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2016年7月30日土曜日

人間の理性⁉

 相模原で起きた悲惨な事件を鑑みて感じることは、犯人の中にある一種の選民思想(ナチズム)につながる思考回路です。これは皆の中にある矛盾でもあるのですが人類の永遠のテーマでもあるのではないでしょうか?

 彼の当初の考え方は善悪は別にして、複数の障害を抱える人々の周りの負担と苦悩という物理的問題であったようですが、それがいつしか優生学ではないけれど身体と能力の格差に対する侮蔑でもあったような気がします。

 もちろん、肯定はできないのですが障がい者を抱える苦労は並大抵のことではないし、その苦悩のためにたくさんの不幸な事件があったことも否定はできません。これは非常にデリケートなことで
このことに答えを持っている人はいないでしょう。

 しかし、身体や能力に格差をつけるという行為はある意味人間の内在する悪でもあるし善でもあります。現実にオリンピックやパラリンピックは日の当たる部分で、影の部分では人種差別だったり、障碍者の差別があったりします。

 ただその結果を求めるあまり、今回の事件でもあったドーピング問題だったり遺伝子の組み換えや更なる優秀な種の研究を行ったりもしています。今現在研究がすすめられているという遺伝子ドーピングなどは何のためかということを考えると人間の中にある優劣の本能だったりするのかもしれません。

 今回の事件とこの事は一見無関係のように見えますが人間のエゴの延長に両方があるような気がします。みなさんの中にも一切の優劣に対する執着はないという人はいないのではないでしょうか。

 ただ人間には理性と教養というものがあります。弱きものを救うべく本能もやはり内在されているわけですが、欲や無知によるスイッチが今回のようなことやナチズム的なことを引き起こしているような気がします。

 経済でいうと資本主義的発想もやはり根底には同じ要素があるような気がします。お金を稼いだ人間が偉く、稼がない人間は無能というレッテルを張られる現代の行き過ぎたアメリカ的資本主義の中にも問題が多くあるのではないかと考えます。

 身体の能力を競い合うことを否定するわけではありません。しかし、日常的な身体や能力の差をつけるのではなくそれを補うことを求めるこそが人間の理性を高め、経済さえも発展させるのではないかと考えます。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年7月29日金曜日

宝飾の時代⁉

 最近よく言われることでもあるのですが、特に我々の世代でよく話されることです。日本の宝飾の歴史はあまり長くはない中であまりにも大きな変化があったわけで、そんな中現在の40代を中心としたこの業界は彼らにとってあまりにも過酷なような気がします。

 それは彼らは宝飾品がどのような目的を持っているか。宝飾品と何ぞやということを知らずに扱わざるを得ないのです。つまり、高度成長に向かっている時代はあこがれていた宝飾品が身近になり、それを買い求め、それを身に着ける場所を自らが創造をしていったので宝飾品という憧れに対して業界側は贅をつくしたものを追求し供給を続け、宝飾品の地位は当然上へ上へと上がり、さらに消費者はそれを追い求めるという時代背景がそこにはありました。

 その後バブルがはじけると今度はその創造されていた価値観を逆手に取り、安売り合戦に入り、ある種の身を削り、タコが自分の足を食らうようにその価値を削ることにより結果を出していったのです。それが今の50代世代でしょう。

 つまりは50代世代もそれなりに結果を手にしていったのですが積み上げていくのではなく、削り取っていった結果ですから、当然そのあとには何も残ってはいません。しかし、今の業界の中心となっている40代はどうでしょうか?

 切り崩し続けていた50代世代の背中を見てきたのですから創造をするという試みは見てくることはなかったわけです。安売りをしていた宝飾品しか見てこなかったのですから、宝飾品の価値を知ること。もなくその売り方だけを見た来たのですから悲劇です。

 もちろん経済の時代背景もありますが、何よりも大きいのは販売している側が販売している商品の価値や意味を理解していないのではというところでしょう。バーゲンに憧れ、たたき売りに憧れる時代はいまだかつてあったことがありません。

 理由のある値引きから理由のない値引きになり、今では宝飾品イコール値引きをされるものという前提を作り上げてしまい、その中で苦悩する40代世代は傍から見ていてもかわいそうです。

 行先もわからず旅に出ているようで、右往左往している姿が目につきます。目的、目標がわからず仕事をしているのですから大変です。どのビジネスでもそうですが売り上げが目的、目標ではないのです。それは結果なのです。

 前回も書きましたが、準備に準備をして結果として数字にたどり着くのです。土台も何もない中で数字だけを追い求めても結果は出ません。時代背景なのでしょうけれど見ていてあまりにもむごすぎるような気がします。

 この業界に従事している多くの若者は決して良い収入があるわけではありません。良い収入のない人間がお金持ちの気持ちが理解をできるかどうか?という問題もあります。しかし、収入が伴わなくても知識を身に着けることができます。勿論本来の価値を知らなければ何の知識を身に着けるとよいかを理解ができないわけです。

