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2014年7月31日木曜日

興味⁉

 今週も大阪でセミナーを行うにあたり参加される方から事前の質問として『ダイヤモンドのタイプについて知りたい』旨のご連絡があり、今回の内容にも盛り込まれていますと回答をしました。

 問題はこのタイプという事についてどのような活用を望むのかという事に私自身も興味があります。

 単純にType1には窒素が含まれており、Type2には窒素が含まれておりません。その上で窒素はダイヤモンドのカラーのD~Zの色の主要素であるという事を説明できれば一応プロとしては最低限の知識を持ち合わせたことになりますので、私自身はここまで知っていればよいのかなとも思います。

 ただし、この質問に関してはダイヤモンド等に興味のある消費者は既に知っている事でもありますし、ダイヤモンドの知識の一つという事になるのですが本来販売につなげてほしい内容というのはType2の存在意義についてです。

 つまり、何故ダイヤモンドは高いのか?何故ダイヤモンドは財産的価値を持つのかという事を説明するうえではもってこいの内容になるからです。全体の2%未満しか存在しないType2 はその希少性、又その中のType2bに存在するブルー等はさらにType2全体の1.8%未満しか存在しないとさせています。

 ダイヤモンドそのものの存在自体の希少性がある訳ですからダイヤモンドを説明するうえでは欠かせない内容だと思います。最近では主鑑定機関のソーティングにもその件は記載されています。

 あとはプロとしてどれくらい興味を持つかで販売に役に立つ、立たないが決まるのだとも思いますが、もちろん知らなくても事すむかもしれません。しかし、マーケットは確実に変わってきています。今後の販売に対してはプロの意識がより必要になるのでしょう。

 売り手自身がジュエリーに興味がなく、その場の価格だけで売りこまれる消費者は犠牲者とも言えます。プロとしての意識は売る姿勢は勿論の事、商品知識への興味だと考えます。

 セミナーを各地でやらさせて頂いて感じることは以前は宝飾品を扱う事はプロそのものの意識を持った方が多かったように思います。なぜなら、当たり前のことですが高額商品なのでトラブルが起きることは最大限避けなければいけない事ですから、絶対的知識が必要である訳です。その上ので販売哲学ですから、知識がなくては販売哲学も何もありません。

 お客様に興味を持ち、商品興味をに持ち、販売する事への興味と責任感じることが出来ればもう少しこの業界は発展することになるのではないでしょうか。

 扱うジュエリーにプロとしての興味を持ち、販売する事に細心の興味を持つことは自信を守ります。これは自身の経験だけではなく、多くのプロの方達から聞いた声です。最低限プロの意識を持った方が業界の10%にでもなれば業界自体の変わると考えます。

 今週末行われるセミナーではプロ意識の高い方たちが大勢参加されると聞いております。大変興味がわいております。

2014年7月29日火曜日

価値の本質⁉

 先週販売員の方たち向けのセミナーをおこない、今後のダイヤモンドの販売方法を含めダイヤモンドの価値についてお話をさせて頂きました。
その中での質問ですが
『先生がもし一般の消費者にお勧めをするとしたらどの部分を強調されますか?』
と問われ
『具体的な消費者像が見えない状態では難しいですが、基本的には大きさをお勧めします。』
と答えました。

 勿論、基本的には美観を損なわないという条件の基においては大きさであることは相当ですが個別の価値感という事もあります。つまり、小さくても品質の良いものをという考えは決して否定するものではありません。

 なぜなら、これは価値感であって価値ではありませんから何とも言えないわけです。価値観とは環境や経験により違いがあっても仕方のないものですが、価値とはそれを超越した絶対的なものを差します。

 価値観というのは変わっていくものですが、価値というのは普遍的なものですから、話していく中で価値観を共有できれば価値を説明するという意味では『大きさ』という事になる訳です。

 極端に言うと溺れそうな人にどんなにすばらしい絵画を差しだしても、一本のロープの価値にはかなわないわけで、これが環境による価値感になる訳ですが、これらの環境が違うものを前提とした価値とダイヤモンドの価値を基本的に違うものであることを理解していただきたいのです。

 暴論に近くなるかもしれませんが、あえて本質という事でいえば『小さくても、品質の良いもの』という事は『人間性は別にしても外見が素敵な方が良い』という考え方に近いわけです。考え方に差はあるかもしれませんが人間の価値は外見ではなく人間性と考える方が本質と私は考えます。

 これがファッションモデルといった特殊環境になれば勿論人間性より外見という事になる訳ですが、あくまでも一般的にと考えた場合です。

 ジュエリーも同じでデザインや造りに価値観を感じる方には素材が小さくても問題はないでしょうが、それらが難しい方達にはやはり、素材の大きさを勧めることが常道かなとも思います。

 ジュエリーのデザインにおいては個々の好みですからあえて言及はしませんが造りに関しては基本的にものですからこれらは価値のアドバイスの前提になると思います。

 つまり、大きな宝石やダイヤモンド以外は意識的に誤解をさせようと思えば出来ることですが、販売側の話し方によっては誤解を招きかねない言い方もある訳です。その為に起きるトラブルも多く耳にします。

