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2016年10月31日月曜日

何か違ってきたような⁉

 10月31日、本日はハロ・ウインということで先週末どころかアミューズメントパークなどはほぼ一か月前からコスプレ等のイベントを行ってきていました。

 当店も商店街のイベントということで先週末予想では約1000人の子供たちがお店にお菓子を貰いに来るということで朝からテンヤワンヤでしたが、夕方からの来訪者たちに思わず笑みもこぼれてしまいまいた。

 しかし、何時からこんなにこのイベントが日本ではなじんでしまったんでしょうか。本家のイングランドではケルト人の暦で晦日でもある10月31日である意味や収穫祭としての意味合いがあるようですがアメリカでは一つのお祭りとして盛り上がっています。

 日本では1980年代に原宿のおもちゃ屋さんのイベントとして始まったように記憶していますが、何よりも2000年代に入ってからのアミューズメントパークでのイベントが大きいのでしょう。

 とにもかくにもそのいきさつは別にしてもなんでこんなにも日本は他国の習慣やお祭りがおこなわれるのでしょう。行われるというより日本流にアレンジされてむしろ本家を超えてしまっている状態が起きてしまいます。

 クリスマスにしてもバレンタインにしてもその規模を超えようとしている今回のハロ・ウインにしても商業的価値という意味では大きなコアになると思いますが、なぜに日本のお祭りでは起きえないような現象が起きるのでしょう。国内の場合はせいぜいその地域の盛り上がりだけです。

 自分たちが身に付けてきた習慣や感情が何か違ってきたような気がします。時には『日本人ってこんなだっけ?』とさえ思うことがあります。

 島国日本は何かにつけてコンサバティブだといわれていたのはもう過去の事なのでしょうか?外部を受け入れないとか内向きだといわれていたことがうそのようです。

 ただ気になるのが本質的なことをちゃんと踏まえているのかどうかという事とそのことに対するリスペクトがちゃんとあるのかどうかという事です。何事においてもそうですが最近の日本は本質的なことを忘れ現象面だけをとらえそれを誇張、誇大するような危うさがあります。特にメディアに関してですが・・・。

 我々の業界でもダイヤモンドを婚約に給料3か月分の価値のものを贈るという習慣も商業ベースとしてではありますが根付いていたものがありましたがこの数年ほとんど姿を消して様な気がします。

 総じて言えることは全体的に子供化しているのかなという印象です。日本のイベントである成人式にしてもそうであるがなぜか成人式にも関わらず子ども化しはしゃぎまくっている成人になったとは思えないような若者たちがそこにはいます。

 過去であればむしろ大人になる背伸びをしていた若者が多かったような気がします。現代は全く別物で体だけはいっぱしですが心は子供そのままです。勿論それは若者だけに限りませんが。

 まともな表現はできませんが日本が『何か違ってきたような』気がするのは私だけでしょうか?
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2016年10月29日土曜日

そもそも⁉

 『そもそもと』いう話をすると現状の問題を解決するにあたって今一度原点に戻るときに用いる言葉でもあるけれど、この言葉があるということはその場限りの場当たり的な仕事をしているとよく陥る現場主義がその大きな要因になることが多いように思います。

 ダイヤモンドにおいてもグレードというものを考えたときに『そもそも』価格が先にありきでその価格の起因を説明するために出てきたものですから、グレードがいかにも価格を決めているような説明は間違いが起こりやすいのです。

 つまり、後付けのほうが何事においても整合性が取れているわけです。しかし、後出しジャンケンは常に勝つのですがジャンケンは『そもそも』勝敗を付けるためのものですから後出し自体は意味がないのです。

 なぞっては見たけれど求めている結果とは違ってしまったということはなぞり方が間違っていたのですが、なぞっていたのだから間違いはないという前提になるので間違いに気が付きにくいのです。

 よく総論賛成、各論反対という言葉がありますが、これは本来の目的は賛成だけれど現場の都合で物事を進めているうちに各論優先したいという能力のない人々が良く陥る失敗です。日本の政治家によくありがちな問題です。

 なぜにこのような回りくどい話かというと東京五輪問題について首をかしげることが多いからです。『そもそも』ですが、なんでオリンピックを誘致しようとしたのでしょうか?

 国威発揚ですか?経済の起爆剤としてですか?

