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2014年6月30日月曜日

正攻法⁉

 人間の脳は5歳までに体験したことでほとんどが形成されていると言います。確かに周りやお客様を見ていてもダイヤモンドや宝石そのものに魅力を感じている人々を見ると小さいころに河原や砂場で光っている石やガラスのような物を集めていたという人たちが圧倒的に多いとおもいます。

 一方、アイシュタインが言っているように『人間を構成しているものは物体ではなく流動的なエネルギーの集合体である』。つまり、光や熱は細かい粒子であるエネルギーであるように人間もそうであるという事でしょう。

 エネルギーの集合体の構成の人間の場合は5歳までに基礎がつくられるという事なり、もちろん遺伝という要素もその一つという事は言うまでもないと思います。そして、そのエネルギーによって記憶や体験が司られているわけです。勿論体温や成長といった状態もエネルギーがあることによって執り行われているようです。(言葉として合っていないかもしれませんが)

 それらのものは宇宙の中にあるとてつもないスピリットのより影響を与えられていると言います。つまり、その影響を大きく与えるきっかけや状況をスピリチュアルという事です。

 お客様でも、最初はあまり興味を示していなかったのにある瞬間から異常にダイヤモンドに興味を抱く人々がいます。つまり、何らかのスピリチュアルを受けた瞬間なのでしょう。店頭や展示会等に出ているとよくそういう瞬間に出会います。

 それは、実際によくダイヤモンドや宝石をお見せしたり、具体的な情報のきっかけを説明しているときに起きます。耳や目からの情報は自身の体験や記憶を思い出させるスイッチとなり、あとは幼いころの経験が自身の感覚に誘ってくれるのでそれ以上の説明はいりません。エネルギーとは人間の想像を超える影響力があるようです。

 その情報は感性を呼び起こし価値を感じる訳ですね。そのものの内容が誤った情報や手段をとるとその後は真の説明することがより困難になります。何が言いたいかというとダイヤモンドや宝石というものの価値を理解するベースはほとんどの人間が持っており、それを具現化することによりお客様はその価値を理解し、購入しようとする動機になります。

しかし、実際にからだのエネルギーが持っている体験や情報と違うスイッチを入れようとすると瞬間的には勘違いや困惑しながらも受け入れますが、その先は難しい状況になります。 値引きという手段から入っていくと間違った情報を与える可能性が高くなるわけです。実用品ではない感性のものは其々が判断をする基本を持っています。

 チラシや広告のディスカウント表示では判断できないものとして記憶しているものが、実際に行われていると実生活ではそれを理解していても現実的には受け入れていませんから価格があってないものという判断をして、自分たちにはわからない世界として判断をしてしまいます。

 4Cのグレード表示の悪戯はまさにそれで、取扱説明書が価値を表しているような誤解を与えたために、その基準が値引きの目安になると勘違いをしたわけですね。本当は厳密な基準ではないし、価格を表す基準でもない物を。そのように感違いするような情報を与えていたわけです。

 仮に値引きをするにしてもきちっとした情報を与え、価値を自身が判断する状況までもっていくことが必要となります。その上での値引きは小さくても大きな役目を果たすのは否定できませんが、価値を示す基準を引き出す情報のそものが間違っていればいくら値引きをしても何の意味もありません。

 人はどのような中でも物を判断するようにエネルギーは構成されているそうですが、情報が違うとむしろ他のエネルギーが働き出すようになっているようです。整理整頓された正しい情報であれば消費者はきちっとした判断をしてくれるものです。その為にはこちらもきちっとした勉強をすることが必要なのです。

 スピリチュアルな環境を与えることは感性のものを扱っている者の責任であり、己のその場の利益のためだけに売らんがための方策は決して利口な方法とは言えないでしょう。

 

2014年6月27日金曜日

機を逃さず⁉

 先日、ある弁護士さんからお電話頂き
『少しお聞きしたい事がありますが、お時間いいですか?』
『はい、どうぞ』

 『投資用ダイヤモンドの事なんですが、ダイヤモンドは投資になるんですか?』

『はい、一定の条件をクリアすればという事になりますが・・。』

 実は担当をしている依頼人から相続の相談をされ、亡くなった父親が残したものの中にダイヤモンドがあり、投資用だとして持っていたものらしいのです。その処分に困っているという事で、その件でダイヤモンドの事を知りたいという事でした。

 なぜ、ダイヤモンドが投資用になるのですかという事から始まり、換金方法に至るまで事細かな質問がありました。ダイヤモンドの誕生から始まり、市場の形成の歴史、現在の状況を事細かく話し、納得をいったようでした。その上で

 『どちらにしても社長がおっしゃる条件に当てはまるものかどうかを見て頂かなければなりませんね。』

 『そうですね。一度お持ちください』

 全くのダイヤモンドの知識がなく、明瞭な頭脳をお持ちのせいか非常に御理解も早く、話していて心地よささえ感じました。世間にある俗知識ではなく、ダイヤモンドとはという絶対的価値をまずご理解していただいたので話が早かったのだろうと思います。

 世間には異業種からの参入も多く、ダイヤモンドの事だけではなく間違った知識が氾濫し、その上でさらに薄ら覚えの知識ですから、真の価値がそれらの知識に相反することがままあり、その払拭もままなりません。それを否定することも誤解を招くので難しいものがあります。

 まずはダイヤモンドとは、宝石とはといったものはどういうものなのかをはっきり示すことが今の宝石業界には必要なことであると常々感じています。

 先日の都議にセクハラ発言に関してもどうやらうやむやに終わらせようとしていますが、この結末が後で世界に対して大きな誤解や早まったメッセージを送ることになることを想像できないという事が政治の貧困さを物語っているような気がします。

