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2016年2月29日月曜日

確率⁉

 人というものは面白いものでさる友人が家を購入するにあたって現在のこの金利を活かして今が買い時と考えているという事です。一方では他の友人は投資として購入するのなら今がチャンスというのです。

 私自身どちらの考えも否定するものではありませんが利益というものは目に見えるものや数字だけではなく、これ以外に自分のライフスタイルにあっているのかとか、そこに幸福感があるのかといった意味での利益がそこにはあるのかという事も考えます。

 モノの考え方にもよると思いますが見返りに何を求めるのかというのはそれぞれ違うとは思いますが人というものはもしかしたらを期待して宝くじを買い、万が一の不安を考え保険に入ります。確率的にはどちらもかなり低いのですが人はそこにお金を投入します。確率が低くても災害に関しては人はそれを大きく判断する傾向にあります。それゆえに宝くじを買う人よりも保険にはいる人の方が多いわけです。

 どちらも通常のギャンブルよりも確率が低いのですが、それでもひとはそこにお金を投入します。ギャンブルと言っては起こられるかもしれませんが、自らが起業をするという事も人生においては一種のギャンブルですがこれは自らの努力で確立を上げることができるし、周りの人が心配するよりも確率の高い物です。勿論それぞれの人柄にもよりますが・・・。

 何処に幸福感や満足感といった利益を感じるかはそれぞれですがそれによって利益の確率が変わります。しかし人は前述の例ではありませんが悪い事の方が確立を多く感じるものです。そこに金銭が絡む、これが金融の始まりなのですが、その心理をうまく利用できる人々のところにお金が集まります。宗教のツボ売り商法などもこれですが商売の基本ともいえるでしょう。

 しかし、本来の利益という野は幸福感や満足感だと思います。ダイヤモンドなどもそうですが最近金融としての話もしておりますが、基本は持っている歓びだったりそれ以外のメリットが沢山ある訳です。しかし、購入する人は後で売ることを考え、高く売れないのではとか投資にならないといった事の方を、特に高額なものをお買いになる方は考えます。

 結果リスク回避のための保険には多くのが加入し、保険業はもうかるといった仕組みです。つまり確率的には低くても不安感をあおることにより確率が高くなるような錯覚をしする訳です。

 人は実際にはもうけ話より不安話の方がお金をかけやすいのです。何に満足感や利益を感じるかによりそのメリットは変わりますので、言葉を変えれば人それぞれの人格や性格によりも利益をあがるものが違うという事になるのでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月27日土曜日

ヴィンテージ・ジュエリー⁉

 以前にも書きましたが、最近アンティークをはじめヴィンテージジュエリーの鑑定の御依頼を頂くことが多くなりました。特に展示会場でのことですが、多くの場合買取屋さんに持ちこむべきかどうかという事からですが、これも現在の買取りブームのあおりなのでしょうか。

 多くの人々の勘違いはアンティークジュエリーとヴィンテージジュエリーの違いです。これは残念ながら宝飾品のプロではないアンティークの業者さんも勘違いをしている様なのでやむをえあない部分もあります。

 アンティークとヴィンテージの決定的違いとは物の良しあしです。アンティークとは米国の法律ではありますが100年以上経った希少性の高い物という前提がありますが、物が良いかどうかには言及をしておりません。ただ近年修理で手が入ったり、サイズ等の変更をしているとその限りではなくなります。

 一方ヴィンテージ(Vintage)は元々ワイン用語でVINがブドウであり、栽培から醸造迄を指す言葉ですが、現在では特定の年、つまりブドウの当たり年で最高の環境で最高の技術で醸造をされた高級ワインを指す用語となっています。

 ジュエリーでいうヴィンテージとは特定のジュエリーが華やかりし時代に創られた最高の技術と最高の材料を使って製造をされた一点ものを指すと考えて良いでしょう。日本でいえば高度成長からバブル期にかけてといえるでしょう。世界中から最高の宝石やジュエリーが日本に集まり、皆がお金を出しても良いから良い物が欲しいと思っていた時代です。職人さんも技術の高い人たちが沢山いました。工賃が高いので多くの才能ある若者がこの世界に飛び込んでいました。

 今のように衣料にしてもファーストファッションのような経済的な洋服などは殆どなく、物が良く長持ちをするものが多くありました。勿論流行に関しては少し変わりますが良い物は時代を超えます。今のように安いから1~2年着ることが出来れば良いということではありませんでした。

 結果、私なども20年以上着ているコートがいまだにあります。結果的に言えば現在は消費文化の結末に我々はいるような気がします。あまり良い事ではありませんがげんざいの経済は其れで回っている部分も多くあるのでしょう。しかし、見直す時期にあるかもしれません。

 ヴィンテージはその点時代を超え受け継がれていくものとしての資格を十分に持ち、本来のそれぞれの役割を果たしていくものです。ジュエリーなどもその時代の技術を伝え、その時代を彷彿させるには十分な要素を持っています。最近、感心をしているものにペンダントにもなるリングでカラクリ物があります。現在では創る人が仮にいても造りたがらないだろうし、造っても工賃が合わないだろうと思うようなものを手に入れました。


後ろの造りが素晴らしく手作りとは思えない様な正確なパーツの作り方をしています。指輪部分が外れるのですが、セットしているときにピクリとも動きません。まるで一体化しているようで、とても外れるようには思えません。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2016年2月26日金曜日

デフレ?インフレ?

