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2015年2月28日土曜日

一見の価値⁉

 昨夕、店頭でじっとショーケースを覗いているカップルがおり、一度去って10分程するとまた戻って店内に入ってきました。お話をするとどうやら日本人カップルと思っていたのは間違いで香港からの旅行客という事でした。

 何度も日本には来ているのですが自由ケ丘を訪問するのは初めていという事で、ダイヤモンドの専門店があると聞いて訪ねてきたようですが、最初は当店がそうかどうかわからなかったようですが、店頭のカラーダイヤモンドを見て此処だろうと目安を付けたそうです。

 香港のような一国二制度や香港生まれの英国連邦の国籍と二重国籍を持っている人々は常に海外へ出る事を常に考えているという事もあるのでしょう。他のアジアの国よりダイヤモンドのような通貨に比例をするような携帯性のある資産を非常に好みますので、ダイヤモンドに対しての目は非常に厳しく、価値基準がはっきりしています。

 男性は香港でもジュエリー関係に携わっているという意事で、ダイヤモンド、特にファンシーカラーのものが好きだという事でした。
『香港ではここまでリーズナブルな物を手に入れることはできない。特にカラーダイヤモンドに関しては香港はとても高くて手が出ない。』
と付け加えておりました。

 私自身が渾身とは言いませんが、上手く買えたと思えたダイヤモンドが価値の解る人々が見て求めてもらえる事は非常にうれしい限りで、この上ない歓びを感じる瞬間です。

 このような小売りの喜びを感じる時ではありますが、単なるウインドーショッピングで品定めをしているようには見えない人が、一目見て価値があると判断をしてくれたことは陳列をしている側の喜びでもあり、改めて『一見の価値』を前提とした陳列が小売りには必要であることを痛感しました。

 長い間、川上側でしかビジネスをしていなかった人間にとって小売りの理屈は解っていてもそれを通すことは難しい事でもあります。しかし、やはり原則は生きています。

 現在お家騒動となっている某大手の家具屋さんなども創業者が成し遂げた結果が出ていることにも、娘社長が少しでも目配せが出来ていればと考えます。現代の形もあるでしょうが成功にはその原則が組み込まれているものです。

 仮に娘社長が結果を出したとしてもそれは創業者の基盤があってのものです。多くの家電メーカーや自動車メーカーが困窮した際には必ずと言っていいほど創業者の理念に戻ろうというスローゲンが使われます。人間を相手にしている商売をしている以上その原則は変わりません。

 店頭が『一見の価値』がある様なものになっているかどうかは自らを省みる意味でも見直してみなければいけないことだと改めて考える時をもらった様な香港からの来訪者でした。

 香港といえば来週より、香港、イスラエルと出張の途につきますが、今回は大粒の資産性の高い物という注文があり、5ct~10ctの物を中心に見る予定ですが、簡単ではないなと思っています。

 世界中の多くのバイヤーがそれらのアイテムを探しておりますから、その中でさらに将来の伸び率をもとめることは運と縁でしかありません。依頼主の運が強ければその幸運を授かることが出来るでしょうし、私自身の運がさらについていて初めて手にすることが出来るものですから簡単ではないです。

 しかし、香港のGem Showやダイヤモンドの取引所を見る事は『一見の価値』があるものが多いのでやはり外せない場所です。

こちらも覗いてみてください。
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2015年2月26日木曜日

爆買⁉

 
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 中国の春節休みも終わり、日本での爆買ツアーも一躍有名になりました。確かに日本の経済に影響も与え、一部の百貨店や大型ディスカウントショップも潤ったようで、メデタシメデタシという事でした。経済成長著しいというより、物が本当に中国には無いんだなという感じがします。

 40年ほど前の日本がやはりそうでした。まだ高度成長の中、物があってもよい物が豊富ではなかった日本人の海外での爆買は世界中でニュースになりました。これを機会に多くの日本人が海外での日本人ツアー客の相手をするために海外への移住なり、転勤なりという形で海外へ旅経ちました。

 今海外にいる多くの日本人たちはその頃に海外に渡った人々が少なくはないと思います。その頃は多くの日本人スタッフが旅行社であったり、免税店であったり、ホテルであったりと働いておりました。パリのブランド店、ロサンゼルスの免税店どこに行っても日本人スタッフがおり、日本人旅行者の手助けをしておりました。

 それ以前となると、日本人旅行者のマナーの悪さや、買い物のマナーの悪さで海外の人々の眉をひそめさせていたものです。特に某農業関係団体は世界中の観光地のヒンシュクを買っていたものです。そう考えると今の中国人を批判することはできないのかもしれません。まだ発展途上なのです。

 一方日本人はというと、もう物が豊富で欲しいものなどないという環境にあるのだと思います。決して経済が悪いという事ではないのかもしれません。物が売れないという事はある種の成長過程の終焉に近いところにあり、違う手段を持たなければお金が社会に回らないという事にあるのかもじれません。

 経済規模が、アメリカや、中国に次いで第3位といっても庶民の個人資産では世界第一位、富裕層の存在はアメリカに次いで第2位で3位(ドイツだったと思いますが)を3倍近く離しています。ついでに言うなら対外資産は世界第1位です。決してお金がない訳ではありません。

 高級レストランは相変わらず、満席で住宅街での高級うなぎ屋なども平日の夜でもほぼ満席に近い状態が続いています。今不振にあえいでいる業種なり、企業は方向性が違っているか、時代が変わっている事に気が付いていないかだと思います。かくいう私自身もその辺には気が付いてはいますが、ダイヤモンドというある意味不変的な物を扱っていると、安易な変化が身を滅ぼすことも過去の経験で理解をしているつもりです。今、話題の某大手高級家具店の御家騒動もその辺の行き違いのようにも見えます。

