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2015年6月30日火曜日

ダイヤモンドのカット⁉

 最近のダイヤモンドの取引で資産用の物の動きが多くなってきている事は毎回のように述べていますが、その中で誤解をしている部分が多くの業者に見受けられます。

 カットに付いてですが、最近よく耳にする言葉でトリプルエクセレント(3EX)という言葉があります。以前にも書きましたが、この使用方法についてです。対象性、研磨、全体のプロポーションについて『一定の評価内にありますよ』と言う意味ですが、これは勿論物理的な問題を評価しているだけで、感覚的なものが入っている訳ではありません。勿論、其々が美しく見える要因ではあります。

 米国宝石学会(G.I.A)ではこれらを総合的に判断をして評価を出す、ファセットウェアというソフトで判断をしています。これは3400万件余りに及ぶモニタリングをしてそれぞれのサイズ等の評価を消費者、小売り、卸、ディーラー、マニュファクチュアが目で見て評価をしたものを数字にしたものですが、ある意味主観性だけを重視したものと言えるでしょう。しかし、フェアであると考えます。

 それぞれの割合は機密になっているのですが、経験上90%以上の人が美しいといったものがえクセレント、80%以上の人が美しいといったものをヴェリー・グッド、70%以上をグッド等に分けられているようです。しかし、これらは上記の3EXなる評価があってもサイズによっては必ずしもエクセレントになる訳ではありません。

 あくまでも人の視感を重要視したものなのでマシンで測ったものとは差異が出てくるわけです。勿論、石そのものの素材としてのテリ(ライフ)も視感には及びますのでマシンで測ったものがイコールではないわけです。

 ゆえにグレード的に3EXが出ていいるからといって決して美しく見えるという訳でもありません。他にも日本ではハート&キューピット(欧米ではハート&アロー)といわれるカットに付いても誤解があるようです。H&Qとはフェイスアップで見るとパヴィリオンの陰等が矢のようにみえ、フェイスダウンでは同じくハ-トの形が見えるというものですが、これも判定者の主観やビジネス要因があるものですからその形に厳密な条件はありません。中にはハートが運転初心者の若葉マークに見えるものもあります。

 これら全面的に否定をするものではありませんが、あくまでもセールスポイントであり、価格の評価基準とイコールかというと必ずしも一致をしている訳ではありません。期間をおいて計ってみたら同じマシンにおいても必ずしも同じ結果が出るとは限りません。過去エクセレントがフェアメイクになったケースもあります。エクセレントメークが少し深くなっただけでの判定でしたが起き得ることです。

 ゆえにあくまでも人も目による確認が必要であり、トルコフスキーのアイデアルカットにいかに近づいているかを判断することが賢明であり、価格においてもそこ基準にしての事であることをダイヤモンドを扱っている人にはもう少し認識をしてほしいと考えます。
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2015年6月29日月曜日

ボタもち⁉

 昨夜香港から帰宅をし、フっと展示会の事を振り返ると、今まで漠然としていた件がやはりという感じで起きていたような気がします。結論から言うと窃盗です。

 多くの国際宝飾展の会場は事前登録等の審査の他に会場内での現金のやり取りは禁止されています。それは保険等の効かない状況になることも含め、出展者を含め好からぬ事件が起きない様、また仮に起きてもその状況に対応をするためです。

 以前に書きましたが、日本や香港の展示会においてはぞの辺がルーズで危惧をしておりました。今回も毎日窃盗が起きており、香港のニュースとしても流れておりました。初日、2日目と続き3日
目の関しては会場内で窃盗団が6名ほど捕まっておりました。

 多くの消費者が意外と自由に来場をしており勿論入場チェックはしておりますが、事前審査もないので極端な話、誰でも自由に出入りが出来るのです。3日目に関してはとうとう警察が来場者のチェックを行うといった異常事態です。

 これらの問題は基本的には事前審査や特定多数の来場という事になっていますが、出展社もそこでの売り上げと現金が欲しい、主催者もその事で来場者数を上げられる。もっと言うならばどちらのサイドも即売会になり、出展希望も増え、多少の事にも目をつぶろうという事です。

 結果何もなければ良いのですが今回のように数億規模での盗難や、品物のすり替え、万引きと多くなってくると、この噂を聞いて今後は益々多くなるでしょう。勿論保険はききません。出展者の中には勘違いをしているところも多く、現場での現金のやり取りを禁止であることやオープン展示での保険が効かない事を知らずにやっているところも多いようです。

 勿論主催者は本来、ストップを掛けなければいけない立場で出展者の現状を気にしていても見て見ないふりをしています。主催者側と出展者側の業態の違いもあるのでしょう。片方はイベント業であり、本来であれば業界の発展的な物事を考える人々がやればよい事ですが、残念ながら業界にはそのノウハウがありません。

 欧米諸国の場合は元々業界側やその関連の企業が業界の発展のためのイベントとして行っていますので、その辺は本筋を踏み外してはおりません。どちらにしてもその場が良ければ、その日のごはんが食えればといった発想なのでしょうが、これで良いのでしょうか。