 前回の続きになりますが、100年前の物価と現在の物価を比べることは一概にできないのですが賃金平均だけだと約1万倍と言われています。金で4000倍ダイヤモンドで8000倍という事となりますが、インフラ等々で考えると約5000倍だという事です。

 しかし、流通であったり環境であったりするので比べることは難しいのですが、もし円の価値が安くなることをインフレと括るなら間違いなくインフレ現象ではあります。(勿論イコールではありません。)

 現在政府はデフレスパイラルなる感触を持っており、安倍さんなども『デフレからの脱却』などと銘を打っておりますが、これは些か勘違いではないだろうか?と言うより明らかに勘違いのような気がします。

 何故なら物価低迷が続いているような印象を与えていますが、そのぞれの分野での努力の結果や文化の変化による価格の低迷でもあります。つまり流通のカットであったり、海外での製造であったり、仕入努力等での価格維持でもあり、文化の変化による商品開発での安価維持であったりと、以前存在しなかった100円ショップのような多くを期待することのない商品の台頭等々いろいろな事情があり、現在のデフレに見える現象が起きている訳です。

 勿論、為替の円高によるものもあるでしょう。しかし、一方では100g1000円で買えたものが1000円で90gしか買えなくなってきている物もあります。これはインフレ現象ではなく円が安くなっているという事にも比例をするでしょう。

 今の経済現象は政治家や官僚の小手先でどうにもなるものではありません。長いタームで変化を見、極度なインフレやデフレにならないようなきっかけになる第一歩程度の事を政府が行い、後は民間に任せ、余計な事をしないことが大事なのではないでしょうか。
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2016年2月25日木曜日

現物か現金か?

 昨年、大正4年(1915年)に新潟貯蓄銀行が100年定期預金満期を迎えたというニュースがありました。1円を預金をしていた人が複利計算で年6%満期時336円という計算だそうです。なんと336倍です。しかし、現実には満期で戻ってくるのは336円です。現在のです・・・。


 ある経済研究所が1円を定期で100年で1万円。つまり、1万倍になる計算をしたところがあり、前期と同じ条件で計算すると複利で年利10%弱になるという事でした。大正4年当時の1円は現在の5000円くらいだそうですから本来であれば5000万円にならなければ実質的な預金の意味がない訳です。

 現実的には10%の金利で100年間なんてあり得ないわけですから、ここで言いたいことは短期的に見れば現金を持っている事が有利のように感じますがある一定の期間で考えると現金は目減りするものだという事を検証している訳です。

 当時の金価格は1グラム約1円30銭ほどでしたから、現在の金価格(4800円)と考えても価値には大差がない訳です。つまり1915年当時1円が現在に価値約5000円くらいとすると金はその当時の価値とあまり変わらないわけです。勿論相場ものですからたまたま現在はという事ですが・・・。 

ダイヤモンドは当時1ctで約500円くらいだったそうですから今の価値でいえば250万円位でしょから、ほぼ現在の価値に一致します。しかし現実には為替相場があり、実際には円の相場がスタートした1ドル360円を想定すると現在の115円で計算をすると金にしてもダイヤモンドにしてもほぼ3倍の価値がありますで、現物の強さを感じます。

 現物と言っても不動産のよう相場が不安定で国内にしか通用しない物と違い、金にしてもダイヤモンドにしても世界で通用します。金とダイヤモンドの資質の違いは別にして今回の検証では現金は目減りをするという検証が行われたわけです。特に今のようなマイナス金利ではその目減りスピードはもっと速いということでしょう。

 改めてお金は貯めるものではなく動かすことが本来の役割であり、それが価値であることを認識します。

 お金は血液と一緒です。多くても少なくてもいけませんが、動いていなければ致命的になります。
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2016年2月22日月曜日

継ぐこと⁉

 30年ほど前に話になるのですが、都内の百貨店を通してとあるジュエリーを鑑定してほしいという依頼を受けました。百貨店に伺うと白髪のご婦人が担当のマネージャーと応接のソファーに腰をおろしており、ドアを開けて入っていた私に品の良い笑顔を向けてくれました。

 『実はわたくしの父がロシアに赴任をしていたころに、ロマノフ一族の方から頂いたり、帰国の際に持ち出しを依頼されたものがございまして、詳細は解らないのですが是非見て頂きたいとおもっています。』とご婦人が話し始めるとマネージャーが
 『当店のお客様ですがひょんなことからお話を聞いて、ぜひ当店で展示を出来ないかと思っているんですが、詳細がわからないという事で高木さんに見てもらおうという事になったのです』
と言いながら一部商品を私の前にお出しになりました。

 一部ではありましたが、造りは勿論の事、使っている道具、ロウ材と明らかにその時代のものだろうと推察できる宝飾品が目の前に並べられました。
『当時のロマノフ王朝のお抱え宝飾業者としてファヴェルジェなどが有名です。その他にもいくつかの宝飾業者が出入りをしていたといわれていますが、職人の多くはオランダから来ていたといわれています。彼らは体が大きく使っていた工具に特徴があり、その特徴がありますね。』
と私が言うとご婦人が
 『お安く見えるものからお高く見えるものまでいろいろなんですけど…。』

