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2012年11月19日月曜日

現在の価値!?

 ダイヤモンドの価値については情緒的、経済的、実用的等含めて今までも何度か書いてきましたが、価値というのは能動的価値と受動的価値があります。

 自らが認識する自分の価値という物の起因は単純に言うと過去の誕生以外の自分のまいた種であります。他人から見た自分の価値という物は誕生も含めて第三者の経験による価値です。

 つまり、現在の自らの人生の存在価値は自らの送った過去の人生の価値という事になります。
ダイヤモンドについてはあくまでも人間側から見ただけの価値ではありますが、現在の価値基準から言ってもやはり価値があります。

 大きな意味で言えば人類の過ぎた歴史の中で培われた価値という事になります。それは他の色々なものが進化するとともに価値がなくなる物とは反比例をしています。

 ダイヤモンドは必ずしも発見された頃から価値がある訳ではなく、人間の研磨技術などの発達に伴い価値が出てきたものですが、そこには研磨することにより価値が出る存在という条件が必要だったのです。

 その後研磨技術が進化しても、ある一定の条件をクリアした研磨技術以上の価値を、いくら新しいカットが出てきても価値を延ばすことは出来ません。つまり、ある時点でダイヤモンドの進化は止まり、それ以上の価値を増す方法は出てこないのです。

 進化というのはシンプルになる事と考えますが、現在の状況はあらゆる物が複雑化し、未だ進化の過程なのですが、一面退化する事や、ある一定の状況で止まる事が進化ではないかと考える事があります。

 米国にアーミッシュといってある時代から進化せずに昔のままで生活をしている人々がいます。彼らは文明を否定するのではなく認めるからこそ昔のままの生活に固執しています。日本で言えば映画の『オールウェイズ』ではないけれど昭和30年代から40年代にかけての時代が一番活力があり、生活という意味でも充実をしていたのではないかと思うし、実際、あの時代に戻る事により金融、経済等はより伸びるというアンケートも出ているそうです。

 ダイヤモンドは価値は100年ほど前には今の形で価値が形成されており、それから何の進化もする事なくいますが未だに価値についての変化はありません。

 人間もその人間の考える一番価値のある時代に止まれば、また、維持できれば価値がいつまでも保っているのでしょう。原発などもここで止める事が本当に良い結果になるのかもせれません。現実的にはそれは難しいのですが、人は晩年一番自らが良かった時期の記憶が一番強くなるそうです・・・。

 いずれにしても現在を満足しているのであれば、維持をし、満足していなければ将来の価値をあげる努力する事が必要でしょう。

 価値は過去の積み重ねなのですから・・。

 

2012年11月16日金曜日

ダイヤモンドの誤解。

 1998年頃、最も多くイスラエルを訪問していました。確か、年13回位渡航をしていたと思います。
 
 その頃はまだヨーロッパ経由での入国が多かったのでトランジットをする国でのセキュリティーチェックはイヤになるほど厳しかったのですが、それが嫌でイスラエル行きを止める人がいたほどです。

 小生は忙しさもありイスラエル内でのセキュリティーでは顔見知りになるほどの頻繁さでしたので気にする事はありませんでした。それほどの回数を誇っていたのもあるレベルのダイヤモンドがものすごい人気でその買付の為でした。

 他のほとんどの業者が扱っていなかったレベルのところだったので永遠にオーダーにこたえる事が出来ると考え、注文を受けておりましたがある時からそこの部分だけが価格が上がり、品物も集まりにくくなったのです。多くの注文はこなす事が出来ずに受注残になることになり、結果的には2カ月、3カ月待ちといった納品になってきて、そのうち受注価格での納品は無理となってきたのです。

 ダイヤモンドはやはり有限であり、希少性が価値である事を改めて知り、この企画を止めて頂く事となったのですが、他社より同じような内容のものが出てくるようになり、首をかしげておりました。

 やはり、想像をしていたようにグレードの捏造がその後発覚し、週刊誌問題になり業界の信用も失墜し、全体の売上不振にもつながっていったのです。

 その後も相も変わらずグレードで価格競争をしている販売店を見ると情けなくもなり、その無意味さをどう理解してもらえるのかと考えるのです。自らの首を締めるような販売方法はもうやめにして本来の売り方を身につけるべく勉強し、努力をしてもらいたいものです。

 ダイヤモンド自体は何の変化もしません。それゆえ取り扱う人間のレベルにより価値を表現できるものです。そして、同じグレードが出ていても、それ以外の要素もあっての価格形成です。

 一方的な4Cというグレードを否定するものではありませんが、一般消費者はそれ以外の要素を望んでいる事を忘れてはなりません。

 とりとめもない話ですが、先日、イスラエル軍がパレスチナガザ地区を爆撃し、ハマスの軍事部幹部を殺害したとのニュースに触れ、危険と言われていた頃の事を思い出し、その頃とは少しは変わったかもしれない業界かな?と振り返ると、さほど変わっていない事にガッカリもします。

