この正月の間に色々な場面で考えることがあり、業界や自らのビジネスを単純に考察をしながら【初心】という言葉がやけに頭に浮かびました。
人は価値にお金を支払い、それ以外には関わりの中でやむを得ない状況にお金を支出します。基本的には人間主体の欲求や関心ごとが価値であり、それに対してお金を支払っています。
しかし、人間の欲求や関心というものは時代や環境の変化によりその内容は変わってきます。 ただそこには普遍的な価値という物も勿論存在し、それが我々人間社会の中での一つの基本にもなっている訳です。
変遷していく価値は何によって変わるかというと、その時代時代の倫理観でしょう。倫理観というのは法律ではないが、社会的秩序を守るうえで共通認識しなければいけない事と理解をするわけですが、簡単に言うと社会的秩序の共通認識が無ければそのコミュニティは崩壊をするという事です。
ビジネスというものは不変的価値と変遷する価値をどう理解し組み合わせるかという事です。その中での倫理というものは時として偽善的に作り出されることがあります。それは犯罪でいえば詐欺であり、反社会的であったりするわけです。過去のオウム事件であり、現在のイスラム国なども彼らの団体の中での倫理というものは彼らの仲間内で偽善的に作り出されたものでもある訳です。
難しくなりましたが、宝飾業界においては不変的価値というものはダイヤモンドをはじめ三大宝石という事になり、それ以外の時代とともに需要の変化をする半貴石やジュエリーは変遷ある価値ともいえるでしょう。
特にジュエリー業界の中には倫理という物を考慮せずに偽善的に作り出される状況や販売方法も多く取られることがあります。特に近年の販売方法に関していえば苦虫を噛み潰したくらいではでは済まなくなるような販売方法もよく目にします。
現代の世の中で人間の欲求や関心の対象にどれくらいなるのか疑問符もつくような宝飾品ですが、実際にまだ宝飾品は売れています。ただ、その売れ方が普遍的価値として売れている場面と変遷ある価値観の中で売れているというよりは普遍的価値と偽善的価値で売れているように思います。
簡単に言うとまやかしに近い商法だったり、情を押し付けるような商法が目につくような気がします。これらの行為は不変的価値まで危うくするような気はします。
業界自体の過去構築され一つの価値を生み出してきた価値を守るためにも業界の倫理を守る必要もあるだろうし、其々の販売会場においても倫理を逸脱した販売方法の是正を促すべきなのでしょう。
売れればなんでも良いという時代は終わりを告げ、業界を守っていくには倫理の中でのビジネスが必要になっていき、そこに新たな価値が生まれてくるのだと考えています。でなければ業界の将来はなくなっていくのでしょう。
人間の心の中は白も黒も存在はしません。限りなく白に近い灰色か、限りなく黒に近い灰色の存在です。ただどの濃さの灰色に基準を置くかという事が倫理であり、その中に価値という存在があるのです。綺麗事だけでは社会が回らないことも大前提としてあることも知っています。しかし、それは生きていく上で必要最小限の汚れをコントロールしていくことが理性であり、それ自身が価値なのです。http://ameblo.jp/diamonrow
人は価値にお金を支払い、それ以外には関わりの中でやむを得ない状況にお金を支出します。基本的には人間主体の欲求や関心ごとが価値であり、それに対してお金を支払っています。
しかし、人間の欲求や関心というものは時代や環境の変化によりその内容は変わってきます。 ただそこには普遍的な価値という物も勿論存在し、それが我々人間社会の中での一つの基本にもなっている訳です。
変遷していく価値は何によって変わるかというと、その時代時代の倫理観でしょう。倫理観というのは法律ではないが、社会的秩序を守るうえで共通認識しなければいけない事と理解をするわけですが、簡単に言うと社会的秩序の共通認識が無ければそのコミュニティは崩壊をするという事です。
ビジネスというものは不変的価値と変遷する価値をどう理解し組み合わせるかという事です。その中での倫理というものは時として偽善的に作り出されることがあります。それは犯罪でいえば詐欺であり、反社会的であったりするわけです。過去のオウム事件であり、現在のイスラム国なども彼らの団体の中での倫理というものは彼らの仲間内で偽善的に作り出されたものでもある訳です。
難しくなりましたが、宝飾業界においては不変的価値というものはダイヤモンドをはじめ三大宝石という事になり、それ以外の時代とともに需要の変化をする半貴石やジュエリーは変遷ある価値ともいえるでしょう。
特にジュエリー業界の中には倫理という物を考慮せずに偽善的に作り出される状況や販売方法も多く取られることがあります。特に近年の販売方法に関していえば苦虫を噛み潰したくらいではでは済まなくなるような販売方法もよく目にします。
現代の世の中で人間の欲求や関心の対象にどれくらいなるのか疑問符もつくような宝飾品ですが、実際にまだ宝飾品は売れています。ただ、その売れ方が普遍的価値として売れている場面と変遷ある価値観の中で売れているというよりは普遍的価値と偽善的価値で売れているように思います。
簡単に言うとまやかしに近い商法だったり、情を押し付けるような商法が目につくような気がします。これらの行為は不変的価値まで危うくするような気はします。
業界自体の過去構築され一つの価値を生み出してきた価値を守るためにも業界の倫理を守る必要もあるだろうし、其々の販売会場においても倫理を逸脱した販売方法の是正を促すべきなのでしょう。
売れればなんでも良いという時代は終わりを告げ、業界を守っていくには倫理の中でのビジネスが必要になっていき、そこに新たな価値が生まれてくるのだと考えています。でなければ業界の将来はなくなっていくのでしょう。
人間の心の中は白も黒も存在はしません。限りなく白に近い灰色か、限りなく黒に近い灰色の存在です。ただどの濃さの灰色に基準を置くかという事が倫理であり、その中に価値という存在があるのです。綺麗事だけでは社会が回らないことも大前提としてあることも知っています。しかし、それは生きていく上で必要最小限の汚れをコントロールしていくことが理性であり、それ自身が価値なのです。http://ameblo.jp/diamonrow
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