 ロマノフ最後のニコライ二世は家族が多く、王族の殆どが処刑されたといわれていますが、一部の王族が逃避行し、黒海で財宝ごと沈んでいるとか、逃げ延びて北欧にいるとかいろいろな説があります。滅亡前にいくつかの予兆があったという事なので、その一部が日本に運び込まれたとしても何ら不思議はないのです。

 時代を超えた物を見る事はその時代の文化や技術を垣間見ることが出来、又それを所有していた人々の思いが感じられ、それが一族となると自分とかぶる部分を感じたりと一族のルーツに思いを馳せたりとジュエリーというものは単なる装飾品ではないということを感じる訳です。

 最近よく色々なところでリサイクルジュエリーなるものや買取商品を目にすることがあります。それらの商品を見ているとやはり時代背景が解り、なかなか面白い物です。バブル後のTVショッピングをはじめその頃の企画商品のような低品質、低レベルのものもあれば、高度成長からバブルの時期に制作されたものは素材も良質で造りにもこだわりがありなかなかのものが多くあります。

 良質なものがいとも簡単に手放されていたり、潰されたいたりすると胸も痛みます。時代を超えて文化やルーツを伝えていくこともできるメモリカードのような役割もしています。ジュエリーは単なる装飾品ではありません。本来の価値を伝え、販売する努力が業界にな必要な事なのでしょう。
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2016年2月20日土曜日

スタッキング・ジュエリー⁉

 貴石、半貴石の違いをよく聞かれることがあります。硬度を指す人もいますが、欧米の場合はダイヤモンド、ルビー・サファイア、エメラルド以外は半貴石といわれることが多く、元はと言えば貴重な宝石を指している言葉でもあり、宝石の条件が整っている石という事ですからその通りでよいのでしょう。

 勿論、鉱物的に希少性や硬度8以上のアレキサンドライトも近年加えられてきましたが、それらを5大宝石という事でこれらを貴石とするとそれ以外を半貴石という事になるのでしょう。

 半貴石も宝石ではありますが気楽に付けられるという事もあり、多種多様な使い方をされることが多いようですが、最近スタッキング・ジュエリーつまりジュエリーの重ね付け、当店のお客様の間では『ジャラ着け』なる言葉が流行っています。

 本来であれば宝石を重ね付けするとはといったお声も聞こえそうですが、ファンションも変わりスタイルも変わった現在ではそれもありなのではないでしょうか?

 勿論そんな贅沢も一つの自分磨きであったり、自分への励まし的な事もあるのでしょう。やはりそこはアクセサリーでのオシャレとは違う部分が精神的にはあるのでしょう。ダイヤモンドの重ね付けをするお客様も多いのですが、それは単なるファッションというより自分への励ましだという方が多いのは、むしろそんな着け方が今の形なのかもしれません。

 バブルの時代を懐かしみ、羨む人々もいますが自分の考え方次第では気持ちをそこへもっていき前へ進む気持ちになれるのならそれこそがパワーストーンだろうとも思います。

 半貴石は貴石ほど価格もお高くなく使い方次第ではジュエリーとしてこれほど華やかなものはないかなとも思う事もあります。時に私自身は以前フランスのジュエリーを取り扱っていたのですがそれらのデザインやカラフルさは貴石では表現が出来ない様なデザインが生まれます。

 さらにそれを重ね付けすると『ゴージャス』感満載です。現代のように少し気持ちの沈んだようなご時世にはそういったファッションが広がることが有効であるような気もします。

 ごく普通の物でも重ねてみたり、集めてみると違う世界観を持つことが出来るかも知れません。
欧米ではやり始めたファッションは既に当店のお客様の間では話題です。今年少しでも流行ると気分転換になるかもしれませんね。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月19日金曜日

桜咲くころ⁉

 通勤途中にチラホラと桜の花がほころび始めているのが眼に入ってくるようになりました。花には疎い私です。それが何桜なのかはわかりませんが春の到来を感じさせます。

 1970年代半ばにはじめてアメリカの西海岸に渡り生活を始める事になり、着いてびっくりしたのは一年中温かいと思っていたロサンゼルスの寒さでした。勿論東京よりは温かいのですが映画で見たりポスターで見る西海岸は常夏でいつもTシャツに短パンのイメージでした。

 寒さはやがて峠を越し春がやってこようとする時に何となく物足りなさを感じ、それは桜が無い事でした。北海道で生まれ育った私には桜こそが春を告げ夏が間もなく来るという嬉しい知らせだったのです。

 西海岸では短い春が終わり長い夏に突入するときは突然にやって来て、いきなり暑さが襲ってきました。しかし、通学中にいつも考えていた事はこんな環境で仕事が出来るものなのかという事でした。

 やたらに人懐っこい人々、物凄く怪しげな人、如何にも危ない人、当時のロサンゼルスは世界で一番殺人事件の多い年でした。そんな中徐々に西海岸の生活にも慣れ、夏休みにバイトでもしようかと思っていた矢先にホームステイをしていたところの父から連絡が入り、サンディエゴで宝石店でバイトをしないかという事でした。