 腹をすかして眼の前のボタ餅があればすぐに手を出し食べてしまうのではいけないのではないでしょうか。何故腹を空かしていたのか?今後もすぐに食べれるのだろうか?果たしてこれを食べても良いのだろうか?等々考えることも必要で目先ではなく、あえて言うならば『今日のご飯を我慢しても、明日からちゃんとご飯を食べるようにしなければいけない。』これは当たり前のことです。

 業界が今振るわないことは本来であれば考えられない事です。何故なら、株価も上がり一大金融ブームだからです。本来であれば一番潤う業界でなければいけないはずです。しかし、その場限りの売り方をしてきたために今の現状があります。

 今売れれば多少のリスクがあってもしょうがないという事が展示会の出展社にもあるのでしょう。多少であれば良いのですが・・・・。今回も異常と思われるほどのセキュリティーを雇っていての事件です。もう少し将来を考えなければいけないし、他のまじめにやっている業者の足を引っ張ることはそろそろやめた方が良いのではと考える今回の出張でした。
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2015年6月24日水曜日

本当に⁉

 最近オレオレ詐欺が大流行りという事で金融機関等でお年寄りにお声掛けをしているということを耳にします。それ自体だけで考えると良い事だなァと単純に思います。

 しかし、最近仕事がら高額の物をお求め頂くことが多いのですが、多くな場合現金でのお支払いになります。その際の事なのですが、ほとんどのお客様が怒り心頭状態でご来店をなさいます。

 『銀行がすごく失礼なのよ!』
という第一声をもう何度耳にしたことか。

 つまり、お金をおろす際に何に使うのかを、はじめどこに払うのか?振り込みではだめなのか等々ですが、ここまでの話であれば、まァ、仕方がないのかなと思います。

 しかし、娘さんが一緒だったり、40代のお客様にまでというは話になるとこれはもう何の目的なのかと疑います。カウンターで理由を話してそれをリポートされるのだそうです。

 娘さんと一緒だった方は土地代金を支払うためのん億円を引き下ろしだったそうですが、これに関しては振込手数料もバカにならないという事と現金が条件だったという事で下ろしに行ったそうですが、勿論外にはセキュリティーもいてです。その際に話をした後現金でカウンターの上に裸で出されたそうです。

 勿論お客様は怒り心頭で多くの人がいる中でそれなりの現金を裸で渡すなんてとんでもない。よからぬ輩がそれを見ていたらその後何が起こるかわからないじゃないかという事です。確かにそんな事をするなら何のためにその前にその前の質問があったんだという事になります。詐欺に合わなければ襲われても良いという事なのかといいたくなります。

 本来であれば別室でという事なのでしょうが、土地代金でローンを組む人やお金を借りる人はお客様なので応接間ですが、単順にお金をおろす人は客ではないという事です。

 『ちょっと待った‼』と言いたくなるのです。何故なら彼ら金融機関は人々から預かっているお金を運用し、利益、給料を稼いでいる訳で、ましてやずーっとそのお金を使わしてもらった、言わばお金を貸してくれていた人と考えるべきなのではないでしょうか?

 ましてや、その人々からお金をおろしたり送金するときに手数料まで取っているのであります。其れだけならまだしも、その際に警察官も呼ばれたそうです。

『私は犯罪者なの⁉』
と怒鳴りたかったそうです。

 確かにオレオレ詐欺を防ぐ算段は必要でしょう。しかし、無差別にお金をおろす人々皆に聞く必要があるのでしょうか?ましてやカウンターは一介のスタッフ(まして本社員ではないことが多い)です。そのスタッフが間違いない人間なのかどうかの保証はありません。そのスタッフが良からぬ事を考え、外の仲間に『今出ていった人は厳禁をいくらいくら持っているわよ』とでも言われたらオレオレ詐欺どころではない。

 本来であれば被害を受けたとしても本人のお金である意味自己責任でもある部分があります。だからといって見逃せという訳ではありません。しかし限度という事もあります。40代の女性にまでそれを訪ねる必要があるのかどうか?ましてや、本当に未然に防ぐつもりで行っているのかどうか?

 単純に金融庁や本部から言われているので行っているだけというのが明らかな行為をこちらは見ていなければなりません。先の40代の女性は
『ホストにつぎ込むんだけど。何か?』
と答えたそうです。あまりにも腹が立ったそうです。
先方は
『アッ、そうですか。』
といったまま唖然として手続きを行ったそうです。
『嘘ですよ。』
といったそうですが、その答えには興味がなさそうだったそうです。

 先月もお支払いに来たお客様があまりにも銀行がうるさいのでATMで10回に分けて10日間で下ろしたそうで、その間現金をお宅に置いておいてそうです。その際に同じ銀行のATMから下ろすと気が付かれるのでという事で手数料をわざわざ払って他の銀行のATMで下ろしていたそうです。

 聞こえの良い掛け声の陰で何かの都合で動いているような気もします。あまりにも
『本当に⁉』と思うことが多すぎます。

2015年6月23日火曜日

日常の出来事⁉

 日常の中に茶飯事ではないけれど有り得る事だと考えていたことが意外と周りでは起きていんだという事に気が付きました。

 当店のある自由ケ丘での出来事ですが、何時ものように駅前のガード下では外国語教師であろう外国人が勧誘の為にビラを配布しておりました。
『ボンジュール‼』
フランス語で声をかけるその姿は今では自由が丘の見慣れた風景です。私自身もいつものように声を掛けられた際には軽い笑顔で返し、ただ通り過ぎるのみの日常です。そんな中いつものように自由ヶ丘駅の改札に向かっていると目の前を行く二人連れの老御婦人方に声を掛ける外国人教師。
『ボンジュール‼』
二人のご婦人はいつも私がやるように会釈で返しておりました。
 
