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2016年12月27日火曜日

ダイヤモンドの価格⁉

 最近では幾ばくかの価格下落の情報が入ってくることがあります。確かに2ctsの上質のもので上代が1千万円を超え、5ctsに至っては1億円を超える価格は異常ともいえるかもしれません。そんな中で価格下落の情報は上代に何かの影響を与えるのかというと意外とそうでもないです。それは物が足りないからともいえるし、市場が要求するようなものがないとも言えます。

 確かに多くの人が心配するようにそんなに高くなった嗜好品をだれが買うのかという事も言えるし、高いから別の価値もあるといえます。ただ100年余り前公務員の給料が5円ほどだった時に1ctのVVS-VS,D~Fカラーもので450円くらいだったとされています。つまり、公務員の給料の90倍ほどだったわけです。今であれば平均給料が30万円とされていますからその価格は約2700万円となりますが、実際には現状で百貨店の価格で300万円ほどでしょう。

 ダイヤモンドがいくら価格が上がっても給料、物価水準を考えると長い年月で見ると決して高くなりすぎたという事はないのです。大正時代の公務員の給料平均は明治の10倍に当たる約50円といわれています。それに対して1ctのダイヤモンドは8500円ほどだったと推定されます。丁度デ・ビアス社がダイヤモンドのコントロールに失敗をし、最初の倒産をした頃です。勿論この価格は庶民に手が出るどころか、存在自体も気にしたことがないという状況は明治時代とは差が大差がないころです。

 明治の文豪尾崎紅葉の『金色夜叉』の中でもダイヤモンドを高価な金持ちの象徴として『ダイヤモンドに目がくらみ』という一説は有名ですがそれほどにお金持ちの象徴だったのでしょう。

 それが昭和に入り戦争を経て高度成長、バブル期を迎えるとお金の価値がダイヤモンドの価格を抜いていきます。そのころからは1ctどころか2ctsもしくはそれ以上のものが民衆の手に入る価格になってきました。

 現在民衆の手に入る価格からは遠退いていますが、いずれそのバランスが整ってくることになるのでしょう。つまり、ダイヤモンドというものは長いレンジで考えなければいけない典型的な物なのでしょう。それでもダイヤモンドにとっては瞬間的なことでしかないのです。もし投資として考えるのなら最低10年もしくはそれ以上を考えなければいけないし、また、子孫への財産保全というくらいの考え方になるともっとダイヤモンドの特性が生かされるでしょう。

 決して長い目で見るとダイヤモンドの価格は下がってはいないのです。

 もちろん、これらの話は一定以上の大きさでそれなりの希少性があることを前提としていますが・・・。
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2016年12月26日月曜日

クリスマスを終えて⁉

 今年といわずここ数年のクリスマスの盛り上げに欠ける印象を持っているのは私だけでしょうか?

 あっという間にクリスマスが終わって何の盛り上げもなく終わった割にはそこいらじゅうでイルミネーションの競演。確かに綺麗なのであるけれど何か違うような気がします。

 以前はそのぞれの手作りというか準備をすることにより盛り上がってきたような気がしますが、今は企業や自治体がデコレーションをしてそれを見て何気に終わってしまうような気がします。これらもデジタル化の影響なのでしょうか。

 数週間前にアメリカの大学の研究機関の発表で『ここ20年の若者の右脳が縮小を始めている』というものがありました。その要因に考えられることは何事もネットの検索で用が足りてしまうので自分で調べて検証をするという行為がなくなっているからだという事でした。つまり、検索をし終わって忘れてもまた検索をすればよいという事で物事を知ることに対しての積み上げがないという事らしいです。そのための右脳の縮小だそうです。

 プロセスという事は何事においても大事なことでその途中で気が付いたり、考えたりといった作業が生まれるわけです。それが現代社会ではプロセスが軽んじられているがためにその段階から湧き出てくる盛り上がりに欠けてくるのではないかと感じています。

 餅つきにしてもお米を蒸して、練って、突いてという段階があるから餅つきも盛り上がるんでしょう。それが今は何事も段取りが組まれて目の前に現れるためにそのプロセスの段階で創り上げられる情緒というものが欠けてくるのではないでしょうか。

 クリスマスに関わらず正月にしても春先の花祭りやその他の年間イベントが次々と形骸化していく様は日本人から感性や情緒を奪っていくような気がします。

 宝石業界においてもこの十数年それらのプロセスを無視し、価格競争に明け暮れていたために今の現状です。宝石から情緒がなくなればほとんどの価値の意味が失われます。啓蒙活動やプロモーションといった形だけではなく販売形態の陳腐化が今の現状を表しているのでしょう。