 これからオリンピックや様々な国際イベントが日本で行われ、観光客をたくさん招こうとしているときに、何か起きるたびに今回の事が引き合いに出され、日本という国は潜在的に女性軽視の国であるとレッテルを張られるでしょう。

 最初が肝心という言葉があります。最初についた印象をぬぐう事は難しいことです。多くの企業も最初ヒット商品を出せば出すほど、イメージ戦略が難しくなります。人間関係も同じことがいえるはずです。

 何事においても機会を逃してはいけないという事がいえます。今回のセクハラ発言なども前回も述べたように断固とした処分をすることが、日本はその種の事には断固とした態度をとる国だという事になり、慰安婦問題等を含めた日本は変わらないというイメージを脱却する良い機会だったのだと思います。変化は自らしなければならないのです。

 それは、企業であったり、個人であったりしても同じことが言えます。ブラック企業のイメージがつけば、どこまで行ってもそのイメージがあり、仮にブラック企業の体質があったとしても全面的にチャリティーや福祉のイメージがあればその様にはうつりません。どこかで機を計り断固とした自らの立場を表明する行動が必要なのです。

 社会を理解し、自らの立ち位置を表明する機会を利用することは将来に向かっての好条件ともなります。その為には目先の事ではなく、展望をする心構えが必要です。簡単に言えば各論で物を見るのではなく総論で物を見るという事でしょう。

 我々の業界であれ、企業であれ、個人であれ、特に政治は将来を見越し、はっきりとした立ち位置を示すべきなのでしょう。決してローカルで行われていた過去の常識に捉われてはいけないのです。ネットで世界は繋がっている認識をもたなければいけません。人も変化をしていかなければなりません・・・というより変化をすることが生きるという事なのですから・・。

 
 弁護士からの突然の電話でしたが、ダイヤモンドというものを説明することにより弁護士自身もダイヤモンドの投資というものを理解し、今後は投資のひとつのジャンルになることを確信していただけたことは過去の日本で広がっていたダイヤモンドの常識からいよいよ決別をする時がやってきた実感を持つ良い機会になりました。

 世界のダイヤモンドにはすでにダイヤモンドの投資のジャンルは存在し、今回のラスベガスのJCKショーにおいても投資用ダイヤモンドのコンファレンスが行われています。既に世界は未来のダイヤモンドに向かっているのです。

2014年6月24日火曜日

一言⁉

 昨日からの都議の不適切発言の謝罪会見を聞いていて腹立しい思いをしている人も多くいると思いますが実は私もその一人です。

 勿論、当事者である鈴木都議なる人物もそうですが、周りの自民党はじめと議会の政治感のなさについてです。世界に配信をされ、日本の潜在的な意識という形で報じられているわけですから、現在の内閣が進める女性の社会進出を成長戦略の信憑性を問われかねない問題なわけです。

 つまり、会派離脱や議員辞職程度の問題ではないし、この問題をもう少し考えるのであれば、やってはいけない場所で、やってはいけない人が、やってはいけない人にやったのですからこれは厳重処分であり、政治感が良い人であればこの機に厳罰に処し、世界中にこの類のことは日本では許されないことであることのアピールをするべき時だったはずです。

 オリンピックが決まり、世界中が日本を注視しています。ブラジルでの日本のサポーターがゴミ拾いで評価を受けたりすることもやはりそんなとこにあるはずです。ましてや隣国の国策による慰安婦問題に至っては友国である米国の中にさえ非難をする議会があるくらいです。

 今回、問題が日本の潜在意識であると取られるのと、このような問題は絶対に許されない国であると取られるのでは天と地の差ほどあります。今の政治家は歴史上最も未熟な時代だと言われて久しいのですが、特に自民党政調会長でもある女性政治家に至っては今回の過程においての鈴木都議の会派離脱という形での決着に個人攻撃にならないように寛容であってほしいなどと
発言をしている。政治家として幼稚すぎると思いませんか。まして被害者と同じ女性であることよりも党の責任者としての発言をしている姿を見て・・・。

 社会には一つの法律にはない絶対的なルールというものがあります。それを逸脱しない前提にあるので法律にはなっていない事というのがあります。例えば子供は絶対的にまず親が守るという事は法律である訳ではありません。それは動物としての本能であり野生の動物さえ身に付けていることなので法律にはないのです。しかし、残念ながら昨今の日本ではそのルールでさえ守れない状況です。ちょっと大げさな表現ではありますが・・・。

 つまり、今回も野次とか寛容できるとかといった問題ではないように思います。前述もしましたがやってはいけない場所でやってはいけない人が、やってはいけない人に行った事は法律になくともそれなりの処分が妥当であろうし、この機会を利用しての政治的逆転が可能である時だとは思いませんか?

 我々の業界も以前から培われてきた信用が前提で価格の信憑性が支えられてきました。以前の宝石店はほとんどの町で世話人だったり、役職を担っておりました。それゆえ価格というものは何ら疑問の余地を挟むことのないもとして適正な利潤も上げてきていました。

 つまり、我々の業界もそれらの社会的な貢献や立場から消費者の雑念のない信用を受けていたので価格に対しても何ら疑念を抱かれることもなくうまく回っていたのだと思います。しかし、現在では宝石の価格はあってないようなものだという言葉が飛び交っています。

 それは宝石ではやってはいけない1丁目一番地を自らとは言いませんが他業種からの移入もあるのでしょうが食い止めることが出来ず、自らも手を染めてしまった事が現在の消費者からの疑念に繋がっているのではと考えてしまします。

