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2015年7月23日木曜日

アミューズメント⁉

 数日前当社の品物を扱っているお取引先が来た際の話ですが、先日参加をしていた展示会での出来事です。

 『開催中にいきなり大きな声が聞こえたのでそちらの方を見てみると、中年の男性が主催者に抗議をしているので思わずそちらの方を見てしまいました。』

 内容を聞くとその男性の母親には買うつもりもなかったジュエリーを買わされたという話でした。なんでもあまりにも執拗な売り込みだったために帰りたくて思わず伝票にサインをしてしまった・・という事への抗議だったそうです。

 最近このような話をよく耳にしますが主催者の稚拙な知識と経験のなさが結果的には消費者にジュエリーの印象を悪くすることになっているというような気がします。本来であれば宝飾品を見る事が楽しくて、思わず購入をしてしまうという形が一番良い訳ですが、このように言うとほとんどの主催者は『現実はそんな甘くないですよ』といった言葉が返ってきます。

 しかし、残念ながらそれは知識と経験のなさとジュエリーを扱うレベルではない立場からの答えといっても良いかもしれません。例えとして言えると思いますが日本での有数のアミューズメント・パークは何故に客足が減らないのか?答えは簡単です。そこへ行けば非日常と楽しい事があるからです。

 そしてそこの運営者たちの姿勢が常に利用者というか消費者を向いているからです。これは規模の大小とか職種は関係がありません。勿論TPOはあります。ある時代にセルフサービスの安売りスーパーが流行ったこともあります。海外から来たチェーン店にお客が列を並べたこともあります。しかし、多くの場合はその状況を続けていくことはできませんでした。

 時代が合ったために流行った業種や企業もありますが、努力をしない企業がやがて消えた行きます。消費者というもの発想の変化を求め、自分たちの想像を超えた物に魅力を感じます。結果その変化がない企業はやがて朽ち果てる訳です。

 その境目は経験から消費者が幻滅をする方に変化をしていくか、目を見張る方へ変化をしていくかといった他愛もないことです。それは明らかな経費の削減だったり、ディスカウントだったり、執拗なまでのアプローチです。現代の宝飾業界での出来事も正にこの条件に当てはまります。

 無駄な経費を掛けろという訳ではありませんが、自分達の都合を消費者にを押し付けるといった
行為が結果的には消費者の購入意欲を失わせ、結果的にトラブルのもとになる訳です。折角宝飾展に来たのであれば興奮をし、楽しんでいきたいと考える訳ですが、主催者の現実を背負わされることになるとその業界までも嫌な印象を持たせることになります。

 兎にも角にも宝飾展は以前と違って敷居の高い特別なものと考えている消費者は残念ながら少なくなってきました。であればアミューズメントに特化しなければ財布のひもが緩むことはありません。ましてや評判が悪ければ来場すらしてもらえません。かと言って、くだけ過ぎた宝飾展に非日常性を感じる訳ではありません。

 現代の販売員の一部には宝飾業を勘違いというか理解をせずにその職に就いている人たちも多くいます。自分自身がアミューズメントパークに何を求め、何を感じるかをよく考えてもらいたいと考えます。消費者に色々な意味でエンジョイしてもらい、何ぼの世界にいる事を忘れてはいけません。

 ましてや現在はお年寄りのお金に関しては家族のみならず、世間も目を凝らしています。無意味な疑念を掛けられるような売り方は謹んでもらいたいものです。とにかく消費者に驚き、楽しんでもらいたいと従事する一人として感じる訳です。
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2015年7月18日土曜日

ダイヤモンドの個性⁉

 ダイヤモンドの魅力を構成するものとしていくつかの要素はありますが、みな同じ魅力を持っている訳ではありません。ブルーであったり、ピンクであったり、イエローであったりとそれらを複合した色々なヴィジュアルであったり、とてつもなく輝くものそれほどではない物と様々です。

 ダイヤモンドの個性はそれぞれですが、まず第一に生成過程に由来するもの、第二に産出場所に由来するもの、第三に研磨技術に由来するものとあります。

 第一の生成過程に由来するものとしてはその環境近くにあった鉱物なり元素がなんであったかによる色です。一般的に皆さんが見るものは窒素の多少による、いわゆるDカラーからZカラーに至る色の濃淡です。これは純粋なイエローではありませんが黄色がかっていくものです。これにより見栄えが変わり、其々の好みも出てきます。勿論、ファンシーカラー等は含有される元素によって色が違っているものですからこの要素は決して小さくはありません。

