引き続き震災関連になるのですが、東日本大震災を経験して今回の救助、援助で速やかな行動になったことが多いという風に聞いています。人というものは経験から物事の創造であったり、価値の創造をする訳ですがボランティアであったり、自治体の対応であったりと災害対応の準備ができていた事により現段階の最小限の被害で済んだのかもしれません。
勿論現実には多くの被災者や死亡者が出ているのも事実ですから最善、万全なわけはありません。また環境や発生する自然災害は同じケースは殆どありませんから万全な事はありません。ただ、過去の経験値から出てきた対応には備えたのだと思います。
また、備えていたために、一見普段の生活で無駄に見えるようなものであってもいざという時には役に立ったというものが多くあります。嫌らしい話かもしれませんが、これらがビジネスになったことも事実です。
東京都の災害対策本が異例の発行部数になったというのも最近の話です。東京都民にはただでの配布ですが、他府県の人には有料発売であったにもかかわらず大量発行がされたものです。
このように人は経験値から価値を感じ、そのものにお金を払う事には大きな疑問を抱きません。これは必ずしも実用的なものだけではなく、たまたま写真を綺麗に撮れるともっとよく撮れないかとかカメラやレンズにもこだわり始めます。
つまり感性においても経験が価値を求め、その提供にお金を払う事はいといません。良い音楽を聴くともっと良い音楽をと思いますし、更にもっと良いオーディオが欲しくなったりもします。これは続いていくと『オタク』の世界に近づいていくかもしれませんが、真にココにビジネスの本質があるといっても過言ではありません。
モノを売るにしても価値を売るにしても、過去の経験値が欲望に繋がり、更に良い物をと考えていくのが人間です。普段から値引き商法を批判しているように受け取られるのですが、そうではなく値引きが順当である商品であったり、順当な時期であったり、順当な理由があるものは決して否定はしません。
理由なき値引き商法が値引き自体が経験値になり、そこに一番の価値消費者は感じていしまいます。しかし、この価値は一瞬の喜びであり、継続性のない歓びです。慣れてしまったらそこには価値を感じませんからそれ以上の値引きが必要になります。それに比例をして品物は劣悪になった行くことは至極当然でもあります。そうするとその商品には何の価値も見出せませんから、いずれ離れていってしまいます。
価値は売り手が創造することが出来るものですが、多くの場合売り手がこの市場を壊している事があります。次から次と価値を創造できる業界や会社であれば問題はありませんが、宝飾品のようにその価値は完成されており、培われてきた価値が劣化をすると手の出しようがなくなります。
その事に気が付かない多くの業者はひたすら絶滅の道を歩きはじめ、日々の結果を求めて自らの首を絞めています。
まずは消費者に喜びの経験を与え、さらなる経験を提案することが出来なければいずれビジネス機会が失われていくのではないいかと危惧しております。ただ、多くの50代前半までの業者の多くはその経験自体を自らが持っていませんから難しい事は理解をします。自らが喜びを感じない物どうすればよいのかというと自らが経験を求めていくという事しかないでしょう。
経験の創造からくる価値のに関してはまだまだビジネスチャンスがあります。
http://ameblo.jp/diamonrow
勿論現実には多くの被災者や死亡者が出ているのも事実ですから最善、万全なわけはありません。また環境や発生する自然災害は同じケースは殆どありませんから万全な事はありません。ただ、過去の経験値から出てきた対応には備えたのだと思います。
また、備えていたために、一見普段の生活で無駄に見えるようなものであってもいざという時には役に立ったというものが多くあります。嫌らしい話かもしれませんが、これらがビジネスになったことも事実です。
東京都の災害対策本が異例の発行部数になったというのも最近の話です。東京都民にはただでの配布ですが、他府県の人には有料発売であったにもかかわらず大量発行がされたものです。
このように人は経験値から価値を感じ、そのものにお金を払う事には大きな疑問を抱きません。これは必ずしも実用的なものだけではなく、たまたま写真を綺麗に撮れるともっとよく撮れないかとかカメラやレンズにもこだわり始めます。
つまり感性においても経験が価値を求め、その提供にお金を払う事はいといません。良い音楽を聴くともっと良い音楽をと思いますし、更にもっと良いオーディオが欲しくなったりもします。これは続いていくと『オタク』の世界に近づいていくかもしれませんが、真にココにビジネスの本質があるといっても過言ではありません。
モノを売るにしても価値を売るにしても、過去の経験値が欲望に繋がり、更に良い物をと考えていくのが人間です。普段から値引き商法を批判しているように受け取られるのですが、そうではなく値引きが順当である商品であったり、順当な時期であったり、順当な理由があるものは決して否定はしません。
理由なき値引き商法が値引き自体が経験値になり、そこに一番の価値消費者は感じていしまいます。しかし、この価値は一瞬の喜びであり、継続性のない歓びです。慣れてしまったらそこには価値を感じませんからそれ以上の値引きが必要になります。それに比例をして品物は劣悪になった行くことは至極当然でもあります。そうするとその商品には何の価値も見出せませんから、いずれ離れていってしまいます。
価値は売り手が創造することが出来るものですが、多くの場合売り手がこの市場を壊している事があります。次から次と価値を創造できる業界や会社であれば問題はありませんが、宝飾品のようにその価値は完成されており、培われてきた価値が劣化をすると手の出しようがなくなります。
その事に気が付かない多くの業者はひたすら絶滅の道を歩きはじめ、日々の結果を求めて自らの首を絞めています。
まずは消費者に喜びの経験を与え、さらなる経験を提案することが出来なければいずれビジネス機会が失われていくのではないいかと危惧しております。ただ、多くの50代前半までの業者の多くはその経験自体を自らが持っていませんから難しい事は理解をします。自らが喜びを感じない物どうすればよいのかというと自らが経験を求めていくという事しかないでしょう。
経験の創造からくる価値のに関してはまだまだビジネスチャンスがあります。
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