 爆買の後に何が残るか?過去の経験からするとその場限りの場当たり的対応だけをしていると、その時の結果に踊らされることになり、変化というある意味不変的な進化が出来なくなるのではないでしょうか?中国での物が豊富になるのはまだまだ先の事のように考えますが、実は日本のデフレ的なものはすでに中国では起きています。今の時代時間が早く流れます。

 この爆買いは続いても後1年ほどでしょう。平家物語ではありませんが、『盛者必衰の理をあらわす』というのが世の常です。次の準備が常に必要なのでしょう。

こちらからも
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2015年2月24日火曜日

流行るかも⁉

 アカデミー賞も終わり、残念ながら希望的観測で私なりに推していた『アメリカン・スナイパー』は外れてしまいました。しかし、次に興味を持っていた助演男優賞が『セッション』のJ・Kシモンズが受賞をしましたが、彼もそうですが映画の内容がとても評判が良いです。

 ところで、いつもいつも華やかなアカデミー賞の会場ですが、昔は今ほど派手ではなかったので、一般の人もチケットを手に入れる機会がありました。もう35年以上も前のことですが、知人に依頼し日本のお客様数人に手配をしたことがあります。その頃から会場に向かう女優陣のファッションは華やかで、いつもいつも身に着けているジュエリーには目を奪われていました。

 今年は片耳のピアスをしている女優陣が多く、一昨年くらいから当社でも片耳のピアスを勧めてきましたが、なかなかセンスのある方でなくては身に着けていただくことが出来なかったのですが、毎年のようにアカデミー賞での女優陣が身に着けたファッションがセレブ(この言い方好きではありませんが)の間では流行ることを考えると、今年はもしかして片耳のダイヤモンドピアスがさらに流行るかもと考えています。

 流行るといえばジャーサラダがNYからの影響で日本でも昨年あたりから流行り始めていますが、つくり方は簡単でガラスボトルを用意してドレッシングを入れて、固めの野菜、柔らかめの野菜、最後に葉物という順序でしっかり入れて、ふたをしっかりすると出来上がりです。OLのランチボックス代りはちょうど良いのかもしれませんが、最近は野菜が少しお高いようで・・・。(所帯じみました)

 しかし、私はピクルス作りが好きなので同じような手順でドレッシングかピクルス液の違いだけなのでが違うので皆にはピクルスつくりを進めています。今凝っているのは卵のピクルスですが、基本的にはなんでもピクルス派です。キンカンだったり、時にはソーセージだったりと手当たり次第です。
 

 もう一つ見逃せないのがマリネです。これも簡単に言えばピクルスの短時間版みたいなものですから同じジャンルとして結構作ります。そういう意味ではジャーサラダとマリネの間のピクルスは今年さらに流行るかもしれないと単純に考えています。

 流行は流行ってからでは遅いということまりますが、自分の興味のあるものを好奇心をもって探ってみると意外と流行ってくる場合が多いようです。所詮は流されるのではなく、流れを作ってみたほうがおもしろいかもしれません。

こちらもどうぞ。
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2015年2月23日月曜日

リサイクルジュエリー⁉

 最近、リサイクルものがちょっとしたブームになっていますが、ブランド品や着るもののリサイクルに関しては正直抵抗がない訳ではありません。特に古着に何十万の価格が付くことも理解が出来ません。

 しかし、現実には中古のブランドバッグや古着を購入している人々が後を絶ちません。ビンテージになる100年前後前のジーンズなどに関してはまだ理解が出来るような気もします。しかし、直近の誰が使ったかわからない様な汗が滲んだ様なハンドバッグ等に関してはわけがわかりません。

 勿論、新品同様なものもありますので一概に言える訳ではありません。かつての日本人にあったような『どこの誰が使ったかわからない様な…。』といった考えは、少し後退をしているような気がします。消費者の志向が変わってきたのでしょう。お金がなくても見栄は張りたいのでしょうか?

 ところで、最近の国際的オークションで話題になっているダイヤモンドやジュエリーの多くはセカンドハンド、いわゆる中古であります。この事に関しては違った見解を持っています。一般使いをしていても変質をしない物という条件もあり、歴史や物語を運んでくれる素材であることは間違いがありません。

 最近、業界で『Re・ジュエリー』なる言葉を一般化させようという動きもありますが、リサイクルジュエリーなる言葉が響きが悪いので、まやかしのつもりでRe・ジュエリーなる言葉を使用しようとしているように感じます。別に気にするほどの事ではないと消費者は思っているので問題はないと思いますが、それをはぐらかそうという考えが気に入りません。

 Re・ジュエリーというと言葉からとるとリフォームを指して言っているような気になるし、リサイクルの方が解りやすいと感じませんか?

 人間からみると誤解を招きます。宝石から見ると使用している人間が変わるだけで、ジュエリーが変わる訳ではありません。ましてや何百年もそのままなのは宝石の方ですからね。簡単に言うと人間がリサイクルしているだけです。勿論、処理石はNGです。

 先程も述べましたがオーションにかかり、高額を付けているものの殆どがりサイクルジュエリーです。販売に関しては再検品や新品仕上げ等の作業は無論必要です。中にはまがい品も多く含まれている可能性がありますから・・・。

 着るものや、雑貨と意味合いが分れるジュエリーに関しては一概に中古品とは言えないのではないでしょうか?宝石は何百年以上の間使用されていくものです。もっと理解をされ、販売方法も含めてプロの誕生が必要になるのではないかと考えさせられます。

本筋 ⁉

 
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 昨日、とある地方の宝石店さんが閉じるという話を聞いて、その訳を聞くと、
『ブライダルを中心に商売をしてきたけれど、ダイヤモンドの価格競争が多くて、値崩れが止まらない。とてもじゃないがやっていられない。』
という事でした。

