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2016年1月30日土曜日

決断⁉

 私は仕事柄、自ら決断をする性分でもあるのですが、決して独りよがりや自分勝手と言うつもりはありません。しかし、人からはどう見えるのかはわかりませんが少なくても知人は多い方かもしれません。

 日本の多くの会社と仕事をする際に感じることでもあるのですが、話し合っても結論が出ないが出ないだけではなく大方の結論は会議を始める前から決まっているような気がします。

 政治の世界においても個人としてはおかしいと思っていても政党やそれ以外の利害を優先しているような結論が多く感じられます。それは善処というより手前勝手といった内容です。一つの例ですが、選挙区の定数是正に関しても憲法違反であることが分かっていてマニュフェストに上がっていても先延ばし、挙句の果てには論議もしない。そして、声高に議員削減を公約としています。

 個々の中では正しいと思っていても、個人としての結論を出せないことも多く、日本独特とは言えませんが日本に多く見えるビジネススタイルなのかとも思います。

 いつもこのブログで触れるダイヤモンドのグレードについても多くの賢明な業界人は今までの日本での取り扱いについては疑問を感じています。ただ、多くの販売に携わっている人々が疑問を持たずに仕事を行っているとそこに波紋を投げかけたくはないと思うのでしょう。結果としての売り上げだけを考えると口をつぐんでしまうという事になります。

 しかし、現代はネットをはじめ多くのニュースソースが存在します。消費者は合っているかどうかは別にしても情報を多く持っています。その為に、結果的にいい加減なその場しのぎ的な説明をしている販売員からは遠ざかっていきます。

 自分で知識を得、そして自らが判断をし、正しいと思う事を口にする勇気を持つことの大事さを感じることが多々あります。今が無難に過ごせれば良いという感覚は過去のものになっているような気がします。

 結果オーライの仕事の仕方は殆どの状況でうまくいかず。その時に自らの判断ではなく他人の結論に従った時の後悔は繰り返します。どこかで自らの判断で決断をする時を造らなければなりません。

 何故、今回この話を書いたかというと最近続けて相談をされることがあり、そのほとんどが愚痴から始まっていたのです。そして現在の自分は好きでやってきた事ではないという言葉が出てくるのです。

 現在の自分の状況は過去の自分の選択をした結果であり、将来どうなりたいかがはっきりしているのならば、それに向かって自らの判断で現在を過ごすしかないのです。何時も後悔を繰り返すのは自らの強い意思ではなく、流されその時に楽な事を選んできたからです。

 偉そうなことはいえませんが、経験からそう思うのです。
座右の銘
《今日は昨日の明日、今日は明日の昨日。》拝
 http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月28日木曜日

お子様口⁉

 子供の頃、口にしただけで苦くて吐きそうであったビールの味がおいしく感じるようになるのは何故だろう?

 経験や環境を積み上がることにより味覚が変わることはよくあります。特に顕著なものはビールなのだろうと思います。昨年機会がありワインエキスパートの資格を取り、ワインをそれなりに試していくようになると感じることがあります。

 ワインを何も考えずに飲んでいた頃は飲みやすくそれなりに重みも感じ、味わいのある…と思っていたワインの殆どが新世界のワインでした。つまりアメリカをはじめオーストラリア・チリなどの物がそれです。

 しかし、いくつかの条件や経験で自分なりに選んでみるとやはり以前は手にしなかったものが多くなりました。つまり経験を経て大人口になってきたのでしょう。

 このように経験を経て大人になっていくと感性も変わっていきます。子供のうちは経験値や選択値も少ないために簡単に心地よい物だけを口にしたり身に付けたりするのでしょう。これは自然が与えてくれた人間になっていくための条件なのかもしれません。

 つまり、口当たりや心地の良い物を感じさせることにより口に食べ物を運ばせることを容易にし、食物からの栄養なり必要なものを取らせる本能を磨かせるわけです。それは何も食べ物だけではありません。身につけるものであれ知識であれ、子供感覚では心地よく、大人感覚になったら本当に必要なものを心地良くなくても口にしたり、身に付けたり、頭に入れたりしなければいけません。

 そしてそれが最終的に心地の良いものだと覚えていくのでしょう。ある意味感覚的に心地よいものは大きな意味はなく、その後に大人感覚になって本当の心地よさを知るのでしょう。

 実はジュエリーに置き換えることもできます。見栄えの良いデザインで幼稚なデザインの物ほど一般受けをするのですが、それは価格的にも安く感じるからです。実は本当の意味するジェリーは色々な意味合いがそこに含まれることが多く、大人は素材や宝石そのものを見定め、子供は一見華やかでその場満足の出来るものを選びます。

 また販売員の子供も価格だったり、見栄えの良い物を勧めがちです。どうしても経験が少ないために本来の醍醐味を伝えきれないからだと思います。実は大人の消費者の方がそのへんをよく熟知している事を感じることがあります。

 長い目で見ての使用頻度だったり対応性だったり、はたまた継承性に重要性を置くことがよくあります。大人の販売員はそのへんを熟知しており、ポイントとして時折消費者にとっての苦みを感じることであっても消費者の立場に立ち言葉を選んでいるように思えます。

 ワインもおいしいだけを選んでいると、物足りなさを感じるようになります。ジュエリーは其れが顕著なものだと思っています。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月26日火曜日

相続とダイヤモンド⁉

 よく問い合わせがあるのが生前贈与が伴うダイヤモンドの運用です。勿論これは法律の問題も絡みますから軽軽な事はいえませんが、購入したダイヤモンドを子供たちに相続するという事はよくあることですが其れが相続税の対象になるのかどうか、これは難しい問題です。

 実はダイヤモンドの贈与という意味では以前にも書いたことがありますが、婚約指輪であれば税金の対象にならないという社会一般の常識がありますが、それでは誕生日のお祝いにどうか?はたまた、成人のお祝いとしてはどうなのか?そしてそれがいくらの金額なら税金の対象になるのかは其々の管轄の税務署の裁量に任されていることが多いのです。

 例えば最近ではDAIGO&北川景子さんの婚約指輪ですがブランド品で約1000万円ほどと報道されていますが、これは課税の対象になるのかどうか?

