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2015年7月31日金曜日

時は流れ、ダイヤモンドは流れず⁉

 先日、旧来の友人で、以前百貨店の外商に勤めていた紳士が訪ねてきました。お店に入ってくるなり、
 『ちょっと、頭に来ちゃった⁉』
とぶぜんとした表情。
 『どうしたんですか?』
と尋ねると、
 『電車の中で、老婦人がいたんで席を譲ったんだけど、「すみませんね。同じくらいに御年なのに」とかいうんだよね。』
 確かに友人はシャンとはしているけれど古希を向える年齢で白髪ではある訳で、多分そのご婦人も席を譲ってはもらったんでけれど少し気分を害したのかもしれないなと思いながらお話を拝聴しておりました。

 ご本人もその自覚はおありのようで気分的には迄50代くらいのつもりでいるので席を譲るにも気を使うといっておりましたが、私自身も若くはないのでその気持ちが解らなくはないのです。時折、話している相手が年上だと思って話していたら、先方の方が年下だったり、またその逆もあります。

 今の時代といっては何ですが、平均寿命が50歳だった昭和21年頃を考えると、戦争があったとはいえ、十歳は若返っていると思いませんか?

 時代が流れ、医療や文化が進み、実際に住みにくい時代になったと思っていても、やはり、過ごしやすい時代になったのでしょう。但し、これは今までの時代が作ってくれた歴史の結果であり、現代の環境が結果を出すのにはもう少しの時の流れが必要でしょう。

 昨日、暑い事もあり閉店後皆で冷えた白ワインを開け、友人の御嬢さんにも声を掛け、夕暮れの世田谷で涼を取っておりましたが、ふと考えるとこの娘が小学生低学年の頃からの知り合いで、泣き虫であったり、友人がやっていた飲食店で皿洗いのお手伝いをしていたりと、やはりたくさんの思い出があり、不思議な気分でした。

 この娘は現在は大手のワイン販売店に勤務をしており、それもあり声を掛けたのですが、飲みっぷりと言い、発言と言いすっかりと大人の女性になっておりました。その中での発言でも「結婚はすぐには考えていないけれど相手の年は意識をしない」というような事を言っておりました。

 以前の日本であれば、結婚年齢を含めて、何か決まった恒常的な事があるような気がしていましたが、時が流れ、年齢ではなく価値観や生き方や目的が人間の魅力を決めたり、見栄えをさせたりするんだなぁ~と、改めて感じる事が最近多くありました。

 時代や時の流れが良い面を見出すことは確かに有意義ですが、その反面、変わらない存在や考え方、価値というものを見つめなおすことも多くあり、その場しのぎの結果変わってしまった業界に携わっている者として、扱っている物の価値や存在が変わらないことへの安心感があります。

 二日ほど前に、突然のご来店を頂いたお客様が
『私の持っているダイヤモンドがどうしても気に入らないので、新しいのが欲しいので引き取ってもらう事は出来るでしょうか?』

 お話を伺うと昨年某宝石店で買い求めたダイヤモンドが高品質という事で求めたがどうしても気に入らない白く映るものがダイヤモンドの中央にあるとの事。拝見をすると多少ではありますが、対称性に難があり、パヴィリオンの影の部分がズレており、それが気になるようでした。

 グレーディングレポートに記されている内容より、消費者であっても見た目で感じる価値というものは時代が変わっても同じだなと感じ改めて、グレードというより、グレードの使い方に問題点がやはりあるなと時間をしたときでした。説明はしにくいのですが時代の流れというものは良い面もあり、悪い面も勿論あります。しかし、何の先入観もなくダイヤモンドを見る人の目というものはいつの時代も変わらない物だと感じる一幕でもありました。
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2015年7月29日水曜日

ダイヤモンドと格差主義⁉

 格差社会といわれて久しいのですが、大昔から格差というものはありますが、何故にこの言葉が最近よく使われるようになったんだろうと考えると、数十年前、社会主義なり資本主義なり共産主義なり、経済イディオロギー含めて色々な形態があり、それなりに機能をしていたと思います。

 しかし、ネット社会が普及し、国境の境目がなくなると、社会主義の国であれ、資本主義の国であれ、そこには情報を持っている人間と持っていない人間の差が歴然と出、さらに人間の性(さが)と欲望が重なり合うと、イディオロギーだとか経済主義だとか関係なく、そこには格差が生まれてくるという事が鮮明になった現在があります。

