昨夜は国立能楽堂で行われた『世界と能楽、能楽の国際化を問う。』というタイトルのシンポジウムに行ってきました。この中で知人が英作文によるスピーチが表彰され,その一環として能楽を観賞してきました。
私にとって恥ずかしながら初めての体験で鑑賞をしていても訳も分からず、この中で何を伝承や守ろうとしているのかを考えながらの時間でした。
その中で感じた事は『能楽というものの本質とは何だろうか?』というより『現在の能楽とは何を伝えようとしているのだろうか?』という事でした。
能楽の発祥は諸説あるそうで平安時代に大陸から渡ってきた舞台芸能が大衆文化として猿楽として発展し、それが現代の能楽になったのだという事ですが、だとしたら現在の能楽はその舞や立ち振る舞いを伝承しようとする伝統芸能なのだと理解をしました。つまり、現代の我々には突き詰めなければ理解がしにくいものなのだと感じたわけです。
そこでふと頭に浮かんだことは、それでは我々のビジネスであるダイヤモンドの本質とは何だろうという事です。つまり、何故にダイヤモンドなのだろうという疑問が湧いてきたのです。今更ですが・・・・。
4Cグレードというものがダイヤモンドの本質的な物を見失わせているような気がしたのです。ダイヤモンドが世に出て認められ重宝をされるようになった頃には勿論4Cのグレードなんて言うものはありませんから何故にとふと考えたわけです。
勿論美しさや耐久性、希少性等々の理由があったにせよ何故にと考えたわけです。結論から言うとそれらの条件が揃っていた故に現在のダイヤモンドがあり、それを説明するために4Cグレードというものが考案されてきたのですが、勿論それはダイヤモンドのすべてではなく価格の整合性という意味の位置づけのために考えられた手段に過ぎなかったわけです。
『氷山の一角』という言葉がありますが、一角に関しては4Cグレードで説明がつくわけですがその他の大半についての説明はつきにくいわけです。しかし、本来の価値(本質的な物)はその部分にあるわけです。
一昨日『国際宝飾展』に行ってきましたが、ここにも同じような現象が起きており、本来業者の為の宝飾展としていたわけですが、実質的は消費者のための即売会化しており、特定多数にためのものが不特定多数の入場を許しており、例年がごとく中国の窃盗団の入場を許し、やはり窃盗が起きてしまいました。
数人の海外の出展社とも話をする機会があったのですが、『我々が思っている宝飾展とは違う』と言っておりました。もう二度と出展をすることはないだろうとも言っており、現実に昨年同じような事を感じたフランスの業者はほとんどが参加をしておりませんでした。
勿論、想定をされることでこれは主催者の落ち度といってよいでしょう。それはやはり本質的な物を無視して起きたことですからその責任は大きいのでしょう。しかし、主催者にはその認識がないようです。本質というものは何においても大事なことだと感じたここ数日間でした。
https://ameblo.jp/diamonrow
http://diamond-exchange.jp/
私にとって恥ずかしながら初めての体験で鑑賞をしていても訳も分からず、この中で何を伝承や守ろうとしているのかを考えながらの時間でした。
その中で感じた事は『能楽というものの本質とは何だろうか?』というより『現在の能楽とは何を伝えようとしているのだろうか?』という事でした。
能楽の発祥は諸説あるそうで平安時代に大陸から渡ってきた舞台芸能が大衆文化として猿楽として発展し、それが現代の能楽になったのだという事ですが、だとしたら現在の能楽はその舞や立ち振る舞いを伝承しようとする伝統芸能なのだと理解をしました。つまり、現代の我々には突き詰めなければ理解がしにくいものなのだと感じたわけです。
そこでふと頭に浮かんだことは、それでは我々のビジネスであるダイヤモンドの本質とは何だろうという事です。つまり、何故にダイヤモンドなのだろうという疑問が湧いてきたのです。今更ですが・・・・。
4Cグレードというものがダイヤモンドの本質的な物を見失わせているような気がしたのです。ダイヤモンドが世に出て認められ重宝をされるようになった頃には勿論4Cのグレードなんて言うものはありませんから何故にとふと考えたわけです。
勿論美しさや耐久性、希少性等々の理由があったにせよ何故にと考えたわけです。結論から言うとそれらの条件が揃っていた故に現在のダイヤモンドがあり、それを説明するために4Cグレードというものが考案されてきたのですが、勿論それはダイヤモンドのすべてではなく価格の整合性という意味の位置づけのために考えられた手段に過ぎなかったわけです。
『氷山の一角』という言葉がありますが、一角に関しては4Cグレードで説明がつくわけですがその他の大半についての説明はつきにくいわけです。しかし、本来の価値(本質的な物)はその部分にあるわけです。
一昨日『国際宝飾展』に行ってきましたが、ここにも同じような現象が起きており、本来業者の為の宝飾展としていたわけですが、実質的は消費者のための即売会化しており、特定多数にためのものが不特定多数の入場を許しており、例年がごとく中国の窃盗団の入場を許し、やはり窃盗が起きてしまいました。
数人の海外の出展社とも話をする機会があったのですが、『我々が思っている宝飾展とは違う』と言っておりました。もう二度と出展をすることはないだろうとも言っており、現実に昨年同じような事を感じたフランスの業者はほとんどが参加をしておりませんでした。
勿論、想定をされることでこれは主催者の落ち度といってよいでしょう。それはやはり本質的な物を無視して起きたことですからその責任は大きいのでしょう。しかし、主催者にはその認識がないようです。本質というものは何においても大事なことだと感じたここ数日間でした。
https://ameblo.jp/diamonrow
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