仕事柄30年ほど前よりイスラエルに渡る機会が多くありました。
というより、仕事場の多くがイスラエルだったので仲間のほとんどがユダヤ人であり、
彼らの宗教であるユダヤ教には当初は戸惑うこともありました。
ユダヤ教にはシャバット(安息日)があります。彼らの生活の多くはユダヤ教の経典である
『トーラ』に従っておくられています。
『シャバット』とは金曜日の日没から土曜日の日没までの間で、季節によりその時間も異なります。
金曜日の日没より一切の労働をしてはならないとされており、彼らはその時間を過ぎて帰宅、料理、掃除を含め全ての労働といわれるものを行ってはいけません。
『シャバット』中は家庭で静かに読書をしたり、休養をとったりして過ごします。ホテルのエレベーターなども自動的に各階どまりになり、指定階のボタンを押すなどの一切の労働になる事を行ってはいけないようになっておりました。勿論、電話に出る事も労働になりますのでほとんどの場合つながる事はありません。
ここで皆さんも疑問に思われる事と思いますが、紀元前にはエレベーターも、電話もありませんから紀元前に書かれた『トーラ』にそんなことが書かれているわけはないと考えるでしょう。ところが全ての時代に合うように原理原則がそこにはあったのです。
労働とは行動を起こし、二次的作動や行動を起こさなければならない作業を指します。つまり、エレベーターのボタンを押すと機械が作動します。また、電話の受話器をとるなり、通話ボタンを押すと通信がつながります。これらを指して労働となるわけです。ですから昔であれば農作業をすれば作物ができ、収穫することにつながります。勿論、現代において全てを明確に分けることはできませんが・・・・。
休息をとる事や次の変化を起こさせることを制御させる意味でも『安息日』をとることは人類が自然と上手く共生するには必要な原理原則であるような気がします。それは以前に述べたスピリチュアリティーにも共通するものでしょう。
必要な分だけの資源を確保し、それ以外は保全する意味でも休養日があり、量、質を含めて変化させない事も変化しないことも人類にとっては必要な事だとも思います。
難しい事を云いましたが、物においても石油のように材料となり二次的物質に変化し、消費されていくものと原型のままダイアモンドのように残されていく物があります。しかし、前者は変化して初めて役に立ち、消費されていきます。ですから、使い方も考えなければなりません。
強引ですが、石油は『労働で』ダイアモンドは『安息日』です。両方とも必要なものであり、皆が『安息日』の重要性をもっと理解してほしい考えています。
安息をとることは自然を守ることにもなり、自らの鋭気を養うことにもなります。
『シャバット』とは元々自然との共生とスピリチュアリティーから生まれたものだと考えます。これらは我が国の神教にもつながる考え方で『八百万の神』自然の中のすべてに神が宿るという考え方にもつながるものと思います。
ダイアモンドは人の気を静めたり、鋭気を促したりと人の気持ちに語りかける事が多くあります。それらを感じる感性を持つことが人間にとっての原理原則であるような気がします。
あえて言いますがダイアモンドは何も変化はしません。その周りにいる人の気持ちが変わるだけです。しかし、人類誕生以前から存在してきたダイアモンドが人類の感性に何らかの影響を与えてきたから現在も人類とともにあります。
本物とは『不変』の原理原則の中にある心理で二次三次と変化していくものではないということだと思います。時代とともに変化する物に本物はないと極端な事を云うつまりはありませんが、そんな気がします。
現代にはあまりにも偽物が多くあると思いませんか?そして、あまりにもそれに浪費をしていると思いませんか・・・・?
本物は習慣も物も残るということでしょうか・・・。
『安息日』……とってみませんか?
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