 『トータル的にはダイヤモンドの価格は上がっているんですよ。』という話をするとビックリします。

 このお店自体が勘違いをしているのではという事を感じました。それはブライダルを中心いという事は本来は宝石店という観点ではなく、ブライダルビジネスといての目を向けるべきでした。何故ならダイヤモンドというブランドのぶら下がり、商売をしていたのでは価格競争の中に紛れてしまう事になります。

 大手のブライダルリング専門店でも今は宝石店としての可能性は追求してはいません。なぜならブライダル業だからです。最近接した多くの小売店さんも何か勘違いをしているケースがが多いように思えます。それは売り上げをあがる為に色々なものに手を出しているように思え、本来の筋である宝石に対してあまり力を入れていないように思えます。

 つまり、本筋を外れているという事です。元々異業種であり、結果として宝石を求めてきた会社と元々専門店としてやってきたところでは基本的な考え方が違います。数字をあがる為に宝飾業界に参入してきたところは数々ありますが、数字が上がらなければ退散をする準備が常にあります。

 しかし、専門店としてやってきたところは異業種がやっているような多様化はむしろ負担増になります。それは場所いらず、人いらずという事が前提にある宝石業とは根本的に違うからです。

 『二兎を追うもの一兎をも得ず』であり、更に自らが二兎を追っている事も気が付かないという事であれば、当然経営が難しくなっていくわけです。

 結果的に宝石店としてやってきて、ブライダルが中心になったのであればブライダルビジネスに特化することも一つに道だったのかもしれませんが、売り上げを上げようとダイヤモンドに精通するのではなく、安価なものを扱ったり、雑貨を扱ったりと本筋から離れたところに向かい、結果的には経営が難しくなってきます。

 今の時代、専業を通す難しさはありますが多くの企業が多様化していく時代に、ニッチなマーケットである専業に目を向ける事の優先性も理解をするべきではないでしょうか。

 ビジネスの多様化が進むという事は一見華やかに見えますが、それはなんちゃってプロが増え、消費者をまどわす原因にもなっています。それゆえ、専門家が本筋である本業を極める事がそれぞれの市場を進化させていく道理であると考えます。

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2015年2月20日金曜日

アカデミー賞⁉

 間もなくアカデミー賞の発表ですが、毎年ながらわくわくするものです。今回の私の一押しはやはりクリント・イーストウッド監督の『スナイパー』です。御年83歳のこの人には何時も惹かれる作品があります。日米合作の『硫黄島』などのその一つです。

 正直からの若い頃はあまり好きではありませんでした。何んとなくチヤラい兄ちゃんという感じでした。しかし、『ダーティー・ハリー』をやり、サンフランシスコの南に位置するモントレー半島のカーメル市の市長になる頃にはカッコイイおじさんという感じがしてとても好きになっていました。

 私自身、サンフランシスコ近郊にオフィスがあった頃にはよく出向いていた場所でもあり、アーティストが多く住んでいる町で、アメリカ西海岸にしてはヨーロッパ的なお奨めの場所でもあります。
83歳になった今も映画を撮らせてもらえるという事はまだまだ才能が枯れてはいないという事の証明でもありますのでまだまだ頑張ってもらいたいものです。

 アカデミー賞といえばウエストハリウッドにあるホテル『La moterose』はアカデミー賞の関係者が泊まるホテルとして知られているのですが、30年ほど前にロサンゼルスにアメリカで最初にオフィスを構えたときに、常宿にしていたホテルなのですが、最初は私も知らなくて、ビバリーヒルズに面した住宅街にある落ち着いたホテルという事で使っていたのですが、ある時ホテルの目の前がざわついているので覗いてみるとタキシードやカクテルドレスを着た人々がたむろしているのを見て初めて知ったものです。

 ここ最近はここ2~3年すっかりご無沙汰していますが、たまにTVで中継があり、画面に映し出されると懐かしい頃の事を説く思い出します。このホテルは閑静な住宅街にある低層のレジデンシャルホテルなのですが、全室スイートでキッチン付です。スイートと言っても驚くような価格ではないのですが車がないと不便な場所なので極めてリーズナブルなお値段です。

 昼間はベランダにリスが遊びにきたり、夜は夜屋上にあるプールとジャグジーで昼間の疲れをいやし、すこぶる今となっては贅沢な時間を過ごしていたものです。特に夜間は11時以降使用禁止なのですが、私の帰りが遅いことを知っているホテルはいつも私のために11時以降も特別に使用をさせてくれていたのですが、一人ロサンゼルスの夜景を見ながら満天の星空の下、ジャグジーの中で飲むビールは最高でした。

 あまり、アカデミー賞とは関係ありませんでしたが、この季節になると何故かその事が頭をよぎりますので、あしからず・・・・。


ホテル屋上からの夜景




2015年2月19日木曜日

ダイヤモンドを辿る⁉

 今から40年ほど前にこの業界に参加をさせて頂いて、最初の衝撃が過去500回の中でも何度か登場をしているのですが、かの『アフリカの夕焼け』です。6.02ctsでラウンドブリリアントカット、 今でいうインテンスピンク、何よりアイデアルカットでフローレスであったことが今考えるとなんてすばらしいダイヤモンドであったのであろうと思います。

 『アフリカの夕焼け』との出会いがダイヤモンドへの道へと繋がっていくのですが、人間何に出会うかによって向かう方向が決まるのだなとつくづく感じます。ヒヨコが卵からかえると最初に目に入った動くものを母親と認識して着いた歩くようなものです。

