ページビューの合計

2016年1月19日火曜日

ダイヤモンドとS・M・A・P⁉

 ここ数日間SMAPの解散報道で騒がしかったというか、私自身そんなに興味を持っていたという事ではなかったのですが、騒ぎと同時に本当にSMAPが解散をするかもしれないという事に急に興味が出てきて見守っていました。

 色々と事情が報道されていますが、事実はわかりません。ただ一つ言えることはSMAPというものは個人の感情や事務所の事情でどうにでもなるという存在ではないという事です。つまり、もうある意味の公共性があり、行動や言動が常に社会に影響を及ぼす存在で、事務所やメンバーがその原点になっていたとしても今や社会が名実ともに社会の一つの現象として捉えているのです。

 公共性という意味では総理大臣だったリ、ましてや天皇陛下という御立場に居られたら個人感情はある意味認められないということです。

 勿論、そこまでの公共性とは言わないまでもそれに近い立場にあり、その存在でいる以上はそれを演出していかなければいけないのでしょう。ましてや事務所がどうこう言えることではないと思います。もうすでに一芸能人ではないのでしょう。先日のベッキーの不倫騒動や芸人レベルの立場ではないのでしょう。

 宝石業界も、出ては消え出ては消えといった半貴石や色石の流行やブームがありますが、常に宝石といったら代名詞のように、『ダイヤモンド』の名前が出てきます。これは単に贅沢品や宝石といったジャンルで括れることではなく、色々なメンバーズカードや象徴的な賞の冠の格付けには必ずといっていいほど『ダイヤモンド』という言葉が使われます。

 これは既に宝石のジャンルを抜け出し、ある種の慣用語になっている事をあらわしていると思います。それゆえにダイヤモンドという存在が意味とか価値が怪しくなると宝石業界自体が危うくなるのです。

 数十年前に米国宝石学会が出来、宝飾業界にダイヤモンドのグレーディング方式を持ち込みました。当初は真面目にダイヤモンドを分かりやすくするために真面目に取り組んでいたものが、一旦それが商売ベースに乗ることがわかると業界寄りに怪しげな事を始め、日本の鑑定会社においてもダイヤモンドを愚弄する様なまやかしが横行しました。そしてそれらの多くの鑑定会社なるものが退場をしていきましたが、まだその慣習が一部に残っています。

 しかし、現在はその米国宝石学会をはじめ日本の大手鑑定会社の一部がそのダイヤモンドの希少な立場に気付き、まじめに向き合っている様子が見られます。ダイヤモンドは既に業界の手の内で自由にまやかしてよいものではなくなっています。

 今度のSMAP騒動によって特別にファンであったわけでもなかったのですが、合って当たり前、いて当たり前といった存在が無くいなるかもしれない事の違和感というものが公共性といったものと実にシンクロしているなと感じた次第です。

 ダイヤモンドもSMAPも実は存在していて当たり前と思っていてもそれが簡単に出来上がったものではなく、そしてそれを認めている人々が大勢いることが前提となっている訳です。

 自分を計れる対象、その存在は自らの時代を記憶していくメモリーカードのようなものでもあります。今後も見守っていきたいものです。http://ameblo.jp/diamonrow

0 件のコメント:

コメントを投稿