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2019年4月28日日曜日

過ぎたるは及ばざるがごとし⁉

 最近高齢者と言われる人の事故が多いとなっていますが、これは必ずしも高齢者に限ったことではありません。実際にその率を見ても高齢者(70代以降)だけの事故に限ると10%前後もいかないくらいの割合でもあります。ただどうしてもメディアに取り上げられやすいという事もあります。

 ここで考えなければならないことは自動車の運転があまりにも簡素化されたことにあると考えます。つまり。だれでもが運転が出来るようにオートマ化が進み、本来の事故の回避ができる能力が携わっていない人も運転をしていると言えるからです。。

 いつの日からか遊園地のカート並みの運転技術で車は運単が出来るようになりました。運転が本来のマニュアルであったならばどれくらいの人がすんなり運転免許を取っていたのだろうかとさえ考えます。確か自動車が進化をし車に乗る人が増え、車もたくさん売れたのでしょう。

 しかし、ここが問題の根源となっているような気がします。何故なら高齢者にしてもマニュアル車の運転であれば難しくなりしょっちゅうエンストをしているようであればあきらめもつくでしょう。それに運転技術がおぼつかない女性ドライバーの率も減るかもしれません。

 その場の事だけを考えると車が売れ、運転免許証をとる人が増えれば自動車関連や教習所関係はビジネスに関しては良いかもしれません。しかし、何事も最後という事は遅かれ早かれ来るわけです。

 その場の経済や利益だけを追い求めることは理解もできますが、もっと大きな展望をもってなさなければならないことが多いような気がします。

 進化を絶対条件と考えてもその速度は人間がコントロールをするような状況でなければなりません。これは何も車だけのことではありません。デジタルの出現やAIの出現により人間のスピードではなくAIのスピードで物事を運ぼうとしています。

 これはついていける人が多分10%とはいないでしょう。時代が変わろうとしていますが、それは人間の速度での変化であり、決してAIやデジタルのスピードであってはいけないような気がします。これらと人間はうまく付きあっていかなければなりません。

 決して理解をせずに使用し進めることは道路交通法を理解せずに運転をしている様なもので運転が出来ればよいわけではありません。普段町中を歩いていると本当にそのことが気になります。

 多くの問題点は他に転換されているような気がしますが、実際には身の丈に合っていないことが原因だと考えられます。750ccのバイクは運転以前にそれを持ち上げ立て直せるかを第一に免許の前提としますが、それ位の事を他の事柄に関しても適応しても良いと考えます。

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2019年4月26日金曜日

昭和、平成そして令和⁉

 私自身は昭和の生まれですから『天皇陛下』というと昭和天皇の印象が非常に強く、ある意味天皇陛下という存在は理由なく畏敬の念をもって見ていました。戦前、戦中そして戦後と長きにわたり歴史と向き合ってきた存在であり、更にはその責任を負い平和に対して尽力をされた存在と感じておりました。

 私自身も幼き頃、わが故郷でもある夕張に来られた時にはひたすら大人の仕草に従い日の丸を振っていたような記憶があります。その時の印象で昭和天皇がお乗りになっていた車の周辺の煌きや、当時春真っ盛りという事もあり桜色に染まった風の中をゆったりと悠然として進まれる車列が蒔絵のような印象として強烈に残っています。

 多くの昭和中期以前に生まれた人々は『天皇陛下像』というものは特別な存在と考えていたような気がします。しかし、現平成天皇においては全くちがった印象を持つ人も多いのではないだろうか。

 東日本大震災の折避難民の人々を見舞われた天皇陛下は何の躊躇もなく床にひざまずかれ避難民の人々の目線に合わされ見舞いのお言葉をかけられていたのです。私自身だけではなく多くの人々には衝撃の場面ではなかったのかと感じます。

 天皇陛下が常々述べられていた国民と共に歩む皇室というものを目の当たりにしたような気がしました。多くの被災地を回られ多くの被災者に労いのお言葉をかけられている場面を私たち国民はどれ位見てきただろうか。そして、戦没者や周辺国への配慮としてどれ位の戦地をお回りになり多くの御霊の鎮魂の旅をなさっただろうか。

 間もなく『令和』という年号を迎え新たな時代を幕開けとなります。現平成天皇が見事に作り上げた国民に寄り添った皇室というものは我々日本人はもっと意識をしても良いのではないだろうか。

 メディア等でも取り上げられるテーマは『平成という時代はどういう時代だったのか?』という際に経済や流行などが多く目に留まりますが、もっと大きな目で見るべきだと思うのです。

 つまり、平成天皇明仁陛下は何千年と続いた中での天皇というものを鮮やかに進化させたのです。これは明らかに歴史創造者であり、皆がもっと目を向けても良いことだと考えます。

 これほど国民に寄り添った天皇が歴史の中に存在しただろうか?

