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2026年1月15日木曜日

ラボグロンダイアモンドとは何ぞや⁉(1)

  ラボグロンダイアモンドの事は前回書いていますが、現在、行われている国際宝飾展なるものの中にラボグロンダイアモンドのコーナーがあります。そこがTVの取材を受けたこともあり、問い合わせが数件ありました。この宝飾展を前述のように表現することもいかがなものかと思いますが、そのことは置いときましょう。

 極端な問い合わせとしては『なぜラボグロンというのか?』という問い合わせもありました。一時はカルチャーダイアモンドという名もありましたがいわゆる養殖真珠をカルチャーパールと呼ぶようにでありますが、研究所で成長させてという意味合いでラボグロンという命名がされているのです。

 実際には工場で大量に生産されている工業製品ですから、表現方法としてもいかがなものかと思います。実際に元々は宝飾用として生産されたものではありません。光学用ないし工業用として製造をされたものであり、以前は天然のダイアモンドを工業用として質の悪いダイアモンドを使用していました。また、光学用としては小さなサイズの良質な天然ダイアモンドを使用していました。

 人工のダイアモンドを生産して光学用として使用することの必然性は当然です。しかし、だんだん大粒のものが製造する事が出来ると別の目論見を持ち始めた中国の企業は早速宝飾業界にアプローチを始めました。勿論それまでも同種の人工ダイアモンドは製造されており、実際に販売もされておりました。ただ、品質的には黄色からブラウンのものも多く一部の(特にアメリカ)宝飾店では1990年代半ばから販売をされておりました。

 私自身米国でのビジネスをしておりましたので取引先の宝飾店で発見すると『本物の店で人工ダイアモンドを販売していて問題はないのか?』と尋ねると決まって『GIA.GGを持っている人間がお店にいて説明ができるので何の問題もない。』といっていたのを思い出します。

 しかし、現実にはGIA自体は2003年に初めてラボで確認をしたといっておりました。勿論、そんなはずはありませんが、その時点での看破方法は完全ではありませんでしたので、それ以前にグレーディングしたダイアモンドへの心配があり、そのような発表があったのだろうと認識しています。

 さて、中国で大量生産が始まるようになるとあらゆる現象と影響が出てきました。

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2026年1月10日土曜日

天然とラボグロン⁉


  ラボグロン(人工)ダイアモンドが現れて30年がたとうとしています。現実に市場に現れてという意味ですが、実際には1980年代には当時のソビエト連邦製のものが出回っていてということです。

 そのソ連崩壊によりそのマシンが米国に渡り、1990年台半ばには市場で目にするようになりましたが、品質や大きさがさほどではなく大きな市場になることがありませんでした。

 2010年代になると中国での生産が多くなり、世の中の知られるところとなりましたが、価格はそれほど大きく天然のダイアモンドとの差もなく(天然の約40%程度)、大きさもさほどのものではありませんでした。しかし、その後インドでの天然ダイアモンドの研磨が少なくなると、インドの研磨工場の多くがラボグロンの研磨を開始し、更にラボグロンの大量生産まで自前で始めるようになると瞬く間に価格が下がりました。

 現在のラボグロンの価格は天然の約3%を目安とされるまでに下落をしました。つまり大量生産をすることが可能なものですから当然といえば当然の結果ともいえます。

 およそ45年ほど前にも経験がありますが、当時はキュービックジルコニアが現れて、天然のダイアモンドと見分けがつかないという触れ込みで販売をされ、1ctがプラチナ枠で100,000円で売られていました。しかし、3年後にはシルバー枠で5,000円という価格になっていたことを思い出します。

 ただ、現代のラボグロンに関してはダイアモンドであることには違いがありません。勿論、看破方法は確立されてはいますが、見た目も輝きも天然とは違いが殆どありません。

 ここで天然との違いはどこにあるのかというと天然に関して言うと唯一無二であること、そこに歴史上の物語が付与され、さらに言えば換金性が高いということです。一方、ラボグロンに関して言えば大量生産であるという意味で言えば背景的な物語はありません。また、換金性という意味で言えば殆ど皆無といえるでしょう。つまり、天然品と工業製品の違いです。

