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2015年11月28日土曜日

イスラエル映画⁉

 皆さんが考えるイスラエルの印象は10人中8~9人は砂漠の戦争をしている国でテロの心配が何時でも付きまとうといった印象でしょう。私は最初にイスラエルに行ってから40年ほど経ち仕事としてからも30余年ほどになります。もちろん当初は皆さんと同じような印象を持っていました。

 度重なる渡イを繰り返すうちに東京の下町を思わせるような人情だったり、みるみる発展をする姿の中でも高層ビルや近代的なショッピングモールだったり、見違えるように変わっていくイスラエルや本来のリゾート地としての海岸や世界有数の医療技術だったリと皆さんが想像をしない様な姿を沢山見てきました。

 無論皆さんが想像する姿が全くないかというとそういう事でもありませんが、世界の人々が日本人が皆チョンマゲを結って刀を差していると思っているようなレベルではないかと思います。

 芸術や科学の世界でのイスラエル人つまりユダヤ人の活躍は目覚ましいものがあることは皆さんもご存じだとは思いますが、アインシュタインをはじめ多くのユダヤ人がノーベル賞をもらっている事からもその優秀さは計り知れます。

 特に映画の世界での映画監督のスティーブン・スピルバーグやオリバー・ストーン監督らの活躍は目覚ましく、ハリウッドスターとしても古くはポール・ニューマン、エリザベス・テーラー、チャールズ・ブロンソン、最近でもメリル・ストリーブ、ハリソン・フォード、ダスティ―・ホフマン等々上げれば枚挙の暇も無いような有名ユダヤ人俳優が多くの形で排出されています。

 意外と思われるかもしれませんがイスラエルの映画も結構有名なものも多いのです。最近というよりもこの11月28日に公開されたイスラエル映画『ハッピー・エンドの選び方』が話題になっています。ヴェネチア映画祭観客賞を受賞したことから話題になっていますが、エルサレムの老人ホームでのことなのですが、発明好きの老人が他の老人を楽しませたり、希望を持たせたりするために色々な発明をしていき、最後には同じ在ホームの苦しんでいる老人が自分の選択で死を選ぶという機械を発明して上げるという物語ですが、死に対する考え方が色々であることを考えさせられるものです。

 日本でも12月上映予定の『杉浦千畝』という日本のシンドラーといわれた杉浦千畝氏を題材にした映画が封切られます。杉浦氏は戦時中のリトアニアでユダヤ人6000人に数日間でヴィザを発給しナチスの手から逃げる手助けをし、当時ナチスドイツを手を握らんとしていた日本政府に背き、外務省から免職をされたという人物ですが、戦後はイスラエル政府が彼の名誉回復に全力を挙げたという事でも知られています。

 外国人で唯一イスラエル発行の切手の図柄になっているという杉原氏に関しては仕事柄ずーっと知ってはいたのですがここまでも杉原氏のことが知られるようになってきて少しうれしいような気もします。私の印象では世界一親日の国はどこかと聞かれたら迷いなく『イスラエル』というでしょう。

 最初のテーマでもありますが映画に関しても日本を題材にしたものも多く、今回の『ハッピー・エンドの選び方』も日本映画の『おくりびと』をモチーフしているといわれています。これを機会にイスラエル映画『ハッピー・エンドの選び方』と日本映画『杉原千畝』を見てみませんか?

 イスラエルの印象が少し変わるかもしれません。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月26日木曜日

付加価値のダイヤモンド⁉

 最近とある知人から所有している30cts近いダイヤモンドの売却について問い合わせがあり、オークション等を含めての想定落札価格が知りたいという事でした。

 往年の有名ハリウッド女優にまつわるものですが、彼の希望というか想定価格と私が出した価格にはそれなりの開きがあり、多少の不満があるようで
『昨今のオークションでの落札価格を見ると高騰しているのでもっと価格が付くのではないか?』という事でした。

 もちろん最近の内容を見ると確かに高騰はしています。しかし、付加価値の部分をどう見るかによって内容は変わってくるのですが、絶対的ダイヤモンドの付加価値は大きさです。そして彼の望んでいる付加価値というのは其れにまつわる物語です。

 同じ付加価値でも中身が違ってきます。純粋にダイヤモンドとして見るのであれば付加価値はやはり大きさだし、歴史的、芸術的等の付加価値はそれをどれくらいの人間が評価をするかという事になります。

 現在のオークション市場でのダイヤモンドの高値は単純にファンシーカラーであれ、ホワイトであれ大きさでの価格です。勿論ファンシーカラーとしての付加価値はさらにという事になります。しかし、過去の有名人著名人が所有もしくは関わっていたという付加価値になると単純にダイヤモンドの実質的価格とその有名、著名人の現状での付加価値がどれくらいあるかという事になります。

 特に昨今の落札者を見るとオイル系のファンドであったり中国系の富豪であったりとどちらかというと合理的価値を追い求める人々が多く、情緒的価値で落札をしている人々は少ないように思えます。

 単なる過去の有名人でしたら、その名前を知っている世代で憧れであればそれなりの付加価値を付けるでしょうし、もう過去の人で、現代の世代に人々が名前を聞いたことがあるという程度であれば殆ど付加価値は付かないでしょう。無論その著名人が歴史的役割をはたして現状でも歴史を語る上で名前が挙げられるという事であれば別ですが・・・。