 日本ではその仕事に従事をしていたとはいえ、アメリカに来てまでと思っていたので、最初は
『今はもうロサンゼルスの生活になれたのでここを離れるつもりはない』と言い訳として言ったのですが後日、
 『実はお前のいた会社の事を知っているというロサンゼルスの会社が働いてみないかと言っているけど…。』という連絡でした。

 これ等の行動は父がいたく私を気に入っており、日本に帰らないように画策をしているという事を後でホームステイ先の母から聞いたものでした。ホームステイ先の息子達とあまり上手くいっていなかった父は私を息子の様に接してくれた気持ちから出たものでした。

 しかし、結果的には私はロサンゼルスでダイヤモンドの仕事に携わることとなり現在に至っている訳ですが、この季節になり桜の花を目にする頃、何時もこの流れを思い出してしまいます。桜があって当たり前、無いことから始まったストーリーは記憶にも強烈にインプットされているものです。

 桜は私にとって過去へのタイムトラベルのスイッチなのでしょうね。あの日の戻れるわけではないのですが、何時もこの時期は40年ほど前にタイムスリップする事があるのです。若いうちに沢山の経験をしているとタイムスリップする場所が幾重にも重なってくるもので、その度に物語を思い浮かべることは楽しいひと時です。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月17日水曜日

ダイヤモンドの不足⁉

 世界的ダイヤモンドブランドのD社が『ダイヤモンドの価値は4Cでは決まらない』といったキャンペーンを張って3~4年経つのだろうか。元々はシンジケートとLVMHの思惑が一致し造られたブティックブランドでもある訳ですが、思ったほどの成果も上がらず打ったキャンペーンであったのですがこれも思惑外れのようでした。

 そもそもシンジケート自体が4Cを積極的に肯定をしたことはないのですが販売戦略としての米国卸組合の戦術を否定もしなかったのです。日本ではあまりにも4Cが勘違い使用をされており、可能性のあるダイヤモンドは範囲関係なく販売をしたかったDとしてはこれを覆す必要があったのでしょうが、それ以前に日本の景気も低迷し、ダイヤモンド離れが進み、思ったほどの効果もなかったという事でしょう。

 せっかくダイヤモンドの価格と4Cが切り離された時代になったのですが世界的にはそれほどの変化ではないのです。事、日本に限るとダイヤモンド自体が不足をしています。正確にいうと必要としている、需要のあるレンジが無いといった方が良いのでしょう。

 現在ダイヤモンドを買える人々というある意味では富裕層の人々でしょう。もしくは当社のお客様にも多いのですが、ダイヤモンドに並々ならぬご興味をお持ちの人々です。しかし、残念ながら大きなサイズ、希少な石となると極めて国内には少ないのです。私自身、年数回海外へ買い付けに出ているのですが、ある意味での成熟した日本のダイヤモンド市場に見合うダイヤモンドは世界の取引所にもそうはありません。

 昨年一年を見ればトータル的にはダイヤモンドの価格が下がっています。しかし、日本の市場で必要とされているところはやはり不足な状況にあります。

 ドンヨリとした状況にある業界ではありますが、業者自体の体力も衰えそれなりのダイヤモンドを海外から調達できないということもあるでしょう。しかし、海外のバイヤーたちが日本の都市鉱山(買取市場)からの調達に限界を感じ始めている状況は国内で一番需要のある1ctサイズ以下のところも少なくなってきている事を示しています。其れで間に合っている国内市場においてはもっと危機感があってもよいのでしょう。

 ダイヤモンドは需要のあるところは不足し、需要のないところには余剰があるといった状況は世界中が一緒です。世界は単に経済状況が問題ですが、日本の場合はプラス、以前から指摘をしている販売側に問題やマーケティング自体の問題があるのでしょう。

 しかし、国内外関係なくいえば、本来の宝石としてのダイヤモンドが不足していることには違いはないでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月16日火曜日

安かろう悪かろう⁉

 高価な物が良いとは限らないが、良い物は高いというのは当たり前のことだと思っていますが、日本人の中には以前から高いんだから良いのだろうという気質というか勘違いがずーっとありました。それがブランド病です。

 一方で同じものであれば少しでも安く買いたいという現代病もまたあります。そこには良いものでも安く買えるものがあるという安易な理解もあります。確かに以前から【訳あり商品につきお安くします】というフレーズはありました。そして確かに多少キズ有とか、長年在庫になっているとか、作り過ぎてしまったとか真面なものもありました。

 しかし、現在はそれを逆手に取って大量仕入れで安くしましたとか、直接買い付けをしましたのでお安くできますとかそれなりの理由があっての安売りが横行しています。

 そこで不埒な人々が考えるのは高い値段を付けてもとは良いものという印象を付けて、値引きをする事により良い品物を安く提供しているような印象を与えて販売をしているケースが多くみられます。

 簡単に言うとコストやマージンを無くしてまで他人に奉仕をする人はいないわけですから、勿論それなりのものをそれなりに売っている訳です。ただこの売り方をテクニックだと思っている輩も多くいることも事実です。勿論このやり方は犯罪の手前のやり方です。これに何かをかぶせたら完全に犯罪です。