 宝飾品の歴史と時代背景や宝飾品をもっと勉強することを望むしかないのかもしれません。そして、それ以前にビジネスとは何ぞやということを理解することが大事でしょう。

 『ビジネスというものは相手の足りないものを与えて成り立つものである』

 もちろん実用品ではないものは欲求を生み出す作業が必要でもあるのです。

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2016年7月28日木曜日

好きな言葉⁉

 自分の座右の銘でもないけれど、事ある毎 に『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』 という言葉を使います。

 これは現状は今まで行ってきたことの結果であり、将来どうなりたいかというのは現在何をやるかで決まるということを言っているわけですが、裏を返して言うと現在の結果により過去が決まるということでもあります。

 人から批判をされた過去であっても現在の結果が良ければその過去は評価をされるし、どんなに良いことをやってきても現在の結果が思わしくなければ過去は否定されるということにもなります。

 よく結果が悪くてもやってきたことは悪くはないという批評をする人がいますが、それは奢った上から目線の批評です。それでは足りなかったことは何なのかということと、結果その足りないことが結果を出せない理由なのかということになると、まだ結果を出してはいけない過程に過ぎないという間違いを起こしているわけです。

  私が『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』という言葉を使うのは何事にも準備が必要であるということと、何事にも土台があるということを伝えたいために使う言葉です。

 あとは自分の現在の結果を素直に受け入れるべきですよという意味です。更には自分に足りないものは何かということを意識することが大事ですということです。

 射撃の訓練もせず戦場に出ても何の役にも立ちません。身体も出来ていないのにリングに上がっても戦うことさえもできません。つまり、プロという仕事にはそれなりの土台つくりと準備が必要でもあるということです。

 『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』
この言葉自分なりに考えてみませんか?
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2016年7月26日火曜日

天然の宝石⁉

 前回に述べている事の続きになりますが、ドーピングは技術が進み今後は薬物ではなく遺伝子ドーピングなるものも出てくる可能性があるそうです。今回もIOCがあいまいな基準を設けロシアのオリンピック参加を認めるような裁定をしていますが、本来オリンピックに出場かどうかはIOCではなく各競技団体が決めることではありますが、実際に運営しているIOCの裁定の基準はあまりにも漠然としています。

 ドーピングの再検査も条件に入れているようですが、検査結果には長時間かかるそうで、結果が出る頃にはオリンピックが既に終わっているそうです。その後の判定でメダルを取り上げるという事になるのであれば何のためのという事になります。

 つまりは、オリンピックの商業化を考えたときに大きな市場であるロシアの参加は是是非であるということが背景にあるようです。ましてや平和の祭典としている物をボイコット合戦をやっているとその意味も失われるという事になります。その建前をかざして大手を振ってプーチンロシアは参加を表明しているのでしょう。

 宝石業界においても同じような事が言える訳で、本来宝石とは国際認識ではモース硬度7以上の天然鉱物を前提に美観、希少性をうたっている訳です。しかし、国内基準になると更にジュエリーの材料となり得るもの。更には天然の基準もベースを前提にトリートメントしたものも含むというようになっています。

 なんと曖昧な事でしょうか。つまり天然の解釈と、宝石の解釈の範囲を広げるという事になります。この流れは世界の一部においても先日のGIAの基準ではありませんが行われています。

 勿論、これは業者の都合に合わせている訳ですから本来の姿からは離れていっている訳です。つまり、商業ベースにおいて根本を流動的にしておくという勝手な理屈にも聞こえます。

 オリンピックにしても宝石にしても最低限の手を加えることは有り得るし、考えられる事です。宝石でいえば最低限の手の入れ方として研磨であり、運動であれば運動効率の良いマシンを使用するとか効率の良い食料を研究するとかは当然ありだと思います。

 結果としていえることは、例えば宝石を売ることになる段階で買う側は処理石であることを理由に安価を提示します。また、オリンピックにおいてもメダルのはく奪と記録消滅さらには不名誉だけが残ります。

 それでは何のための処理であり、ドーピングだったのかという事になります。但し、完全否定をする訳ではありません。美しいジュエリーの素材としての価値もあれば、より遠くに、より早く、より高くといったオリンピックのうたい文句ではありますが、そのスリリングさを見る事は楽しい物です。

 ただオリンピックの場合この後により美しく人間らしくという文言が付け加えられている事も事実です。これは何を意味するのかというとドーピングにより色々な傷害が後日現れています。全く男性のようになってしまった女性や筋肉だけが衰えずに体力が年老いていったみじめな選手もいました。これらの懸念をもとに付け加えられた文言だと聞いています。

 今後は宝石にしてもドーピングにしても法律ではなく基準となっていますのでこれからも拡大解釈は考えられます。本来の価値を損なっていくことになるなら全くカテゴリーを分けることも必要でしょう。

 もう一度、本来の価値という事を考えても良いのではと思います。協会も現状の救済策といった小手先ではなく本来の価値という事を考えなければ協会そのものの存在価値もなくなるのではと懸念しています。
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2016年7月25日月曜日

ドーピング!?