 例えば最近往年の銀幕大女優原節子さんが死去されたという事で一部マスコミで報道をされておりましたが、私たちの世代でも名前を知っているという程度でしょうが、諸先輩からしたら伝説の大女優で永遠の処女というタイトルが付いているくらいの神聖な価値ですが、我々の下の世代となると名前さえ出てこないし、更に今の2,30代になると名前さえ知らないでしょう。

 そこで冒頭の食い違いが出てくるのですが、仮に30ctsのダイヤモンドであって、その女優にゆかりがあったとしても現状ではダイヤモンドの価値とそのハリウッド女優の現状での人気だったり、知名度だったりで評価をした私の出した落札予想価格と、彼のその女優に対する思い入れの想いの差がそこになあるのだろうと思います。

 勿論それなりの付加価値評価をしたわけですが、50年以上前の銀幕スターをどこまで評価するかといえば落札者の想いがどこまで出展者との間で共有しているかという事だと思います。

 純粋のダイヤモンドの評価というものは過去現状を照らし合わせたデーターの上でしかないものですから、情に任せた評価をするべきではないと思っていますが、必要以上に臆病になって低い評価をするべきでもないと思います。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月24日火曜日

負の連鎖⁉

昨日いらっしゃったお客様の娘さんが26歳になり、自分自身が想像をしていた26歳と現状の自分が違うといっていて嘆いていたわけではないけれど、ため息をついていたとの事でした。

 確かに過去の25歳はOL生活も3~4年を迎えアフター5にはレストランで友人たいと食事をしたり、観劇をしたりしてOL生活を満喫していたイメージがあります。勿論今でも一部のOL達はそのような生活もしているのでしょうけれど、多くの現実は違うようです。

 その娘さんは芸術とは言わないけれど、ある意味特殊な職種を目指しており、現在はバイト生活で毎日チャリンコ通いということです。しかし、彼女は芸大を出、海外へもその種の勉強に行きそれなりに充実をした生活を送っているように見えます。

 彼女のような例は別にしても確かに最近のニュースを見ていても若い女性の犯罪や考えられない様な事件が多くあります。本当であればそれなりの人生を送るのだろうと考えられる様な女性たちも多いように思われます。

 世の中のせいにするとすべてが解決をしないのでしょうが、現在の社会そのもののスタンダードが違っているように思えてなりません。コンサバティブな考えといわれてしまえばそれまでですが、もう少し、本質的な物の見方をしてみたらどうかと思うのです。

 世の中がそうだからではなく、本質的な事をとして原則論はどこの国にも法律としてあるのだろうとおもいます。『全ての国民は幸福になる権利がある』といった事はどこの国においても常識でもあるのだろう。しかし、現状はどうか?性善説、性悪説で物事が分けてしまえばそれまででありますが、『総論賛成、各論反対』ではないけれど『理想は解りますが、現実的にはそうではありません。』といった声がよく聞かれます。

 本音と建て前とい言葉があるように、本音ですべてを解決は出来ないし、建前という言葉はある種の縛りであり、法律でもあるのでしょう。ただ、法律にのっとっていればなにをしても良いかというのはそうではないとおもいます。

 単に人間が生きていく上で本音で生きていく事も良いでしょう。しかし、人間生活には社会というコミュニティーが不可欠です。そうなると、目安として十代であればこんな風、二十代であればこんな風、といったようにある種の尺度があっても良いのだろうと思います。しかし、現代は意外とフォーマルが否定をされ、カジュアルが人間らしいといった事で肯定的な見方がされがちです。それは楽だからかもしれません。

 どちらも丁度よい具合になれば良いのですが、人間は都合の良い方に流れます。特に集団になるとですが・・・。

 話は飛ぶように感じるかもしれませんが、先日のパリのテロに対する対応においても本質的はものの一致を見ずしての解決なくしては、フランスの報復攻撃が当たり前のように一般的には捉えられています。しかし、9月からのフランスのISIS攻撃とされているもので一般人が三百数十名が命を落とし、そのうち九十数名が子供だといいます。

 単なる報復が事を解決するのでしょうか?一定の建前をそこにはあるという事でしょうが、その建前が間違ってはいないだろうか?確かに現実なのであろうと思いますが、それが間違っていれば負の部分は無くならないのではないだろうか。

 前段の部分とは話が変わっているように感じるかもしれませんが、理解や感じることが容易な方だけを選択していて良いのだろうか?といったことを問いたいのですが、本音で生きることもあ大事、でもそこには社会という集団がある。

 集団に流されると間違っていても否定が出来にくくなります。しかし、本音だけで生きると社会から外れる事になり、場合によってはそれが法律を犯すことにもなります。

 これ等のバランスを上手く取れなくなってきているという事が負の連鎖を起こしているのではないだろうかと感じる次第です。全てにおいてです。

 『其れが人間だから』という事になれば人間は来てはいけないところまで来てしまっているような気さえします。
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2015年11月21日土曜日

ボジョレー・ヌーヴォ⁉

 昨日毎年の恒例行事になっているボジョレーヌーヴォのパーティ―をお客様にお声がけして行いました。例年はただ単純にフランスの著名醸造家の選んだものを飲んでいましたが、今年はワインエキスパートの資格を取った事もあり、ちょっと自分自身で選んでみました。

 実際に手に入り、皆様にのんでいただくまでは冷や冷やしていましたが、今年は出来が良い事もあり、皆さんにもご好評をいただき一安心をしました。しかし、本当に今年のボジョレーの出来が良く、余分に買い求めたものを数か月おいて飲んでみようと思っています。