 勿論これは課税対象になるともいえるし、ならないともいえるのです。つまりははっきりとしたラインが無いのです。それゆえに問い合わせの材料ともなりやすいのです。一般的には慣習としての贈り物に課税をするといった無粋な事は税務署としてもしにくい訳ですが、あまりにも不適切と思われるような金額のものは如何なものかという事になります。

 しかし、これも難しく仮にDAIGO&北川景子の婚約指輪が想定1億円だったらどうだったのか?これも難しい問題です。つまり、贈る本人がどれくらいの収入があるのかという問題にもなってくるでしょう。『給料の3カ月分』といった目安で捉えるとしても難しい問題です。

 これ等の難しさをふまえた上での質問が多いのも事実です。つまり生前に相続の一環としてダイヤモンドで贈るという事に関しての相談です。勿論ダイヤモンドの手配はしますし、その後の運用方法についてのご相談もお受けしますが、ダイヤモンドについては一言があります。

 先日の展示会においての事ですが、ある母娘さんがダイヤモンドをお求めになりました。娘さんお腹には臨月を迎えた赤ちゃんがいます。その子も女の子という事で既に3代のの女性がそこにいる訳です。

 お母さんが
『今ここで私が買ったものは、お腹にいるこの子まではこのダイヤモンドのペンダントを着けることが出来るでしょう。そういうのって素晴らしいですね』
ということでした。そして、私が
『それには大きくて美しいものであることが必要ですね。そうであれば粗末には扱わないでしょうし、売ってしまおうとも思わないでしょうからね。』

 という事で最初に誰が購入したのかという事も語り継がれるようにペンダントの裏側にイニシャルを入れて差し上げる事となりました。

 これも立派な相続です。つまりダイヤモンドに関しては金融的なお話をよくしますが、必ずしもそれだけではないという事もご理解願いたいのです。
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2016年1月25日月曜日

琴奨菊の優勝⁉

 十年ぶりの日本人力士の優勝で日本中が湧いています。琴奨菊としてはよくやったという事になりますが、大相撲として日本人力士としてとかんがえると、十年がひと昔と言っていた時代はすでに影を潜め今や3年ひと昔前の時代です。

 日進月歩という時代の中で十年、それも国技という意味での中で相撲で日本人力士が十年も優勝をしていなかった中でよくも相撲人気が衰えなかったといえます。途中では暴力や薬物問題もありました、そんな中モンゴル出身の力士たちが頑張って来ていたのです。

 特に白鳳に至ってはこの間数々の記録を打ち立て相撲人気を支えてきました。本当に彼自身も相撲に打ち込み日本の相撲に貢献をしてくれました。しかし、最近の彼の言動を聞いていると何故か少し拗ねているようにも感じることがあります。

 日本の国技の中で日本人力士が十年ぶりに優勝をするという事は国民も騒ぐことも当然でしょう。しかし、白鳳自身の実績や存在が否定をされている訳ではありません。ただ、彼の取り組みを見ていると陰りを感じ、彼自身が求めていた横綱としての理想からは少し離れていっているように見えます。ただ、まで十分な力はあります。

 この相撲界の現実が今の日本のすべてを凝縮しているように見えるのは私だけでしょうか。海外からたくさんの文化が入り、日本文化もその影響により少しづつ変化を起こし現状があります。

 戦後70年と言われた昨年は色々な意味で過去の歴史をさかのぼりました。しかし、戦後というだけではなく、日本の文化をもう少し振り返ってみたらどうだろうと思う事があります。

 例えば漆塗りの文化というものでもいまや殆どが中国産のものが多く、その日本の文化でもある漆塗りの文化を支えているのは英国からのご婦人で、家族で日本に移住をして日本の漆塗りの文化を守っています。

 勿論、これらの話ばかりではありません。ある部分日本の文化というものは神道の精神『八百万の神』ではないけれど、あらゆることに寛容で異なものでも受け入れるといったところがあります。

 それゆえに他の国ほど自分たちの文化に執着せず、また他の文化も素直に受け入れるといった部分もあります。

 表面上は他から見れば日本は保守的で、寛容さに欠けると見えることもあるかもしれません。今回の琴奨菊の優勝にしても日本中が歓び白鳳はじめ他の国出身の力士をないがしろにしているように見えるかもしれません。しかし、他の国の人が考えるほどはその事に執着している訳でもありません。

 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるのでしょう。しかし、それが日本なのです、伝統を守ることの重要性が薄らぎ大事なものを失っているように見えるかもしれませんが、実はそれが日本なのです。

 日本人は将来の為に何かを考えることは苦手です。今に生き、今に対応するという事が日本人の得意なことです。現代の日本においても世界の変化に対応することは日本のお家芸と言ったことでもあるでしょう。

 日本の一番苦手な事は政治である事は歴史を見ていても解ります。しかし、日本人一人一人はその時々の歓喜に酔う事があってもその他の貢献を忘れることはありません。モンゴル人力士に対してはこれからも頑張ってほしいし、日本人は海外出身の力士であれ、日本に対する貢献は忘れません。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2016年1月23日土曜日

ダイヤモンドの価格の推移⁉

 ダイヤモンドは最近のオークションでのファンシーカラーダイヤモンドのとんでもない落札価格を見ているとかなりのレベルで価格が上がっているように見えますが、2年前を契機にダイヤモンド全体としては横ばいの数字を示しています。

 特に2015年に関してはダイヤモンドのレンジによっては価格が下がっています。勿論景気のせいもあるだろうし、多くの先進国ではたくさん人々が既にダイヤモンドを所有しているという事もあります。