 前回GIA(米国宝石学会)に絡めて処理石問題を少し書きましたが、現在リオオリンピックを目前にしてロシアのドーピング疑惑問題が取りざたされています。

 勿論潜在的能力があってのドーピング効果なわけですが、人間はどこを目指そうとしているのか?とさえ感じます。究極は国や一握りの名声にかられた選手たちのいわば利権がらみなわけです。国であれば国威発揚であり、選手でいえば名声に絡む収入の問題なわけです。勿論そんな単純ではありませんが・・・。

 つまり自然な中の価値というものを一部の人間の愚かさのために本来の価値を失わせる短視眼的な思考がそこにあります。

 宝石でいえば本来の価値というものを置き換えて美しければそれでよいではないかという単純な発想に基づいている訳ですが、実際には宝石の価値というものは希少性だったり、不変質という要素がある訳です。

 単に綺麗なら人工的なものでよいのでありそんなに高価である必要性も無いのです。自然の物に自分の都合で手を入れ、更には前提の価値を利用することにより更なる利益を上げようとする行為は本末転倒であり、未来を変えてしまう可能性が多いのです。

 つまり、オリンピックにしても宝石にしても前提を変えてしまう事は本来の意義や価値を無くしてしまうのです。もしドーピングが許されるなら、皆がその薬剤の開発に終始するでしょうし、人間の限界を超えるのですからいずれむしばまれることになるでしょう。

 宝石にしても処理石を本来の宝石の位置に置こうするならば自然の希少石を宝石としてきた意義や意味もやはり失われることになるでしょう。守るべきは扱っている人間たちの利益ではなくて宝石としての意味と価値を守ることが大事なのでしょう。

 そのために業者が退出をせざるを得なくなってもそれこそが自然なのです。皆が皆扱う事を前提にしていたら宝石の価値はさらに落ちていくでしょう。

 よく着けていく場所が無いのでジュエリーが売れにくくなったという言葉を聞きますが、そうではなくて単純に価値があるものであれば身につけていく場所が生まれてくのです。バブルの頃の話をすると時代錯誤を思われるかもしれませんが、現実にその頃は着ける場所があったのではなくジュエリーが最初にありきで、ジュエリーを身につける場所を創り出していった結果なのです。

 ドーピング(処理)はいずれにしても本懐を成就するものではなく、本来の価値を危うくするものであることは間違いが無いようです。
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2016年7月22日金曜日

G.I.A(米国宝石学会)が目指すもの⁉

 GIAは1931年に非営利団体として設立をされていますが、多くの宝石業界の応援を得て設立をされているので非営利団体という名目は必ずしも正しくはないことはその歴史を見ていると容易に理解が出来ます。

 団体自体なのかその中の個人なのかは別にして今までも多くの裁判を抱えている事はよく知られています。日本にも似たような団体が多く乱立し、音字様な問題を起こし社会問題化と業界への不信を招いたことを記憶されている方も多くいると思います。

 今回は世界のGIAが何を目指しているのかというテーマなのですが、それは以前にも書いたことのあるグレーディングレポートについてです。勿論それが絶対的なものであるという前提はないのですから他人がとやかく言う事ではないのかもしれませんが、同じ業界に身を置く者として一言云いたいというきっかけがあったからです。

 HTHP(高温高圧)処理のダイヤモンド等についてですが、これは既に有色なダイヤモンドに対し
て高温高圧をかける事により、無色に近いものにする技術ですが、この事自体は多くの場合絶対的流通量が少なくなってきただダイヤモンド部分を補うためという業者側の理屈が起因している訳ですが、これを牽引しているのが世界でも有数なカッティング技術を持ちその事を売りにしているR社です。

 勿論表立っていると自身のビジネスの障害にもつながるいう前提でしょうがはるか離れた形の子会社によってこの作業は進められています。

 問題なのは天然を前提としているダイヤモンドグレーディングを、GIAはこのHTHP処理のダイヤモンドにまで行い始めたという事です。確かにベースのダイヤモンドは天然かもしれませんが、処理をされたダイヤモンドをグレーディングする事自体が疑問です。(処理の鑑別で十分)

 長い間、日本でも鑑別書は色石に、グレーディングレポートは天然のダイヤモンドが前提として定着をしておりました。しかし、最初は処理したカラーダイヤモンドにグレーディングをし、今度はHTHP処理のダイヤモンドにまでグレーディングをするという暴挙は頭をかしげます。

 つまり、グレードを改変したものをグレーディングするという事は本来の意味から離れるのではないかと考えます、ましてや最近の技術ですから100年後もそのままの状態であるかどうかは保証ができません。勿論彼らは永久に不変とは言っていますが何の保証でもありません。

 現実に色石の処理石は十数年後には変色をきたしているものは例としてあります。このままいくとクラリティーに関しても処理が一部可能になってきていますからグレーディングそのものに意味が無くなってきます。そうなれば信用を前提としている業界ですから根底から覆ります。

