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2019年7月30日火曜日

価値への理解⁉

 今年の秋のテーマは
『付加価値の絵画、実質的価値の金、そして付加価値と実質的価値のダイアモンド⁉』
と銘打ってのイベントを百貨店との間で企画をしております。

 絵画の販売方法を聞いていると50%引き位は当たり前のように行われているそうですが、コストという事を考えるとキャンパスと絵具代そして一番高いものは額装代かもしれません。つまり殆どの代金は作者の能力による付加価値と言ってもよいでしょう。更には多くの場合作者の没後に価値が上がります。

 つまり、値引きをすると本来の価値というものはキャンパス、絵の具、額装とそれぞれのコストだけですから、値引きしようとしまいと本来の価値は購入者による購入価格でしかありません。ついている値札価格は単なる目安であり、価値は購入者もしくは販売者により下げられたことになります。
 
 付加価値とは興味のない人には何の価値もない物だが、興味を持っている人にはこの上ない価値のあるものとなるのです。
 
 金はご存知のように相場で万人がが認める相互交換できる価値ですからそこには一部の人間の嗜好性は入っては来ません。つまり、実質的価値と言えるでしょう。

 一方でダイアモンドというものは宝石という付加価値、つまり希少性、審美性、耐久性を主とした価値があり、更には携帯性、換金性といった実質的価値もあります。勿論程度による価値の判断というものはありますが、相互交換する事の出来る実質的価値があることは勿論の事、それ自体を愛でることのできる付加価値もあるわけです。

 ダイアモンドの過去には一般でいう生産過程で付加される付加価値というものではなく、人間の都合による付加価値というものをベースに販売をされてきたために大きな誤解を生み、実質的に遠回りをしてきました。更にはその間に大きな利益を上げたがために現在の苦境があります。

 今後は本来のダイアモンドの価値というものを理解し、販売に繋げることのできるように希望をしたいものです。

 ダイアモンドはサイズによりその販売方法や表現の仕方が違う事は前提としなければなりませんが・・・。
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2019年7月29日月曜日

にわか評論家⁉

 世の中色々なことが次から次と起きるもので吉本興業問題、京都アニメーション事件、更には大船渡高校の佐々木投手を決勝で投げさせなかった問題と世の中評論家やメディアのかっこうの材料になっています。

 吉本問題に関しては既に吉本興業の内部の問題ですが吉本が関わっている公的プロジェクトには100億円からの税金が投入をされていることを考えると吉本はいったんこれらの事業から手を引き会社内部の問題として処理をすべきでしょう。

 京都アニメの事件は以前にも書きましたがテロ事件です。これは単なる地方の事件で管轄の警察署の問題ではなく公安委員会を含めた国家としての対応を考える問題だと思います。来年にはオリンピックがあるわけですから必ずしも競技場という事ではなく、何処でどの様な理由でテロが起きるのかという事を対処しなければなりません。

 ゴミ箱やロッカーの撤去という単純のものではなくもし、もっとテロを理解していたら今回の事件の数日前から存在を認識されていた犯人を事件を起こす前に検挙をする事が出来ていたのではないかと感じるわけです。

 テロイコール宗教問題ということではありません。無差別殺人は皆テロ事件なのです。理由は哲学から宗教、対政府やオタク族の思い込みによるもの要因は様々です。以前にも起きた秋葉原の通り魔事件においてもあれだけの人々を巻き込んだ無差別殺人はテロ事件として扱うべきところを通り魔殺人事件としてしまいました。

 テロに対する意識の低さはいくらオリンピックや国際イベントで警戒をしなければといってもテロに対する本当の意識がなければ防げるものではありません。

 少し柔らかくはなりますが大船渡高校の佐々木投手の決勝戦投球回避の問題ですが、彼の先輩である大リーガーの投手たちも一応に今回の監督の処置を賛成し、一部に今回の処置に対して反対の声を上げている人々に対して非難をするような声明を出していますが、いかがなものでしょうか?

