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2016年1月30日土曜日

決断⁉

 私は仕事柄、自ら決断をする性分でもあるのですが、決して独りよがりや自分勝手と言うつもりはありません。しかし、人からはどう見えるのかはわかりませんが少なくても知人は多い方かもしれません。

 日本の多くの会社と仕事をする際に感じることでもあるのですが、話し合っても結論が出ないが出ないだけではなく大方の結論は会議を始める前から決まっているような気がします。

 政治の世界においても個人としてはおかしいと思っていても政党やそれ以外の利害を優先しているような結論が多く感じられます。それは善処というより手前勝手といった内容です。一つの例ですが、選挙区の定数是正に関しても憲法違反であることが分かっていてマニュフェストに上がっていても先延ばし、挙句の果てには論議もしない。そして、声高に議員削減を公約としています。

 個々の中では正しいと思っていても、個人としての結論を出せないことも多く、日本独特とは言えませんが日本に多く見えるビジネススタイルなのかとも思います。

 いつもこのブログで触れるダイヤモンドのグレードについても多くの賢明な業界人は今までの日本での取り扱いについては疑問を感じています。ただ、多くの販売に携わっている人々が疑問を持たずに仕事を行っているとそこに波紋を投げかけたくはないと思うのでしょう。結果としての売り上げだけを考えると口をつぐんでしまうという事になります。

 しかし、現代はネットをはじめ多くのニュースソースが存在します。消費者は合っているかどうかは別にしても情報を多く持っています。その為に、結果的にいい加減なその場しのぎ的な説明をしている販売員からは遠ざかっていきます。

 自分で知識を得、そして自らが判断をし、正しいと思う事を口にする勇気を持つことの大事さを感じることが多々あります。今が無難に過ごせれば良いという感覚は過去のものになっているような気がします。

 結果オーライの仕事の仕方は殆どの状況でうまくいかず。その時に自らの判断ではなく他人の結論に従った時の後悔は繰り返します。どこかで自らの判断で決断をする時を造らなければなりません。

 何故、今回この話を書いたかというと最近続けて相談をされることがあり、そのほとんどが愚痴から始まっていたのです。そして現在の自分は好きでやってきた事ではないという言葉が出てくるのです。

 現在の自分の状況は過去の自分の選択をした結果であり、将来どうなりたいかがはっきりしているのならば、それに向かって自らの判断で現在を過ごすしかないのです。何時も後悔を繰り返すのは自らの強い意思ではなく、流されその時に楽な事を選んできたからです。

 偉そうなことはいえませんが、経験からそう思うのです。
座右の銘
《今日は昨日の明日、今日は明日の昨日。》拝
 http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月28日木曜日

お子様口⁉

 子供の頃、口にしただけで苦くて吐きそうであったビールの味がおいしく感じるようになるのは何故だろう?

 経験や環境を積み上がることにより味覚が変わることはよくあります。特に顕著なものはビールなのだろうと思います。昨年機会がありワインエキスパートの資格を取り、ワインをそれなりに試していくようになると感じることがあります。

 ワインを何も考えずに飲んでいた頃は飲みやすくそれなりに重みも感じ、味わいのある…と思っていたワインの殆どが新世界のワインでした。つまりアメリカをはじめオーストラリア・チリなどの物がそれです。

 しかし、いくつかの条件や経験で自分なりに選んでみるとやはり以前は手にしなかったものが多くなりました。つまり経験を経て大人口になってきたのでしょう。

 このように経験を経て大人になっていくと感性も変わっていきます。子供のうちは経験値や選択値も少ないために簡単に心地よい物だけを口にしたり身に付けたりするのでしょう。これは自然が与えてくれた人間になっていくための条件なのかもしれません。

 つまり、口当たりや心地の良い物を感じさせることにより口に食べ物を運ばせることを容易にし、食物からの栄養なり必要なものを取らせる本能を磨かせるわけです。それは何も食べ物だけではありません。身につけるものであれ知識であれ、子供感覚では心地よく、大人感覚になったら本当に必要なものを心地良くなくても口にしたり、身に付けたり、頭に入れたりしなければいけません。