 ダイヤモンドは不変であり、やはり希少なものです。変化し、有限に見せているのは人心であり、
人の欲望です。

 人心を動かすダイヤモンドは良い意味でも悪い意味でもやはり凄い物なのです。

 そして、私にとっては時を超えて、記憶や資料のスイッチを押してくれるメモリーカードなのです。

 貴女のダイヤモンドは簡単に手に入り、入ったものではないのです。お金があってもそれは手に入らないのです。

 人が誤解の要素を作り、人が誤解し、それが問題を作りだします。

 ダイヤモンドは変わりません。

2012年11月15日木曜日

高嶺の花!?

 先日、仕事仲間との話の中でダイヤモンドの価格について話をしている中で
『売りたいダイヤモンドは安い値段しかつかないけれど、欲しいダイヤモンドは高いね。』
といった話をしていました。

 つまり、ダイヤモンドの価格にはちゃんとしたロジックがある事は勿論なのですがそこには人の感性が働くので、必ずしも他と比べて安いから欲しいとかといった物ではないという話なのです。

 人は其々好みというのがある中で実用的欲求と独占的欲求がありますが、その対象は必ずしも同じではないので、欲しい物が重ならないないというところで大きなトラブルにはなりません。(勿論重なった時には時として戦になる時もありますが・・。)

 人は実用的なものでもその時にいらなければ安いかどうかも問題ではないけれど、多くの人が欲しいと思っている物を独占したければ高くても手に入れようとします。

 ただし、100%の人が好むものというのはあまりありませんが、100%の近い人が好むものはそれなりに価値を生みます。その90%、80%、50%~といったパーセンテージが下がるほど価値が下がっていくのですが、それでも必ず誰かにとっては価値があるからこそ、物は世の中に存在するのです。

 その中で実用的欲求を満たしてくれ、なおかつ独占欲を満たしてくれる物の代表的なものがダイヤモンドだという事で冒頭の話に繋がるのですが、そのダイヤモンドでも自らの環境、状況によってその欲求度が変わるのですがどんな環境下でも欲しいダイヤモンドはやはり高価であるという結論であったわけです。

 感性によって『高嶺の花』というのは其々によって違うという事であっても、手に入りにくい物を指す言葉として使われる訳ですが、決して手に入らないという言葉ではないのであります。

 人それぞれにとっての『高嶺の花』というのは違うのですが、出来れば価値を感じる人のところにその物が存在することが望ましいのです。

 ダイヤモンドは人が演出するまでもなくその『高嶺の花』のポジションにいる事を考えれば取り扱う人の演出によっては皆が買いたいと思う物になるのでしょうね。

 現代における安売りはファストフードの低迷にもあるように安いから必ずしも行く訳ではなく、そこに付けられた印象はあまりにも欲求を満たす物がかけ過ぎており、一次的な安易な販売方法は結局身を細める事になるといった継承ではないのでしょうか。

 宝飾業界も長く安売りをして如何にもお得感を出してきましたが実際には本当の価値を一部の知識なき業者が損ねてしまいました。

 もう一度、誰かにとって『高嶺の花』であるダイヤモンドの価値を取り戻す時が来たような気がします。

 

2012年11月14日水曜日

ダイヤモンドとお金持ち!?

 国内の多くの業界人はダイヤモンドの価格が下がっていると囁いています。それは確かな事だと思いますが、反面海外のオークションでは落札価格の高騰が続いています。

 ダイヤモンドと一口に行っても、いつも述べている様にジュエリーの材料としてのダイヤモンドもあれば大きな意味での財産としてのダイヤモンドや光学機器用のダイヤモンドと多種であります。

 業界人の多くが述べているのはジュエリーの材料としてのダイヤモンドを述べている訳ですが、これは現状の市場を眺めてみれば仕方のない事です。売れていない現状では材料そのものが安く取引をされることになりますからね。

 しかし、現実には海外のオークションの現状を見れば価格の高騰が続いています。先日もある人から何故にそんな状況が続くのかという質問をいただきましたが
『それはダイヤモンドの方がお金持ちより少ないからです』
と答えると
『そんなことはないでしょう?』
とけげん顔・・。

 オークションというのはお金を持っている人々が一つのダイヤモンドを競い合い落札をするのですから当然数人のうちの一人だけが手に入れる訳です。
 つまり、お金持ちよりダイヤモンドの方が少ないという訳です。