 宝石の価格の信憑性は絶対的に守らなければならない事でそれを崩すことは理由がない限りはやってはいけない事です。それは値引きにしろディスカウント販売にしろ、絶対的に守っていることがあって成り立ちます。

 前提としていることを破った場合は自らが処すのではなく、社会的に処分をされなければならないことなのです。そうでなければ法律に触れなければ何をやっても良い、挙句の果てに時間が過ぎれば薄れてしまうと考えられてしまい、それが潜在的意識になってしまうのではないでしょうか。

 一言というには述べすぎましたが、個人攻撃ではなく先を見据えた対応が我が国のすべての分野で、今必要とされているのではないかと思うような今回の問題でした。
 

2014年6月23日月曜日

ダイヤモンドの視点⁉

 先週末、ご来店を頂いた70代の女性客の一言で
『お宅の社長が,仰った通りにダイヤモンドのお値段が上がっていますね』
のお言葉が耳に入り、何気に店頭をのぞくと久しぶりにご来店を頂いた方がこちらの方を見てご挨拶くださいました。

 『別に予想をしたわけではなく誰でもがわかる事ですよ』
というと
『言って頂いたときに買っておけばよかったと思っても、実際に私たちが買える金額ではねえ・・。』
 
と、お客様は投資を考えての発言でした。

 以前からダイヤモンドの投資についてや考え方に触れてきましたが、このお客様がおっしゃる通りなのです。つまり、幾らのどのようなダイヤモンドを買えば利益になるのか?・・・・という事に関してはダイヤモンドの色々な側面を過去何度も書いてきています。

 ダイヤモンドは贅沢品として、記念品として、観賞用として、収集用として、そして投資用としていろいろな顔をもっっています。それらは売る方の考え方や買う側の考え方にもよるのですが、あくまでも投資用として考えた場合には売り手の立ち位置がとても大事になります。

 一つには本当にダイヤモンドの事を知っているか?、ダイヤモンド市場のメカニズムを理解しているか?本当にダイヤモンドの価格を理解しているか?実際にダイヤモンドの販売に携わっている人間で声を大にして何人の人が手を挙げることが出来るのかを考えると宝石を販売するという事はそこまでの意識は必要のない簡単な仕事なのかもしれません。

 御客様が仰ったように投資として考えて場合にどうなんだろうという事はあります。つまり、大きさなのか、価格なのかをひとつの基準で考えたとして、高額なものはコストから考えて極端には高い価格設定にはならないだろうけれど、安価なものはコストから考えると率として高い設定になることはやむをえません。

 本来は販売側から考えると上代一千万円の商品の利益を100万円で良いと考えるが、100万円の商品の利益を10万円で良いとは考えないのが本来の宝石店の考え方なのですが、日本の多くの宝石店は低い価格のものを、売る為に利益を少なくし、高額のものでも一定の利益を取ろうとします。

 海外のスーパーブランドでも高額品の賭け率は低く、低額品の方が賭け率が高いのが当たり前です。しかし、日本は百貨店が販売をするケースが多いので、販売員にはサラリーマンが多いわけで、売れる事より利益率が下がる方が低評価につながるので、売れなくても高い賭け率を維持しようと考えます。

 横道にそれましたが、百貨店や一般的な宝石店ではないという事を前提にして話を進めますが、
購買するダイヤモンドには流通コストが乗っていることは常識として消費者も理解をしていますが販売側が幾らの利益を考えればよいかという事になります。

 つまり、10%の利益が通常の経費プラス利益になる金額が100万円だとすれば販売価格が1千万円でよいという事になります。ということはコストの10%アップという事になるので、仮に10%の値上がりをするものであれば、一年でコストがクリヤされますので、それ以降は消費者側の利益という事になります。(ものすごく単純な考え方ですが)

 逆に販売価格が低いものであれば利益率を高くし、多くの量を販売することを考えなければなりませんから、人も多く必要になるかもしれません。

 前述のお客様の発言の答えになると思いますが、実際には販売形態にもよりますが、1千万円を目安にしたダイヤモンドを専門店から求めた場合には十分に投資になるかもしれません。

 結果、販売側や購入側がダイヤモンドをどのような視点で価格設定を捉えるかによってダイヤモンドそのものの性質も変わってくるという事になります。

 宝石のビジネスは本来の広い場所がいらなくて、人がいらない。それなのに高金額の取引になるというメリットがあり、始められた商売です。勿論その条件として経験、知識、コネクションが必須という事になりますが、多くの宝石店はその逆をやり、玉砕しているところが多いように見受けられます。

 本来の視点に立ちかえればダイヤモンドのビジネスは販売側、購入側両者に多くの利益をもたらすビジネスなのだと考えますが、簡単なことほど難しいという事になるのかもしれません。

 小さなサイズのダイヤモンドに関していえばやはりジュエリーの素材として考えた方が良いのだと思います。つまり、今のままでよいのだと思いますが時代に沿った変化は必要だとは思いますが・・。

2014年6月19日木曜日

ダイヤモンドにおける日本の位置⁉

 
 2013年の世界のダイヤモンドのシェアが発表されました。なんと未だに日本は世界第3位なのです。

 1970年代以降アメリカと日本でダイヤモンドのマーケットの2/3を担っていた時代が続いていましたが、2000年代に入り中国が台頭するとともに、日本の景気も落ち、我が国のシェアは少しづつ減ってきました。

 今の中国の勢いは確かにすごいとは思っていますが、ダイヤモンドのマーケットで考えると12%前後で、日本の9%を少し上回っている程度です。米国は相変わらず39%ほどのシェアを持っていますが、ここで見えるものは日本の凄さでしょう。