 つまり、色々な考えがあったとしても結果からすると、やはりお金を握りたいとか権力を握りたいとか欲求が人の社会を作ります。究極的な言い方をすると欲求が人類を進化させるという事になりますのでこれは自然の流れともいえるのでしょう。

 そしてこれはお金を望まない人にお金が入り、お金を望む人にはお金が入らないという究極の状況が今起きているように思います。途中経過の社会主義なり資本主義なり共産主義で出来上がった形態が結論を迎える時点では格差主義になっている訳で、何々主義というのはその人間の欲求を満たすための方法論に過ぎなかったわけです。

 ネット社会はこの結論を出すための最終ツールであったわけです。勿論それは現在も進行形で情報をを握り、その情報を操ることの出来る一部の人間が利益を得、その情報のなんらかの中にいる人間にお金が集まるのです。そして、格差主義の一番の特徴はお金のあるところにお金が集まるという形態が出来上がったことです。

 必ずしも進行形で情報社会の真中にいなくても、すでにお金を握っている人間のところにはお金が集まってくるという事です。それは、大昔の様なギャンブル的なビジネスや、こつこつと汗水流しながら働かなくても、持っているお金の置き所でお金が貯まるという現象が起き始めている訳です。

 例えばという事で、ダイヤモンドというものは本来権力の象徴であったり、原始的な金融資産であったりする訳ですが、短期的な利益を追求しなければ市場価値が黙っても上がっていきます。その為にはそのダイヤモンドを換金せずに手元に置いておくことが必要です。つまり、生活に困らないお金があればダイヤモンドの価値は大きくなり、更なるお金を創り出すわけです。

 現在はお金のそれなりにある人しか、それなりのダイヤモンドは手に入れることが出来ません。手に入れたダイヤモンドはどれくらいの間ほおっておくことが出来るかによってもその利益の幅は変わっていくのです。

 但し、これはほんの例であり、更にお金を持っている人はそんなことをしてお金を増やす必要がないのです。何故なら既に使えないくらいのお金を持っているのですから、増やすことなど考えてはいないのです。しかし、不思議なもので、お金が増えなくても良い人はお金の使い方が大胆なので、結果的には其れがお金を造るという事につながるケースが多いのです。

 実体経済を超えた格差主義は更なる格差を生み出すのは人間の欲求が亡くならない限り続くのでしょう。お金という実体経済の擬態が電子マネーという形で擬態をさらに大きくしてしまいました。このバーチャルな経済社会のほころびは数年前から見え始めています。リーマンなどがその典型でしょう。そしてその犠牲者は常に欲を見た庶民でお金のある人間は常にその崩壊の外にいるのです。

 実物資産であるダイヤモンドをお勧めするのはそういった背景を恐れるからです。現にお金を持っている人々はその情報からダイヤモンドを買い集めているといっても良いでしょう。

 周りを見ていてそう思うのです。
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2015年7月28日火曜日

消えたピンクダイヤモンド⁉

 連日暑い日が続きますが、暑い日になるといつも思い出す事件があります。

 1980年代初めのある夏の日の出来事ですが、私はロサンゼルスに出張中でオフィスのあるインターナショナルジュエリーセンターの中にいて、外の猛烈な暑さから非難をするようにオフイスに居りました。

 夕方のフライトで日本に戻る予定で時間を過ごしていると、同じビルの最上階を全て使っているサイトホルダーでもあり、当時の西海岸最大手でもあるマニュファクチュアの友人からの電話での呼び出しで、面白いものが擦り上がったので見に来ないかというものでした。

 最上階にエレベーターで上がり、いつものように受付に挨拶をしがてらロックを開けてもらい中に入っいきました。ここのオーナーは2メートルもある巨漢でいつもダイエットを気にしながら、ダイエットコークを人の二倍は飲んでいるといった関取みたいな体形の人間です。

 最初のうちはあまり気になりませんでしたが、クーラーのきき方が異常でヒンヤリとさえしたいました。

 『これだよ。見てみて』
といわれたのは当時のファンシーピンクのマーキース型の3ctのダイヤモンドでした。それはそれはカットと言い、輝きと言い申し分のない物でした。
『いまG・I・Aから上がってきたばかりなんだよ。綺麗だろう?』
『綺麗だね。』
と言いながら私はあまりにもクーラーの効きすぎた室内で思わずくしゃみをしてしまいました。
『どうした?風邪でも引いたかな?』
『違うよ。あまりにもクーラーが効きすぎて寒いんだよ。一寸窓を開けても良いかい?』
ちょうど入ってきたセクレタリーにコーヒーを頼みながら、高層ビルの21階でしたが空気の入れ替えの為に小さな小窓があり、私は窓を少し開け外の暑い少しの間は気持ちの良い空気に当たっておりました。