 それでは、そのレベルはという事になると、ある一定の大きさと品質を持っていることか特殊な特徴(色など)を持っているものという事になります。

 例えがあっているかどうか解りませんが相撲取は沢山いますが関取は数少なくなります。その中で三役となると数人です。ましてや横綱となると一人か二人です。つまり、ダイアモンドといってもただの相撲取りだと角界の構成員の一人になります(ジュエリーの素材)が関取や横綱となるとダイヤモンドの本来の堪能するレベルという事になります。

 相撲好きは序の口の相撲も好きな通ですが、本来の相撲は関取以上の取り組みですよね。例えが解りにくかったかもしれませんが、一般的な場合タニマチ(金持ち)より関取衆の方が少ないみたいなものです。

 ただ、お金を持っている人々が皆ダイヤモンドに興味を持っているかというと、そういう訳ではありません。もし、金持ちが皆ダイヤモンドに興味を示したら価格はもっと上昇するでしょう。

 しかし、一般的には序の口を含めたダイヤモンド好きの方も沢山いらっしゃいます。ただし、景気が悪くなるとやはり足は遠のきます。

 常に書いている事ではありますが、ダイヤモンドはそのほかに情緒的な感性に訴えている部分も多分にあります。それは価格の問題ではなくその輝きや存在を励みや癒しにしている方も多くいます。

 こんな時代だからこそダイヤモンドの変わらぬ存在感を身の周りに置いておくことも良いのではないでしょうか?お金を持っているだけでは手に入らぬ其々の価値がそこにはあります。

2012年11月10日土曜日

ダイヤモンドのカットの原点!?

 最近、ホースヘッドのカットをしたダイヤモンドを手に入れました。多くのこの種のカットは品質も良くなく小さなものが多いのですが、これは2CTアップのもので品質も上質のものです。


 『何故にこのようなカットがあるのですか?』

 といった質問をよくされるのですが、基本的にはカッターが原石からの歩留まりを考えて其々の原石に合った形にするのですが、多くの場合は正八面体の原石になりますので上下半分にしてそれからラウンドブリリアントといった通常の形にするのが一般的です。

 稀に、平たい原石やおむすび状のものがあります。それらのものはエメラルドカットになったり、ハート型になったり、三角のものになったりと仕上げられていきます。

 カッターの話を聞くとダイヤモンドの原石が与えてくれるインプレッションによってその形を決めていくという事をよく聞きますが、このホースネックのダイヤモンドに関しては原石が最初から馬面を想像させたのでしょう。勿論ラウンドや他のカットには向かないと考えたのでしょうが・・。

 よくラウンドブリリアントにエクセレントとかヴェリーグッドというのがありますが、最初から良いカットにすれば良いのにという方もいますが、実は事情があります。

 ダイヤモンドの多くの原石は先ほども書きましたが正八面体ですがきちっとした形は少なく、やはりそれなりの差があります。そこでカッターは歩留まりを考えます。

 つまり、ダイヤモンドというのは重さの台替わり(0.3ct、0.5ct、1ct等)で1ct当たりの値段が変わりますので、もし、カットを多少悪くしても仮に1ctアップになるのであれば、その方が価格が高くなると判断をするのでカットよりも重さをとります。つまり、歩留まりをとる訳です。

 その大きな意味でラウンドや当り前にあるカットをするよりもアンユージュアルなカットしした方が価格が伸びるとなればダイヤモンドの与えてくれる印象でその形のカットをする事になります。勿論そういった原石の価値には稀有なので、あまり見掛けることはないし、マーケットに対しても需要がありませんから、珍しいものとなるのです。

 しかし、それなりの趣味の方や思い入れのある物語がある方であれば長く子孫に伝えられるものとしてはそれなりの意味があるのではないかと思います。

 但し、経済が不況の時にはあまり高価なものになる事は考えられません。

 ご興味のある方はご一報を・・・。

 

2012年11月2日金曜日

ダイヤモンドをお金に換える!?

 最近の買取ブームもあり、ここ5年間で数兆円のジュエリーが換金をされましたが、多くは地金の金額によるものです。しかし、この中で地金の次に換金率が高かったのがダイヤモンドです。
 
 おおよその見当ではありますが5千億円を超えるダイヤモンドが換金をされていると考えられています。つまり,ダイヤモンドはお金に変わったのです。

 多くの人々の考えの中には矛盾があり、
『ダイヤモンドは財産にならないわよ』といった言葉ですが、実際にはいくらで売る事が出来るのかを気にしている方がいるのも事実です。

 ダイヤモンドにはいつも述べている通り、

  1.ジュエリーの素材としてのダイヤモンド
  2.宝石としてのダイヤモンド
  3.光学素材としてのダイヤモンド

としての役割を持っていますが、この中で最も換金率が高く価値を損なわれないのは光学素材としてのダイヤモンドです。これはプロの中でのビジネスとしての取扱いになりますから一般の方には縁がないもので、取扱金額としては大きくなりますが利益率を多く望む事は出来ません。