 それではラボグロンの長所は何なのか? 昨年の夏に米国へ行った際にビバリーヒルズで2軒ほどの豪華な宝石店が開業をしていました。はてと思い覗いてみましたがきれいなパーティー用のジュエリーが陳列されており、数千万から数億円するようなハイジュエリーが並んでおりました。

 しかし、実際には数十万から数百万円程度の価格帯であり、驚いていたところラボグロンの専門店でした。なるほど売り方だなと思い、そこの社長と少し話したところ、まだお店を立ち上げてか2年程であるということでした。

 話の内容から、米国に限らず欧米諸国にある文化がその需要を支えており、例えばアカデミー賞に関わらず、それを身に着ける場所が多々あり、数億円出さなければならないような場面でさえ、数百万円で済むとなれば如何な富裕層でもありがたいのではと考えます。以前はアカデミー賞の受賞者は某ハイブランドからのレンタルで参加をしていたものです。

 日本では残念ながらなかなかそのような場所は少なく、ラボグロンを扱っている業者もプチペンダントや立て爪といったシンプルなものにすることが多く、意味合いから言えばキュービックジルコニアの二の舞になるのではと懸念をしています。

2026年1月8日木曜日

AIの収益性の検証⁉

  AIに対して決して否定的な考えを持っているわけではありませんが、現在の半導体を含めたAIブームにはいささかの懸念があります。

 それはAIは既に現在までのほとんどのデーターを読み込み、AGI(汎用人工頭脳)時代に入っているに関わらず、さらなるAIの開発が行われています。

 自動車の例にもあるように一般の公道で一般車両がF-1のエンジンを積んでいても意味がありません。勿論、自動車メーカーは未来の自動車のための技術を得るためにF-1を走らせているのですが、一般車両には必要のないものです。スーパーカーといわれる特殊な車であったとしてもそこまでのエンジンは必要がない訳です。

 つまり、現代のAI開発においてはまずは一般社会で活用できるものという考え方を持ち、新たなAIに投資をするよりも、AIによる収益性の確認をすることが必須であり、実体経済に即したAIの活用が必要であり、一般人が誰も活用のできないものに収益性を求めることはできないのです。

 開発、投資も必要であり、そこに金融が乗っかり、時代を回すことは必要だとは思っています。しかし、現実は社会経済を回さなければなりません。

 F-1もスーパーカーに使うエンジンのためにだけに走らせているのだとしたら、ただのマスターベーションに過ぎません。一般車両に汎用されて初めて経済を回すことになるのです。

 現代のAI、半導体のブームによる金融の世界はあまりにも危ういように思います。歴史にあるようにブームに走ったものはいずれ終焉を迎えます。

 わが国でもこぞって投資を促そうとしていますが、本当に大丈夫ですか? と問いたいのです。国民の将来の責任を自己責任で負わせようとしていませんか?

 『過ぎたるは及ばざるがごとし』という言葉がありますが、真にその懸念があります。現実的に如何にAIの収益性が経済に及ぼしているかという検証がもっと具体的にあってもよいのではないかと思うのです。


2026年1月7日水曜日

なぜにダイアモンド!?

  ダイアモンドを特に生活に必要がないとか、高価だという人もいますが、本当は人生の長い期間で考えると潤いとか長生き、豊かさ、充実とかいった事に必要なもので、その気持ちを持っていられるかどうかで人生が変わると脳科学者もいっています。

 勿論、いろいろな意味で必要だと感じて現状のダイアモンドビジネスに対しての懸念や現実を綴っているのですが、ダイアモンドの最も必要な側面は前述の精神的な面が多いことも重要なポイントだと改めて感じたわけです。