 その時です事件が起きたのはなぜか突風が入って来て、その瞬間に大きな音とともに窓が閉まったのです。その瞬間音に驚いた私たちは思わずたじろいでおりました。落ち着きを取り戻し机の上を見たら、なんとピンクのダイヤモンドが消えているんです。

 驚いた私たちは机の付近や床を探したのですが見当たりません。20~30分探したところで私は帰りのフライトの時間が迫ってきたので、一旦自分オフィスに戻り、空港に向かわなければなりません。しかし、立ち去ることの出来る状況ではないのです。

『私はそろそろ、出発しなければいけないので・・・・。』
と恐る恐る言い出すと
『別にカズが隠したとは思っていないから大丈夫だよ』
と言ってくれました。

 私はそのまま日本に戻り、連絡を入れると
『見つかったよ。』
という人ことがありました。

 なんでもピンクの色を綺麗に見るために白いコピー用紙の上に置いていたのですが、風でコピー用紙が浮き上がり、その際にダイヤモンドが飛ばされて、セクレタリーの靴紐の間に挟まっていたらしいのです。ダイヤモンドでは時々思わないところに飛んでいくことがあります。特にピンセットでハサミ飛ばしをしたときには本当に解らなくなることがあります。

 それにしても、私がオフィスをた移出しなければいけないタイミングでピンクのダイヤモンドが失せてしまうとは、その時の気持ちを思い出すと背筋が冷える思いがします。暑い夏が来るたびに思い出すショートストリーのミステリーです。
 

2015年7月26日日曜日

ダイヤモンドの目安⁉

 今年に入って高額な投資用(私自身は財産保全といっています)のダイヤモンドの依頼が多い事は以前にも述べましたが、同じグレードでも価格が違うものがあり、多くの皆さんが単純に安い方を選ぼうとしますが私は必ずしも安価な方をお勧めはしていません。

 ここで簡単にグレードの仕組みを改めて解説します。カラーにだけ絞ってお話をしますとD~Zカラーまでの色基準がありますが、D~Zを1メートル、100cmと考えますとDカラーは5mm、Eカラーは3mm、Fカラーは8mm、Gカラーは10mm、Hカラーは15mm(あくまでも例ですが)といったようにカラーの基準には幅があります。Dカラーが多少幅があるのはDカラーより上の存在にC,Bカラーの存在があるからですがEカラー以降は少しづつ幅が広がっていきます。

 その幅の目安は鑑定会社によっても多少に違いがありますが、それ以前に同グレードにも幅があることを頭に入れてほしいのです。つまり、同じEカラーでも上の方なのか下の方なのかにより価格も変わってきます。それは必ずしもグレード基準で価格が決まっている訳ではなく、ダイヤモンドそのもので価格が決まっている事を示唆しています。

 また、グレードに関しては同鑑定会社であっても一定の時期が来ると見直されることがある意味当たり前の事としており、見直し時に違うグレードのなる可能性は十分にあります。その為に多くの鑑定会社はグレードの有効期限を一定期間で区切ったり、条件により区切ったりしています。

 それは、カラーだけに限らず、クラリティーにしてもカットにしても同じことが言えます。グレードは毎度のことですが改めて言いうと価格を説明するための目安ですから、期間やグレーダー、鑑定会社によって差異が出ても当たり前の事であり、それほど厳正なものではありません。

 高額なダイヤモンドの選択にはそれらを考慮する必要がありますので、規模的にも大きく、国際的認知をされている米国宝石学会(GIA)のレポートを使用することが多いのですが、G.I.Aに関しても同じことが言えるので、一定以上の知識を持ったダイヤモンドディラーが判定をする必要がある訳です。その都度のグレードに惑わされることなく、将来的にもグレード的に揺るがない範囲の物を選択推薦する必要がある訳です。

 実際に依頼されるレベルの物を探そうとすると、グレード的には出てきますが、物としてはなかなか合致したものは出てきません。勿論グレード以外の要素が財産保全用を前提に仕事を請け負う場合にはありますので、一言で説明することはできませんが、賢明なディーラーであればグレードと価格だけで簡単に食いつくことはありません。

