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2016年4月30日土曜日

都知事の矛盾!?

 最近週刊誌をはじめメディア等でも舛添東京都知事の金銭感覚と緊急事態対策の感覚のズレが指摘されていますが、ご本人は全く問題ないと捉えているような発言をしています。

 都知事自身ではなく都民として考えて問題だとしているのだから『今後気を付けます』という言葉で終わる問題なので、この事から考えても都知事としての意識の低さは問題なのかなとも思います。

 彼の言葉をいくつか取ってみても『一流のホテルに泊まらないと先方の重要人物とは会ったもらえない』という言葉は世界の東京都知事という肩書だけでも十分わけで、そんなに自分を卑下する必要もないだろうと思います。また、『緊急時別荘にいてもそのシステムは出来ている』という言葉ですが、東京から離れたところにそのシステムを構築しているとしたらそれも無駄遣いであろうと思います。

 そもそも別荘を持っていない人であればそんな手間暇もお金をかける必要が無いし、股関節の病を持っているので足を延ばせる別荘の湯舟が良いなんて言うのも、前知事の猪瀬氏も言っていましたが足を伸ばせる風呂は都内のどこにでもあるという事も都民の税金を余分に使っている感覚が全くいない事になる訳です。

 やはり一番は出張経費の高さでしょうね。関東他県の知事は平均して規定以内で収まっているのですからおかしな話で、スイートで遊んでいる訳ではなく会議をしているとも述べていましたが、何処のホテル、特に一流ホテルとなれば会議室程度は備えがありますから、それほどのお金をかける必要はないし、何より知事がファーストクラスで、随行員がビジネスクラスという事で、皆が公務員であることを忘れているのではないかとおもいます。

 ファーストクラスでなければ相手にバカにされるのだとしたら、そんな相手とは会う必要もないでしょう。劣悪な環境で出張をしろとは言いません。ましてや事前の議会の許可も取らずにという事であれば何をかいわんやであります。

 どの内容を取ってみても都知事の都知事としての姿勢を意識した発言はなく、国立競技場の時も都民の税金を使うのであれば都民が十分な理解をする事が無ければ了承は出来ないと声高らかに言っていた人の発言とも取れません。

 それらの矛盾した発言を見ればこの人に東京オリンピックを任せるべきかどうか答えが出るような気がします。前知事の猪瀬氏の行動を理解するつもりはないですが、政治家としては少し経験が足りなかったように思いますが、行政の手腕だけをとれば彼の足元にも及ばないように感じます。

 個人的意見ですが猪瀬氏には次回の都知事選には是非立候補をしてもらいたいものです。彼なら同じ轍は踏まないでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月29日金曜日

ダイヤモンドの最近の値動き⁉

 いよいよゴールデンウイークが始まり、皆がワクワクする季節です。丁度春から初夏に向かう良い季節でもあり、楽しい気分になっている人も多いでしょう。かと思うと北海道では雪が降っているという事で同じ日本でもそれぞれです。

 もちろん熊本の震災で被災された方達はそれどころではないでしょう。東日本大震災の折にもゴールデンウイークを利用してボランティアで被災地に入った人が大勢いた事を思い出します。
ただ、くれぐれの復興復旧の妨げにならないようにしてもらいたいものです。

 日本という国は細長いだけに様々な状況が内在しています。まるで世界の経済状況の様であります。

 さて、経済も冬なのか春なのかがわからない状況ですが、ダイヤモンドの値動きもここ数週間奇妙な動きがあります、1ct以下のところが値下がりを続け、3ct以上のところが少しづつ上がり始めています。

 これは以前から言っているように1:99現象がさらに拡大を始めた兆候ではないかと思っています。少し前はそれほどの期間ではありませんが3ct以上のところが停滞をしておりましたが、ここにきて動きが見え始めたという事は富裕層の幅が少し広がり始めたのではないかと思っています。

 以前は多くの人が知っている人々が富裕層でしたが、ここにきての金融市場はじめIT関連企業をベースにした富裕層が増え始めたのではないかと思うのです。その結果大粒ダイヤモンドの需要も増えつつあるのではないでしょうか。

 つまり、富裕層予備軍であった人々が富裕層に仲間入りし、更には貧困層予備軍であった人々がさらに貧困層に飲み込まれていったと考えるのです。小粒ダイヤモンドが低迷し、大粒の需要が増えてきたという事がその兆候です。

 身近にも株式投資等で連戦連勝の人たちもいます。更には富裕層向けの絶対に減らさない投資グループも存在します。ウォーレン・バフェット氏の投資グループなどはその典型なのでしょう。