 そしてそれが最終的に心地の良いものだと覚えていくのでしょう。ある意味感覚的に心地よいものは大きな意味はなく、その後に大人感覚になって本当の心地よさを知るのでしょう。

 実はジュエリーに置き換えることもできます。見栄えの良いデザインで幼稚なデザインの物ほど一般受けをするのですが、それは価格的にも安く感じるからです。実は本当の意味するジェリーは色々な意味合いがそこに含まれることが多く、大人は素材や宝石そのものを見定め、子供は一見華やかでその場満足の出来るものを選びます。

 また販売員の子供も価格だったり、見栄えの良い物を勧めがちです。どうしても経験が少ないために本来の醍醐味を伝えきれないからだと思います。実は大人の消費者の方がそのへんをよく熟知している事を感じることがあります。

 長い目で見ての使用頻度だったり対応性だったり、はたまた継承性に重要性を置くことがよくあります。大人の販売員はそのへんを熟知しており、ポイントとして時折消費者にとっての苦みを感じることであっても消費者の立場に立ち言葉を選んでいるように思えます。

 ワインもおいしいだけを選んでいると、物足りなさを感じるようになります。ジュエリーは其れが顕著なものだと思っています。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年1月26日火曜日

相続とダイヤモンド⁉

 よく問い合わせがあるのが生前贈与が伴うダイヤモンドの運用です。勿論これは法律の問題も絡みますから軽軽な事はいえませんが、購入したダイヤモンドを子供たちに相続するという事はよくあることですが其れが相続税の対象になるのかどうか、これは難しい問題です。

 実はダイヤモンドの贈与という意味では以前にも書いたことがありますが、婚約指輪であれば税金の対象にならないという社会一般の常識がありますが、それでは誕生日のお祝いにどうか?はたまた、成人のお祝いとしてはどうなのか?そしてそれがいくらの金額なら税金の対象になるのかは其々の管轄の税務署の裁量に任されていることが多いのです。

 例えば最近ではDAIGO&北川景子さんの婚約指輪ですがブランド品で約1000万円ほどと報道されていますが、これは課税の対象になるのかどうか?

 勿論これは課税対象になるともいえるし、ならないともいえるのです。つまりははっきりとしたラインが無いのです。それゆえに問い合わせの材料ともなりやすいのです。一般的には慣習としての贈り物に課税をするといった無粋な事は税務署としてもしにくい訳ですが、あまりにも不適切と思われるような金額のものは如何なものかという事になります。

 しかし、これも難しく仮にDAIGO&北川景子の婚約指輪が想定1億円だったらどうだったのか?これも難しい問題です。つまり、贈る本人がどれくらいの収入があるのかという問題にもなってくるでしょう。『給料の3カ月分』といった目安で捉えるとしても難しい問題です。

 これ等の難しさをふまえた上での質問が多いのも事実です。つまり生前に相続の一環としてダイヤモンドで贈るという事に関しての相談です。勿論ダイヤモンドの手配はしますし、その後の運用方法についてのご相談もお受けしますが、ダイヤモンドについては一言があります。

 先日の展示会においての事ですが、ある母娘さんがダイヤモンドをお求めになりました。娘さんお腹には臨月を迎えた赤ちゃんがいます。その子も女の子という事で既に3代のの女性がそこにいる訳です。

 お母さんが
『今ここで私が買ったものは、お腹にいるこの子まではこのダイヤモンドのペンダントを着けることが出来るでしょう。そういうのって素晴らしいですね』
ということでした。そして、私が
『それには大きくて美しいものであることが必要ですね。そうであれば粗末には扱わないでしょうし、売ってしまおうとも思わないでしょうからね。』

