ページビューの合計

2014年12月31日水曜日

似非(えせ)????

 今年はSTAP細胞やら偽盲目作曲家やらなにやら怪しい地方議員やらとすべてを一緒くたにはできないけれど似非っぽさが記憶に残る一年であったような気がします。

 『似非』とは平安時代から使われている似てはいるが・・・とか、実態にそぐわない物とか状態を指す言葉ですが今年は正にこの言葉があってはまる一年だったと感じます。

 政治にしても社会の様相にしてもバーチャルといえば耳あたりは良いのですが、いわゆる実体のない物や状態がデジタルが進むことにより一層に拍車をかけているような気がします。過去の進化は、バクテリアが動物になってきたように自然による進化であったわけですが、現在の進化は人間によるもので、それについていく人とついていけない人に分かれてきます。

 自然が創り出した事実を受け入れる事やそれをいじらないことが本来の進化であり、本物なのではないだろうかと感じる訳です。人間の都合により行う進化は最小限で人類の生活に貢献出来得るかどうかがポイントなのではないでしょうか。

 
勿論今の進化を全面否定するつもりはありませんが、過ぎたるは及ばざるがごとしではありませんが、現在のSNS]にしてもゲームにしても人間の生活に必須であるのかどうか?逆にそれが中毒として必須になっている麻薬のような気がするのは私だけでしょうか?

 似非は麻薬のように常態化するとそれが必須になっていくことが恐ろしいのです。つまり、麻薬でもなんでもそうですが楽であり逃避である訳で、そこにどんな理由を付けようと結果的には生産性もなければ、実体もなくなり究極、廃人化していくような気がします。

 宝飾業界においても似非は蔓延っています。今年もいくつかの祭事に参加をさせてもらい、更にプロの方達へのセミナーを開かせて頂いて感じたことは、明らかに間違った販売方法をとっていても既に常態化しており、それを変える事が現実的ではないと思い込んでいる点です。

 お客様を見くびっている訳ではないのです。多くの宝石を商っている中堅どころは宝飾業の何なのかを分からずに、バブルの終わった後に入って来て、後始末のような苦肉の策で行っていたその場しのぎの販売を行ってきたところに入り、それが楽な方法なので常態化をしたところで身につけてきた知識経験なのです。

 現在多くなされているディスカウント商法は先人たちが作り上げてきた価値を切り刻むことにより出ている結果だという事に気が付く人々は少ないのです。自然の創り出した価値を磨き上げながら創り出してきた付加価値を再度構築することが出来なければ、切り刻むことの出来る価値自体がなくなってしまう訳です。

 宝飾業というものは自然の価値をさらに磨き付加価値を付ける作業を行う事で消費者の欲求を呼び起こす仕事です。腹の減った猛獣の前に餌を出せばすぐに食いつきます。しかし、お腹の一杯になった猛獣の前にはいつも食べさせられている物をおいても食べてはくれません。

 もう腹いっぱいの状態を作り上げてしまった(うんざりする様なディスカウント商法)状態では、いくらまやかしてみても食欲は起きません。もう一度、めったに食べる事がない興味を持つような盛り付けが必要なのではないでしょうか。

 過去には沢山の安売り店が潰れていきました。しかし、本物を守っている老舗は数百年と続いています。数百年を超えたビジネスをわざわざ潰す序章を続ける必要はありません。

 楽な道はいずれ楽をした体力では越せないいばらの道に行き会います。すでに出来上がっている道の上をさらに歩きやすくする様に尽力する方が明らかに現実です。似非で永代はあり得ないのです。

2014年12月26日金曜日

御用納め⁉

 本日、27日は多くの官公庁や事務方や工場関係の会社は御用納めです。無論、小売業や一部の特殊な業種のところは明日だったり、30日までというところもあるでしょう。大晦日もあるかもしれません。

 40年ほど前、まだ土曜日も半ドンの頃の話ですが、土曜のその日が丁度御用納めにあたり、私が勤務をしていた会社もその日が御用納めという事で仕事後御餅つきをやろうという話で盛り上がりました。

 当日、先輩の一人が千葉の大農家の息子という事もあり、臼と杵ともち米を蒸かすための鍋などをトラックで持ち込み、私自身も先輩から四斗の樽酒を用意しておくように言われ手配をしておりました。

 問題が起きたのは其れからです。実は届けが総務部にも上司にも行われておらず。その日は初売り商品の発送のために仕事が終わらない状況にありました。そこへ樽酒が届き、私自身が見つかってはまずいと思い、応接間に取りあえず、おいておきました。

 また、もち米の方も蒸す準備もあり、宝石部がいち早く仕事が終わったという事もあり、裏側の駐車場で準備にかかっておりました。しかし、間が悪い事に年末の挨拶に来た取引先を専務が応接室に案内をし、ドアを開けてビックリした専務は『なんだこれは誰の仕業だ?』というになって持ち込んでいた姿を目撃した人間が私が持ち込んでいた事を報告したわけです。

 私を探すようにと言われた、総務部の人間が餅つきの準備をしていた私を見つけて、
『専務が探しているよ。何をやっているのここで?』

『餅つきの準備です。』

『それはまずいんじゃあない?』

傍らで聞いていた宝石部の先輩が『とりあえず専務のところに行って納めて来い』という事で、何とか理由を言って、怒られはしましたが無事コモ樽をを奪還し、餅つき現場に持ち込みました。

 しかし、総務部の人間から話を聞いた総務部長が来て
『宝石部の皆さんこれは社長に見つかったらまずいので早々に片付けてください。』
と言いに来たのですが、一人の宝石部の主任が
『直ぐにやめますから、部長も樽酒を一杯いかがですか?』
と勧めると、決して嫌いではなかったその部長が
『そうですか。それでは形だけと・・。』
といってマス酒を受け取り飲み干してしまったのです。呆気にとられる私の横をそそくさと引上げ、しばらくすると先程来た総務部のスタッフが現れました。
『早めに止めてもらうように部長から言われてきました』とやってきたのです。
しかし、宝石部の餌食になったこのスタッフは諸先輩から勧められるままにやはりマス酒を飲み干してしまったのです。

 ここからがさらに悲劇です。1時間半ほどすると総務部長が慌ててやてきて
『皆さん直ぐに撤去をしてください』と真っ赤な顔をして怒っています。
話しを聞くと先程のスタッフが酔ったままそのまま帰宅の途につき、その途中の品川駅で泥酔の上失禁をして保護をされているという事でした。まして会社の名札を付けていたためにすぐに品川駅から連絡があったそうです。

 しかし、その頃には全社に知られる状況にあり、その後宝石部員が始末書を提出したことは想像がつくと思います。勿論、ここでは書けないことも同時に起きていたこの年の御用納めの日の事は生涯忘れる事はないでしょう。

 平和な日本であった高度成長期のとある会社の一場面ですが、この会社の宝石部は勢いがあったことは事実ですが特殊であったことは否めません。

2014年12月25日木曜日

クリスマス事情⁉

 昨日みえられたお客様の話です。もともとの当方のお客様の娘さんなのですが、以前から当店の事は知ってはいたけれど入る勇気がなかったのだそうで、今回はお母さまもよくみえていると聞いたので来店をしてみたという事です。

 商品を物色中に電話をどこかになさっていたのですが、電話が終わると
『この商品が良いと思って、主人に電話をしたらそんなので良いのかと言われました。』
と振り返りながらこちらに笑顔を見せると

 『本当はこちらの高い方も良いなと思っていたのですが、ちょっと価格が張るので手が出ないなと思っていたんです。』との事

 私が
 『それではお母さまにはいつもご贔屓にして頂いていますので、私の方も少しばかりのお手伝いをさせて頂きます。』

 『えっ‼本当ですかうれしいです。』
と満面の笑顔をこちらに向けていました。
『あまり大きなお値引きはできませんが・・・。』
と言ってお値段を提示すると
『もう一度主人に聞いてみます。』
と再度の電話・・・。

 『ありがとう』
と御主人に答えながらこちらを振り向き
『それではそれをお願いします。』

 お話を伺うと、6歳の息子さんがサンタさんをまだ信じていて、クリスマス・イブの夜には皆のプレゼントを居間のクリスマスツリーの下に置いてくという事を続けているのだそうです。しかし、だんだんと息子さんが自分のプレゼントしかないと不思議に思うので、ご主人や彼女のプレゼントを一緒に置いておくのだそうです。そして、ジュエリーが今回のご主人様からのプレゼントだそうです。

 この話を聞き、この家庭をの温もりを感じるとともに、お母さまが彼女に注いだ愛情が感じられるような彼女の人柄がクリスマスの聖夜をより温かなものにしているなぁ・・と感じたわけです。