 1980年代から1990年代にかけては米国と日本で世界のシェアの2/3を占めていたのですからその時代の日本の凄さです。敗戦国で小さな島国であった日本がダイヤモンドの世界で25%前後のシェアを持っていたのですから今の中国と照らし合わせても凄いと思いませんか。

 現在、日本は低迷をしている印象がありますが、その時代に創られた遺産はまだまだ健在であることを意識しても良いのではないでしょうか。確かに借金大国ではありますが、海外資産に関してはいまだに世界NO1であることはあまりメディアは報道してはいません。

 日本は現在ダイヤモンドのシェアでは9%で世界第3位ですが、ダイヤモンドの本当の意味を他国と違い贅沢品と考えている日本で第3位なのですから、海外と同じように資産としての位置づけになった時にどれくらいのシェアを伸ばすのだろうと考えてしまします。

 贅沢品にそこまでの金額を払う国が果たして景気の悪い国なのでしょうか?私は思いません。貯金や資産の保有、富豪の数、どれを取ってもいまだに世界トップクラスの我が国です。ただ、政策や報道のレベルの低さが国民の性格と作用して、それこそ不景気感があるのだと思います。

 ダイヤモンドは未だに贅沢品と考えながらも魅力を感じていてくれる消費者がいます。普段私は一定の条件を満たせば十分に効率の良い資産として考えることが出来ますよと言っています。

 しかし、他国から侵略をされたり、移民の経験の少ない日本国民には理解がされにくいのではとよく指摘をされますが、日系移民の方たちの末裔の日本帰りをした方たちや満州から引き揚げてきた人々の経験談を話をすると『へ~、そうなんだ』といった反応をされることがままあります。

 年代がらその方達とも関わりあって来たり、北海道のでの200カイリ問題の折には沢山の北海道民が大きめのダイヤモンドを買い求めていたことを記憶しています。

 つまり、移動するときの携帯資産を差しているのですが、現在はその事よりも実際に投資資産として理解をして買い求めている一部の方達もいるという事です。中国のような社会主義の国では実際には資産の保有はできませんからそのようなものに向かう事は理解が出来るし、いまだにくすぶっている東欧を見るとやはり携帯資産としての面がまだまだあります。

 前述したように未だにダイヤモンド消費世界第3位の国ですが、贅沢品として求めているだけだとやはりそこまでのシェアを占めるとは思えません。今後のダイヤモンドのシェアの動きには是非注目をしていきたいと思っています。

2014年6月18日水曜日

素材とデザイン⁉

 昨夜お客様であり友人で時々このブログに登場する女性建築家がストレスが溜まっていそうな形相をしながら(失礼)入口から入ってきました。

 お話を伺うと今クライアントと打ち合わせをしてきた帰りで、少しストレスが溜まっているようでした。(そのままですが)
 クライアントの要望でスタイリッシュに仕上げたいとのことで、話を進めていたらしいのですがスタイリッシュではありますが、素材としてはあまりお勧めできないものがあったらしいのです。
 
 

 『クライアントは必ずしもしっかりとしたコンセプトがあってオーダーをする訳ではないので、たまたま雑誌やTVでも見たものを気に入って要求するのだけれど、進めているプランには合わなかったり、勧められない材料だったりするんですよね』

 素材によっては1~2割高価でも耐久性を考えると最終的に安上がりで、デザインを追うものはその時は良くても時代やトレンド変わった時に結局やり直すことになる。その上でファッションを追った材料は期間が短いのであまり良い素材を使わないとの事です。

 話を聞いて思う事は宝飾品にもそれは当てはまる内容だなと思います。つまり、デザインを追うものは以前にも話しましたが、飽きが来たり時が変わると身に付けなくなります。『結局は安物買いの銭失い』になるのです。素材をベースにしてデザインされたものは時代を超え結局は長持ちをし、その上で長く使う事になります。

 家も宝飾品も基本的には素材が重要なことはお互い話あっているとよく理解が出来る事なので建築士の彼女は宝飾品も必ず素材を選びから始めます。その上で将来的にどの様に変化をさせて使えるかを考え購入を決めます。
彼女曰く
『ダイヤモンドのような絶対的な素材はコストパフォーマンスを含めて、こんなにエンジョイ出来る物はない』
と常に口にしています。

 後々の問題を事前に防ぐには素材を中心に勧めるのがプロの仕事であるという理念があるとのことで、小生もそれには同意であり、その事自体が基本となっていた職業であるのでその事が理解できなければ宝石に携わることは難しいのだと思います。

 基本とは宝石という素材が先に存在し、それをいかに身に付けるかという事でジュエリーが生まれてきた部分もいあります。もしくは実用品として使用されていたものの素材として贅沢なものを使用したものがジュエリーの始まりでもありますが、いずれにしても素材が前提となっているのがジュエリーなのです。

 もちろん素材が良いものを使えば価格は高くなりますが、前述したように本質ですから長い目で見れば安上がりで購入者にメリットがあるという事になります。そして、購入者のメリットを常に前提として考えるのがプロの仕事なのだと思います。

 そういった意味では彼女との共通点は多いのですが、消費者の要望にある程度こたえるのも仕事ではありますが、その説明をとばしたり、デザインばかりの良さを強調することは如何なものかとは思います。それならアクセサリーで十分なのですから・・・。

 宝石とは名ばかりの素材だったり、造りが目を疑うようなものを平気で販売する者もいますが、売れれば良いという考え方は家や宝石のような長く使うものに関してはそぐわないし、あきらかに間違いです。その上明らかに後日問題を抱える事になることは多くの販売員が経験をしていることだとおもいますし、その場で売れれば良いという考え方はやめた方が良いのでしょう。