 第二に産出場所に由来するものですが、これは経験からの事でしか表現はできませんが、靱性です。つまり、硬度に対するひねりの靱度です。これはスクラッチに関しては硬度は10となっていますので違いはないのですが、靭性に関しては産地により若干の違いがあるようです。過去にも石留等で欠けたり。砕けるものを総合すると一定の地区の物に多く現れます。これは石留の職人も経験値で見解を持っています。これらは輝きにある程度の違いを示すことがあります。

 第三に研磨技術に由来するものですが、ダイヤモンドは透明石ですから光学的数字があり、数学者のトルコフスキー博士が考案したカットが最も美しいとされていますが、これは単純に技術の差という事ではなく、研磨する方の利益の都合がありますので重量を重視し行う事もありますので一概に言えません。しかし、そのカットの差が見た目の美しさの違いを出すことも間違いはありません。

 但し、すべての色に対してトルコフスキーカットが良い訳ではありません。色の付いたものはむしろ魅力を失わせる場合も多くありますので、後天的要素でもあるのである程度の人のサジ加減もある訳です。

 これ等の要素が複合してダイヤモンドの個性が成り立ち、其々の魅力になっている訳です。勿論このほかにも質を含めた要素もありますので、これだけが全てという訳ではありませんが、それをジャッジするのに4Cというグレードがある訳ですが、これはミスコンの審査員が審査するのとは大差がありません。

 好みがありますからそれぞれに違いがあり、大よその人が美しいというかもしれませんという物を評価している程度です。ダイヤモンドも人間と同じように個性があることを理解するともっとダイヤモンドを楽しむことが出来るかもしれません。
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2015年7月17日金曜日

ダイヤモンドの価格⁉

 先だっての展示会でダイヤモンドの価格についてお客様から初歩的な質問ではありますが、
『同じグレードが付いていてもなぜ価格が違うんですか?』
という質問を受けました。

 もちろん、お客様はグレードというものは同じものだという勘違いが前提にあってのことなわけですが、今まで何度も書きましたのでその辺は少し控えますが、本来どこのお店がどのように体制で、どのように仕入れたダイヤモンドをどのように販売をしているのかでかおおよその価格は決まります。

 ブランド店であれば、ブランド店での価格設定があるでしょうし、百貨店であれば会社で決められた掛け率があるでえしょうし、また小売店であればどこの問屋のダイヤモンドを扱っているかで決まるでしょう。以前であれば広告にグレードをうたって価格競争や販売をしていたところもあるでしょうけれど、今日まだそんな時代遅れの販売をしているところはあまりないとは思います。

 ただし、それはあくまでも小売店での価格設定ですが、今日投資用(といっても良いのかどうかは迷いますが)や財産保全用のダイヤモンドに関しては少し事情が違います。多くの場合は世界で共有できるプライスチャートを目安にしてその価格の前後何パーセントプラスだったり、マイナスといった形で価格は合意されていきます。

 ダイヤモンドの取引所での価格構成はそのプライスリストにおいても目安にすぎません。なぜなら、それとは関係なく原石の値段がありますし、希少性も変わるからです。さらに以前にも書きましたが仮にグレードが表記されていても、グレードは価格ほどシヴィアに分かれてはいませんので、やはり目安にしかなりません。

 例えばクラリティーグレードであれば、フローレススには無傷ということで範囲はありませんがIFとなれば無疵に準ずるということになりますので、1mmの幅があったとします。そうなるとVVSー1には2㎜の幅があり、VVS-2には4mmの幅があります。さらにVS-1には10mmの幅があり、VS-2には20mmの幅があります。そのようにSI-1には100mmの幅があり、SI-2には200mmの幅があるという風に感覚的にですが、分けていくと同じグレードになったとしてもそれなりの幅があります。

 同じようにカラーグレードもそのようにしていくとそれぞれの幅のどこに当たるかということを考えると同じグレードであってもかなりの違いが出てくるわけです。ましてや鑑定機関や人や時代が違えばさらにその後差は大きくなるわけです。

 あまり細かく分けるとダイヤモンドに夢がなくなるようですが、ダイヤモンドのディーラーはこのような範囲内での価格設定を行っています。合っているかどうかは別にして例でいえば価格は各駅停車ほどの間隔で止まりますが、小売りにおいては特急レベルか新幹線レベルでの停車駅間隔位でのグレードの価格がついているわけです。