 今から18年ほど前の12月の24日に私はデンマークのコペンハーゲンにいました。当時とは言わず北欧のクリスマスは日本ほどの華やかさもなく、地味で出張中の孤独をより一層味わうようなトラブルを感じていた私にはクリスマス・イブというよりは24日の夜という感じしかなく、遠くに見える世界最古の遊園地であるチボリ公園の灯でさえわびしく感じたものです。

 そのせいか私は皆さんほどクリスマスを楽しいとは思ったこともなく、当店のある自由が丘でさえ沢山のイルミネーションが飾られているのですが、終わった後を考えると・・・・。

 人はなにを経験してきて物事に対する考え方が決まるのかはわかりませんが、私にとってのクリスマスは仕事が忙しい事とあまり楽しい事ではないという印象があり、情けないものです。

 人様のクリスマスを楽しむ様相を外から見ていている事がよほど喜びを感じるような気がします。
 

2014年12月24日水曜日

内包物⁉

 本日はクリスマス・イブ、正確には日没から午前零時までということになるのですが、今年もではありますがなかなか盛り上がりません。盛り上がるものではないのですが・・・・。

 それはさて置き一昨日お越しになったお客様が、
『友人の指輪を見るとやけに光っているので、話を聞いたら意外と求めやすいお値段で、こちらのお店で求めたという事だったんですが・・。』

 そのデザインは0.7ctを3個並べたものだったんですが彼女はさらに
『あれは色が良いから光っていたんですか?』

私が
『お色は多少あったんですがテリが強い物だったんですよ』
と答えると
彼女は
『それじゃあ、キズがなかったんですね。』

 これらの疑問に答えながら、キズではなく内包物と言って人間でいえば個性みたいなものであるという事と内包物には色々な特徴があることを説明をしました。

 内包物には色々な形や特徴に合わせて名前がついていてそれを見る事で内包物が色々な物にも見えてくることはダイヤモンドに携わっている人間ならわかっている事ですが、一般の消費者は拡大をして見る機会がなかなかないので説明をすることになりました。

 フェザー、クリベージ、クラウド等々形に合わせて名前がついている事やそれぞれが見方によっては色々な動物や者に見えることや、内包物がある為にダイヤモンド自体が輝いて見えるものがあることを伝えると、
彼女は
『内包物があると品質が落ちるんではないんですか?』

 確かに品質が落ちるといった表現は間違いではありません。しかし、パーフェクトなものはそんなに存在しません、人間と一緒で個性というものがあります。テリというのもその一つで経験から言うと全体の三割程度がそれに当たりますが、それが全部美しわけではありません。また、内包物がないからと言ってテリや美しさを感じる訳でもありません。

 つまり、目に見える美観という物を満足させる要素が揃っていれば、必ずしもグレードのこだわる必要はないという事です。勿論、其々に予算がなければ完璧な物をもとめれば良いのですが、そうはいかないし、お金があったとしても必ずしも思うものが手にはいる訳ではありません。

 内包物は物によっては煌めきを多くし、物によってはダイヤモンドの中に色々な物語を作ってくれ、何よりもテリを出してくれるものもあり、ダイヤモンドの個性そのものです。フェザー(羽の形をしたもの)の構成によっては、それこそクリスマス・ツリーに見えるものやイルカに見えるものもあります。

 人間でいえばパーフェクトはそのものが欠点でもあると考えています。受け入れられる個性は必ずしも欠点ではない事をダイヤモンドは照明をしてくれています。

2014年12月22日月曜日

STAP細胞⁉

 STAP細胞が有るや無しやでメディアが騒いでいますが、最近では小保方さんを詐欺罪で告訴すべきではという内容の報道も出ています。本当に情けないと考えるのは私だけでしょうか?

 確かに彼女は科学者として未熟であったかもしれないし、軽率であったかもしれない。だとしたらその責任は理研の上層部にあると考えるべきで、彼女をユニットリーダーに選任したのは誰あろう理研そのものなのだから・・。

 有りもしないSTAP細胞なるものをでっち上げて2000万円以上の税金を投入したという事であるのなら、ほとんどの科学者は日本からいなくなってしまう事になるし、ノーベル賞が二度と日本人の手に渡ることはなくなってしまうでしょう。

 科学の研究というのは言うまでもなく事象を解明するために、仮想をして研究を進めていくもので結果的に正しかったという事もあるかもしれないが、解明出来ないこともある訳だからそれを責めていたならば、誰も研究をしなくなってしまうのではないでしょうか。

 暗黒というものは目が慣れてくれば見えてくるようになるかもしれないが、自然の現象は解明していかなければ進化にはつながらない。過去の進化は時間が進化をもたらしてくれたものですが、ここまで人間が進化をすると人間自身が解明をしながら結果を出さなければ進化はしない。

 しかし、これ以上の自然を無視した進化は必要なのだろうかと考えはしますが、今回の騒ぎの方向は明らかに間違っています。見えているゴルフの穴に一発でボールを入れるだけでも大変なのに仮の想定をして結果を出す作業をいたずらにニュースの材料にすることは如何なものかと思います。

 我々のように変化をしないダイヤモンドを扱っている者たちには、扱い方の変化はあってもダイヤモンドそのものが進化や変化をすることはありません。しかし、その変化は良い方に転がることはあまりありません。何故なら人間が扱っているから欲の方が優先するのでやむを得ないのかも知れません。

 科学者たちも中には名誉欲や金銭欲でやっている人もいるかもしれませんが、多くの人は研究をし、人間の役に立つことを前提とした研究をしているのだと考えます。時間が掛かり、成果が出ないかもしれない事に時間を費やするという事は生半可では出来ないだろうと思います。

 ダイヤモンドにSTAP細胞は存在しません。人間の色に染まる価値と変化だけです。それゆえに真面目に取り扱ってきたいものです。決して扱っている人間のまやかしの材料にはなってほしくはないし、それがダイヤモンドを永遠に輝かせる源になると信じています。

リフォーム⁉

 昨日、ショーケースを覘きながら店内をうかがっているようなご婦人がおり、声をかけると
『こちらに2カラットくらいのエメラルドカットのダイヤモンドはありますか?』
と答えてきました。

 ショーケースに並んでいるダイヤモンドの裸石をご覧になって立ち止っていたようです。
『実は宝石の展示会に行ってリフォームをお願いしたのですがそこに出ていた宝石やさんがいなくなったという事なんです。』

 お話しを伺うと展示会に行ったのだが欲しいものがなかったので、勧められて身に付けていたダイヤモンドのペンダントを指輪にリフォームする事になり、お願いをしたとの事です。
『しかし、ちゃんと警察なりに届けるか、主催をしていたところにクレームをすれば良いのではありませんか?』と私が訊ねました。

 ご主人に内緒だったので引き換えの券を目立たないところにと思っていてなくしてしまったようだという事でした。つまり、ご主人に気が付かれる前に同じようなものを用意をしなければならないという事でした。

 にわかには信じがたい話ではありましたが、リフォームでのトラブルはよく耳にすることではありますが、大方はオーダーしたものとは感じが違うけど、『しばらくの間してみてください』と言われたとか、『いやオーダー通りですよ』と言いくるめられたといった類のことでほとんど消費者が泣きを見ているという事が多いようです。勿論そのあとは消費者は二度とそのお店には戻らないのでしょうけど。

 当店も90%がオーダーという事もあり、お客様が思ったより良く出来たといって頂く機会が多いのですが、たまにちょっと違うような気がするという事もあります。その為に作成途中をご覧になるようにお勧めしたり、一度仮合わせをするようにしています。

 しかし、多くの宝石店さんや百貨店の宝石サロンではその場で制作をしたり、造りの解る担当者がいませんので、クレームを怖がり、リフォームそのものを受けないとか、積極的ではないところが多いようです。

 宝石そのものは耐久性が強い物で劣化や破損がしにくい(処理をしていない物)という前提にありますから、経年劣化をする周りの造りがある以上はリフォームは避けて通れないことなのです。

 リフォームに関してはお預かりするときの確認や出来上がりの時に無理に押し付けないという事は勿論の事、過程の納得や結果の納得が何より必要な事です。これ以上とうんざりされるくらいでも過度ではないと思っています。それが信用に繋がり評判になっていく基本の基であると思います。

 ましてや、持っていなくなるなんてとんでもない話ですが、お客様にご用意をしますと言ってお見せしたものはご予算が合わなかったようで、改めて無くなったダイヤモンドに思いが強くなったようでした。

 リフォームは宝石店の必須事項ですが、取り扱いをするのは販売をする以上に気を使います。しかし、業界の活性化には是非というものでもあり、それぞれの宝石店さんが真剣に取り組む必要のあることだと改めて考えます。
 