 これは以前と違ってシンジケートが価格調整を行ったり、供給調整を行っていない証拠と言っても良いでしょう。つまり、市場原理に任せれているという事を考えれば健康的とも言えます。勿論十年単位といったレンジで見れば価格は間違いなく上がっているのですが、株式市場が如くデイトレードのように短期間で考えるべきものではないのでこれは良しという事でしょう。

 しかし、以前と違う所はサイズやシェイプによって価格の微妙な差があるという事です。例えば3CTSアップのペアシェイプでいえばむしろ価格が上がっています。それは研磨の絶対量が特に少なかったという事もあるでしょう。これは原石が少ないというより景気が悪く、よほどの形が良くなければむしろ安く売らなければいけないので研磨をするより原石のままにしておいた方が無難だという理屈です。

 勿論それぞれのところにそれなりの理由はあります。ポインター(1ct以下)に関していえば一般的な市場としては一番大きい訳ですが、冷え切った市場ではその需要があまりないという事になり価格も弱含みという事になります。

 しかし、格差社会という言葉が根付いて久しいのですが、金持ちレンジのところで捉えると彼らが欲しがるとことはやはり品薄ですから価格は強含みです。其れが最近オークションで高値を付けている要因でもあるでしょう。

 いずれにしても今後もある一定の大きさなり希少性のある物は強含みでしょうが、一般人用といっては何ですがスタンダードの市場においては価格は弱含みになるでしょう。なんだか天気予報みたいですが、ところによりといった表現がぴったりの市場になるのかもしれません。

 小さなサイズのところは特にCVDやHPHTといった人造ダイヤモンドや処理ダイヤモンドが市場に投下されつつあるので更に価格が弱くなる可能性はあります。中国や東南アジアで中国系やインド系のメーカーが供給するジュエリーに関しては特に気を付けなければいけません。パヴェ留めや取り巻き等の小さなサイズにはそれらの石が入っている可能性が大きくなっています。

 今後ともに、それらのジュエリーの対する対処は業界側としてきちっとしていかなければいけないでしょう。http://madam-g.blogspot.jp/   こちらの読んでください】

2016年1月21日木曜日

東京国際宝飾展⁉

 昨日、東京ビックサイトで行われている国際宝飾展に顔を出してきました。印象的には会場も狭くなり、会場の1/3をリサイクルジュエリーが占めているという現在を象徴する様な様相でした。

 もちろん海外からも(主に中国であるが)来場をしておりましたが、一般客の入場がかなり多く目立ちました。当店のお客様とも鉢合わせをして罰の悪そうなお顔をなさっておりました。勿論、現在では宝飾品に興味をお持ちの方がどのような形で宝飾品をお求めになるかは個人の自由ですが、旧知の業者が
『こんなに一般客が多くなっては小売店さんいる場所が無くなってきますね』
と嘆いておりましたが、以前から主催の方にも申し上げてきた立場からすると、主催者にとっては業界の将来を考える立場にはいないという事で、展示会主催者としてどのように集客を上げるかが主題であるという事でした。

 参加をしている出展者の多くもお客が業者かどうかがそんなに大きな問題では無く、その場でいかに売上を上げるかが大事で、本来の顧客でもある小売店さんを守る立場という事を考えている人たちは極めて少ないという事です。

 現在を象徴し、如何にも現代の日本人的考え方だなと思うと同時に、かつての日本人はここまで合理的で刹那的考え方をしている事はなかったと、宝飾品を扱ってきた身としては些か複雑な心境です。

 その場ではなく長いレンジで考えるものが宝飾品であると教えられてきた立場からすると、現在の30代から50代初めの業者さんたちを見ていると何故かかわいそうな気もします。彼らは高度成長もバブルも真中で経験をした世代ではないので宝飾品を使う市場の経験をほとんどしていないのでやむを得ないともいえるのでしょう。

 現代のように仮装金融経済の世の中ではお金を動かしている人々も宝飾品に目を向けている暇もなく、販売している側も売れる時に売っておかなければという気持ちにもなり、その背景なども気にしている暇などもないのでしょう。

 しかし、消費者の犠牲の上に立つビジネスは長続きはしないでしょう。あくまでも消費者の利益の上に立たなければ。特に宝飾品は其れが価値でもあるし、それが目的でもあるし、それが本懐なのではと考えています。

 ここ数年の宝飾展を見ているとその経緯経過を見ているような気がします。なるべくしてなっているという事を痛感するのです。私の人生訓でもある
『今日は昨日の明日。今日は明日の昨日』
という言葉がありますが、現在の結果は過去の結果であり、今何をしているかで未来が決まります。業界の将来が不安です。
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2016年1月19日火曜日

ダイヤモンドとS・M・A・P⁉

 ここ数日間SMAPの解散報道で騒がしかったというか、私自身そんなに興味を持っていたという事ではなかったのですが、騒ぎと同時に本当にSMAPが解散をするかもしれないという事に急に興味が出てきて見守っていました。

 色々と事情が報道されていますが、事実はわかりません。ただ一つ言えることはSMAPというものは個人の感情や事務所の事情でどうにでもなるという存在ではないという事です。つまり、もうある意味の公共性があり、行動や言動が常に社会に影響を及ぼす存在で、事務所やメンバーがその原点になっていたとしても今や社会が名実ともに社会の一つの現象として捉えているのです。

 公共性という意味では総理大臣だったリ、ましてや天皇陛下という御立場に居られたら個人感情はある意味認められないということです。

 勿論、そこまでの公共性とは言わないまでもそれに近い立場にあり、その存在でいる以上はそれを演出していかなければいけないのでしょう。ましてや事務所がどうこう言えることではないと思います。もうすでに一芸能人ではないのでしょう。先日のベッキーの不倫騒動や芸人レベルの立場ではないのでしょう。