 以前ダイヤモンドの価格の推移という事で5ctのダイヤモンドがここ30年で約5倍になっているという事を書きましたが、この『アフリカの夕焼け』は当時のオークションではっきりではありませんが、3千数百万の値がついていたと思います。勿論小売価格はそれ以上でしたが・・。

 現在の予想落札価格で考えると5億円か6億円くらいが最近のオークションを見ると考えられます。勿論、その美しさは過去の数十万個は接したであろう自らの歴史のダイヤモンドの中では1,2を争います。

 そのもう一方で魅力を奪われたのが137.02ctsのDカラー、フローレス。ペアシェイプにカットされたこのダイヤモンドに最初に出会ったのはロサンゼルスのあるサイトホルダーオフィスでした。当時のこのオフィスは米国西海岸にあり、日本を中心に西海岸の80%以上のシェアを持っていましたが、残念ながら現在はビバリーヒルズで宝飾店を商うレベルとなっていますが、個々のオーナーでゆうj院でもあるミスター、ジャック・モーは190㎝を超える大男ですが、最初に見たときは彼のての上にあっても相当な大きさで、最初はレプリカだと小生は思っていたぐらいです。1978年のことでした。

 最初や、その後にどのようなものを目にするかでその道に対する考え方が変わるのでしょうが小生は幸せだったのかも知れません。現在多くの宝飾業界で活躍する人々は、自ら望んでこのようなものを目にする機会を持とうとする人と全くその気を持たない人では仕事に対する姿勢も変わってくるでしょう。

 ダイヤモンドに対して失礼な仕事をしている人々を多く見かけるたびに、ダイヤモンドが嘆いているようにさえ感じます。良いものを目にすることは望めばできることです。できれば進んでそのような機会を持ってほしいものです。
プレミアローズ137.02cts
 
 

2015年2月17日火曜日

500個目のダイヤモンド⁉

 気が付いたらブログを書き始めて500回目を迎えました。書き始めて約2年半になりますが、最初は展示会等に参加をし始めて、その場で見聞きしたことに対する検証だったり、ダイヤモンドの販売方法に対する偏曲に警鐘を鳴らすとともに、その現況を取り巻く社会を自分なりに分析を自分の考えを検証する意味で書き始めました。

 本来は人様に読んでもらおうというより、自分の考えの変遷を記録しておきたいという大した意図があったわけではありませんが、結果的には多くの人に読んでいただいて感謝をしています。少なからず同調をして頂いている事と理解をしています。

 ダイヤモンドの実態を知ることにより、本来のダイヤモンドビジネスと宝飾業の関わりや、実は国際情勢に中で影響をされているダイヤモンドビジネスとは・・といった面を少しでも普段知りえない事を知って頂けたらと思い、書いてきました。

 実際に以前書いたものと言っている内容はそんなに変わらないのですが、最近は宝飾業界にあり方に疑問を呈するというより、警鐘的な内容が多くなってきている事に気がします。それは危険水域に入ってきたようにも感じています。

 以前にも書きましたが、多くの展示会の場合法律に触れるぎりぎりの販売方法が目立っていますが、展示会等でも東京や百貨店等が主催で行うものはコンプライアンスの問題もあり、その辺には気を使っている部分ですが、地方で行っている展示会等に関しては、その辺を中心に回っている業者さんが多く、決して首都圏に来ることはないのですが、ほぼ法律を逸脱したような販売方法をとっているケースが見られます。

 多くの場合、これらの業者さんが数字を作ることが多いので主催者的にも目をつぶることが多いのですが、実際には禁じ手を多く繰り出しての結果ですから、その場の結果は出てきますが、何事も終焉を迎える寸前に起きるエネルギーは大きく見える事があります。つまり線香花火の消える寸前ですね。

 どの世界にもグレーゾーンはあります。しかし、多くの場合はお年寄りや身障者のような弱者に向かう場合が多いのです。これらは本業を宝飾業としている方達なら条件がそろわなければ絶対に対象にしない人々です。

 値引き販売はいくつかの段階があり。通常の値引き、二重プライスの様に消費者センター預かりの公序良俗に反するもの、そして何より三重プライスの様に犯罪に位置するものとありますが、催事業者等が行うものに関してはほぼ犯罪として立証が出来るものです。

 多くの販売員の方達は売り上げが欲しいという事もあり、それらの波にのまれている場合が多いのですが、実際には販売者責任が問われることもあることは理解をしなければなりません。なぜなら、多くの場合、自分が他の商品を購入する場合決して疑問を持たない様な販売方法ではないのですから。

 最近、話題のフランスの経済学者のトーマス(トム)ピケティーが、国にお金を貸せるような人には課税すべきで、税金として貢献をしてもらうべきだといっています。多少、社会主義者的傾向のある経済学者ですが、不労所得者の課税を多くすべきという考え方には多少の同調も出来ることもあります。

 不労所得は社会的労働貢献失くして資産を得る事になりますから、現在の社会においては行き過ぎた資本主義へに訂正として私自身も同感であるといえますが、税金としてではなく実用的商品ではない嗜好性商品にお金を向かわせて、社会を活性化するような文化に対して貢献をしてもらうという事が実質的なのかなとも思います。

 つまり贅沢税的なものは廃止し、本来消費を対象としている消費税を贅沢品という物に課税せずに、資産を持っている人びとにはもっとお金を宝飾品等に使ってもらうという事が必須なのではと考えます。その為にも宝飾業は資産家に向き合った業種であって、弱者を必要以上に追い回すようであってはいけないし、本来の宝飾業者は決してそのようなことを行ってはいないと確信もしております。

 500回という事で総括的に書きましたが、宝飾業に本来の姿勢が戻ってくるとなお一層活性化するのではないかと期待をしております。その為にも消費者に向き合う姿勢や考え方が必要です。