 私見ではありますが、高校野球の過密スケジュールは如何なものかという事は置いといて、高校球児はある意味甲子園を目指して野球をやっているものだと考えています。監督は何を懸念しての対処だったのかと考えます。もし監督が彼の将来性という事を考えていたとしたらそれは何かの力が働いたのかとさえ勘繰りたくなります。理由として前日129球投げ呼称の危険を回避したという事ですが、佐々木投手は決して納得のいったような顔をしてはいませんでした。

 過去には去年の現日ハムの吉田投手にしても前日まで400球を超える投球をしていましたし、まだまだ他にも沢山の例があります。4番打者でもあった彼をライトにでも守備で守らせるとか、何よりも彼を一回でも投げさせるチャンスを与え、高校生活に納得をするという機会を与えるべきだったのではと思うのです。何事も挫折を含め、あらゆる経験をするのも教育の一環ではないのかと考えるわけです。決して昭和の根性、気迫論を展開しているわけではありません。

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2019年7月25日木曜日

ダイアモンドの価格⁉

  先日、某百貨店の方から『社長がおっしゃる通りダイアモンドの価格は4Cで決まるわけではないですものね。』という言葉が出て違和感を覚え、私自身も4Cでダイアモンドの価格が決まるわけではないと事ある毎に言って来たので致し方ない部分もあるのかもしれません。

 皆さんが勘違いをしているのは4Cイコールグレーディングレポートという理解なのですが、言葉足らずになると大きな勘違いをするのだと自戒の念を込めて説明しますと4Cという事が価格の目安になることは間違いがありません。

 ただし、4Cの優劣により価格が決まる目安になるという事でグレーディングレポートがイコールではないと言う事です。つまり、グレーディングレポートとはその度合いをそれぞれのグレーダーが評価するという事であって、その事自体が同一評価ではないという事です。Aというグレーダーが3と評価したものがBというグレーダーが5と評価をする事があるわけで、そうするとAとBの同一評価は中身が違うという事になります。しかし、それは基準が違うという事でそれぞれの中での整合性があればよいわけです。

 車もベースとして排気量が価格の目安になり、これをダイアモンドの重さとした時にクラリティーを車でいえば素材という事になり、更にカラーはオプションの数であり、カットは性能といっても良いでしょう。つまり、大型車で素材が良く高性能でオプションが沢山ついているものは高額なのですがメーカーによって価格は違うということです。

 4Cで評価をされる事には間違いがないのですがそれぞれのメーカーの其々の取扱説明書で価格を比べること出来ないという事です。

 そして、仕入次期、販売会社、販売方法、規格品かどうかといった要素がくみ合わさり、価格といったものが決まるわけです。

 基本的には上記条件の前にダイアモンドの価格というものは取引所なり、研磨工場で、更に言えば原石の時点で価格が決まりますが、これも4Cをベースにしますがその物のテリであったり、研磨後のダイアモンドの歩留まりや評価により違いも出てきます。

 4Cで価格が決まらないというのはグレード表記で価格が決まるわけではないという意味でもあり、誤解を招く表現であったかなと反省しています。
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2019年7月22日月曜日

世間というものは⁉

 芸人の記者会見が大きな話題になっていることに多少なりとも違和感を持っています。それは参議院選挙の投票日と重なったことも有りますが、多くの社会人はそちらの興味を持っていたと思いますが、選挙のことはさておき報道をしているメディアに対しての疑問でもあります。

 裏を返して考えると多くの人の関心は参議院選挙よりもこれら芸人の動向という事になるのでしょう。

 そこでこの芸人たちの記者会見に関して考えてみると彼らは決して法律を犯した訳ではありません。しかし、彼らの倫理観というか世間の倫理観から言うと社会への影響は大きかったということの謝罪会見だったのでしょう。当然と言えば当然の行動とも言えます。

 森友・加計問題においては役人や国会議員等の明らかな国家公務員法違反になるのではないかという事も、そのことの検証どころか法律に触れていないという前提を創りだしてまで何の釈明会見すら行わない大臣や国会議員、そして役人たちは彼らの爪の垢でも少しは煎じて飲むと良いのではないだろうか。

 百歩譲っても法律に触れていないからという言い訳をよく国会議員がしますが、立法府である自らが創る法律に触れないからという理屈は通らないと思います。法律の前に倫理観というものが有ります。そして国会議員は高い倫理観があることが前提です。それを資格としたら今の国会議員のうち何人が残るのだろうかと考えます。

 少なくとも安倍総理や麻生総務大臣など存在するしてはならないような気がします。しかし、自らの組織を守るためとか、保身という事も含めて自らの立場を利用した行動をとることはある意味し方がないことなのかもしれません。

 今回の吉本興業の二人に大した態度もおそらくそんなところからきているのかもしれません。暫く頬かむりしていればいずれ世間は忘れてしまうとでも考えたのでしょう。そして事実今までも国会議員は何もなかったかのような顔をしていまだに国民の代表として国会に居座っております。

 そんな国の公表事は本当にどこまで信じて良いのだろうかと考えると現在も揉めている韓国との問題も果たしてどちら正しいのだろうとさえ思います。単純に国内の報道からだけだと明らかに韓国サイドも問題の方が大きいと考えますが、何故にあそこまで韓国は頑なに自分たちの立場を正当化しようとするのだろうかと考えると本当に日本の国内の情報が正しいのだろうかとさえ考えます。

  いずれにしてもメディアは真実を報道する前提としていますが虚偽でなければ真実を報道しないという事もハンドリングしているという事も忘れてはならないと思うのです。

 そして、私たちもう一度倫理観というものを考え直しても良いのではないでしょうか?

