相手にとって足りないもの、必要なものを渡して対価を受け取るのが
ビジネスの基本です。
でも、その前に足りないと思ったり、必要だと感じてもらわなければビジネスの根拠になりません。それを感じさせる手法が必要です。横文字でいうマーケティングですよね。
それは物心両方に言えることで、ある時は食料品屋であり、ある時は宗教であるわけです。
つまり、物資であり、文化であり、環境であるわけで自然に起きうる足りないもの、必要なものであればビジネスの形成に問題はありません。しかし、それでもそこに何かの差がなければビジネスで勝つことはありません。デザインであったり、価格であったりするわけです。必需品に差が出れば売れるという単純な理屈になります。これを一次的ビジネスとします
環境ビジネスは以前はありませんでした。
でもみんなが『地球は危ない』と叫び始めるとエコビジネスが生まれる。
『肥っていては健康に悪い』と皆が言い出せばダイエットビジネスが生まれる。
『将来に不安がある』と言えば占いビジネスが流行る。
つまり、これらは宗教に近いものがあり、人心の不安や不信を揺さぶることにより、
何かを足りなく感じさせ、必要だと思わせるマーケティングです。これはあえて言えば
仮想市場である二次的ビジネスです。(本来、必要かどうかは別ですが・・・・。)
宝石はどうすれば必要だと思われるのだろうか?
相手が『足りない』『不安を埋めたい』と思ってくれ、それを解決するのは宝石だと思ってくれなければ売れません。しかし、そんな対象の物ではありません。
宝石のビジネスは一次的でも二次的でもありません。しかし、何千年の間続いている
ビジネスである事は事実です。宝石は足りなくも必要でもないかもしれません。
ではなぜ?
一次的、二次的問わず本物である必要はありません。食べる事が出来、着る事が出来、ましてや気持ちがまぎれれば良いとというレベルであればという部分があります。
宝石である条件として美観性、希少性、耐久性、携帯性、換金性という条件があります。
これらは何も宝石だけに当てはまるものではありません。
長い時を超える物という事に関しては本物でなければ残りません。それはそのもの自体に価値があると同時に周りが価値を感じなければなりません。それは物だけではなく老舗といわれるお店であったり、技術であっても同じことが言えると思います。
宝石は人類より長い歴史を持ち、自然から生まれた唯一の物です。つまり、足りないものでも
必要なものでもなく一緒に存在して当り前の物です。あえて言えば人間がいつも意識をしていなければならない感性の存在です。
ダイアモンドを見て『かわいい!?』 とか 『ドキドキしちゃう!?』という方がいます。この感性は見ていて不思議な感じすらします。
何故か懐かしい感じすらします。
本物を素直に見る感受性だったり、感性の豊かさを感じます。
結論から言うと人類に足りなくなった物を教えてくれる存在が宝石であり、本物であったりするのでしょう。
時代を超えて本来あるべき姿を教えてくれるものが本物であり、その象徴的なものにダイアモンドがあると考えています。その姿がなくなった時には何も生まれなくなります。
素直に本物を理解する目を持ち、見極める事は大げさにいえば人類の将来を左右すらするのではないかと思います。流行り物が悪いのではありません。それが本物である事を願っているだけです。
現代人はあまりにも見失ってきた物が多すぎる気がします。
今一度、本物を見る目を養いたいものです。
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