 私の記憶の歴史の中には皆無だったと思います。

 世の政治家がもっと天皇陛下のような国や国民をもっと大切に思うようであればどこの国も日本には戦争を仕掛けてはこないだろうさえ感じます。

 歴史上の人物である明仁今上天皇には『ゆっくりとお休みください』と申し上げしたいのです。
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2019年4月24日水曜日

ジュエリーショー⁉

 宝飾業界においてはビッグイベントであるスイスのバーゼルフェアーが終わり、次に控えるのは米国ラスベガスのJCKショーです。

 大きさでは世界最大ともいわれるこのショーは2010年以来再びサンズEXPOに戻り、『べネシアンホテル』でとともに行われます。

 私自身このショーがパシフィックジュエリーショーとしてロサンゼルスで行われていた頃からの付き合いになりますので40年近くになるのでしょうか。当初は日本でのエージェントとして活動もしておりましたが1995年から10年ほどは出展者として参加をしておりました。

 最初の頃は日本も高度成長期からバブルに向かう頃でしたから『アメリカのジュエリーなんて』とヨーロッパ全盛の日本ジュエリー業界では鼻であしらわれたものです。それから十年ほども経つと参加も難しくなるような宝飾展になり、日本からの出展は殆どなく私自身も米国に事務所を持っていたいた事とエージェントであったことを生かし、参加をしたものです。

 当時はラクシュアリーエリアは世界から90社のみの参加しかできなく、来場者は米国上位200社のみという厳しい条件もありましたが、取引条件は何処も優良保証ですから当社としては大変助かったという経験があります。

 その際には多くのバイヤーが取引先を紹介してくれ、大いにアメリカでの取引先を増やすことに役に立っていただいたのを覚えています。

 現在は日本からも団体で参加をできるようになりましたが多くは日本にある外国籍の会社で純粋な日本の会社は殆んどいないと聞いています。多くの問題は取引条件であったり、集金の難しさでしょう。しかし、世界に目を向けようとすればそんな事でめげていればないもできません。ぜひ頑張ってもらいたいものです。

 この季節のラスベガスはとても暑く40度を超える毎日ですから会場内の温度との温度差は半端ではりません。しかし、会場につながる駐車場は殆どがカジノの中を通っていきますのでそこまでは問題がありません。ただ、その距離が半端なく同じ建物の中にいながら約15分ほど歩きます。

 出展の際は毎朝カジノの中を通って会場入りをするのですが、その途中にあるフードコートではなじみのある顔の出展者たちが朝食をとりながら当日の作戦を話し合っています。我々も最大8名ほどで参加をしておりましたから毎朝そのフードコートでミーティングを行っていました。

 アメリカ特有のフードコートの香りは今でも思い出すことがあります。昨今は香港ショーで殆ど用を足すことが多くこの数年ラスベガスは訪れていませんが、青春時代を過ごし、ビジネスとしても20年近く訪れていたラスベガスは私にとってはとても思い出深い場所であり、再び訪れたい場所でもあります。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年4月20日土曜日

付加価値⁉

 一昨日友人と電話で話していると『実は昨日池袋のコーヒー専門店に入ったんだけれどびっくりしたことに一杯1万円のコーヒーがあり、(ゲイシャコーヒー)と書いてあったので「芸者さんが入れてくれるコーヒーなのと?」冗談交じりでスタッフに聞くと得意げに説明してくれたんだよ。』

 知っている方も多いかもしれませんが『ゲイシャコーヒー』とは芸者ではなく、エチオピアのゲイシャという村でとれるレアなコーヒーの事ですが、中年のおじさんたちにとっては絶好のジョークの材料になる訳です。

 その後の話の展開で『こんなに高いコーヒーを飲む人はいないでしょう?』と聞くと『先ほど帰られた方が飲んでいかれました』との事で改めてびっくりしたそうです。

 現代においてレアな、それこそアナログな品物に注目する時代になったのかと感じるのは食パンにしてもソフトクリームにしてもビックリするような価格の物に人が群がっています。しかし、総じて言えることは物に対して高いものであっても金銭と考えると決して払えない価格ではないという事です。