 決して聖人君子であれと言っているわけではありません。弱者に対してはもっと倫理観というものを意識してもよいのではないだろうかと思うのです。
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2019年7月19日金曜日

ダイアモンド暗黒の時代か?

 前回ダイアモンドのある一部分での価格の下落を書きましたが、一部分ではありましたがほとんどが付加価値性の高いところという事もあります。つまり、日本の政府が発表している国内の経済状況が堅調であるという言葉とは裏腹にリセッション(景気後退)状態にあることをダイアモンドは示しています。

 ダイアモンドというものは世界の経済状況の鏡の部分があります。一つの国の経済環境が悪いからと言って価格に影響が出ることはありません。世界の経済に連動をしているわけですが自民党がよく言う民主党政権下での日本の経済状況のお寒い中でもダイアモンドの価格は堅調でした。それはもちろん中国の経済の台頭です。

 高度成長下の日本とその後のバブル時代にもやはりダイアモンドの価格は上昇をしておりましたが、一方で一番価格が上がりそうなバブルスタートの頃は逆に価格が弱含みでした。それはそれまで迷信でダイアモンドは価格が下がらない。それはシンジケートが全てのダイアモンドを握り価格をコントロールしているからというものでした。

 しかし、1980年代その迷信は見事に崩壊をしました。その要因は日本市場への異常なまでの依頼心による供給過多でした。日本市場には歴史的にもダイアモンドの保有が少なかったことも有り日本からのバイヤーが連日のように世界各国の取引所に現れ買いまくっていたことも有り、週間ごとにダイアモンドの価格は上昇をしておりました。

 結果としてソ連のアフガン侵攻というきっかけを境に経済への不安や足踏み状況の中で過度な供給がたたり価格が下落状況に転じました。シンジケートは大量の資金を投じて研磨市場からダイアモンドを買いまくりましたが後の祭りという事がありました。しかし、日本はバブル真っ最中だったのです。

 現在の状況はその時の状況とは明らかに違い、マーケットにダイアモンドがあふれていることに加え、すでに多くの人々がダイアモンドを保持しているという事と供給元が複数あるという事が環境にあります。

 それ故に1ctサイズ以下のダイアモンドが売れないことは理由もはっきりとしています。しかし、大粒サイズはというと、どんなに掘り続けても絶対数がありませんから価格の下落はありません。しかし、付加価値の付き過ぎたところに関していえばやはり明らかな経済状況に起因をする価格ですから状況が悪くなればやはり下がるわけです。

 現状を考えると付加価値性の高いダイアモンドの価格を引き上げる状況にありませんからその下のところは下がらないといっても上がる状況にもありません。

 ダイアモンドに関わらず宝飾業界自体が低迷期に入り出口の見えない状況にあるわけですから今後は多くの業者が退出をすることになるでしょう。しかし、業界の強さはそこからです。

 つまり、業界を虫食いしてきたなんちゃって業者が退出をすることにより、正常化をしていく可能性があるわけです過去にも同じようなことがありました。宝飾業界自体は2000年以上の歴史を刻む業界ですから無くなることはありません。

 しかし、しばしの間は日本の経済状況に関わらず世界的に低迷期に入るでしょう。しかし、その反面を持っているのも宝飾業界の強さでもあります。ただ、ダイアモンドに関しては長期間で測ることが大事です。
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2019年7月17日水曜日

ダイアモンドの資産性⁉

 今年に入り1ct以下のダイアモンドの価格が下がっています。特に良質なものは顕著でもあります。更に言えばその上の10ctまでの物の最高品質の物の価格も同じく下がっています。(ファンシカラーのものはここでは含みません)

 以前から述べているようにこの事でイコールダイアモンドの価格が下がるという事にはなりません。つまり、付加価値性の高いものが下がっているという事でダイアモンド全体の価格が下がっているという事ではありません。