 ただでさえ昨今の怪しげな業者の俳諧により業界の信用が薄くなりつつある現状に更なるダメージを与えかねないのではと懸念をしております。

 本来であれば天然の宝石のみの単位でもあるカラットなども人工石に使用してしまう輩が公のネット上でもショッピングサイトで使用したりと、ただでさえモラルがく崩れている業界ですから異業種が行っていると傍観せずにモラルハザードをクリアにしそれを監視する制度があっても良いのではとさえ感じます。本来その役割を任ずるGIAや日本ではJJA(日本ジュエリー協会)が現状の体たらくですから将来が心配です。
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2016年7月21日木曜日

準備⁉

 昨日携帯電話の呼び出し音が何時になく長く鳴り響いており、丁度接客を終わったところで、おっとりと携帯を取り上げるとその先の相手はとある取引先のマネージャーからで
『社長、ご相談があるんですけど今ちょっと良いですか?』
と挨拶もそこそこに本論へ・・・。

 内容は催事が多くなりすぎて企画が追い付かないというか、内容の無い万年企画をやらざるを得ないのだがもうそれでは集客は望めないという事でした。その上で多少のお金はかかっても仕方がないので何か良い企画はないかという内容でした。

 同じような内容の相談はよくあります。先日も本部で企画をどんどん行っていても販売員が集客をしきれないというボヤキも聞きました。しかし、これには私自身も少し反論があり、企画自体が集客をするに価値のある、魅力のある内容であるかどうかという事があります。

 つまり、企画といっても内容が同じような事であると、集客どころかスタッフが頭を下げてお付き合いで来場をしてもらうような内容だとお客様に借りを作っているだけで本来の目的である売り上げには結びつきません。

 これは企画を立てる側、それを実行する側のそれぞれの言い分はあります。しかし、ここで考えなければいけないのは新規の集客が出来る内容になっているかどうかという事が一つのキーポイントになります。

 つまり、同じ規格でも新規の客であれば目新しいものになりますが、同じ顧客であれば企画が多少目新しいもになっても同じようにしか見えません。つまり企画をやる以前にそれを活かすための準備は出来ているのかという事が前述の両社の共通点です。

 収穫の仕方をどんなに工夫をしてみても、種植やその世話ができていなくては収穫の仕方が出来ていても収穫そのものが出来ないのです。

 お客様を育てることは容易ではありません。しかし、これの手を抜いたら売上どころか集客そのものが出来なくなっていきます。以前であればあらゆる部分で宝飾に対する啓蒙や憧れを造ることを各企業や団体が行ってきていました。それを使い果たした現在はせめて次のための準備が必要な時です。

 勿論現実もありますから売り上げも作っていかなければいけません。しかし、準備なければいずれその売り上げの根拠となる集客さえもなくなるのです。

 催事屋さん達は放牧民が如く作物がなくなれば次の作物のあるところに移動をすればよいでだけですが。小売店は自分の畑を守り、作物を作っていかなければいけない移動の出来ない民ですから畑の耕し、種植は欠かせない作業です。

 と以上のような内容の話をし、その観点から企画を考えることが肝要でしょうと前述のマネージャには話し、私なりのアイディアを提案させてもらいました。ただ、必要なのは奇跡の結果ではなく準備なのです。その先に想定外の売り上げも上がるのでしょう。
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2016年7月20日水曜日

ダイヤモンドとドーピング!?

 ここの所ロシアのドーピング問題が取りざたされていますが、何処からがドーピングでどこからが問題なのかがよくわからないところがあります。勿論専門機関が指定した薬物が混入されていたなら問題なのはわかりますが、本当に風邪薬の成分程度で身体能力に明らかな差が出るのかというと疑問です。

 勿論オリンピック等は自然の人間が持った力の競い合いで、その差は才能だったリ努力によって競われその結果の賞賛である訳です。その能力の違いを他のものによって補う事はどこまでなら許されるのかという疑問です。

 例えば筋力の増強剤によって持てる力がどれほどになるのかと言うと見た目は筋力粒々に見えるが力がそれほど大きくなる訳ではないと言われています。つまり、ボディービルダーには向いているけれどウエイトリフティングに向いているのかというとそうではありません。

 但し、物によっては筋力の補佐をする事にもなりますので勿論違法になる訳です。それではどこまでなら許されるのだろうと考えるより、自然の力だけで競うのが一番良いわけでそれが本来の姿なわけです。

 先日の香港の宝石展示会で見かけた物にG.I.A(米国宝石学会)発行のグレーディングレポートを目にしました。違和感がありよく似ているとグレードの後ろにHT/HPの文字が付いています。これはごぞ暗示だと思いますが高温高圧をかける事によりカラーグレードがより無色に近づくというものですが。目を疑いさらには唖然としました。

 勿論以前から指摘をしていますが、トリーテッド(処理)ダイヤモンドに対してファンシーカラーのグレードを付けるといった愚行を既にGIAは行っているのですが今度はHT/HPと末尾には書いていますが、ダイヤモンドをよく知らない人には誤解を招くよう内容です。勿論これは自然の物をグレード評価をするという本来のG.I.A自身を否定する行為でもある訳です。