 本来の価値が低いものを価値があるように説明をする事と本来の価値を説明することは基本的に違いますから販売側の基本的に姿勢次第という事になるのでしょう。

 言葉を選ばずに言えば、販売側の説明でいかに価値があるかを説明したうえで大きな値引きをすることは価値の低いもの如何に価値があるかのよう見せているだけですから、これも販売する側の姿勢なわけですから、長くは続かないことは理解が出来る事ではないでしょうか。

 過去、一世を風靡し今はあまり耳にしなくなった呉服系の販売は殆どがこのような形態だったような記憶があります。折角創った名声を一挙に失ったようにおもいます。

 それぞれの価値観はどうこう言うものではありませんが、物の実質的価値を説明することはプロとして当たり前のことです。宝飾品には実質的価値と価値観が混在していることを十分に理解し消費者に誤解を与えないようにしなければならないでしょう。

 宝飾品の価値は実質お客様が払った金額であり、元々ついていたプライス上代ではないのですから説明にまやかしがあってはいけないのです。

ダイヤモンドの価格の値動き⁉

 ここ数年ダイヤモンドの価格の値動きは大粒を中心に動いてきましたが、ここ数か月においてはむしろ0.3ct~0.5ctの価格の上昇がみられます。以前にも書きましたがこの辺の値動きは経済状況によりますので目立った上昇は見られないものなのですが、中国の影響もあり、ここ数か月は1%前後の上昇がみられます。

 国内的にもリサイクル供給が一段落したせいか価格に落ち着きが戻ってきました。全体的には国内状況としては小粒石のところは将来的に需要が大きく伸びることは考えにくいのですが、海外の需要が価格全体を引っ張っています。

 大粒に関しては全体的に落ち着きを取り戻したというよりは全体的に供給する側の品物が薄くなってきたという事と現時点ではサマーバケーションの前という事もあり供給は一休みといったところでしょう。

 現状、国内需要に関しては決して悪い状況ではないので秋から冬にかけての需要が増すことも考えられることと欧米のクリスマスシーズンに入ることも考えると価格はやや強含みになるでしょう。

 また、年末にかけては現在の高額帯市場が活発化する事も考えられるので高額帯の品不足はより一層強まり、需要に供給がついていけない状態になり、品物の確保がより難しくなるでしょう。つまり、品物を手に入れたところの一人勝ち的な要素がより一層強まるような気がします。

 一見、この状況だけをみれば市場は良さそうに見えますが、一般的市場は現状の売り方をしている限りは難しい状況に益々はまっていくことが考えられます。購入可能な方はまだまだいらっしゃると思いますが、価値を見出してもらうような売り方をしない限りは市場としても先細りになることは間違いがありません。

 ダイヤモンドという商品は大粒、小粒によって意味も価値も違いますが、そこに存在し、販売側のスタイルにより価値を減らしめることもできます。しかし、風は明らかに追い風ですからどのように対処するかにより今後の売り上げも決まるでしょう。

また、その売り方次第では今後のダイヤモンドの値動きに大きな影響を与えると思います。日本のマーケットにはそれぐらいの影響力がまだまだ残っています。

 現状、まだ世界大3位のダイヤモンド消費国であること忘れないでください。売り方が正しければまだまだ売れることは現状が示しています。今不参加の方達の参加をお待ちしています。

2014年7月25日金曜日

きっかけ!?

 昨夜はお取引先のスタッフとそこのお客様のパ^ティーに参加をさせていただきました。ビジネス抜きということもあり、50名を超える集まりとなり、楽しい夜を過ごさせてもらいました。

 結論から言うと、お客様同士の出会いのきっかけになり、展示会等での待ち合わせのお約束だったり、スタッフの知らないお客様の素顔を見たり、またその逆など普段努力をしても出会いのないきっかけがあったようです。

 また、中には宝石談義をしながらお互いのジュエリーを褒め称えたりとスタッフお客様を超えて話に花を咲かせておりました。今回は担当スタッフ,お客様関係なくシャッフルをしながら楽しんでいましたので展示会等での再会を楽しみにしているようでした。

 物事にはきっかけというものがありますが、明日より予定をしていたイスラエル行を断念することになりました。イスラエルとはハマスの争いが激化をしており、ほとんどの航空便がキャンセルとなったためです。

 最初はハマスのイスラエル人少年たちの惨殺がきっかけでしたが、今では報復合戦で800人を超える死者が出ております。いつも考えることはきっかけとは意図的なものと無意識のものがあるとはいえ、小さなことが想像のつかない大きなことを引き起こすことがあります。

 冒頭の小さなきっかけが大きな結果となってくる事を願うことは言うまでもありませんが意図的にできるきっかけは積極的に行い、もっと大きな成果を上げることを常に望むことはあらゆる明日につながることになるのでしょう。

 しかし、無意識に引き起こした小さなきっかけは取り返しのつかない大きな事件になることがあることも忘れてはいけません。

 きっかけはあらゆるところに存在しますが、それが良い結果を現すかどうかはその状況次第ですが、 自身がダイヤモンドのビジネスに入ったのもちょっとしたきっかけでした。まさか其の後の本業になるとは考えてもみませんでした。

 『きっかけ』により色々なことが起きるんだなぁと考えることが続いています。そしてそんなことは日常いつでも起きています。きっかけを良い方向に意識的に考えたいものです。
 

2014年7月23日水曜日

気遣い!?

