相模原で起きた悲惨な事件を鑑みて感じることは、犯人の中にある一種の選民思想(ナチズム)につながる思考回路です。これは皆の中にある矛盾でもあるのですが人類の永遠のテーマでもあるのではないでしょうか?
彼の当初の考え方は善悪は別にして、複数の障害を抱える人々の周りの負担と苦悩という物理的問題であったようですが、それがいつしか優生学ではないけれど身体と能力の格差に対する侮蔑でもあったような気がします。
もちろん、肯定はできないのですが障がい者を抱える苦労は並大抵のことではないし、その苦悩のためにたくさんの不幸な事件があったことも否定はできません。これは非常にデリケートなことで
このことに答えを持っている人はいないでしょう。
しかし、身体や能力に格差をつけるという行為はある意味人間の内在する悪でもあるし善でもあります。現実にオリンピックやパラリンピックは日の当たる部分で、影の部分では人種差別だったり、障碍者の差別があったりします。
ただその結果を求めるあまり、今回の事件でもあったドーピング問題だったり遺伝子の組み換えや更なる優秀な種の研究を行ったりもしています。今現在研究がすすめられているという遺伝子ドーピングなどは何のためかということを考えると人間の中にある優劣の本能だったりするのかもしれません。
今回の事件とこの事は一見無関係のように見えますが人間のエゴの延長に両方があるような気がします。みなさんの中にも一切の優劣に対する執着はないという人はいないのではないでしょうか。
ただ人間には理性と教養というものがあります。弱きものを救うべく本能もやはり内在されているわけですが、欲や無知によるスイッチが今回のようなことやナチズム的なことを引き起こしているような気がします。
経済でいうと資本主義的発想もやはり根底には同じ要素があるような気がします。お金を稼いだ人間が偉く、稼がない人間は無能というレッテルを張られる現代の行き過ぎたアメリカ的資本主義の中にも問題が多くあるのではないかと考えます。
身体の能力を競い合うことを否定するわけではありません。しかし、日常的な身体や能力の差をつけるのではなくそれを補うことを求めるこそが人間の理性を高め、経済さえも発展させるのではないかと考えます。http://ameblo.jp/diamonrow
彼の当初の考え方は善悪は別にして、複数の障害を抱える人々の周りの負担と苦悩という物理的問題であったようですが、それがいつしか優生学ではないけれど身体と能力の格差に対する侮蔑でもあったような気がします。
もちろん、肯定はできないのですが障がい者を抱える苦労は並大抵のことではないし、その苦悩のためにたくさんの不幸な事件があったことも否定はできません。これは非常にデリケートなことで
このことに答えを持っている人はいないでしょう。
しかし、身体や能力に格差をつけるという行為はある意味人間の内在する悪でもあるし善でもあります。現実にオリンピックやパラリンピックは日の当たる部分で、影の部分では人種差別だったり、障碍者の差別があったりします。
ただその結果を求めるあまり、今回の事件でもあったドーピング問題だったり遺伝子の組み換えや更なる優秀な種の研究を行ったりもしています。今現在研究がすすめられているという遺伝子ドーピングなどは何のためかということを考えると人間の中にある優劣の本能だったりするのかもしれません。
今回の事件とこの事は一見無関係のように見えますが人間のエゴの延長に両方があるような気がします。みなさんの中にも一切の優劣に対する執着はないという人はいないのではないでしょうか。
ただ人間には理性と教養というものがあります。弱きものを救うべく本能もやはり内在されているわけですが、欲や無知によるスイッチが今回のようなことやナチズム的なことを引き起こしているような気がします。
経済でいうと資本主義的発想もやはり根底には同じ要素があるような気がします。お金を稼いだ人間が偉く、稼がない人間は無能というレッテルを張られる現代の行き過ぎたアメリカ的資本主義の中にも問題が多くあるのではないかと考えます。
身体の能力を競い合うことを否定するわけではありません。しかし、日常的な身体や能力の差をつけるのではなくそれを補うことを求めるこそが人間の理性を高め、経済さえも発展させるのではないかと考えます。http://ameblo.jp/diamonrow