 しかし、小売りにおいてはそれ以上の要素としてサービスだったり、広告だったりといった経費が掛かりますのでグレードによる価格は今やあまり大きな意味をなさないのかもしれません。とにかくご自身が質問をしてみて、納得のいったところでお求めになることをお勧めします。

2015年7月16日木曜日

ダイヤモンド取引所⁉

 今年の9月、シンガポールにダイヤモンドの取引所が開設されます。これは従来の取引所と違い実際に誰でも(もちろんじょうけんはありますが)投資を目的としてダイヤモンドの取引が出来る場所となります。

 従来のダイヤモンド取引所とはプロのサイトホルダー、ディラー、ブロカー、バイヤー等がダイヤモンドのビジネスを目的としてあ詰まっていた場所ですが、今回の取引所は簡単に言うと常設のオークション会場といったものでしょうか。ぁ前自体はダイヤモンド投資取引所となっていますので従来の取引所と証券取引所とオークションを兼ね合わせたものになるようです。

 ただ世界中からの取引が可能でディポジット(補償金)を積むことによりその売買の権利を持つという事になるようです。詳細は別にしても自身にとっても感慨深いものがあります。今から30数年前に同じような志を立て日本橋にダイヤモンド取引所を有志とともに設立をしたことがあります。

 しかし、時代は早すぎたのか、今のようにインターネットが普及をしている訳ではなく。パソコン通信とデビットシステムといった通信が一部に普及していた程度で、為替にしてもまだまだ安定をする事もなく、コントロールも難しい状況でした。

 ダイヤモンドが世界での通貨として、投資の対称や金融商品としての役割は長く続いておりましたが、日本での役割は物品税や関税の存在もあり、一部のお金持ちの宝飾品としての役割がほとんどでした。

 現在は、世界が繋がり、ダイヤモンドの役割を認識する人々も日本にも少しづつ増え、その役割は決して小さなものではなくなりました。しかし、ダイヤモンドの取引の環境はまだまだ取り揃わずにいますので、外国人の草刈り場ともなり日本国内にそのメリットは殆ど還元されずにいます。

 ダイヤモンドが通貨のように、というより通貨より確実な資産としては歴史的背景があります。現在生まれている資産は時代とともに劣化をする要素があることはバブルの時代を知っている人であれば理解ができる事です。しかし、ダイヤモンドはいつの時代でもその価値を発揮してきました。

 近いうちに日本にもその動きが出てくることは間違いがありませんが、現在の日本ジュエリー業界のように間違った方向にいかないことを願ってやみません。お客様が楽しくなければそこには利益が落ちる事はありません。当たり前のことが当たり前ではなくなってしまったように、ダイヤモンドの取り扱いも従来の外国諸国のように扱えば、決してやましい仕事ではないはずです。

 やましく見せるのは扱っている人間のやましさです。ダイヤモンドの本当の価値を見いだせる人々が少しでも出てくれば日本でも本当の意味でのダイヤモンド取引所が出来上がるでしょう。
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2015年7月11日土曜日

価値の本質⁉

 絵画の価値とジュエリーの価値を比べる時に根本的に違う事は材料の価値です。ソフトの部分ではデザインや造りといった部分のあるジュエリーに対して絵画は、勿論技術的なものはあるのですが、その芸術性であったり、認知度であったりとやはりソフト部分が大きく価値の根本となる訳です。

 しかし、根本的に違うのはジュエリーは素材である宝石や地金のの価値といったものが優先し、絵画は素材であるキャンパスであったり絵の具の価値を考える人はいません。つまり、売り方の問題が一番多きいのですが、絵画は画商がいかにこの作品は優れているのかを前提にビジネスをするのに対し、最近のジュエリーを売っている人間はいかにジュエリーに価値が無いかといわんばかりに値引きを前提に商売をします。それが商売と言えるのかどうかは疑問ですが・・・。

 消費者も値引きを前提に話をされるので、本来ついている値札の価値はないと考えていますので少しでも安く購入しようと思います。しかし、以前にも書きましたが購入者はジュエリーがやはり誇りだったり、見栄だったり、権威だったり、権力の象徴的な部分があるのは理解をしていますので、宝石や素材である地金の価値だけで販売が可能になっています。

 売っている人間性の前にジュエリーの本質的価値があるこそ、未だに売れているといって良いでしょう。もし、今のような一部の業者や販売員がいなければもっとジュエリーも売れ、価値のあるものとして足を引っ張られずに優雅にビジネスも行えるでしょう。