 いずれにいしても経済的効果を考えるのであれば借金が残るような五輪であれば問題外なのですが、現在はアスリートファースト、都民ファーストなどの他にすでにIOCに約束したから、レガシー(遺産)としてとか、どれも『そもそも』なぜに五輪を誘致しようとしたのかという視点と外れているような気がします。

 単なる文化としてということであるならばあまりにも問題がありすぎます。それぞれの競技団体や組織委員会や何ぞや利権が絡んでいそうな人々の現場の各論だけでもめているような気がします。

 各論を前提にすると方向目的が違ってくるので後の取り返しがとてつもなく大変になります。宝石業界はそれほど大きな業界ではないけれど各々に各論を優先させているためにどれくらい窮地に陥っているか例を挙げて説明をしたいくらいです。

 当初の話が出てくるときに『コンパクト』、『復興』五輪の言葉が良く出てきますが、本当の当初はなんで誘致をしようとしたのかということでしょう。

 『そもそも』論に立ち戻り的確な解決を小池さんには望みたいものです。勿論IOCにもですが,ほかの組織委員会や政府には期待をしないほうが良いでしょう。
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2016年10月28日金曜日

本質的なこと⁉

  業界の話を聞くとあまり良い話を聞くことのない昨今ですが単に景気のせいにするにはあまりにも単純すぎると感じています。確かに展示会を中心にした売り上げや成功するかどうかわからない通販に走る人々もいます。

 しかし、一番の要因は自分たちの扱っている商品がなんであるかどうかを理解しているのだろうかという疑問です。ジュエリーという括りだけでいうとその代替品はたくさんあります。アクセサリー、服飾もっと広げればブランド品もその代替えでしょう。

 それには宝石を使用しているということを考えると、それでは宝石とは何ぞやということになります。これは言うまでもなく5大条件がそろっているかどうかです。さらにはその中のダイヤモンドとはん何ぞやということになると、これはもう理解をしているかどうかさえも分かりません。

 というのは今の現状というのは今まで上げたものが全てごっちゃになっているからなのでしょう。ジュエリーにはそれなりの括りがあり、宝石ということにもそれなりの括りがあり、そしてダイヤモンドというものにもそれなりの括りがあります。

 そしてそれらは人々によって価値が高められていく訳です。決して黙ってても価値があると認められるものではありません。それらは実用品とは明らかに違うのです。

 それでは現状はどうかというと展示会、通販といった現状売り上げを上げていく手段となっているもののほとんどは値引き合戦と安売りです。つまり、扱っている商品の価値を下げることに尽力をしているわけです。

 何のためでしょうか?

  生きる為に自分の内臓を順番に切り取っていくような様はまさに生きるという目的に対して方法が明らかに間違っているわけです。

 水浸しの土地に水をまき、日照りの土地で乾燥機を使うことは水なり乾燥機の価値を理解していない人々の所業でしょう。

 宝石やジュエリーの安売りはまさに価値下げるために、価値がないことを証明しているような所業です。砂漠での水はこのうえない価値になりますので高くも売れます。それは希少性を実体験しているからです。しかし、そこいらじゅうに水飲み場があればいくら砂漠でも希少性は感じてもらえません。

 多くの催事屋さんたちは真似事として宝石の価値や希少性をうたいながら安売りという矛盾をしたことを平気で行い景気が悪いと嘆いています。

 景気のせいが全くないとは言いませんがそれ以前の問題に早く気が付くことが重要なのでしょう。そうでなければ現代限りで宝飾業なるものが消滅をしていくのかもしれません。
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2016年10月26日水曜日

驚きの結末⁉

昨日、一昨日と小売店さんいおいてセミナーというかダイヤモンドとワインについてを題材にお話をユーザーさん向けに行ってきました。

 ワインについても色々と興味を持たれる方はいらっしゃって楽しく過ごしたのですが、ダイヤモンドの話題になったときに驚いたというか、当方にとっては想定内の結果だったのですが、皆さんが驚いた現象があったのです。

 それは10点ほどのソーティング袋に入った1ctサイズの裸石をご覧になってもらい、違う鑑別会社、おなじ鑑別会社で時期の違うものそれぞれのバリエーションでグレードを伏して綺麗に見える順序で並べてもらいました。これはある意味ではGIAがカッティンググレードで行ったファセットウエアのモニタリングのミニ版みたいなものです。

