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2012年11月29日木曜日

原石!?

 『17歳で宝塚に入団して以来、様々な方と出会い、多くの役を演じさせていただき、私、天海祐希という、ブルーリボン賞を頂くまでの女優になっていました。ダイヤモンドが原石から研磨士の手が入り、色々な形に変化し、人々に歓びを与えて煌くように、ダイヤモンドの魅力は磨かれてからのもの。私は原石から形を変えていく、ダイヤモンドに自分自身を見つけました。(中略)原石(17歳)の私を忘れない為に。そして、ここ一番の時の「勝負アイテム」それがダイヤモンドなんです。(後略)』

 これは以前仕事でご一緒させて頂いていた時に寄せて頂いた、女優天海裕希さんからのダイヤモンドへの思いです。

 原石というのは磨かれなければ、ただの硬い石です。内面的加工ではなく磨きあげるだけで比類なき美しさという才能を発揮してきます。美しさが才能であり価値であるものは他に比べるものはないかもしれません、色石は原石の時点でもある程度の色を確認する事が出来、磨くことにより一層の美しさが増します。しかし、それは人それぞれの好みのある美しさです。

 ダイヤモンドの原石は研磨後の想像は難しいものであると同時に、時として無骨な表情さえ見せています。しかし、その無骨さゆえ研磨後の美しさは目を見張るカラーダイヤモンドとして燦然と輝く事があります。

 ダイヤモンドの原石は誰と出会い、どんな経験をするかにより煌き方が変わります。それが冒頭の天海さんの言葉になるのでしょう。勿論彼女はダイヤモンドのプロでも何でもありません。幼少のころに見つけた祖母のダイヤモンドの美しさに魅入られてからの事であったそうです。

 ダイヤモンドを発見した人々の感性とそのダイヤモンドになり得る人はそう多くはありません。しかし、誰もがダイヤモンドの原石である事は間違いがありません。世の才能の比喩に使われるダイヤモンドとは其々の中にあります。

 ダイヤモンドを見ることにより色々な思いを馳せてもらう事が出来るならそれが本来のダイヤモンドの役割でしょうね。

2012年11月27日火曜日

ダイヤモンドの競売!?

 先日来話題になっていた国税局の競売のダイヤモンドが落札されました。話題の7.5ctsは最高品質という事で約7500万円、12ctsは約9500万円と妥当なところで落札をされたと思います。

 今回の7.5ctsはラウンドブリリアントで12ctsの方は多分エメラルドカット型のリリーカットのようにも見えます。

 大事なことは競売の価格が一般的に業界などの出回る金融価格より高額であったという事です。これはいかに業界内の取引が不健全で妥当性のない物であるかという事の象徴でもあります。

 本来、ダイヤモンドはデフレは似合いません。決して大量にある物でも、生産できるものでもないからです。大量生産の出来るものや需要のない物は価格下落はある意味では自然ですが、生産できないものや需要の多い物を何故安売りをするのか理解に苦しみます。それは売る努力より換金する事の方が楽であり、量を回そうとする理かなわない方法が横行しているからです。

 今回の競売に出されたダイヤモンドの持ち主は幾らで元々手に入れたものなのかは解りませんが、少なくとも最近のものではない事は差押えになった事を考えれば理解できます。どの様な経緯で手に入れたのかは解りませんが脱税の代償と考えると理解に苦しみますが、滞納という事であれば最も良い換金方法だったような気がします。

 なぜなら、私が10年ほど前に12ctsの最高品質のダイヤモンドを販売した時には百貨店を通して1億円で販売された物が現在のオークション相場では約1億4~5千万であります。その事を考えるとどの様な流通で手に入れたかは解りませんが換金率としては上なのかなと考えます。

 大量にない物に相場という言葉が当てはまっているとは思いませんが、今回の落札額はあらためて妥当なもので手に入れた御仁もそれなりもメリットを手にするでしょう。

 このような例が沢山世の中に出回る事が良いかどうかは別として、ダイヤモンドの財産性が世に広く知り渡る事は時間がかかりましたが良い事だと考えます。

 また、実際には世界の多くのお金もちと言われる人々はダイヤモンドで蓄財をしている事も少しは理解をしてもらえるのかなと感じております。

 どうでしょう?ただの紙屑になる物への投資はそろそろやめてみてはどうでしょうか。

 

2012年11月24日土曜日

特等席のダイヤモンド!?

