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2014年8月7日木曜日

巡り合い⁉

 以前に、昨年の香港ショーにおいてその8年ほど前に、自分自身が気になって購入しようとしていたが手に入れることのできなかったダイヤモンドに巡り合った事を書いた記憶がありますが、自分にとって魅力のあったものはやはり同じようにいつまでも魅力があるものだと思っています。

 4か月ほど前に展示会においてとても気になっていたダイヤモンドを今月お買い上げになったお客様がおりました。ところがその客様はその時にとても気に入っていたダイヤモンドと同じものだとは気付かれずにお求めになったもので最後まで気づかれずにおりました。

 今回は他のダイヤモンドや製品とも比べてもどうしてもそのダイヤモンドが気になってしょうがないという事で購入をお決めになったのものです。

 4か月前の前回も最初に気に留めてとても気になるダイヤモンドだとおっしゃっており、財政的事情が許すのであれば是非購入をしたいという事でしたが、その時は断念をされておりました。

 途中で当方も気づき、お知らせするべきかどうか迷ったのですが結果から言いますと購入決定後にお話をした次第です。

 巡り合わせなのでしょうか、そのダイヤモンドに関してはやはり2か月前ほどにとても気に入って頂き、欲しいというお客様があり、ただ自身で決めた半年はジュエリーを購入しないという決意が揺らぐのが嫌だと仰っており、だけれど、もし数か月後も残っていたら購入をしたいと言っていたお客様が隣の席でお茶を飲んでおられたのです。

 人間の感性というものは素晴らしいと思うとともになんとも奇妙な巡り合わせだろうと感じながら私自身しか見えないエピソードを堪能しておりました。感性の似た人同士は行動パターンもおなじようになるものなのでしょうか。

 宝石というものは何故か偶然や奇跡的なことを起こしてくれる力みたいなものを感じます。2つの例だけを書きましたが、経験から同じような巡り合いや出来事が多々起きてきたことを思い出します。

 人類にとって一人一人の人生は一コマ一コマかもしれませんが、宝石というものはそのコマを繋ぐジョイントみたいなところがあります。宝石の永遠性というものは人と人を繋ぐとともに個人そのものの過去と現在そして未来を巡り合わせてくれます。その上で世代を超えてくれます。

 宝石の永遠性は時間を超えてくれます。それゆえ処理石ではあってはいけない存在でもあります。処理石はジュエリーの素材としての役割はありますが宝石としては役不足でもあります。

 宝石というものは本当に不思議なものでその価値を感じなければそれを扱う資格も買う権利もないような気さえします。本物の価値だから起きる事があります。

 なんでも商売になればよいという時代は終焉を迎え、本物を求められる時代になってきていることを知らせてくれるような巡り合いを目の前で今回も見させてもらいました。

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