 よく欠陥住宅の話があります、見た目が良いが後日床が傾いたり水が漏ったりという話はたまに聞きますが、ほとんどの場合売ってしまえばよいという住宅販売会社かとりあえず価格が安いからといった消費者の要求に従ったものが多いと聞きます。住居という生活に結びついたものなのでよく話題になりますが、宝飾業界や周りでも同じような話はよく聞きますが大事にはなっていません。

 しかし、一方で売上げは上げなければいけませんので、そのことを理由に逃げることも許されません。その為にはもっとプロとして素材を勉強する必要があるのだと思います。

 彼女の最後の言葉が印象的でした。
『全ての本質は素材なんですよね。人も物も・・・。』
 

2014年6月17日火曜日

ダイヤモンドが繋いでくれるもの⁉

 数か月前、とある華僑のお客様から3ctsダイヤモンドのリフォームをお預かりして、七宝を施したペンダントをお造りしました。

 先日、お電話があり台湾で会合があり、かのペンダントをして出席をしたところ皆から大層ほめられたとの事でお喜びと報告があり、その際に『どちらの宝石店で求めたのか?』と聞かれたので元々持っていたものをリフォームしてもらったと答えたそうです。

 その際に自分たちのもつくってもらえるだろうかと聞かれたので『聞いておきます』と答えたそうです。それもあり、お電話を頂いたのですが
『実は既に日本にダイヤモンドを送ったらしいんですよ』
とのことで
『それはまた段取りが良いですね』
といったら
『華僑はせっかちですからね。それにダイヤモンドは華僑にとっては大変に大事なものなんですよ』
と・・・

 以前にもお話を伺ったことがあるのですが、華僑の方たちはそれぞれの国になじむとともに。ある部分のステータスを保つために必ずダイヤモンドの大きなものを身に付けるようにお母さまから言われ続けていたとの事です。

 確かに昔から華僑の方たちの縁も深く結婚式等にもお邪魔をしたこともありますが、多くの方たちがヒスイやエメラルドのような高級石を身にまとい、特にダイヤモンドの大きなものをしている人が多いという印象がありました。

 その上でダイヤモンドをどのような造りで身に付けるかという事はその中でも大きな点なのだと伺いました。つまり、単調な造りで身に付けることはある意味誰にでもできるけれど手のかかった造りのものを身に付けるという事は身近にそれなりの宝石店があるという事で、その事自体もステータスだという事です。

 今回ペンダントに目がいって、その宝石店を紹介してくださいといわれることはもっとも鼻高々なことなのだそうです。ヨーロッパではお抱えの宝石店を持つことはある意味、贅沢であり、ステータスであることは勿論知っていましたが、なかなか日本ではそうはいきません。

 やはり華僑は世界のネットワークですし、世界で生きていくことは世界共通通貨であるダイヤモンド等の高級宝石が欠かせないのだと改めて感じました。そして同時に共通の価値観や意識を持たせてくれるダイヤモンドのすごさを改めて感じるとともに日本にいても良いものを見つけてくれる人はいると改めて実感をしました。

 以前は、世界に出なければ日本にジュエリーの良さは伝えれないと思っていましたが、華僑やユダヤ人のように世界で生きていく人々にはやはりダイヤモンドが必要で、それをどのような形で持つかという事が重要で、それをオーダーするのは海外であろうが国内であろうが彼らには関係ないないし、日本にいても良いものをやっていれば彼らの目には必ず触れるという事も良くわかりました。

 その上でもっと精進をし、彼ら以外の人々の目にももっと触れるようにしなければと改めて思いました。

 良い経験です・・・・。










 

2014年6月16日月曜日

ビジネスの基本⁉


 ビジネスとは本来物々交換から始まり、お互い足りないものを交換し合うことから始まっているわけですが、漁民と農民が時化や凶作の時にお互い足りない物を譲り合い、そのバランスがとれない時には貨幣みたいな代替え品でそのバランスを取り合ってきたのが始まりだと考えられます。

 つまり、代替品にしか過ぎなかった貨幣が金融というビジネスの元、大きくなりすぎた来たこと、実体経済(物々交換)の何倍にもなっていることが今の格差社会の大きな要因になっていると思いますので、今後は益々その差は大きくなっていくのでしょう。

 一方、実体経済は日本には四季があり、その都度の物の需要が創出され、商売が成り立つようになっていますが四季の移り変わりがずれるだけで経済に影響を与えます。つまり、需要を喚起し、その需要に合わせていれば商売はできるという事になるのです。

 しかし、今は皆、金融経済やデリバティブ等投資に躍起になりその基となる実体経済に対しての注目の低さは気になります。もっと職人や町工場、そして一次産業に対しての重要さを認識しても良いのではないかと感じます。実体経済なくしてはその金融やバーチャル経済はあり得ないのですから・・。

 一方、宝飾業界に関してはどうかというと本来そこまで差し迫った需要がある訳でもありません。以前であれば結婚、その前に婚約指輪があり、それは給料の三カ月分という事が実体経済としてあったのですが、現在ではその実態も失われ、宝飾品を必要としている場面や需要があるのだろうかと考えます。

  過去の実体経済と言おうか、過去の需要の延長の中での商売をしているのですから、宝飾業界が伸びることは今後仮にバブルが来ても難しいと考えます。以前のバブルの時は少なくても実体経済があってのバブルですから当然の結果と言えるでしょう。

 現在は、お金があっても実際に使用する場所も必要性もありませんから宝飾品に目が向くことはすくなくなるでしょう。現在好調な高級腕時計に関しても、時間を見るだけなら必要もありませんが時計業界の執拗なまでのステータス創りや投資性の市場の構築がその需要を生み出しているわけです。

