなとも感じます。

 マニファクチァのレベルで考えると工賃も絞られ、あまり良い年とは言えなかった2014年でした。鉱山からサイトホルダーに渡された販売を考えると実際には100%の研磨が行われていたとは思いませんし、以前にも書きましたが、私の友人たちのマニファクチァはやはり研磨をしても利益を得るのが難しいので原石のままにしておくという者が多かった昨年でした。

 何故そのようなことが起こってきたのかというと鉱山への投資が多くなっており、結果を出さなければいけない状況で原石の価格が上がり、一方で原石を手に入れておかなければ次回の原石入手が有利にならなくなるというサイトホルダー側の思惑がありました。一方では過去5年間ダイヤモンド市場をけん引してきた中国の先行きへの不安も重なってきたと考えられます。

 内容を見ると以前より中国国内の資産家たちには既に先行きへの不安があり、お金の行き場所として過去五年間ダイヤモンドの価格を押し上げ、特に大粒石やファンシーカラー市場を引っ張って来たわけです。一般庶民にとっても憧れのダイヤモンドが買えるようになりそこへ向かってきたのですが、現実味を帯びてきた現状では一般の人々にとってはダイヤモンドどころではないという事になってきたのでしょう。

 現実には次の段階へ移りつつあるダイヤモンド市場は一般的な市場はまだまだ落ち込む状況にありますが、特殊なマーケットとして中国だけではなく、政治状況が不安になってきた中東のファンドグループが特殊性(特に希少性)ダイヤモンドへの投資や買い集めがより一層強くなり、その辺の価格押し上げはまだまだ続くのではないかと推察します。

 ここでいえる事は需要と供給の問題になるのですが、一般ダイヤモンドに関しては需要以上に市場に溢れ、特殊ダイヤモンドに関しては供給(市場循環も含め)よりも需要欲が勝っている様子が見て取れます。

 ダイヤモンドが過去80年間に渡り一般ダイヤモンドに関しても宝石の位置を与え続けてきたのですがここ20年間でタコが自分の足を食べるようにその創り上げたイリュージョンを崩し続けた結果現代のダイヤモンド不況に巡り合っている訳です。

 本来であれば経済不況は何の問題にもならない商品を扱っていながら、自ら地位を落とすような行動を繰り返しながら過去の1900年代初頭に前デ・ビアス社が犯したようなミスを繰り返すことになったのでしょう。

 シンジケートに関してはその後オッペンハイマーが経営に参加をし創り上げてきたダイヤモンドの世界でしたが、それらを見事に新規参加者たちが壊して見せたのです。しかし、これも歴史の繰り返しで、その中でも不変を続ける宝石値のダイヤモンドはやはり本物で、今後も残り続けていくのでしょう。

 そこに我々ダイヤモンドのビジネスを目指すものにとってのゴールがあるのかもしれません。扱っている物に責任が取れない様な似非宝石店はやがて市場から去ることになるでしょうし、彼らが今後も宝石値のダイヤモンドを扱う事はないでしょう。

 ダイヤモンド市場にはマグマが溜まっています。2015年は何が起きるのかが楽しみでその準備にかからなければなりません。

2015年1月21日水曜日

専門家⁉

 最近の傾向として、プロフェッショナルではなくても仕事ができるようなシステムが構築をされています。マニュアル化が進み、便利になるとともに同じようなことの繰り返しになるのでミスも増えてきます。最近の異物混入事件などもその結果と言ってもよいでしょう。

 つまりプロであれば防げることや起きたとしてもその対応がプロの意識を持っていればということが多くあるような思います。その例が最近耳に留まりました。それはとある宝石店さんが業者が入って催事をやり、販売したものがサンゴで天然物ということで販売をしたところ、お客様が独自で鑑定機関に出したところ、染めの赤サンゴであったという亊でトラブルになり、お客様との間はきゃん得るということで済んだのだけれど、業者との間の問題がまだ解決をしていないということです。

 その場にいた多くの宝石店さん達からアドバイスが出て、業者を訴えろとか、お客様のところに同行をさせて一緒に謝罪させろとか、他の業者にも告知をしろとか色々な意見が飛び出しましたが、どの意見にも私自身は納得ができませんでした。

 消費者は購入したお店を専門店として考えており、その上で当該地のお店ということもあり信用をして買い物をしています。つまり、後ろの事情は消費者には関係がないし、業者が一緒に謝りに来てもその店の信用が取り戻せるとして考えているのだとしたら、やはり宝石店の看板を下ろすべきでしょう。

 プロというものは専門家ですから、親子面談でもあるまいし業者と一緒に消費者のところへ行ったとしても一人前ではないことに変わりはありません。キツイ言い方かもしれませんが自分が責任をとれないものを販売することへの危惧をもっと自覚するべきだと思います。

 他店からの情報で売れているからと安易に手を出すことは美人局に自分からはまっていっているようなものです。自分が責任を持てるものを取り扱うことは専門性の高いものであればなおさらです。専門家というものは安易になれるものでもありません。