 やはり、例外を除いては安いものはそれなりで下手をするとそれ以下のものを手にすることになるのかもしれません。

 人は良い物を見る力は誰にでもありますが、経験や価値観によってその価値を判断します。良い物だとわかってもそれなりの価値にしか感じない物もあるでしょう。またその逆もあるでしょう。

 ヴィンテージという言葉がありますが、良い時代の良い時代の技術を使ったものでユーズドということが前提で価格がお求めやすい。つまり人が使ったものかもしれないが物が良いのに安いというものです。着るものでよれたり、劣化したものを良いとは私は思いませんが其れすら価値を感じる人々がいることも事実です。

 ジュエリーのヴィンテージに関しては使用されたものでも劣化している訳でもなく、その時代にふんだんにお金と技術を投入されたものがままあります。今それを作ったらとてつもなく高くなるけれど、ヴィンテージの為にそれほどお高くはないというものがあります。

 ジュエリーに関してはまやかして作られた値引き商品ではなく造りや材料のしっかりしたヴィンテージがこれからの市場を創り出すのではないかと思っています。勿論しっかりとした検品ありきです。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2016年2月10日水曜日

更なる格差⁉

 一部上場会社の年末のボーナスが史上最高とかバブル以来とかの文字がメディアに流れたのはつい最近の事ですが、更に先日総務省から出された実質賃金が3年連続のマイナスという数字を見るにつけ?マークであります。

 つまり、一般的には賃金がマイナスであるけれど一部の会社においては年収が上がっている事を示しているのでしょうか。簡単に言うと一般的サラリーマンの間においても格差が広がっている事を示唆しているのでしょう。

 以前の格差のイメージはフリーターがいて定職者がいてその格差のようなニュアンスがありましたが、今はどこの会社に勤めるのかによるという事になるのでしょう。

 印象ではありますがダイヤモンドやジュエリーの仕事をしていて感じるのは高価の物を売ることがそんなに難しくなく、むしろ安価な物の方が売ることが難しくなってきている事です。現実に20~30万円といった過去売れ筋と言われたところを中心にビジネスをしている業者の殆どが苦戦をしています。

 これまた印象ですが、1カラット以上のダイヤモンドを普通使いにしている方ほど無理なく、仕事にしても生活にしても上手くいっているような印象があります。勿論これはタダの印象ですが・・。
 
 以前私は「不幸になる人は不幸になるべく性格をしている」を書いたことがありますが、それは言葉や行動を見ていてそう思ったのですが、性格だけではなく身に付けているものに関してもそれを感じることがあります。

 ヨーロッパなどでも身に付けている装飾品によってレストランや果ては救急車での扱いが違うという事は有名ですが、身に付けているダイヤモンドの大きさ等でもこちらが受ける印象はかなり違ってくる様な気がします。これは単に大きな宝石を身に付けているという事ではなくT.P.Oにそくして華やかに宝石を身にまとえる人々はやはり人生や生活が上手くいっているように見えます。

 展示会等で見ていてもやはり多くの業者は身に付けているものを見ていますが、一方で必ずしも様相で高額品が購入できそうかどうかの判断は難しいという事もあります。価格に対してもそれなりの価値判断をお持ちの方はやはりやみくもに値引きを要求したり、値引きによって購入をする事はありません。

 こちらサイドにおいてはやはりその辺を判断材料にしがちですからそれなりのお客様にはそれなりの宝飾品をご案内します。結果的にその方達がお持ちになる品物は良い物をお持ちになっていますし、現実に後日感謝をされることが多いと思っています。

 そういった方達は前述したように普段使いとしてスマートになさっている事もありますが良い品物をなさっていることが多いように思います。つまり、購入されたものにも格差が生じているようにも見えます。身に付け方、振る舞いというものによっての格差はますます広がっているような気がします。http://ameblo.jp/diamonrow (その場の一言)

 

2016年2月9日火曜日

お祭りが付加価値⁉

 中国の春節を迎え沢山の中国人が日本を訪れ、当社がある自由が丘においても中国のネットで広がったという事もあり、そこいら中に中国人がいます。特にこの辺に訪れるのはリピーターが多く日本での日常でブラブラ歩きやスイーツの食べ歩き、もっと驚くのはなんと美容院でのカット等なのだそうです。

 中には3~4か月ごとにきて美容院に通う人もいるそうです。中国人の間においては仕事の丁寧さとさービスが話題でもありますが、特に食については安全で美味しく心配しないで食べられることがうれしいとの事だそうです。だとしたら中国はどうなんだとさえ思います。

 ところで中国の春節のおかげで日本でのビジネスも花盛りですが、日本では日本人を特性を利用した祭りやイベントをビジネスとすることが多いのですが少し気になる事があります。

 それはクリスマスにしても、これから来るバレンタインデーにしても、あまりにも日本人そのものが買い手も売り手も頼り過ぎているような気がします。バレンタインデーにしてもコミュニケーションの方法としてという事もあるでしょうがモットほかの方法があるのではとも考えてしまします。

 日本人のオリジナリティ不足とか人に乗っかるという習性は致し方が無いとは思いますが、最近少し度が過ぎているのではないかと考えます。ハロウインにしてもいつの間にか仮装大会然としていますし、オリジナルをアレンジしていく事にかけての凄さは驚きます。

