ビジネスとは本来物々交換から始まり、お互い足りないものを交換し合うことから始まっているわけですが、漁民と農民が時化や凶作の時にお互い足りない物を譲り合い、そのバランスがとれない時には貨幣みたいな代替え品でそのバランスを取り合ってきたのが始まりだと考えられます。
つまり、代替品にしか過ぎなかった貨幣が金融というビジネスの元、大きくなりすぎた来たこと、実体経済(物々交換)の何倍にもなっていることが今の格差社会の大きな要因になっていると思いますので、今後は益々その差は大きくなっていくのでしょう。
一方、実体経済は日本には四季があり、その都度の物の需要が創出され、商売が成り立つようになっていますが四季の移り変わりがずれるだけで経済に影響を与えます。つまり、需要を喚起し、その需要に合わせていれば商売はできるという事になるのです。
しかし、今は皆、金融経済やデリバティブ等投資に躍起になりその基となる実体経済に対しての注目の低さは気になります。もっと職人や町工場、そして一次産業に対しての重要さを認識しても良いのではないかと感じます。実体経済なくしてはその金融やバーチャル経済はあり得ないのですから・・。
一方、宝飾業界に関してはどうかというと本来そこまで差し迫った需要がある訳でもありません。以前であれば結婚、その前に婚約指輪があり、それは給料の三カ月分という事が実体経済としてあったのですが、現在ではその実態も失われ、宝飾品を必要としている場面や需要があるのだろうかと考えます。
過去の実体経済と言おうか、過去の需要の延長の中での商売をしているのですから、宝飾業界が伸びることは今後仮にバブルが来ても難しいと考えます。以前のバブルの時は少なくても実体経済があってのバブルですから当然の結果と言えるでしょう。
現在は、お金があっても実際に使用する場所も必要性もありませんから宝飾品に目が向くことはすくなくなるでしょう。現在好調な高級腕時計に関しても、時間を見るだけなら必要もありませんが時計業界の執拗なまでのステータス創りや投資性の市場の構築がその需要を生み出しているわけです。
一方、宝飾品市場はトータル的な市場造りを失敗しているわけですが、唯一のナショナルブランドに関してもやや陰りが出てきています。それは残念ながら日本流の販売方法になじんできたということもあるのでしょう。また、どんなコンセプトで販売しようとそこに需要を喚起するような実態がなければ難しいという事でしょう。
販売員にも良い給料、ステータス、環境が一流であればそれなりの意識は出てくるでしょうが、それを販売員に要求することは難しいことであり、業界自身が意識をして創り上げなければならないことなのでしょう。
現在販売されているジュエリーの大半は一定の造りをクリアしていることは認めますが、むしろ現代ではそれが当たり前で、それ以下の造りは論外という事になります、しかし、展示会には色々な業者がいますので、目を疑うような造りの業者がいまだにいます。販売員もそれに気を向けることなく販売をしている人たちも多くいます。
選品はビフォアケアとして販売する側には当然なことなわけですが、造りを気にしないでの販売は結果的には顧客を失うという事になっていきます。多くの販売側は不調の原因は経済にあるとでも言わんばかりですが、それであれば高級時計も不調ということになります。
お客様の多くは何故来店をしなくなったかは言ってくれません。『販売方法が気に入らなかった』
『販売員の対応が嫌だった』等々色々ありますが、私が耳にした多くは価格に対する信憑性、商品に対する信頼性が一番多く聞かれます。
先日、お伺いをした展示会でも、
『最近あまり気に入ったものがないようですね?』
と問いかけると
『社長だから言いますけど、ここは値引きしてもらっても、他より高いですよね。』
と小声になり、
『お付き合いもあるのでそれも言いにくいのであまり言えませんけどね・・。』
と言いながら他では買っているという事でした。
お客様はお金を払って失敗をしてきたプロですから、素人と言っても理屈ではないけれどよくわかっています。
ビジネスというのは需要、供給とのバランスという事はありますが、そのバランスをとっているのはお金だけではなく、取り扱う人間の信頼性だったり、品物の信憑性が大きなポイントになるのです。
農民はいくら飢饉でお腹がすいていても、腐っている魚をもらったり、信頼できない供給者からは
魚をもらったりしないと思います。つまり、お腹がすいているという絶対的需要があったとしても供給に信頼、信ぴょう性がなければ経済は起きないという事です。
ビジネスの基本を見直す時期は既に来ていると思うのは私だけでしょうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