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2016年4月8日金曜日

ダイヤモンドと絆!?

 最近感じる事ですが、家族にしても親子にしても友人にしても絆のもろさというか、はかなさを感じることが多くメディアで流されたり、感じたりしています。

 それぞれの家で大事にしているものや考え方、其々のコミュニティーでの統一感等々上げたらきりがないのですが、現在の通信手段やコミュニケーション方法が以前とはかなり違い、顔の見えない相手とも簡単にやり取りをする反面、身近な人々との会話もほとんどないということが多いように聞きます。

 先日もある取引先の中年ではありますが、最近の若い社員には驚いているという話を聞きました。先輩である彼にものを尋ねるのにメールでよこすという事でした。それだけならさほどとも思わないのですが、彼のデスクの背中合わせにいる若い社員だそうです。

 そんな話を40代のやり手の女性常連客に話をしてみると
『今どきそういう人は多いんですよ。やり取りで必要以上に絡まなくて済むと思っているみたいですよ。』
との事です。

 あきれかえった話ですが、さほどな珍しい事ではない事がよくわかりました。しかし、このままいくと本当に会話が無くなっていくのでしょうか?

 昔から電話だけの会話は誤解を招くので、大事な話は直に会って話しをするものだと教えられ、教えた来たのですが、それはもう死語なのでしょうか?

 あえてこれらを否定するとしたら物にしても、考え方にしても相手の息を感じ、体調を感じ、感情を感じそれ以上の情報を得ることが出来るのではないかと考えます。便利になる事は良い事だとは思いますが、必要以上が良いのか悪いのかと考えます。現在来日中の前ウルグアイ大統領の考え方が一躍世界中でのニュースになりましたが、事足りるという考え方が人間本来の能力を維持するには必要な事ではないのかと考えます。

 便利になる事により失われるものが多くなってきているのは誰もが気づいている事です。言葉ではなく象徴として昔から意思を伝える手段として物や考え方を伝えていた事はユダヤ人のように国を2千年以上失っていた人たちでさえ蘇させることはできるのです。

 『家宝』という考え方をどれくらいの人たちが理解をするかはわかりませんが、家族や家系を繋いでいく手段として昔からヨーロッパや地方ではありますが現代ではほとんどその考え方はありません。しかし、共通の認識のある物を持つことによりそのもの以上の情報が運ばれます。

 話しは飛びますが遺跡や、家財や宝飾品がどれくらいの情報を未来に運んだのかと考えると、それは限りがありません。現代であれば情報としてPCにでも何にでも残せるという事になるのかもしれませんが、感性や感情まで残せるものではありません。しかし、遺跡や家宝に関してはその時代の嗜好性だったり、考え方が想像つくし、それを想像する意識も残っています。

 人々の繋がりや絆というものはネットでつながるものではありません。それを勘違いしているところから現代の色々な事件が起きているような気がします。

 簡単に言うとダイヤモンドの一つを『家宝』とする事で子々孫々に自分の存在を知らしめることが出来、ある意味での志向性も伝えることが出来ます。極端ではありますが墓石の管理を子孫に委ねるのであればダイヤモンドをその代わりにしても良いのではとさえ考えています。

 『事足りる気持ちを持つことが、幸福感を満たし、感情を安らかにする手段と心得るべき。』
と感じています。http://ameblo.jp/diamonrow

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