本日は米国の9月11日、あの忌まわしい事件の13回目の年を迎えます。
日本時間の9月11日には北海道から東京に向かう為に札幌市街から千歳空港に向かう段取りでしたが、未明からのカミナリや豪雨で市内は大騒ぎ、JRも止まり、バスかタクシーという状況の中、バスは満杯ののためにタクシーを選択し、千歳空港へ向かいましたが、フライトは遅延状態で二時間遅れで東京へ向かう事になりました。
しかし、NYのその時は米国出張へ向かう為に準備をしつつ、友人たちと寿司をつまんでいた時にTVを通して目に飛び込んできました。最初はハリウッドか何かのプロモーションか何かと思っていましたが、それが現実にそこで起こっている事を、暫しは理解できずにおりました。
2,3日は渡米禁止という事もあり、1週間後のマンハッタンに立った時には、その異様さを肌で感じることになりました。世界一を誇った貿易センタービルの場所には1ブロック先よりは進めないようになっておりましたが、色々な事を感じさせるだけの異臭が立ち止っている場所まで匂っておりました。
ふと気が付くと黄色い立ち入り禁止のベルトが張られたところにあった小さな公園に小さな男の子を連れた母親らしき婦人が座り込んでいました。声を掛けこの匂いは子供に良くないのではと言うと
『二人で彼の父親を待っているの』
と目に涙を浮かべ、私に答えました。
この事だけではなく、それから数ブロック離れた消防署には沢山の犠牲になった消防隊員の写真とともに
『あなた方は私たちのヒーロー‼』
『あなたたちの生還を待っています』
といったスローガンが掲げられていました。
また、そこから数キロ離れたユニオンステーションには何百名といった写真が張られ、待ち人と人探しといったコーナーを埋め尽くしておりました。
それから間もなくして米国の取引先から夏にもらったオーダーのキャンセルが相次いだ事を鮮明に覚えています。驚いたのはそれからです。
12月に入ると緊急再注文が相次ぎ、てんやわんやな大騒ぎになるのです。
何が起こったのか次回に詳しく述べていと思います。
日本時間の9月11日には北海道から東京に向かう為に札幌市街から千歳空港に向かう段取りでしたが、未明からのカミナリや豪雨で市内は大騒ぎ、JRも止まり、バスかタクシーという状況の中、バスは満杯ののためにタクシーを選択し、千歳空港へ向かいましたが、フライトは遅延状態で二時間遅れで東京へ向かう事になりました。
しかし、NYのその時は米国出張へ向かう為に準備をしつつ、友人たちと寿司をつまんでいた時にTVを通して目に飛び込んできました。最初はハリウッドか何かのプロモーションか何かと思っていましたが、それが現実にそこで起こっている事を、暫しは理解できずにおりました。
2,3日は渡米禁止という事もあり、1週間後のマンハッタンに立った時には、その異様さを肌で感じることになりました。世界一を誇った貿易センタービルの場所には1ブロック先よりは進めないようになっておりましたが、色々な事を感じさせるだけの異臭が立ち止っている場所まで匂っておりました。
ふと気が付くと黄色い立ち入り禁止のベルトが張られたところにあった小さな公園に小さな男の子を連れた母親らしき婦人が座り込んでいました。声を掛けこの匂いは子供に良くないのではと言うと
『二人で彼の父親を待っているの』
と目に涙を浮かべ、私に答えました。
この事だけではなく、それから数ブロック離れた消防署には沢山の犠牲になった消防隊員の写真とともに
『あなた方は私たちのヒーロー‼』
『あなたたちの生還を待っています』
といったスローガンが掲げられていました。
また、そこから数キロ離れたユニオンステーションには何百名といった写真が張られ、待ち人と人探しといったコーナーを埋め尽くしておりました。
それから間もなくして米国の取引先から夏にもらったオーダーのキャンセルが相次いだ事を鮮明に覚えています。驚いたのはそれからです。
12月に入ると緊急再注文が相次ぎ、てんやわんやな大騒ぎになるのです。
何が起こったのか次回に詳しく述べていと思います。
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