 更には集まり過ぎた資産は減らしようがない状況にもあります。富裕層であれ貧困層であれレベルの違いはあれ衣食住は必需品です。仮にその使っているものが1000倍以上の価格差があったとしても体は一つです。しかし、保有資産の差はそれ以上なわけですから格差は広がれど縮まることはないのです。

 つまり、富裕層とはいえ一日で百億円の食事は出来ないわけで、貧困層が生活する上で実用品に一日100円を使うのに対し、富裕層は実用品に10億円使わなければならないくらいの極端ではありますが差があります。そんなことは不可能です。それゆえに富裕層はそれ以外の贅沢品等にも目を向ける訳です。

 結果投資までにはならない3ct程度のダイヤモンドにも富裕層の下の方の人々の需要として出てきたのではないかと感じています。

 それでは富裕層になる人と貧困層に組み込まれる人々の差はどこにあるのかというと自分ではどうにもできない事ですが、出来るとしたらポジティブに物を考え、過ぎない程度の背伸びをする習慣のをつけることだと考えます。

 身につけるものにしてもお付き合いをする人にしても自分には少し過ぎているのかなと思う状況での生活をする事です。身の丈でよいと思った瞬間後退が始まります。勿論、度を越していてはいけません。良い環境に身を置くことは良い環境が出来上がってきます。その結果その先の道が見えてきます。運は良い環境の中でこそ更なる幸運を呼びます。

 ダイヤモンドの値動きは大きな意味での世界の動きを反映することもあるのです。そして、今、格差がさらに広がろうとしているのです。資本主義とはそういうものだと考えます。
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2016年4月27日水曜日

伝える⁉

 先日とある取引先のスタッフから『売り上げが良くないので、上司が機嫌が悪いんですよ。何か良い提案はありませんか?』という連絡がありました。

 話しによるとしょっちゅう会議があり内容は憤慨しているだけで何が言いたいのかわからないという事でスタッフ一同もと惑っているという事でした。

 この話を聞いたときに勿論責任者の気持ちを分からないではないのですが、皆に伝えたいことが伝わっていない。気持ちが先行をして感情が前面に出てきてしまっているのかなとも感じました。

 例えば子育て経験のある人であれば解ると思うのですが、感情的になって子供を叩いても、子供は理解をしてくれません。怒る側の感情が晴れるだけです。そして、本来子供に伝えたいことは何一つ伝わりません。何故なら怒られている恐怖心の方が先になり内容は頭に入ってこないからです。

 けれども子供と対等に話をして物わかりの良い大人になりなさいという事を言っているのではありません。子供に手を出すという事はその行為そのもので意図が伝わらなければなりません。つまり、その事で危険の回避が出来たとか、伝えたいことが気持ちで伝わったという意味です。

 前述の場合上司という立場は社会人であること考えれば感情を前面に押し出すことは百害あって一利なしです。何故いまこのような事をやらなければいけないのか。そしてその対策としてこのようにやってくださいという事を冷静に伝える事が大事なわけです。

 これ等の事は私が言うまでもなくほとんどの人が理解をしている事です。しかし、現にそのような管理職が実在している訳です。それは管理者そのものが精神的に追い詰められているという事が言えるわけですからスタッフもと怯えたり戸惑うことなく、具体的な話をお互いにすることが大事でしょう。

 学校の体罰や暴力問題にしても、感情に任せて教師が生徒を叩くのと本当にその生徒の事を思い実行するのでは意味が違います。すべての人間に対して同等の対応はありません。場合によっては話し合う事が必要な事もあります。

 しかし、社会人という事を前提に考えると働いている人間には選択権があります。つまり、離職も出来るという事になります。そして、何よりもスタッフの失った信頼は仕事で挽回できますが、上司がスタッフからの失った信頼は会社の命運を危うくします。

 何を伝えたいかと言う前に腹ただしさでけをぶつけると、スタッフは表面上の仕事だけに終始することになります。その結果は推して知るべしです。

 まずは指示を出すときには何を意図しているのかを説明し、理解を求めてから指示を出すべきなのでしょう。感情でものが伝わるのなら赤ちゃんと同じレベルです。自分の気持ちと指示をロジックが出来上がってから行動をするべきだし、感情で会議を開いたり、指示を出していては会社の存続に関わります。

 伝えることは難しく大変ではありますが、共通の仕事をしているのですから伝え方さえ間違わなければ意思は通じます。もし、できないのであれば自らが退場をするしかないでしょう。
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2016年4月26日火曜日

オリンピックエンブレム!?