 日本人の中には昔から『一点豪華主義』とか『一瞬豪華主義』的なことが寝付いています。総じて金銭的に余裕があるわけではけれどここぐらいには贅沢をしたいという気持ちをどこかに持っているものです。

 人は付加価値というものには常に魅力を感じているものです。勿論自らの身の丈あっていることという事になるでしょうけれど手に届くものであれば手に入れたいとは思うわけです。

 それ故にコーヒーとしては本当に美味しいかどうかという問題ではなく『コーヒー通』を自認するのであればめったに手に入らないものは試しておきたいという願望が生まれるのです。そして、実際には数年経てば大量に出てくるものであるかもしれないのですが、決してそうしない方が賢明なのです。

 付加価値というものは演出もできるものであり、その品物に必ずしも絶対的付加価値がなくても一部の人を魅了するものであればよいのです。

 ダイアモンドは付加価値の最上級にいるものです。それ故に演出のしようもなく、そのものを見ていただくしかないのですが、過去の売り方は逆に最上級の物を付加価値の切り売りとして値引き販売が横行してきたわけです。つまり、こんなにすごいものがこの価格で私は提供しますといったことが主流になり、本来絶対的に守らなければならない価値を切り売りしてきたのです。それ故に業界自体の不信を招くことになり宝石そのものの価値さえ揺らんできたのです。

 付加価値というものは演出できるものですから販売員の品位であったり販売店の販売方法が必須になる訳ですが、多くの販売店が苦しんでいる理由としてこのあたりに理由があるのだと考えるのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年4月19日金曜日

自然の摂理⁉

 最近同性婚の裁判が話題になっていますが人権派の人々の理屈も十分に理解をしたうえでのことですが、やはり首をかしげる部分があります。

 自然は雄雌を基本に摂理というものが形成をされているわけですが、環境により雌雄同体という生物も存在することも事実です。しかし、摂理というものは人間の観念であることも事実です。

 同上の理解をしたうえでの考え方なのですが人類の自然という事を考えると過去だけではなく未来を考えたときに同性婚とはやはり不自然の摂理とも考えるのです。つまり、未来があっての進化だったり変化は自然の摂理と考えますが、やはり人類の継続という中で理解を使用とした時に同性愛なり同性婚というものは個々の嗜好の中で認めるものであっても公の物として判断を下すものではないような気がします。

 当該者の人々が相続や財産の分与などの話なども前提としていますが、それであれば他の法律で解決をすればよいと考えますが、これらの事を含めて自然の摂理に反する様な理屈というものを前提とするべきではないと考えるのです。

 例えば、この話題を一緒にすると激怒をされる方もいるかもしれませんがクローン人間等なども自然の摂理に反していると考えるのですが、これを『愛』を前提にみ止めるならそれは問題です。自然界から出来上がってきた基本というものを無視することは大きな反動がやがて人類を襲う事になると思います。

 これを決して同性愛や同性婚が恐ろしいと言っているわけではありません。一見社会の必要悪と考え役にたつものとして原子力発電なども行われているのですが、これとて自然界には存在をしないプルトニウムというものを人間が創り上げ燃料として使っているのですが、既に社会の一部として存在をしている以上は戻れないのです。しかし、間違いなく人間社会を蝕んでいます。

 以前から同性に対する指向を持っていた人々は沢山いると思いますが事結婚に関しては別物と割り切ってきた部分があるのだと思います。更には結婚をし、家庭を作ったうえで同性愛に走っていた人々も沢山います。それ故に無茶な理論と言われるかもしれませんが結婚と恋愛は別と考える人々もいます。

 人造ダイアモンドに関してもダイアモンドという名を関することも如何なものかとさえ思っています。自然が作り上げたものをダイアモンドと呼び、素材そのものは炭素であるわけですから科学的に作り上げたものはやはり炭素と呼ぶべきだと考えるわけです。

 自然界に存在し、創成されてきたものを摂理として物事を基準と考えることは今の時代に特に必要なことだと考えるます。勿論法律もそうあるべきで、そのことは一部の嗜好を勿論否定するものであってはいけないわけです。

 しかし、今は称賛の中にいるAIなども例外ではありません。人間を超える物を創るべきではないし、自然の摂理とはそれ以外の部分は『神の領域』であるべきなのです。
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2019年4月16日火曜日

希少性⁉

 希少性とは良い言うと珍しく稀な物であり、悪く言うと経済的にも統計的にも満たすだけの存在を持たないという事になるのですが、双方とも衆知の物であることが条件になります。