 長い間ダイヤモンドのディーラーとして大きめなダイヤモンドとか量を扱ってきて、それらの仕事をリタイアしてから小売等も始めるようになって思う事があります。

 当初、ダイヤモンドを裸石で販売は難しいし、時間もかかり、リスクもあるといわれておりましたが決してそのように考える事もありません。

 最近ではご依頼を受け、展示会等も出させて頂いておりますが、あくまでも裸石の販売に拘っている訳ではありませんが、裸石の方が販売もスムースですし、お客様にも喜んで頂いております。

 ましてや、4Cをうたう事もほとんどなく販売をしておりますが、何の問題も今のところ起きておりません。勿論聞かれた時にはお答えをしておりますが、その事により価格が変わる訳ではありませんので、お客様も『アッ、そうですか』といった程度です。

 4Cというのは本来経験不足の販売員が消費者に販売するときに目安として必要なものでありますから、多くのプロの方もあまり拘ってはいないと最近よく耳にします。ダイヤモンドの価格は内容で決まるものですが、4Cでダイヤモンドの全てを説明できるほどダイヤモンドは甘いものではありません。もっと奥深く理解をする才能も必要なものです。

 展示会に出ているとその才能を持っておられるお客様がよくいらっしゃる事が解ります。じっとダイヤモンドも見ていて

『綺麗なダイヤモンドですね。でもお色が少しついているのですか?』

といった調子です。

今までも何度かお求めになった方が如何に喜ばれて感動をしていたかというお話はさせていただきましたが、これが川上でダイヤモンドを扱っていた時には知り得なかった事です。

 つまり、お客さまの感動に買い物の御案内をしているだけで実際にはお客様の感性や美しさを理解する才能によりダイヤモンドは決まっていきます。ダイヤモンドの見方をお教えするだけで決して文字をひけらかして、実際には目に見えないレベルの話に重点をおく事はあまりよいやり方とは思えません。

 グレードを説明しながら、他店と価格を比べ値引きをしていくほど、消費者に疑念を抱かせる事はありません。グレードがある一定以内で統一はされているとはいえ、決して同一のものが存在している訳ではなく、その事は本来は我々のビジネスにとっては一番有利なものであるはずなのに、残念ながらダイヤモンドを理解していない販売者によって市場が壊されてきたのも事実であります。

 あまりきつい憎まれ口をたたくつもりはありませんが、本当のダイヤモンドの販売者の喜びを理解してもらいたいと思ってあえて言わせてまらいました。

 前述したようにお客様の感動をして、喜んだお顔を見る事は新たにダイヤモンドを扱う喜びともなる事に残念ながら最近気がついたという事なのです。川上でのビジネスは必ずしもダイヤモンドビジネスの本質ではないのです。

 ある部分ではダイヤモンドを扱う事は実利的ではない感性のみの喜び、つまり、本質的な幸福感を感じている場面に遭遇するという事ですから『特等席』に座って芝居を見ているようなものです。

 そして、特等席に座るにはそれなりの経験や知識も必要であることは当然なことですが、その経験がダイヤモンドは決して価格を追ったただの商品ではなく、物語を創り得る存在である事を教えてくれます。

 そういう意味では物語の始まるその瞬間に立ち会える場所にいる我々は特等席に座っているようなものです。もし、それが立ち席にしか思えないのであれば、潮時か向いていないのかもしれませんね。

 お客様の満面の笑みには、してやったりという気持ちと、人の幸せに関与した充実感がたまりません。

 

2012年11月22日木曜日

ダイヤモンドへの投資!?