 今後さらに技術が進化し、HT/HPを掛ける事により、クラリティーの改善が行えるようになったらどうなるのだろう。グレードの意味もないし自然に対する敬愛の念というか宝石本来の価値を否定する事になるのではないかと懸念さえします。

 現在も行き過ぎた色石の処理石に対して、未処理という新たな付加価値が出てきています。つまり行き着くところ自然のままの条件でいかに美しいかが価値として残るのではないかと思っています。G.I.Aの愚行に反し、話は飛躍しますが。オリンピックが同じ条件の元に行われるようにWADA(世界アンチ・ドーピング機関)が眼を光らせているスポーツ界がうらやましいよな気がします。

 本来であればG.I.AそのものがWADAの役割を果たさなければならないのですが、率先して行っている姿は情けない限りです。http://ameblo.jp/diamonrow
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2016年7月18日月曜日

都知事選!?

 都知事選も主要3人を中心に回っている様相で、全員で21人が立候補しているという事ですが他の候補は何のための立候補なのか頭を痛めます。

 勿論それなりの思いがあって立候補だとは思いますが、ポスターは張らず目立った演説もせずに思いが他の人々に届くとは到底思えません。勿論ただメディアが取り上げないだけでどこかでひっそりと行っているのかもしれませんが・・・。

 思いを届けるには言葉、物、パフォーマンスと色々な方法はありますが、今回のそれぞれの立候補の人々にその思いが感じられないのは私だけでしょうか?

 自・公推薦の増田氏にしても段取りが整ったから出てきたという感じだし、彼は以前から都政に関してそれほどの主張をしてきたという印象はありません。勿論宮城県知事や総務大臣を行ってきたので地方自治に詳しい事は解っています。しかし、東京は地方自治レベルのものでもないし、直前までTV等でも都知事の場合それなりの準備が必要でおいそれとは立候補できないと言っていました。

 更に、鳥越氏にしても、参院選の結果が無ければ立候補も考えていなかった人物でなのに参院選の結果立候補する気になったという事ですから都政にはもともとそれほどの関心はなかったはずです。

 小池嬢に関しては、国政での居場所が無かったという事もあるでしょうけれど、支持をしてきた石破何某の自民党での立場が微妙になってきたという事もあるでしょうが、彼女なりにもう一旗あげたいという事でしょう。そういった意味では何らかの実績を上げようとはするのかもしれません。

 ただし、多くの正解OB曰く都議会は化け物だという事です。何故なら、地方議員の立場ながら下手をすると国会議員より力というか立場が強いものが存在をしているという事です。多くは自民党を指しているのでしょう。

 前回の猪瀬氏の時は自民党自身が推薦をしておきながら都知事が自由にならないと、あの舛添何某に対してさえためらった百人委員会をすんなり承認をして猪瀬氏自身を辞職に追いやったという事実もあります。

 舛添氏にしても最後は自分達の立場を考えて糾弾しておりました。公明党もしかりですが・・。

 最近の動きに中で明確になってきたことは都議会の自公のやりたい放題です。今度の都知事選のある意味での答えは都議会に対する都民の疑惑なのかもしれません。今までは地方議会という事もあり、多くの人がそれほど関心を寄せてきていませんでした。一部の興味のある人々だけの温床になっていたのかもしれません。今後はもっと注視をするようにしたいものです。
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2016年7月14日木曜日

付加価値⁉

 今までに工業用、光学用、宝飾用、投資用とダイヤモンドビジネスの殆どに関連してきましたが、ダイヤモンドというものは実利的であったり、実用的な部分の多い素材であるにも拘らず、イメージの最も強い宝飾用にほとんどの思いが一般の方にあってここまで来ました。

 しかし、情緒的付加価値といった意味での価値は宝飾用のダイヤモンドにしかありません。多くの方が感じる付加価値というものは決して大きな存在ではないように感じますが、実は非常に大きいのではないかと感じています。

 歌手の小田和正さんが『作曲するにしても見せるにしても付加価値というものを追求し、創り上げる事を心がけてきた。決して歌をうまく歌おうとか売れる物をと考えてきた訳ではない。』と言っていましたが、実はその彼の創り上げてきたものが実質的な価値を上げ、更には経済的価値を上げてきたことは彼の実績を見ればわかります。

 多くの現実主義者と自らを指し、如何にも仕事本位であると勘違いをしている人々は他人が創り育てた物を食い散らかしているにすぎません。簡単に言うと農家が種を植え世話をし、育てた物を実がなっているからと横から盗み自らの利益を上げている『泥棒』に過ぎない様にも見えます。

 付加価値とは企業や個人の実質的価値原価以外の価値を指すわけですから実質的な利益を指すわけです。つまり開発等も含めた原価が掛かっていなければ安く売ることもできる訳です。

