ページビューの合計

2015年2月2日月曜日

根源は⁉

 人質解放が悲惨な結果となり週末はどのメディアも日本ジャーナリストの殺害を報じており、それらの報道を見ていての違和感があったのは私でけでしょうか?

 政府の対応、自己責任、宗教上のねじれ等々沢山の意見がそれぞれの中東専門家なる人々が出ていて、もっともらしいことを解説はしていたと思います。しかし、人を殺める事に関しては建前の一般論では世界中が 否定をするでしょう。

 一番多く出ていた意見は「テロに屈してはいけない」これが一般的でした。しかし、それ以降の議論になると「彼らの理屈を理解しなければいけない。」とか「根源は欧米諸国にある」等々の意見が出てくる事が不思議に感じたわけです。

 今回の件を単純に拉致監禁殺人事件と捉えるだけでは不十分なのだろうか?その根源となった社会背景や歴史を考える必要があるのだろうか?と考えるのです。

 
 勿論、彼ら評論家の意見もわかるが歴史を見ても、そのような考え方では何も解決はしないのだと考えます。何故なら、所詮アメリカにおいても英国での貧困にから逃げ、カウボーイの魂を主体とした価値観が前提となっており、形は違えど、現代のイスラム原理主義者と行っている事は同じであり、貧困に立ち上がった武装集団が自分たちの理屈で資本主義に反旗を翻している図は全く変わり映えはしない。

 彼らの正義が通ったとしても、社会主義化し、いずれは今の中国の様に資本主義化をし、今のアメリカやイギリスのような自分たちの理屈を通すようになり、自分たちと融合しない物たちに関してはやはり排除を始めるのでしょう。

 連鎖を断ち切るには事件の背景を理解することはヒューマニズムとしては理解が出来るが、それと同時に絶対的抑止力を持たねければ、弱者が何時も犠牲になることになるでしょう。

 ヒューマニズムも大事ですが、それは国や人種によって価値観が違います。宗教によってはもっと価値観が変わります。それを誰かが理解をするのではなくみんなが理解をするという事は不可能です。

 最近起きている多くの若者が起こしている事件の背景をゲームが台頭し、現実の世界とバーチャルな世界の境目が理解できなくなっているという意見も一般論ではあります。しかし、現実にゲームが蔓延り、インターネットが張り巡らされ、それ自体が進歩の要になっていることも事実です。それを拒否することはできないのです。

 つまり、恐ろしい意見として取っては欲しくないのですが、匂いではないので元から考えても意味がないのです。その場で抑止力を堅持し、一方で絶対的罰を与える事が必要です。

 物事は善か悪か、否定か肯定かは別にして過去の歴史の失敗や成功の結果、現在に至っており必要なものとして残っています。必要悪という言葉がありますが、その場で悪であってもその後で善意なることも多くあります。宇宙であれ、地球であれ、人類であれ、何事にも根源はありますが形がそのまま残ることもありません。また、シーラカンスではありませんが必然性があればそのまま残るのです。

 ダイヤモンドに関しても、ただの石ッころが資産にもなる様な時代です。以前にも書きましたがそのダイヤモンドが原因で人の殺し合いも起きました。タダの石っころと思っていたら何も起きませんが必要悪であったとしても、それを悪とするならその対処を考えなければいけません。ダイヤモンドはその闇の部分より人々の暮らしを照らす部分が多くあるので現在に至っています。

 根源は変える事が出来ません。現在への対処が常にベターな方策です。人は今に生きていますから、今生きる術や対処が必要なのです。それが抑止力であればそうでしょう。其れの方法が厳罰なのであれば、それも必要だと考えるのは世界基準なのです。勿論、日本の基準があっても良いのですが、世界はもう繋がっています。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