 数歩あるいた時の事でした。後ろから歩いていた私をキョトンとさせるような言葉が耳に入ってきたのです。
『今の外国人怪しいわね。』
と一人の御婦人。
『えっつ‼』
と、もう一方の御婦人。
次の会話でした。
『だって、普通はハローでしょう。』
 私は
『フランス人だよ』
と突っ込みそうになりましたが、それ以前にキョトンというか唖然としてしまいました。
その後、お二人は何事もなかったようにその場を過ぎ去っていきました。

 翌日です。近くのマーケットに買い物をしに出かけました。目的の物を買いレジに並ぶと仕事をやり始めたばかりであろう初心者の中年女性が慣れないレジ打ちでテンテコ舞いをしており増した。
ようやく私の番が来たところでシールの張っていないお惣菜を渡すと
『アレ‼これって幾らだったかしら?』
慌てているその姿を見て私は
『確か450円だったと思いますよ。』
というと
『そうですよね。』
と言ったその後の一言です。
『すみません。ちょっと見てきてもらえますか?』
私が見てきても意味がないのでは・・・。

 このような話をオフィスに帰って皆に話すと皆は大笑いしながら
『なぜ、社長の周りではおかしなことが何時も起きるんでしょうね?』
と問われても・・・。

 確かに日常に対して人よりも興味を持って見ている方かもしれませんが、本当は皆さんの周りでも気に留めていないだけで起きているかもしれない出来事だと思っています。
 
でも、起きていないかもしれないとも思います。
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2015年6月22日月曜日

中古ジュエリー⁉

 先週末、恒例の金融市が品川で行われていました。質流れ品の恒例の行事ですが、ここにも中国人をはじめ外国人が多く来場をしていたようです。TVの映像では、さぞや新品の時には仰々しくブランド店の店頭を飾っていたのではないかと思うような品物がごっそりと山積みされていました。

 その映像を見ながら、これらを造った人たちはどうゆう思いで造ったんだろうとか、これを最初に買った人たちはどのような思いでこれらの品物を手放したんだろうかとなどと考え、群がりながら購入をしている人たちはどんな思いを質流れ品に思い、買っているのだろうか?などと考えていました。

 勿論、まだ価値のあるものに群がる様は、例え話ではありませんがハイエナのようでした。これは何も卑下をしたり、否定をしている訳ではありません。最初に造った人、最初に購入した人とは別の意味での価値を見いだしているという事だろうと考えます。そして、まだ価値があるからこそ皆が群がるのだろうと思います。

 ブランド品にはある意味でのポリシーだったり、プライドといったストーリーが、あって成り立ってきました。今のブランド品がそこに拘りを持っているとは思いませんが、原点にはそこから構築されてきたものがあります。

 本来であれば身内の中で引き継ぐ価値が現代の時世に寄り添い縁もゆかりもない人間によって受け継がれていくのだろうと思います。

 ジュエリーに関しても同じことが言えます。リサイクルジュエリーとか、印象をごまかそうという事なのか『リ・ジュエリー』などとうたって再販をしているところが多くあります。ジュエリーのクオリティーが優れていれば別に誤魔化すことはないのです。業界の体質なのでしょうか。

 批判は別にして、バブルの頃の制作をされたものの中には材料も含めて、造りも素晴らしいものがあります。しかし、バブル崩壊後のジュエリーに関していえば首をかしげたくなるようなものが多くあります。そこでちゃんとした見識を持って検品をした商品を仕上げ直しをするなりして市場の送り出すことはある意味大きな価値があります。

 本来、ジュエリーは引き継ぐものであり、その場で壊れて良い物はありません。故にしっかりとした材料と、技術で裏打ちされたものは数百年でも長持ちをします。これらの価値を無視したような製造や販売が多く目立ちすぎる事が業界の現況を招いています。勿論、それらを行っている業者はそんな事はどちらのでも良い事なのかもしれません。

 しかし、リサイクルジュエリーに関してはプロがちゃんとしたアドバイスをし、選別をするような市場をもっと確立をしても良い時代ではないだろうかと考えます。アンティークやビンテージといわれることばはその場の誤魔化しではなくチャンとした裏付けがあり成立をするべきだろうと考えます。
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2015年6月21日日曜日

目くらまし⁉

 昨今の社会を見ていると、何が本質か解らなくなります。政治、社会、物、人物全てにおいて疑問に思うことが多いように感じます。

 最近の話題からすると、首相の安倍さんですが、何が行いたいのか理解に苦します。戦争をしない国を造りたいのか、何処から攻められても負けない国を造りたいのか、はたまた国際貢献をしたいのか、憲法を変えたいのか?

