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2015年10月31日土曜日

ハロウイン⁉

 毎年ではありますが、この10月31日は和が商店街ではたくさんの子供に御菓子を配っています。本来は収穫祭に悪霊を追い払う宗教的行事ではなりますが、日本ではすでにクリスマスが我が国特有のお祭りになっています。

 日本人は何かとお祭りにすることが好きで、クリスマスにしてもヴァレンタインデイにしてもすでに欧米とは形が変わり下手をすると日本の形が欧米諸国に伝播していく様になっています。

 日本人が大人しくシャイな印象があったのはすでに過去のものとなり、今では出たがり、目立ちたがりが主流になっているように思えます。SNSなどが広がりその様相はさらに拍車がかかり、自分のランチをアップしたり、今どこにいて何をしているのかを皆と共有したがる様子はにわかには信じがたい気がします。

 過去、我々のビジネスにおいてもダイヤモンドの婚約指輪や、アニバーサリーリングなどがおお流行りになりましたが、これもやはり業界が仕掛けたもので日本人はやはりこの手の他人が仕掛けてくれたものにのることが上手なのかなとも思います。

 ハロウインの御菓子を配りながら、子供たちの可愛いコスチュームを見ていると、まさに数年前との大きな違いを感じざるを得ません。どこまで行くのだろうと思いながらも子供たちのはにかみながらお菓子を手にする様子を見ると思わずにやけてしまいます。

 このような国民性が今の経済なども支えていくのだろうと思いながら、仕掛けることの難しさもあるでしょうが、デジタルではないアナログな祭りが経済を支えていくことが本来の経済の源流にあるのかなと、ハロウインと関係のないことが頭に浮かぶことは固すぎるのでしょうか。(笑い)

 

2015年10月27日火曜日

ダイヤモンドは変わらない!?

 イスラエルでの買いつけも3日目を向かえ、こんなことがあるのだろうかと思うほどこちらの思うようなものが無い。またあったとしても価格が折り合わないことが多く、憂鬱になるような気分です。

 勿論、こちらが無理すぎるようなオファーをしているわけではないのですが、とにかく相手は手ごわいのです。その背景には市場が弱く思うほどの利益を上げられないマニュファクチャ側の都合もあるのですが、利益が上がらないファンシーカットなどの研磨を行わないといった理由もあります。

 しかし、ファンシーカットなどになる原石はやはりラウンドブリリアントになるものよりは原石も安く手に入れているはずなのですが、ファンシーカットなどは形に好みもありますので原石がよほど都合が良くなければやはり売れにくいということもあります。結果安くしても売ってしまうということになり利益も上がらないということになります。

 ラウンドブリリアントにしてもにグレード販売が主流を占めているので価格を大きく市場とかけ離sれたものには出来ないということになります。しかし、結果グレードさえ出れば販売の出来るラウンドに関しては利益が少なくても販売は可能なのでラウンドが主流になります。

 ここで問題が何時ものように起きるわけです。少しでも利益を上げたい業者はファイクグレードに手を出すことになるわけです。以前国内の鑑定会社でもそれがばれて結果つぶれてしまったところもあります。

 最近ではやはりマニュファクチャがグレードをつけて販売をすることも多くなり、これはバイヤーに価格をたたかれない様に先にグレードをとってしまおうということです。しかし、価格チャートが存在し、グレードがすでに付いていればプロが必要なくなりますので、取引所内においてもダイヤモンドのことをよく知らない人々が横行するようになります。それはブローカーであれバイヤーであれです。

 いよいよもってそんなことが、とあきれるしだいです。モラルを前提とした価値でもあるダイヤモンドの信用を落としかねないことです。結果的にはハッキングを行ったのがこのビジネスに携わる者だとしたら、自らの首を絞めているようなものです。

 ダイヤモンドを見る訓練をすれば済むことをそんなすぐにボロが出るようなことで努力をするなんてばかげています。そして何よりも価値を説明することによりそれなりに価格で販売が出来るように努力をすればよいだけのことです。

 ダイヤモンドが変わるわけではなく、扱う人間のモラルが変わってきただけです。

 モラルに低い人々が業界を去る日が来ればもっとダイヤモンドが輝くでしょう。

 

 そうなるとまた顔を出すのでファイクグレードです。以前はイスラエルであり、今回はインドでですがグレードの主流を占めているGIA(米国宝石学会)にハッキングされグレード結果の改ざんが行われたのです。http://ameblo.jp/diamonrow

 

2015年10月25日日曜日

イスラエルにて!?