 宝石業界も、出ては消え出ては消えといった半貴石や色石の流行やブームがありますが、常に宝石といったら代名詞のように、『ダイヤモンド』の名前が出てきます。これは単に贅沢品や宝石といったジャンルで括れることではなく、色々なメンバーズカードや象徴的な賞の冠の格付けには必ずといっていいほど『ダイヤモンド』という言葉が使われます。

 これは既に宝石のジャンルを抜け出し、ある種の慣用語になっている事をあらわしていると思います。それゆえにダイヤモンドという存在が意味とか価値が怪しくなると宝石業界自体が危うくなるのです。

 数十年前に米国宝石学会が出来、宝飾業界にダイヤモンドのグレーディング方式を持ち込みました。当初は真面目にダイヤモンドを分かりやすくするために真面目に取り組んでいたものが、一旦それが商売ベースに乗ることがわかると業界寄りに怪しげな事を始め、日本の鑑定会社においてもダイヤモンドを愚弄する様なまやかしが横行しました。そしてそれらの多くの鑑定会社なるものが退場をしていきましたが、まだその慣習が一部に残っています。

 しかし、現在はその米国宝石学会をはじめ日本の大手鑑定会社の一部がそのダイヤモンドの希少な立場に気付き、まじめに向き合っている様子が見られます。ダイヤモンドは既に業界の手の内で自由にまやかしてよいものではなくなっています。

 今度のSMAP騒動によって特別にファンであったわけでもなかったのですが、合って当たり前、いて当たり前といった存在が無くいなるかもしれない事の違和感というものが公共性といったものと実にシンクロしているなと感じた次第です。

 ダイヤモンドもSMAPも実は存在していて当たり前と思っていてもそれが簡単に出来上がったものではなく、そしてそれを認めている人々が大勢いることが前提となっている訳です。

 自分を計れる対象、その存在は自らの時代を記憶していくメモリーカードのようなものでもあります。今後も見守っていきたいものです。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月18日月曜日

雪模様⁉

 本日、東京は朝からの雪です。自宅付近はあまり車も通らないので私も車をやめて電車で通勤ですが、最寄り駅の二子玉川の駅はホーム混雑の為に改札規制中でした。

 何とかホームに上がったのですが、やはり混雑で一台電車に乗れずに吹きっさらしの中ただただ耐えるのみです。やっと乗れた電車も身動きが出来ないとはこの事なのかと思うほどに動けない。

 自宅を降り積もった雪に気を付けながら重心を下げやっと駅に着いたら今後は立ち往生、そして、電車に乗ると今度はギュウギュウ詰めで動けない挙句の果てには電車がスムーズには動かず、普段なら10分程度のところを20分以上かけ到着しました。

 東京は少しの雪で完全にマヒ状態になる事は普段からわかっている事とは言え、あまりにももろい感じがします。先週まで行っていた札幌の事を考えるとなんでこんなにもろいんだろうと思います。

 東京が動き出すまでにはあと数時間擁するのだろうと思いますが、毎年の行事のようにあるこの惨事は予想はするが準備をしないという日本人の独特な考え方なのだろうか。多分一日の事だし、ちょっと我慢をしていればといった精神性もある様な気がします。

 テロに関しても、あるかもしれないがそんなに大きなことではないだろう。もし、大きくても自分には関わりはないだろう。もしくは多分無いだろうといった平和ボケ的な部分もあるのかもしれない。

 将来のことに関しても、今の政治を変えるつもりであれば将来がもっと違う形になると思うのですが、将来が不安と口では言っているのですが、若者たちに関しても政治に関心はないように思えます。

 つまり、今現状起きていない事にはそれほどの現実味が無く、今起きていても少し我慢をしていればといった様な精神性だろうと思います。しかし、こういった考え方は過激な行動を抑制もしているので良くもあり、悪くもありといった気がします。

 もしこれらの考え方が使い分けることが出来たのなら日本は満更悪い国でもなさそうな気がします。いずれにしても、東京の雪模様はあと1,2日続くのでしょうが楽しむには少し寒すぎます。

雪は白く汚い物を隠してくれます。
雪は綺麗に見えますが、その下には危険もあり汚いのも隠れています。
雪はそれ自身綺麗ですが、時には災害も起こします。
綺麗は汚いの反意語ではなく、汚さを持ち合わせているという事なのかもしれません。
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2016年1月16日土曜日

まやかし⁉

 今週は何時も参加をさせて頂いている展示会にお邪魔をしてきました。いつものような内容で書くことは忍びないのですが、何故にお客様を混乱させるような売り方をするのかが不思議でならないのです。

 とあるお客様が私に
「先月、他の業者さんのところで買った指輪なんですけど交換は出来るんですか?」
という問い合わせ。

 なんでも、本当は他のものが欲しかったんだけれど値段を4,5回引いてくれたので仕方なく買い求めたという事ですが、娘さんがもう少し言えばもっと安くなるんじゃないかといっていた事もあり、やはり好きでもない物を買ってしまった後悔もあり、付けたくないとの事でした。

 勿論、一回とはいえ身に付けた物や支払いの終わったものは返品は難しいのではとお話をしたのですが、なんとなく合点の行かない様な様子でした。

 しかし、販売をした業者の社長は綺麗事では商売にならない、売れなければ意味がないといった趣旨の発言をまましている事もあり、賢明な販売員は近づかないようにしているとの事でもあります。

 綺麗事という意味をはき違えているような発言に聞こえるのですが、売れれば何をやっても良いという意味に捉えているとしたら大きな間違いです。宝飾業というものは本来の実用品ではないので扱っている者たちによっては『まやかし品』にもなるし、『宝もの』にもなるものです。