 つまり、誰もが知っているけれどなかなか見ることがないものという事になります。宝石の催事業界では時として珍しい石を『希少石』として紹介をしている輩がいますが、その一言が出るようであれば信用をしてはならないという事です。

 つまり、(珍石)ではあるかもしれませんが誰も知らないものは珍しいだけであり、希少なわけではありません。

 時としてこの希少性を人間の手で作り上げる事があります。それは限定品という言葉で括り、希少性というものを演出しているわけです

 例えば時計業界でいえば、かつて数千万円の時計と言えばダイアモンドがふんだんに使用され誰もが高価であることを想像させたものですが、現代ではただ見ただけでは高そうな雰囲気はあっても70~80万円に見える時計が実は数千万円だったりします。

 それは世界限定数本という謳い文句であったり、いかにも豪華な化粧箱に鎮座せることにより数千万円に見せる演出をしているのです。実際の原価を考えると首をかしげる部分と生産が可能なもの考えると疑問符はつくのですが時計業界は見事にやってのけたのです。

 一方親戚みたいな業界である宝石業界はというと素材そのものに価値と知名度があるものですからその努力を殆ど必要としません、それ故にその価値あるものを如何にも安価で提供できることを努力のように勘違いをしてきた業界です。

 本来はその価値と知名度を維持高めていくことが必須条件であるにもかかわらずその逆をやっている業者が多いのです。それは自らの首を絞めるだけではなく将来を切り売りし、業界そのものを死滅へと誘っているわけです。

 それはひとえに扱っている人間の問題ですが、知識と経験の無さをその場しのぎの言葉で繕っていく術を身に着けた人間がいかに多いかという事にもなります。時として催事業界の人間とも話をする機会があるとそのたびに落胆をしてしまいます。あまりの知識の無さに・・・。

 希少性というものは宝石に与えられた最も強い武器とも言えます。美しさは誰もが理解をできます。それ故にそのことを更なる演出により高めていくことが唯一無二の方法であるともいえるのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年4月14日日曜日

ダイアモンドはアナログ⁉

 IT社会となって久しいのですが一定の部分で不安になってきている部分もあります。ビジネスの形態や生活の形態が一変しましたが本当にこのままで良いのだろうかと考える時があります。

 IT自体はアナログがあってのものですが、AIという存在が浮き彫りにされてくるとアナログを効率よくするという技術をAIが使うと考えるスピードは人間とは全く違い差がありますから不安は当然なのかもしれません。

 今やAIとITは切っても切れない関係性がありますが最近よくブログで書いている問題でもありますが、本当にAIに車の運転をすべて任してよいのだろうか、とか、生活を豊かにしてはくれるけれど生活をAIに任せて良いのだろうかと単純に考えるのです。

 しかし、人間というものは不思議なものでデジタル化が進み過ぎると、必ずアナログを求めは始めるのです。というのは現代の買い物というものは量販店などの店頭をカタログと考え、実際の買い物はネットで行うといったことが日常茶飯事になってきてはいるのですが、ネットでは買えないレアなものを探し出し買い求める傾向があります。

 その証拠にレアな食パン屋さんに行列を作って並んでみたり、チョコレート屋さんにやはり行列を作ったりもするわけです。私には理解できない行動で行列に並んでまで食べたいものはないのですが、おいしいものを求めたいのは理解をします。

 そういう繁盛店は鮮度を落とさないためにもネットでの販売は行わないのですが、消費者というもんは不思議なものでそういうものを求めるのです。

 ダイアモンドの世界でも現代では研磨方法や研磨作業自体にはITが使われていますが事売買に関しては価値自体を人間が決めるものですからやはりアナログでなければなじみません。一時はITを使ったビジネスなども数十年前から行われていたのですがほとんどが成功の灯を見ることなく去ってしまいました。

 大量同品質が生産されるわけでもなく、異品質のものが自然界から採掘をされるものですからITビジネスそのものにダイアモンドを当てはめるにはいささか無理があるのです。

 どうやっても同じものが存在をしないダイアモンドにはアナログこそが最強の売買方法なのかもしれません。


 現代においてはそのアナログさを如何にプロモーションするのかというところが面白くもあり難しいところでもあるのでしょう。むしろITをあまり理解をしていない人の方がアナログであるダイアモンドのビジネスに向いているのかもしれません。



 

2019年4月11日木曜日

適材適所⁉

 『適材適所』という言葉で最近有名というほどではないけれど名を馳せたのは前五輪相の桜田なにがしという人です。

 彼に関しては論評にも値しないというかなぜ大臣になったんだろうという事と何故7回も当選をしたのだろう?さらに言えば選挙区の人々は何を基準に彼を国会に出していたんだろうという気もします。

