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2014年8月12日火曜日

ダイヤモンドの数⁉

 日本人は数を数えることは上手ですが計ることに関しては苦手のようで、あらゆる分野で世界が首をかしげる事が多いようです。

 以前にも書いたと思いますが、日本人は絵画を『号』、幾らという風に価格を設定します。つまりはがきサイズ掛けるキャンバスの大きさが値段になる訳です。しかし、小さなサイズの作品が得意な人もいれば壁画サイズが得意な人もいますので一概に『号』かける幾らという感覚は他の国の人には理解の出来ない事かもしれません。

 簡単に粋に言うと恋の数は数えることはできても、愛の数は数えることが出来ないのです。回りくどい言い方をしましたが。ダイヤモンドの数は数えることが出来ても、価値魅力は数えることはできないわけです。

 つまり、計るものというものは個数でもなく形状でもなく概念であり、感性でなわけです。付加価値というものは計る度量を持ち合わせているかどうかという事です。

 私自身も侘び、寂(ワビ、サビ)を理解できる方ではないので偉そうなことは言えません。何故ならダイヤモンドを数える仕事をしてきたのですからやむを得ないのです(自己弁護みたいですが)。

 ただ、小売りに近いところに来て感じることはダイヤモンドを4Cグレードで数えてきた過去のジュエリー業界は終わりを告げ、他の宝石を含めて消費者の志向が変わってきたという事です。

 真珠でいえば花玉だとか、ルビーでいえば処理石のピジョンブラッドだとか、相も変わらず文字や数字で宝石を売ろうとしている輩が多くいますが、宝石を判断する一番の基本である感性や概念といったもの大事にするといった本来のプロが少ないのはつくづく残念です。

 多分、私と同じように侘び、寂を理解できない人が多いのかもしれません。大げさに言えば心で販売をするものですから、感性が鈍い人には無理な業種なのかもしれませんが、それでもやれているのは宝石の魅力なのでしょう。

 勘定をする事より、計ることの大事さは人間性でもあるのでしょう。もちろん日本人の優秀さもあり、その特徴をうまく利用した売り方自体を一部の利便性を考えて作ったのも我々の時代の人間ですから責任もあります。

 それがいつの日からか全体的に心で測るものまでもを数字や文字で判断をするようになってきたのかもしれません。それは現代の日本社会の在り方に似ているような気もします。

 日本人は戦争をする国の人を理解することは難しいかもしれません。しかし、同じように日本人の物の見方を理解できない他の国の人も多くいることは忘れない方が良いかもしれません。お金で済む事と済まない事は国によって違います。

 ダイヤモンドの魅力や価値は数ではありません。勿論それに伴う価値はありますが原点は『心』
です。心を語れる販売をしてみてはいかがでしょうか?そして、心で感じてダイヤモンドを求めてはいかがでしょうか?

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