 という事で最初に誰が購入したのかという事も語り継がれるようにペンダントの裏側にイニシャルを入れて差し上げる事となりました。

 これも立派な相続です。つまりダイヤモンドに関しては金融的なお話をよくしますが、必ずしもそれだけではないという事もご理解願いたいのです。
 http://ameblo.jp/diamonrow 【こちらも読んでみてください】

2016年1月25日月曜日

琴奨菊の優勝⁉

 十年ぶりの日本人力士の優勝で日本中が湧いています。琴奨菊としてはよくやったという事になりますが、大相撲として日本人力士としてとかんがえると、十年がひと昔と言っていた時代はすでに影を潜め今や3年ひと昔前の時代です。

 日進月歩という時代の中で十年、それも国技という意味での中で相撲で日本人力士が十年も優勝をしていなかった中でよくも相撲人気が衰えなかったといえます。途中では暴力や薬物問題もありました、そんな中モンゴル出身の力士たちが頑張って来ていたのです。

 特に白鳳に至ってはこの間数々の記録を打ち立て相撲人気を支えてきました。本当に彼自身も相撲に打ち込み日本の相撲に貢献をしてくれました。しかし、最近の彼の言動を聞いていると何故か少し拗ねているようにも感じることがあります。

 日本の国技の中で日本人力士が十年ぶりに優勝をするという事は国民も騒ぐことも当然でしょう。しかし、白鳳自身の実績や存在が否定をされている訳ではありません。ただ、彼の取り組みを見ていると陰りを感じ、彼自身が求めていた横綱としての理想からは少し離れていっているように見えます。ただ、まで十分な力はあります。

 この相撲界の現実が今の日本のすべてを凝縮しているように見えるのは私だけでしょうか。海外からたくさんの文化が入り、日本文化もその影響により少しづつ変化を起こし現状があります。

 戦後70年と言われた昨年は色々な意味で過去の歴史をさかのぼりました。しかし、戦後というだけではなく、日本の文化をもう少し振り返ってみたらどうだろうと思う事があります。

 例えば漆塗りの文化というものでもいまや殆どが中国産のものが多く、その日本の文化でもある漆塗りの文化を支えているのは英国からのご婦人で、家族で日本に移住をして日本の漆塗りの文化を守っています。

 勿論、これらの話ばかりではありません。ある部分日本の文化というものは神道の精神『八百万の神』ではないけれど、あらゆることに寛容で異なものでも受け入れるといったところがあります。

 それゆえに他の国ほど自分たちの文化に執着せず、また他の文化も素直に受け入れるといった部分もあります。

 表面上は他から見れば日本は保守的で、寛容さに欠けると見えることもあるかもしれません。今回の琴奨菊の優勝にしても日本中が歓び白鳳はじめ他の国出身の力士をないがしろにしているように見えるかもしれません。しかし、他の国の人が考えるほどはその事に執着している訳でもありません。

 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるのでしょう。しかし、それが日本なのです、伝統を守ることの重要性が薄らぎ大事なものを失っているように見えるかもしれませんが、実はそれが日本なのです。

 日本人は将来の為に何かを考えることは苦手です。今に生き、今に対応するという事が日本人の得意なことです。現代の日本においても世界の変化に対応することは日本のお家芸と言ったことでもあるでしょう。

 日本の一番苦手な事は政治である事は歴史を見ていても解ります。しかし、日本人一人一人はその時々の歓喜に酔う事があってもその他の貢献を忘れることはありません。モンゴル人力士に対してはこれからも頑張ってほしいし、日本人は海外出身の力士であれ、日本に対する貢献は忘れません。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2016年1月23日土曜日

ダイヤモンドの価格の推移⁉

 ダイヤモンドは最近のオークションでのファンシーカラーダイヤモンドのとんでもない落札価格を見ているとかなりのレベルで価格が上がっているように見えますが、2年前を契機にダイヤモンド全体としては横ばいの数字を示しています。

 特に2015年に関してはダイヤモンドのレンジによっては価格が下がっています。勿論景気のせいもあるだろうし、多くの先進国ではたくさん人々が既にダイヤモンドを所有しているという事もあります。