 正直に言って五輪相になって舌禍事件を起こさなければ存在すら気が付かなかった議員ではあります。彼を有名にしたというか知られるようになったのは野党議員の質問の何故選ばれたのかという質問に対して『何故か解らない。総理が適材適所という事で選んだのでは』という答弁により皆に知られるようになったといっても過言ではないでしょうか。

 大臣どころか国会議員としての資質が問題以前の皆無と言って良い人間をただ人が好い、面倒見がよいというだけで国会議員や大臣に選んでよいのだろうかという気がします。

 ただ彼の場合は多少なりとも自分には不相応だという認識がないとも言えない節もあります。という事になると選んだ方の任命責任という事になる訳です。

 一般の企業においても親戚だからという理由だけで管理職になっている人々も多くいます。しかし、その認識があれば何の問題もないという訳にはいきませんが、無いよりはましなのかもじれません。場合によっては自分の実力でその場にいるという勘違い管理職もいます。

 その事に関してはその人々の部下の境遇を考えると悲惨なものです。私自身の近くにもそのような会社がない訳ではありません。勘違い管理職自身が自分は頭がよくほかの部下は頭が悪いと思い込んでおり、周辺を見回す力や、学ぶ能力において劣っており、周りもあきらめて何も言わないというパターンです。これは会社の将来として悲惨なわけです。

いずれにしても適材適所という言葉は誰が使い、誰が評価をするのがそれこそ適材適所なのかと考えるわけです。国会レベルでもあのレベルであれば仕方がないと言わざるを得ないのかもしれません。

 しかし、一般企業においては他に変わりがいないという困った状況もあるわけですが派閥の順送りと違って血も繋がっている親戚関係というものは実にややこしいものです。よほどの能力がなければ親戚の会社に就職はすることはないでしょうけれど、一方では能力が有ったら親戚の会社は選ばないのではないかとも思います。どちらから見ても適材適所とは厄介なものです。

2019年4月5日金曜日

24時間サービス⁉

 コンビニが今営業時間の問題でもめているようですが、そもそも24時間営業というものが必要なのかどうかという問題があります。

 そもそも今回の問題の中心になっている『セブン-イレブン』にしても名前の通り朝7時から夜の11時までの営業時間というものから来ていますが、当時10時から6時ないし7時で小売店は閉店をしてしまうという事でコンビニの出現は驚きでした。その時点でもそんなに営業していて大丈夫なのかという話もありました。

 しかし、現実にはコンビニの存在そのものが皮肉なことに人々の行動時間の変化を起こしました。それは良い事かどうかは別にして子供たちが夜遅くまで行動をし、場合によっては非行の温床にまでなってきたのです。

 現在働き方改革と言いながら、人手不足になったり、色々な社会現象が起きている環境を直視せず場当たり的な政策を練る政府にも問題はありますが、人間という原点の戻ると昼間と夜間の生活の差がもっとあっても良いのではないかとさえ思います。

 TV番組にしても24時間放映というヨーロッパではあまりない環境にあるし、最近では30分だけ朝方に音楽だけを流している場面も見かけますが、やはり大変なんだろうなという気さえします。

 7時から11時までの営業時間で皆は我慢が出来ないのだろうか?確かに夜中に急きょ必要なことが起きコンビニが開いていると便利かもしれませんが本当にそんな機会が多いのだろうか?我慢できないほどなのだろうかと思います。

 この状況が長く続くと国民生活自体の崩壊につながるのではないかと懸念さえします。人間的に昼間活動をし、夜にはゆっくり休み睡眠をとるといった当たり前の生活だけではそんなに問題があるのだろうか?

 人間社会が日々変化していることも重々承知はしていますが、そろそろ生き方自体を考えてきてはどうだろうか。ここ数十年の変化は人間がついていくことが難しい変化です。それ故に落ちこぼれる人も多くなってきているように思えますし、とりあえず自分が好きなことにだけ向き合っていこうとする人々があまりにも多くなってきているように思えます。

 人間らしい本来の生活を取り戻してみたらどうでしょうか?