 昨夜テルアビブに着き、空港からも列車の都合がよく、今回は良いことがありそうな予感がしていたのですが、今朝は朝からの雨で、少し出鼻をくじかれたような思いです。

 事前に研磨上がりの状況を確認はしてきたのですが、現在は取引所とはいえ大粒が足りない状況です。確かにここ数年オーックション等でも落札されている大粒は殆どが過去のもので、ファンシカラーにしてもやはり各持ち主が回している感じにもうけます。

 よく今後本当にダイヤモンドの価格は上がるんですかという質問を受けますが、しょうじき断定するようなことが出来ません。しかし、株や地金にもよく比べられるのですが、それらが確実だという人がいるのだとしたら、それの数倍の確立で断定できるでしょう。

 勿論限りある資源だということが出来ますが、消費資源ではありませんから無くなることもありませんし、代替のものが出てくるとも考えられません。ましてや以前より、資産性が増していることも事実でしょう。そのことを考えると繰り返し使われる資産として考えるとやはり値上がりの可能性は高いでしょう。

 ただ、金やプラチナのように一律の品質のものではないので品質により自分にあった価値の物を手に入れることは出来るでしょう。確かに地金もそれに合わせた重さで手持ちをすればよいのでしょうが少し価格が大きくなると持ち運びもままにはなりません。動産の価値というものは携帯性や移動性が容易であることを考えるとダイヤモンドにはかないません。

 先月シンガポールでダイヤモンドの取引所オープンの件を依然書きましたが、それなりの登録数が増えていると聞きます。従来のダイヤモンド取引所はプロの上流が前提でしたが、シンガポールはプロも消費者も関係ありません。それは株式市場のようにその差が無いのです。

 勿論大きなサイズのものが中心ですから、従来の市場にそれほど大きな影響があるとは思えませんが、大きなサイズをそれなりの資産で運用をする人々には朗報でしょう。日本にもそんな遠くではない日に上陸をするようなことも聞いています。

 サイトを覗いてみましたが、たいへんお金の掛かったすばらしいつくりのものです。ただ大きなミスを犯しています。多分にダイヤモンドビジネスの上流での経験が少ないのかということも感じました。しかし、オークションシステムといったことを考えるとそちらのほうのプロがかかわって作ったことは大いに想像できます。いずれ、改善されるのでしょう。

 以前イスラエルをはじめアントワープ、ニューヨークと取引所や買付事務所を回ってみて、今ほどの品不足を感じたことはありません。勿論恒常的な市場を形成しているもの(小さなサイズ等)は足りているような気がしますが、宝石としての醍醐味のあるものは本当になくなりました。

 供給元は以前のシンジケート一本槍ではなく、複数の供給元が増えたのにもかかわらずです。これから今回の買付が始まるのですが、大粒から見ていくつもりです。特に5ctsアップのところは数が少ないのでなるべく手に入れたいものです。
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2015年10月22日木曜日

ダイヤモンドの未来予想図⁉

 ダイヤモンドの登場は旧約聖書になりますが、実際に表舞台に出てきたのは14、5世紀の事でしょう。そして金融的な役割を持ち始めて300年余りになり、庶民になじみ始めて100年にも満たない時が過ぎていきました。

 私自身がこのビジネスに接するようになってからでも多くの変遷がありました。それは庶民のものになったという事が大きいのでしょう。しかし、、結果的に資本主義の原点ともいえる価格競争がおこなわれ、その上一部の心無い業者によるグレード詐称なるものが行われ、業界の信用を著しく傷つけました。

 これのは現象はダイヤモンドそのものに価値があるという人類の判断があるからである事は疑いようのないものです。もし、何らかの価値もないとしたら数百年もの間、富の象徴として君臨し得ることができたでしょうか。

 ダイヤモンドの知識が広まるにつれ、4Cのグレードという物に危うさが出てきたようにさえ感じることがありますが、一方でダイヤモンドの本当の価値を見る事が出来る消費者も多く出てきたように思います。当方のお客様でも、財産保全を目的とした購入を考える方もいれば、単純にダイヤモンドを愛でる事が好きという方もいらっしゃいます。

 そしてそれらの方々の中には大きさを求める方もいれば、品質を求める方達もいらっしゃいます。
大事な事はダイヤモンドを知るという事ですが、ダイヤモンドの品質は一律ではありません。組み合わせだけでいえば、数万の組み合わせにもなるでしょう。しかし、一般的には人間が判断をしうる範囲の組み合わせですから、ダイヤモンドシンジケートのオフィシャルによる1万数千程度の組み合わせでしょう。

 人間も同じように色々な性格、外観の人々がいます。ダイヤモンドも同じように様々なのですが、
一番に目立つのはサイズの大きさでしょう。これは世界共通といっても良いでしょう。その次に来るのが形で、輝き、色という順序で一般的な人々の目に入って判断をするものです。