 ところで、当店いいらっしゃるお客様はダイヤモンドに興味を持たれている方は多いのですが、今回初めて参加をされたお客様がダイヤモンドには縁が無く、今回ご友人に誘われて一緒にいらっしゃったとの事でした。ホロよくアルコールも入り皆さんと数時間を過ごされた後は、ダイヤモンドの虜になったということで指輪をお求めになっていきました。

 皆さんのお話しを聞いていると、実際にじっくりとダイヤモンドを眺め、ダイヤモンドの話を聞く機会が無いので興味が無いというより、縁が無いという言葉をよくお聞きします。『もっと宝石店さんがフランクに入ることが出来、もっと沢山のダイヤモンドが並んでいるとよいのに・・・。』とおっしゃった言葉が印象に残ります。

 確かに展示会であったり量販店などもいかにもといった姿で販売体制に入るので多少お客様が引いているような感じもします。展示会は本来もっと宝石を楽しみ、宝石に触れ、宝石に魅力を感じ、宝石をもっと知って頂く機会でなければいけないのですが、買わないと帰れない様な雰囲気があり、どうしても足が遠のくというお客様の声を多く聞きます。

 無論売る側はそのチャンスとして展示会などを開いているのですから、当然といえば当然と販売側は考えるのでしょう。しかし、あまりにもあからさまであることはどうだろうと展示会に参加をするたびに感じます。お客様にピッタリとつき、逃がしませんよといった感じさえすることもあります。

 トレイには言われてもいない商品が並び、お客様によく『私買わないわよ‼』などといわれている販売員をよく見かけます。売りたいことは本音なのですが、もう少しスマートに頭を使った方法を考えるという事はないのだろうかとさえ思います。

 買うとも言っていないお客様の値引きの話から入っては、お客様自体が引いてしまっている事もあるし、値引きを盾にしがみ付くような販売方法の時代ではないことも理解した方が良いのかもしれない。お求めになったお客様の何倍ものお客様がその為に来なくなってしまった事実を理解していないようにも見えます。

 キャンセルが多いのもそのためでしょう。結果的にはその時に少し喜んでも、あとでは大きな面倒が起きてくるわけですから・・・。

 もう少しお客様に宝石を楽しみながら、価値をを理解して頂き、無理なくお求めになる気持ちになってほしいものです。その過程失くして値引きだけでの販売は将来の崩壊にしかつながらないと考える訳です。
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2015年11月20日金曜日

1,111cts ダイヤモンドの発見⁉

 昨日、ボツワナにて大きなダイヤモンドの原石が発見をされた事がニュースになっています。これはボツワナの採掘会社ルカーラダイヤモンドの鉱山で発見をされたものですが、史上2番目の大きさであることで注目されています。

 一番大きな原石は1905年に南アフリカで発見をされたものですが、あの有名なカリナンダイヤモンドです。3,106ctsの大きさは今回発見された1,111ctsの原石のほぼ3倍になる訳ですが、当時英国領であったために当時のエドワード7世に献上され、アムステルダムのI.J,アッシャー社により9個の大きな石と、96個の小さなブリリアントに研磨され、ブリティッシュ・クラウン・ジュエルとして王室が私的所有をしており、一部は大英博物館で展示がされています。

 さて今回の大粒原石ですがすでにタイプⅡaと判断をされており、Dカラー以上の色であることは間違いがないでしょう。今回その他にも813ctsと374ctsの原石も発見をされており、洗浄が終わり次第発表がされることになっています。

 何故にこんなに大きな原石が続けて発見をされてきたかというとダイヤモンドリカバリーマシンというダイヤモンド発見機とでも言いましょうか、それらの進歩が挙げられるでしょう。すでに人工衛星探査によりダイヤモンド鉱脈の発見にはある程度の進歩は見せていますが、これからもっとその率が上がるのかもしれません。

 現状、市場の割に大粒のダイヤモンドが足りない状況にあり、値上がりが天井知らずの状態になっています。その事自体が将来的なダイヤモンドの市場に良いか悪いかといえば、あまり良い事とは言えないでしょう。

 つまり、ダイヤモンドの大粒に関しては一部のお金持ちだけのものになり流動性が失われ、マーケットにとっては如何なものかと考えています。

 今回の原石はボツワナにおいては最大のものですから、ルカーラ・ダイヤモンド社はこれから大きな注目を浴びるでしょうし、出資者たちにとっても大きなプレゼントとにもなる訳で、ここの鉱脈から益々大きな原石が採掘される可能性が出てきた訳です。
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2015年11月19日木曜日

信用⁉

 『部下の上司からの信用は仕事で取り戻すことが出来るが上司の部下からの信用は会社そのものを揺るがす。』と以前書いたことがあります。

 先日取引先のスタッフの方から会社を辞めたいとの相談があり。内容を聞いてみると上司に対する不満というよりも不安が一番の理由という事でした。日ごろから自分は優秀だとおもっている上司に対する疑問が中心で、なんでもデーターの提出を求め、そのデーターの結末が皆に知らされることもなく、また次のレポートだったり、データーの提出を求められるとの事でした。

 本来の仕事に集中する時間が無いので結果的に売り上げなどの結果も出しにくいし、接客の時間があまり持てないという事でした。

 聞いた話をそのまま鵜呑みにすることはありませんが、一番の問題は部下が上司を信用していないという事でしょう。勿論中間管理職というものはそれなりの結果を出さなければいけないポジションですから、日々焦りもあるし、特にプライドが高ければ自分の過ちを見過ごしていくことが多いように思います。