 あくまでもグレードという目安はクライアントには必要ですが、ディラーが目安にする事はあまりありません。但し、今後を考えると4Cのグレードをさらに細分化することはジュエリー以外のダイヤモンドの市場を活性化していく上で必要性が出てきていますので緊急課題でもあるといえます。シンガポールに今秋設立されるダイヤモンドの取引所もプロ以外も対象に行われるわけですが、その一環ともいえるでしょう。
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2015年7月23日木曜日

アミューズメント⁉

 数日前当社の品物を扱っているお取引先が来た際の話ですが、先日参加をしていた展示会での出来事です。

 『開催中にいきなり大きな声が聞こえたのでそちらの方を見てみると、中年の男性が主催者に抗議をしているので思わずそちらの方を見てしまいました。』

 内容を聞くとその男性の母親には買うつもりもなかったジュエリーを買わされたという話でした。なんでもあまりにも執拗な売り込みだったために帰りたくて思わず伝票にサインをしてしまった・・という事への抗議だったそうです。

 最近このような話をよく耳にしますが主催者の稚拙な知識と経験のなさが結果的には消費者にジュエリーの印象を悪くすることになっているというような気がします。本来であれば宝飾品を見る事が楽しくて、思わず購入をしてしまうという形が一番良い訳ですが、このように言うとほとんどの主催者は『現実はそんな甘くないですよ』といった言葉が返ってきます。

 しかし、残念ながらそれは知識と経験のなさとジュエリーを扱うレベルではない立場からの答えといっても良いかもしれません。例えとして言えると思いますが日本での有数のアミューズメント・パークは何故に客足が減らないのか?答えは簡単です。そこへ行けば非日常と楽しい事があるからです。

 そしてそこの運営者たちの姿勢が常に利用者というか消費者を向いているからです。これは規模の大小とか職種は関係がありません。勿論TPOはあります。ある時代にセルフサービスの安売りスーパーが流行ったこともあります。海外から来たチェーン店にお客が列を並べたこともあります。しかし、多くの場合はその状況を続けていくことはできませんでした。

 時代が合ったために流行った業種や企業もありますが、努力をしない企業がやがて消えた行きます。消費者というもの発想の変化を求め、自分たちの想像を超えた物に魅力を感じます。結果その変化がない企業はやがて朽ち果てる訳です。

 その境目は経験から消費者が幻滅をする方に変化をしていくか、目を見張る方へ変化をしていくかといった他愛もないことです。それは明らかな経費の削減だったり、ディスカウントだったり、執拗なまでのアプローチです。現代の宝飾業界での出来事も正にこの条件に当てはまります。

 無駄な経費を掛けろという訳ではありませんが、自分達の都合を消費者にを押し付けるといった
行為が結果的には消費者の購入意欲を失わせ、結果的にトラブルのもとになる訳です。折角宝飾展に来たのであれば興奮をし、楽しんでいきたいと考える訳ですが、主催者の現実を背負わされることになるとその業界までも嫌な印象を持たせることになります。

 兎にも角にも宝飾展は以前と違って敷居の高い特別なものと考えている消費者は残念ながら少なくなってきました。であればアミューズメントに特化しなければ財布のひもが緩むことはありません。ましてや評判が悪ければ来場すらしてもらえません。かと言って、くだけ過ぎた宝飾展に非日常性を感じる訳ではありません。

 現代の販売員の一部には宝飾業を勘違いというか理解をせずにその職に就いている人たちも多くいます。自分自身がアミューズメントパークに何を求め、何を感じるかをよく考えてもらいたいと考えます。消費者に色々な意味でエンジョイしてもらい、何ぼの世界にいる事を忘れてはいけません。

 ましてや現在はお年寄りのお金に関しては家族のみならず、世間も目を凝らしています。無意味な疑念を掛けられるような売り方は謹んでもらいたいものです。とにかく消費者に驚き、楽しんでもらいたいと従事する一人として感じる訳です。
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2015年7月18日土曜日

ダイヤモンドの個性⁉

 ダイヤモンドの魅力を構成するものとしていくつかの要素はありますが、みな同じ魅力を持っている訳ではありません。ブルーであったり、ピンクであったり、イエローであったりとそれらを複合した色々なヴィジュアルであったり、とてつもなく輝くものそれほどではない物と様々です。

 ダイヤモンドの個性はそれぞれですが、まず第一に生成過程に由来するもの、第二に産出場所に由来するもの、第三に研磨技術に由来するものとあります。

 第一の生成過程に由来するものとしてはその環境近くにあった鉱物なり元素がなんであったかによる色です。一般的に皆さんが見るものは窒素の多少による、いわゆるDカラーからZカラーに至る色の濃淡です。これは純粋なイエローではありませんが黄色がかっていくものです。これにより見栄えが変わり、其々の好みも出てきます。勿論、ファンシーカラー等は含有される元素によって色が違っているものですからこの要素は決して小さくはありません。