 現実には宝石店さん多くは第三者の鑑別がついているからということになるのでしょうが、どこの鑑別会社もそれにより受けた損害を補償してくれるわけではありません。内容を把握し、きちっとした説明をすれば問題のないことを、知識がないのに手を染めることによる起きるトラブルは被害者が消費者です。決して販売者ではありません。

 多くの宝石店さんが種類を含めた量販を目指しているように見えます。もともとそのような体制を持っていたのなら別ですが、多くの場合は二代目三代目になっているせいもあるのでしょう。創業者の考える家業としてのプロ意識を持っていないように感じます。

 多くの大資本がマニュアル化を進め、多くの部分でほころびが出てきています。宝石業界は高額品でもあるや大資本が行っているわけではないことを考えると、ほころびが出ましたでは済まない世界であることをもう少し理解をしたほうがよいでしょう。
 

2015年1月20日火曜日

取引き⁉

 商売、仕事、労働、取引などと色々な形態があるビジネスですが、原形は全てが物々交換であることは間違いがありません。つまり、、貨幣なるものは補助的にあるものですが、最近では補助的なものが主なるビジネスの役割を担っています。

 単純にいうと漁師と農民の間で魚と野菜が物々交換で行われる中で、片方が時化であったり、凶作である時に交換する物の代替品として現れたのが貨幣です。その後に大漁になったり、豊作になった時、また、片方が不振になった時の貨幣でその足りない部分を貨幣で補い、其々がその貨幣を保証するという事です。

 保証の信用がなくなるとその価値は安くなり、信用を増すとその価値が高くなるわけです。それは現在の為替相場を見ればよくわかります、信用のある国の貨幣は強く、信用のない国の貨幣は弱い訳です。

 基本に戻れば、相手の足りない物を提供することで貨幣が手に入り、その貨幣で自分の足りない物を手に入れるという事ですから、相手が黙っていても足りない物を提供すればお金になり、相手がいらない物を提供しようとしてもお金は手に入りません。

 それでは現在の日本の様に物があふれているところでは、何を提供してもお金にはなりにくいというのが現状です。つまり、物以上の付加価値がなければお金にはなりにくいのです。必需品であっても同じようなものが存在すれば安くしなければお金にはなりません。その次の段階では安くても物が良くなければ同じようにお金にはなりません。しかし、お金にするために必要以上の競争が起きる事により破たんも起きます。

 つまり、現在の日本では必需品であれ、嗜好品であれ付加価値のない物はお金にはなりません。それは本来の取引の形が崩れてしまったために、現在の形になっています。

 お金のための取引が横行してくると物がないがしろになってきます。しかし、どう見ても現状はその金融第一主義の限界が見えているように見えます。基本戻れば物を安くするより付加価値を高める方が取引の基本に戻る訳です。

 宝飾品は本来必需品ではなく、付加価値の典型のようなものですから、その付加価値を損なう売り方は結果を難しくしています。付加価値性の高い物という前提があるので値引も効いていたのですが、現在のように値引きが多くなると、付加価値を既に減じておりますから、値引きが何の役にも立ちません。

 ただ、疑心暗鬼の消費者に安く買わないと損だと思わせていたので、消費者からの値引き交渉が入る訳で、それは販売者の信用の裏返しだという事を忘れてはいけません。

 取引の基本である価値とお金を交換するという意識をもう少し考えても良いかもしれません。消費者が求めている価値は、実用性であるとともに、奉仕の様にサービスであり、時間であり、空間であり、誇りであり、物以外のなんらかの価値を求めてお金を払っているのが最近では顕著に身に沁みます。

 信用がなければ価値が安くなり、信用があれば高く物が売れるのは為替という取引が証明しています。安く売らなければいけないという事は信用をされていないと一緒です。
 

2015年1月18日日曜日

表現の自由!?

 遅きにあらずと思い、感じたままに綴りたいのですが、フランスのテロをきっかけにフランス国内での『テロに負けない!!』、『表現の自由を守れ!!』といった意味で大規模なテロも行われているが、ここで疑問があります。

 『テロには屈しない!!』ということは勿論賛成ですが、表現の自由というところにいささかの疑問を持つわけです。つまり表現の自由といえばなんでも許されるのかということでいえば、風刺というものは表現する上で自己責任も発生する自由だと感じるわけです。

 つまり、相手に逃げ場のない風刺や冗談はすでに風刺や冗談の域を超えているということです。フランスの新聞社においておきた事件は決して許されるものではありませんが、ある意味での責任を取らされたということになるのかもしれません。

 勿論、それぞれの尺度でその加減は違うわけですが、例で言えば禿げている人がそれに対してコンプレックスを持ち、かつらを使用し隠していたとします。それをジョークのつもりで指摘したとします。云われたほうが傷つき自殺をしたとしたら弱い被害者が悪いのか、加害者が悪いのか?