 余計なことを書きましたが、これらの騒ぎに大きな経済効果があることはメディアでも取り上げられています。つまり、付加価値が高まれば高まるほど人々はそこにお金を使うという事の原点みたいなことなのです。

 我々の宝飾業界においても過去創り上げてきた付加価値をくい散らかしながら売上を作ってきた経緯があります。種植をせずに収穫だけを行い、実がまだなっていなくとも収穫を続けてきました。

 過去日本でもブライダル、マリッジ、アニバーサリーなどのキャンペーンを張って一大イベントとして宝飾品を販売するチャンスを作ってきました。しかし、今の日本ではもう昔の話です。

 結果的にはハイソサエティーの業界であったものが多くの消費者の印象は怪しげな業界という事になっています。付加価値さえきちっと創りあげることが出来ればまた当たり前の業種に戻れるのではとふと考えてしまう春節の到来です。http://ameblo.jp/diamonrow 【その場の一言】

 

2016年2月7日日曜日

マイナス金利⁉

 黒田バズーカなる金融政策の一環としてマイナス金利が打ち出されたのですが、これが意味するところがよくわからない。この政策は政府が行ったわけではなく日本中央銀行が行ったわけですが、政府の政策とは一貫性がないように見えます。

 民間銀行が日銀にお金を預けるときに手数料がかかりますよという政策ですが、これは最終的には国民の銀行使用手数料の引き上げに連動しかねないわけです。日銀の目的は民間銀行が市中にお金をばらまくことを思惑としているのですが、企業としては製造拠点のほとんどを海外に置いていますので設備投資などの需要がありません。

 一般人としても将来的に不安を抱えていますので簡単には借りることができません。それ以上に政府自体が個人貸し付けに対してキャップ制度を設け貸し出しに関して規制をしていますので銀行にしてもクレジット会社にしても市中にお金を容易に出すわけにもいきません。

 日銀の思惑と政府の政策が矛盾をしているわけですが、金融ということを考えると一時的な刺激剤とはなりますが、現状は打ち出された一日目だけにその効果があっただけでむしろ逆に作用をしています。

 現状の金融はいつも述べていることですが、アベノミクスでいうシャンパングラス効果などやはりないことを表しています。マネーゲームの中での一つの材料でしかありません。

 話は少し変わりますが人間の性として善と悪が内在しています。しかし、本能のまま動いていたら社会が成り立ちません。そのために法律というルールがあります。しかし、法律のままの運用では時として現実的ではないことがまま起きることもありますので、時として超法的処置がとられることがあります。

 いわゆるカンフル剤ですが、最近の話題で清原問題がありますが麻薬も本来は違法ですが場合によっては医療の中で使用をされることはあります。しかし、恒常的に使用されるとその弊害のほうが大きくなるわけです。

 前回も書きましたが、宝飾業界においても値引き中毒になっている販売員がたくさんいます。本人たちは中毒であることも気がついてはいません、結果業界の崩壊につながっているわけです。

 今回の黒田バズーカのマイナス金利というカンフル剤は効能よりも中毒性を招く心配もあります。
現実的には弊害があったとしても政府が貸し出し限度を設けている法律を緩め社会にお金を供給することを容認したほうがもっと現実的な政策といえるっでしょう。

 状況が悪くなるにはその原因となる性があります。不幸な人は不幸になる性格をしています。
その要因は別にしても対策としては現実をもっと知ることが日銀にしても政府にしても必要となるのではないでしょうか。【その場の一言】http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月5日金曜日

ダイヤモンドと金融⁉

 原油価格が毎日のように1バーレル$30を行ったり来たりしています。$30を割ったかと思うと次の日には$30越えと目まぐるしく変わっています。

 需要があり、生産量があり産地価格があり、そんなに簡単に動くはずもない原油の価格が何故にそう簡単に動くのか? 簡単に言えば原油の価格そのものではないからです。根本的には金貸し業の延長線上にある金融が原因なわけで、俗に言うデリバティブ現象の最たるものでもあります。その危うさの例としてリーマンショックがある訳です。

 物創りの人が物が出来上がるまでの間に必要なお金を投資してもらいその利益から投資家に利益を還元するものが金融の基本でもありますが、現在はその上にその投資家に更にお金を出す人がいて、更にその補てんとしての保険を引き受ける人がいて、更にその保険の証券をもとにお金を動かす人がいる。

 現在の金融は殆どゲームの中のギャンブルでしかないように思えます。つまり途中からは根拠に乏しい投資ですからハイリスク・ハイリターンという事になり、更に現代のIT化が進むことによりそのやり取りが瞬時の行なわれ、瞬間的に金融が動かされることになったために、金融相場が瞬時に変化をしていくわけですが、実体経済の9倍ともいわれる現在の金融は危なさが一杯です。

 金相場にしても先物があり、過去は安定資産と言われた金にしても現在は現物だけではなく証券としての取引も多くなっていますので既に現物としての取引の率は極めて少なくなっています。

 現実に金は産地コストと極めて近い部分にあり、明らかに現物としての価値とは異なっています。つまり、市場には金融として成り立つ十分な量がありますから一のものを五倍にも八倍の内容に膨らませて取引がされると同時にその量に関係なく市場の価格が決まっていくわけです。もうコストは関係なくなっているので、その逆に安くもなる訳ですが消費物ではないのでその辺は安心かもしれません。