 何のために安保法案を成立させたいのか?マイナンバー制度は何のために?各論だけでいえば理由はあります。しかし、本質的な事は何なのかが解りにくいという気がします。

 当たり前のことですが本質的なところでいえば国と国民を守る為にという前提が無ければいけないとおもいますが、それであれば方法は別にもあります。マイナンバー制度にしても税制の平等化と税収アップ、勿論今までの縦割り行政を簡略化をするという事は解ります。しかし、本当に簡略化してお役人が減り、行政改革が行えるのか?これもまた疑問です。

 それぞれの各論でいえば、理解を求められやすいように感じますが、本当の狙いは何だという疑問を投げかけたくなるような曖昧さがあまりにも多いような気がします。どうもこれらの案件で他のものが目くらましを食らっているような気がするのは私だけでしょうか。

 沖縄の辺野古問題にしても本来は普天間基地の危険性は取り除く為にという事でしたが、本来は基地の県外移設が前提の話であったはずです。本来危険性除去のためだけであれば沖縄の他の米軍基地内にいくらでもスパースがあるはずだし、現実に終戦間もなくに使用をしていた滑走路が現在は使用されずに米軍基地内のある筈です。

 何故に辺野古に拘るのか?多くの軍事評論家ですら首をかしげています。米軍の東アジア戦略を考慮してという事を100%支持したとしてもおかしいのです。これも何か別の事からの目くらましに感じます。

 目くらましと言えば、最近のジュエリー事情になりますが、目くらましのような販売方法が気になります。基本的に本質的な物をもとめて、購入されるお客様と、デザインや華やかさを求めて購入されるお客様がいますが、それは個人の嗜好性ですから何とも言えません。

 しかし、華やかなものは誤魔化しが効くのは古今東西違いはありません。デザインや華やかなものであってもちゃんとした造りで、ちゃんとした素材を使っている分にはそうも感じないのですが、消費者にはその辺が解りにくいものです。しかし、それを理解している人々の多くはシンプルなものを指向する傾向にある様な気がします。

 TVのショッピングを見ていても以前は正味での価格訴求が多かったように思います。少なくても自身がやっていたTVショッピングにしても流通経路の短縮や買付技術により価格の訴求を行ってきました。現在は消費者が価値を計る手段に対してまやかしをしているよな気がします。

 真珠などは特に顕著ですが、決してオフィシャルではない基準を持って(それぞれの都合)決めた基準を如何にもオフィシャルな基準でいかにも素晴らしい真珠であるような言葉、特にT堂のTVショッピングは耳を疑うような説明がどんどん出てきます。プロであればプライドからいっても言わない様な説明ををどんどんします。聞けば聞くほど素人であることがよくわかります。

 いずれにしても何かが隠されているというふうに考えなければいけない社会を憂いてしまいます。シンプルに本質的なものを目指す世の中になれば良いと考えます。決してヘソが曲がっている方ではないと思っていますが・・・・。
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2015年6月18日木曜日

ダイヤモンドは戻らない⁉

 昨日、お客様が梅酒をお持ちになりました。年毎に味が変わるという事でお庭になった梅で毎年梅酒づくり行っているそうで、ぜひ小生にという事でお持ちになりました。

 3年物と今年の物という事でしたが天候により左右されるそうで数年前に作った梅酒の味が忘れられないけれど、全部飲んじゃったという事で、同じ味を求めても同じようにはならないということでした。

 ダイヤモンドの業界にも『ダイヤモンドは二度と戻らない』という言葉があります。本当に惚れた良いダイヤモンドを手放すと二度と手元には戻らないというジンクス的なものですが、これは全くの事実で自身の経験から言っても『あの石は良かったなァ∼』と思うダイヤモンドには二度と会う事がありません。

 当たり前の話なのですが手放したダイヤモンドは余程のことが無い限りは手元に戻ることはないのです。また手元に戻そうとするとそれなりのコストを払わなければいけないし、時間が経ってからでは遅すぎます。

 反面、『ダイヤモンドに惚れてはだめだ』という言葉もあります。これはそのダイヤモンドに固執することによりビジネスに支障をきたすという事です。売ることに躊躇していると他のチャンスをも見逃すことが多々あるからです。

 つまり、どんなに良い思い出で、心の支えであっても二度と同じ経験は戻らないから、その事に執着することは良しとしないという事ですが、ダイヤモンドのビジネスに関していえばその事に執着することは確かに何の意味もありません。但し、追い求める気持ちは大事です。

 例えば数十年前に1ctのブルーダイヤモンドを300万円で手に入れたことがありますが、現在ではその十倍の3000万円くらいはします。『持っていればなあ』と思っていても意味がありません。何故ならそのブルーダイヤモンドを手放す事によりそれ位かそれ以上のビジネスを行う事が出来たからです。

 しかし、人間というものはその残念な思い出はどうしても捨てきれずに、記憶に残ってしまいます。ビジネスをしながらそのような話になると必ず出てくる言葉が『Diamond is Never Come back‼』
略してD.N.Cであります。最近のダイヤモンドを扱っている人間はダイヤモンドに興味がないのか、このような言葉を使う事も訊くこともなくなりました。執着心が無いのかもしれませんがダイヤモンドが好きでビジネスをしている人々が少なくなったことは寂しい事です。

 しかし、『ダイヤモンドは二度と戻らない』のです。
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2015年6月16日火曜日

大人扱いのダイヤモンド⁉

 18歳にまで選挙権をという事で話題になっていますが、その事には反対も賛成も特にはないのですが、G8の先進国では唯一20才以上という事が引き金の要因になったとも言われています。