 早朝の羽田空港でちょっとした感動をしました。札幌でのセミナーの為に旅立つ前に朝のお勤めをと、トイレに向かいドアを閉め、腰かけたところびっくりしました。

 便座に腰かけるとともに水の流れる音がしたんです。このことは知っておりましたがまさかこんなところにまでとは・・・。そして目の前に目をやると着替え用の敷板が置いてあるじゃあないですか。
 
今まで色々な国へ行ってきましたがトランジットや深夜到着便等で着替え等をしたいときに床などが汚れていていつもおっかなびっくりでした。

 日本のこの心遣いは世界に類を見ないもので、先日ワールドカップで日本のサポーターがゴミ拾いをしていて世界を驚嘆させていましたが、日本のこの心遣いはどこから来るのでしょうか?

 翻って、われわれ業界をはじめ小売りに携わっている人々はどうなのかなとかも考えてしましました。利害の発生しないところでは発揮できる特徴が利害が発生した時ほど行わなければならない時にこれができているのかどうか。

 ちょっと考えるきっかけになりました。

ただ、男性のトイレに音消しのサウンドがいるのかどうかは疑問ですが。
 

2014年7月22日火曜日

オリジナリティー⁉

 誰もが最初に何かを行おうとしたときに反対をする人が必ず出てきますが、ジュエリーの関してはオリジナリティーに関しては結果が答えで出ますのでわかりやすいとも言えます。

 しかし、改革や変革をしようとオリジナリティーを出すことは勇気がいります。なぜなら答えを出すことが容易ではないからです。答えが出るまでは異論が戦わされるわけですから。

 ここで過去の経験からの一言ですが
『オリジナリティーは文化進化を生み出しますが、文化進化はオリジナリティーを持たないものに墓場に葬り去られる』

 つまり、変革を望まない人々は何処にもいますが、その人々さえ変化をせざるを得ないのが生きていくという事です。以前書きましたが鮭の一生を見ているとリスクを求めて回遊に出ているように思うわけですが、実際にはこの一連がなければ鮭はいづれ滅びていくわけです。

 たまたま、鮭の話を出しましたが人類と言わず生物の進化には常にリスクとオリジナリティーが必要だった訳で、これからもその必然性は変わらないわけです。

 つまり、日常の中でも内側からか外側からかは別にして何らかの影響を受けながら変化進化をせざるを得ないのです。それならば自らが進んで受けていくリスクの方が身に付くし、結果も早く出るし、好結果が出せる可能性が高くなるわけです。

 オリジナリティーや変化を求めようとする人々を非難をしてはいけません。むしろそっとで良いから後押しをすべきなのです。自らに創造性のない人はいませんが残念がらそこには差があります。であればオリジナリティーの豊かな人々を応援することが最善の策なのです。

 地球はオリジナリティーによって進化を続けてきました。今後もそれは変わらないでしょうし、それが必然なのです。そして、最初にオリジナリティーを出したのがダイヤモンドであり、進化した最終形なのです。オリジナリティーの繰り返しによりに最終価値が出来上がります。

 オリジナリティーを妨げることは結果を出すことを妨げる事にもなるかもしてません。勿論オリジナリティーとは暴論を差しているわけではありません。多くの人はオリジナリティーを理解しています。ただ行動する勇気がないだけであり、暴論とは誰しもが納得しないものです。

 ダイヤモンドは唯一地球の最初と最後を経験することのできる物質で、我々はその過程にいます。私たちは最高の価値を扱っているわけですから、あとは我々のオリジナリティーだけなのです。進化しなければなりません。歴史は留まることを許してはくれません。

条件と価値⁉

 先週末、お二方のお客様がご来店になり、一方のお客様がお持ちになったペンダントをもう一方のお客様にお見せになっておりました。

 以前お店でお会いになり、お造りになったペンダントがいかに気に入っているかを説明していたためにもう一方のお客様がそれを是非見せてくださいという事になりこの状況になったものです。

 『すごいの一言ですね。こんなジュエリーは見たことがない。ザ・ジュエリーという感じですね』
驚嘆とともにこれ以上の賛美はないのではないかというほどの驚き様でした。

 5ctのダイヤモンドを真中に周囲に七宝を施したペンダントは4.5cmほどの直径の円形のものでそれこそアンティークジュエリーのような趣があり、美術館にあってもおかしくないようなできばえではありました。

 宝石の条件として美観性、希少性、耐久性、携帯性、換金性の話はよくしますが、このことを理解し、お客様に説明でき、いかに納得いただくかが販売員の実力によるところが大きいのですが、素材だけの価値を説明するだけでもかなりの実力を必要とするものなのかもしれません。

 例えば、ダイヤモンドの4Cが説明できたとしても、それは美観性の説明にすぎません。ましてや美しさに関しては説明されなくてもお客様は解っているわけです。つまり、宝石というのは価値そのもの代名詞なのですから条件の其々を丁寧に説明ができ、お客様が納得をいけば、あとはお客様の懐具合という事になる訳です。

 その上で、ジュエリーになるべくしてマウンティングが施されるわけですが、その造りであっても見た目においてはお客さん自身がご理解いただけるものですから、その裏付けとなる造りのご説明ができるかどうかがカギになる訳です。