 グレーディングなどもある種のデジタル化です。目で見た美しさよりもグレードの文字の印象のほうが強くなるような販売方法に明け暮れてきた結果素人同然の販売員を生み、怪しげなグレードで鑑定会社が倒産したりと宝石のはんばいに対してその価値とは逆のプロモーションを行ってきた結果でしょう。

 今後はどのようなアナログ化を残すかによってビジネスの価値も決まってくるのでしょう。
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2016年12月24日土曜日

人々⁉

 小さいころにわが故郷に『人々』という喫茶店がありました。当時喫茶店なる物はそこにしかなかったので多くの人でにぎわっていたことを覚えています。

 今日クリスマス・イブはオフィスのある自由が丘の有名店の店先には多くの人々が列を成しており、クリスマス・イブを実感させられます。実際においしいお店、そうでもないお店、スイーツのお店、ホットケーキのお店、ケーキ屋さんと、どのお店を見ても大勢の人々が並んでいます。

 これらの人びとは嗜好性が一緒なのか、単なる話題で集まっているのかはわかりませんがこれらの人々の評価が将来のこれらのお店の結末を決定つけるのでしょう。現実には自由が丘というところは厳しいところで開店当初列を成していたお店が一年後には閉店をしているという事はよくあります。

 実際には地元の人よりも地方や地域外からくる人々が多く、地元の人々はむしろ休日や週末には出かけないというケースが殆どです。それ故に人々の評判は自由が丘のみならず全国に広がります。

 宝飾品の展示会などでも集客の多いところ、よくないところと色々ですが、集客が多いという事と少ないという事は必ずしも売り上げに比例しないという印象を持っています。集客が少なくても売り上げが多いところもあれば、集客が多くても売り上げに苦心をしているところもあります。

 集客が多いという事は来ている人々は媒体でもありますから評判も広がれば、悪評も広がります。もし悪評が広がれば集客が多いこと自体がネックになります。その場の売り上げではなく、接客の良し悪しが売り上げに響いてくるのです。

 実際に集客が徐々に悪くなっていく場合は多くの場合は悪評が広がりつつあるともいえるのです。多くの場合当事者は景気や世間のせいにする場合が多いのですが、実際に評判が良ければ新客が増えていくものです。

 特に集客が多い場合には外で立つ評判をもコントロールする意識が必要なのです。そしてそれは個々ではできないので会社自体の方針として行われなければならないのです。

『人々』の評判というものは実に恐ろしい敵にもなれば、頼もしい味方にもなるのです。それは当事者たちの自覚次第なのです。
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2016年12月21日水曜日

ダイヤモンドの価格の現状⁉

 昨今、大粒の原石やファンシーカラーダイヤモンドが高額で落札をされたニュースが流れていることはよく話題にしていますが、現状はどうなのか?いわゆる一般商品としてのダイヤモンドの価格はどうなのか?

 ある程度のレンジで見れば大粒のダイヤモンドに関していえば上昇をしてきました。しかし、昨今10ctsのサイズの最高品質のところの下落だったり、小粒サイズに至っては供給がなされていないにも関わらず価格の上昇がなかったりと過去あまりなかった現象が続いています。

 大粒に関してはここ10年価格の上昇が行き過ぎた調整段階にあるとも言えるでしょう。後がGIAをはじめ多くの鑑定機関のグレード調整が度を越していたことも要因にあるとも思います。
GIAそのものは調整をしていないといっていますが、支店が増えることによるそのグレード差は否定しようがないと思っています。

 また、小粒のサイズン関しては景気の低迷や多く国でのライフスタイルの変化にダイヤモンドビジネスが対応をしていなかったことが最も大きな要因になると思います。

現状のマーケットを見れば一部の部分を除けば価格の低迷という事ができるでしょう。過去であれば今が買い時という判断も付くのですが現状では必ずしもそれは言えません。要因の一つに取引所をはじめ多くの部分で取扱者の素人化があります。音痴な歌手みたいなものでダイヤモンドそのものを見ることのできない人間が多く関与するようになったのですが、これはダイヤモンドがグレードによりマニュアル化できるといった勘違いがあります。

 マニュアル化自体はその持ち込みの一部を担った人間としてすで手を否定するものではありませんがそれはあくまでもユーザーに対するものでプロに対するものではなかったのです。野球観戦するのにルールを知っていたほうが良いのでそれを知らしめただけでプレーヤーそのものがルールを知っているでけでは不十分なのは当然です。

 価格がいろいろな要因があって決まっているという前提がダイヤモンドの付加価値を決め、価格の攻勢を行ってきたわけですから解りやすいような勘違いが価格の低迷を招いているのでしょう。つまり、お金を払うほどのプレーを見せていないという事です。

 今後の展開としてどうなっていくのかというとある程度の下方調整がさらに続くと思いますが一定の喫水線を迎えたときに一度安定をし、さらなる緩やかな上昇線を迎えることになるでしょう。ただし、その期間は断定できないし、急上昇が起きる局面もある意かもしれません。