 一方、宝飾品市場はトータル的な市場造りを失敗しているわけですが、唯一のナショナルブランドに関してもやや陰りが出てきています。それは残念ながら日本流の販売方法になじんできたということもあるのでしょう。また、どんなコンセプトで販売しようとそこに需要を喚起するような実態がなければ難しいという事でしょう。

 販売員にも良い給料、ステータス、環境が一流であればそれなりの意識は出てくるでしょうが、それを販売員に要求することは難しいことであり、業界自身が意識をして創り上げなければならないことなのでしょう。

 現在販売されているジュエリーの大半は一定の造りをクリアしていることは認めますが、むしろ現代ではそれが当たり前で、それ以下の造りは論外という事になります、しかし、展示会には色々な業者がいますので、目を疑うような造りの業者がいまだにいます。販売員もそれに気を向けることなく販売をしている人たちも多くいます。

 選品はビフォアケアとして販売する側には当然なことなわけですが、造りを気にしないでの販売は結果的には顧客を失うという事になっていきます。多くの販売側は不調の原因は経済にあるとでも言わんばかりですが、それであれば高級時計も不調ということになります。

 お客様の多くは何故来店をしなくなったかは言ってくれません。『販売方法が気に入らなかった』
『販売員の対応が嫌だった』等々色々ありますが、私が耳にした多くは価格に対する信憑性、商品に対する信頼性が一番多く聞かれます。

 先日、お伺いをした展示会でも、
『最近あまり気に入ったものがないようですね?』
と問いかけると
『社長だから言いますけど、ここは値引きしてもらっても、他より高いですよね。』
と小声になり、
『お付き合いもあるのでそれも言いにくいのであまり言えませんけどね・・。』
と言いながら他では買っているという事でした。

 お客様はお金を払って失敗をしてきたプロですから、素人と言っても理屈ではないけれどよくわかっています。

 ビジネスというのは需要、供給とのバランスという事はありますが、そのバランスをとっているのはお金だけではなく、取り扱う人間の信頼性だったり、品物の信憑性が大きなポイントになるのです。

 農民はいくら飢饉でお腹がすいていても、腐っている魚をもらったり、信頼できない供給者からは
魚をもらったりしないと思います。つまり、お腹がすいているという絶対的需要があったとしても供給に信頼、信ぴょう性がなければ経済は起きないという事です。

 ビジネスの基本を見直す時期は既に来ていると思うのは私だけでしょうか?

 

2014年6月14日土曜日

付加価値⁉

 よく出る話ではありますが、先日もお客様に

『買う時と売る時の価格差は大分ありますけど、どういうのを買うのが良いのでしょうかね?』
という質問をされたあのですが

 『勿論、売価には流通のコストものっていますが、工賃やデザイン料の付加価値の率が高いものに関してはやはり売る時には何の価値もありませんから材料費のみの価格になることは致し方のないことですね。』
と答えると

 『売るつもりで買っているわけではないですけれど、買うならその価格差が少ないものが良いですからね。』

 素材代がコストの多くを占めるものをハイ・ジュエリーといった言い方をしますがハリーウインストンやグラフを代表するような素材のダイヤモンドや非処理石がメインになっているジュエリーはブランド品ではなくとも、やはり買取時にはそれなりの価格がつくものです。

 勿論、それ以外のジュエリーであってもヨーロッパ等の有名ブランド品であれば名前という付加価値が付きますのでそれなりの価格で買い取りをしてくれると思います。

 ダイヤモンドや非処理宝石に関してもやはり付加価値がありますのでそれなりの価格にはなると思います。

 それではどんなものが安くなってしまうのでしょう。付加価値の考え方にもよりますが世界的に知られている名前や屋号であれば問題はありませんが、日本の一部の人が知っている程度のものでは付加価値はないに等しくなってしまいます。

 本来の付加価値とは素材に加えた技術なりアイディアそのものを差すわけですが、現実にはその価値を世界が認めるかどうかが現実です。日本でもデザイナーブランドやハウスブランド等がありますが、現実には名前を付けたり、自己演出した程度のものが多く、なかなか皆が認める価値というのはそれなりの非凡な才能が要求されます。

 そういった意味では本物のジュエリーとはやはり、素材をベースにしたものやデザインした人が世界的に有名な作家等でなければ難しいものがあります。世界的に認められた歴史や技術を持っていなければ本物と呼ぶには難しいものがあります。

 販売側からすれば最初に本物を勧める誠意がなければお客さまは続かない部分もあります。デザインやトレンドを優先したジュエリーはいずれ飽きが来、それを繰り返すと消費者は無駄遣いをしている感覚になります。しかし、素材をベースに選んだジュエリーは素材がメインですから飽きが簡単には来ません。

 つまり、付加価値とは皆が認める素材の持つ意味やその背景という事になります。それらを重要視して買い求めたものは決して買い叩かれる事もないであろうし、飽きることもないだと思います。

 先日、あるお客様がお持ちになった宝石はお母さまが30年ほど前に買い求めていたものだという事ですが内容はすごく良く、今でもそれなりの価格が付くものでした。
『母は価格は解らないけど品質の良いものを買っておけば間違いがないといって当時、家が一軒買えるくらいの金額を払ったそうです』
と言って3cっと5ctのダイヤモンド、13ctsのスターサファイア(非処理石)をお持ちになり、リフォームをご要望されました。

 確かに当時にしては高額でお求めになったとは思いますが、内容が良いので現代においても同等の価値を付けることのできるものでした。

 販売側としては売りやすいものではなく消費者が後で後悔をしないものの販売を心掛けたいものです。それによりお客様との関係は長続きするのだと思います。小手先の値引き等や首をかしげたくなるような付加価値の販売方法は結局、消費者を遠ざけることになるのだと思います。