 どれを基準にするかは、人間関係と同じように好みがあります。スタイルの良い人、小柄な人、大柄な人、そして、性格といったように様々です。特に性格は人ぞれぞれで多くの人が否定的であっても自分にとってはとても良い人であったり、多くの人が好意的な人間でも自分自身にとってはどうも苦手という人もいれば、相手が誰でもあまり気にしないという人もいます。

 古い言葉に『長所と交われば悪友なし』という言葉があります。どの部分を見るかは人それぞれで、どの人間にも必ず魅力はあるという事です。ダイヤモンドにおいてもそれぞれという事になりますが、多くの業界人も含めて勘違いをしているのはダイヤモンドを一括りにしているという事です。実はダイヤモンドは大雑把に分けてには3種類あり、宝石としてのダイヤモンドと工業用にダイヤモンド、そして単に鉱物としてのダイヤモンドとあります。

 宝石としてのダイヤモンドは美しい事が前提ですから、昨今一流百貨店やTV局が主催のTVショッピングで行ているような格安ダイヤモンドの殆どは鉱物学的にダイヤモンドというだけのものが多いので、果たして宝石といえるのかどうか疑問です。

 話しが一通りとなったところで、ダイヤモンドの未来ですが、多くの人々の需要の形が変わってくるという事でしょう。従来通り、ジュエリーの材料の一部としての用途もあり、財産保全、投資用のダイヤモンドあり、そしてコレクションとしてのダイヤモンドと人ぞれぞれのダイヤモンドへの接し方が違ってくることは容易に想像でき、ダイヤモンドビジネスに接する人々のスタイルも変わることは必須となってくるでしょう。

 その案内役を担う事が出来るのはごく一分の業者になるであろうし、顧客のニーズに合わせると同時に啓蒙も同時に行えるだけの知識も必要になってくるのでしょう。

 いずれにしてもダイヤモンドが単純にダイヤモンドではない時代に突入をし始めたことは疑いもない事実です。それぞれがどう接するかは其々次第という事でしょう。
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2015年10月20日火曜日

小さな正義と大きな正義⁉

 『小さな親切大きなお世話』という言葉がありますが、最近、安倍総理が携帯電話の料金を下げるよう検討するように指示を出し委員会が出来たという事ですが、理屈は携帯電話料か家庭の生活費を圧迫しているという事らしい。

 確かに安ければ皆喜ぶであろうことは想像が付きます。しかし、何か間違ってはいないだろうか?本来の必需的な事だけに携帯が使われているのだろうか?実際にはそれ以外の用途で使用され犯罪も起きているのではないだろうか?

 実際の現代に生活において必要な部分もあるとは思います。しかし、ほとんどの場合はそれ以外の手段で済むことだったたり、携帯を使うがあまりトラブルが起きたりといった本来に人間生活にむしろ障害をもたらせてはいないだろうか?実際に10年ほど前にはなにも困ってはいなかったように思えます。

 一見、国民を向いている政策のように見えますが、私には『小さな親切、大きなお世話』に見えます。それは政治家がやることでもないし、小さな正義は大きな正義を見誤らせます。今回の政策は人間の度量に比例することを考えると、総理の器に疑問が生じます。

 何事も、小さな正義というものは行う側の単なる満足感である事が多いように思います。よく例に出されることですが、アフリカを救うには食料を与えることもそうですが、畑を耕すことや、教育をする事への手助けをするべきという事が挙げられますが、まさにその通りです。

 食料品を与え、その喜ぶ顔を見て満足している人も良く見かけます。しかし、それは何時まで続くのでしょうか?

 根本的な事を解決するには救済を求める人々に課することが実際にはあるのでしょう。それは救済を求める人々に本当に立ち直ってもらいたいという気持ちがあれば心を鬼にしなければいけないこともあるのでしょう。

 マイ・ナンバー問題には何回か触れてきましたが、今行政の方では一元管理をしないから、個人情報が一蓮托生でハッキングをされることはないという説明をしていますが、本来の問題はそれを運営する行政に対する信用が無いという事だという事に気づいていません。勿論気が付いていても気が付かないふりはすると思いますが・・・。

 本来不公正税制を是正するという事が根本的な事としていますが、官民の不公平待遇が根本にあるのですから、何をか云わんやです。

 身の回りにも沢山の小さな正義と大きな正義があります。勿論小さな正義を否定している訳ではありません。それが本来の正義と思っている人も多くいます。安倍総理のように・・・・。

 しかし、大きな正義は痛みも伴うのかもしれませんが現代においてはビジネス、生活とあらゆる場面で大きな正義を問うてみるのも良いのではないでしょうか?