 1ct以下の物に関してはいわゆる宝石としての位置づけとしてはそぐわないという事も言えます。
それは宝石の条件でもある希少性の希薄さや、昨今の低品質の物の大量販売に伴い同じく宝石の条件である美観性というものに一般の評価が著しく欠如を始めたからともいえます。

 二段階で考えれば宝石としての価値観の下落が1ct以下のダイアモンドの価格を下げ、一方で3ct以上のダイアモンドは宝石の価値としてはあるけれど付加価値性の付き過ぎたものに関しては実質的な価値まで押し下げられたという事になります。

 グレードという魔物が着くと良質なダイアモンドは原石の価格から付加価値が付きます。一方で宝石の条件は満たしているものの普通品質の物に関しては原石からの実質的価値でしか流通をしませんから価格も下がらないという事になります。(取引所ベースですが)

 つまり、実質的価値であるダイアモンドとしてはある一定の条件を満たすまでの間は価格の上昇は大きくはありませんが、一定の条件を満たすと緩やかな上昇をします。そして、普通品質のものは購入価格においても付加価値の付いた物程は高額を出す必要もないという事になります。

 基本的には原材料がどんどん枯渇していく訳ですから長期の展望で考えて資産性という意味ではオークションにかかる3.5ct以上の普通品質から上の物であれば間違いなく価格は上がる訳です。

 因みにここ数カ月では3ctから10ctまでのものではVVS以上でFカラー以上の物に関しては価格が下落の傾向にありますが2ct前後の物に関しては最高品質のもの以外は価格が安定をしています。これは一定の流通が確保されているという事でしょう。つまり、以前の1ctの席が2ctになってきたという事です。

 2ctの国内での普通品質のものは小売価格で200万円から500万円の間での販売が可能でしょうから、これは以前の1ctの価格帯にも対応をしています。

 また、国内では業者間での『市』と呼ばれる生産性のない取引により価格がより下げられています。このからくりはお金のない業者がやむなく赤字で販売するものを買い上げる業者がおり、その業者がまた資金が底をつくとさらに安く売るといったおよそ宝石業界とは思えないような取引が横行していますので、国内においては1ct以下がさらに価格を下げる傾向にあります。

 しかし、このことはある時期終焉を迎えるわけですからい一時期の傾向ともいえるわけです。これらの『市』には海外の人間も参加をしていますので世界のダイアモンドの価格を下げる一つの要因にもなっているということにもなります。

 ある意味安くすれば確実に売れるわけですから裏の部分での資産性ともいえる側面でもあるでしょう。勿論ここではその部分を指しているわけでもありませんので負の部分としてご理解を頂きたいと思います。

 前述の部分どの様に考え、どの様に対処をしていくかでビジネスにも繋いでいくことも可能でしょうし、ダイアモンドの本質的な価値としては宝石であることが絶対的条件でもありますので道を誤りさえしなければ衰退をする他のビジネスとは一線を画しているといっても良いでしょう。

 今後の取り扱い方次第では更なる資産性へと駒を進める事が出来るでしょう。
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2019年7月16日火曜日

上っ面⁉

 先日、TVを見ているとハラスメントの話題の時に落語家の立川志らくが『落語家の修業は正にハラスメント。弟子が訴えたら大変だ』というと社会学者の古市が『なんで修行なんか必要なんですかね?YOU TUBEで十分練習が出来る時代に』といって他の出演者をあんぐりさせていたました。

 どこかで聞いたコメントだなと思ったら以前ホリエモンが『寿司屋の修業ほどわからないものはない。YOU TUBEで動画を見ればいくらでも握れるようになる。』といった発言をしていたことがあったことを思い出しました。

 しかし、どちらも年長者が首をかしげながらも明確な意見を述べずに『それはそうだけれど、目に見えない身に付くものが有る』といった理解しにくい説明があるだけでした。これは単なる例ですが現代の若者に共通する価値観なのだろうと思います。

 勿論そんな論理のままにしていたら日本の文化や文明が死滅してしまいます。『百聞は一見に如かず』という言葉がありますが、現代においては動画などを見るといっても体験ではありませんから聞く事と同意語でしょう。

 つまり、真似は出来るかもしれませんが、寿司でいえば季節や天気によって調理に仕方やシャリの握り方、炊き方が微妙に変わるわけですからそれは時間を掛けた体験でなければ身に付きません。所詮取扱説明書で出来る完成品は簡単な深みのないものでしかありません。