 一定の期間を考えたときにはやはり上昇でしょう。それは経済要因がある限り確定をしているといってもよいでしょう。

 ダイヤモンドがこの状況ですから色石に関しては何をかいわんやです。カラーストーンに関してはいまだに催事等で値上がり等の販売トークを繰り広げています。立場が変われば詐欺ともとられないような販売方法を早めに是正することが望まれます。
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2016年12月20日火曜日

これからのダイヤモンドの視点⁉

 先日邦画『海賊と呼ばれた男』をみてきました。出光石油の創業者出光佐三の物語ですが、今の現状の出光石油の問題を考えると、創業者の理念よりサラリーマン役員たちの理念のなさを感じることは無理もないかもしれません。

 体制よりも国を憂い、体制よりも社員を思う精神的強さというか支柱としての役割を改めて感じた次第です。現代において多くの業界団体や協会が衰退していく姿はこの映画を見ることにより反省すべき点が多々あるように思われます。

 現代においてはどこかの親睦団体に入り政治を動かそうという時代錯誤的な感覚はIT関連の業界においてはほとんど意味をなさないという事です。もし、そうであればソフトバンクの孫氏や多くのIT関連事業主は今の地位を手に入れることはなかったでしょう。楽天の三木谷なにがしは別ですが・・。

 先日の展示会で男性のお客様と話をしていて大きなダイヤモンドはそんなにもうそんなには買えないという話から自分で付加価値を創れないものかという話になりました。たまたまインテンス・イエローのメレダイヤ70ピースほど所有をしていたものをシャンパングラスの形を形成させたものをご覧になりながら『これ面白いね。』と言いながらしげしげと眺めておりました。

 昨何末には0.1~0.7ctほどの大きさのロットで蛍光性が青はもちろんの事黄色、オレンジ、黄緑、ピンク等々のダイヤモンドをお求めになりそれでクリスマスツリーや花火をかたどって楽しんでおられた方なので、そのシャンパングラスには目を輝かしておりました。

 『高木さん、こうゆうのばかりを集めるの楽しいね。』

『それは楽しいですよ。ただ、なかなか集めることは大変ですけれどね。なんせ小さいといってもファンシーカラーですから。』

『でもこんなものだけを集めていたほうが楽しいし、付加価値もあるでしょ。』

『もちろん一組ぐらいではそれほどでもないけれどこれが何十組ともなれば話は別ですよね。』
と私が言うと
『よし、それでは今後は高いものは買えないけれど一組百万円くらいでそんなものがあれば集めよう』
と言いさしたのです。
『もちろんそれが50組も集まればそれなりの価値は出てくるでしょうね。集めるのには時間がかかるし、国内の普通の百貨店や小売店さんでは集まらないでしょうからね。』

 私自身もかつて60pcsほどの0.1ctで60種類のカラーバリエーションでダイヤモンドを集めたことがあります。しかし、ほとんど毎月かいがいの取引所を回っていた時でさえ、集めるのに20数年をかけました。勿論ついでに集めていたこともありますが・・・。

 ただそのことが今後の付加価値になっていくことも自覚をしていましたがなか中をそれを始めることはできませんでした。これ御機会に少し考えてみようとも思っています。また、昨日ゴルフをしながら知人と話をしていたのですが知人が
『50ctsくらいのダイヤモンドを持つとそれなりに財産にもなりますか?』
という疑問に
『最近では10ctちょっとくらいのブルーやピンクが数十億円単位で動いています。もし真剣に考えるのなら50ctsを10個集めることをお勧めします。何故なら平均するとトップランクでなければ2億円前後で50ctsのものが手に入ります。つまり、20億円前後で10個くらいが手に入るわけです。』
と私が言うと
『それはおもしろいですね。付加価値が増しますものね・・・。』

『ただし簡単に手に入れることはできないし、集めていることが知られると根が動き始めるでしょうね。いつものセリフになりますが、金持ちよりダイヤモンドのほうが少ないのですから・・。』

 こんな会話があり、前述のカラーダイヤモンドや後述の大粒のダイヤモンドの件は明らかに新たな視点でダイヤモンドの付加価値を創り始めなければという供給者としての提案でのあるわけです。ダイヤモンドそのものの付加価値だけでは今の現状を乗り越えるのは難しいのではと考えているのです。

 現代において何の業種においても出光佐三のような突進力と仲良しクラブを良しとせずに本懐を見つめ、目先ではなく物事を創り上げていく心構えが必要なのでしょう。
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2016年12月16日金曜日