 例えば値引きセールですが、過去創り上げてきた付加価値のプロパープライスを値引きするだけですから楽なものです。人様が作り上げてきた市場に対して後出しジャンケンで勝っているようなものです。

 しかし、最初にジャンケンを出す人がいなかったら後出しをしようが勝ちようがありません。自ら創り上げてきたものを何らかの事情があり、値引きセールをする事は決して後出しではありません。

 現代においては前述の小田和正さんの言葉いあるように安かろうを求めている人は少なくなり、多くの人は付加価値を求めているような気がします。勿論日常品等で内容を知っているものは安く手に入れたいと思うのは人情だし、供給する側も量が出る事を前提に価格の設定が出来るのでその価格自体が適正価格にもなるでしょう。

 一方付加価値に関しても、誰にとって、何処にとって、何時に対してといった状況によりその付加価値性も変わるでしょうから、ある一品を求めていると言って皆が全員同じ付加価値を求めているという事ではありません。

 しかし、現代のそれぞれの分野においては、その付加価値を求めずして物の製作や供給を行おうとしても顧客のニーズには応えることが出来ないでしょう。

 やる時が今だとなると『何をやるのか?』それが今のビジネスにおいて大事だとすれば私は『それは付加価値だ』と答えたい。

 都知事選ではないが今東京においてやるべき政策は誰が都知事になっても変わりません。ただどうやるのかという政策の特徴である付加価値性が決め手になるのではないでしょう。
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2016年7月13日水曜日

ダイヤモンド相場の二重構造⁉

 都知事選も鳥越氏の立候補により混迷というか構造がはっきりとした来た感じはありますが、しかし争点が余計に解りにくくなったような気がします。

 与野党対立さらには与党分裂といった様相ですが、その事が争点なってはいけない様な気がします。もし、鳥越氏が都知事にという事であれば一層の事この8年間都議会を傍聴し続けた宇都宮氏を副都知事に、更には経産省OBの同じく候補に挙げられた古賀氏を参謀に迎えてはどうだろうか?

 その上での立候補であれば勝算は十分にあると言って良いでしょう。何事もダブルスタンダードになる時代ですから、違う目線が多いほど良いのではとも思います。

 ところでダイヤモンドの市場も同じような事が言えているような気がします。単純に言えば海外高で国内安という事ですが、其れならば海外へ輸出をすればとか海外から買いに来るのではという事になります。

 しかし、これはグレードの中だけの事で実際には欲しい物のが無いというのが国内で、欲しい物は海外にあるが高いという事です。

 もし、国内で売りに出すと安い指し値になりますが、引き合いを出すと高い価格になるという相場の二重構造があります。これは国内の状況が良くないという事も前提にあるのでしょうが、現在市場で売れるものとはそれなりの大きさでそれなりの品質のものという事になりますが、実際には国内では品薄であるという事です。

 しかし、需要のないところは安くても売れないという以前の市場では考えられない事が起きている訳です。以前であれば石目とグレードが合い、価格が安ければそれこそ右左でしたが、現在はそのようなわけにはいかないので、結果として売りに出せば安く、買い求めれば高くといった、ダイヤモンドはあるけれど欲しい物が無いという状況になる訳です。

 その結果、国内の価格は安い値段に推移するのですが、海外のような需要のある物は高いとなるのです。実際国内安に引っ張られた価格で海外で買い求めることはできませんからバイヤーも少なくもなるでしょうし、買い付けも難しいという事になるのでしょう。

 いずれにしてもダブルスタンダードというか二重構造というのは現代の現実なのでしょう。白でも黒でもないどちら寄りのグレーをとるかという選択が現実的なのでしょう。
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2016年7月12日火曜日

ダイヤモンド相場⁉

 参院選挙が終わり、色々と結果を見ると新有権者である18,19歳の投票率は45%程度と二人に一人の率さえも割ってしまっているのが嘆かわしいと感じています。世界の若者から見ると政治に無関心なのはわかっていたとはいえ寂しさを感じます。

 自分たちの将来に不安はないのか、もしくはその意味さえ理解をしていないのかと思うとこれからの世代について関心を持つ必要もないのかとさえ思ってしまいます。

 一方、都知事選がいよいよ始まる訳ですが、自民党が出したお達しは『党が公認もしくは推薦をした候補以外の応援等をした者(親族等も含む)は除籍、もしくは罰則の対象とする』と言った驚くような内容でもあります。

 まともな神経の政治家がこれを考え、それが与党であり今回の選挙に勝利したのかと思うと空恐ろしささえ感じます。政治的信条、信教の自由は自由主義社会の根幹でもあります。ましてや(親族等)もという事は自民党員の家族は他の候補者を応援してはいけないのかという事にもなりますから、こんな愚かな人間たちが政治をやっているのだから若者が政治に無関心になっても仕方がないとさえ思ってしまいます。

 現在の資本主義やそれを利用してきた今の政治というものは自由主義を基本としているものでもあります。ここまで進んできた資本主義というものに疑問はありますが、自由主義をベースとした考え方はある意味自分の利益を追求する自由を持っている訳ですから現代のような資本主義が横行することは致し方がないものでもあります。