 しかし、上司というものは単に数字上の結果だけではなく、スタッフが自分の指示を理解し、プライドを持って問題を共有しようとする環境を整えているかどうかも上司の仕事でもあります。私自身はあまりスタッフに説教をするような性格ではないのですが、注意をしなければいけない時にはしているつもりです。ただし、過去の経験から大きな声を出す管理職の多くは情緒が不安定だったり、大きな声を出すことや怒ることで自分の情緒を安定させているケースが多いように思います。
勿論自分では気づいてはいないのですが・・・。

 つまり、その事は管理職としての資質の問題があったり、何の良い結果ももたらさないことに気付いていないという事ですから、人心はどんどん離れていきます。資料やレポートが沢山ほしかったり、会議が単に多い会社の殆どは上司が前を向いていないケースが多いように思えます。

 何でもかんでも不満を言う、スタッフも問題はあります。建設的な意見であれば普通の上司であれば、多少なりとも検討をする機会をもうけますが、それを一蹴する上司もいることも事実です。
つまり、自分の知らないことは否定から入るというやつです。

 私自身も過去会社勤めや顧問などの仕事もさせてもらってきましたが、会議での問題の多くは経験の少ない上司や凝り固まった上司がそこにいて、色々トライをしたいスタッフとのやり取りです。

 多くの場合、上司の反対意見が的をはずれていたり、理由はないけど反対という理解しにくい言動です。つまり後ろ向きなわけですが、そのような上司の多くは自分が改革をしたいという矛盾をした考えを持っている事です。

 いずれにしても今回相談をしてきた方は辞職をするという結論を出しているようですが、
『給料が安くても会社に対して信頼が出来るようなところで働きたい。』
という言葉を残された事には非常に残念です。

 上司は背中で引っ張っていくもので、後ろを向きながらスタッフを監視しながら進むものではありません。どこへ進もうとしているのかも明確にしなければいけません。スタッフが行く先を理解していなければ上司の目ばかりを見ていなければなりません。それは上司を信用していないからです。

 結果が出ていない会社ほどスタッフのせいにしがちですが、実際には中間管理職である人間の力量によるところが大きいのです。まずは信頼関係を築くところから始めてほしいものです。
老婆心ながらという言葉がついつい出てしまいます。
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2015年11月17日火曜日

180度の転換⁉

 何事もそうであると思いますが、立場を変えてみると違った光景が見えてくるものです。前回の続きになりますがG20のサミット会議でテロに対する攻撃を含めた報復を全体会議でのコメントとしておりました。

 元々の原因をたどれば欧米諸国の中東政策であったり、植民地政策であったりしたのではないだろうか。これは普通に知識を持っていれば誰もがうなづく事ではあるでしょう。中東の人々からすればさんざん過去に搾取と自分たちの都合で中東諸国を分断しておいて、何の償いもなく、未だに経済的にも虐げられてきた人々の義勇軍が今立ち上がりテロといわれている行為を繰り返しているという事なのでしょう。

 勿論テロを肯定するわけでも、やり方を肯定するわけでもありません。同時に欧米諸国の爆撃や掃討作戦に対しても肯定をする訳ではありません。どちらも五十歩百歩に見えるからです。今回も多くのフランス国民が犠牲になった同胞の為に涙を流しておりました。しかし、中東においての自国軍の犠牲になっている婦女子への涙は流されてはいるように見えません。

 G20の参加国にしても政治的な駆け引きは別にしても、少なくても中国や、韓国は過去の日本から同じような目にあったという事を盾に未だに賠償を請求しているくらいですから、何故に中東への理解が出来ないのであろうかと思います。彼らの認識に立っているのなら今回のG20の決議には断固として反対をしないにしても何らかの提言があっても良いのではないでしょうか?

 それとも、普段日本に対する態度は単なるポーズなのでしょうか?だとしたら日本が『冗談じゃない。そんな話はとっくに終わっている話だ‼』といっても文句はない筈ではないだろうか。一寸暴言かもしれませんが、欧米諸国は戦勝国で、日本は敗戦国だというだけの違いではないだろうか?

 ましてや第二次世界大戦ほど昔の話ではないし、もっと中東側からの視点がこれらの争いを解決をさせるには必要ではないだろうか。まして日本は古くから中東諸国と良好な関係を築いてきたのではないか。今の日本の様なトンチンカンな事をやっていて良いのだろうか?

 テロとの戦いの準備の前にテロを起こさせない様な話し合いの場所を今となっては日本が用意をする事も出来ないでしょう。以前にも書きましたが今の日本の政治やさんたちの政治感のなさにはほとほとあきれてしまいます。もし、今田中角栄だったとしたらと考えることもあります。もし彼がいたら今日本の存在を明確にし、無駄な争いに首を突っ込むようなことはしないだろうし、彼自ら中東に出向くような気がします。

 争議にしてもビジネスにしても180度逆の立場から見る事が出来なければ、物事を解決することは難しくなるでしょう。また、相対する側の者も同じようにもっと利口にふるまう事も考えるべきでしょう。そう考えると先進国にしてもテロを起こしている側の指導者にしてもおよそ真面な者がいないという悲劇で、その犠牲に一般市民が巻き添えになっているのdす。それを考えると日本国民もまともな指導者を持っていない以上今後は気を付ける必要があるのかもしれません。
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2015年11月16日月曜日