 ジュリーは単なるハード面だけでは勿論ありません。そこにはソフトの裏付けがあることにより、一層お客様の心に響くものが出来るのだと思います。

 『ストーリーが優先されるものがジュエリーであり、価格が優先されるものは単なる商品である』
と以前書いたことがありますが、宝石に物語を付け加えることによりジュエリーは完成されますがその物語に嘘やまやかしがあっては、せっかくの宝石に傷がつきます。

 言葉を付け加えなくても物語を感じてもらえるようなジュエリーをいつも心掛けたいと思っているときに冒頭のような状況はとてもうれしく感じ、宝飾商としての冥利に尽きる訳です。

 宝石を扱う人に考えてほしいことは、
『心のないジュエリーは他の商品にとってかわられるという事です』

 売り手の思いやりをお客様にいくら差し伸べても、ジュエリーそのものに心がなければ長くは続きません。つまり、お客様自身が心に響いたものでなければ、お付き合いだけになってしまいます。
極端な言い方をすれば販売員を仮に嫌っていてもお客さもの琴線に触れたジュエリーは売れるのだと思います。

 価値とはある種、顧客が求める条件を満たすことにあるのであって、その中にあって値引きということは条件として入っていないという事を知ってもらいたいと思うのです。
『中には値引きをしなければ買わないというお客様もいますから』
という担当者の話をよく聞きます。

 それは単に販売側を下に見ているだけで、ある意味価値とは販売側のレベルで決まる訳ですからその穴埋めをさせられているだけですから、もっと努力をするべきなのでしょう。

 値引きというのは条件でも価値でもなく、単なる着火剤みたいのものですから、それがあまりにも大きすぎると危険を感じるのは誰しも同じだと思います。

 ちなみに冒頭の家が一軒買えそうなジュエリーに関してはお母さまの形見に身に付ける方法を問われて、普段では受けない七宝の特注を受けたものですが
『これで普段身に付けておくこともできます。タンスの肥やしにならなくて済みますし、何よりもオリジナルだという事が気に入っています』
と言ってくれたことにこちらが感謝をした次第です。

 価値とは受け手の条件を満たすという事なのですが、宝石はそのものが価値を表しているのです。

 

2014年7月19日土曜日

戦争と平和⁉

 間もなくイスラエル旅立つにあたり、昨日イスラエルにTELを入れました。イスラエル軍がパレスチナのガザ地区に地上作戦を展開したとの事で様子をうかがうべく連絡をしたものです。

 過去にも多くの空爆等はあったものの地上作戦は珍しいことなので少し気にしての事だったのですが、取引所近くまでロケット弾のターゲットになっているが、ほとんどのロケット弾は事前に落とされているとの事でした。

 勿論、過去にもイラクからスカッドミサイル打ち込まれていた時にもイスラエルにはいたことがあるのでそれ程大きな心配をしていたわけではないのですが、今回は子供たちの惨殺が原因という事もあり両者とも譲れないものがあるのだろうと懸念をしたものです。

 多くの場合は圧倒的に強いイスラエル側の軍事力の批判が多くなるのですが、イスラエル軍は事前にどこを空爆するか、故に避難せよというコメントを先に出しています。しかし、ハマス側もそこに子供年寄りを集めて攻撃させまいとする行為が被害を大きくしていることも事実です。

 イスラエルとしても2000年前の思いがありますから妥協はしません。お互いの意地でもありますが、その結果尊い子供の命を失う事の無念さを感じます。

 戦争と平和を考えるのはそんなときですが、このような経験をしていると

『戦争は平和の反意語ではない。戦争がないからといって平和とは限らない』
と以前言った言葉を思い出します。

 イスラエルにこの瞬間がなければ、日本よりはるかに平和な国だと思うし、戦争がなくても諸問題を抱えた日本は本当に平和なのかと考えもします。昨今の集団的自衛権の問題もありますが軍隊を持っていても平和な国はいくらでもあります。しかし、軍隊がないために国を追いやられ不幸になっている人々も多く見てきました。

 イスラエルに縁があるから言うわけではなく、彼らも平和を望み年に一度イスラエル人とパレスチナ人のNPOがテルアビブで集会を開き平和について話し合っていることも事実で、その際にパレスチナ人が危険を感じることはほとんどないと言えます。今の日本人が隣国を訪れる方が危険を感じるかもしれません。

 どれくらいの日本人が今、平和や幸福を感じて生活をしているのでしょうか?
世界で起きていることは現実で、今起きていないことが将来起きないという保証もありません。勿論戦争には反対です。しかし、戦争をしている人々の中のどれくらいが戦争を望んでいるでしょうか?多くの人が望んでいるとは思いません。

 もし、将来の平和と幸福が望みなら、その準備が必要です。それが軍備なのかコミュニケーションなのかはわかりません。しかし、準備は必要だと考えます。

 ビジネスでもなんでもそうだと思います。結果を望むなら準備が必要です。準備をせずに結果を望むことは靴を履かずに富士山に登るようなものです。何万回に一人は成功するかもしれませんがほとんど望み薄です。

 今イスラエルを理解しようとしているわけではありません。しかし、ユダヤ人は世界で最も親日な人々であることは知っていてもらいたいと思います。

 国でも団体でも個人でも、必要なことは
『自らの存在を意識するより、多の存在を認めることが自らの存在意義』
だと考えます。相手を認める勇気が輪を作り、世の中を平和にするのだと思います。
しかし、人間は性善説だけでは解決できないものを持っています。だからこそ準備が必要なのです。
 