 結果には私自身も少し驚きましたが、結果通りであったものは2点だけだったのです。これにはお客様も驚き、中には
『自分の目なんてあてにならないものねェ。』
という方もいらっしゃいましたが、必ずしもそうではないということをご説明させていただきました。

 つまり、グレーディングレポートというものは取扱説明書みたいなものですから販売する側の補助説明書なわけです。買われるお客様が実際に目で見て綺麗だと思ったのが良いのであって、供給側の都合で用意をされたものが絶対であるわけはないのです。

 お客様は自分が車を買うときにカタログだけでは買わないようにご自分の目で確かめご自分で確認をしてからお求めになった方が良いのですよということが今回の趣旨でもありました。また、ダイヤモンド本来の価値について述べさせていただくにあたり、ヨーロッパの童話?的な物で池上彰さんが翻訳をなさった『おじいさんのダイヤモンド』を引用させていただきました。

 この本にはジュエリーや飾ることについてのダイヤモンドの話は出てきません。私自身もこの本はお取引先の方が見つけたものを贈られ『なるほどダイヤモンドを知っていただくに当たりこのほんは良いな』と思いこの本を引用させてもらいました。

 さすがに私自身もここまで皆さんの判別結果が違うとは思っていませんでしたので少し驚きましたが皆さんの驚き方は・・・・・。

 勿論その辺についての説明は十分にし、ご理解をしていただきましたがダイヤモンドはダイヤモンドを主で見るのであってグレーディングレポートが主であってはいけないということも十分にご理解を得た機会だと思っています。願わくばもっと大勢の参加があるとよかったと思っていますが・・・。
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2016年10月19日水曜日

東京五輪問題ちょっとだけ⁉

 豊洲から始まり、五輪問題と小池さんは大変だと思います。ただ彼女のパーフォーマンスだけで終わるようなことがあってはならないということだけは言えます。

 今回IOCのバッハ会長が来ていろいろな提案がなされていますが、決定に至った条件と変えることは如何なものかということですが、実際に決定に至ったときにどのような条件が提示をなされていたのかは都民は知る由もなかったわけです。

 勿論これは中心になって招致活動をしていた人々が招致することを前提に条件を整えていった結果だと思うし、それを否定するつもりもありません。お祭り活動は楽しいものですからね。

 ただ行動は別にしてもすべての今回の要因はお金の問題であることは間違いがありません。すべての資本主義の中で一番重要なことは予算でありその予算に沿ってすべてが決まっていくことは中学生でもわかる理屈です。そしてその予算は収支が整うことを前提としています。勿論最近よく使われる『レガシー(遺産)』をも前提としてですが・・。

 その基本中の基本がなぜにないがしろにされたとかということを考えると自分のお金ではないからということになります。これでは予算を気にしない社会主義と何ら変わらないではありませんか,

  豊洲問題にしても今はまだそれほど取り上げられずに今後大きな問題になってくるであろう『広尾病院移転問題』に関しても社会主義であれば問題にならないことであるけれど資本主義社会では決定者が一定の責任を負うことを前提にしないと無駄な税金の使い放題ということになります。

 今回はバッハ会長が都、組織委員会、政府、IOCの4者会談を提言していますが、多数決になると小池さんの負けということになりますが、小池さんは主催都市である東京都の都民に選ばれた人ですが他は都民が関与していない人々です。ましてや組織委員会なんぞというものは誰に任命をされたのかもわからないし、その森何とかに関しては誰もがしゃしゃり出てほしくないと思っている人間であるにもかかわらず内閣に選ばれたから東京都の下請けではないといったような発言もしています。

 彼はそんな基本も知らないのかと思いましたが本来五輪組織委員会というものは主催都市の下に実行部隊として組織されるものとIOCから指定をされているものなので、もし東京都に指名をされていないのなら何らの権力もなければ決定権もないわけで、何を偉そうにしているのかという感じがします。

 本当に精査をして実質的な経費が掛かるのなら致し方がないと思います。しかし、海の森ボート上にしても精査をした結果491億円かかるといわれていたもの300億円で済みそうだと東京都の発表があり、それならなぜにと思うのは私だけではないでしょう。

 前都知事の舛添氏にしても他のどこからかわからないソースから流れてきた2兆や3兆はかかりそうだといっていたのはどうも後の言い訳か高額をかけることを前提としたアドバルーンのような気がしてなりません。