 昨今、何故にダイヤモンドは価値があるのですかといった単純な質問が多くなりました。興味を持ってくれる事はありがたいのですが、ダイヤモンドは見た目が美しい事により其々の人間がその美しさの利用法として価値を見出しているとしか言いようがありません。

 ダイヤモンドをジュエリーの材料として価値を感じている人もいるし、石そのものの美しさを感じる人もいるでしょう。また、その美しさと希少性うえに優越感に浸る人もいるかもしれません。

 そういった人々が感じる価値に対して、ある種の経済的価値を見出すことにより投資などの二次的価値が生み出されているのでしょう。

 しかし、美しくて希少性があり、耐久性があるといった一次的価値があるからこそ人はそこにさらなる価値を見出す事が出来るので、その価値がダイヤモンドにはあるという事ですよね。

 つまり、芸能人でも美しさだけでは人によって見方が違いますが、多くの人が美しいといった基準を持った人を俳優やタレントに育てた方が早い訳で、勿論他の特例等もある訳ですが。・・個性といった。

 実用品の価値はいずれ下がるか、無くなります。それは次のものが出てくれば訳もありません。芸能人としても時期が来るとその価値は終わります。その中で変化せず何百年の間価値を維持している物こそが本来の価値がある物で最も投資に向くものと考える訳です。

 人の創った価値の典型的なものとして株がありますが、これらも最も投資に向く株は長年にわたり一定のブランドイメージを維持している物を扱っている会社のものです。

 ダイヤモンドへ投資と言い始めた頃からイブシがる人もいましたが、現在は耳を傾けてくれる人も多くなってきました。その理由はこのt頃のオークションの躍進でしょう。バブルの頃は勿論オークション花盛りでしたが、景気の悪いこの時期というところに注目してもらいたいのです。

 不変の価値に対する考え方が少し変わってきたような気がします。株式等もネット社会の到来により、デイトレードなどのギャンブル的要素が増えて来ましたので日々な価値が著しく変化します。
 ギャンブルや株の投資で利益を上げる事が出来る人はほんの一握りです。

 今、本当に投資を考える事が望ましいものは質的な変化をせず、時代の流れにより確実に時代の価値に見合ったものが良いのでしょう。

 多くのお金を持った人々は持っていても価値の変わらないものを持ち、夜寝て目が覚めたら価値が変わっていたというのもからは離れつつあります。金や貴金属の高騰もその辺りから来るのでしょう。

 ダイヤモンドの対する投資に関しては一定の条件がありますが、その一定の条件は実はそれほど難しい事ではないのです。ある種の立場とコネクションを持っていれば世界の金持ちに肩を並べる事も夢ではないのです。ただし、条件として一定のお金を持っている事です。原資のない物を増やすことは出来ません。

私にはそれが欠けています。
 

2012年11月19日月曜日

現在の価値!?

 ダイヤモンドの価値については情緒的、経済的、実用的等含めて今までも何度か書いてきましたが、価値というのは能動的価値と受動的価値があります。

 自らが認識する自分の価値という物の起因は単純に言うと過去の誕生以外の自分のまいた種であります。他人から見た自分の価値という物は誕生も含めて第三者の経験による価値です。

 つまり、現在の自らの人生の存在価値は自らの送った過去の人生の価値という事になります。
ダイヤモンドについてはあくまでも人間側から見ただけの価値ではありますが、現在の価値基準から言ってもやはり価値があります。

 大きな意味で言えば人類の過ぎた歴史の中で培われた価値という事になります。それは他の色々なものが進化するとともに価値がなくなる物とは反比例をしています。

 ダイヤモンドは必ずしも発見された頃から価値がある訳ではなく、人間の研磨技術などの発達に伴い価値が出てきたものですが、そこには研磨することにより価値が出る存在という条件が必要だったのです。

 その後研磨技術が進化しても、ある一定の条件をクリアした研磨技術以上の価値を、いくら新しいカットが出てきても価値を延ばすことは出来ません。つまり、ある時点でダイヤモンドの進化は止まり、それ以上の価値を増す方法は出てこないのです。

 進化というのはシンプルになる事と考えますが、現在の状況はあらゆる物が複雑化し、未だ進化の過程なのですが、一面退化する事や、ある一定の状況で止まる事が進化ではないかと考える事があります。

 米国にアーミッシュといってある時代から進化せずに昔のままで生活をしている人々がいます。彼らは文明を否定するのではなく認めるからこそ昔のままの生活に固執しています。日本で言えば映画の『オールウェイズ』ではないけれど昭和30年代から40年代にかけての時代が一番活力があり、生活という意味でも充実をしていたのではないかと思うし、実際、あの時代に戻る事により金融、経済等はより伸びるというアンケートも出ているそうです。