2014年7月18日金曜日

本分と本懐⁉

 今朝、TVを見ているとさる牛丼チェーンが『プレミアム牛丼』を出すというニュースが流れておりました。中身は90円ほど値上げをして材料を変えていくという旨でした。

 私が首をかしげたのはそこの社長のインタビューで
『今後はおいしさを追求していきます』
と述べられていたことです。

 食べ物屋さんの本分はおいしさを追求することではないのかと不思議に思ったわけです。もしかしたら多少不味くても価格対応ができればと考えたのかもしれません。しかし、そこには限界があるので、本来のおいしさの追及にしようと思ったのかもしれません。

 勿論そういう需要もあるのですから、それはそれなのですがその本人から『今後はおいしさを追及していく』といわれるとお客目線で行くと、どう映るのだろうと思う反面、世の中が要求していることは品質ではなく価格なのかもしれないと思わないこともないです。

 ファストファッションなども言葉としてはカッコよく聞こえますが、要は粗悪品(失礼)であることには違いがないし、着ている姿を見て決してセンスが良いとは思えません。つまり、見栄えにはデザインだけではなく素材も入っているわけですから。

 それぞれのファストファッションのオーナーたちのほとんどはハイクラスのブランドのものかオーダーメードのファッションを身に付けていることが多いのは何故でしょうね。

 本分とはその業においてすべき事で、本懐とはその業において望むものという事になる訳ですが冒頭の発言等を見ていても食べ物屋さんにおいてもファストファッション業界においても本懐はお金儲けであり、本分に関しては少し横においてきたのですがやはり今後は本分なくしては本懐もないと考え始めてのでしょうか。

 私の友人に、ダイヤモンドのプリンセスカットを考案した人間がいます。すでに過去の人となったのですが私より一つ下でした。彼に一度尋ねたことがありました
『なぜ、プリンセスカットの特許を取らなかったの?』

彼は言いました
『私は研磨工ですから、考案したカットが認められて、それによりダイヤモンド業界が発展し、皆が利益を上げることが出来たらそれで満足だよ』

 彼はいつでもニコニコとした笑顔で皆を見つめている事が多かったのですが、今朝にTVを見ていて本分が横におかれても平気な世の中になってきたのかなぁ・・と感じるとともに本懐を優先するがあまり、本分を少しはき違えられてきているような気がします。

 企業としては利益を上げなければいけませんが、本懐そして本分の上にそれが成り立っていかなければ、その業は退場をせざるをえなくなってしまうのではないでしょうか。

 私は第一に本懐があり、その上で本分を全うするような人がすきです。

 研磨工の名前は『モティ・イスラエル』私の友人であり家族でした。彼がなくなって十年の歳月が流れようとしています。彼を思い出すきっかけになった前述の社長の発言には感謝をすべきなのでしょうね。

 勿論、我々の業界にも言える事でしょうけれど、本懐と本分を考えてみてください。

2014年7月17日木曜日

聖パウロの言葉⁉

 私の好きな言葉で
暗いと不平を言うよりも、進んで明かりを付けましょう
という言葉があります。これは聖パウロの言葉です。

 いつの時代にも他のせいにして物事が解決を出来ないことが良くあります。目の前にある自分にとっての問題は自分が解決を出来る事なのですが・・・。

 私は立場がらかもしれませんが、よく経営者に方たちに社員やスタッフの相談をされることがあるのですがよく使う言葉に
結果を求めるのであればそれなりの対価を払わなければいけないのでは・・・。』
という事があります。

 しかし、それは同時に働いている人たちにも言える事なのですが、目の前に解決できる手段があっても、何もせず不満や問題点の話をしているだけの人々もいます。また、解決をしようとしている人に手を差し伸べることをしない人も多くいます。ところがそれは自らの問題も解決してくれる事であることに気が付いていないのです。

 多くの企業のコンサルタントもさせて頂いたこともありますが、何時も営業会議に出席をさせて頂いて不思議に思う事は『なぜ、売れなかったか?』という事に終始することです。『どのようにして売ろうか?』という事を解決することが本来の目的であるはずなのにです。

 他人が意見を出しても『理想ではそうですが、現実には難しいですよね』という意見です。これは正にそうであるのですが、理想なり総論に反対がないのなら如何にしてその理想や総論に沿ったことが行えるかを考えることが問題を解決する唯一方法なのです。

 勿論、
『どう売るかだけではなく、なぜ売れないか』
という事を解決することも同時に必要な事ですが、売れない説明を長々とするほどの時間を費やしてはいけないとも思います。

 一昨日、たまにこのブログに登場していただいている女性の建築士の方が
『一流のハウスメーカーは建物の材料自体が純正物を使っているので、リフォームはそのメーカーに頼まなければ出来ないようになっている』
と言っておりました。

 それは人口が減り、やがて新築建築が減ってくるであろうことを想定し、生活形態が変わり親の家を子供たちが引き継ぐことを考え、リフォームというマーケットがやがて主流を占めるという事を前提としての事だという事です。
 