違和感⁉

 先週末パリでの連続テロを受けて、各国でフランス国旗のトリコロールに染められたシンボルが犠牲者の弔意を表していました。日本においても東京タワーが三色に彩られ、イルミネーションが東京の夜空に映えておりました。

 そのイルミネーションを見ながらロマンティックとツイートをするノー天気な人もいれば、弔意を現し、黙とうをする人もいたようです。確かにテロは非難するべきことだし、犠牲者には弔意を示したいという気持ちもありますが、私にはちょっとした違和感があります。

 確かに今回のテロにより百数十人の尊い命が奪われました。しかし、一方で大国の攻撃により、毎日のように数百人の命が奪われたり、アフリカ諸国では内戦で年間数万人の犠牲者が出ていますが、弔意を表している様子を見たことがありません。

 先進諸国、大国の人々が犠牲になった時には各国で弔意を表し、それ以外の時には無関心という様相が何とも違和感があるのです。ここに多くの悲惨な事が生まれる要因があるではないだろうか?

 先進国と発展途上国、この言葉もあまり好きではないということもあります。一時書いたことがありますが、国連の事務総長になぜ日本人がなれないのか。それは先進国だからという理由であり、現在の韓国出身の事務総長、次の候補になっている中国人という事はこの両国は発展途上国という事です。以前の言葉でいえば後進国という事になります。

 これ等の分け方にも差罰という言葉が頭に浮かびますし、先進国の人々の驕りを感じます。テロを起こした方からすれば、『お前たちが行ったことを我々は行っているだけだという理屈にもなるのだろう。

 ダイヤモンドのビジネスに身を置いていると、色々な場面でそれらの一部を垣間見ることが出来ます。ダイヤモンドが武器の交換通貨替りをしている事は以前にも書いたし、映画にもなっているので承知の方も多いだろう。戦争や内戦が起きている国や海外ではダイヤモンドは世界通貨であり、日本においては単なる贅沢品という位置づけです。

 中国がダイヤモンドの産出国であるジンバブエを何故に手に入れたのか、少し考えればわかることです。その間日本の外交は何をやっていたのであろうか?先進各国でパーティーを開き、その国のお偉方の機嫌を取り、無駄な税金の使い方をし、本当の意味での国の役に立っているのだろうか?先進国や大国側だけを見ている外交を行っていると日本でも同じような事が起きるような気がします。

 今回のパリでのテロ事件を踏まえ安倍総理のコメントにも違和感を感じざるを得ませんでした。
『悲惨なテロの犠牲者に弔意を志し、テロに対する非難をするとともに、我が国としても断固たる戦う姿勢を示していきます。』
 テロを非難することは当然で理解が出来るとしても、戦う姿勢という文言は必要だったのであろうか?先進諸国に対するパフォーマンスであるのであればやめてもらいたいものです。

 最近の日本の政治は何とか先進諸国の仲間外れになりたくないといった悲惨さが目に余ります。日本という独自のポジションがあることを改めて考えてもらいたいものです。
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2015年11月14日土曜日

相続対策⁉

 今月の10日と11日と立て続けに大物のダイヤモンドがスイスのオークションで落札をされ話題になっています。一つは16.08ctsピンクダイヤモンドでもう一つは12.03ctsのブルーダイヤモンドでした。

 ブルーダイヤモンドは59.5億円、ピンクダイヤモンドは35億円とどちらも過去の落札で考えても記録の更新でしょう。香港の富豪が落札をしたみたいですが・・・・。

 ただ、落札者の購入理由が面白いのです。愛娘への誕生日プレゼントという事ですが、そのお嬢さんはまだ7歳という事で果たしてとも考えてしまいます。つまり、誕生日プレンゼントという事もあり、果たして贈与税は発生するのだろうかという事です。ふつうは誕生日プレゼントという事であれば発生はしないと考えるべきでしょう。日本においても婚約指輪はいくら高額でも贈与税は発生しませんが果たして香港当局の反応はいかにという事ですね。

 このようなニュースが流れる度にダイヤモンドの資産性についても質問をもらいますが、これだけダイヤモンドが換金性に優れているという事が世界中でニュースで流れても日本国内ではまだまだ不安な人が多く、何時まで経っても日本だけがこれらの金融から立ち遅れていっているような気がします。

 決して今回の様な大きな物だけがその対象になっている訳ではありません。私自身の依頼をされてそれなりのダイヤモンドを供給しております。多くは2~5ctsサイズのものですが、後々換金性の優れていそうなものを前提としておりますが、結論から言いますと換金率がどれくらいになるかというのはどれくらいの期間を持ち続けるかという事もありますが、率を別にすれば確実に換金は出来るのです。

 ただ昨今の買取屋さんのような掛け率や販売価格では消費者が危ぶむのもわかります。しかし、それらの事ををふまえても確実に換金はされています。色石とダイヤモンドはそのへんが違うといっても良いでしょう。勿論、色石に関しても貴石で非処理の宝石であればそれなりの価格で取引がされ換金はされているはずです。

 これ等の流れに遅れるか今乗れるかでは将来が変わるといっても過言ではないと思います。事情を分かっている人々はやはり大粒のダイヤモンドの購入を急いでおります。しk足、私はもっと多くの人にその機会があれば良いと考えていますので、もっと一般に知られるように努力はしたいとっ考えています。

 私事ですが最近ワイン・エキスパートなる資格を得ました。一般的に知られるソムリエみたいなものですが、ご商売にしている人をソムリエ、その資格だけをという方がワイン・エキスパートと呼びますが、最初は脳トレのつもりで始めましたが半年間の通学と模擬試験の連続はさすがに途中で
音を上げそうになりました。