 本当にこれでよいのか?・・と。
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2015年10月16日金曜日

マイナンバーのそもそも⁉

 最近はTVで毎日のようにマイナンバーの話題が報道されておりますが、運用だけではなく既に運用側の行政のミスも同じように報道されています。

 実際の運用になると暗証番号やパスワードのようなものも用いなければいけませんが、6~12ケタの英数字を含むパスワードのようなものやそのほかに暗証番号が必要という事で、代理人の場合は委任状、紛失した場合は住民票と印鑑などなどお年寄りや、赤ん坊やお年寄りには無理があるのではないかという内容が盛りだくさんです。

 その他にも問題が目白押しですが、この制度最終的にはどこへ向かうのだろうと考えます。色々な場面で想定するとパスポートをとる時に戸籍抄本がいらなくなるとか、将来的には保険証の代わりになるとか、いろいろな可能性と利便性をうたっています。

 しかし、軽減税率の問題も含めて財務省案が通らず、来年の選挙を見据えて公明党の意見に配慮をしているなどなどの報道がありますが、誰の為に国民が犠牲にならなければいけないのか疑問です。このまま不都合の度に修正案が加わると最終的にいつでも携帯し、提示を求められて持っていなければ連行されるという事態にもなるのではないか。現実に今でも外国人は登録票を携帯していなければ警察にしょっ引かれます。

 これでは全くの社会主義の入り口に向かっているようなもので、社会主義は国民の動静をすべて管理をする事が基準になっていますので、満更遠い話ではないのです。そもそもが財務省が国民一人一人の財布の中身を管理したいという所から始まっている制度だし、そのかわりこんなに便利ですよと一生懸命説明をしている訳だけのものです。

 不公平税制や利便性をうたっていますが、そもそも官僚、役人と一般国民の間柄自体が給料体制、年金体制、住環境体制すべてが不公平であるところが一般国民の反感を招いているのですから、その辺が解消されれば皆一生懸命税金を納める努力をすると思うのですが(すべての人とは言いませんが)、そこの解消無しではその盲点をついての節税、脱税がもっと増えるような気がします。

 そもそも国民の側に立った制度ではないことが問題であり、マイナンバーがクレジットカードに必須になったり、口座にひも付きになったり、将来的にカードにGPSが仕込まれたりしたら、ここはどこの国かという事になります。

 政治家や、官僚役人が襟を正すだけで、ある一定の解決が出来る問題を国民側の不誠実のように作られてきたこの制度はいったい何なのであろうかと考えます。
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2015年10月14日水曜日

常識⁉

 昨日の夕刻やってきた友人が世間話をしながら、宇宙論という事で話し出した時に「自分は天文学者の話を聞いていて瞬間的にむなしくなることがある。」と言い出し、人間の人生なんて宇宙時間で考えるとほんの一瞬だという言葉が引っかかったという事です。

 人生の中での営みなんてと考えるようになると色々とむなしくもなり、大事にするものも変わる様な気がするという事でした。それは彼の仕事柄かもしれないが、とことん深く追及をしたくなるようでした。(彼の仕事は俳優)

 その彼がいきなり
『高木さん、ダイヤモンドの価値って何だろう?』
といきなりダイヤモンドの話題に
『どういうことですか?』
と聞き返すと
『宇宙からダイヤモンドをたくさん含んだ隕石が落ちて来たら、その価値はなくなる訳でしょう。それに、実用品でもないダイヤモンドが何故価値を持ち続けるんだろう?』
と言葉をつづけました。

 『もし、今の時代でなければ今のような価値は持っていなかったでしょう。其れにダイヤモンドが今のように一般化され始めて価値を定義付けられて、まで400,500年の事です。』
と私は言葉を選びながら話し始めました。

 確かにいつもこのブログでもか書いているように、嗜好性が高い物であることも事実ですし、実用品でもない物です。しかし、それではなぜ人々はこれに価値を見いだしたのでしょうか?今や、世界共通の価値として人々が認めているということはそれが現代に常識であり、必要な要素であることが認識をされているという事だと思います。

 何故といわれてもそういうものだとしか答えられないのですが、ダイヤモンド以外のものでも絵画や技術品といわれるものもやはり価値があるとされています。それは歴史を経て皆が価値をそこへ見いだしたのでしょうが、皆が皆その事自体に価値を見いだしているとは思えません。

 つまり、常識というものは時代、場所、時には宗教によって違うものではないでしょうか。今や一般的になったスマートフォンやインターネットは今や常識です。しかし、ほんの数十年前には存在をしていなかったものです。今や常識なのです。

 ダイヤモンドに何故価値があるか?
多くの人々から質問をされます。応えることが出来るとしたら
『それでは、何故あなたはそんなにダイヤモンドの事に興味があるんですか?』
と答えたいのです。

 絵画や芸術品はその才能を見いだした時代や人々土地柄によってのものですが、それが知られるようになると今度はある意味の経済性をもって価値が作り出されていきます。ダイヤモンドも同じような背景によって価値を見出されてきたのでしょう。