 そんな宝飾品をさらなるまやかしで販売をしていてはよくある『ツボ売り商法』と何ら変わらなくなってしまいます。 現在は催事業から出てきた業者が多く、本来宝飾業者が培ってきた本質的な価値を食いつぶしながら商売をやっているように感じます。

 値引販売が出来るのも本来価値を高めたり創り上げてきた先人たちがいるから成り立っている業界だという事を理解が出来ていないのだろう。自分たちが商売を出来る原点を忘れるとやがては衰退に向かう事になる。

 イタリアのローマが遺跡の観光で成り立ってきたにもかかわらず、食い散らかしてきた遺跡を保護することもせず多くの遺跡が朽ち果てかかっていたことによく似ています。他の国の遺跡保護団体の働きかけによって世界中の寄付により補修工事が行われてなんとか体裁を保っていますが、日本の宝飾業界には守ってくれる保護団体は存在しません。

 自らの力で宝飾の価値を今一度成り立たせるようにしなければいけないのです。外から見ればよくわけのわからない業種です。それをまやかし商法で続けているとやがては朽ち果てる事になるでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

 
 

2016年1月11日月曜日

ダイヤモンド価格の基準⁉

 成人の日ということもあり、朝から多くの新成人たちが晴れ着姿で街を闊歩しています。いつみての晴れやかで良いものです。反面ここ数年勘違いをしている新成人たちも目立つ様になってきました。

 北九州では何の勘違いなのかど派手ないで立ちに花魁姿などの度肝を抜かれるような姿が名物になっているそうですが、みっともないという事で市を上げて抑制キャンペーンを行いましたがほとんど効果がないという事でした。新成人たちの言葉を拾うと「一生に一度だから目立ちたい」という事でしたが、一生に一度しかない行事を表面だけの一時的満足感に浸るというのはどうなのだろうかとも考えます。

 時代とともに本質的な意味合いではなく見た目を重要視するのは昨今の風潮なのだろうか。

 人間の創った習慣や常識というものは時代とともに変わっていくのは致し方がないとしても、その出来上がった背景は忘れてはいけないのだろうと考えます。

 最近金相場が安値傾向にありますが多くの知識人たちもこの辺が底値だろうとの意見が多くその根拠となっっているのが産金価格、つまり産地でのコストです。現在目安とされているのが1,200ドル/オンスなのですが、すでに現在はその価格を割っています。しかし、実際には現在の産金価格は850ドルから950ドルともいわれています。

 過去の有事対応のドル買いという姿はすでに過去のものとなり、現実には代替は多くの金融商品だったり、他の安定資産という事になります。これは時代が変わり、金の保有率が世界基準で考えると金の代替資産としての役割が終わりつつあることを暗示しているような気がします。

 日本においてもインフレに強い資産とか安全運用資産とかいった言葉が飛び交っていましたが、それは過去のものとなるのかもしれません。それは市場に十分な金があり、産出される金の量が既に市場にそれほど影響を与えないという事の意味なのかもしれません。

 過去の金の財産としての成り立ちは単純なものです。綺麗で華やかの物で希少性が高く、支配層の権威を高める象徴として、更には加工性の高さという事は価値の原点となっていました、しかし、時代とともにその材料の意味合いが資産性となり更には金融商品としての側面がその中の現物資産としてその立場を有利にしてきたという事もあります。

 しかし、現在はビットコインに象徴されるようにデジタルコインの時代です。勿論デジタルコインの危うさは付きまといますので、現物資産としての注目度は変わらないでしょう。

 そんな中特にダイヤモンドに関してはかなりの変化が現れています。勿論当初は金と同じように支配層の象徴として価値が見いだされてきたのですが、途中シンジケート等の価格コントロールの中、価格の安定や決定が行われてきました。

 しかし、現在は複数のシンジケートに代わる組織の台頭でその背景が大きく変わってきたいます。一つには老舗のデ・ビアス社ですが、ロシアの官営企業でもあるアルロッサ等々のシンジケートに匹敵をするような組織の台頭です。

 これらの組織の進出によりダイヤモンドの供給はある種のコントロールが付きにくくなってきています。その為に1ct以下の小粒のダイヤモンドに関してはジュエリーの素材という面と供給過多という面もあり、価格が市場原理のままで動く部分が多く出てきています。その為に価格が弱含みです。

 大粒のダイヤモンドに関してはその供給システムには関係なく、絶対量の少なさから価格は強含みです。つまり、価格の二重構造が出来上がっている訳です。金のような公表された産金価格というものはないのですが、コストはやはりある訳ですが市場に多く供給されている物に関してはやはり市場原理が強く反映をされてきてしまいます。

この続きはいづれまた・・・・。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月9日土曜日

鏡開き⁉

 昨日は恒例になっているお店での鏡開きを行いました。本来であれば鏡開きとは1月11日に鏡餅を割って祝うもんですが、当店ではお客様をご招待し、新年を開くという意味の新年会として樽酒を割り鏡開きとしています。

 夕方5時からお集まりいただいて、俳優の柴俊夫さんをはじめ常連客や若い方を含め十数人がお集まりになり楽しいひと時を過ごさしてもらいました。

 話しが柴さんのやっていらっしゃるチャリティーコンサートコンサートの話となり、色々とボランティアチャリティーの話しになりましたが、参加する方達の考え方やボランティアに対する考え方などなど色々と話題が出て、有意義なひと時でした。

 勿論、ダイヤモンドの話も出て色々と質問される中でかのカリナンダイヤモンドの話しとなり、その話題が意外にも男性から出てきました。その方はフジTVのプロデューサーをなさっていた方でいろいろな取材の中でその話に興味を持たれていたそうです。

 こんな機会があるたびに色々な方が色々な場面で活躍をされてきた事や普段では計り知れないような暮らしぶり等を知ることが出来て、多少のアルコールが入り、咲かせる話はとてもお客様との距離が近づき、何時もながらありがたく思っています。