 悪評の多かった前回のエンブレム騒動から今回の東京オリンピックエンブレム決定まで半年以上の遅れで決定をしました。多くの人がびっくりしたのは4案の候補作のうち一番人気のなかった市松模様のエンブレムに決定したことでしょう。

 わざわざ事前アンケートを取り、公明に行うという事だったのですが実際に決まったものは多くの人が支持したものとは違ったものでした。

 またもや密室の都合かとも思ったものです。決定までは公明で決定寸前は密室となれば何をか言わんやとも思いました。しかし、実際にはそれらの候補案に対してのコンセプトを知っていたり、今後の派生内容まで想像をしていた人は少ないと思います。私自身もその一人です。

 しかし、実際に決まりコンセプト等を知るに至り思う事は、デザインの中の意味合いだったリ、それが象徴するもののすばらしさだったりとよくぞこの案を選んでくれたと今現在では思っています。

 この案を解きほぐしていくとそこに含まれる意味合いだったリ、使用される時にどの様な変化をしていくかなどの派生要因はよく考えると素晴らしいものがあります。

 ここで考えたことは、一つの象徴的なものからどれくらいの派生が行われるのかという事です。ダイヤモンドを宝飾の一つの象徴としたときにどれくらいの派生要因があり広がるのかという事をついつい考えてしまいました。

 どうなっていくのかはまだまだこれからの課題としても目に見えるものから見えないものにどのように派生をしていくのかという事を何時も考えていく象徴としても今回のエンブレムにはすばらしさを覚えます。

 実際のところ、普段行っているビジネスの中で目に見えるものに対する反応は皆がする事です。しかし、目に見えない本来の価値や意味するところがどこまで考えられているのかという事を考えるに至り、宝飾品の購入者は何をもって満足をして意味を感じ価値を感じているのかという事を仕事に携わっている人々が理解をしているのかという事をついつい考えてしまいました。

 今回のエンブレムの決定に際し、色々な意味合いを自分なりに感じることが出来た良い機会だったと思っています。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月25日月曜日

ダイヤモンドは何のために!?

 ダイヤモンドに関わらず宝飾品というものの購入動機を疑問視されることが多いのは事実です。先日TVを見ていたらある芸能人が『なぜに宝石を欲しがるのかわからない。』と番組の中ではつげんをしていました。

 もし本当にそう思っているのなら芸能人はやめた方が良いかもしれない。『何故にあなたの芸を観なければいけないのかわからない』と言われたらどう考えるのでしょう。

 芸にしても宝飾品にしても付加価値性の高い物ですから、それを理解していないでその職に就くことはナンセンスと言っても良いでしょう。確かに最近のTVを見ていると『何故にこの人がTVに出ているのだろう』と思う人がいっぱい出てきています。これは業界の都合でもあるのでしょうが付加価値性に低い芸人が一杯出演をしていると思います。

 もしかしたらこれらの現象が現代なのかもしれません。実際には宝飾業界においても『なんちゃって』的な業者も多くいます。TVショッピング等でよく見かける内容なども宝飾品の付加価値性を否定しているようなことを平気で口走っています。

 勿論展示会等においても購入者を馬鹿にしているのかと思うような販売方法が歴然と行われています。これらはバブルの後期に宝飾店において一部の業者が販売効率を上げるために多用した値引き販売を今の時代の責任者たちが全体を観ずに現象面だけを引き継いだ結果なのでしょう。

 本来戦術的なものを戦略として使ってしまいそれが当たり前だと思っているからだろう。先日の展示会で初めて参加をした業者が『私たちは本来工場なのですが今はこういう会に参加をしなければやっていけないんですが価格を8倍だとか10倍つけてきて来てくれと言われるのでびっくりします。』といっていました。こんなことは例に上げるまでもないのかもしれません。

 購入者(消費者ではない)が何を望み、何を手に入れたいと思っているのか?この事に気が付かずに自分たちの都合のみで販売計画を立てることがどれだけリスクがあるのかを理解する頭だけでも持ってほしい物です。

 ダイヤモンドや宝石は実質的生活をするために欲しい訳ではありません。人生に潤いや歓び、そして張り合いや自身の誇りとして手に入れたいと思っているものであって、決して値引きをされて得したから欲しいと思っている訳ではありません。

 その前提にはいつも言う事ですが、歴史や前人たちが残してくれた人間が生きていく上で必要な付加価値がそこにはあるのですから、それの価値を下げるようなビジネスは自らの首を絞めることになるのです。

 ダイヤモンドは持った人にしかわからない付加価値が存在しているのも事実です。必ずしも言葉で理解をしているかどうかは別ですが・・・・。
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2016年4月20日水曜日

ダイヤモンドが与えた物!?