 

2014年12月21日日曜日

朔旦冬至⁉

 明日は19年7か月ぶりの朔旦冬至という事で、なんでも旧暦の19年に一度めぐってくる新月と冬至が一緒に来るという事で、新月は勿論満月に向かっての始動の時で当時は一年で一番昼間が短く、これから昼間が長くなっていくときのスタートという事で、どちらも躍進を目指すという時を差すという事だそうです。

 つまり、月は満月へ向かって、太陽は一番短くなった陽が伸びていくという復活の日になる訳です。昔からこの日に政や国家の繁栄を願って祝宴を行っていたそうです。神道の祭事などはこれらの宇宙物理学的な見地から色々なことが決められていた事は知られていますが、現代では忘れがちです。

 何事も力をためて飛び上がった方がより飛び上れるという事でしょうから理屈としては合っているので昔から仕事などや事業を思いついたとしたら非常に良い日だという事です。朝方が一番良いという事ですが明日であれば思い立ったことはやってみるには良いのかもしれません。

 占星術から言うと(私はよくわかりませんが)来年は思い立ったことをやるにはより良い年だそうで、スピーディーに何事も行う事が吉という事だそうです。これも今回の朔旦当時と重なっているのかもしれません。

 飛び出そうとか、やってみようと思う時にはジャンプが如く屈み込むことも重要な要素となりますよね。これは何事も準備が必要という事で、何かを目指すのであれば来年という事で、そのための準備を今からすると良いという事でしょうね。

 三段跳びではないけれどホップ、ステップ、ジャンプとどれも重要な要素ではありますがホップがなければステップはなく、ステップがなければジャンプもないという事ですから、仕事であれ、運動であれ、何事に関してもこの『朔旦冬至』のような時が必要で、昔から当たり前の原理を基本として、大事にしているのが良くわかります。

 明日が何かのきっかけとなり何かを成し遂げられることを祈ってやみません。
 

遠来の友⁉

 昨日、米国から20数年来の友人が娘を連れてやってきました。以前米国を主市場としてビジネスをしていたころに米国を彼に任せていたものです。

 彼は日本人なのですが、米国人の女性と結婚をし、現在も米国で暮らしているのですが、本当はその奥さんである米国人女性が友人であり、その女性から今度のこの人と結婚をしますと、彼とは奥さんの紹介で知り合いました。

 3人の娘を持ったのですが残念ながら離婚をしてしまいました。しかし、双方とも付き合いがあり、ましてや娘たちが慕ってくれていますので、ほぼ毎年日本にきたり、私が渡米したりと関係が途絶えたことがありません。

 人の運命とは解りません、双方を知っており、更に娘たちを生まれた時から知っているので複雑な気持ちですが、米国らしいというのか娘たちは両方の家を行ったり来たりしています。長女は母親の母校でもあるスタンフォード大学で脳医学を目指して勉学に励んでおり、次女も近くのカレッジに通っており、今回父親と来日した3女は頭も良く、末っ子らしい性格で、どの子も私にとっては可愛い娘たちです。

 父親は仕事をしながら、日本式のパン屋の開業を目指しており、その機会をうかがっているようですが、彼自身もプログラマー出身の優秀な人間で私自身の仕事を手伝ってもらうにあたり悩んだものです。彼自身の希望もあり、一緒に仕事を仕事をしておりましたが、残念ながらリーマンショックの際にやはり、ファンドが関与していた取引先が倒産し、それをきっかけに米国での仕事に幕を閉じました。

 彼は優秀であり、私との再度のビジネスを冗談ながら口にすることもあり、私自身も米国市場というのはまだまだ魅力的なところもあり、チャンスがあればと考えないでもありません。

 刺激を受けます。遠来の友というものは彼に限らず、時として自身に良い意味での刺激を与えてくれます。国内で求めているものが見つからなければ海外へと単純に考えてしまうほど新しい刺激を運んでくれます。彼自身も50歳という年齢を迎えても米国という事もありますが、未だに次のチャンスを狙っています。

 仕事というものは慣れ過ぎると、感性を鈍らせ、特に我々の仕事である宝飾品にとっては大敵です。とてつもなく希少な価値を持つものを、安易に取り扱う事に慣れ、いかに価値のない物かという印象さえも消費者に与えてしまいます。

 人間だけではなくダイヤモンドさえ遠来の友と呼べる事さえあります。以前にリサイクルジュエリーの査定を頼まれたときに、見覚えのあるダイヤモンドに出会いました。私自身が20十年前ほどにデザインをしたもので、多量な注文があったために手持ちであった1ctサイズのダイヤモンドを使用しました。そのダイヤモンドというのは中央に特徴的なガーネットと思われる、赤い内包物があったものです。

 見たときにデザインがそうであることもありましたが、すぐに解り、なんとなく遠来の友と久しぶりに出会ったような気がしました。勿論その時も刺激を受けそのデザインの復刻をしてみようと考え、新たなチャンレンジを試みたりもしました。

 いずれにせよ、刺激を受けるという事は気持ちにスイッチが張り、自らを震え立たせてくれるものだと遠来の友人には心よりの感謝であります。

2014年12月19日金曜日

格差の差⁉

 自身はそうではないのですが、仕事柄もありますが格差社会と言われる現状でその両方を見る立場にいると考えています。昨日、さるゴルフコンペに参加をし、感じたことなのですが、多くの参加者やそのゴルフ場に来ている人々の会話を昼食中に聞いていると、フェラーリの3台目を注文したとか、アストンマーティンの新しいのが来たから見てみないとか普通の会話として聞こえてくるのです。

 ゴルフコンペ自体は東京のすぐ隣の名門コースではあるのだけれど、それにしてもと感じました。更に前夜は以前通っていたスポーツジムが閉鎖をし、そこに通っていた人々との忘年会だったのですが、やはり諸先輩たちの会話はこの夏2ヶ月かけて、息子たちがいるヨーロッパを回ってきましたとか、今の楽しみはゴルフと海外旅行かな・・といった内容がほとんどです。

 ゴルフコンペの打ち上げは年末という事もあり、私は所用で参加をしませんでしたが横浜の水上レストランを借り切ってのパーティーでした。

 これらの人と接してみて、現在を景気が悪いと感じている人々との格差を感じ、この人々の下で多くの人々が働き、格差と収入の不満を感じているのかなとも考えました。現実には株高で一部の富裕層の懐が温まっている事の事実でしょうし、その株価というものが過去も日本という国を豊かにし、危うくさせたこともあります。

 しかし、国単位で考えると日本の豊かさは国を軟弱にするくらいのものがあります、勿論他の国では想像を絶する生活をしているところもあります。そして、戦争を継続している国もあります。しかし、それらの国はに日本より不幸なのかと考えると必ずしもそうも言えません。

 戦争とは平和という言葉は決して反意語ではありません。平和がイコール幸福なのかどうかという問題は、また別の話なのだろうと考えます。見た目で幸福かどうかを考えることはできないし、このいまある格差が必ずしも不幸とも限らないとも考えます。

 アベノミクスとは正に其処をついているのでしょう。一部の富裕層が裕福になることがあれば必ずその下の人々もそのうち裕福になる。韓国のように財閥経済ではないので独り占めはできないという事を前提にしているのでしょう。

 考え方には色々とあるでしょうし、どちらの面から物を見るかによっても違うでしょうが、私達のビジネスはそこを見定めながら行わなければなりません。やはり、宝飾品は色々な意味での成功者であり、さらにその感性を持っている人々のものです。残念ながら富裕層であっても車やゴルフ、投資に興味を持っている人々は経験上宝飾品を積極的には好みません。どちらかというと優先順位は低くなります。

 贅沢というものは決してお金をかける事ではないし、無駄遣いとは意味が違います。また、エレガントとは身に付けているものではなく、その人自身であることは皆も理解はしているとは思いますが、やはりお金があることは大前提となります。宝飾品はそういった方に向くものだと考えています。

 それゆえ、その演出が絶対条件であり、宝飾品の将来を考えるとステイタスを踏みじるようなものではなく、富裕層に対して、また次に来る富裕層に対して少しばかりくすぐる様な演出がある習慣を創造することが大事であると考えています。

 格差には色々な格差があります。やはりそこにも差があります。皆が皆お金を持ったからと言って宝飾品の方を向いてくれはしません。表面上では解らない富裕層の中にある最大公約数を求めての仕掛けも必要なのだと考えます。


 