 ところで話は変わりますが、さきほど店の近くへ買い物に出たときの事ですが、女子大生であろう二人連れの会話が耳に入り、少しおかしくて吹き出してしまいました。その会話というのが
『第一志望はどこにしたの?』
と一人の女性がいうと
『そうね、第一候補は・・・・・・ね。』
ともう一人の女性
『ちょっとさー、こちらが受ける側なのに候補という言い方はおかしくない。それは決める側が使う言葉じゃないの。』
最初の女性が言うと
『へえ∼。そうかしら。どっちでもいいんじゃないの。』
と答える女性。
『でもさー。面接のときに「御社が第一志望です。」じゃあなくて「御社が第一候補です。」っていったら落とされるんじゃない。』

等々の話が耳に入って来て、思わず顔が緩んでしまいました。

 なるほど、言葉とははっきりとした起源があるにもかかわらず時代とともに取り方が変わったり、使い方が変わったりするものだなと考えてしまいました。

 確かに鏡開きにしても鏡割りという言い方もしますが、縁起を担ぐ場合には鏡開きといい、鏡もちを割る時に限り、鏡割りという言い方をして、お祝い事の際に樽を割る場合には鏡開きという言い方をするなと思いました。

 いづれにしても、日本語は難しい・・。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2016年1月7日木曜日

アメリカがアメリカである意味⁉

 ダイヤモンドの話とは少し違うのですが、北朝鮮の水爆実験なるものもあり、世界がだんだん雲行きが怪しくなってきたような気がします。

 私が最初に留学したのがアメリカという事もあり、アメリカの事が好きであることを前提に現在思っている事ですが、オバマ大統領になり、彼が政治的側面といえノーベル平和賞を受賞したころから、アメリカの様子が少し変わってきました。

 明らかにアメリカの力が弱体化をしてきたのです。世界の警察を自任していたころは鼻に付くところがあるといってもやはり世界は安定をしていたような気がします。

 昨今でいえば英国の経済の肩入れが中国に持っていかれても反応はなし、シリヤ難民問題にしてもフランスとロシアが近づいても関与はなし、アフリカで紛争が起きていても関与は無し、さらには自国の都合だけで原油の輸出を決定し、今後の世界の不安定に関しては殆ど関心をしていないようにも見えます。本来であれば世界の安定を考え殆どに首を突っ込んできたことです。

 勿論、強いアメリカの時にもそれなりに問題はありました。しかし、オバマ大統領が就任以来中国の台頭が重なったとはいえあまりにもお粗末な状態がISIS問題を含め多々起きています。これは政治力が落ち、不安定な世界を創り出してきたオバマ政治の結末なのだろうか。

 アメリカは世界の警察とともに世界の悪人であったほうが世界は安定をするような気がします。反社会的組織(ヤクザ団体)が幅を利かしていたころにはもっと若輩層の不良たちをコントロールして現在のような訳の解らない事件の多発を抑えていたように・・・。

 『毒をもって毒を制す』ではないが、行き過ぎは困るけれど暴力には暴力をとまではいいませんが抑止力というものは何時の時代に必要不可欠なのではないだろうか。

 経済に関してもそれぞれの国の法律が違い都合の良い国に本社を置き、節税や脱税に多くの多国籍企業は精を出しています。それぞれの法律や倫理というものは違って当たり前という考え方を前提としてビジネスを行うというよりは、グローバルという言葉を借りて世界共通が如く常軌を逸したビジネスが横行していることには懸念をする次第です。

 それぞれの文化や習慣があるようにグローバル化と言いながらすべてを同じように見る事には無理がある以上、唯一世界共通なものは武力という力なのではないでしょうか。其れが分散することが世界を不安定にしているのではないだろうかと考える次第です。

 銃規制がないところには重犯罪が起きます。しかし、それを安定させようとするとそれ以上の力が必要です。アメリカでさえ国内でその規制さえできないでいます。しかし世界的に見てアメリカがもう一度力を持ちその上でアメリカの民主主義により、暴走と自制をする必要があるのではないだろうか。

 小さな国とはいえ北朝鮮がもし本当に核爆弾の所持をしたとなったら酔っ払いが銃を持ったようなものですから世界を不安定にする要素としては十分すぎるような感じます。

 正義とは時として武器を持つことも必要となってくるのではないだろうか。会話だけで事を解決するには多様過ぎるし、年末のように難民を受け入れているドイツ国民は難民によって傷つけられるのです。

 アメリカがもう一度元のアメリカに戻ることを願ってやみません。

ダイヤモンドと盗賊⁉

 先日行われたタイ・バンコックでのジュエリーショーでのことです。『私は日本人です。』と言いながらダイヤモンドを見せてほしいという事で売り場に来た明らかに中国人とわかるような男女のカップルでしたが、販売員が6ctほどのダイヤモンドを見せたところほかのも見せてほしいと他を指さしておりました。

 販売員が促されてそちらの方を見ている間にそのカップルはいなくなったそうですが、その後には如何にもガラス玉とわかる様な偽物が置いてあったとの事です。

 早速ビデオを解析の結果、顔が解り手配し空港で御用になったところ、この女の方がダイヤモンドを飲み込み三日三晩ダイヤモンドが腹の中で暴れ、すったもんだの挙句出た来たのらしいのですが、不幸はこのダイヤモンドが偽物だったというオチなのです。

 出展者が防犯上という事でキュービックジルコニアを展示していたという事ですが、ジュエリーショーで偽物を展示している事も珍しい事ですが、やはり素人よりもプロの偽物の方が信憑性が高いというコントみたいな話です。

 古い話ですが、あの有名なダイヤモンド【カリナン】の3,000ctsあまりの原石が南アフリカで発見された時にも、女王に献上するために運搬するために工夫がされていました。運ばれることは盗賊たちの耳にも入り運搬する船が運搬途中で襲われ、運搬品は盗まれたのですが、実はそれは偽物で、本当の原石は一般郵便で婦人用の帽子箱に入れられ、ロンドンの郵便局員の自宅あてに送られていたというものです。

