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2014年6月24日火曜日

一言⁉

 昨日からの都議の不適切発言の謝罪会見を聞いていて腹立しい思いをしている人も多くいると思いますが実は私もその一人です。

 勿論、当事者である鈴木都議なる人物もそうですが、周りの自民党はじめと議会の政治感のなさについてです。世界に配信をされ、日本の潜在的な意識という形で報じられているわけですから、現在の内閣が進める女性の社会進出を成長戦略の信憑性を問われかねない問題なわけです。

 つまり、会派離脱や議員辞職程度の問題ではないし、この問題をもう少し考えるのであれば、やってはいけない場所で、やってはいけない人が、やってはいけない人にやったのですからこれは厳重処分であり、政治感が良い人であればこの機に厳罰に処し、世界中にこの類のことは日本では許されないことであることのアピールをするべき時だったはずです。

 オリンピックが決まり、世界中が日本を注視しています。ブラジルでの日本のサポーターがゴミ拾いで評価を受けたりすることもやはりそんなとこにあるはずです。ましてや隣国の国策による慰安婦問題に至っては友国である米国の中にさえ非難をする議会があるくらいです。

 今回、問題が日本の潜在意識であると取られるのと、このような問題は絶対に許されない国であると取られるのでは天と地の差ほどあります。今の政治家は歴史上最も未熟な時代だと言われて久しいのですが、特に自民党政調会長でもある女性政治家に至っては今回の過程においての鈴木都議の会派離脱という形での決着に個人攻撃にならないように寛容であってほしいなどと
発言をしている。政治家として幼稚すぎると思いませんか。まして被害者と同じ女性であることよりも党の責任者としての発言をしている姿を見て・・・。

 社会には一つの法律にはない絶対的なルールというものがあります。それを逸脱しない前提にあるので法律にはなっていない事というのがあります。例えば子供は絶対的にまず親が守るという事は法律である訳ではありません。それは動物としての本能であり野生の動物さえ身に付けていることなので法律にはないのです。しかし、残念ながら昨今の日本ではそのルールでさえ守れない状況です。ちょっと大げさな表現ではありますが・・・。

 つまり、今回も野次とか寛容できるとかといった問題ではないように思います。前述もしましたがやってはいけない場所でやってはいけない人が、やってはいけない人に行った事は法律になくともそれなりの処分が妥当であろうし、この機会を利用しての政治的逆転が可能である時だとは思いませんか?

 我々の業界も以前から培われてきた信用が前提で価格の信憑性が支えられてきました。以前の宝石店はほとんどの町で世話人だったり、役職を担っておりました。それゆえ価格というものは何ら疑問の余地を挟むことのないもとして適正な利潤も上げてきていました。

 つまり、我々の業界もそれらの社会的な貢献や立場から消費者の雑念のない信用を受けていたので価格に対しても何ら疑念を抱かれることもなくうまく回っていたのだと思います。しかし、現在では宝石の価格はあってないようなものだという言葉が飛び交っています。

 それは宝石ではやってはいけない1丁目一番地を自らとは言いませんが他業種からの移入もあるのでしょうが食い止めることが出来ず、自らも手を染めてしまった事が現在の消費者からの疑念に繋がっているのではと考えてしまします。

 宝石の価格の信憑性は絶対的に守らなければならない事でそれを崩すことは理由がない限りはやってはいけない事です。それは値引きにしろディスカウント販売にしろ、絶対的に守っていることがあって成り立ちます。

 前提としていることを破った場合は自らが処すのではなく、社会的に処分をされなければならないことなのです。そうでなければ法律に触れなければ何をやっても良い、挙句の果てに時間が過ぎれば薄れてしまうと考えられてしまい、それが潜在的意識になってしまうのではないでしょうか。

 一言というには述べすぎましたが、個人攻撃ではなく先を見据えた対応が我が国のすべての分野で、今必要とされているのではないかと思うような今回の問題でした。
 

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