間もなくイスラエル旅立つにあたり、昨日イスラエルにTELを入れました。イスラエル軍がパレスチナのガザ地区に地上作戦を展開したとの事で様子をうかがうべく連絡をしたものです。
過去にも多くの空爆等はあったものの地上作戦は珍しいことなので少し気にしての事だったのですが、取引所近くまでロケット弾のターゲットになっているが、ほとんどのロケット弾は事前に落とされているとの事でした。
勿論、過去にもイラクからスカッドミサイル打ち込まれていた時にもイスラエルにはいたことがあるのでそれ程大きな心配をしていたわけではないのですが、今回は子供たちの惨殺が原因という事もあり両者とも譲れないものがあるのだろうと懸念をしたものです。
多くの場合は圧倒的に強いイスラエル側の軍事力の批判が多くなるのですが、イスラエル軍は事前にどこを空爆するか、故に避難せよというコメントを先に出しています。しかし、ハマス側もそこに子供年寄りを集めて攻撃させまいとする行為が被害を大きくしていることも事実です。
イスラエルとしても2000年前の思いがありますから妥協はしません。お互いの意地でもありますが、その結果尊い子供の命を失う事の無念さを感じます。
戦争と平和を考えるのはそんなときですが、このような経験をしていると
『戦争は平和の反意語ではない。戦争がないからといって平和とは限らない』
と以前言った言葉を思い出します。
イスラエルにこの瞬間がなければ、日本よりはるかに平和な国だと思うし、戦争がなくても諸問題を抱えた日本は本当に平和なのかと考えもします。昨今の集団的自衛権の問題もありますが軍隊を持っていても平和な国はいくらでもあります。しかし、軍隊がないために国を追いやられ不幸になっている人々も多く見てきました。
イスラエルに縁があるから言うわけではなく、彼らも平和を望み年に一度イスラエル人とパレスチナ人のNPOがテルアビブで集会を開き平和について話し合っていることも事実で、その際にパレスチナ人が危険を感じることはほとんどないと言えます。今の日本人が隣国を訪れる方が危険を感じるかもしれません。
どれくらいの日本人が今、平和や幸福を感じて生活をしているのでしょうか?
世界で起きていることは現実で、今起きていないことが将来起きないという保証もありません。勿論戦争には反対です。しかし、戦争をしている人々の中のどれくらいが戦争を望んでいるでしょうか?多くの人が望んでいるとは思いません。
もし、将来の平和と幸福が望みなら、その準備が必要です。それが軍備なのかコミュニケーションなのかはわかりません。しかし、準備は必要だと考えます。
ビジネスでもなんでもそうだと思います。結果を望むなら準備が必要です。準備をせずに結果を望むことは靴を履かずに富士山に登るようなものです。何万回に一人は成功するかもしれませんがほとんど望み薄です。
今イスラエルを理解しようとしているわけではありません。しかし、ユダヤ人は世界で最も親日な人々であることは知っていてもらいたいと思います。
国でも団体でも個人でも、必要なことは
『自らの存在を意識するより、多の存在を認めることが自らの存在意義』
だと考えます。相手を認める勇気が輪を作り、世の中を平和にするのだと思います。
しかし、人間は性善説だけでは解決できないものを持っています。だからこそ準備が必要なのです。
過去にも多くの空爆等はあったものの地上作戦は珍しいことなので少し気にしての事だったのですが、取引所近くまでロケット弾のターゲットになっているが、ほとんどのロケット弾は事前に落とされているとの事でした。
勿論、過去にもイラクからスカッドミサイル打ち込まれていた時にもイスラエルにはいたことがあるのでそれ程大きな心配をしていたわけではないのですが、今回は子供たちの惨殺が原因という事もあり両者とも譲れないものがあるのだろうと懸念をしたものです。
多くの場合は圧倒的に強いイスラエル側の軍事力の批判が多くなるのですが、イスラエル軍は事前にどこを空爆するか、故に避難せよというコメントを先に出しています。しかし、ハマス側もそこに子供年寄りを集めて攻撃させまいとする行為が被害を大きくしていることも事実です。
イスラエルとしても2000年前の思いがありますから妥協はしません。お互いの意地でもありますが、その結果尊い子供の命を失う事の無念さを感じます。
戦争と平和を考えるのはそんなときですが、このような経験をしていると
『戦争は平和の反意語ではない。戦争がないからといって平和とは限らない』
と以前言った言葉を思い出します。
イスラエルにこの瞬間がなければ、日本よりはるかに平和な国だと思うし、戦争がなくても諸問題を抱えた日本は本当に平和なのかと考えもします。昨今の集団的自衛権の問題もありますが軍隊を持っていても平和な国はいくらでもあります。しかし、軍隊がないために国を追いやられ不幸になっている人々も多く見てきました。
イスラエルに縁があるから言うわけではなく、彼らも平和を望み年に一度イスラエル人とパレスチナ人のNPOがテルアビブで集会を開き平和について話し合っていることも事実で、その際にパレスチナ人が危険を感じることはほとんどないと言えます。今の日本人が隣国を訪れる方が危険を感じるかもしれません。
どれくらいの日本人が今、平和や幸福を感じて生活をしているのでしょうか?
世界で起きていることは現実で、今起きていないことが将来起きないという保証もありません。勿論戦争には反対です。しかし、戦争をしている人々の中のどれくらいが戦争を望んでいるでしょうか?多くの人が望んでいるとは思いません。
もし、将来の平和と幸福が望みなら、その準備が必要です。それが軍備なのかコミュニケーションなのかはわかりません。しかし、準備は必要だと考えます。
ビジネスでもなんでもそうだと思います。結果を望むなら準備が必要です。準備をせずに結果を望むことは靴を履かずに富士山に登るようなものです。何万回に一人は成功するかもしれませんがほとんど望み薄です。
今イスラエルを理解しようとしているわけではありません。しかし、ユダヤ人は世界で最も親日な人々であることは知っていてもらいたいと思います。
国でも団体でも個人でも、必要なことは
『自らの存在を意識するより、多の存在を認めることが自らの存在意義』
だと考えます。相手を認める勇気が輪を作り、世の中を平和にするのだと思います。
しかし、人間は性善説だけでは解決できないものを持っています。だからこそ準備が必要なのです。
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