 もし、被害者が悪いとなったらそれは強者側の理屈であり、倫理的にも間違いであるわけです。なぜなら法律の基本は弱者を守ることを前提とした基準になっているからです。勿論法律も人が作ったものですから、それを悪用する人もいるので完全とはいえません。しかし、基本は弱者が守られ、強者が責任を取ることが基本となるわけです。

 要するに、相手に逃げ場があり、自分が責任を取れる範囲が風刺やジョークの範囲であり、表現の自由の範囲であると思うのです。表現が何でも許されるのであれば、人を殴り、それは表現の自由ですということになれば極端な話が、戦争であれ自分の主張として許されることになります。ただし強者の理屈としてです。

 『ペンは剣よりも強し』という言葉がありますが、それは弱者の武器であることが前提ですが、現代ではペンが何よりの武器になっていることを忘れてはいけません。つまり、ペンを持つ側が強者であるので弱者に対する配慮が必要であると考えるわけです。

 宝飾業において販売側は実は強者です。宝石や宝飾のジャンルは多くの消費者は理解しがたい職業で、よく耳にする言葉が『よく解らないから、プロにお任せをする』という内容です。つまり、弱者なわけです。それゆえに販売をする側は言葉の選び方や自身が理解をしていない言葉を表現することに責任を感じなければなりません。

 天然ということ以外は殆どの場合、人が創り上げた世界であり、何を言ってもウソでも本当でもない部分がある業界です。それゆえに、理にかなった言葉を選ばなければなりません。聞きかじった言葉を使う場合にはその旨も伝えなければなりませんし、経験をしたことであっても絶対という言葉が使えない職業であることを身に付けなければなりません。

 『必ず値上がりをします。』といった言葉を使う販売員がいますが、その言葉に責任を持てるはずもないのですが、消費者はプロの言葉として捉えます。それゆえに後にトラブルを起こすか、著しく信用の出来ない業界と思われることが多いのです。

 ダイヤモンドに関しては実績やロジックの比較的はっきりしており、データーも残っているケースが多いのですが、それに関しても絶対ではありませんから実績やデーターを詳細に説明をし、あくまでも消費者が決め、責任を取るものです。鑑定機関ですらグレーディング結果に何らかの責任は負わないということを頭において、責任ある表現をするよう心がけたいものです。

 そのような事を言っていたら仕事にならないという人もいますが、それは単なる怠けで、仕事ではないのです。それこそ勉強をし、身の丈にあった仕事をするか、プロのレベルになる努力するかを選択するべきなのです。

2015年1月17日土曜日

ダイヤモンドのカラーグレーディング⁉

 昨日ご来店のお客様がファンシカラーのダイヤモンドにご興味があるということファンシーカラーについてお話をしましたが、多くの方と同様にファンシーカラーの意味合いが分かりにくいというものでした。

 一般的にD~Zカラーに分けられるダイヤモンドのカラーグレードですがこのジャンルに入らないものを単純にファンシーカラーといえるかもしれませんとお話をさせていただきました。

 それではD~Zカラーとはということになるとダイヤモンドに黄色味を及ぼす窒素成分の量により、多くなっていくと黄色味が増し、それにより無色から黄色味に向かっての色の濃さをD~Zカラーと表しているわけです。

 勿論、すべてではなく最近ではブラウン系の色味に対してもD~Zカラーのグレードを適用する場合もあります。必ずしも濃い色ではありませんが・・。

 ファンシーカラーに関してはGIA(米国宝石学会)においては色相(Hue)明度(Tone)彩度(Saturation)を基本に名称を下記のように付けていますが、必ずしも査定評価をしているわけではないことは、通常のダイヤモンドのグレーディングと同様です。
 
 ファンシー以下の表現に関しては色相別に分かれたとしてもフェイントなりライト、ベリーライトなどの表現を使いますが、日本では評価を上げる意味で通常のカラーのNカラー以下をライトなりベリーライトなりの表記をし、ファンシーイエロー系に属しているようなニュアンスを行っているために多くの消費者がファンシカラーを誤解する要因になっています。 
 
 ダイヤモンドのグレーディングに関しては技術の伴っていなかった時代にはむしろ絶対的なものとして表現をされており、多くの問題が発生をしておりましたが現在ではGIAにおいても最低二人以上のグレーダーによるジャッジが行われ、場合によっては更なる確認を行うようになっておりますが、100%絶対的なものではないことに変わりはありません。
 
 つまり、通常のダイヤモンドもファンシーカラーダイヤモンドのおいてもグレードに好みや嗜好性が作用するものです。専門機関の複数人の共有部分でのグレーディングということになりますから、他の専門機関でグレーディング結果が違ったとしても問題となりません。ただし、その内容が著しく異なった場合には公序良俗部分での問題とそれによる損失が消費者に顕著な結果が出た場合には社会的責任を負うことにあるでしょう。ただし、法律違反ではありません。
 
 グレーディングのシステムに関してはこの数年著しく明確化をされてきましたが、基本は絶対的なものではありませんので、これを主に販売をすることに関してはやはり感心のできる事ではありません。GIAに関してもあくまでも査定評価ではないことを明示しておりますが、日本では査定評価の如く使用されていることが問題なのでしょう。もし、そうであれば日本中の価格を同じものにしなければならないことになります。
 
 米国でこの仕組みが始まったのも、日本で使用され始めたのもあくまでも販売側の販売補助ツールとしてであり、定規ほど明確ではない目安に過ぎないことで、大事なことは消費者が何時、いくらでどこから求めたかということが保証をされればよいことですから、そこを充実させることが大事でしょう。
 
 しかし、最近ではオークション等を通して財産として流通をする機会が多くなってきましたので条件を絞ったうえで多くの人が共通認識を持てるグレードというものを充当するためにGIAにおいても場合によっては数十人のグレーダーによるジャッジを行うこともあるようです。
 

2015年1月15日木曜日

差別と区別!?