 付加価値とは販売側がお客様に提供するおもてなしやサービスが入っていることは勿論ですが、内容としてお客様が望み、皆が認めるものでなくてはいけません。

忘れがちですが・・・・。

2014年6月7日土曜日

右脳と左脳とダイヤモンド⁉

 人間は右脳派と左脳派に分かれるといわれますが、ダイヤモンドは本来左脳で価値を感じるものであったと思います。つまり、理性とか数値ではなく感性や情緒で価値を感じるものであったと思います。

 しかし、近来のダイヤモンドの販売においては数値や文字を持ち込んだために本来の価値感ではなく、右脳を使った価値の決定を行ない、そこに誤解が多く生まれてきたようです。勿論それは正しい選択ではなかった為に時代や環境が変わり、特に我が国では販売の不振が続いているわけです。

 日本人は自らの判断ではなく他人の評価により左右をされることが多いとされていますが、これはあらゆるところでその傾向が見られます。例えば絵画ですが、日本人は号かける大きさで絵画の値段を判断しますが欧米人にはその感覚は多くありません。

 バブルの時期に日本人がとてつもない価格を絵画に付けて世界中を驚かせたことがあります。それは、小さなサイズの名画を基準にその作家の絵は号につき幾らだから大きな絵はその何倍という感じで入札をしていたからです。その結果、後日資金に困りその絵画を手放すときにはその半額になったりしていたわけです。作家によって小さなサイズが得意な人と大きなサイズが得意な人がいる訳ですから当然ですが、日本人は作品そのものではなく作家ブランドとでも言いましょうか情報や数値で物を判断するために起こった結末でしょう。

 これは多くの日本人が右脳派で数値や情報で物を判断し、自らの目で見たもので独自の判断をすることを苦手としている結果でしょう。しかし、日本人は情報や数字が合っているかどうかの判断を疑わないという誠意さえ持ち合わせているので、逆にその情報が正しい場合に残す結果は目を瞠るものがあります。それゆえに先進国では最もマーケティングのしやすい国民とされています。

 欧米人や大陸の人々はあらゆるところで変化や違った環境に遭遇してきた歴史があるために多少の事では真に驚かないし、動じもしません。そして、その対応は逞しいものがあります。勿論、表現としてのジェスチャーは大きいですが、それも異国人に意思を伝えるために身に付いたことでしょうけれど・・。

 日本人は島国で進化をしたために、大きな環境の変化や現象になれていませんから、外から情報に関しては非常に素直です。どんな少しの変化に関しても驚き、それほど大層でもないパフォーマンスに関しても驚嘆をします。

 日本人の啓蒙のされやすさはそんなところにあるのでしょう。そのために戦後の米国による日本の統治はとてもやりやすかったという資料もあります。勿論、そのおかげでダイヤモンドのマーケットはここまで広がったのですが・・。

 ここまでは4Cグレーディングの事を念頭において書いていますが、ここではダイヤモンドのマーケットの大きな変化により、そこらへんが少し変わってきたというは話です。結論から言いますとダイヤモンドの小さなサイズに関しては左脳で、大きなサイズは右脳で考えてくださいという事です。

 左脳で選ぶものとして、婚約指輪やジュエリー、そして観賞用に関しては4Cではなく、見た目や感動で選ぶべきだと考えます。つまり、心の問題として品質にこだわる事も良いでしょうし、見た目の好みで選ぶ事も良いでしょう。

 しかし、現在では明らかに大きなサイズのものは錬金術の一手段として使われていることは間違いがありません。ディーラーの専門誌では投資用のカテゴリーがあるくらいですから、その部分でのビジネスの台頭は目覚ましいものがあります。つまり、これらは右脳を使い過去のデーターや現在の情報、数値を駆使して買い求めるものなわけです。

 本来であれば左脳のみで選ぶべき対象のものを右脳で判断し、多くの日本人は大きな損失をしてきたと私自身は思っています。しかし、現在ダイヤモンドに関しては右脳と左脳両方を使いながら判断をしなければいけないものとなっており、それ次第では大きなビジネスチャンスもそこにはあると思っています。これは売り手も買い手もという意味ですが・・・。

 ただ一つ言えることは人が判断をした価値を前提にはせず、自らの情報や環境で判断をした価値感を持つことはとても世の中を生きていく上でも必要なことではないかと思います。

2014年6月2日月曜日

追記⁉

 前回の書き方では解りにくい部分もあったようなので他の例で紹介をさせて頂きますと、1940年代にアメリカで行われたキャンペーンで婚約指輪はダイヤモンドで給料一月分というのがあり、それが日本に渡り、当時一ドル360円だった日本では同バリュウでは平均給料の三カ月分という事で
キャンペーンが張られました。

 そのプロモーションがズバリはまり、若者たちは交際相手が見つかると給料三カ月分のダイヤモンドリングを買う為に、一生懸命になっていたことが懐かしく感じられます。男性はそのことが大人の仲間入りで、それが出来ることが結婚をする資格みたいなことがありました。つまり、きっかけだったのです。
 

 この事により女性はその機会を待ち、男性は誇らしげにその指輪を女性に贈っていたような気がし、その事自体の幸福感が何とも言えず良かったような気がします。今どきのと言っては眉をひそめられるかもしれませんが、結婚をする資格の一つの目安でもあったものがなくなり、生活力とか人生設計もなく結婚をしているような人が多いような気がします。

 話は飛んでしましましたが、ダイヤモンドその物の素材をいじるのではなく、きっかけになるようなプロモーションを行うことによりダイヤモンドを広げ、市場を築く事が大事なのではないでしょうか。

