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2015年6月14日日曜日

そもそもの議論⁉

 以前にそもそも論的なことを書きましたが、今回騒動になっている日本年金機構というものがあります。これは以前の消えた年金問題を引き起こしたといってもよい組織です。改革という名目でカンバンを変えたのですがそもそも組織を変えずに名前を変えて出直して、何かが変わると思っているのでしょうか?本来であればカンバンはそのままでも組織を改革するのが常道のはずです。

 あの時に何かの議論をすることもなく役人と政治家で幕引きをしたのですが、そもそもの組織が変わっていないのですから今回のことが起きても不思議ではないわけです。ましてやサイバー攻撃を受けてから一週間も外部と遮断をせずに、業務に影響を与えるという理由で外部との遮断を行わなかったという理由を言い訳になると思って会見を開いている神経。

 バスの運転をしていたらハンドルが取れたけれど、『まだ走っていたので車は止めなかった』と言っているようなものでそもそもの本質的なことがわかっていない。こんな人物たちを年金のプロだからという理由で組織に留めたのは、この事とまったくもって同じ理由です。この辺が日本お役人や政治家の頭のおかしいところで、そもそもが間違っていたのなら最初から見直しが普通です。

 つまり、次の事故が予見どころか確実なのに同じことを繰り返している。こんな場面は何度も日本の行政や政治の中に観てきました。百年安心の年金が5年もしないで破たんをしたり、東京オリンピックを招致したけれど国立競技場の建設見積もりが倍違ったとか、挙句の果てに東京オリンピックの責任者を決めていなかったとか、あきれてものも言えません。

 民間がしっかりしている国だから成り立っているようなもので、失敗ばかりで何の役にも立たなかった元首相をオリンピック招致委員会の委員長にしたりと、本人がやりたいといったからと言って後先を考えずに起用する姿勢は無責任この上ありません。

 仕事柄ユダヤ人と多く接しているので彼らは本文である議論をすることが多くなり、私自身も議論を多くすることが身についてしまいましたが、本質的には『何故?』ということに妥協をしないからだといわれています。

 自分たちの神とも議論をする彼らは神に『何故あなたの存在を信じなければいけないのか?』といったことから始まり、『自分たちがいなければ神の存在は意味がないじゃあないか』といったちょっと神様に失礼ではないだろうかと思うようなことを平然と言います。

 つまり、それらは本質に対する理解が自分たちにできているかどうかの投げかけなのです。前述のバスの運転ではありませんが、走ることはバスの役割ではありますが、それ以前に人間が安全でなければ意味がないわけです。このこと自体を理解ができれば解決できる過ちです。

 しかし、実際には改革といわれたまやかしに対して疑問も待たず平穏に過ごせれば、議論をする必要はないとでも思っていたのでしょう。民間であれば結果を重視しますのであり得ないことです。
本来であれば今回の流出問題のお知らせやその手当のコストは税金ではなく、彼らの身銭を切って行わなければいけないことです。

 税金を簡単に使うという安易さ、そもそも税金は役人や政治家のお金ではないし、行政という仕事というものは結果が出て何ぼのもので、作業のようにこなせば給料がでるという類のものではありません。日々結果が出て始めて、たまのミスに対して国民も目をつぶるのであって、これだけ多くのミスや疑問を持たないような体質はやるせません。

 自らの仕事の内容に疑問を持ち、議論をし、結果が出ているかどうか、このままで良いのかどうかを考える知恵を少しでも見せてほしいものであります。貴方達は頭が良いはずなのだから、脳みそを腐らせてはいけません。

 

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