 ダイヤモンドは価値は100年ほど前には今の形で価値が形成されており、それから何の進化もする事なくいますが未だに価値についての変化はありません。

 人間もその人間の考える一番価値のある時代に止まれば、また、維持できれば価値がいつまでも保っているのでしょう。原発などもここで止める事が本当に良い結果になるのかもせれません。現実的にはそれは難しいのですが、人は晩年一番自らが良かった時期の記憶が一番強くなるそうです・・・。

 いずれにしても現在を満足しているのであれば、維持をし、満足していなければ将来の価値をあげる努力する事が必要でしょう。

 価値は過去の積み重ねなのですから・・。

 

2012年11月16日金曜日

ダイヤモンドの誤解。

 1998年頃、最も多くイスラエルを訪問していました。確か、年13回位渡航をしていたと思います。
 
 その頃はまだヨーロッパ経由での入国が多かったのでトランジットをする国でのセキュリティーチェックはイヤになるほど厳しかったのですが、それが嫌でイスラエル行きを止める人がいたほどです。

 小生は忙しさもありイスラエル内でのセキュリティーでは顔見知りになるほどの頻繁さでしたので気にする事はありませんでした。それほどの回数を誇っていたのもあるレベルのダイヤモンドがものすごい人気でその買付の為でした。

 他のほとんどの業者が扱っていなかったレベルのところだったので永遠にオーダーにこたえる事が出来ると考え、注文を受けておりましたがある時からそこの部分だけが価格が上がり、品物も集まりにくくなったのです。多くの注文はこなす事が出来ずに受注残になることになり、結果的には2カ月、3カ月待ちといった納品になってきて、そのうち受注価格での納品は無理となってきたのです。

 ダイヤモンドはやはり有限であり、希少性が価値である事を改めて知り、この企画を止めて頂く事となったのですが、他社より同じような内容のものが出てくるようになり、首をかしげておりました。

 やはり、想像をしていたようにグレードの捏造がその後発覚し、週刊誌問題になり業界の信用も失墜し、全体の売上不振にもつながっていったのです。

 その後も相も変わらずグレードで価格競争をしている販売店を見ると情けなくもなり、その無意味さをどう理解してもらえるのかと考えるのです。自らの首を締めるような販売方法はもうやめにして本来の売り方を身につけるべく勉強し、努力をしてもらいたいものです。

 ダイヤモンド自体は何の変化もしません。それゆえ取り扱う人間のレベルにより価値を表現できるものです。そして、同じグレードが出ていても、それ以外の要素もあっての価格形成です。

 一方的な4Cというグレードを否定するものではありませんが、一般消費者はそれ以外の要素を望んでいる事を忘れてはなりません。

 とりとめもない話ですが、先日、イスラエル軍がパレスチナガザ地区を爆撃し、ハマスの軍事部幹部を殺害したとのニュースに触れ、危険と言われていた頃の事を思い出し、その頃とは少しは変わったかもしれない業界かな?と振り返ると、さほど変わっていない事にガッカリもします。

 ダイヤモンドは不変であり、やはり希少なものです。変化し、有限に見せているのは人心であり、
人の欲望です。

 人心を動かすダイヤモンドは良い意味でも悪い意味でもやはり凄い物なのです。

 そして、私にとっては時を超えて、記憶や資料のスイッチを押してくれるメモリーカードなのです。

 貴女のダイヤモンドは簡単に手に入り、入ったものではないのです。お金があってもそれは手に入らないのです。

 人が誤解の要素を作り、人が誤解し、それが問題を作りだします。

 ダイヤモンドは変わりません。

2012年11月15日木曜日

高嶺の花!?

 先日、仕事仲間との話の中でダイヤモンドの価格について話をしている中で
『売りたいダイヤモンドは安い値段しかつかないけれど、欲しいダイヤモンドは高いね。』
といった話をしていました。

 つまり、ダイヤモンドの価格にはちゃんとしたロジックがある事は勿論なのですがそこには人の感性が働くので、必ずしも他と比べて安いから欲しいとかといった物ではないという話なのです。

 人は其々好みというのがある中で実用的欲求と独占的欲求がありますが、その対象は必ずしも同じではないので、欲しい物が重ならないないというところで大きなトラブルにはなりません。(勿論重なった時には時として戦になる時もありますが・・。)