 差別という言葉は阻害や切捨てみたいなイメージがありますが、事がビジネスになるとそれは区別とかセグメントと言った言葉になるのでしょう。

 多くの展示会を見ていると購入するお客様もしないお客様も同じような対応になっており、何を恐れるのか平たくお客様を見ようとする傾向があります。多くのビジネスには区別があります。そしてその区別は提供側のビジネスへの貢献度によってその差が出ています。

 貢献度とはイコール利益をどれくらい頂けたかということにもなるわけです。つまり、お金を多く払った人が沢山のサービスや対応を受けて当たり前のことで消費者はそのためにお金を使っているわけです。

 ところが顧客名簿にある名前に同じような情報を流し、同じようなサービスをしようとする形式は特に宝飾業には向きません。なぜならお客様は付加価値にお金を使っているのですから、お金を使って付加価値を得られないのなら自然に去っていくだけです。

 バブルの時代を経験した世代であればお金の使い方を良くわかっていますが、現在ビジネスの中心にいる人間たちは過去20数年耐える社会や支出を抑える生活を強いられてきました。それゆえにお金を使う人の心理が読みきれないところがあるのでしょう。

 色々言ってもやはりお金を使う人は特別な対応を望みながらお金を使っています。極端に言うとお金を使っても特別な扱いをされないところではお金は使いません。

 ここ最近は、ファストファッションもあり、皆同じようなものを手にし、同じような生活をしてきました。しかし、お金を使う立場にいる人々は同じでは満足をしないのですから、それなりの対応を覚えることが今後の課題になっていくのでしょう。

 プレミアシートは同じ映画を見るにしても高いお金を払い居心地良い対応をされ、気持ちよく映画を見るという、正味だけではないことにお金を使っているのです。
 

2015年1月14日水曜日

ダイヤモンドの補助輪!?

 現在去る展示会に参加をさせていただいて、昨日お客様から
『こちらのダイヤモンドはほかのとこよりも光って見えるんですけど何か違うんですか?』
という質問をいただきました。

 『私は買い付けをする際に照りを重視しています。』
と答えると
『照りですか?』
と言った怪訝な表情をしておりました。

 光が少なくても輝いて見えるのがダイヤモンド自体の光、そして照明等を当てられて光るのがダイヤモンドの表面の照り返し、その上でのカットの問題がきらめきですよといつもは説明をし、その用に伝えると、感の良いお客様で
『それは鑑定書に書いてあるんですか?』
という質問があり
『それは表示されていないんですよ。』
と答えると

『じゃあ比べてみないとわかりませんね。』
『そうですね、沢山見たほうがよろしいでしょうね。』

『じゃあ、鑑定書と言うのは何ですか?』
あれは残念ながら販売員が価格の差を説明できないことが多いのでその補助的にあるものなんですよ。』と答えると

『そんなんですね。自転車が乗れない人の補助輪みたいなものですね。』

『うまい事を仰いますね。真にそのとおりです。』

 その客様は60台半ばの紳士で、奥様のダイヤモンドを探しにこられていてダイヤモンドの説明を聞きたかったそうですが、とても聡明な方でお話をしていて久々に楽しく過ごさしていただきました。

2015年1月11日日曜日

値段より価値⁉

 今朝TVを見ているとイギリス人女性が日本の漆職人として漆の文化を守っているという内容の事が放送をされていました。その女性によると日本人が古い物や伝統的なものに目を背けすぎで、それが気になるという内容の物でした。

 確かに漆の事は英語で『JAPAN』というように日本を表す言葉そのものが英訳として載っているのだから日本でポピュラーであって当たり前と考えていたのでしょう。来日してからその実態を見たときにビックリして自分がこの文化を残さなければと考えたそうです。

 現在は中国製の漆が97%を占め、国産はたったの3%だそうです。35年ほど前にアメリカで知り合った友人の祖父に会いに帰国後秋田に旅をしたときに、その方が人間国宝として漆の文化を守っているという話を伺い感銘を受けた覚えがあります。

 その時の経験として、塗りあがった漆に光を当て天井に反射をして見せ、その天井に映った光に刷毛のムラや跡があってはいけないと教えられ、その天井に映った光の鮮明さは今でも覚えています。その時に耳が悪いと三半規管がやられている可能性があるので真っ直ぐには塗れないといわれた覚えがあります。

 確かに宝飾品の職人でも三半規管が弱い人間は鑢を真っ直ぐには掛けられないという事実はありますので、成程なぁ・・・職人の世界は正に匠の世界だなと感じておりました。それらの哲学にも匹敵する世界が軽んじられている現在では価格が安ければ良いという風潮があります。このイギリス人女性は『価格より価値を知る事』、『良い意味での無駄の意味を理解する事』を日本人に提案をしておりました。