 過去の経験の中でいかに多くの人々の喜びの声や感動を感じてきたであろうかと思うと、改めて自分自身が考える余地があると思うのです。

 長い間ダイアモンドのディーラーという職業の反面、小売りのサポートや講習会やセミナー、時にはTVのMCなど多くのダイアモンドを通した仕事をしてきましたが、共通しているのは人々に如何に喜びを与えることができるかということが主題であったことを、改めて見返す気持ちを取り戻したような恥ずかしい気持ちも含め、今年の課題としようと思っています。

 現在は百貨店の売り場のサポートなども行っていますが、多くの場合ダイアモンドのハードの部分を説明することが多いのですが、今後はもう少しソフトの部分も考えてみようなどと思っています。

 自分のブログであってたまには見返すことも良し、と改めて感じました。というより宝石というものは過去の歴史の積み上げが、その価値でもあるような気が改めてします。

ダイアモンドの2026年⁉

  昨年来続いているデ・ビアスの身売り問題やNWT(カナダ)での2030年までの全鉱山の閉山問題とダイアモンドビジネスにおいては歴史上最も厳しい時代が到来するのが今年であろうと思っています。

 一度収まったラボグロンの需要の活性化も新たな問題点(ダイアモンド業界にとって)として浮上をするでしょう。つまり、一度は価格の暴落により関心を失いかけられたラボグロンに対してファッション系の新たなプロモーションにより、息を吹き返してきた部分も出てきています。

 ここ数年の1ct以下のダイアモンドの値下がりは鉱山のモチベーションも下げ、採掘に対しての希望を失わせるには十分な市場になってきています。そこに更なる市場でのラボグロンとの競合は大きな光を失わされてきました。

 過去にはダイアモンドを語る場合にはダイアモンドの総合的な話、例えばダイアモンドの価格は今上がっていますよとかこのようなカットが売れていますよといった漠然として話で事が済んでいました。

 しかし、現代はダイアモンドのサイズや形、品質や色等などの組み合わせで、価格が下がっているとか上がっているといった、それぞれのタイプや組み合わせにより価格がどうかといった話をしなければなりません。

 1ctのダイアモンドは価格が下がっていますが、形の長いファンシーカットは需要が上がってきていてむしろラウンドより高くなっているといった過去ではあまり考えられなかったことが起きています。

 勿論大粒3ctアップのところは価格が上昇し、ここではダイアモンドの本来の価値に順守しており、1ctまでの大きさはトレンドに左右され、大粒のものは需要と供給に影響されます。

 大粒は採掘の減少により、価格は上昇に向かいますが、1ct以下に関しては更なる苦境に立つことになるのです。

 更に大粒に関してはGIA(米国宝石学会)などが積極的に行っているブロックチェーンの採用により更なる資産性が浮き彫りになるでしょう。ただ、特に日本の業界はどこまでそこに対処ができるのかということも課題となります。

 そして、今年の何よりの課題として出てくるのは、現代の環境です。ジュエリーを身に着けない環境やステータスを意識しない文化は何よりダイアモンド業界の暗部です。

 ネガティブなことが多い年になる半面、新たな需要の創出がしやすい年になるとも言えます。原点に戻った考え方は過去に戻るのではなく、未来の市場の創出につながりやすくなるのです。ただし、原点である品格や知識といったものを身に着けることが何より大事のなるのです。

2026年1月6日火曜日

常識というもの⁉

  新年が明けてあっという間の1週間が経とうとしていますが、アメリカのエクアドル襲撃などのニュースが飛び込み、世の中の常識というものが音を立てて崩れていくような気がしているのは私だけでしょうか?

 勿論、その件だけではなく、日経の高値明けから始まり、ここ数年来続いている地金の高騰は金にと止まらず、プラチナ、銀、パラジウムなど実際のバリューではなく、金融の底上げ的な高騰などは過去の事例にはありません。

 過去の事例にないことは当然、如何なAIといえども測りえず、だれの予測も当たる可能性もあり、外れる可能性もあるわけです。

 そして、金融というものは本来経済の安定に必要な要素であったはずなのに、経済をより不安定化しているように感じます。つまり、根拠のない価値観がはびこり、経験のある人々にとっては不安要因であり、経験のない人々には我々のバブル時代のような浮ついた高揚感の中に浸るという時を迎えています。

 歴史だけを考えればいずれネガティブな状況になることが必須であり、時代から考えると数字が落ちないにも関わらず、価値が落ちていくという状況で収まるような気もします。つまり、インフレです。

 品格とステータスが価値という時代に終わりを告げるのか、効率と数字という、アナログとデジタルの価値判断がうまく融合してくれる時代になるのか?