 人は実用的なものでもその時にいらなければ安いかどうかも問題ではないけれど、多くの人が欲しいと思っている物を独占したければ高くても手に入れようとします。

 ただし、100%の人が好むものというのはあまりありませんが、100%の近い人が好むものはそれなりに価値を生みます。その90%、80%、50%~といったパーセンテージが下がるほど価値が下がっていくのですが、それでも必ず誰かにとっては価値があるからこそ、物は世の中に存在するのです。

 その中で実用的欲求を満たしてくれ、なおかつ独占欲を満たしてくれる物の代表的なものがダイヤモンドだという事で冒頭の話に繋がるのですが、そのダイヤモンドでも自らの環境、状況によってその欲求度が変わるのですがどんな環境下でも欲しいダイヤモンドはやはり高価であるという結論であったわけです。

 感性によって『高嶺の花』というのは其々によって違うという事であっても、手に入りにくい物を指す言葉として使われる訳ですが、決して手に入らないという言葉ではないのであります。

 人それぞれにとっての『高嶺の花』というのは違うのですが、出来れば価値を感じる人のところにその物が存在することが望ましいのです。

 ダイヤモンドは人が演出するまでもなくその『高嶺の花』のポジションにいる事を考えれば取り扱う人の演出によっては皆が買いたいと思う物になるのでしょうね。

 現代における安売りはファストフードの低迷にもあるように安いから必ずしも行く訳ではなく、そこに付けられた印象はあまりにも欲求を満たす物がかけ過ぎており、一次的な安易な販売方法は結局身を細める事になるといった継承ではないのでしょうか。

 宝飾業界も長く安売りをして如何にもお得感を出してきましたが実際には本当の価値を一部の知識なき業者が損ねてしまいました。

 もう一度、誰かにとって『高嶺の花』であるダイヤモンドの価値を取り戻す時が来たような気がします。

 

2012年11月14日水曜日

ダイヤモンドとお金持ち!?

 国内の多くの業界人はダイヤモンドの価格が下がっていると囁いています。それは確かな事だと思いますが、反面海外のオークションでは落札価格の高騰が続いています。

 ダイヤモンドと一口に行っても、いつも述べている様にジュエリーの材料としてのダイヤモンドもあれば大きな意味での財産としてのダイヤモンドや光学機器用のダイヤモンドと多種であります。

 業界人の多くが述べているのはジュエリーの材料としてのダイヤモンドを述べている訳ですが、これは現状の市場を眺めてみれば仕方のない事です。売れていない現状では材料そのものが安く取引をされることになりますからね。

 しかし、現実には海外のオークションの現状を見れば価格の高騰が続いています。先日もある人から何故にそんな状況が続くのかという質問をいただきましたが
『それはダイヤモンドの方がお金持ちより少ないからです』
と答えると
『そんなことはないでしょう?』
とけげん顔・・。

 オークションというのはお金を持っている人々が一つのダイヤモンドを競い合い落札をするのですから当然数人のうちの一人だけが手に入れる訳です。
 つまり、お金持ちよりダイヤモンドの方が少ないという訳です。

 それでは、そのレベルはという事になると、ある一定の大きさと品質を持っていることか特殊な特徴(色など)を持っているものという事になります。

 例えがあっているかどうか解りませんが相撲取は沢山いますが関取は数少なくなります。その中で三役となると数人です。ましてや横綱となると一人か二人です。つまり、ダイアモンドといってもただの相撲取りだと角界の構成員の一人になります(ジュエリーの素材)が関取や横綱となるとダイヤモンドの本来の堪能するレベルという事になります。

 相撲好きは序の口の相撲も好きな通ですが、本来の相撲は関取以上の取り組みですよね。例えが解りにくかったかもしれませんが、一般的な場合タニマチ(金持ち)より関取衆の方が少ないみたいなものです。

 ただ、お金を持っている人々が皆ダイヤモンドに興味を持っているかというと、そういう訳ではありません。もし、金持ちが皆ダイヤモンドに興味を示したら価格はもっと上昇するでしょう。

 しかし、一般的には序の口を含めたダイヤモンド好きの方も沢山いらっしゃいます。ただし、景気が悪くなるとやはり足は遠のきます。

 常に書いている事ではありますが、ダイヤモンドはそのほかに情緒的な感性に訴えている部分も多分にあります。それは価格の問題ではなくその輝きや存在を励みや癒しにしている方も多くいます。

 こんな時代だからこそダイヤモンドの変わらぬ存在感を身の周りに置いておくことも良いのではないでしょうか?お金を持っているだけでは手に入らぬ其々の価値がそこにはあります。

2012年11月10日土曜日

ダイヤモンドのカットの原点!?