 全く耳の痛い発言で、昨今の話題になっている異物混入問題にしても、安すさを追求し、売り上げを伸ばそうとするあまりの問題でもあるような気がします。世界では一見無駄な事と見えることが日本人は文化として残してきました。茶道であったり、華道の世界観は、知らない人には一見無駄な動きや作法のような気さえします。

 価格だけを要求することは消費者としてのリスクがあることは以前にも書きましたが、正に無駄に見えるようなところで、物の安全性だったり、差別化がなされていっているのだと考えます。

 宝飾品に関しても。まったく同じことがいえ、価値を知らない人にいくら価格を引いたところで意味がなく、それ以上に販売する側は物の価値を説明し、啓蒙するという事がビジネスであるはずなのに、それを省き、価格を下げる事により、販売を成立させようとしています。

 勿論、販売側に知識がないという事は一番の理由なのですが、プロ意識の欠如が一番大きな問題なのでしょう。そしてそのツケが消費者に回っているのですから、消費者が宝飾品に特別な意味を持つわけがありません。先達の人々の努力を無駄にするとともに、その財産を無にしてしまう行為は業界を問わないのかもしれません。

 日本製の漆は手間暇がかかっている事もあり、厚いお汁を入れても熱さが外側に伝わりにくかったり、漆ならではの特徴を生かし、その土地の根ざした伝統文化を守ってきた世界です。しかし、日本の漆は100年もつといわれていますが、中国産の数年でダメになるものでも良いと考える人が多くなってきたことも事実なのでしょう。ここでも価格が安いという事が最大の理由ですが、それなら無理に漆などを使わなければ良いのではと考えます

 100年もつものとその文化と伝統を感じるという事が物を持つという意味合いと考えますが、それの真似をするためだけに持つ価値は本来の価値とは言えないと思います。つまり、イミテーションでは本来の意味を理解できるはずはないという事です。

『値段より価値、そして、無駄の意味を知る』
本当に良い言葉ですが、どれくらいの人が理解を出来るのでしょうか?

 安さや売り上げを狙う世界では目が届く訳がありません。『身の丈の考える』という言葉は日本人が昔最も口にした言葉だと記憶しています。今日もどこかで異物混入騒ぎが起きているのでしょうね。消費者も安全や価値はタダではないという事をもっと理解をする必要があります。

 安い物には理由があります。そして、価格を引けるものにはからくりがあります。

 勿論、選択はそれぞれの自由ですが・・・。
 

2015年1月10日土曜日

鏡割り⁉

 昨日、お得意様を対象にした鏡割りを行いました。本来であれば鏡割りは1月11日ですが仕事の都合もあり、という事で松の内の明けた昨日という事になったものです。

 4時頃からお客様が来られ始められて、最終的には10時頃までいらっしゃったのですがの、樽酒での鏡割りというものはあまり経験もみなさんはお持ちではなかったこともあり、お話しも盛り上がりワイワイガヤガヤと皆さんも時間が過ぎるのを忘れているようでした。

 おつまみとして和歌山や北海道からのお取り寄せをご紹介したり、普段なかなか目にすることが出来ない物をご用意させていただき、喜んだ頂いたことは誠にうれしい次第です。

 また、あるお客様が
『こちらのお店に来るといろいろ知らない物を紹介していただけるので、来るのが楽しみよね。』
と言って頂き、こちらしてもしてやったりといった心境でした。

 つまり、宝石店というものは小生自身の考え方ですが、単に宝石を売るという事ではなく、宝石にまつわる物語や情報がそこにあることにより、お客様がお店に通う意味があると考えているので正に狙い通りかなとも思っている訳です。お客様というのはあまり金額には拘ってはいない訳で、売る方の自信の無さが価格を下げているだけで、それ以上の事を奉仕することが大事なのだと考えています。

 鏡割りは鏡開きとも言いますが、お店という事を考えると鏡開きといった方が良いのでしょう。皆さんの声に合わせ蓋を開け、皆さんにはそれぞれのお名前を書いた檜のマスをご用意し、それでお酒を飲んで頂いた訳です。ボジョレーの時もそうでしたが用意をした料理に皆さんが舌鼓を打ちながら召し上がっていただいたレシピを質問されることは、会話の繋がりにもとても良い事だと感じておりました。

 お酒も入り、酔いもまわってくるとダイヤモンド談義になり、其々がお造りになったジュエリーを褒め合い、自慢し合いで楽しい会話が飛び交っていましたが、小生が知らぬ間にジュエリーをお求めになっていたり、予約をなさっていたりと、非常にオープンな雰囲気の中で品定めをしておりました。

 皆さんのお話しをお聞きするとやはりこういった身に付ける環境や機会が欲しいと仰っておりましたので今後もチャンスがあれば行いたいと思って更けていった宵の間でした。

2015年1月9日金曜日

オークション⁉

 昨年はオークションの当たり年でもあり、サザビーズやクリスティーズに関わらず、多くのオークションで日本のバブル期を除いた最高売上を上げていました。

 しかし、ここにきて一定の落ち着きを見せているようにも感じますが、それでも例えば10ctsのDカラー、IFのEXに関して昨年末のニューヨークでの平均落札額はUS$21万/ctでした。つまり、総額でいえば約210万ドル(日本円で約25億円)になります。私が大粒を扱っていた時代はUS$4万ドル前後でしたから、ここ十数年で4~5倍になったことになります。