 これらの話は盗賊の裏をかいて話ですが、昨今のジュエリーショーでは盗賊の方に軍配が上がることが多いようです。昨年も香港のジュエリーショーを訪ねたときに、入り口で違和感を感じ顔見知りの主催者のマネージャーに『セキュリティーが甘いのではないか』と一言告げました。

 その初日の夜香港のTVはジュエリーショーで2億円ほどの盗難があったことを告げていました。2日目の会場で一部の出展者と話をしていたところ後ろでざわつきがあり、振り返ると頭から黒い頭巾をかぶせられた男たちが5人ほど警察に捕まり、誘導されておりました。聞くところによるとその日から会場に入っていた覆面警察に現場で逮捕されたそうです。

 三日目からは警察が入口のチェックに立っており、それはそれで違和感のある会場となっていましたが、事件が起こらないことが何よりです。現在の香港は中国本土からの盗賊団が多く来ており、仕事が終わるとそのまま中国本土に逃げ帰るという事らしいです。

 日本のジュエリーショーにおいても最近は規模は違うにしても同じような事が多発しており、今までの日本人の感覚でいては被害がまだまだ広がりそうな気がします。多くの外国人が日本に来ることは良い事だとは思いますが、受け入れる側の対応は歓待だけでは不十分でその逆の対策も必要なのではないでしょうか。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月5日火曜日

価値⁉

 この正月の間に色々な場面で考えることがあり、業界や自らのビジネスを単純に考察をしながら【初心】という言葉がやけに頭に浮かびました。

 人は価値にお金を支払い、それ以外には関わりの中でやむを得ない状況にお金を支出します。基本的には人間主体の欲求や関心ごとが価値であり、それに対してお金を支払っています。

 しかし、人間の欲求や関心というものは時代や環境の変化によりその内容は変わってきます。 ただそこには普遍的な価値という物も勿論存在し、それが我々人間社会の中での一つの基本にもなっている訳です。

 変遷していく価値は何によって変わるかというと、その時代時代の倫理観でしょう。倫理観というのは法律ではないが、社会的秩序を守るうえで共通認識しなければいけない事と理解をするわけですが、簡単に言うと社会的秩序の共通認識が無ければそのコミュニティは崩壊をするという事です。

 ビジネスというものは不変的価値と変遷する価値をどう理解し組み合わせるかという事です。その中での倫理というものは時として偽善的に作り出されることがあります。それは犯罪でいえば詐欺であり、反社会的であったりするわけです。過去のオウム事件であり、現在のイスラム国なども彼らの団体の中での倫理というものは彼らの仲間内で偽善的に作り出されたものでもある訳です。

 難しくなりましたが、宝飾業界においては不変的価値というものはダイヤモンドをはじめ三大宝石という事になり、それ以外の時代とともに需要の変化をする半貴石やジュエリーは変遷ある価値ともいえるでしょう。

 特にジュエリー業界の中には倫理という物を考慮せずに偽善的に作り出される状況や販売方法も多く取られることがあります。特に近年の販売方法に関していえば苦虫を噛み潰したくらいではでは済まなくなるような販売方法もよく目にします。

 現代の世の中で人間の欲求や関心の対象にどれくらいなるのか疑問符もつくような宝飾品ですが、実際にまだ宝飾品は売れています。ただ、その売れ方が普遍的価値として売れている場面と変遷ある価値観の中で売れているというよりは普遍的価値と偽善的価値で売れているように思います。

 簡単に言うとまやかしに近い商法だったり、情を押し付けるような商法が目につくような気がします。これらの行為は不変的価値まで危うくするような気はします。

 業界自体の過去構築され一つの価値を生み出してきた価値を守るためにも業界の倫理を守る必要もあるだろうし、其々の販売会場においても倫理を逸脱した販売方法の是正を促すべきなのでしょう。

 売れればなんでも良いという時代は終わりを告げ、業界を守っていくには倫理の中でのビジネスが必要になっていき、そこに新たな価値が生まれてくるのだと考えています。でなければ業界の将来はなくなっていくのでしょう。

 人間の心の中は白も黒も存在はしません。限りなく白に近い灰色か、限りなく黒に近い灰色の存在です。ただどの濃さの灰色に基準を置くかという事が倫理であり、その中に価値という存在があるのです。綺麗事だけでは社会が回らないことも大前提としてあることも知っています。しかし、それは生きていく上で必要最小限の汚れをコントロールしていくことが理性であり、それ自身が価値なのです。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月4日月曜日

ダイヤモンド世界の日本⁉

 今から三十数年前、最初に世界各地のダイヤモンド取引所に足を踏み入れた時に驚いたのはどこの取引所内のモニターには世界の株式市場と同時に為替相場として円¥レートが表示をされていたことでした。

 世界の主要通貨であることは理解をしていても所詮は国内だけの事と考えていたので驚いたことを覚えています。そのおかげかどうかは解りませんが多くのユダヤ人や各国からのバイヤーの中に入っても引け目さえ感じませんでした。

 それだけ世界のダイヤモンド市場は日本のマーケットに目を向けたいたのでしょう。米国、日本合わせて世界のダイヤモンド市場の約70%を占めていたのです。因みに日本は

 しかし、現在はというとダイヤモンドの世界においては世界第3位の経済大国ではないのです。なぜなら、何処の取引所に行っても円¥レートが表示されている事が少なく、私がい一番出入りをしているイスラエルのダイヤモンド取引所の入り口付近にあるモニターで唯一名残なのかおもかげなのかはわかりませんが、表示をされている程度です。

 しかし、世界のダイヤモンド事情や市場動向を知らせるマガジンには全く円レートが記載されることもなく、JAPANの文字が入ったカテゴリーそのものがなくなっています。以前は私自身もこのマガジンに依頼をされ、リポートを書いたり、取材に応じたりしていたものですが、現在ではほとんど興味自体を持たれてはいません。

 香港、インド、イスラエル、アントワープ、ロシア、カナダといった現在ダイヤモンドビジネスの主流である各国の事がリポート内容の殆どになっています。勿論米国は何時でも一番ですから市場レポートがないこと自体がありません。

 華やかであった日本のダイヤモンドマーケットは過去のものになったのでしょうか?