 宝石としてのダイヤモンドこれは何を指すのかというと一定の大きさを超え希少性が高い物という事になりますが、これはオークションにかかるレベルを必ずしも指してはいません。

 この宝石としてのダイヤモンドは一定の期間保持する事により間違いなく、財産保全を目的とした換金をする事が出来ると思います。もちろんそれにはいくつかの条件があります。

 1. 為替差益損前提とはしない。(ドル相場を前提とします)

 2. 2~5ctsのものは品質も条件とする。

 3. なるべく大きなサイズを選ぶ(美観を前提とする)

 4. 特殊な色のものを選ぶ。

 5. オーソドックスな形を選択する。

 6. 米国宝石学会のレポートを重視する。

 以上のような条件を前提に考えて頂けば、過去の歴史をを振り返っても損失を起こした例はありません。ただし、其々の販売ルートにおける利益比率は除きます。

 また、ジュエリーの素材としてのダイヤモンドにおいても最近の例をみると換金率は非常に高く、いい加減な買取業者ではなく、ちゃんとしたところで換金を行えばそれなりの換金率になると思います。

  前記の条件がある程度当てはまっていたならば流通の利益が入っていたとして物によっては購入時よりも高額で販売することも可能です。

 如何に輸入に近いところで購入するかにもよりますが、財産の保全という意味では間違いなく株や有価証券よりも安全で率も良いのではと言えます。ただし、ダイヤモンドはお金を持っているからといってこれらの購入が簡単な訳でもありません。現在ではそれらのものを手に入れる事が難しいので、その辺はご了解を・・・。

 これらは、いつも書いている『心の価値』とは一致しないように勘違いをされると困りますが『心の価値』を前提としてこのような側面もダイヤモンドにはあるという事です。
 
 

 

2012年11月1日木曜日

神とダイヤモンド!?

 宗教に関して論じるつもりはありませんが、仕事柄ユダヤ人との交流が多く、彼らの宗教観を垣間見ると現代の彼らのポジションを理解出来ます。

 《我らがいて神の存在に意味がある》・・・本来であれば全ての宗教の原点にいるようなユダヤ教徒達は実はこう考えています。他宗教だと唯一無二の信仰神が絶対であり人間の上に存在をしていると考えがちの様に思います。

 ユダヤ人の現実的合理主義をそこに感じる事があります。しかし、その発想は無宗教な私には、ものすごく解りやすく(そりゃそうだ!?)と思わせてくれるものです。

 人類が誕生してから出てきた価値のほとんどはその後に誕生したものが多く、神という存在は人類の誕生以前にあり、人類を誕生させたという前提にあります。

 何故ここで《神》について触れたかというと実はダイヤモンドも人間の存在があり、初めて価値が生じる訳ですが、多くの物の存在は勿論人間の存在があり意味があり、人類が作り上げてきた実質的なものであります。

 ダイヤモンドは人類が作り上げてきた訳でもなく、一部を除いては実用的価値という物はほとんどありません。《神》は架空のものといったら怒られますが目に見えない人類より先に存在するものと位置づけされ、ダイヤモンドは実質的に存在するものですがこれもまた人類が存在する前からあるものです。

 神は何故に人々の中に存在するのでしょうか?そして、ダイヤモンドは何故に存在するのでしょうか?

 其々に共通していることは人の心の中にある価値であり、目に見えない神にしても目に見えるダイヤモンドという存在にしても実質的には何の価値があるのだろうと考えます。

 しかし、現実には歴史を考察してみてもこれらの価値は世界と歴史をを動かしてきたし、今後もこの価値や意味はなくなる事もないだろう考えます。

 《人間がいて意味のある存在》の意味は、人類が一方では人類が破壊する事の出来ない存在で、もしその価値が失われるとしたら大げさではなく人類が終わる時のような気がします。

 心の価値を軽んじる事は人間の価値を粗末に感じる事にもつながると考えますがいかがでしょうか?

 大げさな話のように捉えられることは仕方がないと考えますが、ダイヤモンドのビジネスが扱う人々にとって価値が損なわれてきた事も、実は経済的価値を優先してきたせいではないかと自戒の念を含めて感じるのであります。

 非常に皮肉なことでありますが、価値を高めるのも損なうのもやはり人心次第という事を考えるともう少し、ダイヤモンドという存在を大事にしても良いのかなと思います。

 これらの件に関しては実用品という前提を外しての事ですが、実用的な物だけで世の中は出来あがっている訳ではなく、ある意味こちらの方が大きな意味を持っているので世界の人口の90%以上の人が宗教に関わっているのではないでしょうか。