2014年12月17日水曜日

イルミネーション⁉

 12月も半ばを過ぎ、街中がイルミネーションで賑やかさを演出しているようにも見えます。ただそこら中が明るくなると明りの有難みにかけるような気がしてきます。

 40十年ほど前に新宿の高層ビルラッシュが起き、それまでは暗いイメージのあった駅の西口側に高層ビルが立ち並ぶことにより、一躍副都心ブームがあり、そんな中三角ビルと呼ばれ脚光を浴びているビルがありました。

 1階のフロアにジュエリータウンと呼ばれる宝飾街が作られ、今では考えられない十数件の宝石店が軒を連ねておりました。連日、日本中から人々が訪れTVなどのメディアも来ない日はないのではというような状態でした。

 そんな中で一際目を引き話題になったのが、全長3メートルのクリスマスツリーでした。それは飾り付けが各店が持ち寄った宝石をあしらったもので、ジュエリータウンの中ほどの広場に設置をされておりました。

 総額5億円(当時の新社会人の給料が7万から8万円)のこのツリーは一番トップに20ctsのダイヤモンドをあしらい、ルビーやサファイアなどの宝石を各店が競って出店したものを飾ってありました。勿論全国から人々が押し寄せただけではなく、連日のニュースの話題でもありました。

 その中の一店舗に私が入社した会社のショールームがあり、トップに飾られた20ctsもそのショールームからの物で、華やかさが今でも目に浮かびます。多くの子供達が目を輝かせていたのは勿論の事、大人たちもカップルも同じように憧れの視線を送っていました。
 

 宝石が憧れであったことは、今でも変わらないし、宝石自体も何ら変わっているわけではないのです。ただ取り扱っている人々の考え方や接客の仕方が時代とともに変わり、展示会場の周知の中でクレジットを組み、テーブルの上に計算機を出し、大きな声で値引き説得をする姿は以前とは違ってきました。

 以前はクレジットを組み方が少なかったという事もあり、それらは別室の目立たないところにあり、交渉はいかにも優雅に、値引きの声は小声かテーブルの下で数字を出しておりました。つまり、憧れの宝飾品に似合わない状況はその場に表さないようにお客様に配慮を第一に考えていたような気がします。

 しかし、現在は、お客様の考え方も変わってきています。そんな特別な物とも考えていないでしょうし、それほど憧れているようにも見えません。結果的には多くのお客様の手の宝飾品が渡り、業界にとっても首の皮を繋いでいる環境もあることも事実です。

 これらの変遷がイルミネーションのように有難みを希薄するようになるのか、どうか?また、宝石の輝きを曇らせるのかどうか?結果は現実なのかもしれません。しかし、光の有難味は少ないほどあるような気がします。
 

2014年12月16日火曜日

ブラジル産ダイヤモンド⁉

 先日も書きましたが、ファンシーカラーダイヤモンドの価格の高騰が続いていますが、多くの場合、新しものより以前からあるものがオークションへという事になっているのですが、最近やけにファンシーカラーが出回っている印象を受けます。

 元々日本市場では価格は高くても評価が受けにくい物でした。ここ数年日本で売り出されたファンシーカラーが流失を続けていましたが外国人は日本での低評価を知っていましたからかなり安い値段で手に入れ海外での販売を行っていました。

 既に時効だと思いますので一部お話をしますが、30年少し前になりますが皆さんもよくご存じの予備校の理事長がファンシーカラーばかりを集めておられました。当時にして、約5億円ほどのファンシーカラーダイヤモンドを10個前後お持ちだったと記憶をしていますが、今の価値にして10億円前後で、なんだ2倍くらいかというなかれ、当時の為替相場が1ドル300円前後ですから、今の為替で計算をすれば6倍くらいになる計算です。ましてや当時はオークション価格ではなく小売価格です。

 最近では日本においてもファンシーカラーや大きいサイズを集めて将来を見据えている方達も増えてきましたが、日本のお金持ちも国際化してきたという事でしょうか?特に中東方面の資産家たちは将来の子供たちの為に(石油が枯渇時)グループを組んでファンシー買いを行っており、香港の市場を熱くしています。

 しかし、そんなにファンシーカラーは何処からくるのかというと実は多くの人々が枯渇をしたと思っているブラジルです。あまり多くのニュースにはなりませんが、それには理由があります。

 1725年ブラジルでダイヤモンドが発見をされるのですが、当時ブラジルを統治していたポルトガル王室が独占宣言をしており、一時はダイヤモンド発見により値下がりを恐れ、その前の主産国であったインドより輸出をしておりましたが、その後、改宗ユダヤ教徒を中心に移民が始まると、アントワープに向けて原石が運ばれるようになり、ダイヤモンドの主産国として名を挙げていきます。

 主な産地はミナス・ジュライス州、マヒア州、マットグロッソ州とあるのですが、特にミナス・ジュライス州は現在でも宝石の取引のメッカとしてブラジルの中心をなしています。その中のジアマンチナはDiamontinaと書きますがダイヤモンドそのままの地名が付いているくらい過去にはダイヤモンドラッシュの中心だった訳です。

 現在では宝石の鉱山や採掘は国からの免許制になっていますが、ダイヤモンドを目的とした採掘業者たちはアレキサンドライト等の採掘申請を行ってダイヤモンドの採掘を行っています。しかし、そのほとんどが違法です。それゆえ多くの場合は秘密裏に原石はエクアドルやパナマなどへ密輸され、インドやイスラエル等研磨地に運び出されます。ここにも多くのインド人やユダヤ人が活躍(暗躍?)している訳です。つまり、公になっていない理由がそこにあります。

 ブラジルでは勿論一部の白いダイヤモンドも採掘をされていますが、ピンクなどやブルー・グリーンイエローなども産出をされているようです。いずれにしても、ファンシーカラーのダイヤモンドヒーティングはさらに続く様子を見せています。ダイヤモンドである限りはバブルになることは考えにくいのです。何故なら耐久性がほぼ永遠だからです。他の資産を考えてみてください決して永遠のものはありません。

 これから再びブラジルがフォーカスされる機会が増えるかもしれません。
 

2014年12月15日月曜日

格差再来⁉

 選挙も終わり、自公の圧勝という書き方をしているメディアもあります。街頭のインタビューを見ていると、特に若い層が『投票に行かないのも政治に対する表現だ。』とか言っている事が気にかかる。

 確かに若いうちは格好をつけるのもあるけれど、これで一党独裁的な社会主義化が進むかもしれないとも危惧しています。勝ち組と、負け組とか格差社会という表現を現代は使っているが、今考えると私自身が社会に出た頃にはまだ今ほど情報もなかったといこともありますが、投票率も低く、常に自民党が勝利し、官僚たちが次々と政治家に鞍替えをしてした時代でした。

 あの頃の格差は考えてみると今以上の格差があったのだと考える事が出来ます。学生から最初に入った世界ですから当たり前のように考えていましたが、今になってみるとそうだったのかと考えます。

 日常的に数百万、数千万円の宝飾品が、そして時には数億円の宝飾品が売れる事が特別な事とは考えてもみませんでした。当たり前だったのです。しかし、一方で庶民が婚約指輪に0.1ct以下の指輪を購入するのも目にしていたものです。

 現状がこのまま進むと、この頃の再現がやってくるような気もしますが、今の宝石店には其れくらいの品物を集める力はないでしょう。高級時計の数千万円の物が売れているのはその前兆なのかもしれません。

 その前提としては、どこかにお金が偏らなければいけません。平等に分配という考え方にはならない方が宝飾業界には良いのでしょう。格差社会こそが業界の運命を左右するのかもしれません。
 

 負け組の人々が戦わずして、負けた今回の選挙は投票をした一部の団体の勝ち組に今後は社会が委ねられるのでしょう。業界にターゲットがはっきりしてきた今回の選挙だったような気がします。

 宝飾品は綺麗ごとを言わなければやはり成功者や金持ちのものです。多くの人々の手元に少しでもダイヤモンドを・・という考えでやってきたつもりもありますが、やはり価値のあるものは有償になることは当たり前の事で、そこにたどり着こうと努力をした人のみが得られるものが宝飾品なのです。

 勿論、心の底からそれを望んでいるわけではありません。

2014年12月14日日曜日

究極⁉

 昨日、リフォームの仕上がりを取りにご来店をして頂いたお客様と御来店のきっかけとなった話となり、彼女が
『存在は知っていたけれど、入りにくいお店と思っていました。』
と多くのお客様が口にする言葉を発し
『本当は私、色石のほうが好きなんですよね。でもこちらの店頭には色のついたダイヤモンドが沢山あるじゃあないですか。其れでついついお邪魔をしたんですよね。』