 いいや、そうではありません。現状のような世界ではもう国単位でダイヤモンドのマーケットを語ることはできません。多くの日本の富裕層は買い方自体を工夫しており、実際に一昨年の大粒ダイヤモンドの購入者の上位には日本人の名前を見る事が出来ます。そしてそれは今も続いています。

 世界から見た日本のダイヤモンド市場は網で漁をする漁場ではなく、一本釣りをする重要な市場となっているのでしょう。大きなサイズの案内は多く海外から来ます。勿論ほとんどが情報開示の数日後には消滅しています。

 ダイヤモンドビジネスのOB、特にアメリカではリタイヤ後にファイナンシャルプランナーになる友人が多くいます。それは資産運用に長けている人々が多い事を物語り、さらにはアメリカにおいてある程度のダイヤモンドを動かすにはその知識自体が必須であることを意味している訳です。

 日本においてダイヤモンドのビジネスが定着することは難しい事だとは思っていますが、ダイヤモンドがジュエリーだけのビジネスだと思っている人々が主流になっている間は世界から置いて行かれるような気がします。

 今朝ほどの空き巣に入られ4500万円ほどの現金が盗まれたニュースが流れていました。今なお9兆円ほどのタンス預金が市場にはあるといわれています。どれもこれも国に対する不信だったり、金融機関に騙されまいとする自己防衛なのでしょうが、マイナンバーのスタートがきっかけになり、ダイヤモンドのビジネスの新たなジャンルが日本に根差すことを願ってやみません。
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2016年1月2日土曜日

ダイヤモンド新年⁉

 ダイヤモンドの価格の決まり方については長い間触れてきました。4Cのグレードで価格が決まる訳ではないという理屈も多くの人には解ってきて頂いたように感じています。最初の頃は、販売員のセミナーで講師を行っていても多くの人々は4Cのグレードで価格が決まると思い込んでいました。

 単純な質問として『もしそうだとするなら、価格は全国一律という事ですね?』という質問をして初めて価格が同グレードであっても場所やブランドによっては違うという事に気が付いていただきました。

 大きな意味で大きさや品質や希少性で価格が違う事は何の品物でも一緒です。しかし、付いているグレードが価格を決定しているような錯覚をどこでしたのでしょうか。これらのシステムが持ち込まれたときには、販売側の人間が付けることにより、取り扱いダイヤモンドの価格の違いを説明するためのもので、いわゆる販売者の取り扱い説明書みたいなものだったわけです。

 それは販売する人々が信用されていた時代であったので、其々がグレードを付けていても疑われる余地はなかったわけです。しかし、ほとんど知識のない一攫千金を狙う販売者が増え、消費者も疑念を抱くようになり、第三者のグレーディングレポートを付け中立性や責任回避を狙ったのですが、これはまた問題があったわけです。

 ここには中立性をうたった鑑定会社があったとしても、ビジネスですから、顧客である販売者の意向に沿ったグレーディングをする事がまま多くなってきた訳です。本来公式なものでも保証のある物でもないことが前提にある訳ですから何の問題もない訳です。しかし、如何にも統一基準のように装って価格競争をする輩が増えてきて多くの消費者が犠牲になってきた訳です。

 本来のグレーディングレポートの意味やその基礎時代に携わってきた立場からすると、それらの販売方法はほぼ詐欺に近いものに見えていたものです。今になってわかることは販売していた人間たちも理屈を分からないで教えられたとおりに販売していただけでした。しかし、これももう過去の話です。

 昨今はダイヤモンドのタイプをはじめ色々な要素が価格を決めているという事も知られるようになり、昨年あたりではダイヤモンドのタイプⅡを前提に販売をするところも出てきて、鑑定会社も多くの間違いを基礎にして科学的に判定をするようになり、明らかに時代が動き始めている予感がするようになりました。

 最近よく触れている事ですが、ダイヤモンドの金融商品としても側面も多く現れるようになってきて、昨今のような格差社会が際立ってくると、さらなるその面が強調されるようになってくる予感がします。

 というよりダイヤモンドの本来の姿が明確になってくることに今年は顕著な傾向が現れてくるでしょう。ダイヤモンド新年というよりは回帰といった方が良いのかもしれません。

 回転ずしが本来のすし屋とは違う訳でもなんでもありません。寿司をより庶民化したものだと思っています。しかし、本来のすし屋がその為に衰退するわけではありません。回転ずしも皆が皆うまくいくわけではありません。寿司を知り寿司屋出身の社長がやっている回転ずしは良好なところが多いように思いますが、すしの基本を知らずして始めた回転ずしは皆退散をしています。

 今まで宝飾業界も展示会を主戦場にしてきた催事屋さん達のような、いわゆる回転ずしのようなところと、ちゃんとした寿司屋が如く宝飾品を扱ってきたお店と両方ありましたが、やはり市場が混乱に陥ってきたことは否めません。

 消費者にはその違いが判りませんから不幸な時代が続いたように思います。本物よりも偽物の方が解りやすいという事もあります。それはプロがちゃんとした知識を持ち説明することをおろそかにしてきたからです。今後は今までのようにはいかないでしょう。まがい物はやはり長続きしません。沢山の良識がある業者が残り、もう一度業界の需要がよみがえる年にしたいものです。
http://ameblo.jp/diamonrow