 つまり小池都知事も言っていたような『豆腐じゃあないんだから.』といった発言のように高額をかけることを前提とした発言でさらにはそれを曖昧にしておこうとする何らかの意図が感じられます。ゆえに誰かの利益を前提としているのかという詮索をしてしまいます。

 もし本当に予算がここまでかかるのなら組織委員長としてやってきた森何がしなりが責任を取る問題です。なぜなら基本となることを何もしないでただ招致活動という華やかな場所にいたいがためにやっていた無責任行動であることを考えると引責辞任は免れません。

 普通の会社であれば売り上げ予算に対しての経費予算なわけですから中止か責任者の首を飛ばす問題です。

 ちょっとだけといいながら長くいなりましたのでこの辺にしておきます・・・。
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2016年10月18日火曜日

砂漠市場⁉

  灼熱の太陽がふりそそぐ砂漠で水のペットボトルを売りさばくことはそんなに難しいことではありません。さらにその価格が普段100円であるものを1000円にしても売れるかもしれませんし、周りの悪条件があれば10000円でも売れるかもしれません。

 しかし、逆にお金をいくら持っていてもそこに水がなければお金はただの概念であることもわかります。つまり、価格というものは一定の条件がそろって初めて決まり、価値というものが決定をされるわけです。

 勿論それが需要と供給のバランスということになるのですが、ビジネスを行っている人々は時にはそれを忘れていることがあるのです。同じ水を商っているにしても無料の水が周りにはあり、周りにはきれいな湧水があるとたとえペットボトルの水が50円であったとしても特殊な例を除けば売ることも難しくなるでしょう。

 現代では当たり前になっている値引きやバーゲン販売というものは周りに水が豊富にあるにもかかわらず自ら水浸しにし、さらに需要がないにもかかわらず自己満足で水の価格を下げて販売し、さらに試飲用の水を配っているようなものです。すでに顧客は水の必要性を感じていないにもかかわらずさ安売りに没頭しているようなものです。

 灼熱の太陽下の砂漠を創ることは難しいかもしれませんが、『北風と太陽』という童話ではありませんが、旅人も熱ければまとっていた衣類を脱ぎ、寒ければ其れをまとうわけです。決して風を吹かしたからといってそれで衣類を脱ぐことはありません。

 つまり、まずは市場となりうる環境を整えることが大事です。今の環境は過去培われてきた市場を食いちぎってきたようなもので、砂漠でいえばそこ水浸しにしてきたのにさらに水を撒いているようなものですからまずは一度市場を砂漠化することが大事なのでしょう。

 宝石というものはもともと感性で砂漠を感じているようなものですから、決してすぐに水を飲まなくても問題もないことなのですが、さらにそこに水を撒いているような側面があります。

 まずは想像妊娠ではありませんが、想像砂漠化をユーザーの頭に植え付ける作業が必要なのでしょう。それは需要と考えざるを得ない環境と物の価値の創造と維持が必要なのでしょう。これはできないのではなく、やらないだけなので意識の改革が必要なことなのかもしれません。

 宝石は幸い意識だけでよいのです。
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2016年10月15日土曜日

仮想通貨⁉

 クレジットカード、電子決済、ビットコイン等仮想通貨といわれるものが今後は増えていくのかもしれないという話を昨日遅い時間にお越しになったお客様と話をしていくうちに、現在話題になっているアメリカ連邦準備理事会いわゆるFRBが年内利上げをするかどうかと言う話になりました。

 年内の利上げはもう間違いがないだろういう結論に達したところで、今後仮想通貨が増えていく中でそれぞれの国の中央銀行が打っていく金融政策が役に立っていくのだろうか。実質ここのところほとんど金融政策がその意味をなさなくなってきたということになりました。

 つまり、仮想というわけではないけれど実体経済の規模に比べあまりにも金融市場が大きくなりすぎて実質的な金融政策ではどうにもならないところに来ているのではないかという話題になったわけです。

 それは日本のようにマイナス金利にしても政策的実質個人融資に限度額を設けている市場にお金を回そうと思っていても実質的には回らないという矛盾するような政策であったり、数秒で売り買いを何度もできるような株式市場であったりとそれぞれの中央銀行の打つ手より早く世の中が規模も大きく動いている現状では金融政策が殆ど機能をしない時代に入るのではないかという懸念です。