 第二に産出場所に由来するものですが、これは経験からの事でしか表現はできませんが、靱性です。つまり、硬度に対するひねりの靱度です。これはスクラッチに関しては硬度は10となっていますので違いはないのですが、靭性に関しては産地により若干の違いがあるようです。過去にも石留等で欠けたり。砕けるものを総合すると一定の地区の物に多く現れます。これは石留の職人も経験値で見解を持っています。これらは輝きにある程度の違いを示すことがあります。

 第三に研磨技術に由来するものですが、ダイヤモンドは透明石ですから光学的数字があり、数学者のトルコフスキー博士が考案したカットが最も美しいとされていますが、これは単純に技術の差という事ではなく、研磨する方の利益の都合がありますので重量を重視し行う事もありますので一概に言えません。しかし、そのカットの差が見た目の美しさの違いを出すことも間違いはありません。

 但し、すべての色に対してトルコフスキーカットが良い訳ではありません。色の付いたものはむしろ魅力を失わせる場合も多くありますので、後天的要素でもあるのである程度の人のサジ加減もある訳です。

 これ等の要素が複合してダイヤモンドの個性が成り立ち、其々の魅力になっている訳です。勿論このほかにも質を含めた要素もありますので、これだけが全てという訳ではありませんが、それをジャッジするのに4Cというグレードがある訳ですが、これはミスコンの審査員が審査するのとは大差がありません。

 好みがありますからそれぞれに違いがあり、大よその人が美しいというかもしれませんという物を評価している程度です。ダイヤモンドも人間と同じように個性があることを理解するともっとダイヤモンドを楽しむことが出来るかもしれません。
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2015年7月17日金曜日

ダイヤモンドの価格⁉

 先だっての展示会でダイヤモンドの価格についてお客様から初歩的な質問ではありますが、
『同じグレードが付いていてもなぜ価格が違うんですか?』
という質問を受けました。

 もちろん、お客様はグレードというものは同じものだという勘違いが前提にあってのことなわけですが、今まで何度も書きましたのでその辺は少し控えますが、本来どこのお店がどのように体制で、どのように仕入れたダイヤモンドをどのように販売をしているのかでかおおよその価格は決まります。

 ブランド店であれば、ブランド店での価格設定があるでしょうし、百貨店であれば会社で決められた掛け率があるでえしょうし、また小売店であればどこの問屋のダイヤモンドを扱っているかで決まるでしょう。以前であれば広告にグレードをうたって価格競争や販売をしていたところもあるでしょうけれど、今日まだそんな時代遅れの販売をしているところはあまりないとは思います。

 ただし、それはあくまでも小売店での価格設定ですが、今日投資用(といっても良いのかどうかは迷いますが)や財産保全用のダイヤモンドに関しては少し事情が違います。多くの場合は世界で共有できるプライスチャートを目安にしてその価格の前後何パーセントプラスだったり、マイナスといった形で価格は合意されていきます。

 ダイヤモンドの取引所での価格構成はそのプライスリストにおいても目安にすぎません。なぜなら、それとは関係なく原石の値段がありますし、希少性も変わるからです。さらに以前にも書きましたが仮にグレードが表記されていても、グレードは価格ほどシヴィアに分かれてはいませんので、やはり目安にしかなりません。

 例えばクラリティーグレードであれば、フローレススには無傷ということで範囲はありませんがIFとなれば無疵に準ずるということになりますので、1mmの幅があったとします。そうなるとVVSー1には2㎜の幅があり、VVS-2には4mmの幅があります。さらにVS-1には10mmの幅があり、VS-2には20mmの幅があります。そのようにSI-1には100mmの幅があり、SI-2には200mmの幅があるという風に感覚的にですが、分けていくと同じグレードになったとしてもそれなりの幅があります。

 同じようにカラーグレードもそのようにしていくとそれぞれの幅のどこに当たるかということを考えると同じグレードであってもかなりの違いが出てくるわけです。ましてや鑑定機関や人や時代が違えばさらにその後差は大きくなるわけです。

 あまり細かく分けるとダイヤモンドに夢がなくなるようですが、ダイヤモンドのディーラーはこのような範囲内での価格設定を行っています。合っているかどうかは別にして例でいえば価格は各駅停車ほどの間隔で止まりますが、小売りにおいては特急レベルか新幹線レベルでの停車駅間隔位でのグレードの価格がついているわけです。

