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2016年1月25日月曜日

琴奨菊の優勝⁉

 十年ぶりの日本人力士の優勝で日本中が湧いています。琴奨菊としてはよくやったという事になりますが、大相撲として日本人力士としてとかんがえると、十年がひと昔と言っていた時代はすでに影を潜め今や3年ひと昔前の時代です。

 日進月歩という時代の中で十年、それも国技という意味での中で相撲で日本人力士が十年も優勝をしていなかった中でよくも相撲人気が衰えなかったといえます。途中では暴力や薬物問題もありました、そんな中モンゴル出身の力士たちが頑張って来ていたのです。

 特に白鳳に至ってはこの間数々の記録を打ち立て相撲人気を支えてきました。本当に彼自身も相撲に打ち込み日本の相撲に貢献をしてくれました。しかし、最近の彼の言動を聞いていると何故か少し拗ねているようにも感じることがあります。

 日本の国技の中で日本人力士が十年ぶりに優勝をするという事は国民も騒ぐことも当然でしょう。しかし、白鳳自身の実績や存在が否定をされている訳ではありません。ただ、彼の取り組みを見ていると陰りを感じ、彼自身が求めていた横綱としての理想からは少し離れていっているように見えます。ただ、まで十分な力はあります。

 この相撲界の現実が今の日本のすべてを凝縮しているように見えるのは私だけでしょうか。海外からたくさんの文化が入り、日本文化もその影響により少しづつ変化を起こし現状があります。

 戦後70年と言われた昨年は色々な意味で過去の歴史をさかのぼりました。しかし、戦後というだけではなく、日本の文化をもう少し振り返ってみたらどうだろうと思う事があります。

 例えば漆塗りの文化というものでもいまや殆どが中国産のものが多く、その日本の文化でもある漆塗りの文化を支えているのは英国からのご婦人で、家族で日本に移住をして日本の漆塗りの文化を守っています。

 勿論、これらの話ばかりではありません。ある部分日本の文化というものは神道の精神『八百万の神』ではないけれど、あらゆることに寛容で異なものでも受け入れるといったところがあります。

 それゆえに他の国ほど自分たちの文化に執着せず、また他の文化も素直に受け入れるといった部分もあります。

 表面上は他から見れば日本は保守的で、寛容さに欠けると見えることもあるかもしれません。今回の琴奨菊の優勝にしても日本中が歓び白鳳はじめ他の国出身の力士をないがしろにしているように見えるかもしれません。しかし、他の国の人が考えるほどはその事に執着している訳でもありません。

 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるのでしょう。しかし、それが日本なのです、伝統を守ることの重要性が薄らぎ大事なものを失っているように見えるかもしれませんが、実はそれが日本なのです。

 日本人は将来の為に何かを考えることは苦手です。今に生き、今に対応するという事が日本人の得意なことです。現代の日本においても世界の変化に対応することは日本のお家芸と言ったことでもあるでしょう。

 日本の一番苦手な事は政治である事は歴史を見ていても解ります。しかし、日本人一人一人はその時々の歓喜に酔う事があってもその他の貢献を忘れることはありません。モンゴル人力士に対してはこれからも頑張ってほしいし、日本人は海外出身の力士であれ、日本に対する貢献は忘れません。http://ameblo.jp/diamonrow
 

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