 ビットコインにしてもあっという間に広がったにもかかわらずその実態を正確に説明できる経済評論家が殆ど存在しないだけではなくビットコインそのものの実態がどんどん変わっていく訳です。

 ただ元々通貨そのものが概念的な物で以前のような金本位というものではないので印刷はしていますがある日突然価値の意味をなくすという懸念も通貨にはあるわけです。たまたま発行をしている国の経済が安定をしているというだけで本来仮想通貨で何の問題もないわけです。

 つまり、仮想通貨というものはどこの国ということではなく市場そのものが保証という役割をなしているわけです。ただ問題なのは現代のような仕組みの中ではハッキング等のトラブルが起きる可能性もあるということです。

 結論から言うと金やダイヤモンドのような世界共通の現物こそがこれから安心ということになるのではないかという話になったのです。
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2016年10月13日木曜日

価値観⁉

 時々お金を使うときに考えることがあるのですが、使う金額ではなくものによって『高いなぁ』と思ったり『これくらいはするだろうなぁ』と思ったりするわけです。

 それは単なるものの問題だけではなくその時間だったり環境だったりもします。つまり、のどが渇いてしかたなければ普段100円で買っていたりする水のボトルが130円だったりしても買うし、その施設以外で買って持ち込みもできなければそこで買うわけです。

 人は自分にとって今必需品であったり価値を感じればいくら高くてもというのは大げさかもしれませんが購入の決定をするわけです。もし、灼熱の太陽の砂漠で喉が渇ききっていたならば1万円を出しても100円のドリンクを買うことを考えるわけです。

 逆に言えばお金をいくら持っていてもそこに水がなければお金は何の意味もなさないわけです。

 なぜこんなことを書くかというと実質的環境がそこになくとも頭の中にそのような状況が出来れば人は物を買うわけです。そしてこの状況はダイヤモンドのようなものにこそ当てはまるのではないかと考えるからです。(これはあくまでも業界側からの目線ですが)

 もしユーザーにしっかりした価値観を持ってもらい、そのうえで喉の乾いた状況を作り出し、そして所有欲を持ってもらう啓蒙をしっかり行い、金額ではなく所有をしたいという願望を持ってもらうということです。過去にはそのような現象があったと記憶しています。

 また、お金があっても砂漠で水がなければ何の役にも立たないという状況にしてもある一定の大きさのダイヤモンドに関してはお金持ちよりダイヤモンドのほうが少ないわけですからすでにその状況はできているわけです。もしピンクのダイヤモンドの10カラット以上のものをほしいと思っても簡単に買えるわけではありません。持っている誰かが手放さなければなりません。

 同じ額面のお金であっても時と場所と物によって高いと考えたり、高いとも何とも考えなかったりするわけです。

 総括的には宝石というものは安売りをすればするほどその価値はなくなり最後は安売りが何の意味も持たなくなるのです。つまり、ただで水を飲めるところでいくらお水を安く売っても誰も買わないわけです。価値を感じなくなれば人は物にお金を出さなくなるのです。

 過去は宝石は高いものという先入観があったので一部の安売りが結果を出したのですが、業界側後ドンドン自分の事だけを考え安売りをしすぎたためにその価値を失ったわけです。

 もう一度宝石の本来の価値を創出する努力をしなければいけないのでしょう。

 まずかったレストランからの帰りがけにそんなことを考えながら歩いていました。
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ダイヤモンドと感情⁉

 一昨日、接客中にお店の前を若い女性が行ったり来たりしている姿が目に入っておりました。
突然ドアを開け店内にはいって来ると
『すみません。ダイヤモンドについて伺いたいことがあるんですけど。』
スタッフが対応をしている会話が耳に入ってきました。

 接客中のお客様が帰られたのでお話を伺ってみると
『ダイヤモンドが好きで、色々なお店を回ったんですけどグレードの話ばかりで、私が聞きたいこととはちょっと違うんです。私も明確には説明できないんですけど…。』
と困惑顔をしながら私の顔を覗き込んでおりました。