 ただ、ダイヤモンドと他のものとに違いは自然が作り出し、よほどの外的要因が無い限りは永遠なのです。そして、それは今や世界の常識なのです。最初に友人の質問に答えるとしたら言葉を繰り返すようですが
『それが世界の常識であり、その常識の世界を共有するかどうか?』
という事なのだと思います。
 そして、その上でその常識が何時の時代まで続くのかという事になれば、その変わりになるものが宇宙からでも来ない限りは永遠なのです。

 つまり、常識になればそこに実用品でなくても価値は成立するのです。

 【ダイヤモンドの価値があることは常識なのです】
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2015年10月12日月曜日

貧乏と欲望⁉

 昨日TVを見ていたら元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の特集を目にしました。何気に他の事をやりながら見ていたのですが、ある言葉をきっかけに目を凝らすこととなりました。

 その言葉とは
『人間は物を造りそしてそれを壊し、また造って売って、壊して進化をしていると思っている。そしてそれを手に入れるべく、時間を費やしてお金を稼ぎ、そして人生を終える。もっと時間を大切にすべきだ。』
と話し、更に日本人にも言及し、
『日本人はかつて、物を大事にし、事足りて十分という生活をしていたはずだ。そんな日本人が私は好きだった。』
とも述べたいました。

 耳に痛い話だと思いながら、彼を有名にしたリオデジャネイロでの国際会議での演説が頭に浮かびました。
『貧乏とは、物が無い事ではない。物をもっと欲しがる心だ。』

 彼の給料の90%は恵まれない人々に寄付をし、残りの日本円で10万円ほどのお金で大統領時代は過ごしていたそうです。そして、愛車は中古のVWで自らが運転をして、大統領府に通っていたそうです。

 日本の政治家と称している人々にも少しは見習ってほしいものです。しかし、現代は確かに消費文化であり、生産したものを壊し、また造りといった社会の中で『お金は天下の回りもの』、お金持ちがお金を稼げばいずれ他の人にも回ってくるといった政治姿勢で臨む現代日本であります。

 人間には欲望があり、物を望み、そこに進化があることは事実であろうし、清廉な気持ちを持った人間もいないわけではないであろうとは思います。人間は弱く、不十分な生き物であろうとも思います。

 しかし、心の置き方によってはお金が有り、使えることが裕福であることではないという事もあります。ムヒカ氏が言っている事がなぜ人々に響くのでしょう。自分には出来ないけれど誰かにそれを望み、その事が本当は正しいと思っているところがあるのではないでしょうか。

 物を大事にすることや、事足りるといった心の持ち方が目新しいものは創り出さないかもしれないけれど心が豊かになるという事ではないだろうか。

 ダイヤモンドの話をする時によく私自身は耐久性の話をします。壊れないことや長く持つこと、そして変わらないことも大事な価値であるということを・・。

 一見、贅沢品のように見えるダイヤモンドが前述の話と違和感のある話として聞こえるかもしれません。しかし、基本は心の豊かさであり、何世代にもわたり、もしかしたら人類が終わるまで受け継がれていくものだとして考えたらどうだろうか。決して矛盾のある話ではないと思います。

 人間の体は口から食した動物や植物といったものを必要な栄養素だけ体に取り入れ、あとは排泄されます。体は便利なもので口から入れた食べ物を体の中でタンパク質だとか、炭水化物だとか他の栄養素に変え、取り入れる仕組みを持って進化をしてきました。しかし、必要以上のものを取り入れるようになると病気にかかり、やがて絶えていきます。

 人間何ごとも過多になるといけないのかもしれません。改めてホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉に耳を傾けるべきではないかと感じたものです。
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2015年10月10日土曜日

ダイヤモンドの希少性⁉

 先日、接客をした方がダイヤモンドを選ぶときに何を基準に考えるとよいかという質問がありました。これはどのような用途でという条件にもよりますが、単純にダイヤモンドという事でいえば『希少性です』という事になるでしょう。

 勿論、婚約とかジュエリーという事であればまた他の要素も入ってきますが、ここではダイヤモンドという単純な条件であればという事でお客様にはお話をしました。

 『ダイヤモンドの希少性は何を基準に考えれば良いのですか?』
という質問に間髪入れず
『それは大きさですね。』
とお答えしました。

 ダイヤモンドは基本的に生成過程では結晶構造として、正八面体を構成していきますが実際にはマグマ等の地中での環境もあり融解等により円みを帯びたり変形をしたりを繰り返します。その為に大きく成長をしていくことは困難な状況になります。

 つまり、大きく成長をしても正八面体には程遠いような形になり、平たい物や俵状のものになったりするわけです。その中で平たいものは歩留まりの良いエメラルドカットになったり、他のファンシー・シェイプになったりという事になります。