 ただ、自由主義をベースとした資本主義というものはそのリスクと反動というものも同時に併せ持っています。

 一つの例として資本主義の典型とも思われたダイヤモンドのシンジケートの一方的支配はある意味自由主義の世界では受け入れられずに現在では複数の鉱山会社がダイヤモンドの原石の供給を行っています。その為にダイヤモンドの価格は市場原理にのっとり相場での価格決定が行われるようになりました。

 現在は需要の低い1ct以下のところの価格が弱含みで、以前では考えられない様相を呈しています。また国によってもその強弱は違っています。まさに市場原理ですが、このところ変わった現象も起きています。

 10ctsD,IF等の大粒良質品の価格に下落が見られます。全体が落ちてきたかと言うとそうでもなくVSクラス、SIクラスに関しては依然として強含みというか需要価格となっています。これは行き過ぎた投資的需要が減り価格調整段階に入っている事を意味しているのでしょう。

 一方、実質的需要であるVS,SIクラスに関しては以前価格を維持しているところを考えるとやはり一部の富裕層は積極的購入をしていることも伺せられます。過去では考えられなかったダイヤモンドの相場は間違いなく、自由主義を根幹とした価格形成を行っているという事でしょう。

 成熟し始めたダイヤモンドの相場とは違い、日本の政治の未熟さを解消するためにも若者には今度の都知事選には積極的に参加をしてもらいたいものです。

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ダイヤモンド価格相場
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2016年7月11日月曜日

摩訶不思議とダイヤモンド⁉

 参議院選挙も終わり、昨夜の夜8時から選挙特報なるものが各TV局で流されますが、いつも不思議な事があります。今朝あるTV局のキャスターが言っていました。
『45年TVの仕事に携わっているけれど未だに何故開票と同時に当確が出るのかが摩訶不思議!?』
 私も同意見ですが、出口調査の結果にしてもあれほどの勢いで開票が発表されると裏に何かがあるのではないかとさえ思ってしまいます。

 さらには開票作業が手作業の割には人手を使っているとはいえ何万票という開票が数分後にはできているという事です。

 こんなことを考えていると昔の開票速報の遅さを振り返ると何が変わったんだろうとさえ思います。

 時間という概念は同じ長さでも同じ速さでもないという事は多くの物理学に興味のある人なら知っていますが、100メートル競走の記録や水泳の記録なども道具や環境によって縮められていますがこれらも人間の考え方や進歩によって感覚的なものではなく時間そのものの長さが変わっている事のもあるのでしょう。

 何も選挙速報やオリンピックの記録のようなものではなくても経年劣化や摩耗というものがありますが、その速さも環境により変わってきます。時間というものの概念は人間の思考が生まれた頃からは発生しているのですが時間は過去に流れていっているのか未来に向かっているのかこれも人の概念でしょう。

 よくタイムトラベルなどでも過去への移動は可能であるが未来へはいけないというのが通説ですが、考え方によっては過去は変えることが出来ないが未来は変えることが出来るという事にもなります。それはあくまでも概念ですからの考え方で予想される未来を変えることが出来るという事になるのでしょう。

 時間の事を考えていると普段は計っている時間というものが実は変化があり、頭の思考の中にあることを知ることが出来ます。冒頭の不思議に思う選挙速報にしても思い込んでいる概念を壊していっている過ぎないわけで、決して理解をすると不思議な事でもなんでもない普通の事となっているのでしょう。キャスターにしても私にしても過去を知るがあまりの疑問なのでしょう。

 さらにはその変化の反対側にいるのがダイヤモンドですが変わらないからこそ人々の思考を未来へ運ぶこともできわけで、それは過去を未来へ運ぶという大事な役割を担っていることにもなる訳です。

 変化をしないことの希少性だったり、時間の概念御外にあることを考えるとやはり、ダイヤモンドは摩訶不思議です。
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ダイヤモンドの価格   http//diamond-exchange.jp

2016年7月8日金曜日

選挙⁉

 ここの所選挙年齢も下がり、TVにおいても『18歳の主張』的な特集も多くなってきています。しかし、多くの若者たちは選挙の意味の付いてよく理解が難しい様であります。

 自分の一票ぐらいで何かが変わることは考えにくいと思っている人々も多くいることも事実でしょう。実際にはどうかと言うと今回の英国のEU加盟離脱でもわかるように一つのブームというか波は起きてくると現実には一票に思わぬ意味が出てきます。

 自分がいま発想することは他にも誰か同じように発想する人がいる訳で、実はその『たったの一票』には背景に何百、何千という票が隠れている訳です。

 例えば有名な小泉内閣の『郵政選挙』も当時の自民党に不満を抱いていた人たちの一票がうねりとなって旧体質の国会議員を多く落選させたことは有名です。その副作用として小泉チルドレンなる怪しげな議員が増えたことも事実ですが実際にはかなりの部分に変化を及ぼしました。