 お年のことを言っては失礼ですが、30歳前後の彼女はカジュアルな格好がお好きで
『私はいつも汚い恰好でふらついているので、どちらの宝石店さん行っても、百貨店に行ってもあまり、相手をされないんですよね。』
と大して気にはしていないけどと言いたげにお話しを続けました。

 彼女は色石が好きで、むしろ曇っているくらいの色がはっきりと出ている石が好きだと言っていたのですが、
 『こちらに伺って、ファンシーカラーのダイヤモンドをみていると。ダイヤモンドの輝きが色をさらに鮮やかに見せてくれるんだと感じました。』
と私自身がしてやったりと心で声を出しそうな言葉を繰り出してきました。

 自然の物は何かの対比があって更に彩が鮮やかになるものだと説明するとともに、ダイヤモンドのその典型で色があるから輝きが落ちるというよりむしろ輝きが究極のダイヤモンドの色を演出してくれるということを話をすると
 『私はダイヤモンドが輝いているだけでむしろ色をごまかしているものだと思っていました。』
と彼女、
 『そうではなくて人工的な光は確かにダイヤモンドの反射が強すぎてという部分もあります。けれども、自然光は本当の色を示してくれるし、自然の強い光はむしろダイヤモンドの力強さをアピールしてくれます。』
と私が言うと
『宝石の究極は輝くということが基本で色は二次的についてくるものだということですか?』
と彼女
『色は感性に訴え、輝きはときめきを与えてくれます。つまり、イルミネーションみたいなものでまずは輝きがあり、興奮をし、色を見て落ち着いてきます。』
と小生の持論の展開ですが
『ファーストコンタクトには輝きが究極で、色はその後好みにも影響をされるものです。だから輝きよりも色が重要というわけでないんです。宝石は・・・。』

 その後もしばし、年末オーストリアに行きオペラを観るという話や北欧のオーロラの話をし、最後には美術館よりも自然博物館のほうが好きという話になり、私自身もそのほうが好きですよと言うと
 『人工的なものより自然が好きなんですね。それでお互い頭を使うものより本能で感じるものが好きなんですね。』となり、年末の挨拶をしながら彼女は店を後にしました。

 実は前日にご来店を頂いたお客様とも同じような話があり、同じく百貨店の宝石サロンでは失礼な応対をされるといっていた方がおりましたが、それなりの経済力をお持ちで共通することは興味を持っている方向が違い、華やかのジュエリーよりも自然な宝石の姿が好きということでそれ以外にはあまり価値を感じないという方たちです。

 長い間このビジネスをしていると石好きの人はすぐにわかります。ついついお持ちになってほしくて利益を全くではありませんが、考えずに販売をして周りからヒンシュクを買うこともあります。

 本能で感じることの出来る感性は動物の原点だと考えているので、宝石を本当に好きな人には悪い人がいないと言う事と、必ずそれなりの価値がその方たちの周りに集まるという風に感じています。

 派手だけが好みの人の周りにはどうかと思うジュエリーが沢山集まっています。宝石は本能で感じ見ることが究極だと改めて考えさせられました。
 

2014年12月13日土曜日

税金⁉

 今年の注目ポイント一位は『消費税』だそうですが、年金資金や社会福祉に目が向いて、止むを得ないと多くの国民が思っているわけですが、前回の3%引き上げの資金の90%が公務員の賃上げと国会議員の歳費再引き上げに使われたことを考えるとさらに2%を上げて、何かの役に立つのかと考えます。更に公務員の年末のボーナスが16万円ほど上乗せという事です。

 確かに1000兆円を超える債務があることは十分に解っています。しかし、資産に触れてこないのは何故だろうと考えます。一説によると約850兆円の国家資産が我が国にはあります。それゆえに日本の円は未だに信用がある訳です。

 さらに言うと民間を含めた海外資産が200兆円、これは世界第一位です。さらにこの二年間だけで考えると円安によりこれらの資産は50兆円前後は増えたことになります。勿論、米ドルで換算をするとそうはなりませんが。

 その上でここまでの負債はなぜ増えたのだろうと考えてください。1000兆円越えの借金は過去のもので未来に対するものではないので、消費税を上げる事により、将来の年金資金になる訳がありません。勿論社会福祉にも回りません。それ以外で絞り出したほうがよっぽど利口です。

 前にもふれたことがありますが、借金の殆どが税金の無駄遣いとは言いませんが、政策の失敗によるものでリーマンショックでの損失の9兆円やグリーンピアの失敗の1兆何千億円を代表するように、役人や政治家の怠慢が多いのです。

 一方、世界でナンバーワンの相続税は50%からさらに上がって55%になろうとしています。欧州の一部の国にも相続税はありますが、あの米国では0%です。更に所得税の税率に関しても世界トップクラスの37%にもなります。その他法人税に関してもアメリカに次いで世界第2位の高さです。

 つまり、多くの資産家が海外に拠点を移すべく理由が整っているという事になります。以前大手サラ金の御曹司が資産を香港に移したという事で脱税騒ぎになりましたが、理解が出来るような気もします。

 庶民には関係ないと思わないでください。働いたり、日本に住所がある人々にとっては何らの形で持っていかれているお金です。消費税という本当はあまり大きな問題では無いところに目を向けられて最小限の批判で抑えられているように感じます。

 トータルからすると世界でも最も大きな税金を払っているのに恩恵が政治家と役人と公務員にしかないのです。さらに言えば政治家なり、役人と特別に近い関係のある人々という事になります。

 今回の円安においても株高においても増えた国家資産については一切触れていないのも気に入りません。不安を煽りながらお金を集める手法はツボ売りの宗教商法と一緒です。展示会でのパワーストーン売りなぞは可愛いものです。

 しかし、宝飾業界はやはりお金を持っている人々へのビジネスであることには変わりはありません。生臭い言い方になるかもしれませんが、お金を持っている人々にいかに価値のある物を理解して頂き、購入してもらうかに切磋しなければいけません。

 選挙が明日に迫りましたが、これ以上の格差を望むのか(宝飾業界に関してはこちらの方が良いが)、将来の国の姿を改めて考えるのかを決める時期なのかもしれません。

 これ以上政治家、特に役人にドラえもんのように、金の出る打ち出の小づちを預ける必要なないような気がします。

 ちょっと言い過ぎましたが宝飾業界の人々にはぜひこの意味を理解して頂きたいと思います。

2014年12月12日金曜日

市場開拓⁉

 1940年代に始まったシンジケートによるキャンペーンは1960年代に入り、日本にも広まり定着をしました。それは米国では給料一ヶ月分、日本では給料3ヶ月分という相場でした。これは当時の為替差による換算です。

 お解りだと思いますが、ダイヤモンドの婚約指輪の相場でした。このキャンペーンでもわかる通り、ダイヤモンドの価格は常にUSドルベースで考えられていた事を示しています。これらのキャンペーンは高度成長とも重なり、日本の文化ともなりました。

 この事がダイヤモンドの市場を押し上げ定着させていきましたので、当時の宝石商の名誉職というものは国会議員どころか大臣まで誕生をさせました。結果的にはそれなりの地位なりレベルの人々との交流も多くなり、市場の多くは富裕層に集約をされていました。

 現在よりも格差は大きかったのかもしれませんが、憧れのダイヤモンドには一般の人々も興味を持ち、さらに、成功をしたらとかボーナスを手にしたらとか一つの証としてダイヤモンドや宝飾品を見ていたことが宝飾業界の発展の要因でした。

 昨今では婚約指輪をダイヤモンドでと考える人も少なくなり、下手をすると婚約指輪さえも考えないという若い人が多く現れてきたという事を耳にします。

 本当でしょうか?