 最近ではインドがダイヤモンド研磨の主産国になっている事は多くの人が知っています。私がこのビジネスに参加したころはインドと言えば安い賃金の子供を使ったメレー(小粒のダイヤモンド)を主要サイズにした極貧国といったイメージでした。

 今では驚異的な経済発展を遂げたインドですが、未だに貧富の差は解消はされていませんが、平均的には多くの富をダイヤモンドが生んだといっても良いでしょう。イスラエルというダイヤモンドの多量研磨国でさえもイスラエル建国前のパレスチナという小国にダイヤモンドの研磨産業を根付かせたために今のイスラエルがあります。ヨーロッパのユダヤ人たちの今の地に招いたのは今反目し合っているパレスチナ人そのものであることは皮肉ですが。

 経済的に恵まれないパレスチナに産業をという事でパレスチナのナターニア市のベンジャミン市長がユダヤ人たちを呼び寄せたことがこの地のダイヤモンド産業の始まりなのです。今でもこのナターニアには多くのダイヤモンドピープルが多く居を構えています。

 また、今でこそ有名なオランダ・ベルギー地区においてもダイヤモンドが与えた恩恵はキリがありません。ブラジル、ロシアそして今のアフリカ諸国にとってもダイヤモンドから生み出されたものは限りがありません。勿論良い事だけではありません。時には戦争をそして時には国を滅ぼしてきたこともあります。

 しかし、多くの場合は人々に喜びを与え、希望を与えそして富を与えてきました。アフリカのボツワナなどはローデシアと呼ばれていた時代には英国に支配をされた極貧国でした。しかし、今は国連にも助けられたとはいえ、日本にも負けないGDPを誇り、多くの国民はダイヤモンドによって豊かな生活をしています。

 数え上げたらきりがないほど人々がダイヤモンドから得た恩恵は歴史さえも造ってきました。何よりも有限であるダイヤモンドは創り上げられた現在のバーチャル経済と違い引き際も教えてくれます。

 安倍内閣の言っているシャンパンタワー現象はいまでは儚い妄想にすぎません。今の富裕層は使いきれないほどのお金を貯めています。いくら贅沢に使っても末端に影響のあるほどは使いきれないほど一部に集中しています。つまり、ほどほどの人々にお金が回っていればシャンパンタワー現象も起きるでしょうが一部に集まり過ぎて、その人々だけでは使っても知れている訳です。

 ダイヤモンドは有限であるとともに人の手を渡り歩きます。それは奇跡的にも何百年、何千年にもわたって変質することもなく多くの人々がこの利益を共有することが出来るのです。ダイヤモンドはただの物としてだけではなく、経済という生き物の指針にもなるべく人々の間に存在するものです。

 これ等の文章だけを見ているとなんと大げさな解釈なのだと思われるかもしれませんが、この場面だけでは書ききれない根拠もあります。ただ、ここで言いたいことは単なるダイヤモンドは商品でもなく、資産でもなく意味ある存在であり、人々にとっての遺産になり得ない現存の歴史資産でもあるのです。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月19日火曜日

経験と価値⁉

 引き続き震災関連になるのですが、東日本大震災を経験して今回の救助、援助で速やかな行動になったことが多いという風に聞いています。人というものは経験から物事の創造であったり、価値の創造をする訳ですがボランティアであったり、自治体の対応であったりと災害対応の準備ができていた事により現段階の最小限の被害で済んだのかもしれません。

 勿論現実には多くの被災者や死亡者が出ているのも事実ですから最善、万全なわけはありません。また環境や発生する自然災害は同じケースは殆どありませんから万全な事はありません。ただ、過去の経験値から出てきた対応には備えたのだと思います。

 また、備えていたために、一見普段の生活で無駄に見えるようなものであってもいざという時には役に立ったというものが多くあります。嫌らしい話かもしれませんが、これらがビジネスになったことも事実です。

 東京都の災害対策本が異例の発行部数になったというのも最近の話です。東京都民にはただでの配布ですが、他府県の人には有料発売であったにもかかわらず大量発行がされたものです。

 このように人は経験値から価値を感じ、そのものにお金を払う事には大きな疑問を抱きません。これは必ずしも実用的なものだけではなく、たまたま写真を綺麗に撮れるともっとよく撮れないかとかカメラやレンズにもこだわり始めます。

 つまり感性においても経験が価値を求め、その提供にお金を払う事はいといません。良い音楽を聴くともっと良い音楽をと思いますし、更にもっと良いオーディオが欲しくなったりもします。これは続いていくと『オタク』の世界に近づいていくかもしれませんが、真にココにビジネスの本質があるといっても過言ではありません。

 モノを売るにしても価値を売るにしても、過去の経験値が欲望に繋がり、更に良い物をと考えていくのが人間です。普段から値引き商法を批判しているように受け取られるのですが、そうではなく値引きが順当である商品であったり、順当な時期であったり、順当な理由があるものは決して否定はしません。