 まここ数回の選挙では反自民、反民主なる人々が投じた共産党への投票が日本共産党を躍進させたことも記憶に新しいです。これは共産党への支持というより既存政党への不満という事になるのでしょう。政権を担うほどではないけれど反体制勢力の規模が大きい方が良いと考える人々が投じた一票が実は共産党を躍進させたという事でしょう。

 現実にも共産党というのはまともな事を言っているし、政党助成金ももらってはいないで成り立っているし、以前ほどのイディオロギー全面という事もない。ただ本気で政権を取るつもりもないようで共産党の看板を掛け変えようとはしないというのが時代遅れというかもう一つのところでしょう。

 つまり、意味のない一票というのはないのであり、自分が思っている事は他の人も思っているので行動に起こすと何かが変わるという事を知ってほしいと思います。その上で若者には是非投票に行ってほしいものです。

 先日の展示会でも若いご夫婦とお話しをする機会があったのですが彼らはダイヤモンドの話の中で
 『どうなるかわからない年金をあてにするよりダイヤモンドを少しづつ買い手めていた方が良いかもしれない。』
と御主人が言っていました。ダイヤモンドを商っている立場からするとありがたいのですが私が
 『年金は払っていた方が良いですよ。私が若い頃から将来年金はもらえなくなるという話はありましたが現実に今は周りにもらっている人がいます。』
と言うと
 『でも今後はどうなんですかね?』
と再度訪ねてきたので
 『今後二十年後には現在65歳以上の半分とそれ以外の環境を考えると今財務省が提示している脅しのような一人で何人もの年寄りを支えるなんてことはないでしょう。』
と説明をし、
 昔から大蔵省、財務省とその時のお金が欲しばかりに色々な不安を煽り、税金を少しでも集めようとするのは常套手段です。税金が集まらないと自分たちの存在意義がなくなる訳ですから集めて使うという昔からの方法を変えなくてはならない等々のお話をすると
『なるほど、』
といった様子でしたが本当に変わることは民衆の力でしかありません。

 ぜひ選挙に行って支持政党が無くても良いですから、最低反与党的な気持ちでも良いのです。政府を一人歩きさせないようにすることだけは出来ます。

 投票に行きましょう。

2016年7月1日金曜日

訪問者!?

 一昨日、二人の若いご婦人というか女性が来店をし、こちらの顔を見てニコニコとしており
『こんにちわ、ご無沙汰をしています。』

 一人は以前通っていた寿司屋も娘で小学生の頃から見ており、よくお店の中を覗き込んでは我々客に笑顔を振りまいていたその顔でした。

 もう一人はやはりそのすし屋で知り合った客の娘で今は上海にお嫁に行き、現在は帰省中という事で中国語は勿論ペラペラな少し落ち着いた感じのするキャリアレディーです。

 勿論既に20年が過ぎ、お互いの状況が変わっていても今でもその交流は何らかの形で残っています。特に寿司屋の娘は既に26歳で現在は日本で一番大きなワインの販売店に就職をしており、昨年私がワインエキスパートの資格を取った時に一緒にワインのテースティングの勉強をしていました。

 現在帰省中のもう一方の彼女がおばあさんからもらったダイヤモンドのリフォームを行いたいという事で幼馴染でもある寿司屋の娘に同行をしてもらったと言う事でお店の方には事前に連絡があったという事でした。

 デザインを話していく中で
『おばぁちゃんからもらったダイヤモンドをデザインし直して自分が身につけるという事になるなんて・・・。と思うと何か感動しますね。』
『勿論このダイヤモンドはいずれ貴女の子供、孫へと伝わっていくんだよ。更には中国という違う国との懸け橋にもなっていくかもしれないね。』

  結局ダイアモンドを少し足して、ステーションネックレスと指輪造る事になったのですが、その間にもご主人と連絡を取り合い中国語で話している彼女を見ていると時代の流れと確かに受け継がれていく事実がそこにはあるんだなあ・・と実感をしておりました。

 これこそが宝石店を営んでいる歓びでもあり、瞬間的にではありますが、過去の色々なお店で起きた物語を思い起こしておりました。そしてふと気が付くとお店も10年目に入ったことを思い出し、どれ位の物語がこの店では起きたんだろうと考えていると電話中だった彼女が
『予算オーバーだけど造っていいよ。その代りシャネルのバッグは忘れて・・と言われました』
とにこやかな顔をこちらに向けておりました。

 いつも感じることではありますが、宝石そのものには価値があるものと無いものがありますが、その人のとらえ方によってはこれ以上の価値はないというものなったり、そうでなかったりします。
そのお手伝いをどれくらいできるかというのが宝石店の価値でもある様な気がします。

 話しが終わり、訪問者である彼女たちが帰った時に懐かしさや歓びもそうですが、一番は満足感というものが身体に満ちてくるのを感じていました。幸せな瞬間でもあります。

 さてと次の訪問者はどんな表情で入ってくるのだろうか?

http://ameblo.jp/diamonrow