 
 特にファンシーカラーに関していえばそれをさらに上回る上昇率と言えるでしょうが、同様のグレード結果が出ていても色の見え方が違うと価格にも差が出ているように見えます。特にそれはピンク系が顕著で暗くなりすぎるとやはり価格は弱含みです。

 イエロー系に関しては日本では黄色という事であまり好まれない傾向がありましたが、ここにきて欧米のオークションやブランドの影響もあり、動きが活発化してるようです。現に国内でも数社の海外企業が直接消費者に大きめのイエローダイヤモンドを販売しています。

 当店でも時々尋ねられる事があるのですが、手に入れてもダイヤモンドをどこで販売すれば良いのかという件です。これに関してはサザビーズやクリスティーズに直接尋ねられると良いのかもしれませんが、事前にプロフェッショナルに相談し、オークションに出品できるかどうかの質疑があります。そして、フロアプライス(最低落札金額)が決まり、その上で出品が決まると手数料、事前のカタログに関する掲載料の金額の提示があり、同意がなされれば出品という事になり、機関としては4~5月後のオークションを待つという事になります。

 ただ、地域によっては出品の最低額を決めているところもあります。例えば最低ファンシー・インテンス・カラーの3cts以上とかホワイトであれば10cts以上とか特に今はアジア圏で行われるメジャーなオークションではそのような括りをしているところもあります。

 ニューヨークであればサザビーズにしてもクリスティーズにしても2~3ctsの通常グレードであっても取り扱いをしています。更にジュネーブ(スイス)などの2社を含めた他のオークションであっても取り扱いをしています。アジア圏は特に中国の需要が多く、出品、落札金額が高額になりがちですが、それは資産の保有が難しい中国ならではという事になるでしょう。

 中国では冒頭に書いた色味の差というよりも、どのようなグレーディングが出ているかの方が優先されますので、多くのダイヤモンドビジネスマンに聞くと、ほとんど中国人はグレーディング・レポートしか見ないという事です。どこか以前の日本人に似ていなくもありません。

 いずれにしても、今後はダイヤモンドの再販が今のように巷の買取屋さんのような状況が解消をされ、フェアな金額で取引がされ、一般の人々が安心をして販売が出来る状況が作られることは時間の問題かとも思います。

 ただし、オークションに関していえば何でもかんでもが落札対象になる訳ではありませんから専門家に十分話を聞いて理解をしてからという事になるでしょう。

こちらも見てみてください。

http://ameblo.jp/diamonrow

2015年1月8日木曜日

大量販売のリスク⁉

 
 そろそろ目を覚ましても良いのかな・・と思えるような事が続いています。同じことが起きても対応によっては世間の見方が違うといった典型的な例が、マクドナルドとペヤングの違いでしょう。

 片方は責任をボヤカシ、挙句の果てには被害者が加害者であるような発言をしたり、前回の様に当社も被害者ですみたいな発言があったりで、問題の商品を製造をしたその日の分だけの回収という、90%以上販売済みの物を結末にする無様さ。一方では素直に陳謝をし、商品の回収にかかり販売自粛、その上、製造も原因がつかめるまで中止といった潔さであるためにメディアもそれ以上の追及をしていないといった状況です。

 都心の大型店舗ではなく地方店が多いのも特徴で、規模が大きくなってきた時のリスクマネージメントも難しさを物語っています。今後似非被害者が出てくる場面も出て来るかもしれません。何せ現在はSNSの普及により、自分を売り込み目立ちたがり屋からが多くいます。冷蔵庫に自分が入り込み、写真を投稿する輩がいますので、今回は絶好の機会だと考えるかもしれません。

 いずれにしても大型チェーン店の驕りとは言いませんが、規模の管理をすることはシステムを余程考えないと難しい事で、マニュアルがあると言っても人間に対するものですから人間が教育をされていない以上あまり意味はありません。現にマクドナルドの謝罪を見ているとまるで能力のない人間が会見しているようにさえ見えます。役員をやっている以上それなりの能力はあるのでしょうけれど、会見だけを見ていれば消費者は余計に不安になります。

 我々の仕事はその正反対にる訳ですが、実際には大量販売を目指すような業者も多くいることが業界の仕組みの誤作動を招いているのでしょう。NCや大型店はどうしても数字が必要になります。しかし、宝飾業というものは数字を追った時点で数字が作りにくくなるといった側面を持っています。

 口にするものではないというだけでも救われる気がしますが、お客様への対応が不十分になったり、行き届かなかったりとスタッフの教育が難しいことを改めて考えさせられることが多く起きています。

 たまたま、起きている事を例にすることは申し訳ないと思いますが、本来であれば町の定食屋で起きていても亭主が詫び、お会計は結構ですといった対応で済むことでもあるのかもしれません。つまり、本当はチェーン店だといっても個々の店長の対応によって解決をしているケースも多々あるのではないかと思います。その店長の対応が悪く、表ざたになっているような気がします。