 理由なき値引き商法が値引き自体が経験値になり、そこに一番の価値消費者は感じていしまいます。しかし、この価値は一瞬の喜びであり、継続性のない歓びです。慣れてしまったらそこには価値を感じませんからそれ以上の値引きが必要になります。それに比例をして品物は劣悪になった行くことは至極当然でもあります。そうするとその商品には何の価値も見出せませんから、いずれ離れていってしまいます。

 価値は売り手が創造することが出来るものですが、多くの場合売り手がこの市場を壊している事があります。次から次と価値を創造できる業界や会社であれば問題はありませんが、宝飾品のようにその価値は完成されており、培われてきた価値が劣化をすると手の出しようがなくなります。

 その事に気が付かない多くの業者はひたすら絶滅の道を歩きはじめ、日々の結果を求めて自らの首を絞めています。

 まずは消費者に喜びの経験を与え、さらなる経験を提案することが出来なければいずれビジネス機会が失われていくのではないいかと危惧しております。ただ、多くの50代前半までの業者の多くはその経験自体を自らが持っていませんから難しい事は理解をします。自らが喜びを感じない物どうすればよいのかというと自らが経験を求めていくという事しかないでしょう。

  経験の創造からくる価値のに関してはまだまだビジネスチャンスがあります。
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2016年4月18日月曜日

熊本大分地震!?

 先日最初の地震の時にコメントを書いたのですが、その後の第二波はさらに大きく未曽有の大災害となりました。一方エクアドルでもそれをさらに超える大地震が襲っており、一概に関係が無いとも言えないような規模となりました。

 自身も生まれてから十勝沖地震や中越、阪神淡路、東日本と多くの地震を体験してきてやはり、我が国は地震大国なのだという事を改めて確認させられます。よく『災難は忘れたころにやって来る』と言いますがこれらの例を見ると忘れる前にやってきているような印象すらあります。

 いつも自衛隊や、米軍の救援活動を見ていて思うのですが、軍事に使うものはいざとなると災害救援にも使えるものだという事です。軍事作戦も災害救援対策とも似ています。今回はおそらくあの【オスプレイ】が投入されるのではないかと思っています。

 多くの米軍基地での配備は事故を想定して反対されていますが、今回のように飛び地になっており交通網が遮断されているところへの救援物資は垂直離着陸が出来てヘリよりも多くの物資が素早く運べるオスプレイが適役だと思っています。これは事故を想定している人々は反対するだろうか? まずしないでしょう。

 平和目的で使用されるものはたとえ武器であっても反対はされないのでしょう。逆に平和目的で造られたものがダイナマイトのように戦争に使われるものもあります。

 災害というものは戦争と同じなのかもしれません。逆に言うと戦争は人の創り出す災害なのでしょう。そう考えるといずれにしても戦争が起きる前提となる様な決め事は賛成をする理由はないのでしょう。

 今回の地震に関しても今までの地震にしてもどれくらいの活躍を自衛隊員はしたのだろうか、そう考えると世界に貢献する方法は軍事以外にもまだまだある様な気がします。平和国家日本は世界の救援救助隊になる事を考えると役割は無限にある様な気がします。

 地震からは多くの事を学びます。それが教訓になるかどうかはそれらの国の国民性もあるし、政治家のレベルにもよるでしょう。前回書いたダイヤモンドや貴金属の換金の利便性に対してもそうですが、悪と思われていたことが使い方によっては善にもなる訳です。それがそれぞれの国のレベルということになるのでしょう。

 いずれにしても今回の災害にあわれた方には心からのお見舞いを申し上げます。
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2016年4月15日金曜日

熊本地震とダイヤモンド⁉

 昨日の9時26分に起きた熊本の地震は当初のTV画面から流れてくる映像だけだと、繁華街や駅前の最近の建物だけが映し出されているので、『少し大きめの地震が来たんだな』くらいの感想でしたが、一夜明けて画面から見えてくる被害は想像以上のものがありました。

 熊本城をはじめ多くの日本式家屋で築年数の経っている様なものの崩壊が目立った様な気がします。これだけを見てもこの地区に長い間大きな地震が来なかったのだろうと想像がつきます。

 TVの画面に映し出される被災者の方達を見ていると着の身、着のままで野外に避難されたんだなと思う反面よく報道されている範囲での被災で済んだなという感想です。勿論亡くなられた方やけがを負った方もいますので軽々にはいえませんが、崩壊した家の数や被害から考えると少なかったような気がします。

 これ等はやはり日本式家屋の特徴なのかもしれません。大きな石や壁で出来ている海外のような家屋ではもっと被害が出ていたようにおもいます。

 当然のように5年前の東日本大震災を思い浮かべました。海外のメディアなどでも東日本震災以来の大地震と報じられておりますし、中にはG7会議は大丈夫だろうかとさえ懸念をしているところもあります。確かに伊勢、志摩はその可能性がゼロという訳にはいかない場所です。世界の首脳が集まっているところで何かがあったら大変な事になるでしょう。