 端的に言うと綺麗だな、好きだなこのダイヤモンドと思う気持ちは何が要因なのだろうということを知ったうえで購入をしたいということです。つまり綺麗だな欲しいという気持ちだけで高額なものを購入することに少し不安があるということで、どこへ行ってもそれはグレードによっても違うということの説明をうけるのですが、それとちょっと違うということでした。

 私が
『それは賢明な疑問ですね。なぜならグレードというものはここ40年くらいでもてはやされてきたものですがダイヤモンド数百年前から人々を魅了しています。』

 一通りの説明を聞くと納得がいったようで店頭にあるダイヤモンドをまじまじと眺め、
『もう少し見ることができますか?』
時間がないということで後日のお約束をして再度ご来店ということでお帰りになりました。

 ダイヤモンドでよく言われることは、ダイヤモンドを眺めていると何も考えないでいられるという言葉です。つまりダイヤモンドをまじまじと見ているとそこに気持ちが支配され、無意識になれるということです。

 感情というものはいつも周りの環境を支配しようとするために起こす自身の現象ですが、例えば幼子が大人の支配しようと感情をむき出しにし駄々をこねます。また、怒りをもって回りとコントロールしようとする行為もまさに感情です。

 ある意味感情というものは自分以外のに気持ちを伝えようとするときに言葉が見つからずに表す精神状態です。先ほどのダイヤモンドを見ているときは何も頭に浮かばないという表現はもちろんダイヤモンドは感情を持ち合わせていませんが、ダイヤモンドが発する光や現象がまさに見ている人の感情を左右しているといってよいでしょう。

 ダイヤモンドを美しいと感じるのは感性ですからそれを論理的に説明をしようとするグレードというんのには若干の無理があります。感性に価格を付けることをは難しいので結果その中の小さな理屈としてグレードによる説明が必要になるのです。

 グレードというものはある意味販売側の知識を補うもので、勿論それで説明できるものではありません。絵画でいうと号いくらという表現がありますが、作家によって得意な大きさは違うわけで感性や才能をサイズで価格表現することには無理があると思うのですが、他の国では例のない販売方法を日本では行っています。

 いずれにしてもダイヤモンドの魅力というものは第一次的に人々の感情を引き出すところにあることは間違いがないでしょう。
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2016年10月11日火曜日

価値判断⁉

 とある小売店さんの販売員さんに
『宝石の価値ってどう説明したらよいのですかね?』
という質問を受けてちょっと驚きました。

 この販売員さんは非常に素直な方なのでニコニコしながらその質問を聞いていました。
私が
『貴女は何だと思いますか?』
と尋ねると
『綺麗なものだと思います?』

 これらの会話にどうこうということではないのですが、宝石を販売しているどれくらいの販売員がこの質問に答えることができるのだろうか?

 単純にそんなことを考えながら、もし正確に宝石の価値を知らずに販売をしているとしたらこんなに困難なことはないと思います。

 つまり、一部の知識だけで宝石を販売しようとする行為は大げさな極端な例でいうと証拠が一部しかないのに判決を下してしまう裁判官のようなものですから、皆さんであればこの裁判官をどうおもうのでしょうか?たまたま結果があっていたというのならまだしも、ほとんどが冤罪みたいなものです。

 宝石の販売に関しては人生を左右するほどの影響があるわけではないでしょうから、ただユーザーであればそのお店から足を遠ざけるだけということになるのでしょう。

 しかし、目に見えないその影響はボディーブローがごとくジワジワと聞いてくるのでしょうから現在は結果はその影響でしょう。

 よく皆が景気の悪さを口にします。しかし、宝石は本来お金持ちのものですが近代においては一般の人も買いやすくなっただけで、現代においてはこれほどお金持ちにお金が集まっている状況は歴史的にも例がないのです。

 つまり、宝石の価値を高めることやお金持ちに対しての努力をしてこなかった業界のつけが今回ってきているのです。

 物事を判断するときに自分を基準にするか、相手を基準にするか、常識を基準にするかということがあります。宝石は相手を基準にしなければならないものの一つです。

 お金持ちは何を欲しがっているのか?そしてそれは何で、その価値を販売する自分が理解をしているかどうかというのが宝石を販売するときの基準だとすると、お金持ちは安物がほしいか?皆が持っているものをほしいか?いい加減な知識を判断基準にするか?