 勿論原油に関しては将来性や消費財だという事や供給状況を見ると将来的には価格が下がるでしょうけれど、その間のゲームにより価格の変動が行われている訳です。金にしてもそのような側面が出てきている訳でもあります。

 一方ダイヤモンドに関していえば証券化されている訳でも、先物取引がある訳でもありません。金や原油ほどの金融市場を形成するほどの量もなければ、均一質のものでもありません。ただし、金融商品としては歴史上でも最も古いものと言われている物ですからそれなりの材料ではある訳です。現に海外のダイヤモンドビジネスと銀行の間では金融の対象にはなっています。

 但し、原始的金融商品である担保としての役割が多くあったわけですが、現状金融商品の材料不足の中ではその中に取り込まれそうな勢いはあります。しかし、それをデリバティブにするほどのボリュームはありませんから荒らされる心配がない訳ではありません。

 他の金融商品はお金があれば参加を出来ます。つまり、お金があれば更なる資産膨張が考えられるわけです。しかし、ダイヤモンドに関してはそうはいきません。絶対量がありませんから、手に入れる機会や幸運があるかどうかが大きな問題になります。

 そういった意味では手にさえ入れれば一番の安定資産と言えるでしょう。ただし、ある一定の希少性や需要が必要なわけです。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月4日木曜日

ボタンの掛け違い⁉

 連日の清原関連のニュースを見ていて、よく目にするのが何がきっかけで彼は転落をしていったんだろうというワードです。どこでボタンの掛け違いが起きたのか?

 彼はプロ野球生活の中ではそれなりの結果を残したように見えているが私はそうは思っていません。本当であればもっと上の成績を上げていた逸材だと思っています。

 彼は憧れの巨人軍に裏切られ、西武ライオンズに入団をし、3割31本という成績を上げその年の新人王に輝き2年目には日本シリーズで巨人軍を負かし一塁ベース上で涙を流したことはあまりにも有名です。しかし、ここで人生が変わってしまった様な気がします。

 その後は周りにチヤホヤされながら夜に街での武勇伝は数知れず、認知している子供も他にいることも知れています。もし、彼の入団した球団が巨人軍だったとしたらどうであったのでしょうか?

 同じ高卒のスッラガーの松井秀喜を見ていればわかります。この天と地の差の現状はなにが原因なのだろうかと考えると入団した球団の規律というか本人の自制心というか環境だったのではないでしょうか。

 一見自由で豪放な雰囲気ある球団と、一方では常に『紳士たれ⁉』という規律を前面に出す球団の違いがあるのかもしれない。

 人生だけではなくボタンの掛け違いはどこにでも誰にでもあることです。どこで本来目指すものが何であり、その為にはどうなければいけないのかという事が意識できなければいけないのではないでしょうか。

 清原容疑者は本当に野球が好きだったのだろうか?本当に息子たちを愛していたのだろうか?本当にそうだとしたら今回の事件は起きてはいないだろうと思うのです。厳しい言い方をすれば彼は逃げ場をそこに求めていただけのようにしか見えないし、それを補っていたのか持って生まれた才能だったように思います。

 いずれにしても安易な情状は彼にとっても社会にとっても良くないでしょう。今回こそはメディアが安易に容認してはいけない事だと思います。何時も視聴率の為に本来は画面に出てはいけない人間を起用することがままあります。今回の事件をこれくらい取り上げるのであれば、メディアももっと責任を感じるべきなのでしょう。

 宝飾業界にも値引き中毒なるものが横行しています。本来やってはいけない事と知りながら、下手をすると悪い事と認識をしていない人間もいます。値引きをすると確かにその場は売りやすいかもしれません。しかし、本来の価値を侵害している事は誰もが認識をしています。麻薬もすべての場面で否定をしている訳ではありません。治療に使う事もあります。

 業界のボタンの掛け違いは何時から起こったんだろう。皆が襟を正す時代がやってきたのかもしれません。http://madam-g.blogspot.jp/

2016年2月3日水曜日

ダイアモンドって何!?

 今年はなんか変だなァ~と思うのは私だけでしょうか?

 SMAPの解散問題、ベッキーの不倫問題、甘利経産大臣の収賄問題、そして本日の清原元野球選手の薬物使用問題とわずか一月の間によくまあ∼こんなにニュースがあるものだという事とアメリカの大統領選挙の話題に関しても今までにないくらいの不作な候補者達が集まり、アメリカはこんなにも人材がいないのかと思うほどの状況です。

 アメリカも優秀な人材の殆どは経済界などに身を置いているので致し方が無いのかと思う反面なぜかよの中が不安な感じがするの私だけでしょうか?