 最近、ホースヘッドのカットをしたダイヤモンドを手に入れました。多くのこの種のカットは品質も良くなく小さなものが多いのですが、これは2CTアップのもので品質も上質のものです。


 『何故にこのようなカットがあるのですか?』

 といった質問をよくされるのですが、基本的にはカッターが原石からの歩留まりを考えて其々の原石に合った形にするのですが、多くの場合は正八面体の原石になりますので上下半分にしてそれからラウンドブリリアントといった通常の形にするのが一般的です。

 稀に、平たい原石やおむすび状のものがあります。それらのものはエメラルドカットになったり、ハート型になったり、三角のものになったりと仕上げられていきます。

 カッターの話を聞くとダイヤモンドの原石が与えてくれるインプレッションによってその形を決めていくという事をよく聞きますが、このホースネックのダイヤモンドに関しては原石が最初から馬面を想像させたのでしょう。勿論ラウンドや他のカットには向かないと考えたのでしょうが・・。

 よくラウンドブリリアントにエクセレントとかヴェリーグッドというのがありますが、最初から良いカットにすれば良いのにという方もいますが、実は事情があります。

 ダイヤモンドの多くの原石は先ほども書きましたが正八面体ですがきちっとした形は少なく、やはりそれなりの差があります。そこでカッターは歩留まりを考えます。

 つまり、ダイヤモンドというのは重さの台替わり(0.3ct、0.5ct、1ct等)で1ct当たりの値段が変わりますので、もし、カットを多少悪くしても仮に1ctアップになるのであれば、その方が価格が高くなると判断をするのでカットよりも重さをとります。つまり、歩留まりをとる訳です。

 その大きな意味でラウンドや当り前にあるカットをするよりもアンユージュアルなカットしした方が価格が伸びるとなればダイヤモンドの与えてくれる印象でその形のカットをする事になります。勿論そういった原石の価値には稀有なので、あまり見掛けることはないし、マーケットに対しても需要がありませんから、珍しいものとなるのです。

 しかし、それなりの趣味の方や思い入れのある物語がある方であれば長く子孫に伝えられるものとしてはそれなりの意味があるのではないかと思います。

 但し、経済が不況の時にはあまり高価なものになる事は考えられません。

 ご興味のある方はご一報を・・・。

 

2012年11月2日金曜日

ダイヤモンドをお金に換える!?

 最近の買取ブームもあり、ここ5年間で数兆円のジュエリーが換金をされましたが、多くは地金の金額によるものです。しかし、この中で地金の次に換金率が高かったのがダイヤモンドです。
 
 おおよその見当ではありますが5千億円を超えるダイヤモンドが換金をされていると考えられています。つまり,ダイヤモンドはお金に変わったのです。

 多くの人々の考えの中には矛盾があり、
『ダイヤモンドは財産にならないわよ』といった言葉ですが、実際にはいくらで売る事が出来るのかを気にしている方がいるのも事実です。

 ダイヤモンドにはいつも述べている通り、

  1.ジュエリーの素材としてのダイヤモンド
  2.宝石としてのダイヤモンド
  3.光学素材としてのダイヤモンド

としての役割を持っていますが、この中で最も換金率が高く価値を損なわれないのは光学素材としてのダイヤモンドです。これはプロの中でのビジネスとしての取扱いになりますから一般の方には縁がないもので、取扱金額としては大きくなりますが利益率を多く望む事は出来ません。

 宝石としてのダイヤモンドこれは何を指すのかというと一定の大きさを超え希少性が高い物という事になりますが、これはオークションにかかるレベルを必ずしも指してはいません。

 この宝石としてのダイヤモンドは一定の期間保持する事により間違いなく、財産保全を目的とした換金をする事が出来ると思います。もちろんそれにはいくつかの条件があります。