 その事に付いてですが、以前から気になっていたことがあります。日本のあらゆる部分での便利さというか一部の過剰ななサービスについてなのですが、私が40年近く前にアメリカに渡った時にビックリしたことなのですが、公共交通機関で次駅の案内が何もない、特にバスの場合は各停留所に留まる訳ではないのでベルを鳴らさなければ下車したいところでバスは止まりませんので降りる事が出来ないのです。

 つまり、停留所ごとのアナウンスが無いので、自らが降りるところを意識していなければいけないのです。日本では次の停留所でのアナウンスがありますのでそれだけを気にしていれば良いのですが、海外ではそうもいきません。

 自分の事は自分で判断しろと言う事でもありますが、ある意味お客を大人扱いをしない日本は過剰サービスなのか、はたまたそれをしなくなった公共機関の不親切という事になるのか迷う所ではあります。

 これ等の過剰はある意味ではコストであり、必要か否かという事にはなるのですが、小さなころからある意味自分で判断をする習慣がある海外と、親切をまともに受けて当たり前と思っている国民との差は何で出てくるのであろうと考えます。

 以前地下鉄でアナウンスが一駅違い、乗客がおり、慌ててアナウンスが訂正され、降りたり、降りかけていた乗客が再度電車に飛び乗った場面に遭遇したことがあります。明らかに乗客はアナウンスのままに行動をしており、アメリカ時代の事を思い出したことがあります。

 日本人の良いところでもあり、悪いところでもあると考えますが、親切という名のサービスに盲目的に従う所があります。それはダイヤモンド業界においてのグレーディングレポートにも言える事でが、販売側は中立の第三者という理由で鑑定会社にグレードの委託をし、内容に関しては殆ど疑いを持ちません。

 しかし、過去に何度もグレードの不適切さで社会問題にも発展をしたことがありますが、未だにグレーディングの意味を理解していない販売店なり、販売員をよく見かけます。間違いを指摘しても、そのように習ってきたという一点張りで、疑問点や整合性の無さを目の当たりにしていても気にしないようにしているようにさえ見えます。

 つまり第三者のグレードを盲目的に信じる事が当たり前になっている訳ですが、疑問に思っても自分で判断をするよりも責任は他にあった方が都合が良いと考えるのでしょう。

 最近、話題になっているダイヤモンドのカットのハート&キューピットというのがありますが、ファイスアップ、ファイスダウンにしてみるとハートや矢の影が見えるというものでそれを美しいカットとして信じている人も少なくはないと思います。確かにセールスポイントのあるカットとしては良いのかもしれませんが、ダイヤモンドの美しさを引き出してるかどうかは疑問です。

 何故なら、本来物理的に一番美しく見えるとされるトルコフスキーカットの中のアイデアルカットというのがありますが、そのカットから比べると首をかしげる事も多くあります。先日、十数個のエクセレントカットなるものをグレーディングをしてみてアイデアルカットを前提に仕分けをしてみるとはじかれたカットの殆どがH&Qカットでした。

 長年の経験から何の前提もなくフェアにジャッジをするとほとんどがノーマルエクセレントが美しいプロポーションとなりました。元々このカットを創り出したベルギーの会社も美しく見える範囲の中のカットで物語としてハート&アローとして売り出したものであり、日本ではその名称使用の許可が下りないのでハート&キューピットとしていますが、ほんらいは美しさを追求したものではないのです。

 鑑定会社もマシンでの判定になりますから『機械ではそう出ています』と言い、販売者は『鑑定会社のグレードはそう出ていますから』というふうに言います。それではその結果に誰が責任を持つのか、誰も持つつもりはなく問題になった時にいつも慌てています。有名百貨店でさえ問題が起きてから、どこそこの鑑定会社のグレードはダメだとか言った処置をする程度です。

 これ等が日本人の体質なのでしょう。今の若い世代に関しては殆ど世の中の余計なお世話と親切の中で育っています。勿論、問題点も気にしながら育ったしっかりした若者も大勢います。

 選挙権を与えられた若者たちはそれをどのように判断するのか?はたまたダイヤモンドのビジネスはどのように流れていくのか?関係のない話のように感じますが、私自身は全く関係のない話には感じておりません。

 身体だけを大人扱いにするより、感性や判断力を、そしてその責任を大人扱いできる社会になればもっと多くの問題を解決できるような気がします。
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2015年6月14日日曜日

そもそもの議論⁉

 以前にそもそも論的なことを書きましたが、今回騒動になっている日本年金機構というものがあります。これは以前の消えた年金問題を引き起こしたといってもよい組織です。改革という名目でカンバンを変えたのですがそもそも組織を変えずに名前を変えて出直して、何かが変わると思っているのでしょうか?本来であればカンバンはそのままでも組織を改革するのが常道のはずです。

 あの時に何かの議論をすることもなく役人と政治家で幕引きをしたのですが、そもそもの組織が変わっていないのですから今回のことが起きても不思議ではないわけです。ましてやサイバー攻撃を受けてから一週間も外部と遮断をせずに、業務に影響を与えるという理由で外部との遮断を行わなかったという理由を言い訳になると思って会見を開いている神経。