 次を見据えて問題点をハウスメーカーはリフォームというところに目を向けているのだと言っておりました。将来を考えて、いずれ出てくるであろう問題点を事前に解決をすることを目指すという事はそれなりの勇気がいることですが、自らしかその問題点は解決ができません。

 問題点が明確であれば準備ができます。準備ができなければ問題点も解決はしません。問題点に気が付いているのであれば自らが解決する方法を行う事です。

 報酬を得たいなら、それなりの行動を、結果を得たいなら、それなりの対価を払らはなければなりません。
 今回、書いてことはダイヤモンドの考え方に当てはまっていることで、ダイヤモンドとは払った対価の結果だけが出ます。もちろんダイヤモンドだけではありませんが・・・。

 感性の品物は値引いてもらおうが、髙く買おうが、買った金額がそのものの価値なのです。そして売り手はその金額の正当性を貫くだけの行動が必要で、購入側の消費者も値切ればその価値しかないことを理解すべきなのではないでしょうか?

 つまり、行っただけの結果が出るのが当たり前のことで、何もしなければ運が良くない限り、何も起きないし、何も解決はしません。今まで何回か書いた言葉ですが
『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』
という事です。

 今日が悪いのは昨日の過ごし方、明日を良い日にしたければ今日をその様に過ごせばよいだけです。

『進んで明かりを付けましょう』
 
 
 

2014年7月15日火曜日

人を結ぶもの⁉

  2004年秋、アメリカ合衆国コネチカット州グリニッジの駅に降り立ちました。マンハッタンから小一時間ほどのベッドタウンで多くの通勤客がこの駅からマンハッタンに向かっています。イスラエルからニューヨークに寄り、知人と待ち合わせをし、この駅におり立ったのです。

 この知人は日本でサービス業の派遣を行っており、この夏に話題になった本を片手にこの地を訪れることを切望していたのです。結果ニューヨークを訪れる予定だった私に付き合ってほしいとの事でした。

 話題になった本とはタイトルは忘れましたが『小売業とは?』といった内容の本でした。そこにはここでのサービスが話題を呼びニューヨークタイムスにも紹介されたとなっていたのです。その内容とはこの紳士服を取り扱うお店がお得意様からひと月前ほどに注文を受けたものをマンハッタンのオフィスに届けたところ、注文したものは紺のカシミヤのコートでしたが手元に届いたものは同形の黒のものでした。

 その顧客は三日後にはヨーロッパに向かいその時に身に付けていく予定のものだったそうです。そのミスに気付いた店主は深くお詫びをして必ず渡欧には間に合わせますという事でその場を収め、直ちに手配を行い、何とか間に合わせたという事でした。

 その内容とは普段使っている下請けだけではなくお金に糸目を付けず、あらゆるところに手配をし、出発の日の午前中に仕上げ、それをヘリコプターを使って届けたという内容でした。一般的な米国のお店だと間違ってしまい、出来なかったので仕方がないでしょうという事になるので話題になったのでしょう。

 駅から数十メートルのところにこの店はありました。お店と言っても規模は大きく1フロア200坪ほどで2フロアを店舗としていました。このお店を訪れ店員にその旨を告げると、たまたまオーナーがいるので会ってみたらどうですかと勧められました。

 しばらくすると、二階から白髪の紳士が笑顔いっぱいに降りてきて握手を求めてきました。内容を説明すると
『実は、20年ほど前に日本を訪れて百貨店に行ったときに(Mazal)という文字を目にしてその売場に近づくとダイヤモンドの売り場でした。ユダヤ人である私にはちょっとうれしいことでしたので、思わず家内に安いものでしたが購入を決め、帰国の日の午前中にはサイズ直しが上がるという事でした。当日、取りに行ってみると、なんとサイズが違っていたのです。しかたなく諦めようとしたのです・・。』
彼の話は続き
 『何時のフライトですか?』と販売員に問われるままに
『私のフライトは午後5時、もう6時間もないからやむ得ない』と彼がいうと
 『何とか間に合わせます』と販売員が言って、
その後、その販売員は見事それを実行してくれたそうです。

 『つまり、日本で学んだ感激と経験を今の仕事に生かしたのです』
という括りになり、
 
 『その時の販売員の貴方がわざわざここへ訪ねてきてくれるとは・・・。』
私はハタと遠い記憶に中からその事を思い出し始めていました。

『なぜ、私だと分かったのですか?』

 『ちょっと私のオフィスに来てください』
と言いながら2回の彼のオフィスに通されると

 『この写真を見てください。毎日のようにこの写真を見ています』と彼、

 私は口から胃袋が出るのではないかというくらいにびっくりしました。そこには若き日の私の姿が成田空港で旅行客であるこのオーナーと肩を並べて移っている姿があったのです。

 『私はすぐにわかりました。そして大変驚きましたが最初は人違いかなと思ったのですが、ダイヤモンドのビジネスをやっているという事だったので間違いがないと確信しました』

 
 その時の様子はまだ忘れることが出来ません。その後彼と一時間ほど話をし、マンハッタンへ向かう為に駅に着くとその店の店員であろう人々がコーヒーを準備をしながら駅に佇んでおり、何をしているのかと尋ねると
 『間もなく帰ってくるだろうお得意様にサービスのコーヒーを用意しているんだよ』
という事でした。朝も通勤に向かうお客様に新聞とコーヒーを用意しているのだという事でした。