 我々のダイアモンドのグレーディングにおいても常に一定の場所や環境であるとは限りません。それ故ルーペを構えれればプロであるわけではありません。ダイアモンドの一つ一つの特徴や個性により見る場所も変わります。色だまりの出来るダイアモンドもあればそれが出来ないダイアモンドもあります。それは鑑定の勉強をしたから出来る物ではありません。やはり長年の経験や知識の積み重ねにより出来る物であり、通り一遍の事が出来るからと言ってプロとは言えません。

 鑑定機関のグレーダーにしても与えられた環境で与えられた道具があってのことですが、我々ディーラーの仕事は必ずしも恵まれた環境でソーティングをするわけではありません。しかし、間違ったジャッジをすると大きく損をすることさえあります。

 表面上が整えばといった発想の現代には少し疑問もありますが、そんな時代でもあることも間違いがありません。しかし、将来を考えることも必要だとつくづくと感じる次第です。

 それは基礎を学ぶ重要性です。
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2019年7月12日金曜日

韓国の不買運動⁉

 レーダー照射や慰安婦問題、そして徴用工問題と連続をして韓国政府の誠意のない対応の結果として日本の韓国へ対しての特恵扱いを取りやめるという事に韓国国民が日本製品の不買運動を行っているという事に憂慮をしています。

 つまり、米国でも1980年代に日本製品の不買運動が起き、結果的に多くの日本製品に従事をしている人が職を失うという事が起きました。今回の韓国に関してはもっと深刻な問題となる可能性が大きいと感じています。

 韓国の人々の中にも論理的にものを考える人も多いと思いますが、印象的には感情的な人が多くいます。更には韓国政府自体が不満の矛先を日本に向けるという事は散々やってきたことです。

 それ故に日本人の中にも感情的になる人々も多く出てくるでしょう。今回の日本政府の処置は珍しく相応だと思いますが韓国の人々自体が日本の恩恵の中で生活をしてきたという自覚を持っている人が少ないと思います。勿論韓国の識者の中には今回の件に関しては当然の日本の反応だとする人も多くいます。

 中には大学教授という立場にありながら『日本は過去の清算において1965年の条約の中で当時の韓国の国家予算の数倍という援助を韓国に与えた』という当たり前のコメントを出したがためにメディアから叩かれたというニュースが流れました。その中で彼は『漢江の奇跡』はそれが根拠として経済発展をしてきたとも付け加えています。

 日本はその後も色々な特権を韓国に与えてきました。あれほどの仕打ちを日本に対してきたにもかかわらずです。日本の大人の対応が韓国の人々に勘違いを起こさせたのかもしれません。

 今回の問題は韓国の国内問題です。それをいつものように日本へ矛先を向けることによる政府の支持率を上げようとした文大統領の計算違いでしょう。


 過去にも対日貿易赤字であることをやり玉に挙げてやはり不買運動を繰り広げた事がありました。しかし、実態は日本製の車のシャーシを使って現代自動車や他のメーカーが輸出を伸ばしておりましたから韓国が輸出が増えれば増えるほど対日御赤字は増えるのは至極当然の事でした。

 つまり、今回の問題に関わらず韓国の輸出の大半は日本からの部品や原材料で賄われている部分が多いので、日本が本腰を入れたら韓国経済はあっという間に泥沼となるでしょう。それ故にそこまでの状況にしてはならないのです。多くの識者はそれを恐れているのです。今の韓国政府は
その実態を把握していないのでしょう。

 今のうちに日本政府としてちゃんとしたアナウンスメントを韓国国民に流す必要があるのではないかと思います。決して韓国の経済にダメージを与えてしまうことは将来に向かっても良い選択ではないのです。韓国では反日教育を是としています。それでも日本を愛する人々も多く存在しています。何とかしなければなりません。
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2019年7月5日金曜日

数字が示すもの⁉

 最近高齢者の交通事故というか運転事故のニュースが良く流れています。私自身も高齢者側に入ると思いますが、私自身がニュースを見ていて首をかしげることがあります。

 現在、車の運転事故を起こしている高齢者の率は事故全体の18%に及びます。確かに多いように感じます。しかし、残りの80%以上の事故が非高齢者という事になります。更に言うと逆走運転の約40%は非高齢者という事です。

 免許保有者は現在八千万人を超えるという事ですが60歳以上の免許保有率は現時点で30%弱という事です。つまり、30%にも及ぶカテゴリーの人が起こした運転事故は18%という事になります。それは多いのでしょうか?という事ですが単純に考えると事故全体の30%であっても不思議ではないという事です。ましてや最近増えてきての18%です。

 数字というものは明示されている数字よりその逆の数字の方に真実なり本意なりが隠されていることがあります。

 取り上げられている事故そのものは高齢者の運転ミスの場合が多く報道されていますが、死亡事故や暴走による事故というものが実は圧倒的に多くは非高齢者という事です。

 報道というものは事実は伝えることは最小限ですが数字だけを見るともっと沢山の非高齢者の事故が目くらましにあっているような気がします。そちらの方が大きな問題ではないでしょうか?