 しかし、小売りにおいてはそれ以上の要素としてサービスだったり、広告だったりといった経費が掛かりますのでグレードによる価格は今やあまり大きな意味をなさないのかもしれません。とにかくご自身が質問をしてみて、納得のいったところでお求めになることをお勧めします。

2015年7月16日木曜日

ダイヤモンド取引所⁉

 今年の9月、シンガポールにダイヤモンドの取引所が開設されます。これは従来の取引所と違い実際に誰でも(もちろんじょうけんはありますが)投資を目的としてダイヤモンドの取引が出来る場所となります。

 従来のダイヤモンド取引所とはプロのサイトホルダー、ディラー、ブロカー、バイヤー等がダイヤモンドのビジネスを目的としてあ詰まっていた場所ですが、今回の取引所は簡単に言うと常設のオークション会場といったものでしょうか。ぁ前自体はダイヤモンド投資取引所となっていますので従来の取引所と証券取引所とオークションを兼ね合わせたものになるようです。

 ただ世界中からの取引が可能でディポジット(補償金)を積むことによりその売買の権利を持つという事になるようです。詳細は別にしても自身にとっても感慨深いものがあります。今から30数年前に同じような志を立て日本橋にダイヤモンド取引所を有志とともに設立をしたことがあります。

 しかし、時代は早すぎたのか、今のようにインターネットが普及をしている訳ではなく。パソコン通信とデビットシステムといった通信が一部に普及していた程度で、為替にしてもまだまだ安定をする事もなく、コントロールも難しい状況でした。

 ダイヤモンドが世界での通貨として、投資の対称や金融商品としての役割は長く続いておりましたが、日本での役割は物品税や関税の存在もあり、一部のお金持ちの宝飾品としての役割がほとんどでした。

 現在は、世界が繋がり、ダイヤモンドの役割を認識する人々も日本にも少しづつ増え、その役割は決して小さなものではなくなりました。しかし、ダイヤモンドの取引の環境はまだまだ取り揃わずにいますので、外国人の草刈り場ともなり日本国内にそのメリットは殆ど還元されずにいます。

 ダイヤモンドが通貨のように、というより通貨より確実な資産としては歴史的背景があります。現在生まれている資産は時代とともに劣化をする要素があることはバブルの時代を知っている人であれば理解ができる事です。しかし、ダイヤモンドはいつの時代でもその価値を発揮してきました。

 近いうちに日本にもその動きが出てくることは間違いがありませんが、現在の日本ジュエリー業界のように間違った方向にいかないことを願ってやみません。お客様が楽しくなければそこには利益が落ちる事はありません。当たり前のことが当たり前ではなくなってしまったように、ダイヤモンドの取り扱いも従来の外国諸国のように扱えば、決してやましい仕事ではないはずです。

 やましく見せるのは扱っている人間のやましさです。ダイヤモンドの本当の価値を見いだせる人々が少しでも出てくれば日本でも本当の意味でのダイヤモンド取引所が出来上がるでしょう。
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2015年7月11日土曜日

価値の本質⁉

 絵画の価値とジュエリーの価値を比べる時に根本的に違う事は材料の価値です。ソフトの部分ではデザインや造りといった部分のあるジュエリーに対して絵画は、勿論技術的なものはあるのですが、その芸術性であったり、認知度であったりとやはりソフト部分が大きく価値の根本となる訳です。

 しかし、根本的に違うのはジュエリーは素材である宝石や地金のの価値といったものが優先し、絵画は素材であるキャンパスであったり絵の具の価値を考える人はいません。つまり、売り方の問題が一番多きいのですが、絵画は画商がいかにこの作品は優れているのかを前提にビジネスをするのに対し、最近のジュエリーを売っている人間はいかにジュエリーに価値が無いかといわんばかりに値引きを前提に商売をします。それが商売と言えるのかどうかは疑問ですが・・・。

 消費者も値引きを前提に話をされるので、本来ついている値札の価値はないと考えていますので少しでも安く購入しようと思います。しかし、以前にも書きましたが購入者はジュエリーがやはり誇りだったり、見栄だったり、権威だったり、権力の象徴的な部分があるのは理解をしていますので、宝石や素材である地金の価値だけで販売が可能になっています。

 売っている人間性の前にジュエリーの本質的価値があるこそ、未だに売れているといって良いでしょう。もし、今のような一部の業者や販売員がいなければもっとジュエリーも売れ、価値のあるものとして足を引っ張られずに優雅にビジネスも行えるでしょう。