 どれも『ノー』に決まっています。

 現状の宝石の販売方法が宝石を買うお金持ちの価値判断の中にあるのかどうかおのずから答えは解っていることでもあるのでしょう。
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2016年10月8日土曜日

宝石を求めて⁉

 最近の宝石業界を見ていて単純に考えることがあります。

実用品ではない。
必需品ではない。
飾るだけならアクセサリーで良い。
見栄だけなら車でも家電でも何でもある。
等々を考えると宝石の存在って何だろう?

その価値は誰が生み出し、誰が守ってきたのだろう。

いずれにしてもその答えは人間自身であることは間違いがないでしょう。
ましてや古代から実用品でもなければ必需品でもなかったものでした。

 そこに価値を創造してきたのはなぜだろう?

 古くから人類には化身願望があり、それは身を守るためだったり、自分をより大きく見せるためだったり、相手を威嚇したり、羨望の印として身に纏ってきたものが宝石です。

 その為にもその価値は皆に知らしめられたものでなくてはなりません。そうして想像されてきた価値が何千年と積み重なれ近代になっていると思っているのです。

 現代においてはその積み重なれてきた価値を利用し、さらにはその価値を食いつぶすようなビジネスが横行し、そしてドンドンその価値を損なってきました。その結果、宝飾業界の盟主であっても身が朽ち果てる結果となるのでしょう。

 価値があるから時々の値引きも生きるのです。価値の無いものと思われたものはいくら安売りをしても売れるわけではありません。

 それでは今後宝石は誰が価値を高め、さらに高めていくのでしょうか?

 宝石は人類においてのその役割を終えようとしているのでしょうか?

 宝石は今後どうあるべきなのでしょうか?

 タコが自分の足を食べるような状態の宝飾業界はどうなっていくのでしょうか?

その序曲が聞こえてくる今日この頃です。

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2016年10月7日金曜日

時代の流れ⁉

 出張先でモバイルが鳴りなにげに先方の声を聴くと
『高木さんH社が倒産をしました。』

 何気に感じていたこととはいえやはりショックではありました。
自身も在籍をし、現代の宝飾業界の礎でもあった会社でしたので動揺はありませんでしたが感じるものはありました。

 華やかの時代でした。

 今でいうジュエリーという世界を本格的に日本に広げた会社でもあり、今日本中で行われている宝飾品の展示会の基を作った会社でもありました。また、世界で最初にダイヤモンドにブランドを付けた会社でもありました。

 創業者でもある初代の社長は私の師でもある方で当時は『今太閤』とも業界では呼ばれておりました。おかげ様でも社名を名乗っただけでいずれの場所でも特別扱いをいただけるような会社でした。

 代が変わり息子さんが社長になるようになると流れは変わり、初代の哲学とは違う方向に向かい、内輪もめが出て、その姉が会社を継ぎ運営をするようになるとみるみると社員の質も落ち営業の中身も落ちてきました。

 初代が掲げた宝石商としての哲学は間違いなく日本の宝石業界を発展させてきました。しかし、そのまねをする会社が次から次と出てくるようになると似て非なるものが出来上がってきたのです。それが今の宝石業界です。

 考え方が古いといわれたこともありますが、宝飾業界は『温故知新』。古きを訪ね新しきを知る業界ですから祖となる部分がなくなるとエンジンのない車のようなもので止まっている分には問題はないがということになります。

 エレガントさを失い、マナーを失い、そして哲学を失った宝飾業界はただの流通業と変わりはありません。

 H社は日本の宝飾の夜明けそのものでした。哲学をあくまで追求し、身に着けやすいジュエリーを追い求めた半面優雅さや、場所を提供し続け、最盛期にはかのパリのバンドーム広場に世界のブランドと肩を並べ店舗を構えておりました。

 この広場にお店を持つことはオリンピックに出て金を三つ取るよりすごいことなのです。現在日本からはミキモトだけであとはカルティエ、ティファニー、ブルガリ等わずか十件足らずしかありません。

 いずれにいしても業績の悪くなっている現在においてはいたしかたがないとはいえ、哲学を失った会社のなれの果てということになるのでしょうか。ジュエリーは実用的価値ではありませんから哲学が唯一の価値といってもよいでしょう。多くの会社が現状これを持ち合わせてはおりませんから苦境はやむを得ないということなのでしょうか。

 いずれにしてもこれが時代の流れ何でしょうか?又は今後の業界を示唆しているのでしょうか?
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