 実は結婚をしたくてもお金がないとか、他に使いたいとか、それこそ別れるかもしれないのに・・といったネガティブな気持ちが男性の中にあることが大きな要因だと考える人もいます。私自身もその事に関しては同感です。

 それでは今後という事になりますが、実際には多くの女性が宝飾品を持つことに対しては憧れを持っています。ただ現在の宝飾品そのものにはそのレベルの物が少ないように思われます。最初から高年齢を狙ったもの造りとかTPOを考えずにデザインをされたものとか、言ってみれば畑を作らずに種をまき、蒔いた種以外の実を収穫しようとしているように見えます。

 つまり、市場に文化を造り、使用場所を造り、そしてTPOにあったデザインを起こし、提案をするといった工程はやはり必要なのです。しかし、以前のシンジケートほど圧倒的な力を持った組織は存在をしませんので、これも難しいとなる訳です。

 現在格差があるといっても実際には勝ち組に所属をしている人々は大なり小なり存在をしています。例えば多くの金融機関や輸出産業のOL、そして何よりも公務員と定期収入と高所得が安定をしている人々も宝飾業界を活気付けるだけに十分な人々もいます。

 実際にこれらの人々へのアプローチは出来ているのかというと必ずしも出来ているとは言えません。まずはこの人々の習慣なり、関心事なりを分析するなりして、そこに対する企画なりがもっと必要なのではと思います。

 数十年前であれば今と環境の違うお医者さんや資産家はかっこうのターゲットでしたから、常にそちらを向いた企画が行われていました。例えば海外にご招待をしたりとか東京で普段では出入りの出来ないような迎賓館的な建物でのお食事会にご招待をしたりとか、宝飾業界も力を持っていましたのでそれなりのことが出来たわけです。

 その頃のようなパーティーや晩さん会的な事とは言いませんが、現在の時節にあったような企画はまだまだ沢山あります。まずは手を抜かずに市場造りをすることが大事なのではと考えます。多くの業者さんや催事屋さん達は市場を創造した経験がありません。過去の遺産にぶら下がったような事を続けていてはと危惧をしています。

 
 

2014年12月11日木曜日

数学の答え⁉

 今、数学少年の高橋広翔(ひろと)君が日本数検2級に受かり話題を集めています。君というより『ちゃん』と言った方が良いようなまだ7歳ですが、彼がこう言っていました。
 
 

 『数学は間違った数を入れても答えは出てくる。新しい数学を考えることが出来れば最初その数が間違っているかどうかが解ると思う。』
と無邪気に言っていました。

 最初意味が解らなかったのですが、明治大学の斎藤教授が
『算数や数学は日常生活にあり、数字はその代わりに過ぎない。』
と言っているのを聞いて、『アッ、なるほど』と感じた訳です。

 つまり、日常的に言われる結果が良ければそれで良しという考え方がありますが、視点を変えれば結果が出ていても、必ずしも正解ではないということを差しているのでしょう。

 7歳の少年ですから、日常的なその辺の大人の事情を分かっているわけではないのですが、斎藤教授の解説を聞いていると理解がしやすいと感じました。

 先日、私も参加をさせて頂いてる地方の展示会のお客様が将来オーストラリアに移住をしたいという事で、私が参加を予定していたオーストラリア大使館でのクリスマスパーティーに主催者の許可を得てお誘いをし、参加をしていただきました。

 すでに事業に成功を収めている方とは知っておりますが、運の強さにはビックリさせられました。彼女は一枚の参加者についてくるラッフルを片手に
『社長、私は運を試したいんです。だから、この一枚で私の欲しいあのオーストラリア産の高級シャンパンが当たれば良いんです。』
彼女の目の先にはラッフルの景品である高級シャンパンが一本燦然と輝いておりました。

 多くの参加者は入場券に付いてくる一枚のラッフルチケットの他にチャリティーを兼ねたラッフルチケットを購入し、人によっては30枚も40枚も手に入れる方も多くいらっしゃいました。因みに一枚500円でした。

 ラッフルの抽選が始まり進む中、順番に他の参加者が景品を手に入れるたびに『私は他のものはいらないから気にならない』と言い聞かせながら、とうとう最後のシャンパンになりました。

 『最後の高級シャンパンは・・・・。』と進行役をを務めていた俳優の柴俊夫さんがこちらの方を見ながら
『せっかく北海道からの参加ですから当たると良いですね。』と言いながら笑顔を彼女の方に向けておもむろに抽選箱の中に手を入れて引いた数字は
『64番です。どなたかな?』
彼女は満面の笑みを浮かべながら
『私です‼』
と大きな声。柴さんは思わず
『えっ、本当に?』
と大きな声。

 運というものは呼び込むことが出来るのか、どうかはわかりませんが何とも言えぬ気分でした。2百数十名の参加したパーティーでのことでした。

 こういったことも実は数学で答えを導くとこが出来るという事ですが、それを解くのが新しい数学という事になるのでしょう。

 彼女がそのあと言った言葉が気になりました。
『社長、宝石の展示会はああいう売り方でなければいけないんですか?』
『どうゆう事ですか?』
『私たちも商売をやっているので解ります。』
つまり、彼女曰く、わざわざ高い価格を付けて大きく値引きをしている事への疑念です。

 『お客様にはそれを喜ぶ人がいるかもしれないけれど、私は馬鹿にされているみたいで嫌だわ。』と最後の言葉。

 これは冒頭に書いた答えは合っているけど元の数字が間違っているという事に当てはまると思いませんか? つまり、売れるという答えは正解かもしれないけれど元の売り方という数字が間違っていると求める真の答えが出てこないという数学です。

 数学というのは検証するもので、答えを出すものではない。冒頭の広翔君の言葉はそれを差し、斎藤教授の解説はその考え方を説いたものです。それにしても身の回りに多くの数学があるものだとういう事と算数はそれ考える基礎を学び、数学でその考え方を学ぶ事で、決して数字を学ぶ事ではないと感じさせられた昨今でした。


 
 

2014年12月10日水曜日

値上がり⁉

 昨日、大手牛丼チェーンが値上げを決めました。食料品等も次々と値上がりし、これが政府の狙っているデフレ脱却というシナリオであるとしたら少しおかしいのではと思います。

 つまり、インフレに向かう事自体が悪いとは言えませんが、今回の値上げに関しては、多くの企業努力の結果で耐え得ることが出来なくなった結果なのです。それはコストが上がり利益を圧縮した中での値上げですから、何処も潤う事がない訳です。

 前回も書きましたが、以前であればこの理屈もあっていたかもしれませんが、それは日本に多くの製造業が残っていた時の話です。どのような形になっても国内の中での値上がりですから、国内のどこかが潤っていきます。

 簡単に言うと物価全体に上がった時に率を保っている分には利益の金額自体は上がります。しかし、今回の値上がりは企業努力の結果、利益率を減らしながらやってきた訳ですから余裕のある値上がりではなく生死をかけたものです。

 今回の値上がりがデフレ脱却の要素になっていると思っていたら大きな間違いだと考えます。つまり以前は材料や燃料のコストアップではありますが、加工費や付加価値益分は残り、利益率が同じ限り利益額は残ります。しかし、現在は完成品の輸入が多くなっていますので、円安にしても国内には一切の利益が残りません。

 値上がりは消費者を苦しめ供給者を苦しめ、挙句の果てに国を苦しめる結果にならねければと思います。かの財務大臣の言う『ほとんどの企業は潤っている』という言葉はないを差しているのだろう。自分尾知っている大手の企業を差しているのなら、もう財務大臣を辞めた方が良いのではないだろうか。統計で今回の円安で潤った企業はわずか3%にも満たない大手だけという政府機関の発表があったばかりなのに・・・。

 昨日のニューヨークで円が121円から一挙に117円まで上昇をした事を考えてほしい。決して日本の政策のせいではなく、他国の政策の方がより影響をすることを物語たっています。

 現在のダイヤモンドの値上がりは一部の特殊サイズとカラーだけですが、特徴として為替相場で考える事はやめた方が良いでしょう。あくまでの世界プロダクツと考えるべきで、以前であれば国内市場の8割近くを占めていた婚約指輪ですが国内相場での販売であり、為替相場は大きく国内メーカーの利益を左右していましたが最終市場にはそれほどの影響はありませんでした。

 現在は婚約指輪市場は大きく後退をし、市場全体としても収縮状態にありますが、前述のダイヤモンドに関しては財産保全やある種の投資を目的としたものですから、為替込ではなく取引通貨であるドルで考えておいた方が良いでしょう。

 ある意味では円安のために外国人バイヤーが以前より高値を出して、国内で買い付けを考えていますので、現時点では国内のダイヤモンドビジネスに良い風のように感じますが、実際には国内市場にダイヤモンドが少なくなっています。

 少なくなっているといってもやはり誰もが欲しがらないところに関しては余っています。これも以前のまやかしグレードのせいで実際に見て綺麗ではない物が多く残っています。改めて目で見て綺麗なものが一番良いという当たり前の事を感じます。そして、綺麗であれば値上がりはあまり関係がないといっても良いでしょう。

 なぜなら必ず欲しいという人が現れるからです。

 

2014年12月9日火曜日

総選挙⁉

 今月の総選挙も盛り上がらない中、またまたやってくれた感のある麻生太郎財務大臣。
以前から失言癖のある人ですが、今回の失言に関してはあきれ返ってしまいます。第一の矢『年金年金ってゆうけれど、子供を産まないことが問題だ。』第二の矢『金融緩和、円安で日本の殆どの企業が潤っている。もし、そうでないのなら経営能力がよっほど無いか、運が悪い。』さて第三の矢はどうなるのであろうと考えます。