 バスの運転をしていたらハンドルが取れたけれど、『まだ走っていたので車は止めなかった』と言っているようなものでそもそもの本質的なことがわかっていない。こんな人物たちを年金のプロだからという理由で組織に留めたのは、この事とまったくもって同じ理由です。この辺が日本お役人や政治家の頭のおかしいところで、そもそもが間違っていたのなら最初から見直しが普通です。

 つまり、次の事故が予見どころか確実なのに同じことを繰り返している。こんな場面は何度も日本の行政や政治の中に観てきました。百年安心の年金が5年もしないで破たんをしたり、東京オリンピックを招致したけれど国立競技場の建設見積もりが倍違ったとか、挙句の果てに東京オリンピックの責任者を決めていなかったとか、あきれてものも言えません。

 民間がしっかりしている国だから成り立っているようなもので、失敗ばかりで何の役にも立たなかった元首相をオリンピック招致委員会の委員長にしたりと、本人がやりたいといったからと言って後先を考えずに起用する姿勢は無責任この上ありません。

 仕事柄ユダヤ人と多く接しているので彼らは本文である議論をすることが多くなり、私自身も議論を多くすることが身についてしまいましたが、本質的には『何故?』ということに妥協をしないからだといわれています。

 自分たちの神とも議論をする彼らは神に『何故あなたの存在を信じなければいけないのか?』といったことから始まり、『自分たちがいなければ神の存在は意味がないじゃあないか』といったちょっと神様に失礼ではないだろうかと思うようなことを平然と言います。

 つまり、それらは本質に対する理解が自分たちにできているかどうかの投げかけなのです。前述のバスの運転ではありませんが、走ることはバスの役割ではありますが、それ以前に人間が安全でなければ意味がないわけです。このこと自体を理解ができれば解決できる過ちです。

 しかし、実際には改革といわれたまやかしに対して疑問も待たず平穏に過ごせれば、議論をする必要はないとでも思っていたのでしょう。民間であれば結果を重視しますのであり得ないことです。
本来であれば今回の流出問題のお知らせやその手当のコストは税金ではなく、彼らの身銭を切って行わなければいけないことです。

 税金を簡単に使うという安易さ、そもそも税金は役人や政治家のお金ではないし、行政という仕事というものは結果が出て何ぼのもので、作業のようにこなせば給料がでるという類のものではありません。日々結果が出て始めて、たまのミスに対して国民も目をつぶるのであって、これだけ多くのミスや疑問を持たないような体質はやるせません。

 自らの仕事の内容に疑問を持ち、議論をし、結果が出ているかどうか、このままで良いのかどうかを考える知恵を少しでも見せてほしいものであります。貴方達は頭が良いはずなのだから、脳みそを腐らせてはいけません。

 

2015年6月13日土曜日

ジュエリーは何の為に⁉

 先日伺った展示会で見た光景ですが、信じがたいというか、これで良いのかと感じたことを目にしました。それは最終日の終盤でしたが、ほとんどのお客様が退出され、業者が片付け始めところでした。一組のお客様がまだ会場に残り、商談をしておりました。周りの業者も気を使い、片づけるような片付けない様な雰囲気の中でのことでした。

 なかなか商談がまとまらない様な雰囲気もあり、お客様もモジモジ始まりいかにも退出をしたいような雰囲気を傍から見ていても感じたのですが、業者がねばっていたのか販売員がねばっていたのかはわかりませんが、なかなか商談がまとまらない様な気配、というかお客様がいかにも帰りたそうな気配でした。

 そうこうしているうちに業者はゆっくり片付けをしていたにもかかわらず、すべての商品が片付けられ、その業者自体のケースも片づけられておりました。すっかり片づけられ他の業者も退出をし、ホテルの従業員も片付けが始まった頃やっとお客様は席を立たれました。

 勿論、お客様はどう見ても購入の意図は無い様でしたので、結果的にはお客様を縛り付けたような格好になってしまいました。他の用事もあり私自身は残っていましたので、その最後の瞬間まで目撃をするをする事になったのですが、販売側の一生懸命は解るのですが、首をかしげるようなシーンでした。

 お客様の心境を考えると、今後来場しにくいだろうなと感じました。しかし、それ以上に感じたのはジュエリーに対してのお客様の感情です。

 心を豊かに、ある意味で生活に張りを持たせたりする役割のジュエリーがその役を担っているからこそ真逆のイメージを持たれると、かえってお客様とジュエリーに隔たりが出来ます。決して高額という理由でジュエリーが売れないわけではありません。購入の方法にはいろいろありますが、一番はジュエリーに対する精神的価値がどれくらい本人にあるかという事が大きいのです。

 つまり、金額に見合った価値を感じれば、決して高い物ではありません。しかし、負のイメージを感じれば、こんな遠くのイメージなものもありません。それゆえにお勧めの方法や販売方法に気を使わなければいけないのです。決して、販売側の都合の物ではありませんので、お客様の側に立ったものでなくてはなりません。

 結果的にお客様が価値を感じるような販売方法でなければならないのです。極端なお客を馬鹿にしたような値引きや粘りは百害あって一利なしです。ほとんどの場合本来のジュエリーを理解していない販売側の不誠意によるものだと思います。