 勿論、正八面体に近いまま大きく成長をするものもありますが、かなり確率は低くなります。正八面体のものはラウンド・ブリリアント・カットにされることが多いので、結果ラウンド・ブリリアント・カットの大きな物は数が少なく希少性が高いという事になります。

 大きなサイズ(20~30cts以上)のものにはラウンド・ブリリアントカットが少ないというのはそのような理由です。勿論そこから導き出される結論でいえばラウンドに近い型ほど希少性が高くなるといっても良いでしょう。

 例えばハートシェイプの様なものも数が少なくなりますが、マーキースやオーバルの様な俵型に近い原石から取れるものはラウンドブリリアントに比べて数は多くなりますが、条件は厳しく研磨され出来上がった形自体が好みの対象になりますので、別の難しさもあります。

 細かく書き述べるとキリはありませんが、大きさを希少性の第一条件に上げる理由がそこにあります 。無論、綺麗であることが条件であることも当然です。

 その他の要素でファンシ・カラーやノーマルカラーのダイヤモンドにおいての限りなく白に近いという条件も存在しますが、それは大きさという条件の次に来る事となる訳です。

 内包物に関しても量が多くなれば、美しさを損なう悪条件となる訳ですから内包物に関しては肉眼において美観を損ねないことが条件なだけであって、それ以前に大きさがあるかどうかという事になる訳です。

 結論から言いますと、ダイヤモンドは大きく成長する事自体が難しい環境で生成されているので、それ以外の条件は二の次という事に結論を付けたいのです。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年10月5日月曜日

ダイヤモンド側⁉ 追記

 前回文での誤解があってはいけないが、インターネットビジネスを否定するものではなく、ショッピングにしても実用品や普段自分が使っている物は良いけれど、嗜好性の高い物や希少性の高い物、独自性の高い物に関しては難しくなってくるだろうし、また、物の溢れた現在ではそのようなものしか売れなくなるだろうという意味です。

 インターネットを使ったから簡単に売り上げが上がる訳ではないという事実は間違いがないし、もっと足元を見た本質的なものをしなければならないという事です。目的を達成するに本質的な事が何時の時代でも必要であり、誰かのせいにしたビジネスは結果が出ないという事でしょう。

 ダイヤモンドに関してもお金があるから買えるわけではなく、条件がそろう事が必要不可欠であり、その結果お金があるかどうかであって二次的な事でしかないということで、時としてお金が一次的条件と考える人がまま多いように思います。

 貨幣がまだ無い時代であっても物は原始的流通をし、物は動いていたわけで、植物が先に存在し、結果動物がそれを食し、進化をしてきた訳です。決して人類の他の動植物が存在をしている訳ではなく、人類はその恩恵にあずかり存在をし、進化をしている訳です。

 現代は多くいの事が逆から見てそれが順方だと考えがちではありますが、実は逆方であることが多いのです。

 話しが少しややこしくなりましたが、見る方が違えば価値の意味も違っているという事が述べたかった次第です。そして、ユダヤ人多くの発想は原始的ともいえるその辺から、アインシュタインにしても、グーグル、アマゾン、インテル、デル、フェイスブック等の多くのIT関連リーダーたちがほとんどユダヤ人であることを見ても彼らが時代時代の変化に敏感な事も立場を変えて物を見るといった彼らの教典であるタルムードの教えからなのでしょう。

 

ダイヤモンド側⁉

 以前ユダヤ人の物の見方が変わっていると書いたことがあります。よく考えるとそのものの見方がビジネスの考え方を変えてくれるのかもしれないと考えます。

 最近色々なIT関連の会社からアプローチがあります。もちろんR市場なるものから、HP対策の会社から色々です。一つ気になることがそれらの人々が口にするこれからのビジネスという言葉です。今後はインターネットビジネスは不可欠と宗教が如く信じ込んでいる様子があります。

 インターネットの不可欠さは勿論わかっているつもりですし、理解する以前にあって当然だと思っています。ただ気になるのは多くのその様な人々が育った環境はある程度そのインフラが出来上がってきている時代です。

 つまり、携帯電話がすでに出来上がってきている時代に育っていますので、それがなぜ出来上がってきたかを知らないのです。インフラというものが常に古くなっていきその代替が出てくることは
我々の時代の人間であれば解っている事です。

 線路が出来ていても走る電車が無ければ用をなさないし、電車が整っていてもそれに乗る人間がいなければ用をなさないし、人間がいてもそこに目的地が無ければ利用をしないという事を考えれば現在のインターネットは場合によっては廃線になる場所もあるような状況もあります。

 いくらHPを持っていてもそこにアクセスをする人々がいなければ、その辺のセグメントされた地区でチラシを配っていた方が良いだろうし、お店の前に気の利いたポップでも用意をしていた方が安上がりでもあるでしょう。