 個々の人間力といったものはマニュアルや一朝一夕では出来るものではありません。大規模になればなるほどそのリスクは大きくなるのです。多くの大手は慢心が過ぎて身の丈を忘れて拡大だけを考えているように思います。

 宝石に関しては、元々実用品に比べて規模も小さいので3店舗でも他業種の10店舗から20店舗に匹敵するような規模になるでしょう。特に1点1点が高額販売で気を付けなければいけない物ですから対応も人間力が必要になります。

 仮に小規模であったとしても大量販売をしようとすれば必ずと言っていいほどトラブル含みになります。その中の一点でも大きなクレームになっただけでも大きな痛手や場合によっては会社に閉鎖といった状況になることは過去にも例があります。

 ここいらで業種にかかわらず、大規模、大量販売が販売側にも消費者にもリスクがあることをもう一度考え、価格といったその場の欲求だけに流されないような事が必要なのではないかと考えます。

 子供たちにその大人のリスクが行くことは許されないのですから、もう一度価値という事とその価格について考えてはいかがでしょうか?

 それぞれの業種の本質を忘れ、規模を考えた時点でビジネスの成功はないのです。

2015年1月7日水曜日

福袋⁉

『異物混入‼』
 大手ハンバーガーチェーンのビニール混入が他のチェーンにも、それこそチェーンのように繋がりそうな気配いです。兎にも角にも最近は中国の製造問題から端を発し、連日のように報道されています。実際には公表をされていないことまで入れるとどれくらいの件数があるのだろうか。

 私自身も二子玉川でのことですが、大手焼肉チェーン『牛〇』においてクッパの中に爪が混入していたことがあり、店側に告げると『アッ、すみません。取り替えます』という一言で終わったことにはびっくりしました。チェーン店ですからそれだけで作っていたとは思えません。ましてや思い出したくもないのですが感触から言ってその場で入ったものとも思えません。

 爪をきちっと切ったものが入っていたという事は、食べ物の横で爪をとばしながら切っていたという事でしょうから、あきれ返ります。まして、会計時には何の言葉もなくそのままの請求で、爪の混入していたクッパ代も入っていたのですから。恐れ入ります。

 時代という事もあるのでしょう。社会としては衛生意識やコンプライアンスが進んできていても、環境はむしろ昔の方が衛生観念がもっと会ったように思います。歩きながら物を食べない、地べたに座らない、買い食いをしないなどと随分と注意をされたものです。勿論隠れながらおこなってはいましたが、公然とではなかったです。

 現在はといえば、トイレで食事をする、満員電車で飲食をする、ましてや公衆の面前で女性が化粧するなどとは以前の日本や他の国では考えにくい事でしょう。アジアの一部の国では今の若い世代の衛生観念とも似たような現象もあるのでしょう。一連の話は中国で起きているのかと思うほどの事が起きていて何が入っているのかわからないとは・・・。しかし、過度の反応することもどうかと思いますが。

 何が入っているかわからないといえば『福袋』です。
御蔭様で今年も初日から100万円の福袋から完売し、まだ、30万円、50万円と残ってはいますが、やはり景気の上向きでしょうか。とは思っていませんが、ここ4年間は100万円の福袋から販売がされていっています。

 多くの小売店さんに聞くとやはり高額福袋から販売がされていて、低額品は売れ残っているそうです。やはり、いつも言っている事ですが買える人は金額に関係なく、買えない人は価格が低くても変えないという現象が顕著になっているだけでしょう。

 以前の福袋は中に何が入っているのかわからないという年の初めの縁起物に夢を託すという部分もあったのですが、最近では中身が先に公表されるというケースが増えています。

 食べ物は、特に中身が何かがすぐ解るようにすることは大切ですが福袋に関しては、中身が解らない方が楽しみがあるような気がします。当店の百万円福袋は2点あり、一つは中身が解らないというようにDMにうたっていたので、初日から確認に来る方もいらっしゃいました。そして、それが一番初めに販売され、購入していかれた方は大いに喜んで行かれました。

 今年は特に福袋のような年です。健康に気を付けて中身のある一年にしたいものです。

2015年1月4日日曜日

ジェネリック・ダイヤモンド(Generic Diamond)⁉

 昨年の9月に予定をしていたイスラエルでのWorld Diamond Conference中止になり、その後インドのデリで開催をされた会議の中で、ある言葉が多用されていました。それがジェネリック・ダイヤモンドです。ジェネリックとは固有や括りのない物を差す言葉ですが、最近では薬などでも扱われています。

 長きに渡り、デ・ビアス社が行ってきたキャンペーンが功を奏しダイヤモンドの市場が一挙に広がりを見せた1940年代から80年代ですが、デ・ビアス社が力を失った1990年代からはダイヤモンドの市場は焼け野原みたいなもので、特に日本ではダイヤモンドの価値は何処まで下がるのかとさえ思えるほどの状況でした。