 小売りの場所にお邪魔をするようになって約3年ほどになりますが、いよいよもって本来のジュエリービジネスとのかい離を感じざるを得ません。世界はジュエリーの世界はバブルの様相を呈しているのですが、日本では何故かその逆です。それは本質的な売り方をしていないからではないかと感じます。

 世界では今週のダイヤモンドニュースで大粒石の足りなさを強調し、需要が過多であることも伝えています。ちゃんと販売をすればまだまだ需要のある、というより需要を創り出せる業種です。販売の場面、場面をきちっと演出をしたいものです。今の方法の殆どがお客様を遠ざけている認識を持つことがでしょう重要でしょう。

2015年6月12日金曜日

円安の陰⁉

 近頃は政府の方針でもあるのですが、円安がここ3年で円の価値が50%下がりました。一見して経済に良さそうに見えていますが、本当にそうかなという気もします。何故ならどこの国にとっても自国通貨の価値が下がることは良い筈がありません。

 確かに海外資産だけを見れば50%の価値増量という事になるのかもしれませんが、国内はどうでしょうか。物価も上がっていますが以前の物価上昇とは少し様相が変わっています。

 多くの人が国内でお金を使っている分には関係が無いという訳ですが、本当にそうでしょうか。高度成長からバブルに向かっては確かに円安は追い風であり、多額な貿易黒字を生みました。

 その頃は殆どが国内生産で輸出がほとんどですから円安は追い風となりました。しかし、現在はどうでしょうか?

 現在は過去の円高を背景にほとんどの製造業が海外生産をしています。過去の円安では確かに物価は上昇をしましたが製造業は国内の為に利益の享受は殆どが国内でした。つまり現在の円安は利益還元が一部の輸出産業にしかメリットのない物です。

 国内で円を使っていれば関係が無いというのが的外れであることが理解を出来ると思います。実質内容量が減ったり、先月まで一万円だったものが1万1千円になっているものも多くあります。つまり円の価値が下がるという事はハイパーインフレになってくる可能性もあります。

 今後は格差の広がりがどんどん出てきて、経済に悪影響が出てくることは十分に考えられます。と言うより過去のデーターで格差の広がりは経済を押し下げていくことを物語っています。

 細かい事は端折りますが、現在の格差の要因は仮想経済の膨らみ過ぎにあります。実体経済が伴わないわけですからその危うさはいかんともしがたい感じがします。簡単に言うと仮想経済の中にいる金融やIT関連産業の一部が富裕層であり、実体経済の中にいる層の大半が貧困層という事になりますので、今の形態が崩壊した時のことを考えるととても怖い感じがします。

 円安は国内のダイヤモンドビジネスにとってはマイナスではないかという人もいますが、その理由は輸入価格の高騰は国内での販売に影響を与えるのではないかという懸念です。

 しかし、今後どれくらいの率で円安に向かうかわかりませんが、過去の例を考えると円安がマイナス要因であったことは1980年前後の数年だけです。それは世界のダイヤモンド業界の中でのバブルが起きており、市場に在庫がだぶついているにも拘らずアフガン侵攻や世界情勢の不安定さから短期での値上がりが続き、その結果その後の値下がりと円高に向かったこともありますが、実質的な原石の値下がりがあったわけではありません。

 現在は円安であれば輸出をし、実際には市場にダイヤモンドが決して多くはない状況が価格を押し上げています。もう一つは皮肉なことですが金融関係の長者たちが利益確定の為に現物であるダイヤモンドを買い漁っているという事もあります。つまり何時の状態でもダイヤモンドが足りない状況にあります。故に現物であるダイヤモンドに関していえば如何なる状況でも買い時であるといっても良いでしょう。勿論それなりのものという事になりますが・・・。

 何はさておき、現状の円安に関していえば切り下げになるような状況にならなければ良いがと考えます。過去には起きている事も頭の中には置いておいた方が良いでしょう。

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2015年6月6日土曜日

ダイエット!?

 最近、当店お客様の間では本格的なダイエットがはやっており、先日も『お金持ちダイエット』について触れましたが、自身も少し血圧や健康を考え体重を絞ろうかなと考えています。

 ここで疑問なのですがペット以外の動物であまりダイエットについて伝えるメディアもいませんが、野生の動物を考えると必要な以上の食を欲しないというか、本来は生きるために必要なものが取れればよいのであってそれ以上のものは単なる無駄なのではないだろうかと考えるのです。

 つまり、おなかを減らさずに済ます程度の食事をしている限り、どんなものを食べてもそんなには太らないのではないだろうか?よく飽食の時代という言葉がありますがある意味文化かもしれませんが過ぎると今度は弊害になることが多いのでしょう。それは人間の性というか、欲望でもあるのでしょう。

 本来の本能の中にはない欲望が文化という形で出来上がってくると自然ではない分だけ弊害もあるのでしょう。本来の欲望というものは食欲と性欲といった人類というか生物が継続をしていくうえで必要な欲でしょう。金銭欲であったり名誉欲などというものは本来の生きていく上で必要ではないものですが、社会という意味では必要な二次的欲望といってもよいのでしょう。しかし、それは過度にはなってはいけないのです。

 人類の進歩とともに文化というものが生まれ、その文化に根ざした過度な欲望はドンドン善悪の関係なく増長していきます。食欲に関しても食べる以外に味だとか見た目とかといったものは本来の本能とは違います。

 つまり、ダイエットというものは過ぎた文化の清算のような気がします。生きる上で必要ではないものを摂取し、過ぎたあまり害が及ぶといったものではないでしょうか。米国の例を挙げるのは申し訳ないけれど、飽食が過ぎると肥満大国となるのではないでしょうか。遺伝子を書き換えてまで必要以上な量を作り上げるということは、金銭欲であったり、名誉欲であったりといったものの線上にあるのではないでしょうか?