 本質的な価値はやはり概念的なものが大きく左右をしますが、絵画と違い、販売側がどんどん価値を下げていくのですから、商品内容もその中身になっていくのは当然で、そこには消費者が望むような価値はありませんから売る事が難しくなっていって当然ともいえるでしょう。

 消費者の中には材料が高いのは解っているからこそ少しでも安く買った方が良いといった、本来の価値とは違う方向でジュエリーを見ている人もいます。しかし、それもみな販売側の姿勢の問題でしょう。

 確かに一部の高額ダイヤモンドのように実質的価値だけでのビジネスもあります。しかし、多くのジュエリーの場合はデザイン性であったり、職人技術の粋を集めた物をビジネスとしていましたが、現在では値引きを前提とした商品作りが行われますので、それにはほど遠い商品も多く見かけます。

 勿論、一部の販売員は素人に毛の生えたようなものといっては失礼かもしれませんが、知識が無くても行えるビジネスでもありますから、どうしてもそうなってしまい、善良な業者はむしろ頑なに融通が利かない業者という見方がされます。

 本質的な事を言えば綺麗事ではなく、購入者の立場を前提にしたビジネスですから、販売側の都合を前提にするとビジネスとしては成り立たなくなります。現状の不振の殆どはそこに原因があるのですが、この事を説明しても多分理解が出来る人は一握りなのだろと思います。

 暴論に聞こえるかもしれませんが、育ちだったり、人格だったりといった根本的な事が違うとジュエリーの販売は単なるお金に換えるその場限りの行動であり、決して未来の明るい仕事ではないのだといえます。

 本来は画商のように誰彼が行うのではなく、その価値や才能を理解できる人が、その価値を上手く表現する事により行う事が良いのですが、材料や素材に価値がある為に誰かれが行う事が出来る商売に成り下がってしまったのでしょう。

 しかし、宝飾品に価値があることは神代の昔から歴史が物語っています。まだまだ捨てたものではないことは欧米諸国でも理解がされています。いずれ本物だけが残ることを願ってやみません。
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2015年7月9日木曜日

ドレスコード⁉

 最近、宝石の展示会やブランド店の販売員の服装を見ていて感じる事があります。これは自身の意見が正しいかどうかではなく、問いかけでもあると思います。以前は展示会等に出かけても優雅とまではいかなくても、眉をひそめるような光景に出合う事はありませんでした。

 本当に宝石を売るつもりがあるのというような服装を見る事があります。腰に計算機や事務用品を入れるポシェットのようなものをぶら下げたり、パンツスーツでも決して優雅とは言えない様なシルエットだったりと首をかしげたくなるような姿を見かけます。

 ブランド店であれば本来のデザイナーが一連の何をイメージしているのかを考えればおのずから導きでてくるものはあると思いますし、宝飾展であれば裏事情が見えすぎるような服装や行動が良いのかどうかを考えればイエスかノーの答えが出ます。

 しかし、基本的に宝飾というものとか、優雅という物を理解していなければ基本的にどんな指導や規則をもってしても難しいのだろうとも思います。小さな頃から宝飾品や生活を身に付けていればなんの指導も規則もいらないでしょう。

 後は優雅とかエレガントさというものは生活レベルとは必ずしも一致している訳ではないのでその本人の感性や本質的なものもあるでしょう。芸術を理解する、音楽を理解するというものは感性ですから、それを理解しようとする動機があれば宝飾品をどのように理解をすべきか深く知識を得ようとするものだと思います。

 少なくてもプロフェッショナルはそうすべきでしょう。しかし、残念ながら男性、女性を含めてそのコードの届く人はなかなか見つけにくくなっています。以前であれば会場から放り出されたような服装をしている男女スタッフが多く会場にいます。もしかしたらそれが宝石を身近に感じさせているのかもしれませんが・・・・。

 基本的にはお客様に不快感を与えないことではありますが、それは何の仕事でも一緒です。ただ、我々の仕事は非日常の上に成り立っています。もしかしたらこの事の意味も分かってもらえないのかもしれません。つまり、プライドや憧れ、権威等々のベースの上にありその価値を前提に成り立ってきたものですから、あまりにも日常的になってしまったものにはその輝きはうつりません。

 売り方、ディスプレー、服装等々が日常的なところや現実的なところに落ち着いた宝飾業というものに本来の魅力や価値があるのだろうか?