 本質的な価値はやはり概念的なものが大きく左右をしますが、絵画と違い、販売側がどんどん価値を下げていくのですから、商品内容もその中身になっていくのは当然で、そこには消費者が望むような価値はありませんから売る事が難しくなっていって当然ともいえるでしょう。

 消費者の中には材料が高いのは解っているからこそ少しでも安く買った方が良いといった、本来の価値とは違う方向でジュエリーを見ている人もいます。しかし、それもみな販売側の姿勢の問題でしょう。

 確かに一部の高額ダイヤモンドのように実質的価値だけでのビジネスもあります。しかし、多くのジュエリーの場合はデザイン性であったり、職人技術の粋を集めた物をビジネスとしていましたが、現在では値引きを前提とした商品作りが行われますので、それにはほど遠い商品も多く見かけます。

 勿論、一部の販売員は素人に毛の生えたようなものといっては失礼かもしれませんが、知識が無くても行えるビジネスでもありますから、どうしてもそうなってしまい、善良な業者はむしろ頑なに融通が利かない業者という見方がされます。

 本質的な事を言えば綺麗事ではなく、購入者の立場を前提にしたビジネスですから、販売側の都合を前提にするとビジネスとしては成り立たなくなります。現状の不振の殆どはそこに原因があるのですが、この事を説明しても多分理解が出来る人は一握りなのだろと思います。

 暴論に聞こえるかもしれませんが、育ちだったり、人格だったりといった根本的な事が違うとジュエリーの販売は単なるお金に換えるその場限りの行動であり、決して未来の明るい仕事ではないのだといえます。

 本来は画商のように誰彼が行うのではなく、その価値や才能を理解できる人が、その価値を上手く表現する事により行う事が良いのですが、材料や素材に価値がある為に誰かれが行う事が出来る商売に成り下がってしまったのでしょう。

 しかし、宝飾品に価値があることは神代の昔から歴史が物語っています。まだまだ捨てたものではないことは欧米諸国でも理解がされています。いずれ本物だけが残ることを願ってやみません。
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2015年7月9日木曜日

ドレスコード⁉

 最近、宝石の展示会やブランド店の販売員の服装を見ていて感じる事があります。これは自身の意見が正しいかどうかではなく、問いかけでもあると思います。以前は展示会等に出かけても優雅とまではいかなくても、眉をひそめるような光景に出合う事はありませんでした。

 本当に宝石を売るつもりがあるのというような服装を見る事があります。腰に計算機や事務用品を入れるポシェットのようなものをぶら下げたり、パンツスーツでも決して優雅とは言えない様なシルエットだったりと首をかしげたくなるような姿を見かけます。

 ブランド店であれば本来のデザイナーが一連の何をイメージしているのかを考えればおのずから導きでてくるものはあると思いますし、宝飾展であれば裏事情が見えすぎるような服装や行動が良いのかどうかを考えればイエスかノーの答えが出ます。

 しかし、基本的に宝飾というものとか、優雅という物を理解していなければ基本的にどんな指導や規則をもってしても難しいのだろうとも思います。小さな頃から宝飾品や生活を身に付けていればなんの指導も規則もいらないでしょう。

 後は優雅とかエレガントさというものは生活レベルとは必ずしも一致している訳ではないのでその本人の感性や本質的なものもあるでしょう。芸術を理解する、音楽を理解するというものは感性ですから、それを理解しようとする動機があれば宝飾品をどのように理解をすべきか深く知識を得ようとするものだと思います。

 少なくてもプロフェッショナルはそうすべきでしょう。しかし、残念ながら男性、女性を含めてそのコードの届く人はなかなか見つけにくくなっています。以前であれば会場から放り出されたような服装をしている男女スタッフが多く会場にいます。もしかしたらそれが宝石を身近に感じさせているのかもしれませんが・・・・。

 基本的にはお客様に不快感を与えないことではありますが、それは何の仕事でも一緒です。ただ、我々の仕事は非日常の上に成り立っています。もしかしたらこの事の意味も分かってもらえないのかもしれません。つまり、プライドや憧れ、権威等々のベースの上にありその価値を前提に成り立ってきたものですから、あまりにも日常的になってしまったものにはその輝きはうつりません。

 売り方、ディスプレー、服装等々が日常的なところや現実的なところに落ち着いた宝飾業というものに本来の魅力や価値があるのだろうか?