ダイヤモンドの構造変化⁉

 今回のイスラエルの出張でのことですが、取引所の中で多くの人々が口にしていた言葉が『ダイヤモンドのビジネスモデルの変化』という言葉です。

 以前からの4Cを中心にしたダイヤモンドビジネスの限界が来ているという事です。私自身も感じてはいることですが4Cに対する誤解が作り上げたマーケットがあまりにも大きくなりすぎたことによる4Cビジネスの経年劣化です。

 今、取引所にいてもプロフェッショナルの存在を感じることがありません。グレーディングレポートとダイヤモンドを持って歩き、ただこのグレードでプライスレポートの『何%ビロー(マイナス)だよ』
と持って歩くだけですからプロがいらないわけです。つまり、小学生でもできるビジネスになっているわけです。

 原石の個々の価格は違うわけですから、グレードで一律に価格を決められたら供給側はたまったものではありませんが、そうしなければ今のバイヤーたちもダイヤモンドの価格が解るわけではないので商売にはなりません。多くの人々がビジネスから立ち去るわけです。

 以前であれば、ある程度の経験が必要であったビジネスですが、そのを一律にしてしまったことによりビジネスの醍醐味はなくなり、又『ダイアモンド・ドリーム』も起こりにくくなったわけです。

 一方景気の低迷も手伝い小粒のダイヤモンドのマーケットは縮小し、ブライダルやファッションの世界で需要の多かったサイズは今はそれほどの需要がありません。しかし、一方では世界の富裕層の変化により大粒やファンシーカラーの高騰は止まりません。今年だけでもニュースになったファンシーカラーのオークションにおける落札額は驚異のペースです。

 最終マーケットからの影響による川上のダイヤモンドビジネスにおける影響や変化そして流通の変化は近年まれにみる変化でダイヤモンドインフォメーションサービスが行っていたキャンペーン以来の変化といってよいでしょう。つまり40年から50年ぶりの変化です。

 もちろんマーケットの影響を受けることは常ですが、ダイヤモンドの場合は本来供給側が作り上げる情緒により価値を上げてきたビジネスですから、ここまで最終マーケット(消費者というより末端の販売員)の影響を受けたスタイルになると今後は新たなビジネスモデルにならなければダイヤモンドのビジネスの存在そのものが危うくなるでしょう。

 これらは末端の販売員の教育までもが4Cという安易な方法で行われてきたしっぱ返しともいえるでしょう。川上から川下までが素人で出来るビジネスであればそこにビジネスとしての存在価値はありませんから今後は変化をしていかざるを得ないのでしょう。
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2016年12月8日木曜日

白と黒との間に⁉

 ここ何回かカジノ法案なる物にふれていますが昨日の国会でのやり取りを見ていて『エッ‼』と思うような発言がありました。それは蓮舫民進党代表の
『カジノ法案のまずいことは負けた分が利益だからです。』
という発言でした。

 気持ちはわかりますがその論理でいったならば世の中のほとんどの事を否定しなければいけません。勿論宝くじ、公営ギャンブルをはじめ大きな意味ではビジネスの中にはそれを前提にしたものも多くあります。

勿論、カジノ法案に懸念する材料も多々ありますが、世の中というものは闇のないものはありません、それ故に法律というものがあるわけです。だからこそ立案をする国会議員たちには明朗であることが要求されるわけです。

 どんなに綺麗事を言っていても人間という生き物はアダムとイヴの時代から好奇心というものがあり、それは必ずしも正義といわれるものではないかもしれません。しかし、その中の悪といわれるものから新たな人類に利益をもたらすものも出てくるのです。

 以前にも書いたことがありますが、人間の頭の中には哲学的に『白か黒か』という考え方がりますがほとんどの人間は間のグレーの部分で物事を考えます。つまり、善悪は分かっていますがこの中から如何に物事をうまく進めるべく選抜をするかという事を考えるのです。

 出てくる結果が悪であっても求めるものがそれ以上の善であれば人間はそれを選び進歩をしてきたのです。勿論、何事も過ぎてはいけないのでそこに法律というものがあるのですがそれも過ぎてしまえばやはり結果も出ないのです。

 今回カジノ法案が成立をされ、これらの事業に政治家や官僚が入ってはいけないという事を以前書きましたが、法律を作る側がこの利益を得ることに参加をすることは悪への指針が傾くことになるからです。

 ここで言いたいことは人間社会というものは悪という暗闇が善という明るさを際立たせ、明るさという善が悪という暗闇を照らし出すという事です。つまり両方ともに世の中には存在し人間其れを前提に成り立っているという事です。

 スマホもある人から見れば悪ですが、ある人から見れば便利グッズです。車も電気もすべてにおいていえることです。

 ビジネスというものはある部分で黒と白の間の塩梅で成り立っています。黒寄りになりすぎるとなり立たず、白寄りになりすぎても成り立たず、限りなく幅広い灰色の中でなりたっているものだという事です。
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