 人間はやはり24時間行動をすることは出来ないのです。労働力不足などもそんなところからきているような気がします。

2019年4月2日火曜日

『令和』に見る現代の危うさ⁉

 新年号が『令和』と決まり、そのことは予想の範囲の困惑程度で、最初はネガティブな意味でしっくりきませんでしたが、言葉の意味というものを聞いて『厳しい冬を終えて春の息吹と香りに期待をし、穏やかな国民生活が出来るように』という想いということです。

 安倍政権も今が冬で厳しい状況にあることをやっと理解をしたんだなと希望を込めて理解をしたいものです。

 何よりもビックリしたのが多くの国民のお祭り騒ぎです。主要駅の前に集まり号外を我先にと群がる大衆を見てびっくりしました。そして、その号外を早くもネットオークションに挙げられているのを見てさらに呆れる思いです。それはいつの間に日本人はこんなにさもしくなったんだろうという思いもあります。

 《令》という感じの意味は冠の下に人がひざまずくという意味合いが漢字の成り立ちですが一般的にも命令、指令等に使われるように『言いつける』や『掟』など戒める意味合いの言葉として認識している人が多いと思います。万葉集の前後の意味合いを言葉に乗せているだけで実際には冒頭に政府が説明をした意味とは少し違うようです。

 ただ、現代人はそんなことは気にしないという人も多く、意味というよりは耳当たりというか耳になじみやすい事が重要なのかもしれません。

 多分、若い層は漢字で意味合いを判断するという事は習慣的にも文化的にもありませんから、それほどの抵抗はないのかもしれません。

 しかし、そこに今の日本の大きな問題がここに潜んででいるのかもしれません。つまり発想も感じ方もアナログではなくデジタルになっている人があまりに多くなってきたという事です。

 デジタルは無限でアナログは有限です。それゆえに物事の重要さや愛しさというものに差が出てきているような気がします。無限なデジタルには終焉の悲しさや愛しさというものはありませんが、有限である例えば桜のように短く散り行くから愛おしく感じるのであって、もし一年中咲いている状況であったならここまで日本人は愛でる喜びを感じるだろうかと考えます。

 この部分に危うさを感じるのは私だけでしょうか?
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2019年4月1日月曜日

新たに⁉

 新元号が本日の午前中に発表になります。本日はエイプリルフールという事もあり日にちを選んでも良かったのではないか問う思いも一寸ありますがエイプリルフールそのものが形骸化というか特に国民の関心もそれほどは多くは無くなってきているのかなという気もします。

 時代は常に変化がつきものですが、それを全肯定的に考えることも如何なものかと考えます。最近よく私はAI崇拝の兆候に対してネガティブなことを書くことがあります。しかし、これはそれを全否定しているわけでもなく頃合いの良い変化が望ましいという事を述べているのであり、大前提を理解したうえで考慮すべき問題だという事を指しています。

 年号が変わるという事が前提ではありませんが労働関連法が本日より施行されます。これが良い例ですが本当に政府が法律で労働時間の短縮や制限を行った良いのかという点です。日本という国は資源がありません。いわゆる労働力が資源の国です。だからこそ発展をしてきたのです。

 社会福祉国家や北欧国家、そして資源の豊かな中東国家のように我が国を考えていては先進国の仲間でいることも難しくなった来るのではないかと懸念するのです。現に今だって決して他国に比べて労働時間が長いわけではありません。一部の特殊な仕事についている人々の時間が考慮の必要ありという事です。でもその労働者たちはプロフェッショナル対応として必ずしも今回の法律の対象ではありません。

 一時労災認定を受けた過労死の問題もありましたが私自身の記憶では殆どがその会社の業種の特殊性の問題が要因だと思っています。

 例えば休日が明らかに増えました。しかし連休休日等が取れるのは一部の大手企業で殆どのサービス業や零細企業は休むことさえ難しい状況です。

 問題は労働時間の問題ではなく働き方の問題です。つまり、IT化が進めば進むほど働き方はどうにでもなる訳で中身のない労働の問題ではないのです。簡単に言うと『休み方改革⁉』をすべき問題だと考えるわけです。

 現状の政策では簡単に言うと労働力不足なのに労働時間の削減、休日が増えると実労であるサービス業や下請け零細企業が労働時間と人手が必要となるとなると何のための法律なのか。

 労働力不足だから外国人労働者を多く受け入れるという事であれば資源である労働益の殆どを海外に持ち出されることになります。政策には過度な協議が行われたという事も聞くと国会議員や役人の働き方改革がまずは必要な気がします。まして時代は彼らが考えているよりスピードが速いのです。

 『働き方改革』というのは労働時間の短縮を意味しているのだとしたらあまりにも短絡すぎると考えます。新たな時代を迎えるにあたって冷静に現状を見ることが必至だと考えます。
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