 1. 為替差益損前提とはしない。(ドル相場を前提とします)

 2. 2~5ctsのものは品質も条件とする。

 3. なるべく大きなサイズを選ぶ(美観を前提とする)

 4. 特殊な色のものを選ぶ。

 5. オーソドックスな形を選択する。

 6. 米国宝石学会のレポートを重視する。

 以上のような条件を前提に考えて頂けば、過去の歴史をを振り返っても損失を起こした例はありません。ただし、其々の販売ルートにおける利益比率は除きます。

 また、ジュエリーの素材としてのダイヤモンドにおいても最近の例をみると換金率は非常に高く、いい加減な買取業者ではなく、ちゃんとしたところで換金を行えばそれなりの換金率になると思います。

  前記の条件がある程度当てはまっていたならば流通の利益が入っていたとして物によっては購入時よりも高額で販売することも可能です。

 如何に輸入に近いところで購入するかにもよりますが、財産の保全という意味では間違いなく株や有価証券よりも安全で率も良いのではと言えます。ただし、ダイヤモンドはお金を持っているからといってこれらの購入が簡単な訳でもありません。現在ではそれらのものを手に入れる事が難しいので、その辺はご了解を・・・。

 これらは、いつも書いている『心の価値』とは一致しないように勘違いをされると困りますが『心の価値』を前提としてこのような側面もダイヤモンドにはあるという事です。
 
 

 

2012年11月1日木曜日

神とダイヤモンド!?

 宗教に関して論じるつもりはありませんが、仕事柄ユダヤ人との交流が多く、彼らの宗教観を垣間見ると現代の彼らのポジションを理解出来ます。

 《我らがいて神の存在に意味がある》・・・本来であれば全ての宗教の原点にいるようなユダヤ教徒達は実はこう考えています。他宗教だと唯一無二の信仰神が絶対であり人間の上に存在をしていると考えがちの様に思います。

 ユダヤ人の現実的合理主義をそこに感じる事があります。しかし、その発想は無宗教な私には、ものすごく解りやすく(そりゃそうだ!?)と思わせてくれるものです。

 人類が誕生してから出てきた価値のほとんどはその後に誕生したものが多く、神という存在は人類の誕生以前にあり、人類を誕生させたという前提にあります。

 何故ここで《神》について触れたかというと実はダイヤモンドも人間の存在があり、初めて価値が生じる訳ですが、多くの物の存在は勿論人間の存在があり意味があり、人類が作り上げてきた実質的なものであります。

 ダイヤモンドは人類が作り上げてきた訳でもなく、一部を除いては実用的価値という物はほとんどありません。《神》は架空のものといったら怒られますが目に見えない人類より先に存在するものと位置づけされ、ダイヤモンドは実質的に存在するものですがこれもまた人類が存在する前からあるものです。

 神は何故に人々の中に存在するのでしょうか?そして、ダイヤモンドは何故に存在するのでしょうか?

 其々に共通していることは人の心の中にある価値であり、目に見えない神にしても目に見えるダイヤモンドという存在にしても実質的には何の価値があるのだろうと考えます。

 しかし、現実には歴史を考察してみてもこれらの価値は世界と歴史をを動かしてきたし、今後もこの価値や意味はなくなる事もないだろう考えます。

 《人間がいて意味のある存在》の意味は、人類が一方では人類が破壊する事の出来ない存在で、もしその価値が失われるとしたら大げさではなく人類が終わる時のような気がします。

 心の価値を軽んじる事は人間の価値を粗末に感じる事にもつながると考えますがいかがでしょうか?

 大げさな話のように捉えられることは仕方がないと考えますが、ダイヤモンドのビジネスが扱う人々にとって価値が損なわれてきた事も、実は経済的価値を優先してきたせいではないかと自戒の念を含めて感じるのであります。

 非常に皮肉なことでありますが、価値を高めるのも損なうのもやはり人心次第という事を考えるともう少し、ダイヤモンドという存在を大事にしても良いのかなと思います。

 これらの件に関しては実用品という前提を外しての事ですが、実用的な物だけで世の中は出来あがっている訳ではなく、ある意味こちらの方が大きな意味を持っているので世界の人口の90%以上の人が宗教に関わっているのではないでしょうか。