 結論を言えばインターネットビジネスは万能に思っていた時代はすでに終わりを告げで、新たな時代に入ってきたのだと思っています。HPに数百万円から数千万円をかけて殆ど役に立っていない会社の話はよく聞きます。SEO対策やHPのシステムの話は過去のものでそんなことをしなくてもユーチューブやSNSの利用で幾らでもアクセスをえることは出来ます。

 つまり、アナログではありますがコンテンツに魅力があればアクセスは増えるわけです。美味しいものがあれば人は集まり、見たいものがあれば人は集います。小手先の技術ではなく扱う者が本物であればそれらは不要でさえあります。勿論その事が広まる時に当事者ではない第三者が情報を広げる時にネットを使うことは十分にありますが・・。

 ダイヤモンド自体は千差万別です。人々がダイヤモンドを選んでいるような錯覚をしていますが実はダイヤモンドの整えた条件にあっている人々がダイヤモンドを手に入れているだけなのです。
つまり、ダイヤモンドに選別をされているのです。

 大きさや品質というものが条件にあるのは皆さんはご存知ですが、実は同じものはないのです。それは色々な条件が整いマッチメイクをされているだけで、ダイヤモンドの条件に合わせて人々がお金を用意しているだけで、お金を用意できない場合は好んでも手には入らないのです。

 ダイヤモンド側からすると何ら自らが変わることはないので人々がその条件に合わせるしかない訳です。

 ダイヤモンド普及当初はグレードでダイヤモンドを選んでもいました。しかし、時代が進みそれが一般化すると本来に形であるコンテンツでもあるダイヤモンドそのものに条件を合わせなければ手に入れることはできないのです。

 現代はインターネットが当たり前でコンテンツそのものを見ればお粗末なものが非常に多いように思えます。買い物さえ導かれるままに仮想商店にいっても実際には現在在庫がありませんとか、代わりにはこんなものがありますとか、本来は存在がしていなかったのではないかと思えるようなものすらあります。

 今こそ、コンテンツ、アナログ、物そのものが大事であり、砂漠で水を売っていれば黙っていてもお客様は集まってくるのです。現代の多くのビジネスは価格や利便性を追うがあまり、それら何のために必要なのかという事を忘れがちに思えるのです。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2015年10月2日金曜日

夢と誇り⁉

 先週、池袋で行われた国際宝飾展なるものに知人の会社が出展するという事で久々に池袋に足を向けてみました。慣れない場所なので会場に着くまで一苦労ということになりました。多分十年ぶりになるであろう池袋は豹変し、以前の暗いイメージは払しょくされ、一部の痕跡を残す程度の華やかさがありました。

 やっとの思いで会場に着いて、その雑然とした様相には一寸驚かされたしまいました。出展をしていた知人は
『もう宝飾展なんて夢の夢ですね。ここはタダのバーゲン会場ですよ。』
と嘆いておりました。

 確かに、各ブースにはバーゲン会場ならぬチラシが沢山貼ってあったり、そこいらじゅうに赤字で書かれたプライスが置かれていたりと、およそ宝飾業界に身を置いていたなら恥ずかしくなるような状況がそこにはありました。

 主催者が何を目指しているのかはわかりませんが、業界に将来を念頭においているという事は考えにくい環境でした。そんな中で表彰をされる女優やタレントもたまったものではありません。TV等の取材が仕込まれていますから致し方がないと思いの出席でしょうが・・・。

 会場には明らかに消費者と思われる来場者もあふれ、さながら五反田で定期的に行われる金融市の様相を呈しておりました。何時からこのようになったのかはわかりませんが、販売する方にしてもその場で誰にでも売れれば良いといった風情でおよそ真剣にビジネスをという感じではありませんでした。

 古い事ばかり言うと笑われるかもしれませんが、以前の出展社であれば、もう少し新製品を前面に出し、コンセプトを上手く現したディスプレーなども多くあったものです。現在の会場に宝飾展の冠は似つかわしくはないとつくづくと感じた次第です。勿論、仕入れてみたいと思うようなものがある訳はありません。

 現状を考えるとこれは単に宝飾展だけの問題では無く、業界全体の問題でもあるのでしょうが、宝飾を本当に知っている世代が少なくなって、更に勘違いをしているような人々がジュエリーデザイナーと名乗り、勘違いをしているような職人が販売に現れ、自己主張だけが先行し実力が伴ってきていないという事もあるのでしょう。

 これは彼らのせいだけではなく、その先行をしていた我々世代の責任でもあるのでしょう。

 我々のビジネスは『夢と誇り』を生業としているという事の事実を真剣に伝えてこなかったような気がします。彼らが世に出るようになってバブルが崩壊後、宝飾業が前面に出て活躍をする事はなく彼らは本来の宝飾市場を知らずに今日を迎えています。