 もう一つ頭に浮かんだのが、震災後に多くの買取業者が現金を持って現場入りしたことです。当初は『鬼みたいなやつらだな』とさえ思いました。被災した人々から身ぐるみをはぐような印象がありました。しかし、後になってみるとダイヤモンドや地金で当座の現金を手に入れたという報道を耳や目にすると『やはり役に立ってよかった』とさえ思ったほどに安堵さえしました。

 勿論、悪徳業者というのはどこにでもいますので、これを機会に劣悪レートで大きくなった業者も沢山います。それと同時にブログでも書きましたが。、感動するダイヤモンドならではといったお話しさえも聞きました。

 今回の熊本自身でも被害者の方が今後の生活や当座の生活に対しての心配をしていましたが、ここでまたダイヤモンドをはじめ多くの貴金属が役に立ってくれることを心から願ったやみません。

 そして、くれぐれも買取業者の皆さんは被災者に寄り添った心をもった買取で社会の役に立ってもらうよう願ってやみません。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月8日金曜日

ダイヤモンドと絆!?

 最近感じる事ですが、家族にしても親子にしても友人にしても絆のもろさというか、はかなさを感じることが多くメディアで流されたり、感じたりしています。

 それぞれの家で大事にしているものや考え方、其々のコミュニティーでの統一感等々上げたらきりがないのですが、現在の通信手段やコミュニケーション方法が以前とはかなり違い、顔の見えない相手とも簡単にやり取りをする反面、身近な人々との会話もほとんどないということが多いように聞きます。

 先日もある取引先の中年ではありますが、最近の若い社員には驚いているという話を聞きました。先輩である彼にものを尋ねるのにメールでよこすという事でした。それだけならさほどとも思わないのですが、彼のデスクの背中合わせにいる若い社員だそうです。

 そんな話を40代のやり手の女性常連客に話をしてみると
『今どきそういう人は多いんですよ。やり取りで必要以上に絡まなくて済むと思っているみたいですよ。』
との事です。

 あきれかえった話ですが、さほどな珍しい事ではない事がよくわかりました。しかし、このままいくと本当に会話が無くなっていくのでしょうか?

 昔から電話だけの会話は誤解を招くので、大事な話は直に会って話しをするものだと教えられ、教えた来たのですが、それはもう死語なのでしょうか?

 あえてこれらを否定するとしたら物にしても、考え方にしても相手の息を感じ、体調を感じ、感情を感じそれ以上の情報を得ることが出来るのではないかと考えます。便利になる事は良い事だとは思いますが、必要以上が良いのか悪いのかと考えます。現在来日中の前ウルグアイ大統領の考え方が一躍世界中でのニュースになりましたが、事足りるという考え方が人間本来の能力を維持するには必要な事ではないのかと考えます。

 便利になる事により失われるものが多くなってきているのは誰もが気づいている事です。言葉ではなく象徴として昔から意思を伝える手段として物や考え方を伝えていた事はユダヤ人のように国を2千年以上失っていた人たちでさえ蘇させることはできるのです。

 『家宝』という考え方をどれくらいの人たちが理解をするかはわかりませんが、家族や家系を繋いでいく手段として昔からヨーロッパや地方ではありますが現代ではほとんどその考え方はありません。しかし、共通の認識のある物を持つことによりそのもの以上の情報が運ばれます。

 話しは飛びますが遺跡や、家財や宝飾品がどれくらいの情報を未来に運んだのかと考えると、それは限りがありません。現代であれば情報としてPCにでも何にでも残せるという事になるのかもしれませんが、感性や感情まで残せるものではありません。しかし、遺跡や家宝に関してはその時代の嗜好性だったり、考え方が想像つくし、それを想像する意識も残っています。

 人々の繋がりや絆というものはネットでつながるものではありません。それを勘違いしているところから現代の色々な事件が起きているような気がします。

 簡単に言うとダイヤモンドの一つを『家宝』とする事で子々孫々に自分の存在を知らしめることが出来、ある意味での志向性も伝えることが出来ます。極端ではありますが墓石の管理を子孫に委ねるのであればダイヤモンドをその代わりにしても良いのではとさえ考えています。

 『事足りる気持ちを持つことが、幸福感を満たし、感情を安らかにする手段と心得るべき。』
と感じています。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月5日火曜日

兄弟!?