 最近30~40代の女性のドライバーが多く見かけられますが、車同士の小さな小競り合いやこすり事故などを見ていても何故か女性ドライバーが多く見られます。だからと言って女性ドライバの事故が多いという事を言っているわけではなく、私自身の目に入る環境では例が多いという事です。

 つまり、報道だけを見ると高齢者の事故が異常に多いというように見えますが、数字だけを見ると決してそのようなことではないという事になります。また、高齢者というのはそれだけ長い年月を運転しているわけですから運転歴から考えると非高齢者よりも事故の割合ははるかに少ないと言う事です。

 勿論。年齢とともに運動能力や動体視力、とっさの判断力等々が衰えてきていることは間違いがありません。ただ高齢者でもそれを自覚しているかどうかも個人差があります。

 とにかく数字は事実を表しています、目に入る報道等の感覚だけでそちらの世論が動き過ぎることに関しては少し首をかしげる思いです。

 実は交通事故の要因を考えると免許制度そのものに問題点があるように思えます。車の運転が簡単になり、ある一定の運動能力がない人でも免許を取ることは難しくありません。以前のマニュアル車であれば一定以上の運動能力がなければ免許取得は難しい部分もありました。

 しかし、現在の免許取得に関していえば明らかに安易になり、ナビゲーターも含めて運転そのものが簡単になりました。事故はマニュアル、オートマ車関係なく外的要因も含めて起こります。つまり、車任せの運転をしてきている人にはその回避は困難な部分も多くあるのではないだろうかと思います。

 数字の陰にある物をもっと検証しなければ完全自動運転になった時にはもっと大きな事故が起きるような気がしてなりません。
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2019年7月4日木曜日

宝飾品と装飾品⁉

 そもそも宝飾品と装飾品はどう違うのかという事ですが,単純にジュエリーとアクセサリーはどう違うのかという事です。

 装飾品の事を英語でオーナメントとかアクセサリーという言い方をするのですが、現在では装飾品をジュエリーという言い方をしたりすることに誤解があるように感じます。

 本来宝飾品というものは実用品の延長であり、装飾品というものはファッションであったり、インテリアなどの趣味嗜好品で決して実用品ではありません。

 ここまで聞くと逆のような気がしますが、実際に例を上げるとブローチなどは古代北欧民族の防寒用毛皮や厚手の毛布を留めるピンが発祥と言われています。つまり現代で言えばボタン替わりであり、動物の骨だった小枝だったり、少し進化をして鉄や銅を使用して造られていました。

 それが地位や権力がはっきりしてくるとそこに貴金属や宝石をちりばめたものを使用するようになりそれがやがて宝飾品となってきたのです。またネックレスにしても中世の貴族が自らの家臣たちに配下である印として襟に施した家紋等の延長に勲章であったり、ネックレスとして進化をしたものです。現在においても皇室や王室の行事の時にその原型に近いネックレス型の勲章を見る事が出来ます。勿論、指輪においても古代ローマの印章等が源流にあります。

 一方、装飾品はというと実用性よりも装飾そのままに趣味嗜好のままの物であり、そこには実用性が存在する必要もないのですが現代においてはそこに一部の実用性が含まれることがあります。キーホルダー等が良い例でしょう。

 それでは現代のようにネックレス、イヤリング、指輪等の装飾品が存在をする時代においてはどのように考えるのが良いのかという事になりますが、私見として経験上、貴金属宝石等を使用しているものをジュエリー、それ以外の物をアクセサリー。つまり、宝飾品と装飾品として分けることが明確ではないのかなと思います。勿論宝石とはその条件を満たしている貴石の事です。

 現代においても資産性とか換金性や耐久性といった実用性はやはり宝飾品に関してはあるわけですが装飾品に関してよほどの芸術性でもない限りは換金性も実用性もありません。

 宝飾業界がプライドをもってちゃんとした宝飾品を販売する限りはこの業界がなくなることはありません。それは業界人が宝飾品の価値を守り、その定義を確立することこそが重要なのだと思います。

