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2019年4月19日金曜日

自然の摂理⁉

 最近同性婚の裁判が話題になっていますが人権派の人々の理屈も十分に理解をしたうえでのことですが、やはり首をかしげる部分があります。

 自然は雄雌を基本に摂理というものが形成をされているわけですが、環境により雌雄同体という生物も存在することも事実です。しかし、摂理というものは人間の観念であることも事実です。

 同上の理解をしたうえでの考え方なのですが人類の自然という事を考えると過去だけではなく未来を考えたときに同性婚とはやはり不自然の摂理とも考えるのです。つまり、未来があっての進化だったり変化は自然の摂理と考えますが、やはり人類の継続という中で理解を使用とした時に同性愛なり同性婚というものは個々の嗜好の中で認めるものであっても公の物として判断を下すものではないような気がします。

 当該者の人々が相続や財産の分与などの話なども前提としていますが、それであれば他の法律で解決をすればよいと考えますが、これらの事を含めて自然の摂理に反する様な理屈というものを前提とするべきではないと考えるのです。

 例えば、この話題を一緒にすると激怒をされる方もいるかもしれませんがクローン人間等なども自然の摂理に反していると考えるのですが、これを『愛』を前提にみ止めるならそれは問題です。自然界から出来上がってきた基本というものを無視することは大きな反動がやがて人類を襲う事になると思います。

 これを決して同性愛や同性婚が恐ろしいと言っているわけではありません。一見社会の必要悪と考え役にたつものとして原子力発電なども行われているのですが、これとて自然界には存在をしないプルトニウムというものを人間が創り上げ燃料として使っているのですが、既に社会の一部として存在をしている以上は戻れないのです。しかし、間違いなく人間社会を蝕んでいます。

 以前から同性に対する指向を持っていた人々は沢山いると思いますが事結婚に関しては別物と割り切ってきた部分があるのだと思います。更には結婚をし、家庭を作ったうえで同性愛に走っていた人々も沢山います。それ故に無茶な理論と言われるかもしれませんが結婚と恋愛は別と考える人々もいます。

 人造ダイアモンドに関してもダイアモンドという名を関することも如何なものかとさえ思っています。自然が作り上げたものをダイアモンドと呼び、素材そのものは炭素であるわけですから科学的に作り上げたものはやはり炭素と呼ぶべきだと考えるわけです。

 自然界に存在し、創成されてきたものを摂理として物事を基準と考えることは今の時代に特に必要なことだと考えるます。勿論法律もそうあるべきで、そのことは一部の嗜好を勿論否定するものであってはいけないわけです。

 しかし、今は称賛の中にいるAIなども例外ではありません。人間を超える物を創るべきではないし、自然の摂理とはそれ以外の部分は『神の領域』であるべきなのです。
https://ameblo.jp/diamonrow

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