 よく業界の中でも話が出ますが、本来の宝石というものは希少性から言ってもそれほど多くは存在しません。天然という意味ですが・・・。

 なぜ処理石がこんなに多くのなるのでしょうか。簡単に言えばそれに従事している人間が多すぎるので品物が必要、かつ沢山売れるように安価でということになります。勿論、供給する側は売れ手お金が入りますからドンドン造るということになります。

 そうすることにより本来の宝石の価値が損なわれるということにもなりかねませんが、逆に非処理の宝石の価値が増すということにもなります。供給側はどんな工夫をしても売ろうとしますから、食物の遺伝子組み換えに似ているところがあります。消費者というより供給側の理屈です。

 最初の話に戻りますが何事も本来の意味を超えることは弊害が起きますし、自然それに対する防御を人間は考えるようになります。そして本来の姿に価値を求めてそこに近づけようとしてダイエットを行います。

 何事も・・・。
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2015年6月2日火曜日

そもそものダイヤモンド⁉(その2)

 現代のダイヤモンドジュエリーをはじめ多くのジュエリーはアクセサリー化し、結果的には『アクセサリーとしては高価すぎるよね』といった雰囲気があり、お金を持っている人の贅沢の権化みたいなところがあります。

 しかし、実際には展示会等で売れている物を見ると、おおくの展示会の大幅値引きを前提にただ値付けをするために価格の解りにくいデザインのジュエリーが多く出回っています。本来に価値という意味ではデザインの価値という事になりますが、その価値を愚弄するような値引きをしますので、良い物を目にすることはほとんどありません。

 省みてダイヤモンドジュエリーに関してはダイヤモンドそのものが高いので、同じような手口でジュエリーを造ると、とてつもない高い価格になってしまいます。つまりダイヤモンドジュエリーに関しては素材であるダイヤモンドそのものが高価なので誤魔化しのビジネスは行いにくいのです。

 ここでそもそもですがダイヤモンドは単に美しいからと言った価値ではない事をご理解いただきたいのです。現代の多くの色石は何らかの処理がしてあるものだ多く出回っています。何故かというと本来の天然のままの美しい宝石はやはり希少性がありますから、それを前提にしていたら多くの宝石やさんたちは廃業をしなければいけないでしょう。

 しかし、本来は宝石というものはそうゆうものですから、処理という事は業界の都合という事になります。ダイヤモンドに関しては一時その様な事も流行りましたが、現在ではあまり受け入れられてはいません。やはり消費者の方達もダイヤモンドに関しては清廉さを求めているところもあるのでしょう。

 話しは飛びましたが、ダイヤモンドは本来の価値やものに値する兌換性があってのものですから、宝石本来の価値の美観、希少、耐久、携帯、そして一番肝心な換金性、つまり兌換性がある前提のに価値がある訳です。それを身につけるためにジュエリーが大きな意味では存在をしている訳です。

 多くの場合時代背景もありますが、贅沢や景気と言ったものを背景に市場に供給するためにダイヤモンドがジュエリー用の素材として席巻していたこともありますが、ダイヤモンドのネームバリューを利用し、売り上げを上げようするがあまり、劣悪なダイヤモンドが多く使用をされ、ダイヤモンドの評判というか価値を下げてきたり、誤解をされてきたことも事実です。

 現在もTVショッピング等で、百貨店の名前を使い、更にダイヤモンドの石目をうたい、劣悪なものを供給しているのをよく目にします。これらが結果的にはダイヤモンドの価値を愚弄したり、さげすむ結果になり、それら将来の自らのビジネスを難しくしているのを気が付かない愚かさです。

 現代の世界のダイヤモンドはお金を持った人たちもしくはファンナンスゲームを行っている人たちの現物確定や現金代わりの確保に翻弄されている感じがありますが、ある意味本来の価値といえるのでしょう。将来と言わず近いうちにダイヤモンドを確保している人としていない人の差が出てくるような感じさえします。

 現在はインフレに向かう気配が濃厚です。円の価値がどんどん安くなった行きますが、円安になっても国内で使っている分には関係が無いという人がいますが其れは違います。以前の円が安かった時代は多くのものが国内生産されていたので輸出産業がほとんどの日本ではメリットでさえありました。しかし現在は何らかの形でほとんどのものが輸入をされています。つまり、昨日まで一万円で買えたものが一万一千円になり、多くの人はこれが値上がりととる訳ですが、実は値上がりではなくお金の価値が下がっているという事に気が付くべきなのです。

 つまりこれらはハイパーインフレに繋がりかねない状況だという事です。ダイヤモンドはそういう時に有効な手段として昔から使われていたもので、ダイヤモンドの本来の価値というものはそこにある訳です。
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