 あえて、以前書いた言葉を添えると
『販売員はメーカーではなく、消費者に忠誠心を尽くすべき』
この言葉を500回の締めとして、次回からはもっと短い内容にしていこうと思います。

2015年2月15日日曜日

値引⁉

 展示会等に参加をしていると目に余るというか、既に値引の範囲を超えて、まやかしの世界へ顧客を誘っているのではないかとさえ思うようなことが多々あります。

 値引きとは別の言葉で『勉強』という言葉が有ります。お客様の値引きの交渉に対して『解りました。それではいくらいくら勉強をさせて頂きます』といったように使いますが、これは本来コストを含めて再度努力をし、『お客様が妥当と思えるような価格にコストを含めて見直してみます。』という事であって、結果努力をしてもこれ以上の価格は出せないといった線を出すもので、売り手が積極的に出すものではないという事が前提で、本来は売り手として嫌なことであることを指しています。

 つまり、本来は適正価格が付いており、それが訳ありになった時に行うものでもある訳です。つまり型落ちになったり、在庫として長く保有していたとか、一部に難があるとかといった類の事です。
それ以外の場合には欺く手段という事になり、法律上であっても規制がある訳です。

 しかし、展示会等多くの場合は二重プライスの業者が多く、これらは本来の宝飾業者ではなく呉服等の宝飾品から来た催事屋と呼ばれる類の人々が行っているケースが多く見受けられます。ご服の場合は既存の売り方として、盆暮れの集金という事で賭け率が他の商品に比べ、非常に高くなっています。しかし、クレジットなどの台頭などもあり、盆暮れ集金などをする必要がないので本来は高額な価格を設定する必要はなくなったのですが、急に付値を下げる訳にもいかず、値引きという形になったと聞いています。

 それが、催事屋さん等を通じて宝飾品の業界に入り込んできてしまったという事になりますが、宝飾品は元々現金商売が基本とされており、昨今は宝飾品もクレジットの販売も多く行われるようになりました。その上、販売方法だけが本来の形ではなく呉服の催事販売方法がとられるようになってきました。

 呉服屋さんが当初、宝飾品を始める時に私自身も依頼をされたことがあり、掛け率を聞いて遠慮をしたことがあります。当方の出す価格の10倍を小売価格に設定してほしいという依頼があり、理由を聞くと呉服は5割引きが当たり前で、更に値引き交渉が入るのでそのようにしてほしいとの事でした。

 理由を聞いてもあきれました。宝飾品に関しては呉服よりさらに消費者にとっては価格が解りにくいので設定上代を守ることにより価格の信憑性を保っておりましたし、ダイヤモンドに関してもある程度は他店と価格を比べる事が出来るという事が前提にありましたのでびっくりしたものです。それ以来和服は絶対に買わないでおこうと思ったことを覚えています。

 宝飾品は本来お客様から値引きの話があまり出るものではありませんでしたが(品がないという事で宝飾品を買う人には似つかわしくない)、昨今は売り手からその話が出てしまいますので消費者も同じように値引きを要求してきます。これも呉服催事からの転入組の影響があるのでしょう。

 値引きを前提としている業者の殆どは価格設定が本来の勉強を意味する値引きではなく、自らが売らんが為の価格設定ですからどうしても本来は法律に触れるような売り方になります。特に5割引きからの値引きなどは人間性の問題でもあるのでしょう。

 しかし、多くの販売員はそのような深刻さを知らずにいるように見えます。つまり業者責任が非常に大きいように見えます。販売員の中には親戚や友人には絶対勧められないという常識をもった人たちもいます。後々大きなトラブルに巻き込まれることは懸念しての事だと聞きます。

 賢明な消費者は気が付いておりますから、私の呉服観ではありませんが、二度と戻ってくることはないでしょうし、ある程度の年齢になるとオレオレ詐欺にかかるような人も多くいますが、若い世代は常識的に考えると理解をする事は難しくはありません。会場にいると、消費者の方から多くの疑問の声が度々上がります。

 値引きというのは勉強です。我々が現在使っている学習をするという意味の勉強より商売で言葉として使われたのは古いとされています。それは販売側がつらいことであって初めて意味を成します。まやかすこと為の値引きは後で必ず、しっぺ返しを食らう事になります。

 勉強をしましょう皆さんも。

 価格を守る努力をし、消費者を守って初めて利益を得られるのだと考えます。もったいないです。今まで培った信用を食い尽くすのは・・・・。

こちらからも
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2015年2月14日土曜日

ジュエリー!?

 昔からよく口にされている言葉に、
『価格を追うものは商品、物語を追求するものがジュエリー。』という言葉と
『誰もがいつでも手に入れることが出来るものにはジュエリーの価値がない。』
ということが先人達から言われ伝えられています。

 最近の展示会を見ていると、消費者が買える物を前提としたものが多く見られます。それゆえにジュエリーとは名ばかりの商品が多く見られ、消費者目線ということより販売側都合の商品が多く見受けられるようになりました。

 その結果値引きを前提にした価格を設定し、その上で、消費者が変えそうな価格帯のものを用意しているので、一見売り上げ自体はあがるのですが、結果的にはジュエリーの魅力を半減させ、本来の価値を消費者に伝えるという大きな義務と目的を失っているように感じます。

 結果的には高額を買えるお客様用の商品は少なくなり、高額購入者もだんだん少なくなり、結果的にその様な商品の評判だけが残ってくるということになるのでしょう。

 高額商品が売れなくなってきたといいながら、ダイヤモンドや色石の値上がりの情報だけが飛び交っています。そして、格差社会の問題も皆が口に出しています。つまり高額なものが売れ、高額購入者も存在していることを示しているわけですが、実際には現展示会場やお店には現れてはいないという口実が多く飛び交います。