 話しは逸れましたが、実はワインの世界においても投資としての市場が成り立っております。年代物のワインが一本何百万円のものがオークションにおいて落札をされ、決して飲むわけではなく将来への投資としての購入が大きな理由であると聞いております。

 あらゆるものが投資の対象になっている事を聞くとその事自体はどうかなという気がしますが。ダイヤモンドは世界で最初の金融商品です。最も効率よく、最も安全といっても良い物でしょう。機会があればもっとその内容を世に広めたいと考えています。
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2015年11月12日木曜日

宝石という名の虚像⁉

 先日の展示会においての出来事ですが、いつも顔見知りのお客様が声を掛けてきて
『社長、ちょっとだけ良い?』
誘われるままに会場内にある接客テーブルに腰掛けると

『宝石の価格ってどういう風に付くの?』
このお客様は普段からお値引きの交渉が厳しく値を上げるばかりですが、
『社長のところはあまり値引きをしてくれないでしょ。だからほかのところのものを買うことが多いんだけれど・・・。』

 お話としては、先日使わなくなったジュエリーを買取屋さんに持っていったら色石の殆どが価格はつきませんといわれたとの事。
『私は相当値引をしてもらって、5割以上値引きをしてもらったものでさえほとんど価格が付かなかったわ。』
という事での質問でした。

 まず大事な事はビジネスをしている以上コストがある訳ですからよほどの事情が無い限りはそれ以下で売ることはない訳です。当たり前のことから説明をさせて頂いたうえで、宝石というものは買った価格が価値でそれは購入者の価値であって売る立場の価値ではないわけです。

 つまり、宝石の価格はよく言われることですが、あってないようなもの。正確には価格はありますが、わかりにくい物なわけです。それゆえに買う方の価値で価格が決まる訳です。それゆえ購入者が付いている価格が高いと思ったら買わないわけですが、売る側も価格が安すぎれば売らないわけです。

 ところが往々にして値引きの販売では消費者が値引きをしてくれたからという理由で購入を決めることが多くあります。特にお年寄りに関しては顕著です。値引きを出来るという事はそれなりの価格が付いている訳ですが、冒頭のお客様曰く
『こちらの価格は高い値段が付いているから値引きをしてもらわないと買えないのよね。』
という事になります。

 つまり、値引きを中心に販売をする業者は物の価値よりも価格の値引きにより消費者の情を利用しようとする輩が多い訳です。実際にはその価値のない物をいい加減な付加価値だけを説明し、更に話し込んだうえで値引きをし消費者の情を利用していきます。

 宝石や宝飾品そのものに偽りがある訳ではありませんが、販売する側のモラルで特にバブル以降に出てきた業者にはその様子が顕著に表れています。つまり、お金になれば良いといった安易な発想のものが多いような気がします。

 宝石は本来創り上げられた価値といってしまえばそれまでですが、実際には美しいという価値があるので価格が付く訳です。それゆえ、売買相互の価格が一致したところがその価値になる訳ですが、それをどんどん崩していかれると購入側はまだまだ下がるのではないかという不安感を覚えます。

 つまり、価格への不信感が生まれる訳です。本来価値あるものもそのような販売方法をとる為に
宝石という物に不信感を持ち更に不必要なものと考えるようになり、販売が難しくなっていくわけです。冒頭のお客様の言葉を借りれば
『宝石を買うときに売っている人を信用するしかないけれど、ここの人たちは信用が出来ないのよね。』

 勿論、すべての販売員を指しているう訳ではないけれど一部の業者の為に業界自体が虚像扱いされることは心外でもあります。怒りさえ覚えるような気がします。私自身がこの業界に参加をしたころの華やかでそれなりの立場にあった業界の事を懐かしくさえ思います。

 昨今の建築業界の様子を見ていても、どの業界でもあるモラルの低下は国民性の問題でもあるのでしょうか。
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2015年11月10日火曜日

地金相場⁉

 最近よくダイヤモンドと金の質問をされることが多くあります。勿論相続対策やマイナンバー制度を念頭においてということだと思います。

 よく販売現場で
『地金は高嶺相場で安定をしています』
という言葉も耳にしますが、多くの販売員さんたちは勘違いをしているようです。

 確かに日本円で考えるとそのように思えるかもしれませんが、実はここ3年間金地金は下がり続けています。2013年いは1オンス$1、600をしていたものが現在は$1,100を割っています。そして、米国の金融緩和を考えるとこの値下がり傾向はしばらく続くと思って良いのでしょう。

 多くの人々は地金相場ではなく為替相場が円の弱含みで、その結果金価格が高値にいるように勘違いをしていますが、地金相場は下がり、円安が続いているという事を考慮していないように思えます。

 つまり、地金製品特に金製品を販売するときに最も気を付けなければいけないことは、あくまでも世界相場はオンスであり、US$であることを考慮してアドバイスをしなければいけません。g炎上地金相場は弱含みであり、今後もしばらくは上昇は難しいかもしれません。

 ところで冒頭の金に次いで質問の多いダイヤモンドについてですが、過去30年で考える限りは殆ど値下がりはしていませんむしろ上がりっぱなしといっても良いでしょう。勿論、US$での話ですから円相場を考慮すれば$1.00=¥360から¥80までの上昇という事もありますのでドルで変わらなくても4分の一までに価格が下がったという事にもなりますが実質的には円で考慮しても値上がりをしているサイズや品質もあります。

