昨日は恒例になっているお店での鏡開きを行いました。本来であれば鏡開きとは1月11日に鏡餅を割って祝うもんですが、当店ではお客様をご招待し、新年を開くという意味の新年会として樽酒を割り鏡開きとしています。
夕方5時からお集まりいただいて、俳優の柴俊夫さんをはじめ常連客や若い方を含め十数人がお集まりになり楽しいひと時を過ごさしてもらいました。
話しが柴さんのやっていらっしゃるチャリティーコンサートコンサートの話となり、色々とボランティアチャリティーの話しになりましたが、参加する方達の考え方やボランティアに対する考え方などなど色々と話題が出て、有意義なひと時でした。
勿論、ダイヤモンドの話も出て色々と質問される中でかのカリナンダイヤモンドの話しとなり、その話題が意外にも男性から出てきました。その方はフジTVのプロデューサーをなさっていた方でいろいろな取材の中でその話に興味を持たれていたそうです。
こんな機会があるたびに色々な方が色々な場面で活躍をされてきた事や普段では計り知れないような暮らしぶり等を知ることが出来て、多少のアルコールが入り、咲かせる話はとてもお客様との距離が近づき、何時もながらありがたく思っています。
ところで話は変わりますが、さきほど店の近くへ買い物に出たときの事ですが、女子大生であろう二人連れの会話が耳に入り、少しおかしくて吹き出してしまいました。その会話というのが
『第一志望はどこにしたの?』
と一人の女性がいうと
『そうね、第一候補は・・・・・・ね。』
ともう一人の女性
『ちょっとさー、こちらが受ける側なのに候補という言い方はおかしくない。それは決める側が使う言葉じゃないの。』
最初の女性が言うと
『へえ∼。そうかしら。どっちでもいいんじゃないの。』
と答える女性。
『でもさー。面接のときに「御社が第一志望です。」じゃあなくて「御社が第一候補です。」っていったら落とされるんじゃない。』
等々の話が耳に入って来て、思わず顔が緩んでしまいました。
なるほど、言葉とははっきりとした起源があるにもかかわらず時代とともに取り方が変わったり、使い方が変わったりするものだなと考えてしまいました。
確かに鏡開きにしても鏡割りという言い方もしますが、縁起を担ぐ場合には鏡開きといい、鏡もちを割る時に限り、鏡割りという言い方をして、お祝い事の際に樽を割る場合には鏡開きという言い方をするなと思いました。
いづれにしても、日本語は難しい・・。http://ameblo.jp/diamonrow
夕方5時からお集まりいただいて、俳優の柴俊夫さんをはじめ常連客や若い方を含め十数人がお集まりになり楽しいひと時を過ごさしてもらいました。
話しが柴さんのやっていらっしゃるチャリティーコンサートコンサートの話となり、色々とボランティアチャリティーの話しになりましたが、参加する方達の考え方やボランティアに対する考え方などなど色々と話題が出て、有意義なひと時でした。
勿論、ダイヤモンドの話も出て色々と質問される中でかのカリナンダイヤモンドの話しとなり、その話題が意外にも男性から出てきました。その方はフジTVのプロデューサーをなさっていた方でいろいろな取材の中でその話に興味を持たれていたそうです。
こんな機会があるたびに色々な方が色々な場面で活躍をされてきた事や普段では計り知れないような暮らしぶり等を知ることが出来て、多少のアルコールが入り、咲かせる話はとてもお客様との距離が近づき、何時もながらありがたく思っています。
ところで話は変わりますが、さきほど店の近くへ買い物に出たときの事ですが、女子大生であろう二人連れの会話が耳に入り、少しおかしくて吹き出してしまいました。その会話というのが
『第一志望はどこにしたの?』
と一人の女性がいうと
『そうね、第一候補は・・・・・・ね。』
ともう一人の女性
『ちょっとさー、こちらが受ける側なのに候補という言い方はおかしくない。それは決める側が使う言葉じゃないの。』
最初の女性が言うと
『へえ∼。そうかしら。どっちでもいいんじゃないの。』
と答える女性。
『でもさー。面接のときに「御社が第一志望です。」じゃあなくて「御社が第一候補です。」っていったら落とされるんじゃない。』
等々の話が耳に入って来て、思わず顔が緩んでしまいました。
なるほど、言葉とははっきりとした起源があるにもかかわらず時代とともに取り方が変わったり、使い方が変わったりするものだなと考えてしまいました。
確かに鏡開きにしても鏡割りという言い方もしますが、縁起を担ぐ場合には鏡開きといい、鏡もちを割る時に限り、鏡割りという言い方をして、お祝い事の際に樽を割る場合には鏡開きという言い方をするなと思いました。
いづれにしても、日本語は難しい・・。http://ameblo.jp/diamonrow
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