 儲けれればよいという考え方は本来の宝飾品考え方とは異とします。何故ならそれを守っていれば利益というものは自然に生まれてくるのです。その場の儲け主義に走り宝飾品の価値を切り売りすることは結局自らの命を絶つことに等しい訳です。

 ただし、その前提として宝石というもの理解しているかしていないのかでも変わりますが、多くの人々は宝石を理解しているからこそその傘の下でその場の利益を追ってしまったのでしょう。それは自戒の念を込めての事ですが・・。
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2019年7月3日水曜日

市場は何処に⁉

 昨今の日本の市場感覚とは裏腹に税収が60兆円越えという増収になり、更にはオークションでは高額落札が相次いでいます。

 5月のニューヨークのオークションではコンテンポラリー・アートのジェフ・クーンズの『ラビット』が100億円で落札され、それまでの高額落札記録を更新し、その後の香港でも3.5ctのパープリッシュピンクダイアモンドリングが約8億円で落札をされました。芸術や宝飾品に関わらず高額な投資を目的としたオークションでの落札が話題になっています。

 しかし、多くの庶民はその世情を遠目で見るような感覚を持っていることは否めません。何故なら実際の前述した内容は事実ではありますが一部の世界で起きていることだからです。つまり、1%の人間の行動の反映なので99%の人間の感覚にはないからです。

 1%の民というのは世界の人口でいえば約7千万人弱という事になります。7千万人というとそれほど小さな人数でもなく感じます。

 世界で最も平均所得の高い国はスイスの1070万円ですが、日本の平均所得は429万円ほどです。更に言えばスイスの平均納税率は21%に対し、日本は32%です。但し、スイスは物価が日本に比べて約1.5倍となっていますが消費者物価指数となると日本の100に対してスイスは99となります。つまり、スイスの方が貧富の差が少なく日本方が貧富の差が大きいとなるわけです。

 内容だけで見ると税金が高いわりに国民の生活水準は決して高くないということにもなります。平たく言うと税金の無駄遣いが多いという事ですかね?

 宝飾品に限って言えば決して悪い状況ではないという事にもなります。ただし、同じ宝飾業界でも業態がどちらに向いているのかという事も大きな問題でもあります。例えば一方で市場が良くないと感じると消費者に合わせた商品構成や販売方法をとることになります。そうなれば一時的には数字が上がりますが、宝飾品の命でもある個性や特殊性が失われていきます。

 一つの例として一時期流行るデザインを多用するとその場では売り上げが上がりますがある時期が過ぎるとそれらは場合によってはデッドストックとなり、さらなる挑戦をしにくくなります。そうなると売れないスパイラルに入っていきますので苦しくなりバーゲンセールの果てに、宝飾の価値というものが結果的には失われ更に売れなくなるという言ことになります。

 これらの売り方は宝飾品の売り方としては決して正解とは言いかねるわけですが99%の人々を相手にしようか?もしくは1%を対象にしたビジネススタイルを確立しようかとした時に答えは明らかです。しかし1%の人に出会うよりは99%の人と出会い方が簡単なわけです。

 そうなると1%の人を目指すビジネスをしながら、99%の人に対応をしていくというのが現実的なのだろうと思いますが、1%を目指さずに行うビジネスはやがて滅びることは歴史が物語っています。

 京都の暖簾はなぜ数百年も守られているのかそれは大衆に迎合をしなかったからだと思うわけです。
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2019年7月2日火曜日

資産としてのダイアモンド⁉

 以前は『ダイアモンドは財産ですから』と言って販売をする販売員もおりましたが、現在はそのような販売方法をする販売員はいないと思います。

 しかし、これは一概に間違いではありません。つまり、資産というものをどのように捉えるかによりますが換金が出来る物という意味では間違いではありません。しかし、皆が思うような『ザ・資産』という意味では少し違うのかなという気がします。

 現在ダイアモンドを資産と呼べるレベルで考えると大粒、つまり宝石質という事でいえば3ct以上の物という括りをする必要があるでしょう。

 皆さんが思い浮かべる資産という言葉で幾ら位を想像するのかにもよりますが、ここでは前提として約1000万円を想定した時にという事にします。。私自身が過去のデーターや経験を参考にするとここ40年で3ctは平均で2.5倍、5ctでは4.5倍相当になっています。(US$においての輸入価格)

 しかし、近年それよりも小さなサイズにおいては其れほどの大きな伸びを示していません。さらに言えば1ctサイズにおいては殆ど伸びていないどころか需要が供給に比べ縮小傾向にあります。