 以前のような大らかさやゆとりが世の中には無いような気がします。

 古き良き時代の知り合った知人たちとの忘年会を月末に行ったのですが、その中でも特に某TV局の名物プロデューサーでもあった友人が突然彼らしい言葉で私に質問が飛びました。
『髙木ちゃんさあ~、ダイヤモンドって何?』
突然の質問に戸惑っていると
『あのね、値段が安かったり、高かったりするでしょ。それは何なの? 大きさ、品質?』
あまりにも漠然とした昔聞いたような質問だったので、何処から話してよいのか戸惑いました。

 はたと思ったのは、昔は皆さんが単純にダイヤモンドはすごいものだと思い、だから何時かは持ちたい、何時かは彼女に買ってやりたいと思う成功や金持ちになった時の証みたいに思っていたように思います。

 私は、基本は大きさで、勿論見た目で綺麗だあることが前提だし、最もよい色で無疵であれば、と輝もない価格になるけれど、予算や好みによって其々の選べる範囲もあるものだという説明をしていると
『でも今の人もそういう風に考えている物なの? 我々の時代は早々手に入るものではないと思っていたものだけれど。』
 だんだんお酒も入り、質問も解りにくくなってきた彼ですが、言いたいことは本来は何の価値なのという事を聞きたかったようです。

 私は彼に
『あなたが現役時代にたった一場面をパリから中継するのに3億円の使って話題になったことがあったじゃあないですか。あれは何故ですか?』
と私が尋ねると
『それは付加価値だよ?歌番組はあの頃沢山あったけれどうちのは他とは違い、演者なり歌手にこの番組に是非出れるようになりたいと思ってもらえるように考えていたね。』
という事でした。私はすかさず
『それですよ。それ⁉ つまり、ダイヤモンドは貴方のやっていた番組のようなことを歴史上ずーっと行われてきた訳ですよ。それで出来上がった付加価値が今一つの価値として存在するんですよ』

彼は
『でもね。今は番組造りも仕込みもちんまりしてきて、まともな番組が無いからTV離れが起きているんだよね。』
『それはダイヤモンド業界でも一緒ですよ。安易に売る為にグレードにまやかしがあったり、髙い値段を付けて値引きをしたりと、付加価値を作るための努力をほとんどしない。だから宝飾品に魅力を感じる人が少なくなってきて、ましてや宝飾品い魅力を感じていた高年齢層に足しても値引き、押し込み販売をするので余計評判が悪くなっていっていますよ。』

 彼がぽつりと
『世の中のせいにしてはいけないけど、余裕がなくなったんだね。だから余計に小さくまとまり、更に逃げ場を探すような人生を送るようになるんだね』

 彼の言葉が胸に何となくおさまり、成功したからと言って幸福感がある訳ではないという最近のレポートを思い出しました。

 ダイヤモンドって何?

 『世の中に余裕を感じさせてくれる存在』
そんな思いが頭の中をよぎりました。
 http://ameblo.jp/diamonrow

2016年2月1日月曜日

マナーとエチケット⁉

 先週末ご来店いただいた、時々このブログにも出てくる女性の建築家の方との会話ですが
『ある建築会社の社長がクライアントのところでいい加減な話をするから後々が大変な事も多い。』
という話で、内容というのは顧客から塀を高めのものを立ててほしいという要請があり、その返答を
『道路の基礎が敷地まで入っているので高い塀を立てようとするとべつに料金がかかる』
といった内容だったそうです。

 普通に考えてもあり得ない話をその場限りの言葉で顧客が解らないと思い吐いた言葉なのだろうが、宅地に道路の基礎が入るはずもないし、ましてや道路に基礎なんてある訳もないと普通に考えますが、プロが言ったことだからという事で信用をしたのですがやはりおかしいという事で彼女に問い合わせがあったそうです。

 この業界にもその場限りの説明でよく考えたらありえない説明をする営業マンもいます。消費者はプロだと思っていますからその場では信じますが、よく考えて来たらありえないと思い、それが不信感ともなっていくことが多いのでしょう。

 価格等に不信感を持った消費者は欲しいけど信用が出来ないから少しでも安く買おうと値切り倒す姿を展示会場でも見かけることが良くあります。勿論、販売側は当然ですが買う側にもマナーというものがあると私は考えています。

 自分は客なんだからわがままを言っても良いとか、自由に発言をさせてもらうといったことが良くあります。先日の展示会でも、会場で大きな声で
「ここの価格は高いから安くしてもらわないと買えないでしょう』
といった発言をしているお客様がいましたが、私はついつい
『物の価値を見定めてご本人が決めればよい事ですから、あまり、大きな声での発言は慎みましょう。』

 確かに複数の業者が入っていますので、値引き用の価格設定をしている業者もいます。しかし全ての業者がそうではないし、会場には価格に納得をしてお求めになっている方達もおられます。』お客様にもマナーというものがあるはずという意味での言葉なのですが。

 マナーというのは方法という風に訳されますが、一方同じように使われる言葉でエチケットという言葉がありますが、同じように使われる言葉ですがエチケットを訳すると作法という事になります。

 売るにしても買うにしてもマナーがあり、そしてエチケットがあります。作法というものは対するものへの礼があり、敬意があります。私が売り手にも買い手にもマナーがあるといったのは接し方があり、そこに礼や敬意を持つのはそれぞれの考え方があると思うのであえて、マナーという書き方をしました。

 エチケットというものは伴う品格という物もあるので、マナーの上にあるものだと思います。それを理解し、行えることが大事な事だと思っています。特に自らが扱う物に対してエチケットというものは必須だと思うのですが、その事が理解されている事が少ないので寂しく思う事があります。
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