 このようなことから解るとおり、高額購入者を遠ざける要因は準備する商品内容にもよるし、それらの接客にも寄ります。つまり、高額購入者が現れるかどうかは販売側の姿勢によるということになります。

 本物のジュエリーがない場所には本物のジュエリーバイヤーは現れることはないだろうし、売り上げはどんどん下がる傾向を見せることになるのでしょう。

2015年2月12日木曜日

車社会⁉

 若者の車離れが囁かれ始めて久しい。昨日、真っ赤なフェラーリーが店頭に止まり、ドアを開けようとして、四苦八苦していました。よく見ると、ドアが低すぎて路肩に当たりそうになっているのでぶつけない様にそっと降りてくる友人の哀れな姿がありました。

 彼は小さなころからフェラリーに憧れ、特に1970年代から80年代の物に憧れていました。手に入れるとそれに乗るのがもったいないとの事で、新たに新車を求め、量産型の物をオーダーしているとの事でした。

 私自身は車が嫌いという訳ではありませんが、二十代の頃から通勤をはじめ、車での生活が多かったのですが、現在の日本では確かに、車の必要性は下がっているかもしれません。私自身も健康をも考えてという事になりますが、ここ2~3年は歩くことを主にしております。決して地球環境というような崇高な気持ちがある訳ではありません。

 1970年代私の生活をしていたアメリカ特に西海岸では車がなければ生活が出来ませんでしたから。アメリカについて最初の行動が車を求める事でした。当時はどの車も貧乏学生の私には高かったので軽車両のイタリア製フィアットを購入しました。決して、良い車とは言えませんでしたが、購入金額が900ドルの物を800ドルに値切って購入をしたので贅沢も言えませんでした。

 しかし、数か月後ものすごく反省をする事になります。暖房の効かない車なんて聞いたことがありません。100歩ゆずってクーラーが効かないのなら、安いので納得もします。しかし、エンジンの熱を社内に流すだけの仕組みが壊れているなんて考えません。真夏に求めた車がまさかヒーターが効かないなんて考えませんからチェックなどはしておりませんでした。

 日本では贅沢品の車、米国では必需品の車、同じ車社会でも東南アジアや南米の様に必需品の車なのに渋滞や故障で使えないという事情と色々と車社会の事情はありますが、昨今の原油価格の値下がりが、金融市場の頭を抱えさせていますが、一方で米国の株式市場はにぎわっています。

 何故ならば、車社会の米国ではガソリンの値下がりはイコールお金に余裕が出る訳です。そんなのところから、米国の小売市場がにわかに盛り上がってきているのです。平均70ドル(約8000円)のユ老が毎月出てきています。日本と違って消費社会の米国では余分に消費が出来るお金が出てきたのですから、即市場に反映するわけです。

 一台の車から月8000円の余裕が生まれると全体的にいくらくらいのお金が市場に流れるかというと概算で2000億円近いお金が毎月小売市場に流れる訳です。車社会の事情と国民性の違いとはいえ、膨大な市場であることには違いがありません。

 将来石油で車が走らない社会が出来るといいのですが、まだまだアメリカを中心にした石油業界が強すぎます。日本でも中東のプロジェクトには何兆円とつぎ込んで回収はまだしていません。独立資本のトヨタだからこそ、水素燃料に力を入れることが出来ますが、表面上は別にして、代替燃料はまだまだ関係省庁や業界の壁は厚そうです。簡単にはいかなさそうです。

 いずれにしても、世界は繋がっていても事情によっては同じ車社会であってもかなりの違いがあることが解ります。

2015年2月9日月曜日

ダイヤモンドの値頃感⁉

 先週、ダイヤモンドでの資産形成を考えているという方がいらっしゃって、
『今,ダイヤモンドを買うとして、どんなところを持つべきですか?』
という質問があり、絶対という事ではなくてという前提でお話をさせて頂きました。

 以前にも書きましたが、ここ30年でラウンド、ファンシーカットという事を問わず見た場合、0.5ctで2倍、1ctで2.5倍、3ctで4.1倍、5ctで5倍弱の値上がりをしています。現状だけで見ると1ctのD,IFと3ctのM,LカラーのVSはほぼ同等に代金価格を示しています。それではどちらを選ぶかという事になると現状だけで見ると1ctのD,IFよりは3ctのL,Mカラーの方を選ぶことが過去のデーター上は正解だという事になります。

 つまり、1ctの値上がり率よりも3ctの値上がり率の方が勝っているからです。しかし、私は銀行や証券会社ではないので利益を約束して反古になる様な事はいえませんので、絶対的とは言えませんという事も付け加えました。

 ここ20年で見ますと0.5ctは1.03倍、1ctで1.6倍、3ctで2.37倍、5ct2.61倍となり、更にここ10年で見ますと0.5ct1.05倍、1ctで1.25倍、3ct1.7倍、5ctでほぼ2倍になっています。特に大粒やファンシーからの物に関しては、『リーマン』、『中東の春』以降は顕著な伸びを示しています。それらを考えると非常時に強いのはやはりダイヤモンドという事になります。

 結論を言いますと、あくまでも私見ですが1ct以下の小粒に関してはあくまでも市場原理に影響されることが多いといっても良いのですが、大粒や特殊ダイヤモンドに関しては市場原理が働くというほどの量が市場にはありません。また、以前とは違って、ジュエリーとしての需要だけではなく財産形成や投資としての動きもありますので、あくまでも視覚的に綺麗という事は前提ですが大粒であるほどリターンが大きいという事になります。

 しかし、実際には5ctの最高級品質になりますと簡単には手の届くものではありません。ではどうすればよいかという事で考えると、最高品質で実際にはラウンドとファンシーメインカットで考えると価格差は1.5倍前後になります。但し、L、MからーのVVSクラスになるとラウンドとファンシーメインカットの価格差はあまりありません。また、このクラスのVVSクラスとVSクラスではあまり大きな価格差はありませんが其れでもVSクラスの方が安価だという事が言えます。

 それゆえに、大粒のローカラーでVSクラスが一番効率が良い買い物だという事が言えると思います。勿論、其々の考え方や予算もありますから一概には言えません。単純投資と考えるのであれば、いつでも需要のあるメレーダイヤモンドを大量に持っているのも手ではあると考えます。

 皆さんは如何がお考えでしょうか?