 これは以前と違ってシンジケートが価格調整を行ったり、供給調整を行っていない証拠と言っても良いでしょう。つまり、市場原理に任せれているという事を考えれば健康的とも言えます。勿論十年単位といったレンジで見れば価格は間違いなく上がっているのですが、株式市場が如くデイトレードのように短期間で考えるべきものではないのでこれは良しという事でしょう。

 しかし、以前と違う所はサイズやシェイプによって価格の微妙な差があるという事です。例えば3CTSアップのペアシェイプでいえばむしろ価格が上がっています。それは研磨の絶対量が特に少なかったという事もあるでしょう。これは原石が少ないというより景気が悪く、よほどの形が良くなければむしろ安く売らなければいけないので研磨をするより原石のままにしておいた方が無難だという理屈です。

 勿論それぞれのところにそれなりの理由はあります。ポインター(1ct以下)に関していえば一般的な市場としては一番大きい訳ですが、冷え切った市場ではその需要があまりないという事になり価格も弱含みという事になります。

 しかし、格差社会という言葉が根付いて久しいのですが、金持ちレンジのところで捉えると彼らが欲しがるとことはやはり品薄ですから価格は強含みです。其れが最近オークションで高値を付けている要因でもあるでしょう。

 いずれにしても今後もある一定の大きさなり希少性のある物は強含みでしょうが、一般人用といっては何ですがスタンダードの市場においては価格は弱含みになるでしょう。なんだか天気予報みたいですが、ところによりといった表現がぴったりの市場になるのかもしれません。

 小さなサイズのところは特にCVDやHPHTといった人造ダイヤモンドや処理ダイヤモンドが市場に投下されつつあるので更に価格が弱くなる可能性はあります。中国や東南アジアで中国系やインド系のメーカーが供給するジュエリーに関しては特に気を付けなければいけません。パヴェ留めや取り巻き等の小さなサイズにはそれらの石が入っている可能性が大きくなっています。

 今後ともに、それらのジュエリーの対する対処は業界側としてきちっとしていかなければいけないでしょう。http://madam-g.blogspot.jp/   こちらの読んでください】

2016年1月21日木曜日

東京国際宝飾展⁉

 昨日、東京ビックサイトで行われている国際宝飾展に顔を出してきました。印象的には会場も狭くなり、会場の1/3をリサイクルジュエリーが占めているという現在を象徴する様な様相でした。

 もちろん海外からも(主に中国であるが)来場をしておりましたが、一般客の入場がかなり多く目立ちました。当店のお客様とも鉢合わせをして罰の悪そうなお顔をなさっておりました。勿論、現在では宝飾品に興味をお持ちの方がどのような形で宝飾品をお求めになるかは個人の自由ですが、旧知の業者が
『こんなに一般客が多くなっては小売店さんいる場所が無くなってきますね』
と嘆いておりましたが、以前から主催の方にも申し上げてきた立場からすると、主催者にとっては業界の将来を考える立場にはいないという事で、展示会主催者としてどのように集客を上げるかが主題であるという事でした。

 参加をしている出展者の多くもお客が業者かどうかがそんなに大きな問題では無く、その場でいかに売上を上げるかが大事で、本来の顧客でもある小売店さんを守る立場という事を考えている人たちは極めて少ないという事です。

 現在を象徴し、如何にも現代の日本人的考え方だなと思うと同時に、かつての日本人はここまで合理的で刹那的考え方をしている事はなかったと、宝飾品を扱ってきた身としては些か複雑な心境です。

 その場ではなく長いレンジで考えるものが宝飾品であると教えられてきた立場からすると、現在の30代から50代初めの業者さんたちを見ていると何故かかわいそうな気もします。彼らは高度成長もバブルも真中で経験をした世代ではないので宝飾品を使う市場の経験をほとんどしていないのでやむを得ないともいえるのでしょう。