 先週、アメリカの友人から携帯電話に連絡が入り
『アメリカに来る予定はないか?』
と聞かれ、その声は弱々しく
『とりあえずに予定はないけれど、どうしたの?』
と尋ねると
『KAZに会いたい。数日前にテキサスの病院からロサンゼルスの自宅に帰ってきたばかりなんだ。体に調子があまり思わしくないので、ぜひ会いたいんだ。』
との説明に私は目の前が暗くなる想いをしました。

 彼との出会いはもう30年以上も前になります。彼は南アフリカ出身のユダヤ系の白人で南アフリカのサッカーのナショナルチームのプレイヤーの後、一流ホテルの支配人を経験、その後彼の奥さんのファミリーが行っていたダイヤモンドビジネスを行う為にロサンゼルスに渡りました。

 彼のファミリーの会社は西海岸最大のマニュファクチュアであり、当時の日本御百貨店をはじめ多くの商社と取引をしておりました。以前ブログでも紹介をした100ctオーバーのDカラー、フローレスのペアシェイプ『プレミア・ローズ』を研磨した会社としても有名でした。

 彼と出会ったのは私がロサンゼルス在住の時でしたが、彼が日本に来ることも多かったので自然に親交も深まり、家族ぐるみの付き合いをしておりました。彼には二人の息子がおり、次男はファイナンシャルプランナー、長男はディズニーの版権を得て陶器のキャラクターの販売を行っております。

 勿論、彼らが小さな頃から知っていますので、特に次男関しては流石にユダヤ人の子だなと感じたことがあります。5,6歳の頃だったと思います。車のディラーに電話をして何やら声色を使っているのです。
『私は、今車の購入を考えているブラッドレー・ザグノーというものだが興味のある車があるのでパンフレットを送ってくれないかね?』
といかにも大人を気取ったような口調で好きな車のパンフレットを手に入れようとしているのです。

 自分が昼間、車のディーラーに行ったときに車のパンフレットが欲しいといったら子供だからという事で断られたのだそうです。それで彼なりに考えた方法であったようです。この家族は友人の影響か時々私を驚かせることも多くあります。

 彼とイスラエルに行くために、彼はロサンゼルスから、私は日本からロンドンで待ち合わせをしてテルアビブに向かったのです。彼が手配をしたホテルは国際的ホテルチェーンで自分はメンバーなので割引きはきくので一緒にチェックインしようという事になったのです。しかし、いざフロントに着くとメンバーの家族でなくては割引対象にならないといわれ、我々は思わず眼を合わせた瞬間に同時に
『We are brother‼』
と声を合わせて言っていたのです。

 一方は白人、もう片方は典型的とは言わないが日本人、それを怪訝そうに見ていたフロントマンが
『どう見ても血の繋がりがあるようには見えないのですが・・・。』
と顔を覗き込むような様子。彼はとっさに
『かれの姉貴が僕のワイフなんだよ』
といかにもその場で取り繕った様な言い訳をニコニコしながらするとフロントマンは苦笑いをしながら
『解りました。貴方達の演技に免じて両方ともメンバーという事でお取り扱いをさせて頂きます』と返してきました。そうすると彼は
『演技じゃないんだ。本当に僕らは兄弟なんだ。』
と片目をつぶってこちらを見ていた事。そして、その言葉に偽りが無くその後も兄弟のように接してきました。

 その兄弟が体調を崩し、私の顔を見たいといっている意味は、私自身の心を動揺させている事が解るし、なんとか彼に会いたいという気持ちを高ぶってきました。その彼から昨日連絡があり、再検査をして容態が安定してきたとの事。

 彼も70歳を過ぎて今は5人の孫と遊ぶことが楽しいといっていたのです。告げられた病名はガンという事でしたが、治療の結果すぐにどうなるという事ではないことが分かったという事でした。

 しかし、彼とは2年ほど顔を合わせてはおりませんが、私がアメリカに行くといつも一人でドライブをする私を心配して、夫婦で私の車に同乗をしてついてきてくれます。私にとっては掛替えのない友人であり、いつもお互いの事をお互いに顔を合わさずとも気にかけている兄弟なのです。

 近いうちの彼に会いに行ってこようと考えています。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月4日月曜日

ダイヤモンドは同じではない⁉

先日も書きましたが、新聞の記事にダイヤモンドの価格が下がっているという記事が出てから、色々な方から問われることが多くなりました。

 実際にはここ一、二年ダイヤモンドの価格が踊り場にいることは事実でしょう。しかし、イコール価格が下がったというよりも一括りにされていたダイヤモンドというものはカテゴリー化されてきたといっても良いでしょう。

 投資用から始まり光学用、工業用そして宝飾品用とカテゴリーが分かれている事も重要な要素です。一つには光学用、工業用に関しては代替品が出てきているのでそこの部分での価格は下がっているでしょう。更にはここ数年の経済環境やカルチュアチェンジもあり、婚約指輪や贅沢品としての分野でも需要が減っていることも事実です。更には先進国では1ctサイズの物に関しては多くの人々が既に所有をしているという事もあり、このサイズまでに関しても需要が減っているのも事実です。

