ページビューの合計

90,426

2015年2月5日木曜日

ダイヤモンドと人間関係⁉

 ダイヤモンドはご存知の通り、結晶構造は等軸晶系ですがこの意味は原子同士の距離が一定であり、共有結晶(電子をそれぞれの原子が共有している)こともあり、強固なつながりを持ちます。

 しかし、一定の距離を持つという事はある意味欠点でもある訳です。つまり、一定の距離で固定をされているのである方向から衝撃があると非常にもろいという特性も持っている訳です。カットはその特性を生かしてする訳ですが、それゆえに光学性に優れ、光を一定方向に向ける事も出来る訳です。結晶が複雑なほどもろくもなりますが、一定の方向に潔く劈開する事はないのです。

 人間関係にはお客様と売り手、友人、知人、夫婦、恋人、親子と色々な形態はありますが、どれも共通していえる事ですが、其々にあった距離があるという事でしょう。どの関係においても相手をコントロールしようとするともろく、堅密でいようと思うがあまり、簡単に深い溝が出来たりするものです。

 怒りというものは相手をコントロール出来ない苛立ちであり、それによりぶつける罵声は何とかコントロールしようとする断末魔でもあります。つまり、親子関係であったり、上司と部下の関係であったり、大きな声を出して怒鳴る行為というものは優位に立っている人間の未熟さであり、それに対して、泣いて見せたり、しょぼんとして見せている側もその場をコントロールして終わらせる手段として用いている訳です。

 話しは逸れましたが、多くの有機体の物(人間関係を含め)は結晶構造を持ってはいません。ダイヤモンドや他の鉱物のように一定の距離を保つことはむしろ関係が絆として強くなることはそれぞれにも思い当たる節はあると思います。学生時代の仲間は長い間あっていなくてもそれなりの絆があるものです。それは普段どれくらい密に連絡を取っているかは別問題です。その丁度良い距離にいる訳です。

 ビジネスにおいても必要以上に距離が縮まったりしたために廃業になった例もまま見てきています。お寿司屋さんの例で申し訳ないのですが
『どんなに近しくなっても、間にはカウンターがある。』
と言われた名店の御主人がおられました。懇親会でゴルフをやったり、飲み会をやったりして関係が深くなっても知り合ったきっかけがお店であればそれなりの距離があるという事を仰っていたのですが、まさにそれを勘違いしたお店は長くはないことが多いようです。

 ダイヤモンドの生成過程の様になんの関係性もなく一瞬で一定の距離を保つという例はあまりないのですが、他の鉱物の様にそれぞれの原子に対してそれぞれの距離を保つことはその関係性を堅牢にするものではないかと考えます。

 理窟っぽく長くなりましたが、人を思い通りにしたり、自分に従わせたりすることは強い武器を持つか、大きな寛容力を持たなければいけませんが、それは非常に難しいことです。しかし、大した武器もなく、大きな寛容性もない場合には、一定の距離を保つことで自らの武器で十分、自らの寛容力で十分という関係性が出来上がります。

 相手をコントロールしようと思った時点で人間関係は終わります。相手がこちらに何を求めているかを把握し、その距離で関係性を構築する事から始めて、深めていくことが全てではないにしても人間関係を造り上げていく原点ではないのかと考えます。

 最近メディアでよく『負の連鎖』という言葉を聞きます。力には力というテロに対する武力行使を指していますが、これも力による相手のコントロールを指していますが、圧倒的力があれば成就するでしょう。しかし、神(自然)は誰にもそのような力は与えてはいません。

 史上最強と言われていたダイヤモンドも例外ではなかったことは今では常識です。その事を頭に入れておけばお客様と売り手、友人知人、親子、夫婦、恋人などの人間関係も含めてうまく潤滑するのではないかと考えます。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