 勿論、一緒に行った知人もこの出来事にびっくりするとともに
『対応サービスは人の輪をつなぐものですね。良い勉強になりました』

 しばらくぶりにこの事を思い出し、書き出してみたのは自身も経験と年齢を重ねたために忘れかけた本来の日本の小売スタイルをもう一度認識してみたいと思ったせいかもしれません。

 日々反省は続きます。常客は己の人生を豊かにしてくれますよね。 

 ちなみにMazalとはヘブライ語で希望や信頼を表す言葉でダイヤモンドの契約締結後にこの言葉とともに握手を交わします。これは大きな意味があり、契約書類に優先しますので破棄することはできません。ユダヤ人が最初に『神』とかわした契約の時に使った言葉と言われています。

 我々ダイヤモンドマンには特別な言葉です。

2014年7月14日月曜日

3EX(トリプルエックス)⁉

 ダイヤモンドのカット表記にExellentが3っつ付くと3EXという表現をし、もっともすばらしいカットとされていますが、日本以外では必ずしもベスト評価にはならない場合もあります。

 勿論、投資市場のような数字を大前提とする場所ではトップ評価となることは言うまでもありません。現在のところですが・・・・。

 3っつのエクセレントとは対称性、研磨状態、そして数値がいかに理想のプロポーションかを評価するものですが、これらが理想に近いかどうかが第三者的に見ても同一見解の評価が出るものだけで表しているものです。つまり、機械で測っている物そのものです。

 しかし、米国宝石学会では総合評価としてのものとは使っていません。なぜなら、人の目によって評価が変わるものを表現することを是とはしないからです。もっとも、カラーにしてもクラリティーにしてもそうだと思いますが、それはさて置き・・・。

 人間でいえばスリーサイズというのがありますが、例として良いかどうかは別にしてB/W/Hというやつですが、バスト、ウエスト、ヒップのサイズが理想的な割合でも、見た目のバランスというのもあります。つまり、B/W/Hの床からの高さの割合というのがある訳です。足が短く、同が長い場合にスリーサイズの割合が素晴らしくても決してスタイルが良くは見えません。

 あえて言いますが、男女関係なくです。

 過去にも何度か書きましたが総論と各論という問題がありますが、各論が素晴らしくても総論から照らすと必ずしも正解ではないという答えがあります。

 
 米国宝石学会においても、人それぞれの感性による評価に対してはコメントの根拠を明らかにしていません。なぜなら現在において理想とされるカットはあくまでも白色透明なものを前提としていますので、低クラリティーのものやファンシーカラーに当てはめることはできないという事になっていますので低カラーつまり、ライトイエローやブラウン等には当てはまらないという見解があるからです。

 特に日本人は数字に強いという事もあるのでしょうけれど、文字や数字には特に弱いという気がします。数字や評価というのはある種の前提があっての正解です。前提が変わればそれこそ昨日までも正解だったことが今日は間違いという事にもなります。

 大切なことは恒常的に変わらぬ大前提をもち、その上で評価をすることが大事なのだと思います。今日生きれればよいのではなく、明日からも生き抜く術が正解で、今日売り上げが出来ればよいのではなく、明日からも売り上げを上げることが出来る方法が正解なのです。

 何事に関しても言えることですが、数字や文字は人間の生きる術が既にあり、それを数値、文字化したもので、それらに合わせて進化や変化をしてきた訳ではありません。本来の魅力や価値を見出すときに、時には自らの本能や感性を信じてみることをお勧めします。


 

2014年7月11日金曜日

ダイヤモンドと工芸品⁉

 最近では工芸品的なものに貴金属をあしらい、ジュエリーとして販売をしているものも多い、デザイナーブランドとして展示会等に出店している物とはと違い、メインとなる素材自体は価値がないがその技を生かしているものです。

 一時はカメオや琥珀のように素材も自然界のものを使い、さらに匠の技を施しているものもありましたが、最近では漆や象嵌を施しているものも少なくない。その技が素晴らしくても認める人々がどれくらいいるかにより芸術性も変わってくるものです。

 これらは販売する人々の適性や品性にもよってくると思いますが、価格はそれこそあってないようなものになります。ゆえに、商品の説明や素材の価値をどれくらい説明できるのかという事が大きな要素になります。安い価格を設定しても売れるものでもないし、又、高額に設定したら売れなくなってしまうものでもありません。

 もっともまずい方法は設定上代からの値引きです。勿論、駆け引きの中の値引きを言っているわけではなく、創り上げた職人の技を愚弄するような物を差しているわけですが、それは職人や消費者を否定するようなことになる訳です。つまり、あってないような値段と言われ、信用を落とす序曲と言ってよいでしょう。

 一方、ダイヤモンドはどうかというと、一時のような4Cグレードを使ったのまやかし商法は別にして素材そのものの価値が存在するものでも、販売方法によっては同じことが言えます。ダイヤモンドの価値を決まるものは確かに4Cではありますが、4Cのグレードが価格を決まる訳ではありません。4Cグレードとは車でいえばカタログみたいのものでレポートが取扱説明書になる訳で、決して本体そのもの乗り心地や運転のしやすさのような本体自体を表しているものでもありません。