 この人の脳味噌は何処についているのだろうといっても、この人を選んだ国民がいる訳ですが、本当にこの人が良いと思って投票をした人はどれくらいいるのだろうか?生まれながらの財閥育ちで初立候補で関連企業や取引関連だけで票を集めてきた人です。資本主義の典型的な政治家です。

 彼に幾ばくかの政治能力があれば別ですが、総理大臣にまでしてしまう国民の責任はやはり大きいのではと考えます。投票率が下がり、利権を前提とした人が中心に投票をしているのですから、いくら良心を持った選挙民が投票をしても結果に結びつきません。

 彼らが相変わらず当選するようであれば、このまま円安は進み、外資が多くを占める株価が上がり、日本の財産はさらに海外流失をし、国内でも資産家の資産はさらに増え続け、格差が広がり、多くの国民は役人と政治家のための税金を納めるために働くことになりはしないだろうかと考えます。
 

 私見ではありますが、一番言っている事がまともな野党は日本共産党だとは思いますが、彼らも本気で政権を捕ろうとは微塵も思っていません。思っているのであれば共産党の看板を下ろすでしょう。ロシアや中国などの共産主義の看板は既におろし、実質的には覇権主義であり、それこそ帝国主義的な彼らが対峙をしてきたはずの形式をとっています。古いイディオロギーを捨てる事が賢明でしょう。

 そう言っていると投票をするところがないという悲劇になり、諦めがちになりますが、方法として自民党が一番嫌がるのは共産党の躍進です。共産党が政権を取ることはひっくり返ってもあり得ませんから批判票として共産党を選ぶのも一つの投票意義があるかもしれません。

 AKBグループの総選挙は投票用紙をCDなどの購入により手に入れ、投票をします。此処こそが原点です。多くの国では600億を超えるといわれるような選挙費用は掛かりません。それはボランティアにより国民の参加により選挙が行われるからです。つまり、日本国民は自らの財布からCDを何枚も買うのにそれについている投票用紙を活用しない無駄遣いをしているようなものです。

 選ばれる人はダイヤモンドでなくてはなりません。ダイヤモンドに見えるブランドに付いたクリスタルガラスを購入している人たちばかりでは中身のない価値と見かけ倒しの見栄だけになってしまいます。ダイヤモンドには完全なものはありません。しかし、ダイヤモンドとしての価値は間違いなくあります。

 今世に出ているダイヤモンドは選挙で選ばれるよりも稀有な存在として市場に出ています。しかし、それを手に入れる事により間違いなく人に幸せなり満足感を与えてくれています。政治家はそんな存在でなくてはならないと思います。

 優秀な政治家は清廉潔白だとは思っていません。人間なのだから当たり前だし、政治家としての能力があれば良いのです。歌舞伎役者として素晴らしくても人間として如何なものかという人もいます。しかし、彼のジャンルは歌舞伎役者として皆を喜ばせることです。政治もそうです。

 ダイヤモンドもいい加減なグレードは影を潜めつつあります。それはグレードで販売をするところが減って来て、ダイヤモンドそのものの価値で販売をするようになったからだと考えています。

 政治は総論です。そして各論が行政です。各論に合わせた政治を行ってきた日本ではありますが過去の行政には総論がありました。皆の投票により、総論としての国の在り方を考えても良い時期ではないでしょうか。

 明日の日本を変える準備が出来るのは若者たちです。

 明日の準備は今日しかできません。

2014年12月8日月曜日

円安とダイヤモンド⁉

 小生の好きな言葉に以前にも書きましたが
『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日。』
という言葉があります。

 これは別に4次元の意味でもなければ5次元の意味でもありません。単純に準備について語った言葉です。現在は過去の結果で明日は現在に過ごし方で決まるという事になるのです。

 現在円安が続いていますが、これは勿論先日の日銀緩和や年金資金の投資が大きな要因ですが、過去には円安により日本の経済が伸び、高度成長を遂げたことも事実ですし、円高によるデフレが起きていたことも事実です。

 しかし、現在はそうなのだろうか?  何のための円安なのか?

 輸出企業が良くなるといっても、現在は多くの企業が海外生産であるし、実際には国内でも架空の財務内容が少し良くなるだけで、グローバル企業となった大手にとってはあまり大きな影響はないはずです。

 ましてや実際にはここ1,2年で円の価値が海外的には2~3割減っているわけですから、誘導による円安ではなくて既に日本売りが始まっていると思った方が良いのではないかと思います。裏にはもっと姑息な意味があるのではないかと勘繰ってしまします。

 ここ数年、増え続けている海外資産。これは良い事ですが、一方で日本の資産家たちが資産を海外に移しにくくいなっています。これは封じ込めではないかとさえ思ってしまいす。

 ダイヤモンドに関しても以前の1ドルが80円前後の時には投資用としてのダイヤモンドを買い時として皆さんにお勧めをしてきました。現在ではその後考えると決して諸手を挙げてお勧めをするわけにはいきません。

 勿論ある程度の時間を考えたり、そのほかの対処を前提に考えるのであればまだまだダイヤモンドをお勧めしますが、今がその時かどうかは日本売りが始まった感のある現状ではちょっと待った方が良いような気がします。

 いずれにしても、現在の政治家や官僚のレベルで悪戯に相場をいじってほしくはないと考えます。今、国が変わろうとしているが、外的要因によって変わるのではなく自らの手によって変わっていく選択が必要です。

 将来の日本をどうするか?過去の選挙への無関心が現在の日本を創っています。
以前
 『投票に行かないのも意思の表現だ』なかなんといっている輩も多かったし、現在も多いのであろうと思うのですが、それは間違いです。

 現在の日本の姿は明らかに過去の国民の政治への無関心が作った姿であり、将来の姿は今の我々の政治への関心によって創造されるわけですから、増税による将来への備えも大事ですがそれ以前に将来を任せる政治家を選ぶのも大事なことです。

 選挙に行きましょう。意思を示しましょう。自分たちの未来は自分達で決めましょう。

 選挙に行きますか?
 

 国民辞めますか?
 

 将来を捨てますか?
 

2014年12月6日土曜日

年末のダイヤモンド⁉

 ダイヤモンドの値下がりが続いていています。
と言っても国内においては為替が円安の為にむしろ、上がっているように見えますが、それ以上に問題は現在の国内に本当にお金を持っている人にとっての買いたい物がないという事です。

 勿論、世界のマニュファクチュアの工賃が上がり、研磨を控えている事もあるのでしょうが絶対数が足りないはずなのに価格が弱い訳です。何故かというと以前のようにシンジケート一社が価格をコントロールしているわけではないことは何度も書いていますが、市場原理の行き過ぎた現象があるのだと考えられます。

 つまり、ダイヤモンドに関してはグレーディングシステムを見てもわかるように、シンジケートの作ったロジックで価格が構成されており、グレーディングシステム自体もそれに比例をしておりました。それゆえ、上がる時は全体的に上がり価格が停滞するときには全体的に停滞をしておりました。

 しかし、現在は多くのサプライヤーが参加をしているために、市場原理が働いており、必ずしもロジックが成り立っているわけではありません。つまり、需要の多いところは高くなり、需要が少ないところは価格が弱くなります。

 その結果、金持ちが望むところは少なくなり、庶民が買える範囲のところは経済の悪い時期は価格も弱くなります。つまり、現在のように格差が広がる状況にある環境が成立すると現在のように3cts以下が価格が弱くなり、5ctsUPや特殊なファンシーカラーのところは価格が強くなります。

 つまり、以前は多少のお金を持っている人も多くいたので3ctsと言えば十分な金持ちの持ち物でしたが、現在の金持ちにはスーパーが付きますから3cts以下には興味がないという事で、その結果として半端に値が上がったダイヤモンドのところには購入層の谷間が出来たといことでしょう。

 お金持ちは、将来のありそうなダイヤモンドにはお金を出しますが、半端なところにはお金を出さないという事です。しかし、庶民にとっては高根の花ですから価格が下がっているとはいえ手が出ないところなので結果的には価格が下がるという事です。

 クリスマスシーズンに入った米国ですが、売り上げは好調ですが利益を減らしています。感謝祭以降も以前ほどの急激な売り上げの伸びはありません。ブラックフライデーと言われるクリスマス商戦の初日は何時になく静かなスタートになりました。

 アメリカは伝統的にクリスマス商戦で売り上げの半分近くを売り上げますが(特にジュエリー業界)、今年は売り上げは上がっていますが、ディスカウントを含めた過剰な市場サービスのために
利益を減らしているところが多くみられます。

 値引きを前提と出来ないブランドや有名店においても設定プライス自体を下げたシーズン商品を提供し、やはり利益を下げています。一見好調に見える米国の経済状況ですが、ウオール街で働く、友人の話によるとリーマン前夜の予感がするそうです。