 しかしながら、宝石の条件にある希少性という部分が今までは過分に表現をされてきた部分もありますので一言では言えませんが、本来の希少性という意味では大きさでいえば5ct以上、品質でいえばVS以上という事になるのかもしれません。

 しかし、これもサイズやシェイプによってはという事になるので一概には言えませんが、嗜好品という事もあり一つ一つの内容で変わるものですからマニュアルを作れる物でもありません。しかし、現実には需要のありそうなものは手に入りにくいし、探してもありません。

 この30年間で1ctに関しては僅かな上昇でしかありません。しかし3ct、5ctを超えるものに関しえてはやはり、3倍から4倍になっていることも事実です。一時だけを見て判断することは非常に難しいとは思います。特に投資用(10ctを超えるもの)に関しては現在の金融を含めて経済環境が大きくかかわってきます。

 ダイヤモンドはトータル的には圧倒的に1ct以下が多いのでトータルで均等した数字を見ると下がっているという表現が間違いではないかもしれません。しかし、ダイヤモンドの価格は以前から言っている通り数値化を出来にくい物であることを認識してほしいのです。

 同じようなピケ石(内包物の多い物)であってもそのダイヤモンドのテリによって価格は変わり、一括りにはできません。希少性の高い物で今後は採掘出来にくくなるもので、人にとって特に富裕層の指向性の高い物が今後の展開としてどうなっていくのかは其々の判断に任せますが、常識的な流れの中にあることは間違いがありんません。

 ダイヤモンドは名前が同じで、鉱物学的に同じでもその先にある実用性が全て違います。価格の上がり下がりを論じるのであればダイヤモンドの中のどの分野という事を付け加えなければいけないかもしれません。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年4月1日金曜日

ダイヤモンドの考え方⁉

 昨日、定例のゴルフコンペの最中でした。敬愛する先輩と同じグループでプレーの合間の歩いている最中の事でした。
『髙木さん、ダイヤモンドってどう見ればよいの?』
と突然の質問に対して
『どういう意味ですか?』
と意図を感じずにいる私に対して
『うちのワイフはダイヤモンドが好きだというけど、ただ趣味的に好きだというだけで数百万も払う感覚が理解できないし、資産として考えるのであればもっと高い方が良いと思うしどう考えればよいのかなと思って・・・。』

 疑問は十分に理解が出来る気がします。ダイヤモンドの美しさは男女関わらず判ると思うのですが、その意味が男女で少し違うような気がします。女性の場合は感覚的に美しいと単純に動物の本能(犬や猫などもやはり反応します)として感じていますが、男性の場合は魅了されている人でもその美しさに対して不思議さを感じています。つまり男性の中でも好奇心の強い男性はダイヤモンドに対してロジックの中で強い魅力を感じています。しかし、好奇心そのものをあまり持ち合わせていない男性は美しいと思ってもそこまでは魅了されません。

 ただ、男性は単に見る機会が無いという事もありますが、多くの男性はじっくり見ていると場合によっては女性より興味を持ち始めますが、女性がに魅了されるのとはちょっと違いような気がします。

 現在の市場においては1ct以下のサイズに関してはあまり動いていません。何故なら単純に経済が良くないからという事になります。しかし、絶対数の少ない大粒に関しては条件付きながら品薄でもあります。この十数年価格が上がったままです。

 冒頭の話になりますが、趣味であっても払える範囲内であれば少しでも良い物を待ちたいという女性の感性があるし、資産として考えると想像以上に価格が高額になっています。そこでもう一つの考え方として『家宝』としての考え方があると思います。

 トッピンではないけれどある程度の大きさがあることを前提に変える範囲内のものを求める事により将来の家計に伝えるべきものを購入するという考え方です。勿論身につけることもできますが大粒であれば幾年を過ぎる事によりそれなりの資産価値もうむでしょう。

 私なりの考え方というより現代のダイヤモンドに関しての考え方としてそうあるべきという意味で先輩に話をさせて頂いたときにその先輩は
『ダイヤモンドというものは嗜好品というものを前提にその価値のてっぺんにいる事により、実質的資産価値を持ったものという事なのかな・・。』
とポツリとつぶやき
『結論から言うと人間に必要として生み出されたものではなくて、元々存在をするものに対しての人間の理解を超えた感性の価値という事なのかもしれないね。』
と締めくくられました。

 ボールの位置に着き、打ったボールの行き先を見て
『自由にならないから魅力があるという事もあるよね。』
と付け加えていました。

 あっているのか、いないのか。
http://ameblo.jp/diamonrow