 あえて、ドレスコードという言い方をしましたが、精神的なものや行動も含めての意味を込めてのものですが、販売員の服装というものは、色々なレベルの人がいます。あえて言えば人に不快感を与えないところから始まり、宝飾という世界あっているのかどうか。また、宝飾品の価値を損ねるような扱いをしていないかどうか。そして、雰囲気がその宝飾品という世界の意味を醸し出しているのかどうか。

 もしそれらを販売側が理解していないのであればお客様は不幸という以外にないでしょう。何故なら、お客様もまた宝飾展にきて、宝飾の世界を覚えていくのですから、最初にどこの展示会を除いたのかどうかで価値基準が変わってしまいます。その理解が売上やレベルという物を押し上げていくのですから、値引きという自分がタダ楽をしたいだけの手法や自分勝手の理由の販売方法は決して自らを将来楽にすることはないでしょう。

 ただ苦しむだけの販売方法はやがて自らの身の破滅にもなっていくかもしれません。たった一線のコードを守る努力を惜しむかどうかだけで天と地の差が出てくると感じています。
 

2015年7月1日水曜日

危機管理⁉

 やはりというか、起きるべくして起きたという感想です。新幹線での焼身自殺とは聞こえが良いが、ガソリンが爆弾であれば『自爆テロ‼』であるわけです。以前から気になってはおりました。

 仕事柄海外での交通機関でのテロ事件やそれに近い事には出会ってきた経験から、いつも新幹線に乗る時には不安になっており、時折人にその危険性を話しておりました。時速300キロに達する乗り物に乗るのに何のセキュリティーチェックもないし、その様子もない。あるのは在来線との区分けのための改札だけで、それこそそんなものはいらないのであってセンサーや視覚検査程度でも良いので準備をするべきです。

 日本の新幹線の正確性は其れこそ世界に誇れるものですが、ここにも危険性が隠れています。どの辺で対向の新幹線とすれ違うのかもある程度計ることが出来ます。しかし、これが問題で今回のように一番前の車両で対向の新幹線とすれ違う瞬間に自爆テロでも起こされたら、両方向の車両の乗客数千名があっという間に地獄の蹴落とされます。

 今回もポリタンクが持ち込まれていたという事ですが、そんな危険物が安易に車内に持ち込まれることは考えられないと思います。テロ対策として車両に監視カメラを設置した有ったという事ですが、持ち込まれた時点でアウトですから、JRや国土交通省の考え方の非現実的なものがここでもあらわされています。

 飛行機でのセキュリティチェックが厳しくなって随分経ちますが、それでも9.11はじめフライトの中でのテロは起こっています。新幹線も飛行機よりももっと危険で乗客も多いのに何も講じないで来ました。一日45万人も乗降する交通機関でそれを行う事は無理でしょうとある専門家がTVで言っておりましたが、時間を合わせる事と人の命はどちらが大切か、もしくは諸外国から比べると行き過ぎた利便性をどこまで追い求めるのか、考えるまでもありません。

 どうしても、時間を間に合わせたかったらセンサーなど今の技術を駆使し、ある程度のセキュリティーチェックを行うシステムを造れば良いでしょう。多分その技術は世界中に需要もあり、新たな輸出品になるかもしれません。

 いずれにしてもイスラエルに長年出入りをしてきた立場からすると、あの国のセキュリティーを見習うべきであると考えます。あの国はテロが多いからという人もいますが、実は日本では事件として片付けられていることが多いだけでテロとして定義づけ事は世界でもワースト10に入る国であることを認識すべきです。そのイスラエルよりも多いのですから。『サリン事件』は9.11が起きるまでは世界史上最大のテロでした。日本ではカルト教団が起こした事件という括りになっていますが他国では明らかなテロでした。

 イスラエルよりテロを心配した人間がガスマスクを持参しての来日という事は当時よくありました。彼らの感覚では自国より日本の方がよっぽど危ない国だったからです。今回の件は甘く判断をしない方が良いと思います。テロリストにとっては良いアイディアを示したことになります。利用するにあたっては多少の不便を感じるかもしれませんが、多くの政治家の発言で明らかにテロ対象国に」なっている以上はやむを得ない事と納得をしなければいけないでしょう。

 本当の事であれば今回の事は想定をしていて当たり前のことです。これでJRや国土交通省のお偉方が処分をされなければ、当該機関がよほどの無教養か自分たちの仕事の本質がわかっていないということでしょう。それは何事にも言えます。自分たちの仕事であっても・・・・・。
想像ができる事は起き得るのです。
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