 例えて言うなら料亭のすき焼きの意味が解らずに、チェーン店のすき焼き丼を食べてそれがすき焼きだと思っている訳で、その世界しか知らなければすき焼きはそういうものだと覚えてしまう訳ですから、そのレシピをきちっと伝えてこなかった世代の責任も大きなものがあると思います。

 『夢と誇り』を売るといっても鼻で笑われそうですが、私たちの仕事はそういうものだと認識をしています。よれゆえ、同じ志を持つ同志を募り、再度業界の在り方を問いたいと考えています。
http://ameblo.jp/diamonrow

2015年10月1日木曜日

難民問題⁉

 先日、国連で安倍総理が難民問題に触れ1000億円近い資金支援を公約しましたが過去にも500億円程度と大きな支援をしていた割には話題にもなっておりませんでした。しかし、今回のタイミングはどうであろうと感じました。

 難民問題を放置しろとは思っていませんが、湾岸戦争の時に1兆円のお金を出しながら感謝どころか批判さえ受けたことも脳裏から離れません。今回の大きな公約は近い将来難民も受け入れざるを得ない状況になるのではないかと考える訳です。

 単純に難民受け入れに反対をする訳ではありません。昨年は5000千人ほどの難民申請に対して3人の受け入れといわれる日本で果たしてその協力要請が来た時に受け入れることが出来るのだろうかと考えます。

 現代においてあらゆる人種がまじりあう事は避けられないことではありますが、単純な移民ではありません。宗教、習慣、文化等の違いの融合が他の国ほど得意ではない日本において大きな問題であると考えます。

 『郷に入らば、郷に従え』という言葉がありますが、多くの外国人、特に発展途上の国の人々にとってはこの事を理解し、従うことは難しいと思います。何故なら先進国ほど理屈でものを考えるのではなく宗教でものを考える傾向にあるからです。勿論、信仰の自由を妨げるつもりも反対するつもりもありません。

 これからヨーロッパをはじめ、多くでこの問題が起きますが特に日本においては大きな問題に発展しそうな気がします。多産傾向、活力という方向では日本にとっては良いのかもしれませんが、他国と違って日本には良い意味でも悪い意味でも島国精神があります。彼らは日本の文化を尊重し理解し、溶け込んでくる分には全くと言っていいほど問題はありません。

 しかし、近隣国の人々を見ていても自己主張の強さは日本人をしのぎます。同じような文化圏にいてさえこの違いですから。ましてや遠方からくる人々の困惑を考えれば彼らがそこに己たちの文化を根差させようという気になっても仕方がりません。

 太古の時代から日本人は神道の精神から多くの考え方や宗教に対して寛容に受け止め、受け入れてきました。仏教しかり、キリスト教しかり、おおらかな気持ちで受け入れてきました。その事は日本人の良いところであると思いますが、現代においてはどうしょうか?

 今、何万人規模の難民を受け入れることが出来るのでしょうか?
到底無理な問題だと考えます。きっと中途半端な親切は大きな憎悪となって跳ね返ってくるような気がします。難民支援をするなといっているのではありません。もっと効果的な時期、方法があるのではないかと考えます。

 古くはベトナム難民どれくらいの多くの難民を追い出し、恨まれたかを思い出すべきだろう。現状でさえ数千人申請で数人の許可という状況です。はっきりとしたガイドラインを設け、皆が確認を出来る状況を造り、正々堂々と難民を受け入れる環境をつくるべきでしょう。そして難民も日本に暮らす以上は日本語を覚え、日本の文化に溶け込む姿勢が必要でしょう。

 そうでなければ昨今に起きているような外国人による殺人や事件が絶えない事にもなるでしょう。

 ベトナム難民の多くは米国に移り住みましたがアメリカという混醸国家は正に多民族国家であり、それらの織りなす文化で紡ぎ挙げられていった国家ですから彼らを受け入れるにはもってこいのお国柄でしょう。しかし、その国でさえこれ以上の移民を拒んでいます。

 ベトナム難民の多くはダイヤモンドを手にアメリカに渡り、それを元手に起業をした人々も多くいたことは、当時米国にいた私は身に染みて理解をしています。

 それ以前からダイヤモンドのビジネスには接していた私ですが、この時のに改めてダイヤモンドの価値を認識したのを覚えています。世界がダイヤモンドのように共有できる価値があれば良いのですが、その事さえ理解を出来ない日本があります。

 難民問題は難しい問題です。難民問題になれていない我が国が安易に先頭を切って掲げるテーマだったのかどうかが疑問です。安保理に手を上げているのは解ります。しかし、この問題は今ではなかったというふうに考えています。如何でしょうか?http://ameblo.jp/diamonrow