 つまり、根拠のない価格というものは宝物にもなる工芸品や宝石をまやかしの道具としてしまいます。それは、扱っている人間の品性であることは前述のとおりですが、文化や芸術といったものをその時にお金になればよいという発想のもとに虐げたり、販売する側の将来を危うくしかねない行動なのです。

 まして販売者というものは消費者に忠誠を尽くすべくき立場にいるもので、決してメーカーに忠誠を尽くすべき立場いないという事です。でなければ業界そのものが終わってしまいます。

 売上が良いだけなら詐欺師に敵うものはいませんが売上をげつつ価格の維持をする者こそ本懐であり、真のプロと言えるでしょう。以前にも書きましたが、さる会場での部長の発言である『価格ではなく、価値の説明を・・・。』という言葉がむなしく、思えることがあります。その部長の意図に反して、それは価格の説明においても『何故貴女のために価格を下げるのか』という説明を延々としている業者の姿を見ているとむなしくさえなります。

 消費者への忠誠のための値引きは何度も言いますが、否定はしません。しかし、値引きを前提としているのにその責任を消費者に擦り付けるような言動は決して許せません。そのような業者に限り、『ここの販売員やお客さんは値引きがきついんですよね』といって自己弁護を平気でします。

 工芸品やダイヤモンドのような宝石は取り扱う人間によって価値が決まるものでもあります。勿論価値を感じる方がいくら払ってもかまいません。つまり、ある意味では人間性そのものが宝飾業界の価値を表しています。人間性の良さで販売している方も多くいます。その人々の足はいつまでも引っ張れるものではなりません。

 あえて、書きます。
どの業界であれ消費者を欺くことになった者はそれなりの報いを受けています。
『メーカーに忠誠を尽くすのではなく、消費者に忠誠を尽くすべき』なのです。
 

2014年7月3日木曜日

ダイヤモンドからの意識⁉

 業界についてのネガティブな意見を最近は随分述べてきたような気がしますが、自分自身の中で意識を変えるために認識をしていたかったという事もあります。

 最近、十年程会っていなかった友人と連絡を取ることがあり、昔話などを話しているときに話題となった共通の知人がすでに亡くなっていた事実を知りました。その知人とはやはり十年程前に会ったきりなので当然元気でいるという意識でおりました。

 つまり、自分の頭で存在しているものは現に存在をしているという意識です。本来は目の前にある現実のみが実在するという事が事実なのですが、人というものは過去を書き換えていないものや過去書き込まれてきたものは事実のような錯覚をするところがあります。TVチャンネル数がいくらあっても見ていない他のチャンネルは存在しないのと同じなのですが、他のチャンネルも回せば存在をするという思い込みがあります。

 しかし、現実の世の中は思い込んでいる過去の事実とは全然違う事はいくつも存在します。時速1000キロで走る車の上で人間が存在をするという事は誰も考えませんが、実際に地球の自転速度は時速1600キロでさらに地球は時速10万7000キロというスピードで回っていますが勿論振り落されることはありません。

 何を言いたいかというと人間の意識の占める割合というものは人間の存在だったり、個人の人生において占める現実に大きな働きかけを行っているという事です。過去において埋め込まれる意識と同時に未来に対する意識というものも大きく人間や個人の未来を左右するものです。

 人が頭に描いたものは現実になるという事は多くの分野で証明をされています。身近な例でいえば手塚治虫が描いた『鉄腕アトム』の中の背景によく空中を走るハイウェイが描かれていました。しかし、今現実に首都高、高速道路はビルの間を走り回っています。子供の頃の我々は単なる空想上の未来都市として憧れていました。

 旧約聖書の中で神が起こしたという奇跡は既に一般人が当たり前におこすことが出来る現実になっています。つまり、人は自身の意識を変えることにより、将来が変わってくるという事を認識しなければならないのです。これは量子力学の世界ではある意味常識になっている事とされています。

 前回にも書いたかもしれませんが、原始宇宙から始まり、現人間の意識というものは宇宙のエネルギーから創造され、人間やその意識もエネルギーから構成されているわけですがその意識をどう持つかという事で人の人生も決まってしまうという事です。

 ポジティブを勘違いする人もいます。頑張って将来金持ちになるぞという考えはポジティブ思考ではなくネガティブ思考なのです。なぜなら、今はお金がないという意識が強いからで、お金というものは概念なので、今幸せだという意識が支配することにより幸せになっていくのです。

 遠回りをしましたが、ダイヤモンドの輝きを見て不幸だと思う人はまずいません。しかし、残念ながら過去のプロモーションによりダイヤモンドには優劣があるというニュアンスを刷り込まれていますので、その幻想が拭われてはおりません。単純にダイヤモンドを直視し、眺めるだけでよいのです。

 勿論、例外もありますが数千年前には人間がもっていない意識を皆さんは持っています。そして、その意識を作り上げてきた一端には宝石を見て美しいとか、何かポジティブさを感じる要素があったわけです。

 つまり、本来の最低限しか手の加わっていない宝石は人の意識をポジティブにする力があります。ダイヤモンドを見て幸せな気持ちになったり、癒されるのは失われた過去の書き込みではなく現在も実在をする意識なのです。つまり、ダイヤモンドは幸福へ誘ってくれる大事なアイテムなのです。

 ダイヤモンドを改めて眺めてみてはいかがでしょうか?

意識を持つことが現実への道であることは歴史も証明しています。