 世界のダイヤモンド業界がこの辺を意識しての事ではありますが、固有のブランドやデ・ビアスのようにブティック的なブランドではなく、ダイヤモンドそのものをブランディングしたキャンペーンを2015年は展開をしていこうという趣旨のコメントが出されました。

 最近は格差ではありませんが、一部のダイヤモンドは価格が下がり、一部のダイヤモンドはこれでもかというような値上がりを見せ、ダイヤモンド本来の市場というよりも経済の市場原理による価格の決定が多くみられるようになりました。その事自体は悪い事ではないのですが、ダイヤモンドのように」ある意味ロジックを持っている物に関していえば創り上げてきたシステムの問題もありますが、不都合もあります。

 本来は感性の部分が多い物ですが、販売方法としてある種のロジックを作り上げてきたことは市場を広げるという意味ではよかったのですが、扱いを間違っていたためにシステム自体が独り歩きをしていますから、トラブルも招きかねません。

 何より、多くの販売に携わっている人々が時代の変化についてきてはいません。正月早々から旧知の取引先から電話があり、
『髙木さん、3ctsのDカラーでIFでエクセレントメイクなんだけど。アッ、そうそうタイプⅡの鑑定書が付いているんだけれど、幾らくらいで販売するのが無難だろうか?今は価格がネットでもどこでもわかるから心配になって来て・・。』
という内容でした。

 正に上記の問題点で本来であれば自らの妥当だと思う利益を乗せて販売をすればよいのですが,タイプⅡとは何ぞやから始まり、挙句の果てにいくらで売ってよいかわからない・・という事になるとプロの仕事とは言えなくなります。

 本来は美しいという事は大前提として、いかにそれをアピ-ルして売れば良いのかという事ですが、その事自体にもついてこれていないほどダイヤモンドのビジネスの変化はここにきて大きなものでした。

 そういった意味ではどのような形になるかはわかりませんが、ジェネリック・ダイヤモンドをブランディング化してキャンペーンを行う事はある意味では多くの商売をしている人びとには朗報かもしれません。いずれにしても、今年はないかが変わります。変わらなければいけません。

2015年1月3日土曜日

心理的価値と付加価値⁉

 昨年末のジャンボ宝くじに当たったような気がすると言う友人の戯言に付き合った訳ではないけれど、当たった宝くじを銀行が開く1月5日までどうするかという話に花が咲きました。

 人間というものは不思議なもので、価値を感じ始めると心理的に弱くなるというか揺れやすくなります。当たっていないと思えばなくなる訳はないと放っておいても気にならない物が当たっている宝くじとなると何処かで失くするような気がします。

 例えば、普通のガラスのコップだと思っていると普通に扱っていても壊れるとは考えないのですが、高額のものと知ると何故か割ってしまいそうな気がして扱いがビクビクしたものとなります。

 宝飾品はそもそもそのような心理の中に価値のあるものですが、近ごろの扱い手はそれをゾンザイに扱う為に宝石にそのような価値がないように感じます。また、宝石のビジネスに関しては結果が出れば良いというものではなく、いかにして結果が出たかという事が大事な過程と結果が同一で結果となるビジネスで数字上だけというものではありません。

 多くの付加価値を主としたビジネスはその場の数字を追ったたたき売りを行った時点で、その場の数字は出るがその後の数字を作ることを極めて難しくします。

 消費者の真理は、何かの理由なくして安くなったり、恒常的に安く売られているものはいつでもまた安くなる程度の価値しかないという心理が出来上がります。常に当たりくじだったり、高額なものと思っていると大事に扱いかつ、二度とない機会だとその事を大事にします。

 宝くじでもそうですが、何百万分の一の確率の物を手にしていると思うと心理的に大事に思い、体が一種の興奮状態に入ります。しかし、実際にはピンクダイヤモンドにしてもサイズの大きなダイヤモンドにしても確率から言えばてに入れることは高く時に匹敵をすることです。

 これは金額の問題でもないのですが、宝くじに当たった人にしても数百億以上の資産を持っている人が当たったとしたら、多分、それほどの緊張も心の揺れもないでしょう。つまり、金額の高低ではなく、その持った人々がどのような価値判断を持ち、その演出がどうなされているかによって心理的付加価値が変わってくるのでしょう。

 2015年は宝飾業界のある種の転換期です。この事を踏まえてビジネスが行われれば良い年になることは間違いがありません。こんな単純なことが理解できればですが・・・・。

2015年1月2日金曜日

謹賀新年⁉

 明けましておめでとうございます。
今年は恒例の初日の出を拝むことが出来なかったのですが、行く途中で隕石を見ました。流れ星かなと思ったのですが、周りに星は見えなく大きな物だったので隕石だというふうに解釈をしました。

 これはどのような兆候なのかは本人の解釈次第だとは思いますが、私自身は新たなエネルギーを注入された思いです。ダイヤモンドは地球の出来る前の60億年前のダイヤモンドが発見されているという事は以前にも書きましたが、これは隕石が地球に運んできたものです。何時の隕石も地球に色々な事象をもたらします。

 それゆえに私の解釈ですが、今年がダイヤモンド業界にとって良い年になるように願ってやみません。本年もご愛読のほどよろしくお願いします。