ページビューの合計

2010年12月28日火曜日

ダイアモンドの原石

 よく、能力があり発揮できていない人の事をダイアモンドの原石に例える事があります。
それは、自分でその能力を理解しているのではなく、周りの人間が発見する場合が多く、
自ら『私はダイアモンドの原石です』とは言いませんよね。

 他の力により磨かれて初めて輝くという意味では確かにダイアモンドの原石の比喩は
あたっているかもしれません。
 なぜなら、ダイアモンドも本来は美しさゆえの価値ではありませんでした。

 硬いというだけの価値であったダイアモンドの原石は後に磨かれることによりその真価
を現わしてきました。その後ダイアモンド研磨技術の進化によりその価値は一段と増してきて、
その輝きは宝石の中でも群を抜いた美しさです。

 しかし、面白いもので輝きが増すごとに必ずしもその物の輝きを好まない人が出てきます。
つまり、研磨技術の進化により細かな煌めきが増え、その煌めきが人によっては
『ギラギラしてあまり好きではない』という人も出てきます。

 ダイアモンドの原石には色々な形をした物があり、その形によりどのような形に研磨をするか決められる、その際にはいかに効率の良い経済的な形にするか(如何に重量を多くとれるか)
も考慮の上、決めれれます。しかし、重量がとれても形として美しくなければ、また内胞物が
多く含まれていると価値も下がります。

 内胞物を避け、美しい形がとれ重量もそこそこに仕上がる事が一番良いにですが、必ずしも
そうはなりません。またそのように仕上がってもその先の研磨技術によりギラギラして『嫌だ』
と前述のように言われる場合があります。勿論そのギラギラが好きだという人もいますが・・・。

 形、重さ、内胞物の有無の考慮、ここまでは現代技術でコンピューターである程度結論を
出すことができます。問題はこの先に嗜好的価値を左右する問題が出てきます。
 それはダイアモンドにどれくらい面を施すかとか、微妙に角のアングルを変えたほうが良い
等の見た目の問題です。勿論、多くのダイアモンドは大きな物はそんなにありませんから
見た目にさほど一般の方は気がつかないかもしれません。(供給側の理屈です)

 最終的に出来あがる研磨されたダイアモンドは必ずしも研磨師の思惑で仕上がる訳では
なく、あくまで原石の形、つまりダイアモンドに研磨させられているといった方が良いのかも
しれません。

 人にも同じことが言え、研磨師である指導者や上司の都合で能力が引き出されるわけ
ではなく、あくまでも原石である本人の要素や性格に合った指導方法をとらなければ素晴らしい
能力が開花するわけではない。

 『部下は上司の信頼を失っても仕事で取り戻せるが、上司は部下の信頼を失うと仕事で取り戻すことは出来ない』
という言葉がある。

 研磨師は原石を間違った方法で研磨するとその損失は大きい、しかし、ダイアモンドは
ダイアモンドである事に変わりはない。

 前回の心技体の項で述べた競技者たちは良い研磨師似合ったのであろう。いずれにしても上司であれ、指導者であれ最終的には原石たちに育てられているという半面も確実にあると思います。
 『ダイアモンドの原石』の例えは真理なのかもしれません。
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