 ただ金と違うのは圧倒的に品物が少ないので相場というよりも希少性という価値が多くの価格判断を占めます。つまりそれは何時も書くことですが大きさです。勿論綺麗な事が前提にはなりますがあくまでもグレードと違い大きさは世界共通で希少性という一定の価値をあらわすものが大きさです。

 求められる方の多くが質問をする事は
『売る時にはどうすればよいのでしょうか?』
という事ですが、これは現状では街中の買取屋さんという事になりますので取引としてはあまり良い方法では無いしょう。何故ならダイヤモンドに対しては素人ですから価格が解らないので少しでも安く買い求めようとします。つまり、転売目的で引き取っている訳です。

これは価格は別にしても売ることの出来るものであることには金と少しも違わないという事です。実際には金地金も引き取る時には相場の6掛けから8掛けで多くの業者は引き取っている訳です。ダイヤモンドとほとんど変わらないといっても良いでしょう。

 但し、ダイヤモンドにおいても目安になる相場はある訳でその金額と大差なければ十分に一般の方も売り買いが出来る訳ですが、其れでは一体どこで売れば良いのかという事になります。

 勿論良心的な業者さんがいれば一番良いのですが、以前にも書きましたがシンガポールにダイヤモンドの取引所が開設をされ、現在日本版も準備をされていると聞いています。そうなるとそちらで販売が出来るという事にもなりますが、近い将来にその形に近い物が国内のは出来上がってくると確信をしています。
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2015年11月9日月曜日

ユダヤ人とダイヤモンド⁉

 以前にも書きましたが、ユダヤ人と日本人の一番の違いは視点です。

 例えば、コップを多面的に見るとどうなるかという質問に対して日本人は
『横から見ると四角ですが、上面もしくは下面から見ると円です。』
という事になりますが、ユダヤ人はグラスの中から見る事の選択をします。何故にこのような違いが出るのかというと『タルムード』などの経典の教えによるものといわれています。

 生きていく上で、不可欠なものは自然からだけでは不十分なわけですが、日本人は自然に恵まれたこともあり、また島国でもあったことにより自然の中の農業であったり、漁業などとともに生きてきました。

 ユダヤ人は国を持つこともなく、劣悪な自然環境の中で生きてきたので、生きていく手段を自らが生み出さなければなりません。つまり、価値を創り上げていかなければいけないのです。色々なユダヤ人が人口の割には多くの部門でノーベル賞を受賞しています。その事自体がユダヤ人のまさに生き方を示しているのでしょう。

 その典型といっては過言かとは思いますが、自身の仕事柄とお許しを頂きたいのですが、ダイヤモンドです。周知のごとく今や金融商品の一部としても認識されているのですが、簡単に言うと石です。

 そこに価値を待たせるという考え方よりも、このような価値があったら良いなと考えたときにそれに最善のものとしてダイヤモンドがあったわけです。つまり、自身に必要性があり、その事をかなえてくれる題材が欲しいと思った時になんでもかんでもという訳にはいきませんが、その条件を満たしてくれるものとしてダイヤモンドがあったわけです。

 金融市場における貨幣や証券は正にその代替品なわけですが、それらは物理的にももろい物ですが、国や一定の組織がその価値を保証をしています。しかし、それらの元になったものといっても良いかもしれませんが世界が認めるものとして価値を持たせ、実質的に自分たちが生きていく上でのビジネスの題材にまで仕上げたという事です。

 一方的な考え方だけではこのような形にすることは難しいのですが、人が望んでいるであろうことを探しだすことにかけての才能はユダヤ人の特徴でしょう。冒頭の件がそれです。物を売ろうとするときに日本人は売る側の効率や結果を考えプロモーションをしますが、ユダヤ人はコップの内側、つまり、買い手側の真理が条件となり、それをビジネスにします。

 例えばある日、自分がこんなものがあれば良いなと考えたとしましょう。ユダヤ人は其れなら他にもほしい人がいるはずだからこれを商売にしようと考える訳です。よく日本人の中にもこんなことをやりたいけど誰もやっていないから自分でやちゃおうと考えビジネスにして成功する人がいます。まさにそれなわけです。

 コップは外側からだけではなく内側から見たほうが本来の使用方法以外が見つかり、新たな価値を見いだすことが出来るのです。

 ダイヤモンドはユダヤ人にとっては正に自らの環境好条件を持たなかった為に創造をした究極の価値なのでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月5日木曜日

ダイヤモンドの個性!?

 先日イスラエルで買付をした50ピースあまりのハートシェイプのダイヤモンドですが、いまさら何をといわれそうですが、同じような大きさのこれらのハートでマッチングを作ろうと試みたところ、これがなんと難しいのでしょう。

 同じような大きさで同じような形をそろえてきたのにセットを組もうとすると、それぞれをじっくり見ると全部顔が違うのです。当たり前だし、違いを解っているはずなのに改めて、それぞれ生成過程の違う原石を研磨したものは違うんだと実感をした次第です。

 そしてそれらの形は消費者一人一人が好みの違いを表現するときに言葉として出される一言はおなじ内容であることにもビックリしました。

 まとめて、展示をしたところ色々物色し、お客様のそれぞれの好みによって選ばれるものは違うのですが選んだハート型のダイヤモンドに対して
『私はこの子が好みです。』
と擬人化するのです。