 

2015年2月5日木曜日

ダイヤモンドと人間関係⁉

 ダイヤモンドはご存知の通り、結晶構造は等軸晶系ですがこの意味は原子同士の距離が一定であり、共有結晶(電子をそれぞれの原子が共有している)こともあり、強固なつながりを持ちます。

 しかし、一定の距離を持つという事はある意味欠点でもある訳です。つまり、一定の距離で固定をされているのである方向から衝撃があると非常にもろいという特性も持っている訳です。カットはその特性を生かしてする訳ですが、それゆえに光学性に優れ、光を一定方向に向ける事も出来る訳です。結晶が複雑なほどもろくもなりますが、一定の方向に潔く劈開する事はないのです。

 人間関係にはお客様と売り手、友人、知人、夫婦、恋人、親子と色々な形態はありますが、どれも共通していえる事ですが、其々にあった距離があるという事でしょう。どの関係においても相手をコントロールしようとするともろく、堅密でいようと思うがあまり、簡単に深い溝が出来たりするものです。

 怒りというものは相手をコントロール出来ない苛立ちであり、それによりぶつける罵声は何とかコントロールしようとする断末魔でもあります。つまり、親子関係であったり、上司と部下の関係であったり、大きな声を出して怒鳴る行為というものは優位に立っている人間の未熟さであり、それに対して、泣いて見せたり、しょぼんとして見せている側もその場をコントロールして終わらせる手段として用いている訳です。

 話しは逸れましたが、多くの有機体の物(人間関係を含め)は結晶構造を持ってはいません。ダイヤモンドや他の鉱物のように一定の距離を保つことはむしろ関係が絆として強くなることはそれぞれにも思い当たる節はあると思います。学生時代の仲間は長い間あっていなくてもそれなりの絆があるものです。それは普段どれくらい密に連絡を取っているかは別問題です。その丁度良い距離にいる訳です。

 ビジネスにおいても必要以上に距離が縮まったりしたために廃業になった例もまま見てきています。お寿司屋さんの例で申し訳ないのですが
『どんなに近しくなっても、間にはカウンターがある。』
と言われた名店の御主人がおられました。懇親会でゴルフをやったり、飲み会をやったりして関係が深くなっても知り合ったきっかけがお店であればそれなりの距離があるという事を仰っていたのですが、まさにそれを勘違いしたお店は長くはないことが多いようです。

 ダイヤモンドの生成過程の様になんの関係性もなく一瞬で一定の距離を保つという例はあまりないのですが、他の鉱物の様にそれぞれの原子に対してそれぞれの距離を保つことはその関係性を堅牢にするものではないかと考えます。

 理窟っぽく長くなりましたが、人を思い通りにしたり、自分に従わせたりすることは強い武器を持つか、大きな寛容力を持たなければいけませんが、それは非常に難しいことです。しかし、大した武器もなく、大きな寛容性もない場合には、一定の距離を保つことで自らの武器で十分、自らの寛容力で十分という関係性が出来上がります。

 相手をコントロールしようと思った時点で人間関係は終わります。相手がこちらに何を求めているかを把握し、その距離で関係性を構築する事から始めて、深めていくことが全てではないにしても人間関係を造り上げていく原点ではないのかと考えます。

 最近メディアでよく『負の連鎖』という言葉を聞きます。力には力というテロに対する武力行使を指していますが、これも力による相手のコントロールを指していますが、圧倒的力があれば成就するでしょう。しかし、神(自然)は誰にもそのような力は与えてはいません。

 史上最強と言われていたダイヤモンドも例外ではなかったことは今では常識です。その事を頭に入れておけばお客様と売り手、友人知人、親子、夫婦、恋人などの人間関係も含めてうまく潤滑するのではないかと考えます。
 

2015年2月3日火曜日

非常識とダイヤモンド⁉

 多くの現在価値を持つ付加価値というものは非常識の中から生まれているような気がしますが、非常識というと悪いイメージがありますが、必ずしもそのような意味ではなく、ある一定のどうでも良いようなものにそれなりの価値が付いたり、それが常識になる過程の皆が見識を持つ前段階を指しています。

 ピカソやダ・ビンチ、そして、地動説のコペルニクスと最初は非常識と言われ、後の結果として、付加価値なのか常識かは別にして、今常識としている物や価値があるとされている物の多くは以前は非常識という類の物でした。現在のデジタル化やLEDなどもやはり大なり小なり同じ運命を歩んでいます。

 ダイヤモンドに関しても考えてみてください。ただの地球上に形成された鉱物です。つまり、タダのものが資産や権威の象徴になる様な価値が見出されているのです。常識的に考えると例え古代だったとしてもそこに価値を見だした当初は『ハア~ッ⁉』と言われたのではないかと考えます。

 そこに貿易などの様に多くの旅をしたり、非日常的な経験を持っている人間がお金はあるという権力者等にその価値を創造し、植え付けた概念が今に続いているのでしょう。勿論その人間が他人が認める見識や情報を持っていると認められている人間であることが前提ではありますが。

 結果から見ると常識や見識にとらわれず、価値が見いだされるという信念がそこにあり、常識の中からは見いだされる事のない価値を見いだす。つまり非常識から価値が創られる過程なのでしょう。