 現在の常識というと大げさではありますが宝飾品と装飾品というカテゴリーに分けるとしたら1ctサイズに関しては装飾品という方に入るのかもしれません。勿論今後もブライダルの一部としては残ってはいくのでしょう。

 資産としてのダイアモンドに関してはまだまだ一部の人々の中の物ではありますが、現在のようなバーチャルマネーの時代になると現物資産としての見直しが行われていきます。財務省から将来を危ぶむ様なアナウンスメントが出るとやはり現物資産である金やダイアモンドの方に目が向けられます。

 しかし、ダイアモンドに関しては現状換金をするシステムが他国程明確ではなくせいぜい買取屋さん程度の少しアンフェアな買取方法が主になりますが、事大粒ダイアモンドになると大手のオークション会社が取り扱いを行っております。

 ただし、これもまだ資産家たちの間では常識的な物ですが一般の人々の間ではまだまだ認知が遅れています。しかし、今後まだまだ電子マネー等の不安定は続きます。やはり最後は現物であることは間違いがありません。バーチャルマネーは誰でも造る事が出来る可能性はありますが、ダイアモンドに関しては地球しか作る事が出来ないのです。

 また日本政府は仮想通貨(バーチャル・キャランシー)を暗号資産(クリプト・アセット)と呼び名を変えようとしておます。これは以前否定的であった仮想通貨に対してあらたな財源として目を付けたという事にもなるでしょう。つまり、バーチャルマネーは完全に政府のコントロール下に入ってくるという事でもあるのでしょう。本来は其れも問題なのです。

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2019年7月1日月曜日

目に映る物⁉

 G20が終わり、その後板門店でのトランプと金正恩の再開とこの一週間の政治ショーは今の世情を如何にも表しているようです。

 安倍総理の思惑など何処へ行ったのかと思うような状況でした。彼の得意とした外交でも何の成果もなくロシアとも他の欧米諸国とも通り一遍の外交儀式で終わり、各国首脳も何しに来たのかわからない一方でトランプはとっとと板門店に行き、彼の得意な政治ショーの幕開けです。

 しかし、これもメディアの責任に負うところが多いと感じます。G20のすぐ後とはいえ、それらのリポートもそこそこに板門店での再開に目を向けてしまうのは如何なものでしょうか?

 俯瞰してみれば北朝鮮問題は世界の現状よりも重要なはずがありません。つまり、目先の目立つものだけを捉えて報道するというのは如何なものであろうかとか考えます。更にはトランプは明らかに安倍さんよりも金正恩との方が情が通じています。

 国同士が戦争をしていてもお互いの大将を認め合うという事はよくあることです。トランプと金正恩は悪童という意味で情が通じているところがあります。つまり『悪党同士利用できるところは利用しようぜ。』というところでの計算がお互いに立つのでしょう。

 今回のことは事前に組まれていおることは間違いがありません。しかし、お互いに急きょという芝居がかった形をとった方がより効果的だと双方ともに感じているのでしょう。つまり『悪童同士の感性のシンクロ』というのでしょうか。

 しかし、問題は目先で起きることへのメディアの反応とその後の対応です。今回もG20のことはさておき殆どが悪童同士の再開の報道と解説です。

 我々視聴者はメディアが報道することは必ずしも間違いではありませんがその報道の仕方によっては間違った判断をすることがあります。

 先日も香港の件を書きましたが香港で起きていることは事実です。しかし、実際に起きている事よりも報道の仕方で視聴者は拡大解釈をすることはメディアの人間であれば誰しもが知っていることです。香港の場合行政府のある一部での出来事であり、それ以外の部分であればほとんど平常でした。

 また、私がよく訪問をするイスラエルに関しても世界中のメディアがネガティブキャンペーンを行っているのではないかと思うくらいに多くの人々は危険な国だと思っています。しかし、長年私自身が訪イをしていて確かに一部ではいさかいが起きていることも事実です。しかし、多くの人が8割と思っていることは1割前後の事です。勿論全てではありませんが・・・。

 これらの要因の殆どがメディアが流した画面を見た結果です。人々は目に映るものを信じてしまう傾向があります。私自身も以前はそうでしたが学生として米国にいたころTVもなく生活をしていた時に友人から日本で革命が起きたと伝えられびっくりしたことがあります。それは成田闘争の真っ最中の画像でした。勿論それは一部の地区で起きていることは知っていますのでびっくりはしませんでしたが実情を知らない人が画面から見る情景は革命そのものなのです。

 メディアは確かに皆の眼でもありますが目に映るものが全てではないという事も肝に銘じる必要はあるのです。
https://ameblo.jp/diamonrow