 現在の自動車セールの好調さの陰には、あのプライムローンが存在し、以前は住宅で行っていたクレジット方式を車に当てはめているようです。資本主義の元祖であるアメリカであるからこその環境ですが、慎重さが要求されます。日本においても最近の株価の値上がりは外資によるところが大きいので、巻き込まれることは十分に考えられます。

 結論から言うと、もしリーマンの再現が起きるとしたら、ダイヤモンドと地金は値が上がることになりますが、価格差はさらに広がりを見せる事になるでしょう。年末は過去にも何度かダイヤモンドの異常な値上がりが起きています。

 もう少しの注視が必要になるでしょう。
 

2014年12月4日木曜日

過程と結果⁉

 勝負の世界で『勝負には勝ったが、試合には負けた。』といった言い方がありますが、これは結果は良かったが、内容が良くなかった。つまり、過程が良くなかったという事になる訳ですが、ビジネスの世界では結果が全てという考え方をする人も多々います。

 勿論その考え方を否定をする訳ではないですが、ブランド品にも長く携わっていると『売れれば良い』という考え方は馴染みません。長い間業界においてもダイヤモンドに関してはグレードが出ていればよいという考え方をしていた人々も多かった為に怪しげなグレードも多く横行をしてしまい、結果的に大手の鑑定機関が閉じる事になったり、百貨店からはじき出されたりしてきました。

 ブランドについて述べた時に二つのブランドの話をしました。一つには米国型のシンボルマークとしての大手ハンバーガチェーンやフライドチキン系のブランド、あとは欧州や日本型の長い間時間を掛けて創り上げてきた『ノレン』としてのブランドです。

 つまり、本来のブランドはそこまで来た結果としての過程が認められてのものと先にマークとして創り上げ、広告宣伝やメディアを使ってのものとに分かれます。つまり過程と結果を区別したものです。勿論結果求めたものとしても過程として創り上げた先駆けがあってのもので、そこへ照準を合わせたものであることは間違いがありません。

 市場でいえば前述したように売れれば良いといい考え方から、危ない売り方をしているところもままありますが、宝石のように長い時間を考えるものには合わない売り方といっても良いでしょう。

 京都の老舗を例にとれば、漬物作りを長い間こだわりもって、同じ過程を経て、同じ材料を使い、手に入らなければ作らないといった哲学が消費者に認められて、数百年の歴史を築き、ノレンとして成り立ってくるのでしょう。

 これらをどのように考えるかは其々の生き方でしょう。しかし、結果オーライの仕事の結末のあおりを食うのが消費者であれば、いずれその結末のしっぺ返しが来ると考えます。その場限りや、でまかせ、まやかしの商売が全てとは言いませんが、結果だけを求めるビジネスはそういった類のものが伴います。

 スポーツの世界は結果が全てで良いでしょう。しかし、ブランドや宝石のビジネスは信用の構築の上に成り立っています。現在危ない宝石の売り方をしているところも過去に構築された信用の上に成り立っています。それを食いつぶしながらのビジネスはいずれボロが出ます。

 それまでに稼げば良いと考えるのも生き方だし、厳しくても頑固に哲学を守るという考え方も生き方です。どちらも肯定も否定もしませんが、結論としては『ノレン』というブランドは過程を大事にしてきたものであることを否定はできないだろうと考えます。

 一方、結果だけを求める手法は時短、合理的といった考え方ができる反面、大事なものを忘れなければいけないという面もあります。勿論、それぞれですが・・・。

 結果が全てという考え方は少なくても私には難しいかもしれません。

 

2014年12月3日水曜日

ダイヤモンドで伝えたい事。

 昨日、展示会場にて、先日お求め頂いたダイヤモンドのペンダントが出来上がり、お渡ししました。前回お会いしたときにお悩みが色々とあり、伺っているときにお顔が暗く感じたので、

 『ダイヤモンドは心のスイッチですから、気持ちを切り替える意味でもダイヤモンドを身につけることを考えてみてください』といった類のことをお話をしました。

 色々とお話をした結果、オーバル型のダイヤモンドをお求め頂き、プチペンダントを作成する事になり、その時はお喜びになり、お帰りになりました。

 今回出来上がりを取りにおいでになったのですが『来るまでの間購入したことはうれしいけれど初めてのダイヤモンドで高額品を自分で買うのは初めてなのでドキドキしながらきました。』とおっしゃっていました。

 普段はパートをしながら過ごしていらっしゃる方なのですが、収入に見合う事なのかどうかを悩んでいたようです。

 出来上がりのペンダントを手にされたお顔はいきなり輝き初めて、私に促されて試着をしてみると
『ワ~、すごい気持ちが盛り上がります。』
と言いながら鏡に見入っていました。

 実は彼女と前回お話をさせていただいたときにお顔が曇り、なやみを抱えているような雰囲気をしておりました。実際にダイヤモンドはお顔のレフ効果がありますので、その事には触れずにお勧めをしてみたのです。

 『社長、実は私、この間来た時には親戚のことで悩んでおり、どうしようかと思っていたんですけど、社長に勧められたので買ったんですけど、買ってよかったです。』
とのこと。

 前回お勧めしたときに感じたことを話し、今身につけたときのお顔とは雲泥の差ですよと伝えると、すごく喜び、
『支払いの心配をしていたんだけれど、今はサアー頑張って働こうと言う気持ちです』
とお話になり、晴れ晴れとしたお顔をなさっていました。

 『身に着けてみるとテンションがあがり、何で悩んでいたんだろうと言う気持ちです。』
と高揚をしっぱなしで
『実はダイヤモンドは購入したときの喜びよりも,その後のほうが益々上がるというお客様が多いんですよ』と伝えると首を立てに振りながら満面の笑顔を浮かべておりました。

 その場限りの言葉ではなく、裸石のままでお求めになる方たちは実際に購入後に喜びを伝えていただくことが多く、そのことも私の喜びのひとつになっています。

 たった一つのエピソードですが、私がダイヤモンドを通して伝えたいことの意味をご理解していただき、私自身が幸せを感じた一場面でした。

2014年12月2日火曜日

本質と擬似!?

 物事には本質と擬似があります。言葉としての表現としてはあってはないかもしれませんが、今度の衆議院選挙を見ていてどうしても合点がいかないものを感じます。

 何故だろうと考えると政治家が変わって国政が変わるかどうかということです。戦後の復興の際にはとてつもない原動力となった行政の力が変質をしてしまっているのではないだろうか?

 多くの国民が思っていることではありますが、政治家変わっても日本は変わらないという感覚です。これは悲しいことですが政治家は表面上の現象で、本質的には役人が日本を動かしているということです。

 そして、留まっている水は必ず腐ります。行政改革が叫ばれて数十年になりますが、いつも改革半ばにしてなし崩しになります。何故だろうと考えたときにやはり役人が国を動かしているからだろうと考えます。そして、それがわが国の本質であり、その本質が変質をしてしまったということでしょう。

 一見政治家が色々な政策を出すごとに政治が動いているような気がしますが、実際には先送りにしたり、廃案になったとしても大きく日本が変わった意識はありません。政治が本質的な改革の役に立ってはいないからだろうと考えます。つまり、今の政治は単なる疑似なのです。

 現在の多くの業種にも感じることですが、表面上の結果を求めるあまり、それぞれの業種の本質的な役割を忘れたり、その業種であるからこそやってはいけない手法を使用したりといったことが目に余ります。

 
 宝石の価値観はいつも書いていますが、大半は付加価値観です。その付加価値観を演出するのが宝石商の役割であり、信用ですが、業界に多くの祭事屋さん達が参加をするようになると擬似宝石商が展示会場に多く現れてきているような気がします。

 保証の出来る内容ではないことに保証という言葉を使用したり、絶対という言葉を連発したり、消費者の決定要因に左右するような言葉に根拠のない一言を多用したりと傍で聞いていてハラハラするやら怒りを覚えるやらで、嫌気さえ感じます。

 本質については『ノレン』(ブランド)について、述べたように本質的なこと、つまり変わっては本来の価値が無くなり、意味が無くなる内容を変えてはいけないのです。宝石に関しては信用が全てですから疑似的手法を使ってはいけないのです。

 二重プライスなどもその典型的な例ではありますが、セールストークの内容次第では詐欺にも値するようなことになります。実用的に使うものではないだけに慎重でなければなりません。

 国のあり方にしても。仕事のあり方にしても、目指すものは本質に沿っていなければそのこと自体に意味が無くなります。つまり、各論は総論に沿っていなければいけないということですね。