 先人たちには信念があり、人からどのように見られようとコンプレックスがありませんから、出来ないではなく、出来るといった感覚を自然に持っているのです。つまり、変われないということは変わろうとしていない、現代社会にでもある様な精神的な負を持っていないのです。

 よく言われることで、有名ブランドや高額な車に乗る人々の多くはコンプレックスを持っているといわれます。自分が他人の創った皆が認める付加価値を持つことで、そのコンプレックスを解消とする行動なのです。

 コンプレックスというのはある時はエネルギーになります。経験値からですが、成功を収めている多くの人は小柄で頑固です。世間を見渡してみてください。創立者であったり、二代目でも成功を収めている人の多くは同じような雰囲気を持っています。勿論そのような人々は意地でも認めないとは思いますが・・。

 一方、精神的なコンプレックスを持っている人の多くは前記したような他人が自分を判断しやすいようなエンブレムが入ったり、マークが入ったり特に前面に出ているようなものを中古であったとしても求めようとします。しかし、それは間違いなくマーケットなのです。

 これらの事は決して否定的な意味で書いているのではなく、足りない物を補う事がビジネスの基本であり、常識的に考えるだけであれば必要のない物を別途必要なものと認識をしてもらうには非常識の中から想像する必要があり、今の付加価値市場は非常識の中から生まれている事を考えれば、現状を破れるのではないかという思いからです。

 つまり、言葉は適当ではありませんが消費者の精神的コンプレックスを見出してあげる事により、それを埋めるものとしてのダイヤモンドなり、付加価値を提案できるのではと考えるのです。人は必ず意識、無意識問わずコンプレックスを持っています。

 ジュエリーでいえばシンデレラを創り上げるのです。宮廷への招待を受けても身に付けるものがないのです。魔法があれば良いので現実にはそれは叶いません。つまり、ジュエリーを着けなければいけない魅力的な場所を用意する事が必要で、その場所自体がコンプレックスを解消してくれる場所であるべきなのでしょう。

 

 

2015年2月2日月曜日

根源は⁉

 人質解放が悲惨な結果となり週末はどのメディアも日本ジャーナリストの殺害を報じており、それらの報道を見ていての違和感があったのは私でけでしょうか?

 政府の対応、自己責任、宗教上のねじれ等々沢山の意見がそれぞれの中東専門家なる人々が出ていて、もっともらしいことを解説はしていたと思います。しかし、人を殺める事に関しては建前の一般論では世界中が 否定をするでしょう。

 一番多く出ていた意見は「テロに屈してはいけない」これが一般的でした。しかし、それ以降の議論になると「彼らの理屈を理解しなければいけない。」とか「根源は欧米諸国にある」等々の意見が出てくる事が不思議に感じたわけです。

 今回の件を単純に拉致監禁殺人事件と捉えるだけでは不十分なのだろうか?その根源となった社会背景や歴史を考える必要があるのだろうか?と考えるのです。

 
 勿論、彼ら評論家の意見もわかるが歴史を見ても、そのような考え方では何も解決はしないのだと考えます。何故なら、所詮アメリカにおいても英国での貧困にから逃げ、カウボーイの魂を主体とした価値観が前提となっており、形は違えど、現代のイスラム原理主義者と行っている事は同じであり、貧困に立ち上がった武装集団が自分たちの理屈で資本主義に反旗を翻している図は全く変わり映えはしない。

 彼らの正義が通ったとしても、社会主義化し、いずれは今の中国の様に資本主義化をし、今のアメリカやイギリスのような自分たちの理屈を通すようになり、自分たちと融合しない物たちに関してはやはり排除を始めるのでしょう。

 連鎖を断ち切るには事件の背景を理解することはヒューマニズムとしては理解が出来るが、それと同時に絶対的抑止力を持たねければ、弱者が何時も犠牲になることになるでしょう。

 ヒューマニズムも大事ですが、それは国や人種によって価値観が違います。宗教によってはもっと価値観が変わります。それを誰かが理解をするのではなくみんなが理解をするという事は不可能です。

 最近起きている多くの若者が起こしている事件の背景をゲームが台頭し、現実の世界とバーチャルな世界の境目が理解できなくなっているという意見も一般論ではあります。しかし、現実にゲームが蔓延り、インターネットが張り巡らされ、それ自体が進歩の要になっていることも事実です。それを拒否することはできないのです。

 つまり、恐ろしい意見として取っては欲しくないのですが、匂いではないので元から考えても意味がないのです。その場で抑止力を堅持し、一方で絶対的罰を与える事が必要です。

 物事は善か悪か、否定か肯定かは別にして過去の歴史の失敗や成功の結果、現在に至っており必要なものとして残っています。必要悪という言葉がありますが、その場で悪であってもその後で善意なることも多くあります。宇宙であれ、地球であれ、人類であれ、何事にも根源はありますが形がそのまま残ることもありません。また、シーラカンスではありませんが必然性があればそのまま残るのです。

 ダイヤモンドに関しても、ただの石ッころが資産にもなる様な時代です。以前にも書きましたがそのダイヤモンドが原因で人の殺し合いも起きました。タダの石っころと思っていたら何も起きませんが必要悪であったとしても、それを悪とするならその対処を考えなければいけません。ダイヤモンドはその闇の部分より人々の暮らしを照らす部分が多くあるので現在に至っています。

 根源は変える事が出来ません。現在への対処が常にベターな方策です。人は今に生きていますから、今生きる術や対処が必要なのです。それが抑止力であればそうでしょう。其れの方法が厳罰なのであれば、それも必要だと考えるのは世界基準なのです。勿論、日本の基準があっても良いのですが、世界はもう繋がっています。