 現代の半導体やAI産業に浮かれているのは産業界というより、その両方に浮かれているのが金融界であり、それを憂いてしまうのは私だけでしょうか?

 AIは1のものを100にすることはできるのでしょう。しかし、0のものを1にできるとは思えません。もっと、政治も経済も足元を見てほしいと思うのです。

 常識というものが時代とともに、場所や文化とともに変わってくることは否定をしません。しかし、それは人々にとってよりより便利に都合よく変わってきたはずです。しかし、現在の常識の変化は人々を不幸にしているように感じます。

 そして、その度合いは増々大きくなっていくような気がします。一人の人間に使うことのでいない富が集中し、そのことだけでも貨幣の価値を下げる例として十分な根拠となります。

 誰も測れない常識は、すでに常識ではないのです。 異常なのです。

2026年1月2日金曜日

2026年への懸念⁉

  明けましておめでとうございます。

 2026年、午年はどのように迎えるべきかと思い悩んでいるところもありますが、新年の参拝でのおみくじは『大吉』と気持ちは少しホッとした気分で新年を迎えました。

 昨今のAIブームに始まり、それに関連した半導体等の株の高騰もあり、幾分金融の世界では浮ついている部分も感じます。

 金融の世界は昔から水物といわれていることもベースにあり、いささか投資ではなく、投機というギャンブル的な要素が十分にあるものが経済の中心を担っていることも、この午年に関しては不安な要素ともなっています。

 AIそのものも過去のほとんどのデーターを読み込み来るところまで来ている感じもしますが、さらなるAGI(汎用性人工知能)ブームも来ており人類はどこまで人工知能を開発し、何を望んでいるのか理解に苦しんでいる部分もあります。

 我々のようなアナログをビジネスのベースとしているような業界はもはや必要がなくなってきたのかと思う反面、AIそのものはアナログをいかに効率よく機能させ人手の効率性を高めるものであるべきと考えており、その需給というかバランスが崩れ始めていることも不安です。

 AIは未来を作れるのではなく過去を如何に整理をし、未来の創造するための材料を提供しうるかという観点が本来の姿で、AIが未来を創造できるわけではないということを誤解してはならないと思っています。

 人々は食事をし、洋服を着、快楽に身を任せる部分があり、それらを作り得るものは全てがアナログの世界です。

 第一次産業を効率よくし、例えば自給率を上げるための手助けとしてのAIは大いに結構であり、産業革命としても十分な役割を担う事が出来ます。しかし、現在の一部の人間のためのAIの進化は金融という本来であれば経済の潤滑油的なポジションを押し上げ、経済の主役になろうとしています。しかし、経済の主役はデジタルであれ、アナログであれ貨幣が主役です。

 昨今の金融のふくらみのスピードは度を越しており、金融商品が先行をし、本来の物が供給されるスピードをはるかに上回っています。インフレを加熱させることとなり、貨幣の価値が下がるわけです。

 この間の貨幣の価値がいかに失われたかということは皆が実感していることでもあります。

貨幣が市場へ回って初めて経済が動くのであって、デジタルの世界で動き回る数字の貨幣には未来を担う役割はないと考えています。

 ダイアモンドビジネスという世界へも同じように本筋からそれ始めた部分も見え始めています。ステータスというものが役割を終えることはありません。フェイクなステータスの創造は人々が生きていく部分では何の役にも立ちません。ステータスはアナログの中に存在します。

 AIへの過度な期待というものは経済を陳腐化させ、人々から活気というものを失わせることにもなるでしょう。