 あえて、ドレスコードという言い方をしましたが、精神的なものや行動も含めての意味を込めてのものですが、販売員の服装というものは、色々なレベルの人がいます。あえて言えば人に不快感を与えないところから始まり、宝飾という世界あっているのかどうか。また、宝飾品の価値を損ねるような扱いをしていないかどうか。そして、雰囲気がその宝飾品という世界の意味を醸し出しているのかどうか。

 もしそれらを販売側が理解していないのであればお客様は不幸という以外にないでしょう。何故なら、お客様もまた宝飾展にきて、宝飾の世界を覚えていくのですから、最初にどこの展示会を除いたのかどうかで価値基準が変わってしまいます。その理解が売上やレベルという物を押し上げていくのですから、値引きという自分がタダ楽をしたいだけの手法や自分勝手の理由の販売方法は決して自らを将来楽にすることはないでしょう。

 ただ苦しむだけの販売方法はやがて自らの身の破滅にもなっていくかもしれません。たった一線のコードを守る努力を惜しむかどうかだけで天と地の差が出てくると感じています。
 

2015年7月1日水曜日

危機管理⁉

 やはりというか、起きるべくして起きたという感想です。新幹線での焼身自殺とは聞こえが良いが、ガソリンが爆弾であれば『自爆テロ‼』であるわけです。以前から気になってはおりました。

 仕事柄海外での交通機関でのテロ事件やそれに近い事には出会ってきた経験から、いつも新幹線に乗る時には不安になっており、時折人にその危険性を話しておりました。時速300キロに達する乗り物に乗るのに何のセキュリティーチェックもないし、その様子もない。あるのは在来線との区分けのための改札だけで、それこそそんなものはいらないのであってセンサーや視覚検査程度でも良いので準備をするべきです。

 日本の新幹線の正確性は其れこそ世界に誇れるものですが、ここにも危険性が隠れています。どの辺で対向の新幹線とすれ違うのかもある程度計ることが出来ます。しかし、これが問題で今回のように一番前の車両で対向の新幹線とすれ違う瞬間に自爆テロでも起こされたら、両方向の車両の乗客数千名があっという間に地獄の蹴落とされます。

 今回もポリタンクが持ち込まれていたという事ですが、そんな危険物が安易に車内に持ち込まれることは考えられないと思います。テロ対策として車両に監視カメラを設置した有ったという事ですが、持ち込まれた時点でアウトですから、JRや国土交通省の考え方の非現実的なものがここでもあらわされています。

 飛行機でのセキュリティチェックが厳しくなって随分経ちますが、それでも9.11はじめフライトの中でのテロは起こっています。新幹線も飛行機よりももっと危険で乗客も多いのに何も講じないで来ました。一日45万人も乗降する交通機関でそれを行う事は無理でしょうとある専門家がTVで言っておりましたが、時間を合わせる事と人の命はどちらが大切か、もしくは諸外国から比べると行き過ぎた利便性をどこまで追い求めるのか、考えるまでもありません。

 どうしても、時間を間に合わせたかったらセンサーなど今の技術を駆使し、ある程度のセキュリティーチェックを行うシステムを造れば良いでしょう。多分その技術は世界中に需要もあり、新たな輸出品になるかもしれません。

 いずれにしてもイスラエルに長年出入りをしてきた立場からすると、あの国のセキュリティーを見習うべきであると考えます。あの国はテロが多いからという人もいますが、実は日本では事件として片付けられていることが多いだけでテロとして定義づけ事は世界でもワースト10に入る国であることを認識すべきです。そのイスラエルよりも多いのですから。『サリン事件』は9.11が起きるまでは世界史上最大のテロでした。日本ではカルト教団が起こした事件という括りになっていますが他国では明らかなテロでした。

 イスラエルよりテロを心配した人間がガスマスクを持参しての来日という事は当時よくありました。彼らの感覚では自国より日本の方がよっぽど危ない国だったからです。今回の件は甘く判断をしない方が良いと思います。テロリストにとっては良いアイディアを示したことになります。利用するにあたっては多少の不便を感じるかもしれませんが、多くの政治家の発言で明らかにテロ対象国に」なっている以上はやむを得ない事と納得をしなければいけないでしょう。

 本当の事であれば今回の事は想定をしていて当たり前のことです。これでJRや国土交通省のお偉方が処分をされなければ、当該機関がよほどの無教養か自分たちの仕事の本質がわかっていないということでしょう。それは何事にも言えます。自分たちの仕事であっても・・・・・。
想像ができる事は起き得るのです。
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