 現代のように仮装金融経済の世の中ではお金を動かしている人々も宝飾品に目を向けている暇もなく、販売している側も売れる時に売っておかなければという気持ちにもなり、その背景なども気にしている暇などもないのでしょう。

 しかし、消費者の犠牲の上に立つビジネスは長続きはしないでしょう。あくまでも消費者の利益の上に立たなければ。特に宝飾品は其れが価値でもあるし、それが目的でもあるし、それが本懐なのではと考えています。

 ここ数年の宝飾展を見ているとその経緯経過を見ているような気がします。なるべくしてなっているという事を痛感するのです。私の人生訓でもある
『今日は昨日の明日。今日は明日の昨日』
という言葉がありますが、現在の結果は過去の結果であり、今何をしているかで未来が決まります。業界の将来が不安です。
http://ameblo.jp/diamonrow 【こちらのブログも読んでみてください】

2016年1月19日火曜日

ダイヤモンドとS・M・A・P⁉

 ここ数日間SMAPの解散報道で騒がしかったというか、私自身そんなに興味を持っていたという事ではなかったのですが、騒ぎと同時に本当にSMAPが解散をするかもしれないという事に急に興味が出てきて見守っていました。

 色々と事情が報道されていますが、事実はわかりません。ただ一つ言えることはSMAPというものは個人の感情や事務所の事情でどうにでもなるという存在ではないという事です。つまり、もうある意味の公共性があり、行動や言動が常に社会に影響を及ぼす存在で、事務所やメンバーがその原点になっていたとしても今や社会が名実ともに社会の一つの現象として捉えているのです。

 公共性という意味では総理大臣だったリ、ましてや天皇陛下という御立場に居られたら個人感情はある意味認められないということです。

 勿論、そこまでの公共性とは言わないまでもそれに近い立場にあり、その存在でいる以上はそれを演出していかなければいけないのでしょう。ましてや事務所がどうこう言えることではないと思います。もうすでに一芸能人ではないのでしょう。先日のベッキーの不倫騒動や芸人レベルの立場ではないのでしょう。

 宝石業界も、出ては消え出ては消えといった半貴石や色石の流行やブームがありますが、常に宝石といったら代名詞のように、『ダイヤモンド』の名前が出てきます。これは単に贅沢品や宝石といったジャンルで括れることではなく、色々なメンバーズカードや象徴的な賞の冠の格付けには必ずといっていいほど『ダイヤモンド』という言葉が使われます。

 これは既に宝石のジャンルを抜け出し、ある種の慣用語になっている事をあらわしていると思います。それゆえにダイヤモンドという存在が意味とか価値が怪しくなると宝石業界自体が危うくなるのです。

 数十年前に米国宝石学会が出来、宝飾業界にダイヤモンドのグレーディング方式を持ち込みました。当初は真面目にダイヤモンドを分かりやすくするために真面目に取り組んでいたものが、一旦それが商売ベースに乗ることがわかると業界寄りに怪しげな事を始め、日本の鑑定会社においてもダイヤモンドを愚弄する様なまやかしが横行しました。そしてそれらの多くの鑑定会社なるものが退場をしていきましたが、まだその慣習が一部に残っています。

 しかし、現在はその米国宝石学会をはじめ日本の大手鑑定会社の一部がそのダイヤモンドの希少な立場に気付き、まじめに向き合っている様子が見られます。ダイヤモンドは既に業界の手の内で自由にまやかしてよいものではなくなっています。

 今度のSMAP騒動によって特別にファンであったわけでもなかったのですが、合って当たり前、いて当たり前といった存在が無くいなるかもしれない事の違和感というものが公共性といったものと実にシンクロしているなと感じた次第です。

 ダイヤモンドもSMAPも実は存在していて当たり前と思っていてもそれが簡単に出来上がったものではなく、そしてそれを認めている人々が大勢いることが前提となっている訳です。

 自分を計れる対象、その存在は自らの時代を記憶していくメモリーカードのようなものでもあります。今後も見守っていきたいものです。http://ameblo.jp/diamonrow