 ダイヤモンドの選び方に対して私はよく『一期一会』という言葉を使います。それは買付や販売を含め一度気に入りながら、流したダイヤモンドにほとんどの確立で二度と見ることがありません。それは自分の気に入るものは他人も認めることはプロ同士の場合はよくあるのですが、消費者の間ではあまりないことではないかと思っていました。

 それは、例としてハート型ですが型自体はそれぞれの好き嫌いがあるのですが、同じような傾向の形を用意した場合は消費者同士でもかなりの確立でかぶります。しかし、その中でのダイヤモンドの個性は明らかに違うのです。

 つまり、消費者同士は用意されたものを選ぶのである程度それなりの許容範囲で一致すること
理解できるのですが、その中でも好みの違いはある訳です。

 一人の消費者選んでいるダイヤモンドを他の消費者が見ていてそれほどの興味を見せなかったとします。そして、その見ていた消費者が選んだダイヤモンドをその消費者がすぐには売れないだろうから、決定は一回りしてほかのものを見てから決めようとします。

 その後、やはり先ほど見たダイヤモンドに決めたいと戻ってきたときに他の消費者がすでに購入をしていたということが間々あるのです。

 ダイヤモンドの個性はかなり違います。それと同じように消費者の個性も違います。しかし、個性の一致を見たダイヤモンドと消費者はかなりの確立で購入をされるのですが、反面気に入ったが一度考慮してみようとするとその後出会わないことがよくあるのです。

 当方が選んでライフ(輝き)の強いダイヤモンドを用意したとしても万人が気に入るわけではないのですが、最後には必ずその個性は誰か彼かに合い購入をされていきます。

 ダイヤモンドに個性は無いと感じている人々も多くいるみたいですがそれはじっくりとダイヤモンドを見る機会が無い人のセリフでしょう。販売する人々にもそのような事を口にする人がいることもさびしい限りです。

 ダイヤモンドと消費者の個性が出会う交差点が小売店であり、展示会なのでしょう。そのアレンジをする人々が販売員ということになるのでしょうからダイヤモンドを一部の知識だけで販売をすることは消費者にとってはとても不幸なことだと感じます。

 それらの理解した消費者はより一層ダイヤモンドの価値を感じ、手に入れることの有意義さを実感を持って体験し、充実したダイヤモンドライフを体感することになるでしょう。
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2015年11月1日日曜日

円いだけがダイヤモンドじゃない!?

 個性とか自らを生かすという言葉をよく聞きますが、現代の日本社会においては両極端なような気がします。前回書いたように目立ちたいとか知らせたいとかいったことに関しても流行に沿って皆が一斉に動くことによって実は目立たなくなってしまいます。

 実に日本らしい行動に反して、皆がやらないことや自分発の行動や形といったものに関しては本来の魅力であるにもかかわらず日本人が苦手な分野でもあります。日本の風潮は団体の個性として海外でも興味を持って見られますが、それは海外には無い集団行動があるからでしょう。

 個性といったものを割りと受け入れられない環境はマイノリティーが育たないといった背景になっています。実は自然の何事にも個性というものがあり、メジャーになるものは人工的な製造物が多いということです。しかし、日本人にはそれが受け入れられやすいということもあります。また、それが日本の原動力にもなっています。

 ダイヤモンドにおいても円いラウンドブリリアントが受入れられ易いというというのも皆が認め、皆が持っているものであるからということが大いにあります。それはひとつには販売側の売りやすさも4Cグレーディングが対応しているということで容易だということもあるでしょう。

 ファンシーシェイプといわれる円以外の形のダイヤモンドは原石の形自体が円のものとは違いそれぞれの個性を生かすしかありません。人工的に研磨がされ、形が決められているような気がするシェイプに関しても実はダイヤモンド自体が暗に自らの個性を生かすように後から現れた人間たちに指示しているようにも感じます。

 原石の形を生かしたファンシーシェイプに関しても磨り上った形は一つ一つが違い、やはり個性があります。それはそれを見た人々の嗜好にもよって好みがありますのでそれぞれの嗜好により選ばれます。

 よく日本人の集団行動は個々の自信の無さといわれることが多いように思われますが、もっと自分の好みや嗜好を信じてもよいのではないかと思うほど感じることがあります。ダイヤモンドのビジネスを長い間行っていると多くの人々に感じることがあります。ビジネスをしている人は円いダイヤモンドを無難に4Cで選んだり、円いダイヤモンドで大きさがあって安ければよいといった視点でダイヤモンドを扱ったり、購入する人であれば皆が持っている円で安くて大きければといったことでダイヤモンドを選び、強いて言えば購入者は美しいことを条件としますが、販売側は必ずしもそのような見方はしません。売れればよいといった観点で考えます。現在の通販などはその典型例でしょう。

 研磨する側も出来上がりに個性が出すぎるために売れるものと売れないものが出、その割には円ほどは高く売れないといったこともあり、そのために供給量もあまり多くは無いということもあります。つまり、ファンシーシェイプは円ほどは高くはないし、個性も豊かで美しさも円と違う魅力がいっぱいです。

 自然がくれた個性を最も生かしているものがファンシーシェイプであり、美しさもそれぞれのです。
本来の宝というものを考えたときに小さくても寵愛が出来る対象であり、自分らしさを表してくれるものだと思います。

 円いものにも魅力はありますがそれは難しい魅力です。もっとシンプルにj自分を信じてダイヤモンドを見てみてください。ダイヤモンドの新しい魅力や価値を見出すことが出来ると思います。
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