 ルビー、サファイア等の色石に関してもあまりにも処理石が多くなってしまったために一部のものを除いた価値の低迷は取り返しのつかないところまで行っているような気がします。一つの例として買取業者がそれらを買い取る際にまともな価格を付けることはほとんどありません。

 同じようにビジネスにおいての状況にもそれは言えます。現在の販売現場での不調のほとんどの原因は現場ではなく企画部署であり、本部機構なるところのが要因と多いと言ってよいと思います。

 前述している事と同じようにきっかけとしての企画なり、仕組や仕掛けを作ることが大事であり、後ろ向きは考えは決して良い結果は招かないと考えます。

 現在多くの家電メーカーは久々の黒字を出し、意気軒昂な雰囲気はありますが、それはリストラや施設の売却等によるもので今季は良いかもしれませんが、将来はどうするのでしょう。根本的な解決になっていないし、単なる問題の先延ばしにしかならないのではと考えます。新しいきっかけや価値観を創造することが唯一の手段なのです。

 ダイヤモンド業界全体の問題、特に我が国においては本来の価値や使用機会をプロモーションすることをなおざりにしてきた結果だと考えます。その点、高級時計の業界においては見事にはまっているように思います。

 根本をいじることは本来の価値を損ない、永遠にその市場を失う危惧さえあると考えるのです。
ゆえにHPHTに関しての問題については慎重である必要があると思います。

 因みにダイヤモンドレポートにおいては、米国、アジア特に日本においてはHPHTが簡単には受け入れられないだろうと結んでいます。

2014年6月1日日曜日

ダイヤモンドは何処へ⁉

 以前にもCVD(人造ダイヤモンド)の件を書いたことがありますが、最近大手ダイヤモンドマニュファクチュアの間でHPHT(高圧高温処理)の天然ダイヤモンドをもっとプロモーションをかけるべきだとの声が上がってきています。

 内容的には天然の特に多少ブラウン系のダイヤモンドにHPHT処理をかけることにより色白にするという事でありますが、理由としては生成過程で多少高温高圧が足りなかっただけのものにその補正をして本来であれば白系のダイヤモンドになっていただろうダイヤモンドに対して最終的な高温高圧をかけ無色のものにしようという事です。

 
 一般的に言われるHPHTとの違いは研究室で作られたダイヤモンドではないという事であるという事ですが如何なものでしょうか?

 つまり、どういうことかというと整体施術を考えていただきたいのですが、体の歪んだところに圧をかけることにより本来の型に矯正をするという事ですが、それと全く同じでHPHTをかけることによりダイヤモンドの矯正を行ない、本来なるべき色だったものに導くという事です。

 確かに理にかなっているように聞こえますが、所詮は自然のものと言えるのでしょうか?確かにその処理をすることにより永遠に元には戻らないという事になっていますが、その答えは出ていません。

 何より消費者がそれを望むのでしょうか?ブラウンにはブラウンの良さがありそれを好む人もいるのです。あくまでも市場を知らない人々の理屈でしかないような気がします。

 ダイヤモンドは過去も現在も未来もダイヤモンドであることが需要な価値だと考えます。現在においても一般的なジュエリーとしてのダイヤモンドから投資用に重用されていくダイヤモンドは過去とは形が少し変わってきたかもしれません。しかし、未来の姿もやはり手を加えないダイヤモンドそのものの姿で市場が変わっていくことが望ましいのではないでしょうか?

 20世紀の後半に生を受けた人の大半は21世紀はどんな未来になるのだろうとか、こうなっていれば良いなとか色々と想像をし、夢と希望を持っていました。それは過去の歴史から連想をし、世紀が変わるというきっかけがあり、それでいろいろと想像をし楽しみにしていたわけです。それが自然に人々が望む姿なのだと思います。

 働く人々においても、過去の会社の姿を見てこの会社で働いていればこんな未来があるとか夢と希望があることがは働く意欲などに繋がっていくのであり、見せかけの掛け声ではやはり人々は踊らない。会社がきっかけを作ることにより従業員の働く意欲が湧くのであり、ただ掛け声をかけているだけでは何も起こらない。

 子供の頃、運動会や学芸会が近づくと眠れない興奮に包まれていたと思います。まさにそれです。供給側の都合ではなく需要側の興味と意欲を抱かせることにより結果を出すことが望ましいし、それが自然な市場なのです。

 決してHPHTがダイヤモンドの市場の広がりに寄与するとは思えません。良いきっかけとはとても思えないからです。会社組織にしても社員が働く意欲を持つようなきっかけを作ってあげて初めて社員はその組織に夢と希望を持つことはいくらでも例はあります。

 今の時代の業態は殆どにおいて成熟をしております。その中での結果が出ていなければそれは現場の運用つまり、組織の中間管理職の責任も大きいのです。

 どういうことかと言いますとダイヤモンドはちゃんと掘られていますし、マーケットも存在をしています。もし、売れていなかったとしたら市場へのプロモーションの問題であり、ダイヤモンドの形を変えたからといって変わるものではないのです。つまり、管理職の運用の問題が大きな意味を持っている訳でペナルティーや報奨制度を変えたからといって大した影響はないのです。

 話は色々と飛びましたが、ダイヤモンドの絶対的価値は変わらないので、運用側の頭を変えることが大事でダイヤモンドを変えることではないのです。それは会社組織というものは運用を次から次へと変化することにより発展してきた事実と同じなのです。

 電話会社はこの半世紀でどれくらいの変化をしてきたでしょう。しかし、通信業務という本来の業務は変わりません。ただユーザーの需要に答え、その需要を導くきっかけを造ってきただけです。

 ダイヤモンドの需要を増すきっかけを造ればおのずから答えは出てきます。